🎶26:─1─日米戦争の遠因の1つは、キリスト教的人種差別を絶対正義とするアメリカの「排日移民法」であった。第一回国共合作。1924年。~No.57 @ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日系アメリカ人は、アメリカに忠誠を誓って戦い市民権を得たが、人種差別法案排日移民法により市民権を剥奪された。
   ・   ・   ・   
 真のサムライ・武士は、命以上に、自分の名誉と体面を重んじ、家名を汚す事を嫌った。
 武士の一分を守る為に、相手が自分より強く、戦えば負けて死ぬ事が分かっていても決して逃げなかった。
 勇気あるサムライ・武士は、勝ち負けに関係なく、死ぬのを怖がって妥協する事は恥と嫌い、命を捨ててまでも名誉・体面・家名を守った。
 相手が、アメリカだろうが、ソ連・ロシアであろうが、中国であろうが、臆病風に吹かれて逃げ惑う事なく、潔く怯む事なく立ち向かった。
 それが、サムライであり、武士であった。
 一生懸命ではなく一所懸命が、サムライ・武士であった。
 死を覚悟するのが、サムライ・武士である。
 命を全うして生きる為に「志」「心」「気概」が必要とされた。
 サムライ・武士は、「志」を持ち、いつ如何なる時でも死ねる覚悟で生きていた。
 アメリカは、日本民族日本人の「心」と「志」を貶し、日本国の「名誉」と「体面」を踏みにじった。
 それは、国家元首にして神の裔である日本天皇の神聖を否定する事に繋がっていた。
 が、現実に生きる日本民族日本人は、激怒してアメリカへの怨嗟の声をあげたが、アメリカとの戦争を避けるべく冷静に対処した。
 だが、アメリカ人の本音と本性を間違いなく見定めた。
 サムライ・武士は、いざという時、その時が来たらば、アメリカとの戦争を覚悟した。
   ・   ・   ・
 戦前の日本人は、平和を希望していたが、日本天皇に対する忠誠心と祖国日本への愛国心から日本天皇と祖国日本を守る為に武器を取って戦う覚悟を持っていた。
   ・   ・   ・  
 アメリカの基本的外交戦略は、ダブルスタンダードで、欧州に対してはモンロー宣言(モンロー・ドクトリン)に基ずき「伝統的孤立主義アイソレーショニズム)」を採用し、日本を含むアジアに対しては国益拡大の為に一国主義(ユニラテラリズム)で積極介入策を行っていた。
 アメリカは、独立したばかりの新興国として国力が貧弱であった為に、欧州の戦争に巻き込まれ、欧州勢力の軍事介入を事を恐れていた。
 ジョージ・ワシントン「ヨーロッパの主要な利益はアメリカとほとんど関係ない。恒久的な同盟関係や関与をアメリカは避けるべきだ」
 トーマス・ジェファーソン「アメリカの外交政策の基本は、すべての国との平和、通商であり、同盟関係には一切関わらない」
 ジェームズ・モンロー「アメリカはヨーロッパの戦争には干渉しない。その代わり、ヨーロッパの国々はアメリカ大陸の事に口を出すな」
 アメリカは、宗教的白人至上主義による人種差別主義者として、人種的優劣から日本を含めたアジアを下等人間として見下し、支配地と海外利権の拡大政策を推し進めた。
 アジア進出の最大の障害が、清国とロシア帝国を破って満州へと勢力を広めつつある日本であった。
 日本が朝鮮と台湾だけで満足し満州に進出せず農業国家として大人しく日本列島に閉じ籠もっていれば、アメリカとしては日本を仮想敵国とはしなかった。
 が、日本は殖産興業と近代教育振興で近代国家を目指した以上は排除すべき敵国であった。
 1899年のジョン・ヘイ国務長官による「門戸開放宣言」。1908年のセオドア・ルーズベルトによる白い大艦隊(グレート・ホワイト・フリート)。1922年のワシントン会議における「9ヵ国条約」。
 東郷平八郎など明治維新から日露戦争まで戦った陸海軍の軍人や伊藤博文高橋是清など日本の近代化を推進した政治家・官僚・外交官達は、アメリカの秘められた本質を認識していたがゆえに、アメリカを利用しても頼る事なく日本中心の自衛的自力政策を採用していた。
 渋沢栄一新渡戸稲造等は、アメリカの国是である自由・民主主義を信頼し、アメリカとの関係を強めてこそ日本の発展があると確信していたが、その淡い期待はアメリカの狂気によって見事に裏切られた。
 アメリカは、当然の権利を行使しているだけだと信じて疑わなかった為に、日本の苦悩など理解できなかった。
 「明治・大正の人間が賢く、昭和前期の人間が愚かであった」のは、アメリアを正しく認識していたかどうかである。
 アメリカの、意図に従わなかった者が軍国主義者・民族主義者・国粋主義者天皇主義者と告発され有罪となり、意図に従った者は平和主義者・民主主義者とし賞讃され無罪となった。
   ・   ・   ・   
 戦前の日本人は、軍部に騙されて戦争をしたのか、新聞報道を読んで日本が置かれた現実を理解し覚悟を決めて戦争に賛成したのか。
   ・   ・    ・   
 ケネス・ルオフ「(戦後)日本を戦争の暗い谷間へと引きずり込んだとして、漠然とした少数の『軍国主義者』を非難することが通例となった。しかし、国民の支持がなければ、全面戦争の遂行などできるわけがないのだから、これは奇妙な言い草だった」( 『紀元2600年 消費と観光のナショナリズム』)
   ・   ・   ・
 1924(大正13)年 警察は、天皇制度打倒を目指す共産主義者を取り締まり、ソ連の資金支援を受けていた日本共産党を解党に追い込んだ。
 日本民族日本人は、国内外のマルクス主義勢力から、天皇を中心とした国體・国柄・国の有り様を命を犠牲にしても守ろうとした。
 それが、戦前日本の真相である。
  ・  ・  ・   
 上海で、租界ボーイ領事館襲撃事件が起きる。
 日本領事館警察は、日本人商店で働いていた中国人・田種香を反日派のスパイとして逮捕して取り調べた。
 田種香は、取調官の監視が手薄になったところ見計らって首を吊って自殺した。
 中国人は、日本人による拷問で殺されたという噂を信じて日本領事館を襲撃した。
 上海の日本海軍司令部は、陸戦隊を出動させ、領事館から中国人暴徒を排除し、領事館員を救出した。
 中国人暴徒は、軍隊を出動させ武力で排除した事に逆上して、各地で日本人居留民への暴行や殺人事件を起こした。
 日本政府は、中国政府に対して厳しく抗議し、謝罪と賠償を要求した。
 中国政府は、口先だけの遺憾表明で誠意を見せず、謝罪も賠償もせず、犯人捜しもせず未解決事件として放置した。
 反日派中国人は、中国政府が日本人襲撃事件の解決に本腰を入れず、日本政府が日本人居留民保護目的で軍隊を派遣しない事をいい事に、日本人居留民への犯罪事件を繰り返した。
 日本人居留民への犯罪は、満州地方にも拡大し始めた。
 日本政府は、中国との友好関係を維持する為に、中国の自主性を尊重して内政干渉をせず、中国当局の捜査進行をただ見守った。
 日本人居留民は、日本政府から見捨てられるという恐怖から日本軍部の武力保護を切望した。
 反日派中国人は、日本経済は中国市場で保っているという分析から、中国政府に対日経済断絶を求め、中国人民に日本製品不買の日貨排斥運動を呼びかけた。
   ・   ・   ・   
 レーニンは、中国・孫文を利用して日本とアメリカを戦争させるべく陰謀をめぐらせていた。
 日本軍部は、孫文レーニンに取り込まれたと分析して孫文を切り捨てた。
   ・   ・   ・   
 レーニンが死亡した。
 ロシア共産党内部は、後継者争いで血みどろの粛清が起きていた。
 マルクス主義は、血に飢えた思想であった。
 共産主義政策は、大量の血を流して実行される変革であった。
 スターリンは、レーニンの積極的理想主義路線を修正し、資本主義との闘争に勝つ為の国力を養い軍備の増強を図るべく第一次5ヵ年計画を実行した。
 トロツキー等は、レーニン路線を踏襲しないスターリンを非難した。
 ソ連内部は激しい権力闘争に突入して、対外侵出どころではなくなった。
 共産主義は、人民による一党独裁体制を目指し、大義の為ならば大虐殺も厭わない血に飢えた恐ろしい思想であった。
   ・  ・   ・   
 第二次奉直戦争。
 中国共産党は、党員数も少なく組織基盤が脆弱な為に、人民の共感を得べく反日ナショナリズム運動を盛り上げようとしていた。
 中国共産党は、左派系学生を在華紡などの日本企業に潜り込ませ、日本人経営に不満を持つ中国人労働者に賛同者を増や暴動を起こそうと為ていた。
   ・   ・   ・   
 イギリス諜報機関は、日本軍との戦争を想定して日本の外務省・陸軍・海軍の暗号電報の傍受・解読を開始した。
   ・   ・   ・ 
 1月 清浦清吾内閣。首相、外相、陸相海相を除く全閣僚が貴族院から選ばれた、超然内閣であった。
 国民世論は、政党政治を要求して第二次護憲運動を起こした。
 総選挙の結果、憲政会・政友会・革命倶楽部の護憲三派が大勝して、清浦内閣は総辞職し護憲三派連合の加藤高明内閣が成立した。
 大正デモクラシーの始まりである。
 政友会の田中義一総裁は、大政翼賛会的な密室談合政治に反対して下野し、憲政の常道である二大政党制を確立する道を開いた。
 1月20日 国民党第一回全国代表大会。孫文は、コミンテルンから支援を得る為に、保守派の反対を押し切って連ソ容共政策と国共合作を宣言し、党勢強化を目的として共産党員の国民党への入党を認めた。
 孫文は、大漢族主義からモンゴル人、チベット人、回教徒トルコ人は同じ血を引く漢族であ以上、一つの民族として同化させ中華民族とするべきであると演説した。
 後に、蒋介石満州族を加えた五族は中華民族に統合されるべきであると主張した。、
 中国は、清国の領土はもちろん支配が及んでいた朝鮮王国や琉球王国や安南なども、同じ中華民族であると定め、辺境地域を中国に統合する事を使命としていた。
 華南地方を地盤とする秘密結社天地会(三合会・洪門)は、孫文を支援し、国民党の実働部隊として活躍した。
 天地会の一派である哥老会(陸上は紅幇、水上は青幇)は、中国共産党を支援した。
 秘密結社は、犯罪組織としてアヘン密売と人身売買を収入源とし、さらに欲しい物は国民党や中国共産党を利用して虐殺して奪った。
 日本軍部は、孫文が日本を滅ぼそうとしているソ連と手を組んだ事に失望し、親日派政権樹立を目的として行ってきた国民党への支援を打ち切った。
 日本の国粋主義民族主義の右翼・右派も、孫文の革命運動を初期の段階から援助してきたが、崇拝する天皇を滅ぼそうする共産主義陣営と同盟を組んだ以上は、
   ・   ・   ・   
 3月13日 アメリカは、移民国家として、移民を制限する為に各国に割り当て制を導入していた。
 アメリ連邦議会は、日本人は帰化不能な人種であるり市民権取得の資格がない外国人と決め付け、日本人移民を締め出す目的の排日移民法(割当移民法案)を成立させた。
 アメリカの陸海軍合同会議は、19年頃に立案された対日戦争計画・オレンジ計画を正式に承認し、日本との戦争に備えての軍備増強を密かに始めた。
 アメリカ大統領は、自由と平等と博愛という合衆国憲法の精神に則って、日本からの移民を事実上禁止する「割り当て移民法」に署名した。
 アメリカは、自国の利益を拡大する為なら如何なる手段も躊躇なく実行した。
 共和党サミュエル・ショートリッジ上院議員カリフォルニア州選出)は、「市民権を得られない外国人を移民として受け入れない」という修正案を盛り込んだ。
 日本の槇原駐米大使は、新割当移民法は人種差別法案で「重大な結果」をもたらすと、ヒューズ国務長官に書面で激しく抗議した。
 ヘンリー・ロッジ上院議員反日派は、日本側の抗議を内政干渉であると世論に訴えた。
 アメリカの権威ある著名な学者達は、国益を日本人移民から守る為には必要な法律であると賛成した。
 アメリカ世論は、日本側に不当な抗議に激怒して、排日移民法案を支持した。
 クーリッジ大統領は、ワシントン軍縮条約に悪影響を及ぼす恐れがあると進言したヒューズ国務長官の意見を退けて、排日移民法案に署名した。
 地方勢力である、西海岸諸州と南部諸州の大勝利であった。
 日本政府は、対米協調を国是とし、アメリカとの良好関係を維持する為に融和的外交姿勢を堅持し、国益を抑え気味にして日本人に犠牲を強いた。
 アメリカ側は、経済重視政策から中国市場への販路拡大を目指し、中国の反日感情を考慮して日本との関係を軽視し、財界と労働組合の政治的圧力を受け入れて排日姿勢を強めた。
 日本では震災からの立ち直りに国民一丸となっているだけに、人の弱みに付け込むアメリカの卑劣な仕打ちに対して激怒した。
 日本の狂信的右翼は、日本人としての名誉を守る為に、アメリカ人の人種差別主義者による日本人排斥運動に激怒して、アメリカ国内に於ける日本人移民へのリンチ事件をありのままに公表した。そして、日本政府に国家と民族の名誉の為に対抗措置を要求した。
 日本民族は、ムラ的同胞意識が強いだけに、国外で日本人移民が不当な差別を受け暴行を受けている事に憤っていた。特に、中国人による日本人居留民への虐待事件には激しい怒りを表した。
 諸外国は、日米開戦が近いと警戒した。
 中国人は、日本人の感情を逆撫でする様な迫害を増加させていった。
 大阪毎日新聞アメリカ人は実に意地悪な民族である。彼等は毒蛇の様に邪悪である。アメリカ政府は実に狡猾に我々を騙してきた。その事が如実になった」
 トインビー「移民法の成立で、日本全国に危険なほどの興奮と憎しみが満ち溢れた。数週間にわたって、その興奮があっちこちで爆発した。5月31日と6月4日に、二人が抗議の自殺を遂げている。6月10日にこの自殺した二人の内のどちらかの葬儀があったが、その会場で反米の大きなデモが実施されている。また6月5日にはウッド駐日大使が帰任している」
 ハリー・エマーソン・ウィルデス「移民法の成立した年は、日本の衆議院の選挙があった年に当たる。アメリカに復讐心を持つ者が立候補すると、彼等は移民法に報復的な法律を作るべきだと主張した。そうした候補者の多くが当選した」
 ロバート・オーラ・スミス「これまでアメリカ政府は、カリフォルニア州がどの様な態度で日本に臨もうが、合衆国は日本との強い友好関係の保持を希求していると繰り返し表明してきた。しかしこの法律の成立によって、政府の主張はもはた意味を成さなくなった。日本人移民に対するアメリカの態度が、両国間の外交問題に重大な悪影響を与えたと結論付けざるを得ないのである」
 言語はもちろん文化や風習の違う外国人移民は、社会を混乱させ、国家の存続を危うくさせた。
 アメリカにとって、欧州からの白人移民は言語や習慣が違ってもキリスト教価値観や文化を同じくする同質体であったが、日本人とは共通性のない異質体であった。
 さらに、日本人は有色人種であって白色人種ではなく、祖先神・氏神を崇拝する民族宗教を持ちキリスト教徒ではなかった。
 日本との貿易に携わるアメリカの産業界は、知日派とし少数派であったが、法律の緩和について理解を示す政治家に働きかけていた。
 反日派は、国益を損ねる行為であるとして、知日派親日派と攻撃した。
   ・   ・   ・   
 4月 ドーズ案、発表。
 5月31日 東京のアメリカ大使館脇で、日本人青年が抗議の為の割腹自殺を遂げた。
   ・   ・   ・   
 内田良平「人種差別待遇と我国民に対する大侮辱は、日本帝国に生を受くる者の到底忍び難き処である」
 金子堅太郎「40年にわたり日本とアメリカの友好のために尽くしてきた自分の生涯の希望が打ち壊され、もっとも冷酷な裏切りを味わった」
   ・   ・   ・   
 日本政府は、排日移民法が成立してから鄕見祐輔を派遣した。
 鄕見祐輔は、排日移民法の成立に抗議する演説をアメリカで行った。
 アメリカを刺激したくないという配慮から、法案成立後に行った広報外交は無意味であった。
 明治であればアメリカと戦争する気迫で法案廃止の広報戦略を展開したであろうが、大正期には戦う意志がな為に反日民法案の成立を許した。
 昭和天皇は、アメリカの人種差別を、日米戦争の原因の一つに挙げている。
 戦争を覚悟して正々堂々と日本の主張を訴えなかった、日本の外交能力における無能無策が悲劇の最大の原因で或る。
 日本の政治家の語学力のなさ以上に、死を覚悟できない軟弱さが国家と国民に破滅をもたらした。
   ・   ・   ・   
 2016年6月6日 読売新聞「米大統領選 1924年と相通じる
 移民に厳しい目 孤立主義が顕著
 米大統領選の共和党指名候補は、人種問題や日米安保などで過激な発言を繰り返すドナルド・トランプ氏になることが確実となった。今、アメリカでは何が起きているのか。簑原俊央・神戸大学教授は『アメリカの排日運動と日米関係』(朝日新聞出版)を刊行、19924年の排日移民法の成立過程をたどることで、現在に通じるアメリカの本質が見えてくるという。
 日本人移民を排斥する排日移民法が成立したのは、日本が19年のパリ講和会議で英、仏、伊、米と並ぶ5大国の一員になってわずか5年後だった。日本の近代化は不平等条約の解消を原点とし、平等に扱われることに敏感で、同法は国のプライドを傷付けた。
 日本の反応は激しかった。新聞各紙は『新国難』『有色人種への挑戦』と報じ、『国辱』とする抗議集会が全国各地で開かれた。簑原教授は、こうした怒りと失望が、30年代における大衆の熱気的ナショナリズムの高揚に重要な社会的基盤を提供し、太平洋戦争の遠因になったと捉える。
 『当時はかなり白人中心で世の中が動いていた。日本はそれに挑戦しようとしたものの、最後のところでアメリカに拒絶された。国際政治は何もパワーと国益だけではなく、時の感情によって動かされ、対外関係に影響を及ぼす』
 ただ、米政府は排日移民法が日米関係を損なうと認識していた。しかし、アメリカは世論が政策に反映される国であり、24年は大統領選挙の年だった。それゆえ、議員は党の結束と自らの再選のために動き、日米関係の重要性は二次的となった。『投票権がな日本人移民に厳しくしても、政治家としては痛くもかゆくもない。アメリカのデモクラシーの負の面が出た瞬間であり、それは不法移民に対する現在のトランプ氏の言動と全く同じだ』と指摘する。
 ここにアメリカと付き合う難しさが潜む。選挙の年は内政が優先される傾向があり、対外関係がないがしろになって孤立主義が顕著となる。これも今のトランプ氏の主張にみられる。
 一方、排日移民法の成立には日本側の対応にも問題があったという。当時の幣原喜重郎外相は、日本の国益を損なう問題ではないと終始冷静だったが、国民に対する説得を怠った。一等国だと信じている国民の怒りを静められず、後に台頭してくる右翼勢力と軍部が反米を訴えて国民の支持を得る道をつくった。
 アメリカに幻滅したのは吉野作造新渡戸稲造ら国際派知識人も同じで、日米関係を突き放した。『日本にはアメリカの本質を理解できる人がおらず、合理的に説明できなくて憤る』とする。
 目下の大統領選でも、移民問題が争点となっている。『かつての排日運動がそうであったように、恐怖と不安から生まれる政策は愚かだ。しかし、間違った行動をとっても、修正する復元力を有するのがアメリカという国家だ』(大阪文化部 原田和幸)」
   ・   ・   ・   
 6月 中華民国大総統の孫文は、政治顧問であるコミンテルン工作員ミハイル・ボロディンの進言にしたがって、中華民国陸軍の士官養成学校である黄埔軍官学校を広州に設立した。
 ソ連軍のブリュヘル将軍は、軍事顧問として教育指導を行った。
 蒋介石は、ソ連視察から帰国するや、ソ連軍の全面協力で広州に黄埔軍官学校を創立し、初代校長に就任した。
 中国共産党周恩来は、政治部主任として共産主義的思想教育を指導した。
 コミンテルンは、国民党政府と中国軍に隠れ共産主義者を増やし、将来の共産主義革命に備えた。
 国民党は、ファシズム一党独裁の政治体制を整えていった。
 孫文は、国民革命を成功させる為に日本を内戦に妃込もうとした。
 日本政府と軍部は、孫文の政治力に疑問をいだき、積極的に支援しようとはしなかった。
 日本と中国の戦争は、この時から避けられない運命となった。
 中国共産党は、コミンテルンの指示に従い、日中戦争を起こすべく暗躍した。
 日本共産党朝鮮人共産主義者も、コミンテルンの指示と資金援助を中国共産党から受けて活動していた。
 戦争の元凶は、中国共産党であった。
 ソ連は、アメリカやイギリスのユダヤ人系国際資本の支援を受け、軍国日本と戦おうとしている中国に軍事支援と財政援助を行っていた。
   ・   ・   ・   
 6月7日 日本人青年の一団は、アメリカへの抗議の為に、東京の帝国ホテルで開催された舞踏会に乱入した。
 7月1日 日本人青年は、アメリカ大使館に侵入して、掲揚されている星条旗を引きずり下ろし、二つに引き裂いて逃走した。
 日本国内に居住するアメリカ人への嫌がらせはあったが、危害はなかった。
 9月 ジュネーブで、児童の権利に関する国際会議が開催された。
 日本側は、アメリカ国内の日本人移民を守る為に人権平等を求める提案を行った。
 アメリカ国内の白人至上主義者は、白人による世界支配を崩壊させる陰謀として排日運動を行った。
 中国は、表面的には日本提案には反対しなかったが、裏ではアメリカ国内での排日運動を支援した。
   ・   ・   ・  
 11月 孫文は、北京の張作霖に会う為に日本に立ち寄り、神戸で大アジア主義の演説を行った。
 「日本は西洋覇道の番犬となるか、東洋王道の盾となるか、その判断はあなたがた日本人にかかっているのです」
 日本の軍部は、孫文の背後にいる共産主義勢力を警戒していた。
 反共産主義者の右翼や右派は、国家元首である天皇を守る為に孫文を見捨てた。
 孫文は、日本の裏切りに激怒し、日本批判を強めた。
 日本のアジア主義者は、西洋からアジアへの回帰を始め、英米協調派を帝国主義植民地主義者として非難し、白人支配からアジアの同胞を助けるべきだと訴えた。
 日本の理想主義者は、日本のアジア回帰として、日本はアジアの解放の為に行動すべきだと主張した。
 このアジア回帰が、日本を戦争の悲劇へと暴走させた。
 ソ連は、孫文を利用し、アジアに戦争を起こそうとしていた。
 12月 ソ連軍は、アジア侵略の基地とするべく、外モンゴルに傀儡政府であるモンゴル人民共和国を樹立した。
 軍国日本は、ソ連共産主義勢力の侵略に備えるべく満州への侵略を検討し始めた。
 欧米列強は、軍国日本の冒険的大陸侵略を警戒した。
 

   ・   ・   ・