🎺05:─2─アメリカは、ファシスト中国が軍国日本に勝利する為に極秘で全面支援していた。日ソ中立条約。1941年3月~No.24No.25No.26 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アメリカは、日中戦争に参戦して軍国日本と戦っていた。
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*軍国日本は、戦前、世界の非常識としてユダヤ人難民を助け、敗戦後、時効無き戦争犯罪者として処断された。
 ユダヤ人難民は、神戸のユダヤ人共同体を頼って日本に上陸していた。
 小辻節三は、ユダヤ専門家として、松岡洋右外相の支援を受けてユダヤ人難民の世話をしていた。
 小辻「私の上司である松岡洋右総裁は周りから誤解されやすい人物であった。小柄で恰幅がよく、濃い髭を蓄え、いかにも傲慢そうに見えたが、実は心の優しい人物であった」
 松岡洋右は、ユダヤ人難民を安全な国に出国できるように、日本独自の方策を模索していた。
 松岡洋右「私は反共産主義を支持するだけで、反ユダヤ主義を支持する気はない。この二つの問題は全く違う意味の問題で、これを日本政府は正しく認識するべきだ」
 広田弘毅も、外交官の長老として、ユダヤ人難民の身の上を案じていた。
 近衛文麿首相も、ユダヤ人難民の日本通過を容認した。
 ヨーロッパ諸国の各日本大使館でも、ユダヤ人難民に対して通過ビザを発給していた。
 日本軍部も、ナチス・ドイツユダヤ人問題解決の要請を無視して、ユダヤ人難民の安全に協力していた。
 当然、東條英機陸相も、ユダヤ人難民に便宜を与えていた。
 東條の部下である木村兵太郎武藤章も、軍人として上官の命令に従って行動していた。
 上海や南京の陸軍部隊に影響力のある松井石根は、上海日本租界にユダヤ人難民を大量に受け入れ、現地部隊に彼らの面倒を見るように示唆していたと、言われているが、確証がない。
 だが。多くの国が、ユダヤ人難民の引き取りを渋る、中には拒否する国もあった。
 ユダヤ人には、日本人とは違って、民族的団結心がなかった。
 ユダヤ人共同体ごとで行動し、別の共同体に対しては冷酷で、貧しく学歴のないユダヤ人は見捨てた。
 ホロコーストで虐殺されたのは、中欧や東欧の貧困層の東方ユダヤ人で、西方のユダヤ系国際資本と関係のある富裕層や西欧やアメリカの有力ユダヤ人の家族は殺されなかった。
 身の安全が保証された上流階級のユダヤ人は、自分が生き残る為ならば下層階級の東方ユダヤ人をナチス・ドイツに引き渡した。
 ドイツ人有力者と結婚しているユダヤ人とその子供は、ヒトラーの許可で助けられていた。
 アメリカやイギリスのユダヤ人団体は、外国の貧しいユダヤ人を嫌って助けようとはしなかった。
 世界中の人種差別主義者や反ユダヤ主義者は、ユダヤ民族の世界征服を信じ、逃げてきたユダヤ人難民をヒトラーのもとに送り返し、ホロコーストで殺されるのを傍観していた。
 日本を通過した東方ユダヤ人難民1万2,448人中2,500人は、正規な通行ビザを持っていなかった。
 彼らは不法上陸者であったが、日本の警察や憲兵隊はわざと見逃して、神戸のユダヤ人共同体に身柄を引き渡した。
 日本の警察や憲兵隊は、ユダヤ人難民の弱みに付け込んで所持金を奪おうとする日本人を取り締まった。
 さらに多くのユダヤ人難民が、国家元首昭和天皇の庇護を求めて日本に向かっていた。
 日本に来て安心したユダヤ人難民は、出国するまでの間、日本国内を観光し、温泉につかって疲れを取り、心温まる日本人の持て成しで寛いだ。
 松岡洋右「ドイツとの関係は面倒な事になるかもしれない。・・・だが、今、ユダヤ人を助けておけば、アメリカとの戦争を回避できるかもしれない。それは日本に有益な事だ」
 靖国神社A級戦犯達の親ユダヤ的行動は、皇道・大家族主義の八紘一宇精神にもとずく人道的支援であり、昭和天皇の御稜威・大御心であった。
 軍国日本の基本姿勢は、パリ講和会議で主張した人種差別撤廃であった。
 一部の日本人は、人種差別主義者や反ユダヤ主義者として、ユダヤ人の陰謀を信じ、邪悪なユダヤ人を殲滅する為のホロコーストを容認している。
 だが。大半の日本人は、お人好しとして、神道的「惻隠の情」を持ち、苛められ、虐げられている弱い人を放ってはおけないという、「已むに已まれぬ心」を持っていた。
 アミッシュノーバ老師「ナチスは、他の民族に激しい憎しみを抱いているのです。どうか、ヨーロッパに出ている書物をドイツ語の原文で読んでください。ロマ民族も黒人もスラブ人も日本人も、劣等民族の中に含まれているのです」
 「ナチスは、ドイツ民族以外の存在は認めないのです。ナチスユダヤ人を地球上から抹殺したら、次はあなた方日本人を抹殺しようとするんです。その事に何故気づこうとしないのですか」
 松岡洋右は、ヒトラー日本民族を蔑視している人種差別の本心を見抜いていた。
 A級戦犯は、政治家・軍人・外交官として時局を見誤って戦争に誘い込まれたが、人間としてユダヤ人難民をホロコーストから救った。
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 松岡洋右は、死期が近づいた晩年にキリスト教に改宗し、キリシタンとして死んだ。
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 ヒトラーは、白人の物真似をしてドイツ民族と対等意識を持つ日本人を軽蔑し、世界文明を築いた中国とインドに関心を示していた。
 オカルトに傾倒し始めるや、その傾向は病的に強くなっていた。
 ヒトラーは、日本人よりも中国人に親近感を抱いていたがゆえに、中国にドイツ軍事顧問団を派遣して抗日戦争に協力し、日本軍を攻撃する為の大量の武器弾薬を送り続けていた。
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 昭和天皇A級戦犯達は、ユダヤ人難民を助ける事で、アメリカとの関係改善に利用しようとしていた。
 利用ができないと分かるや、アメリカとの戦争に備え、国内の全てのユダヤ人難民を戦渦に巻き込まない為に、強制的に上海の日本租界に輸送した。
 サムライ日本は、ユダヤ人難民を人間の盾に利用する事を恥とし、ナチス・ドイツの弾圧から逃れてきたユダヤ人難民がさらなる苦境に追いやられるのは不憫と感じた。。
 軍国日本の強制措置で、ユダヤ人難民は戦火から逃れて助かった。
 昭和天皇A級戦犯は、少人数であったが、ユダヤ人難民をホロコーストから救った。
 これは、歴史的事実である。
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 戦後の日本は、この事実を知った上でなを、数万人のユダヤ人難民を助けた人々を戦争犯罪者と断罪し、死者への尊厳を認めず、魂の慰霊を拒絶する為に靖国神社から追放すべきと訴えている。
 A級戦犯は、世界の常識を無視して人道的行動を取ったにも関わらず、人間としての人格を否定さ、死後の尊厳はおろか、魂の安らぎさえも奪われようとしている。
 現代の人間社会、特に日本社会は、惻隠の情の欠片もない、かくも非情にして、醜く、酷たらしい、恐ろしい社会である。
 現代の日本人は、口では大層な御託を並べても「言霊」を持たない無味乾燥の巧言令色にすぎず、昔の日本人のような純朴な「心」も誠実な「まこと」も気高き「志」も毅然とした「気概」も持ってはいない。
 不利と分かっていても、正々堂々と、負けても悔いを残さないという、逃げ出さず喧嘩する闘争心がない。
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 東京裁判は、ユダヤ人難民を助けたという事実を闇に葬って、東條英機松井石根板垣征四郎らをホロコーストを行ったナチスと同罪として、リンチ的縛り首にした。
 縛り首とは、殺人鬼などの重罪犯か馬泥棒に行う死刑であって、首相や大将などかって国家の指導者であった者に行う処刑ではなかった。
 国際世論は、A級戦犯が祀られている靖国神社を廃止すべきであるという、中国や韓国などのアジア諸国の訴えを正当であると容認している。
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 ソ連のスパイである財務省のホワイトは、スターリンの指令で日米全面戦争を起こさせるべく、ユダヤ人のモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルトに対日強硬策を提案していた。
 ルーズベルトは、外交問題で、ハル国務長官より幼なじみのモーゲンソー財務長官の意見を尊重しその提案に従っていた。
 ロクリン・カリーは、国民党への軍事経済支援を遅らせる為に、ルーズベルトに対して、蒋介石を批判し毛沢東を褒めた。そして、スターリンは領土的野心はなく、占領している外モンゴルの支配権を中国に返還するとの偽情報を吹き込んでいた。
 国民党政府がファシストから民主主義に促する為に、オーウェンラティモアを政治顧問に推薦するように進言した。
 ルーズベルトは、ハル国務長官より、スターリンの指示で動いているカリ−、ホワイト、ラティモアらの意見を優先して聞いて対日強硬外交を行っていた。
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 3月 陸軍は、北部仏印進駐やタイ仏印国境戦争から、南方に於けるジャングル戦に備えた訓練を開始した。
 ルーズベルトは、アメリカが局外中立であるにもかかわらず、日本軍と戦っている抗日中国に対して武器貸与法を適用し、日本が戦争できない様にする為の経済制裁を強化する事を決めた。
 ロバート・ジャクソン司法長官は、中立国アメリカが交戦国であるイギリス、ソ連、中国に武器を貸与する事は国際法違反に当たらず、国際法第一次世界大戦を経て変化したので廃棄すべきであると主張した。
 イギリスは、蒋介石と軍事協定を結び、抗日中国軍に軍需物資を優先的に供給する事を約束した。
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 3月8日 アメリカ議会は、武器貸与法案を可決し、大統領命令で戦争当事国に武器弾薬などの戦争必需品を供給する権限を認めた。そしてその代金は、アメリカ国民と投資家が一時立て替えるとした。
 同法案は、連合国陣営の戦争当事国への武器貸し出しは戦争行為ではなく、ジョンソン法や中立法を逸脱するものではないと認定した。
 ルーズベルト「こうした援助は戦争行為にはあたらない。たとえ独裁者が一方的にそう非難しても」
 武器貸与法に反対する一部の議員は、特定の交戦国に武器を供給する事は「公然かつ完全なる戦争を意味する」と断言し、合衆国憲法戦時国際法を踏みにじる反逆行為であると告発した。
 ルーズベルトは、対中軍事援助を本格化する為に、ソ連のスパイであるラフリン・カリー大統領補佐官を中国に派遣した。
 宋子文は、蒋介石の代理として対日戦の為の軍事支援を要求した。
 1,700機の戦闘機と300機の爆撃機からなる空軍支援。
 2,30箇師団分の近代兵器。
 3,ビルマ経由で重慶に至る軍事用鉄道建設と通信の改善。
 アメリカ海軍は、大西洋艦隊強化として、真珠湾の太平洋艦隊から戦艦3隻、空母1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦18隻に大西洋への移動を命令した。
 同様に、真珠湾周辺基地に配備されていた戦闘機の50%を、ミッドウェー諸島ウェーク島に移動させる様に命じた。
 真珠湾の陸海軍司令部は、防衛力の弱体化を埋める為に、航空防衛強化としてレーダー設備の充実と長距離偵察機の増派を要請した。
 ワシントンは、現地司令部の警戒体制強化案を却下し、防空能力を最低限まで縮小して偵察能力を制限した。
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 3月9日 日系アメリカ人市民同盟は、ロサンゼルス市議会に対してアメリカに忠誠を誓う誓約書を提出した。
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 3月11日 中立国アメリカは、ファシズム軍国主義と戦う全ての国に武器を供給できるようにする「武器貸与法」を成立させ、自由と民主主義と敵対する国への物資及び資金提供を禁止した。
 ソ連中国国民党政権は、自由と民主主義陣営の一員と見なされ、アメリカから武器と資金の提供を受けた。
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 3月15日(〜21日) ルーズベルトは、日本に軍事威圧を掛けるべくポップアップ艦隊の派遣を認めた。
 「自分はそれらポップアップの巡洋艦があそこやここで飛び出し行動を続けて、ジャップに疑念を与えるようにしたい。そのため巡洋艦を1隻か2隻失っても気にしないが、5隻や6隻も失う羽目には陥りたくない」
 巡洋艦4隻と駆逐艦12隻からなるポップアップ艦隊が、日本の領土に接近し太平洋中部から南部を航行した。
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 3月21日 日系アメリカ人市民同盟は、国民の義務としてアメリカ防衛に協力す事を明らかにする為に、陸海軍の情報機関担当者との会合を開いた。
 アメリカの日系新聞は、日本留学から帰って来た帰米者に対して、アメリカに不利になる様な行動や言動を慎む様に訴えた。
 日本に留学した日系二世は極ほんのわずかで、大半が日本を知らなかったし、日本語が話せなかった。
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 3月30日 連邦議会に、護送を禁止する共同決議案が提出された。
 アメリカの報道機関は、マディソン・スクエア・ガーデンで開催された反ドイツの戦争支持集会は盛況であったと報じた。
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 4月 軍令部は、空母航空機部隊の練度に注目し、戦艦から独立した主戦兵力として生かす事決定した。
 世界で初めての、空母を集中化した航空艦隊が誕生した。
 諸外国の海軍は、依然として、大艦巨砲主義による艦隊決戦思想が主流となっていた。
 日本海軍は、その常識を破り、異端とも言うべき航空艦隊決戦思想を採用して機動部隊を編成した。
 主力軍艦建造は、大和型二番艦の武蔵で戦艦を中止して、三番艦以降は空母とした。
 問題は、熟練パイロットの育成であった。
 蒋介石とカリーは、日米開戦前に日本本土の諸都市を無差別爆撃するというJBー355計画案に合意した。ルーズベルトは、7月23日に日本空爆計画を承認してサインをした。アメリカは、中国を救う為に日本との戦争を決断した。
 アメリカ、イギリス、オランダ三ヶ国は、日本との戦争を想定した対日攻撃計画を話し合うべく、シンガポールに軍事専門家を派遣して秘密公式会談を開いた。
「・中国の沿岸部と仏印に複数の対日工作組織を作り、日本軍の通信・軍事施設への攻撃を行う。
 ・親日的タイに対日工作組織を作り、両国の関係を悪化させる為に日本人暗殺を行う。
 ・フィリピン駐屯のアメリカ軍を増強して、東南アジアの資源資源地帯との海上交通網に軍事的威嚇を加える。
 ・我が方に重大な損害を招く事なく、日本を甚大な被害をあたえる様に準備を整える。
 ・その他。」
 軍国日本には、三国と戦争をする意志はなかった。
 スターリンは、コミンテルン書記長ゲオルギ・ディミトロフに対して、敵対勢力との戦いに於いて現地の実情に有った革命路線を採用する様に指示を与えた。
 中国共産党は、アメリカからの支援を増やす為に、共産主義色を薄め小作人解放など農村改革を目指す農民党であると偽った。
 親中国反日派であるジョン・サービスやジョン・デービスらプロテスタント宣教師の息子達は、国務省内のチャイナ・ハンズと呼ばれる中国専門外交官達と協力して中国共産党に有利な政策をルーズベルトに提言していた。
 コミンテルンは、何が何でも軍国日本を戦争に追い込むべく陰謀をめぐらし、日本国内の隠れマルクス主義者(革新官僚・統制派軍人・転向右翼)に南進を加速するように指示した。
 日本を戦争に追い込んだのは、共産主義者であった。
 コミンテルンアメリカ局次長パブロフは、ワシントンのレストランで財務省高官ハリー・デクスター・ホワイトと会食し、アメリカと日本が戦争する様に追い込むよう指示した。
 スターリンは、西でヒトラーと戦争するにあたって、東の軍国日本を遠ざけるべくアメリカ国内のスパイに日米開戦の謀略を命じた。
 延安の中国共産党政権は、東トルキスタンイスラーム問題を集中討議して『回回民族問題』というパンフレットを発表した。
 東トルキスタンの隣の西トルキスタンにも多くのイスラームが生活していた。
 ソ連は、日本陸軍イスラム工作で東トルキスタンが独立する事は、連邦解体の危機につながると警戒していた。
 ウィグル人やモンゴル人らは、ソ連と中国の支配から独立する為に日本との提携を希求していた。
 ソ連と中国の非人道的抑圧に苦しむ少数民族にとって、弾圧と抑圧から民族の誇りと尊厳を取り戻す為には軍国日本は希望の光であった。
 ソ連中国共産党は、多民族国家として、日本陸軍が進めている防共回路構想を阻止すべく、日本をアメリカとの戦争に追い遣るべく陰謀をめぐらせた。
 多神教を信奉する日本には、イスラム教を否定し禁止する意思はなく、反宗教無神論マルクス主義を封じ込めるという目的で、ウィグル人、モンゴル人、チベット人少数民族と共闘できる確信していた。
 アメリカ海軍無線監視傍受局は、日本外務省が新しい暗号書を在外公館に配布する為に急使を派遣するという暗号を解読し、その詳しい旅行の日程も掴んだ。
 アメリカ軍は、情報士官を税関吏に変装させて、日本の密使に接近して暗号書の写真撮影に成功した。
 日本側は、情報の機密性に無頓着で、簡単に盗まれていた。
 戦時中の昔も、平和な現代においても、日本人は情報の重要性が理解できなかった。
 そして、情報戦において軍国日本は大敗北を喫した。
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 4月3日 アメリカ軍は、目の前に迫っている対ドイツ戦への参戦準備を着々と進めていた。
 スターク「今後どうした事態が起きるのか、またそれがいつ起きるのか、という事に関して何ら内部情報を得ていない事を付け加えておきます。ただし、当時と同じように、私には問題は参戦が、いつ、の事になるか、という時間の問題だと思われます」(各司令官への手紙)
 アメリカ海軍は、ルーズベルトの命令に従って一艦隊を南西太平洋に派遣したが、太平洋艦隊の一部の大西洋に移す前に日本にはったりをかますのが真の目的であった。
 艦隊派遣を強く要請したのは、日本に脅しをかけ外交交渉を有利に導こうとしたハル国務長官であったという。
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 4月6日 ワシントン。岩畔陸軍大佐とドラウト神父は、日米交渉の為の原則的協定書岩畔修正案を作成して、野村駐米大使に提出した。
 日米和平交渉に、悪影響をもたらした素人の民間外交の始まりである。
 日本を戦争へと追い込んだ、最悪な外交交渉が始まった。
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 4月13日 日ソ中立条約。
 中立条約とは、一ヵ国が他国と戦争状態になっても中立を守る。
 不可侵条約とは、二ヵ国間で相互に戦争を忌避する。
 中国共産党は、窮地に陥っていただけに同条約の締結を歓迎した。活動資金を得る為に、上海・広東・香港の秘密結社や犯罪組織を通じて大量のアヘンを日本軍占領下で売りさばいた。ソ連軍は、抗日中国軍に参加させていた部隊を、モスクワ防衛の為に撤退させた。ソ連による、中国軍への軍事支援は縮小された。日本陸軍は、中国共産党軍への攻撃を警戒に切り替え、国民軍への攻撃に主力部隊を振り向けた。
 ソ連軍は、極東を犠牲にしても精鋭部隊の大半をモスクワ防衛と大反攻作戦の為に、シベリア鉄道を西へ輸送した。日本軍がシベリア侵攻を実施しても、それ以上の西進は不可能である事はわかりきっていた。さらに、近日中にアメリカが日本を攻撃する手はずになっていた為に、日本軍は恐るるに足る相手ではなかったのである。日本は、国内外に敵を抱えて身動きがでず、否応もなく戦争へと追い詰められていた。
 アメリカは、ソ連軍が対中軍事支援から手を引く事を懸念して、協定に従ってソ連支援の軍需物資をシベリア鉄道で途切れることなく送り続けた。
 日本陸軍は、ソ連との中立条約に従って、ナチス・ドイツの激しい抗議を無視して黙認した。
 インテリの日本人共産主義者は、転向を誓って帰国した。彼らの大半が、地方の裕福な資産家や有力な名家の出身者で、高学歴で外国語を自由に話せた。警察当局の監視下に置かれたが、都市の諸団体、地方の各役場、小学校などの教育現場や各研究機関、新聞社や雑誌社などに就職した。戦争が長期化するや、日本は人材不足に陥り、彼らを戦争勝利の為に利用するしかなかった。彼らの使命は二つ、一つは日本国内でのサボタージュであり、もう一つが国外での日本軍の残虐性を強めて国際世論を日本批判を助長する事であった。1946年1月4日の公職追放で、彼らは知的エリート集団として第一線に出て、戦後日本の政治、経済、教育、報道など多方面をリードした。
 チャーチル首相から松岡外相への書簡「アメリカの鉄鋼生産は、年7,500万トン、イギリスは1,200万トンあります。ナチス・ドイツが敗れたら、日本の生産量700万トンでは単独で両国と交戦するには不十分と判断する」
 中国共産党は、実力もない虚勢を張って、抗日戦で日本軍と戦い、国内内戦で国民党軍と戦うという、無謀な両面戦を行う事で自ら窮地に追い込まれていた。
 毛沢東は、滅亡を回避する為に日ソ中立条約を歓迎し、日本軍とは戦わず、日本軍及び傀儡汪兆銘南京政権の占領できない地域を支配していった。
 1937年時点で中国共産党軍数万人、支配地人口150万人であったのが、1945年8月には中国共産党軍100万人以上、支配地人口1億人以上(中国総人口約4万5,000人)と膨れ上がっていた。
 中国共産党情報機関最高幹部・潘漢年のスパイ網は、蒋介石重慶政権や汪兆銘南京政権はもちろん日本軍や満州帝国内まで及び、数多くの工作員を送り込んでいた。
 日本軍や満州国に対しては、日本人共産主義者反日朝鮮人が担当していた。
 中国共産党軍は、武器調達を、ソ連アメリカ以外に南京政権を通じて日本軍から購入していた。
 南京政権及び日本軍から大量の武器を調達する為の潤沢な資金は、香港の支援組織を通じてアヘンを売って得ていた。
 日本軍は、中国共産党の資金獲得と武器購入を黙認した。
 アメリカ軍情報機関は、華北などでの、日本軍と中国共産党の不可解な蜜月関係を報告していた。
 蒋介石も、軍国日本敗北後に起きる中国共産党との内戦に備えて、日本軍との本格的戦闘を極力避け、主力部隊を温存させる為に適当に戦って後退する様に命じていた。
 アメリカは、軍国日本との戦争に勝つ為に、国民党と中国共産党に対して積極的攻勢に出る事を期待して軍事支援を続けていた。
 国民党と中国共産党は、アメリカの軍事支援を受け取も、中国戦線の日本軍が優勢な内は軍隊を動かし気はなかった。
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 スターリンは、松岡洋右外相に、日ソ中立条約締結の見返りとして北方領土を含む全千島列島の譲渡を要求した。
 松岡洋右外相は、千島列島は樺太・千島交換条約で日本領土となり、北方領土4島は江戸時代から日本の固有領土であったとして拒否した。
 アメリカは、日本の外交暗号電報の傍受してソ連側の千島列島への領土的野心を知っていた。
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 4月14日 野村吉三郎駐米大使は、ワシントン市内のウォードマン・パーク・ホテル内のハル国務長官の私邸を訪れ、ハル国務長官と日米交渉を始める。
 日本政府も、軍部も、日米の国力差から対米戦は不可能とである事を知っていただけに、戦争を回避する為の日米交渉の成功に期待した。
 日本海軍は、アメリカに不信感を抱かせない為に、南洋委任統治領となっているマーシャル諸島の要塞化を控えていた。
 アメリカ海軍は、日本との戦争を想定して太平洋上の島嶼群を要塞化し、何時でも日本と戦争が出来る様に必要な戦略物資を集積していた。
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 4月15日 ルーズベルトは、陸海軍の予備役航空士や退役軍人を民間の志願者としてアメリカ義勇部隊結成を承認し、抗日戦やイギリス軍に参加する事を許可する極秘の大統領令に署名した。
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 4月16日 ハル国務長官は、野村大使に、日本政府が日米了解案を踏み台として外交交渉を始めるとの正式な訓令を求めた。
 ベルリンの大島大使は、リッベントロップ外相の情報として、東京に独ソ戦の可能性が大であると報告した。
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 4月17日 ハル国務長官は、野村大使にハル四原則を手渡し、会談を開始する事に合意した。
 日本側は正式な外交交渉と解釈したが、アメリカ側は交渉の前に事務的話し合いと認識した。
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 4月18日 野村大使は、日本側の体面が立つ有利な条件を網羅した民間人作成の岩畔修正案を「日米了解案」として東京に打電した。
 胡適駐米中国大使は、ハル国務長官に、日本の侵略を黙認する様な案は受け入れられないと抗議した。
 ハル長官は、ナチス・ドイツとその同盟国に有利な協定は結ばないと確約した。
 アメリカ軍は、日本の外交暗号を解読していた。
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 4月19日 日本陸軍は、これ以上の戦争は不可能であるとの判断の上で、日米了解案での和平交渉の開始に同意した。
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 4月21日 アメリカ・イギリス・オランダの三ヶ国は、シンガポールで、南進してくる日本軍に対してどの時点で軍事行動を起こすかの基本方針を決める第二回会議を開催した。
 三ヶ国は、日本との戦争は避けられない事実として協議を始めていた。
 アメリカの新聞「日本軍、漢陽河畔において、武器を持たない中国人捕虜1,000人虐殺した」
 抗日中国謀略班は、欧米諸国の新聞や雑誌に事実に反した捏造記事を洪水の様に掲載していた。
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 4月22日 松岡外相が、欧州訪問から帰国したが、日米了解案が素人の民間人が書き上げられたモノである事に不快感を表した。
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 4月26日 ルーズベルトは、蒋介石に対して対日戦を継続させる為に4,500万ドル相当の資金援助を与えると回答した。
 アメリカ陸軍は、中国空軍にいるシェンノートに正規の陸軍航空兵を送る事を確約した。


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