🎺05:─3─日本海軍情報班は、ロンドン外務省から東京のイギリス大使館への極秘電文を傍受し、暗号を解読して、解読文を松岡外相に見せていた。1941年5月~No.27No.28No.29No.30 @ ③ 

対日経済戦争1939‐1941

対日経済戦争1939‐1941

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 5月 中立国デンマークは、侵略してきたドイツ軍に一日で降伏した。
 イギリス軍は、デンマークアイスランドがドイツ軍に占領される前に強襲して軍事占領した。
 ハンナ・アーレントン「デンマークにのみユダヤ人共同体が逃亡したのは、デンマークにはドイツ人に同胞を譲り渡すようなユダヤ人長老グループが存在しなかったからである」
 タイとフランスは、軍国日本の立ち会いの下で、東京で平和議定書に調印した。
 軍国日本は、見返りとして南部仏印への平和進駐を認めさせる、仏印共同防衛協定を締結した。
 日本軍の南部仏印進駐は、タイ・仏印国境紛争の再発防止と共産主義勢力の活動を監視する目的もあった。
 日本は、仏印における貿易決済に第三国通貨を使わないという日・仏印経済協定の仮調印を行った。
 蘭印総督府は、日本に対して、石油やゴムなどの重要物資を日本経由でナチス・ドイツに再輸出しない保証を求めた。
 松岡外相は、祖国を防衛できず逃げだした亡命政府が日本に保証を要求する事は不遜であると激怒した。
 重慶政権の国際諜報機関に所属している青山和夫(本名・黒田善治)ら日本人共産主義者は、コミンテルン中国共産党と連絡を取り、日本国内の転向組と情報をやり取りし、ユダヤ系国際報道機関に日本軍は南方への侵略を企んでいるとの偽情報を流していた。
 アメリカは、こうした偽情報を真実と判断して、日本との戦争を想定して対日制裁を強化した。
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 ソ連情報機関幹部ヴィタリー・パヴロフは、財務省のナンバー・3の高官であるハリ−・デクスター・ホワイト次官補とワシントンで極秘に会い、軍国日本の対ソ攻撃を回避する為に、日本軍が仏印等へ南進しなければならないようにアメリカの対日強攻策で追い詰める事を依頼した。
 スターリンは、ナチス・ドイツと軍国日本と同時に戦う二正面作戦を回避する為に、ルーズベルト周囲にいる共産主義者を使って日米の妥協成立を阻んでいた。
 国務省の極東外交方針は、ジョセフ・グルー駐日大使の「戦争を回避する為に軍国日本と妥協すべき」という宥和策と、スタンレー・ホーンベック国務長官特別顧問の「アジアの平和と安定の為には蒋介石を勝たせる必要があり軍国日本とは如何なる条件ても妥協すべきではない」という強攻策で揉めていた。
 両者の共通する点は反共産主義で、国務省内の親中国共産党派を敵視していた。
 親中反日派のルーズベルトは、個人としても、大統領としても、軍国日本との戦争を回避する為に譲歩して妥協する意思はなく、昭和天皇満州事変以来の軍事行動の非を認め謝罪して来ない限り話し合う気はなかった。
 昭和天皇と軍国日本を破滅に追い込むという点で、スターリンルーズベルトも利害は一致していた。
 ワシントン、ルーズベルト政権内部の共産主義者は、アメリカの対日強硬方針が宥和策にならいようたえず軌道修正していた。
 アメリカ人共産主義者達は、共産主義の正義と平和を守る為ならば日米戦争もやむなしと考えていた。
 日本人共産主義者も、ソ連との戦争は反対であったが、アメリカとの戦争には反対しなかった。
 エレン・シュレッカー「冷戦後期のソ連スパイと異なり、1930年代と40年代にモスクワに情報を流した人々は、お金の為ではなく政治的理由に基づいて行動していた。……共産主義者として、こうした人々が伝統的な愛国心の形に囚われていなかった点を理解する事が重要である。彼らは国際主義者であり、その政治的忠誠は国境を超えたものであった」
 軍国日本を追い込んだのは、ルーズベルトスターリンの陰謀ではなく、アメリカの国策であり、ソ連の戦略であった。
 戦争回避の妥協の道を閉ざされた軍国日本が、万策尽きて最後の一線である日本天皇の名誉を守る為に戦争を決断したのは、愚かな事か、正しい事だったのか。
 皇国史観で忠君愛国教育を受けた当時の日本人は「是」とし、戦後平和史観で国民主権教育を受けた現代の日本人は「非」と断じている。
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 5月3日 松岡外相は、日米了解案ではなく独自の松岡3原則で交渉を行う旨を伝えた。
 アメリカは、暗号解読で、日米了解案とは別の交渉提案であるて松岡三原則を知り困惑した。
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 5月〜6月 中原会戦。日本軍は、少数精鋭で、大軍のファシスト中国軍に対して連戦連勝で負け知らずであった。
 山西省南部。国民党軍26個師団約18万人と日本軍北支那方面軍6個師団約4万人が対峙し、日本軍は情報戦と謀略戦を仕掛けて中国軍を混乱させて倍する中国軍を撃破した。
 国民党軍の被害、戦死4万2,000人、捕虜3万5,000人。
 日本軍の被害、戦死673人、負傷2,292人。
支那方面軍司令官の多田駿中将は、麾下の各兵団に対して今後はゲリラ戦を行っている中国共産党勢力を殲滅する為の討伐作戦と治安工作を行うように命じた。
 中国共産党は、日本軍や国民党軍の攻撃から逃げるようにして開放地区を広げ、民衆を味方に引き入れる為に地主か土地や資産を奪って分配した。
 小谷賢(防衛省防衛研究所)「陸軍は明治の頃から、中国で情報収集を続けてきました。日中戦争当時も、支那派遣軍の情報部や占領地の憲兵隊、部隊に属さない『特務機関』などが各地で諜報・工作活動をしていた。そうした人的情報に加え、通信傍受で得た情報を作戦に役立てた例もあります。1941年5月〜6月の『中原会戦』は、通信情報を上手く作戦に結び付け、数的不利を覆して日本軍が勝利した好例です」
 「日本軍の情報運用は、戦術面では確かに優れていた。それぞれの戦場では情報部門と作戦部門の連携もできていました。そのことが、日中戦争で戦いを有利に進められた要因でもある。しかし、集められた情報を総合的に分析し運用する戦略的な視点が欠けていた。背景には、日本軍での情報部の地位の低さに始まり、情報集約機関の不在と、横の連携を取ろうとしない各組織に縄張り意識などがあります」
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 5月6日 ルーズベルトは、日本軍と戦っている中国を武器貸与法の対象国に加え、中国軍を支えた。
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 5月7日 岩畔大佐は、東條陸相に、アメリカ側は日米了解案に同意しない松岡外相に不快感を表していると報告した。
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 5月9日 中国問題担当のカリー大統領補佐官は、蒋介石から託された日本本土奇襲爆撃計画(JBー355計画)案をルーズベルトに提出した。
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 5月12日 松岡外相は、素人が作成した日米了解案を破棄し、正式な交渉提案としての松岡修正案をワシントンに送った。
 ハワイ・ホノルルの喜多総領事は、松岡外相宛に、真珠湾内のアメリカ太平洋艦隊碇泊情報を送った。
 アメリカ軍は、ホノルルから東京に送られていた電文を全て傍受していた。
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 5月13日 ベルリンの日本大使館付き陸軍武官は、杉山参謀総長に、独ソ戦が近いと報告した。
 アメリカ海軍は、ドイツ海軍との戦争に備えて、太平洋艦隊の一部を大西洋艦隊に編入した。
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 5月14日 スターク海軍作戦部長は、各海軍区の司令官に対して輸送船護衛に向けての計画を進めているとの文書を発送した。
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 5月15日 ルーズベルトは、日本と戦争をする際、開戦前に日本本土を空爆する計画を承認した。
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 5月17日 アメリカのSF小説家ロバート・A・ハイライトは、原子爆弾を戦争で使用する短編小説を、アスタウンディング・サイエンス・フィクション誌に発表した。
 「この恐ろしい兵器を使わず、手をこまねいて待つのは意味が無い。そのうち他の者が同じ兵器を完成させ、使うであろう。世界を巨大な墓場に変えない為の唯一のチャンスは、我々がこの力を思い切って最初に使う事ーそして、優位に立つ、その優位を保つ事なのである」
 アメリカ陸軍情報部は、核兵器原子力エネルギーに関する全ての情報を封印した。
 原子力関連用語一の字でも、一言でも、監視を強化した。
 だが。科学に興味がある者やSF小説愛読者の間で、新型大量破壊兵器を知らない者はいなかった。
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 5月18日 ニューヨークやカリフォルニアなどの諸州で、親ナチス派ドイツ市民169名がスパイ容疑で逮捕された。
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 5月19日 ホーチミンは、OSSの支援を受けて、反日反仏民族解放のベトミンを組織した。
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 5月23日 日本海軍情報班は、ロンドン外務省から東京のイギリス大使館への外交電文を傍受し、暗号を解読した。
 海軍は、解読文を松岡外相に見せた。
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 5月24日 ドイツ戦艦ビスマルクは、イギリス戦艦フッドを轟沈した。
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 5月27日 ルーズベルトは、参戦への布石として国家非常事態宣言を行い、防衛を目的として南北大西洋でのパトロール活動を強化すると発表した。
 ドイツ戦艦ビスマルクは、イギリス艦隊に追い詰められて撃沈された。
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 5月29日 ルーズベルトは、傀儡国家フィリピンに対して、仮想敵国・日本への原料輸出を禁止する様に命じた。日本は、自衛行為がアメリカへの敵対行為と勘ぐられないように、細心に注意を払っていた。だが、アメリカでは明らかなる反日運動が行われていた。日本は、重要な物資の大半をアメリカに依存していただけに、アメリカの誤解を解くべく説得に全力を上げていた。アメリカは日本を必要としなくても、日本はアメリカを必要としていた。ソ連・中国・共産主義者は、それゆえに日本とアメリカを対立させ、両国を戦争させる為に謀略を重ねていた。
 アメリカの傀儡国家フィリピンは、日本の傀儡国家満州より自由はなく民衆の権利も少なかった。ソ連の傀儡国家モンゴル人民共和国は、地獄に近かった。
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 5月31日 ハル国務長官は、新たな提案を野村大使に手渡した。



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