🎺06:─1─内閣嘱託・尾崎秀実は、日米戦争を誘発させる為に南部仏印進駐を近衛首相に決断させた。1941年6月~No.31No32No.33 @ 

隠れた名将 飯田祥二郎 南部仏印・タイ・ビルマ進攻と政戦略

隠れた名将 飯田祥二郎 南部仏印・タイ・ビルマ進攻と政戦略

  • 作者:未里 周平
  • 発売日: 2009/05/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本は、アメリカやイギリスと激しい情報戦争を行っていた。
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 スターリンは、日本とアメリカのスパイに対して両国が全面戦争を起こすように示唆した。
 そして、対独戦に備えて、東京のスパイには日本軍を満州から引き離す為に南進させるように指示した。
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 日本の政府や官公庁さらに軍部内には、ソ連のスパイやスパイに情報を提供する者が少なからず存在していた。
 戦後、彼らは日本社会党日本共産党などに入党し、GHQ内の共産主義者に協力した。
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 大統領特別補佐官ロークリン・カリー(ソ連のスパイ)は、アメリカ軍機を中国軍機に偽装して日本本土を爆撃する計画の存在を東京のゾルゲを通じて尾崎秀実に伝えた。
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 知米派の松岡洋右は、国力から日本がアメリカと戦争しても勝てない事を知っていた為に、対米戦を避ける為なら対ソ戦の方がまだましであると考えていた。
 松岡外交とは、日本を戦争から救う事、特に対米戦争の回避であった。
 松岡洋右は、ナチス・ドイツから日本に逃げてくる数万人のユダヤ人難民を救う事で日本が救えると信じていた。
 ユダヤ人難民救援は、人道貢献ではなく外交戦術であったが、外交として失敗した。
 松岡洋右は、A級戦争犯罪者として訴追され、病死で靖国神社に祀られたが霊魂としての安息も否定された。
 松岡洋右ユダヤ人難民救援という人道貢献は無価値であると否定された。
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 6月 ルーズベルトは、労働不足で苦境にある軍需産業の要望に従って、黒人団体に生産活動への支援を要求した。黒人団体は、労働者を出す見返るとして軍需産業での人種差別禁止を求めた。
 ルーズベルトは、大統領行政命令として人種差別禁止を命じ、公正雇用実施委員会を設置した。だが、人種差別の保守派の反発を恐れて、黒人の公民権は認めなかった。
 人種差別主義者による、リンチ殺人や暴行や強姦は各地で起きていた。地元の白人警官は、黒人被害を見て見ぬ振りをし、黒人の訴えを無視して白人加害者を無罪放免とした。
 法による正義は白人のみの味方で有り、黒人や有色人種は法の保護の外に放置されていた。
 白人以外は人として認められず、権利は極端に制限されていた。
 黒人の公民権が認められるのは、1964年である。
 蘭印政庁は、アメリカの反日政策を察知して、日本の石油輸出量増要求を拒否した。
 日本は、石油輸入における対米依存度を下げ、東南アジアにシフト使用としたが失敗した。
 スターリンは、アメリカなどからの情報に従って、ドイツ軍の侵攻に備えて国境地帯に301万4,000人、航空機6,000機、戦車1,475輌、大砲3万5,000門を配置した。
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 6月6日 イギリス国内の全ての日本企業は、帰国する為に整理を開始した。
 イギリス諜報機関MI5は、ドイツ軍がソ連侵攻の為に軍隊を国境付近に集結させつつある事に関連しているのではないかと予想した。
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 6月9日 陸軍は、武力行使を念頭に置いた対南方施策要綱を決定し、海軍との再調整を行った。
 陸軍は、欧州各国の情報網からドイツ軍が大部隊を東方・ソ連国境に移動させているとの情報を掴んでいた。
 MI5は、シンガポール支部から日本諜報機関の活動が活発化しているとの報告を受け、日本軍のマレー半島侵攻に向けの動きと睨んで警戒した。
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 6月10日 陸海軍部局長会議に於いて、独ソ戦に対する日本側の対応を協議した。
 陸軍は対ソ戦を主張したが、海軍は南方進出を優先すべきであるとして猛反対した。
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 6月14日 アメリカは、ナチス・ドイツファシスト・イタリア両国の在米資産を凍結すると発表した。
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 6月16日 松岡外相は、南部仏印に進出する事は、弱い相手に付け込む卑劣な行為で国際不信を招き、アメリカとの関係に悪影響をもたらすとして反対した。
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 6月17日 芳澤団長は、蘭印総督府に対して交渉の打ち切りを通告した。
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 6月21日 ハル国務長官は、野村大使に新たな提案文を渡した。
 日米交渉は、両国による新たな提案の応酬ばかりで一行に進んでいなかった。
 アメリカは、全石油製品の許可制を決定し、アメリカに敵対する国に対して石油の供給を遮断するとの命令を発表した。
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 6月22日 独ソ戦の開始。ナチス・ドイツは、ドイツ軍のソ連侵略と共に、日本に対してシベリア侵攻を要請した。
 ソ連軍は、ドイツ軍の猛攻で強固に築いた防衛陣地が破壊され、主力部隊は壊滅し、各地で敗走した。日本軍のシベリア侵攻を恐れたモスクワは、東京のゾルゲに日本軍を北進ではなく南進するように画策する様に指示を出した。
 ゾルゲは、尾崎秀実ら協力者と共に、精力的に日本政府高官や軍部首脳らの間を駆けずり回った。
 松岡洋右外相は、周囲の反対や困惑を無視し、南進すればアメリカやイギリスとの関係が悪くなるとして、日ソ中立条約を破っても北進してシベリアに侵攻すべきであると気炎を吐いていた。
 「時間がたてばソ連の抵抗力が増し、日本は米英ソに包囲される事になる。日本が満州から攻撃に出てスターリンを打っ叩き、ヒトラーに勝たせる。その後にゆっくりと南方へ進出すれば、米英を押さえる事ができる。ところが、先に南方へ進出すれば、米英と衝突してアメリカのヨーロッパ参戦を招く事になり、ドイツが俄然、不利になる。おかげでソ連は生き延び、そのため日独はともに敗北するしかない」
 ソ連スパイである尾崎秀実は、日本軍がナチス・ドイツの快進撃に釣られて東部シベリア獲得の派兵を行わない様に、陸軍の軍人官僚エリートや各官庁の革新官僚らに武力的南進策を吹き込んだ。
 「南方こそは、進出の価値のある地域である。南方には、日本の戦時経済になくてはならない緊急物資がある」
 陸軍軍務局長武藤章少将と軍務課長佐藤賢了は、海軍との協議の末に合意した平和的進駐案を廃棄し、新たに南方施策促進に関する件を決定した。戦争指導班は、6月6日の省部関係課長会議の場で、裏切り的方針転換に抗議した。
 日本陸軍は、ロンドンのポーランド亡命政府の秘密諜報機関の協力を得てヒューント(ヒューマン・インテリジェンス)とシギント(シグナル・インテリジェンス)とオシント(オープン・ソース・インテリジェンス)に務めていた。
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 6月23日 ルーズベルトは、何としてでも参戦する為に、ソ連を支持するとの公式発表を行った。
 アメリカは、日本軍のシベリア侵攻を阻止するべく経済制裁を強化して、南方に引き出そうとした。
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 6月24日 国務省極東部次長アダムズは、ハル長官に、日本は北進して南進はしない可能性が高い為に制裁を強化すべきであるとの意見書を提出した。
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 6月25日 陸海軍は、仏印が航空基地と港湾施設の利用及び駐兵要請に応じない場合には、「武力をもって目的を貫徹する」という強硬な南方施策促進に関する件を決定した。
 軍部は、日本が仏印に進出してもアメリカは抗議しても対抗手段には出ないとの、楽観的観測が支配していた。
 近衛首相らも、中国通として知られた内閣嘱託・尾崎秀実の分析を鵜呑みにして、南部仏印進駐を認めた。
 日米戦争は、この瞬間で決定された。
 ルーズベルトは、日本との戦争を人種間戦争にしない為に、人種差別を否定する大統領令8802号を発表した。
 この大統領令によって、第二次世界大戦は民主主義と全体主義ファシズムの戦いとされた。
 それは誤魔化しに過ぎず、民主主義陣営に全体主義ソ連共産主義陣営が参加していた。
 アメリカは、日本と戦う為に、非白人の中国やアジア諸民族を味方に付けていた。
 アメリカによる、軍国日本と戦う為の対日包囲網は着々と進められていた。
 イッキース内務長官は対日全面石油禁輸を訴えたが、ルーズベルトはその時ではないとして許可しなかった。
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 6月26日 アメリカ政府は、日本軍と戦う蒋介石に戦闘機269機と爆撃機66機を供与する事を決定した。
 重慶政府は、対日戦争勝利の為にさらなる軍事支援をアメリカに要請する事を決めた。
 MI5にリスボンから、「日本公使は、日本は石油を狙って蘭印侵攻を検討している」という情報がもたらされた。
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 6月27日 蘭印総督府は、日・蘭為替協定を停止して、日本資産を凍結した。
 日本からの輸入と、蘭印からの日本、満州、日本軍支配地の中国への輸出を遮断に近い制限を行った。
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 軍部は、ド・ゴールがの亡命臨時政権仏印の施政権をアメリカに委託する事を恐れ、ヴィシー政権支配下にあるうちに南部仏印への侵攻作戦を急いだ。



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