🎺12:─1─アメリカの挑発的対日石油輸出禁止指令。大西洋会談。平和的外交解決を目指す近衛の日米首脳会談提案。1941年8月~No.58No.59No.60 @

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ジョージ・ケナン「我々は、日本の首根っこを押さえておく必要はある。それは石油だ」
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 ボブ・ウッドワードアメリカは建国以来、約200回も外国と戦争しているが、そのうち宣戦布告をして開戦したのは4回しかない」(『司令官たち』)
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 フランクリン・ルーズベルト「日本人なんか四つの島に閉じ込めて、農業だけやらせておけばいい」
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 スターク海軍作戦部長「(石油)禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピンに対する攻撃を誘発し、直ちに我がアメリカを戦争に巻き込む結果になるだろう」
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 日本は、通商条約破棄・石油禁輸・資産凍結の経済制裁で追い詰められ、自主独立国家の名誉を捨てて屈服するか、名誉を守る為に戦うか、の二者択一しか存在しなかった。
 本音では、アメリカとの戦争を何としても回避したかった。
 日本陸軍は、ソ連コミンテルンの戦争は賛成しても、アメリカとは国力差・軍事差から回避を望んでいた。
 が、軍隊である以上、もし戦うんであればどうするべきかの作戦を立案した。
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 アメリカは、日本海軍が「英米不可分論」でイギリスと同時にアメリカを攻撃してくると確信していた。
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 8月 海軍は、対米戦を研究してきたが東南アジア海域での軍事行動について研究を怠ってきた為に、南方作戦に必要な情報がなかった。
 ルーズベルトは、参戦準備として1,000万人の動員命令を出し、対日戦を見越してアメリカ在住の日本人リスト作成を国勢調査局に命じた。
 アメリカは、ソ連ナチス・ドイツほどではないが、日本以上に監視社会である。
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 8月1日 アメリカは、全枢軸国に対して石油禁輸を含む経済制裁を適用すると発表した。
 対日輸出で、食料と綿を除いたが、石油輸出を全面禁止とした。
 だが、日本の在米資産が凍結された為に、日本は食糧を含む全ての物を購入する事ができなくなっていた。
 石油が輸入できなければ、食料を購入しても、輸送船で海外から日本に輸送することが出来ないし、トラックで国内に分配が出来なくなる事を意味していた。
 更に、漁船を動かして魚を獲ることも出来なくなる。
 国内における、食糧の生産量が低下し、食料輸送も滞る恐れがあった。
 石油が輸入できないと言う事は、軍艦や航空機を動かせない以上に、日本人が食べて行く事が脅かされると言うことである。
 軍国日本は、食糧を海外に依存する輸入国であった。
 企画院は、アメリカの石油全面禁輸を受けて、急遽「昭和16年度秋季開戦を想定せる軍部の物的国力判断」を策定した。
 企画院総裁鈴木貞一陸軍予備役中将は、戦争の為には石油と海運力が重要であるとの自説を主張した。 
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 8月2日 海軍省は、グルー駐日大使に対し、「7月31日夜にアメリカ海軍巡洋艦二隻が豊後水道付近の領海を事前の許可もなく侵犯した」と文書で抗議した。
 同領海侵犯事件は、日本に圧力を加える為にルーズベルトが承認した軍事行動であった。
 米ソ経済援助協定。
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 8月7日 豊田外相は、難航している対米和平交渉を打開する為に、近衛・ルーズベルト首脳会談を提案した。
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 8月8日 イギリスの合同情報委員会(JIC)は、日本との戦争に備えて「在英の日本大使館と領事館の閉鎖」を協議した。
 アメリカとイギリスは、対日戦開戦へと動き始めた。
 ニューヨーク・タイムズ「もし、日本が危険な包囲網の中にあると思うなら、日本はその包囲網を自ら招いたのだ、とハル国務長官は今日、記者会見で述べた。長官の発言は合衆国と英国、中国、蘭領インドが日本を軍事的、政治的、そして経済的に『包囲』していると日本政府は感じている、と伝えた東京発の記事を受けてのものだった」
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 8月9日(〜12日) 大西洋会談。ルーズベルトチャーチルは、「人民の権利」と「自由の四原則」を基にした大西洋憲章に署名した。
 ルーズベルトは、イギリスへの武器供与の見返りとして、在米商業資産の売却、世界各地に持つ関税特権をアメリカに対して撤廃する、イギリス軍がカリブ海に持つ7ヶ所の基地の使用許可、イギリスが保有する金塊5,000万ドルの引き渡し、イギリスが開発した潜水艦の探知(ソナー)技術の提供などを要求した。
 チャーチルは、破滅の関頭に立たされた祖国を救う為に、ルーズベルトの法外な要求を受け入れた。
 「我々は骨だけ残して、身包み剥ぎ取られた」
 「我々は、イギリスという乳牛からミルクを搾った。昔はミルクがいっぱいで出たものだが、もう枯渇しかかっている」
 アメリカとイギリスは、ナチス・ドイツとの戦争に勝つ為に、ソ連共産主義勢力と同盟を組む事に合意した。
 両国間には、密約は存在しないが、共同戦線という認識は持っていた。
 ルーズベルトは、今後ともナチス・ドイツと戦っているイギリスの要求する戦略物資を供給し、適当な時期に世界大戦に参戦する事を再度約束した。
 そして、日本に対しては、「3ヶ月くらいは奴らを子供の様に操っていけると思う」とチャーチルに話した。
 ルーズベルト「この方針を採用する事によって、戦争に発展しかねない日本による一段の武力侵略の動きを少なくとも30日間は先延ばしにできるとの見方を表明した」
 アメリカは、これ以降、日本を無能で馬鹿な「子供」と見なした。 
 参戦合意を含む軍事関連の同会談録は、意図的に破棄されたという。
 チャーチルは、アメリカを確実に戦争に引き込めること確信したが、日本に戦争を回避する為の警告を発する様に提案した。
 ルーズベルトは、警告を与えることを拒否した。
 タイム誌「ルーズベルト氏の立場は単純明快である。彼は、侵略者を叩きのめす事を委ねられている。そして、侵略者とは日本の事だ。日本がその方針を変えない限り、彼には日本を叩きのめす事が委ねられている」
 ルーズベルトは、人種差別主義者として、日本人を人間以下の下等生物と軽蔑し、過激な差別的発言を繰り返していた。「大西洋憲章は、有色人種の為のものではない。ドイツに主権を奪われた、東欧白人国家について述べたものだ」
 アメリカの陸海軍統合委員会は、極秘で、アメリカ人青年の動員及び国外派兵準備そして日本追い込みについての会合を定期的に開いていた。
 ホワイトハウスの戦争閣僚会議は、日本に最初の攻撃させる為の方策として、日本軍をおびき寄せる為のアメリカ海軍の囮作戦を承認した。
 ルーズベルトは、対ドイツ戦参戦に反対する、上下院議員を落選させるべく選挙運動に干渉し、報道機関に報道規制をかけ、キリスト教会に沈黙を要請した。
 ラジオ伝道師として人気のあるカフリン神父の政府批判を黙らせる為に、デトロイトのムーニー大司教に圧力をかけた。
 フーバーFBI長官も、反政府的個人及び組織への監視を強化し、嫌がらせの逮捕を行い活動を自粛する様に嚇した。特に、在米日本人や黒人やユダヤ人を警戒した。
 アメリカ国民の人権や自由は、表から見えないところで侵害され制限され始めた。
 ルーズベルトは、戦時体制に移行するべく大統領権限を強化し、主要機関をワシントン、ホワイト・ハウスに集中させた。
 チャーチルルーズベルト大統領と議論を重ねた大西洋会議以降、本土を攻撃されなくとても、アメリカは極東の戦争に参戦し、必ず最終的勝利を勝ちとり」
 近衛首相は、大西洋憲章ナチス・ドイツを非難して日本に言及していない事から、ルーズベルトヒトラーを嫌っているが日本はそれほどの悪感情を抱いていないと理解した。そこで、両国の関係を修復し、戦争という破局を避ける為の首脳会談を申し込む事にした。
 昭和天皇も、戦争回避の為に首脳会談を承認し、会談で合意した和平協定は軍部が反対しようとも不退転の決意で裁可すると決めた。
 スターリンは、大西洋憲章の第一条・領土拡大の否定及び第二条・領土変更における当該国の人々の意思を尊重する、に合意した。
 イギリス陸軍情報部(MI2)は、「日本陸軍は、中国軍との戦争を規定して整備されているので、装備が貧弱、西洋の一級国の陸軍には叶わない」と報告した。
 科学者は、民族的疾患から、日本人は視力と平衡感覚に障害がある為に航空機を操縦できないと報告した。
 イギリス軍は、日本軍に対する情報を分析した結果、「日本軍は恐るるに足らない」と判断して、シンガポールや香港の防衛強化を行わなかった。
 日本軍は、戦争の初期に於いて情報戦を有利に展開して、奇襲攻撃を成功させた。
 大西洋憲章「第三条 米英両国は、あらゆる国民が自由に政体を選択する権利を尊重する。両国は主権と自治を奪われた者に、それらが返還される事を望む」
 チャーチルは、対象地域をドイツ軍占領下のヨーロッパに限定し、アジアやアフリカの自国植民地を除外した。
 ルーズベルト「この憲章は、有色人種には適用されない。ナチに主権を奪われた、東欧の白人国家について述べたものだ」
 A・J・P・テイラー「ルーズベルトの邪悪な心を読み解けば、どうやら彼はドイツとイギリス両国の衰退を望んでいる。独力独歩の大国すべてが消滅すれば、アメリカが世界に君臨できる」(『第二次大戦の起源』)
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 ルーズベルトは、民族自決について、「これはナチス・ドイツに占領された東欧に適用される。非白人の民族に適用するものだはない」
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 参戦反対の保守派は、イギリスとナチス・ドイツとの戦争に参戦する事には反対であったが、非白人種の日本との戦争には反対していなかった。
 チャールス・リンドバーグ「この戦争はイギリス・フランスの太郎とドイツ・イタリアの二郎の強大喧嘩だ。我々三郎アメリカは参加するべきではない。身よ、黄色い猿がスキを狙っているではないか」
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 ポポフは、アプヴェールからアメリカで調査するリストの「質問状」と機密書類を暗号化したマイクロドットを受け取った。
 海軍情報として、アメリカとカナダが海外へ派遣する部隊に関して。
 ハワイ情報として、真珠湾の弾薬庫と機雷貯蔵庫など軍施設やアメリカ艦隊に関する些細な情報。
 ポポフは、FBIニューヨーク支部長フォックスワークに面会し、マイクロドットを渡し、「日本が今年末までに真珠湾を奇襲する可能性がある」と伝えた。
 東京駐在ドイツ空軍武官のグロノー男爵は、イタリア南部の軍港タラントを訪れ、イギリス海軍航空機による奇襲攻撃(40年11月)の成功後を調査し、日本海軍も調査を依頼していた事を知らさた。
 グロノー男爵は、日本の石油備蓄量から、41年末までにアメリカと開戦するだろうと予想した
 ポポフは、グロノー男爵の発言をアプヴェールの同僚から聞き、日本海軍の真珠湾攻撃を予想した。
 だが。フーバーFBI長官は、二重スパイのポポフを信用せず面会を拒否した。
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 FBI長官フーバーは、真珠湾攻撃情報をルーズベルトに報告した。
 常識ある軍人も権威ある軍事専門家は、真珠湾の地形から航空機による攻撃は有り得ないと結論を出し、日本空軍には不可能を可能にする優秀な航空機はないし、生物学的欠陥から日本人は航空機を操縦できないと報告していた。
 つまり。日本海軍による真珠湾攻撃情報は存在しても、それを信じて防衛体制を強化するだけの科学的根拠がなかった。
 ルーズベルトアメリカ軍首脳部は、真珠湾攻撃情報を知っていたのは間違いないが、攻撃させる為に見逃していたわけではない。信ずるには足らないと判断していただけである。
 軍事的常識を覆し、不可能を可能に替えた、優秀な日本海軍の実力といえる。
 「日本軍の騙し討ち」と非難される謂われはない。
 「ルーズベルト陰謀説」は、陰謀説を好むマニアの戯れ言に過ぎない。
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 8月16日 野村吉三郎大使は、東京の外務省にアメリカの戦略予想を極秘電報で送った。
 「裏口で日米戦争が始まった場合、欧州戦線にアメリカを参戦させる期待が高まる。とイギリスは考えている」
 アメリカとイギリスは、極秘暗号電文を傍受していた。
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 8月17日 野村大使は、ルーズベルトに近衛首相との首脳会談を提案した。
 ルーズベルトは、野村吉三郎駐米大使に、軍事行動を辞さずという内容の最後通告的警告と平和友好関係を戻すとして首脳会談の受諾を伝えた。
「もし日本政府が武力ないし武力の威嚇によって、隣接緒国を軍事的に支配しようとする政策または計画に従い、今後なんらかの手段をとるならば、アメリカ政府は、アメリカ及びアメリカ国民の正当なる権利と利益を保護し、アメリカの安全を保障する為に必要と思われる一切の手段を直ちにとらざるを得ないだろう」
「近衛公と日本政府が、首脳会談の提議をしてこられたのは素晴らしい事だ。アメリカ政府は喜んで、両国の意見交換の為の適当な時期と場所を斡旋したいと思っている。しかしこの会談開くのに先だって、日本国政府の態度及び計画に関し、従来提示されたよりもさらに明瞭な声明を出していただければ、両国政府にとって有益である。自分は健康上の理由により、飛行機に乗るのを医師から禁じられているので、日本の総理がサンフランシスコかシアトルへ来ていただければどうか」
 近衛首相は、首脳会談を受諾してくれと事に感謝するメッセージを送った。
「まず両国首脳が直接会見し、必ずしも従来の事務的商談にこだわる事なく、大所高所より日米両国間に存在する太平洋全般にわたる重要問題を討議したい」
 ルーズベルトは、野村大使に近衛メッセージへの感動の言葉を述べた。
「このメッセージは一歩前進であり、非常に立派なものであるから期待をかけたい。会談の時期はなるべく早くするのが望ましい」
 近衛首相は、これ以上、両国間の諸問題がこじれるとアメリカとの戦争に発展する恐れがあると危惧し、対米強硬派を押さえて交渉をまとめるには首脳会談以外ないと決断していた。
 昭和天皇も、英米協調派として、アメリカとの戦争を回避する為に首脳会談に期待し、首脳会談で合意した条件には議会や軍部に計る事なく即断で裁可するつもりであった。
 対米強硬派も、本心から国力差のあるアメリカとの戦争を望んでいたわけではなく、これまでの日本の軍事行動を自衛行為と認める合意が、昭和天皇の勅裁で成立すれば不平を鳴らしながらも受け容れるつもりであった。
 つまり。抗日中国による日本人居留民虐殺と略奪に対する、自国民保護目的の正当防衛である主張を承認してくれれば、日本人としての体面・面目がたつと主張したのである。 
 同日夜。ハル国務長官は、野村大使に、事前に事務方による合意の必要性を訴えた。
「両国首脳が会見しても、一方がある点に固執してどうしても話しがまとまらなければ、非常にまずい結果になるので、予め大体の話をまとめておいた上で、両者が会ったときに即最後の決定が下せる様にしておきたい」
 ルーズベルトは、既に日本との戦争を決断していた。
 アメリカ大統領は、強力なリーダーとして独裁官的な権限を持ち、大統領決定に対しては政府も議会も軍隊も反対が出来なかった。
 天皇は、憲法の規定に従って政府と議会の決定を承認するだけの、調整と調和、安定と平穏をもたらすのみの弱いリーダーであった。
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 8月18日 ルーズベルトは、連邦議会の指導的立場にある政治家達に大西洋会談の結果を報告すると共に、日本が領土的野望から新たな侵略を始める可能性があり戦争に発展する危険性があると断言した。だが、日本との話し合いが険悪化しても決裂する事はないと曖昧な言葉で言い逃れをした。
 アメリカ軍は、日本軍と戦っている蒋介石への支援物資を本格化するべく、ビルマ公路調査の為に将校団を派遣した。
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 8月19日 東京のグルー駐日アメリカ大使は、豊田外相に対して、日本側が政策を変更しない限りアメリカの圧力は強まるであろうと警告した。そして、ワシントンに対して日本の方針変更はあり得ず、両国関係は決裂の可能性が大であると報告した。
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 8月23日 MI5のT・A・ロバートソンは、真珠湾攻撃を示唆したポポフ情報をイギリス陸軍総司令部のホッグ大佐に文書として送った。
 ジョン・マスターマン卿「アメリカが戦争になった時、真珠湾が最初に攻撃される事、そしてその攻撃の計画が1941年8月までにかなり進んでいた事をこの質問状が極めて明確に示唆していたというのは公平な推論である。明らかに質問状を正しく評価して、そこから推論するのは我々ではなく当然アメリカの仕事だった。とはいえ、我々の方がその事情とこの人物をよく知っていたのだから、もっとその重要性を強調すべきだった。さらに数年の歳月を重ね、経験を積んでいたから、きっと我々は肘鉄砲をくらう危険を犯してもアメリカの友人達にその書類の重要性を指摘出来たに違いない。……それから得た教訓は疑いもなく、一度そのスパイが申し分のない事が分かった場合、彼に与えられた質問は普通のものよりずっと情報価値が高く、かつ緊急なものである、という事だ」(回顧録『二重スパイ化作戦』)
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 8月24日 チャーチルは、日米関係が決裂すれば、イギリスはアメリカ側につくと明言した。
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 8月21日 ルーズベルトは、連邦議会で太平洋会談報告を行い、イギリスに対して新しい取り決めやアメリカを戦争に近づける様な約束はしなかったと発表した。
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 8月25日 ハル国務長官は、記者会見で、対日交渉で提示している基本原則は1937年以来変わりないと明言し、日本が解決の為の具体的な提案をしたかとの質問については返答を拒否した。
 ルーズベルトは、大西洋艦隊に対して「独伊の敵性軍を攻撃撃破すべし」と、極秘命令を下した。
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 8月27日・28日 総力戦研究所は、対米英戦を想定した模擬演習を1ヶ月間続けた結果を踏まえて会議を行い、「対米英戦争は、日本の敗北で終わる」との結論を出した。
 近衛首相、東條陸相など各大臣や陸海軍幕僚などが、会議に出席していた。
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 8月28日 近衛文麿首相は、グルー駐日アメリカ大使に、日米間の諸問題を解決する為にルーズベルトとの首脳会談を要請した。そして、東京のアメリカ大使館とワシントン間の外交電文を全て傍受しているとの最高機密情報を打ち明けた。
 グルー大使は、直ちに首脳会談の申し込みが会った事をハル国務長官に報告した。
 グルー「アメリカと日本の間に生じ様としている、まったく不毛の戦いへの動きを回避する為に……政治家としての見識を示して行動する機会がここに提供されています……それによって、太平洋地域の今後の平和への障害となると思われる難題を克服できるかもしれません」
 近衛内閣は、アメリカの妥協を認めない強硬な態度によって八方塞がりであっただけに、ルーズベルトの好意的反応に狂喜して、一刻も早い首脳会談開催を希望した。
 昭和天皇も、首脳会談による話し合い解決を希望し、戦争を回避する為に合意した事項を勅裁して、強硬派若手将校や好戦的右翼を有無を言わせず説き伏せ、大陸からの撤兵を命ずる決意であった。
 軍部も、建て前としては強硬発言を繰り返し不満を言い募ったが、本音では泥沼化した日中戦争終結させ絶望的な対米英戦争を回避す為に、首脳会談の成立に期待を掛けた。
 だが。対米戦争を望む右翼と一部将校らは、近衛代表団の暗殺を計画し、平和志向で軟弱な昭和天皇の排除を協議した。冒険的拡張主義の彼等は、侵略戦争の勝利と領土拡大の為には、軍事的指導力のある好戦的な皇族を新たな天皇に即位させるべきであると、真剣に考えていた。
 スターリンは、首脳会談を潰す為に、ワシントンの隠れ共産主義者である高級官僚達を焚き付けた。
 野村大使は、両国首脳による太平洋会談の開催を要請する近衛首相の親書を、ルーズベルトに手渡した。
 ルーズベルトは、戦争参加という本心を隠し、アメリカは平和的解決を望み、近衛首相との首脳会談の実現を受け入れるという素振りを見せた。 ワシントンの親中国派高官(大半が共産主義者)は、首脳会談には猛反対し、近衛と約束しても軍部がそれを守るはずがないと反論した。
 ロークリン・カリー「会談を開けば、中国の士気に悪影響を及ぼす」
 モーゲンソー財務長官(ユダヤ人)も、戦争回避につながる如何なる会談にも不賛成であった。
 ルーズベルトは、戦争を切望し、平和の為の如何なる妥協も拒否し、ましてアメリカが戦争回避の為に積極的に譲歩するを気は微塵も無かった。
 ロークリン・カリー「会談は中国との間に築いた友好的な関係を損ねるばかりか、他の友好諸国政府(イギリスとソ連)からの反発を招きかねないので、会談は拒否されるべきだ」(9月13日 大統領へのメモ)
 アメリカ海軍は、大西洋同様の軍事行動を東南太平洋海域にも拡大する事を決定した。
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 8月29日 近衛首相が、経済制裁で深刻な状況に追い込まれつつある現状を打開し、アメリカとの和解を希望して、ルーズベルトに首脳会談を申し込んでいるという情報が知れ渡った。
 日本側は、アメリカ側も首脳会談に応じる可能性があるとして、随行員の選考などの準備を開始した。
 ルーズベルトは、近衛首相からの親書について返事を送る事を発表したが、内容と時期については言及しなかった。
 ハル国務長官は、親書の内容は太平洋の諸問題を首脳会談で解決しようという具体的な提案はなく、険悪化している両国関係を修復する友好が目的であって懸案事項を対話で解決しようというものではないと、記者会見で質問をはぐらかした。
 ワシントンは、日米会談は依然として事務的な予備会談の段階であって、東京で報道されている様な基本合意が成立していないと否定した。
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 新聞は、近衛文麿首相とルーズベルト大統領の首脳会談が検討される事を報じた。
 国民世論は、戦争を避ける為に国益を損なう様な外交交渉には猛反対した。
 「戦争も辞さず」の強硬意見を持っていたのは庶民であって、軍部ではなかった。
 庶民は、軍部に騙されていたのではなく、軍国主義者の主体として一部の過激的攻撃的青年将校を積極的に支持していた。
 軍国日本を戦争へと動かしていたのは、庶民が醸し出していた不退転の「時代の空気」であった。
 日本を支配する「空気」とは、誰か独裁者か扇動者が意図的に国民を洗脳して生み出した上からの空気圧ではなく、誰ともわからない庶民が下から醸し出す上昇気流の様な雰囲気の事である。
 




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