🎼04:─1─世界の常識「命を賭けて戦う勇気のない人間は奴隷として生きる」(ヘーゲル)。~No.4 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 古代ギリシャのデモクラシーとアカデメイアは、ポリス市民と同数の奴隷で成り立っていた。
 哲学や芸術は、仕事をしなくても一定水準の生活ができる一般市民が担っていた。
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 日本には、身分卑しい貧困層はあったが、忌むべき奴隷制度はなかった。
 非人・エタなどの賤民や山の民・川の民・海の民などの部落民は、奴隷ではない。
 小作人や下男・下女も奴隷ではない。
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 人類史・世界史・大陸史から見れば、異教徒日本民族日本人はアフリカ人同様に未文明の野蛮な奴隷種族にすぎなかった。
 そして、民族宗教の日本神道は滅ぼすべき悪魔教であり、祭祀王・日本天皇は焼き殺すべき悪魔教の最高祭司にすぎなかった。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人の協力を得て日本人を奴隷として世界中に売り捌いて大金を稼いでいた。
 イエズス会キリスト教原理主義者は、日本をキリスト教国家に生まれ変わらせるべくキリシタン大名達と70万人以上のキリシタンを神聖騎士団として聖戦を起こすべく活動していた。
 キリスト教勢力は、九州を神の王国として日本から分離独立させ、キリスト教徒が持つ国にする事を目指していた。
 その前例は、戦国大名を武力で追放した一向宗と百姓が持つ国があった。
 例えれば、シンガポールマカオである。
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 日本人は中国人・朝鮮人とは違い、言い争うような議論や劇論が苦手である。
 何故か、それは日本人に世界的な普遍的な哲学や思想、主義主張が存在しないからである。
 日本人は物事を合理的感覚で理解し情感的に素直に表現し無理・抵抗の少ない行動をとるが、物事をこじつけ、歪曲、曲解しながら観念的論理で理解し絶対化して他者を粉砕し排除する思考や行動を嫌った。
 何故、日本人には哲学も、思想も、主義主張もないか、それは惨めな敗北者、情けない弱者として強者・勝者・支配者から逃げ回って生き延びたという「さもしさ」ゆえである。
 日本民族日本人が、弱々しい弱者・敗北者の集団ゆえに身分制度は生まれても奴隷制度までは生まれなかった。
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 岩田温『人種差別から読み解く大東亜戦争
 「第8章 日本人が知らない大東亜戦争大義
 『私憤』から『公憤』への転化
 我々は第一章で昭和天皇のお言葉を導きの糸として大東亜戦争と人種差別の関係について考えてきました。
 改めて昭和天皇のお言葉を引用させていただきます。

 『この原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦の平和条約の内容に伏在している。日本の主張した人種平等案は列強の容認する処とならず、黄白の差別感は依然現存し加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである。又青島還付を強いられたこと亦(また)然りである。かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がった時、之を抑へることは容易な業ではない』

 日本が国際連盟成立に際して提案した人種差別撤廃条項、すなわち『人種平等案』が否決されたこと、カリフォルニア州において排日移民法が成立したこと。これらの『黄白の差別感』から日本国民が『憤慨』したと述べているのです。また、ここで昭和天皇が述べておられる『青島還付』についても説明しておきます。
 第一次世界大戦の勃発時、中国の山東省の青島はドイツの租借地でした。日英同盟に基づいて第一次世界大戦に参加した日本は、青島を攻撃し、占領しました。大戦後のヴェルサイユ条約では、青島の権益は日本に委譲されることが決定します。しかし、この後に、アメリカの圧力により日本の青島の権益が放棄させられることになります。この『青島還付』に関しては、人種差別の問題というよりも、お互いのパワー・ポリティクスの一環として位置づけた方が適切だと考えますので、これ以上は触れません。しかし、いずれにせよ、こうしたアメリカの圧力に対し、日本人が憤ったことは事実です。
 さて、私がここから考えてみたいのは、『憤慨』という問題。『怒り』という問題です。昭和天皇は、人種差別的な政策が遠因となって大東亜戦争に至ったと述べておられますが、同時にそうした人種差別び日本国民が『憤慨』し、そうした『国民的憤慨』を背景に軍が立ち上がったと指摘しています。
 我々は人種差別の歴史、そして近代において日本人が苦悩した人種差別について眺めてきました。しかし、この差別について考えるときに重要になってくるのは、『憤慨』、『怒り』の感情です。
 歴史を振り返る際、経済的利益を巡る衝突、領土の巡る衝突等々は原因が明解です。しかし、人はそうした『経済的利益』や『領土』のみを巡って戦争を起こしてきたわけではありません。名誉を汚されたとき、理不尽で不当な扱いを受けたとき、例え非合理的な選択かもしれませんが、義憤に駆られて事を起こすこともあります。
 『怒りに身を任せる』などというと、大人げないと思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。『怒り』とは、我々の『政治』を成立させる重要な要素なのです。
 少し、戦争それ自体からは離れることになりますが、『怒り』と『政治』、『戦争』について触れておきたいと思います。
 歴史を動かす原動力について考える際に、重要な指摘をした哲学者としてヘーゲルを挙げることが出来ます。
 彼は古代の奴隷がどのようにして誕生したかを考えました。自然のままで主人と奴隷の関係が存在していたはずはありません。何がきっかけとなって奴隷が誕生したのか。ヘーゲルはこの問題を考えました。
 まず、ヘーゲルは人間は、他者によって『承認』されたいと願う生き物であることを発見しました。確かに、人間はより優れた存在であると他者から承認されたいという欲望に衝き動かされる生き物です。
 オリンピックで優勝したい、と願うのは、経済的願望だけではなく、その種目に関して世界で最も優れた成績を収めた人物であると認められたいからに他なりません。
 では、この承認願望が、どのような形で奴隷制を誕生させるのでしょうか。
 ある二人の対等な男が存在します。出会った段階では、どちらが主人でも奴隷でもない、全くの対等な関係です。
 両者は、ともに、自らの方が優れた人間であると承認さようとして、闘争状態に突入します。
 この際、片方の人間が死んでしまえば、勝者は生き残りますが、奴隷は誕生しません。相打ちしても奴隷は誕生しません。奴隷が誕生するのは、敗者が命だけは助けて欲しいと勝者に対して命乞いをした場合だけです。
 このとき、主人は命懸けで闘う男であるのに対し、奴隷は命を守る為であれば、主人を優れた人間であり、自らを劣った人間であると認めてしまいます。
 ヘーゲルが重視するのは、自らの生命を危険に曝してまで、自己を承認させようという人間の意志です。これは他の動物には存在しない感情だからです。動物は自己保全のためにのみ動きますが、人間だけは、時に自己保全という動物的な本能に反してまで、自らの生命を危険に曝すことがあります。
 ヘーゲルはこの自らの生命を危険に曝してまで自らの承認を求める人間の魂の在り方を高く評価しています。
 いささか難解ですが、ヘーゲルは次のように指摘しています。

 『命を賭けることによってしか自由は確証されないし、自己意識にとって、ただ生きていること、生きてその日その日を暮らすことが大切なのではなく、浮かんでは消えていくような日々の暮らしのその核心をなす一貫したもの──純粋な自立性(自主性)──こそが大切だということも、生命を賭けることなしには確証されないのである。生命を賭けない個人も人格として承認されなくはないが、この承認は独立の自己意識が承認されるという真の承認には及ばないのだ』(ヘーゲル精神現象学』)

 簡単に言えば、いざというときに生命を賭してでも自己の存在を承認させようという人間にこそ、自立性が認められるのであり、生命を賭ける勇気のない人間には、真の自主性はあり得ないということです。
 奴隷の平和ではなく、時として生命を死の危険に曝すことを選ばざるを得ない主人の方が、人間として優れているとヘーゲルは考えていたのです。
 こうした人間の生命を賭してまで自らの価値を守ろうとする性質について、古代の哲学者たちも言及しています。
 プラトンは『国家』の中で、魂を三つの部分に分類しました。『智恵』と『欲望』と『気概』です。
 『智恵』と『欲望』について説明する必要はないでしょう。この二つに加えて『気概』が加わっている点が重要です。古代のギリシァ語ではこの『気概』を『Thumos(スーモス)』と呼んでいました。
 我々は、人間は『智恵』と『欲望』に基づいて動くと考えがちです。例えば、現在の政治科学や経済学で想定されている人間像とは、そうした理性と欲望に衝き動かされる人間像です。しかし、プラトンヘーゲルがいうように人間は『気概』にyって動かされることがあるのも事実です。
 例えば、アメリカの独立戦争はどうでしょうか。『代表なくして課税なし』というスローガンを掲げ、イギリス本国と戦ったのは、課税を拒否するという経済的動機だけではありませんでした。自分たちが、イギリス本国のイギリス人たちと対等に扱われないのはおかしい、自分たちを対等な存在として認めるべきだ。そうした承認に対する欲求、気概があったのではないでしょうか。
 アメリカのキング牧師南アフリカマンデラ大統領の平等を求めた闘いも同じです。白人と黒人で差別されることがあってはならない。我々黒人を白人と同等だと認めるべきだ。そういう承認に対する欲求を抜きに、この問題を語ることは出来ないはずです。
 『気概』は歴史の全ての原動力ではありませんが、時として、歴史を動かしてきた重要な概念だといってよいでしょう。
 こうした『気概』について、考える際に、極めて重要な古典文献がホメロスの『イリアス』です。
 人間を衝き動かすのは、古代も現代も変わらないということを確認するためにも、『イリアス』を簡単に紹介することにします。
 『イリアス』は次の一節から始まります。

 『怒りを歌え、女神よ、ペレウスの子アキレウスの──アカイア勢に数知れぬ苦難をもたらし、あまた勇士らの猛き魂を冥府の王に投げ与え、その亡骸は群がる野犬野鳥の啖(くら)うにまかせたのか呪うべき怒りを』

 ペレウスの息子、アキレウスは名だたる名将です。このアキレウスの怒りから物語は始まるのですが、彼をして怒らせた理由とは何だったのでしょうか。
 当時、アキレウスはアカイア軍の総帥アガメムノンの下で、イリオスに攻め入っている最中でした。事の発端は、アガメムノンクリュセイスという美貌の娘を手に入れたところにあります。当時のギリシアでは戦争において勝者は、敗者の中で美しい娘がいれば、捕まえ、自らの愛人とすることが許されていたのです。しかし、クリュセイスの父は、アポロンに仕えるクリュセイスという名の神官でした。クリュセイスは金銀財宝を携えて、娘の返還を求めて、アガメムノンに哀願しにやってきます。しかし、クリュセイスの美貌に魅入られたアガメムノンは、哀れな父親の嘆願をにべもなく拒絶し、さらに父親自身を侮辱します。
 激怒したクリュセイスはアポロンに祈りを捧げます。自らの娘を略奪し、自身を侮辱したアガメムノン率いる軍勢に制裁を加えて欲しいと祈ったのです。
 アポロンは、常日頃から熱心に捧げものをしているクリュセイスの願いを聞き入れます。アポロンアガメムノンの軍勢に向かって次々に弓矢を打ち込んだのです。
 神の怒りを恐れたアガメムノンは緊急会議を開きます。高名な占い師カルカスは、アポロンの怒りはアガメムノンクリュセイスに恥辱を加えたからだと指摘し、クリュセイスを返し、生贄を供えれば、アポロンの怒りは鎮まるはずだと説きます。
 アガメムノンは激怒し、カルカスを罵倒しますが、高名な占い師カルカス言葉を無視するわけにもいきません。そこで、自分の戦利品であるクリュセイスを返すことは了承するが、皆に分配し終わっている戦利品の中から、新たに自分の分け前を差し出すように要求します。
 ここでアキレウスは抗議の声をあげます。既に戦利品の分配は終了しており、将兵の戦利品を没収し、再配分すべきではないと説くのです。
 激怒しているアガメムノンは、ここでとんでもないことを言い始めます。アキレウスの戦利品として認められていた頬美わしいブリセイスをアガメムノンに差し出せというのです。
 怒り心頭に発したアキレウスは剣の柄に手をのばそうとしますが、そこにパラス・アテネという女神が登場し、アキレウスに思いとどまるように助言します。アキレウスは女神の言葉を受け、その場でアガメムノンに斬りつけることを思いとどまります。
 アキレウスは、自身の方がアガメムノンと比べてはるかに剛勇であるにもかかわらず、アガメムノンの方がはるかに多くの戦利品を手にしてきたことを批判します。アガメムノンは国王アトレウスの息子でした。彼は『実力』ではなく『血統』によってそうした地位を得ていたわけですが、アキレウスはこの点を批判し始めるのです。そもそも『実力』のない人間が『血統』によって『実力』のある人間に指示を下し、『実力』のある人間以上の報酬を得ているのはおかしいというのです。
 私が『イリアス』において注目したのは、この怒りの論理の展開です。アキレウスが激怒したのは、自分の戦利品である美女を奪われるからです。自身の愛している美女を奪われて憤りを覚えることは『私憤』といってよいでしょう。しかし、『私憤』は『私憤』のままに留まろうとしません。人は意識的にか、自らの『私憤』を『公憤』に変化させようとするのです。『私憤』に駆られたアキレウスが問いかけるのは、統治者を決定するのは『血統』なのか『実力』なのかという普遍的な問いであり、『血統』による支配はおかしいという異議申し立てです。アキレウスの『私憤』は、時間を置くことなく、そしておそらく自らのなかで意識することもなく統治の仕方そのものを問う『公憤』へと変化しているのです。
 私はここに一つの『政治』が誕生したのだと考えます。本書では詳しく触れることは避けますが、『政治』とは何らかの正しさを巡る議論であり、闘争です。往々にして主張される正しさの根底には、『怒り』が潜んでいます。そして更に『怒り』の淵源を探れば、『私憤』に辿り着くこともしばしばです。
 随分と長く、『イリアス』を紹介してきましたが、この興味深い物語の続きは各自でお読みくださ。ここでは、『私憤』が『公憤』へとかわり、正義が主張されるようになるというメカニズムを確認して、次の議論へと進んでいきます。
 開戦を支持した日本国民
 ……」
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 世界の神話・教典・物語・寓話は、例外なく善と悪、正と邪の二項対立による生死を賭けた戦いが主題であった。
 平和と幸福、発展と繁栄は、悪と邪を滅ぼした勝利によってもたらされている、と信じられていた。
 人類史・世界史・大陸史は、戦争の勝利の歴史である。
 戦争の歴史を否定する事は、人類・人間を否定する事である。
 戦争を否定する人間の言葉は、滅び・死への悪魔の邪悪な囁きである。
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 世界の常識は、権力と富の証しはキリスト教信者に関係なく異人種異民族の奴隷を数多く養い使役する事である。
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 世界の戦争は、領土拡大よりも富の簒奪と奴隷=労働力の確保が主の目的であった。
 そして、戦闘は、娯楽、スポーツ、ゲームつまり命を懸けたスリルな遊びであった。
 勝者は主人・支配者で、敗者は奴隷か死というのが、世界の常識である。
 勝者には、奴隷の生殺与奪の権が神から与えられる。
 世界の戦争には、平等と自由、公平と公正、とうい権利の原則が存在する。
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 大陸の弱肉強食の世界に恐怖し、あるいは負けて逃げ出したのが日本民族日本人の祖先である。
 命辛々日本列島に逃げ込んだ情けない弱虫・敗北者が、日本民族日本人である。
 大陸諸国は、半島と近海の島々を攻めて占領したが、遠海の島には興味がなく攻めて占領しようという欲望を抱かなかった。
 それ以前に、遠島には如何しても手に入れたいという欲望を駆り立てる「富み」がなかった。
 大陸から見れば、日本列島は貧しく不毛で、心が惹きつけるような魅力がなかったにすぎない。
 弱い日本民族日本人は、日本列島に逃げ込んで命拾いし、命を危険に曝してまで大陸に攻め込み、故郷を取り戻したいという望郷の念を捨てた。
 同時に、日本列島の後ろには太平洋が広がりそこから先へと逃げられない絶海の孤島であった。
 弱い日本民族日本人は、閉ざされた空間、閉塞した島で、大王=天皇を中心に身を寄せ合って、ひっそりと、細々と、慎ましやかに暮らした。
 大王=天皇は、実力や才能・能力あるいは人気ではなく「血統」で選び、誰も彼もが自由に即位できないようにした。
 大王位=天皇位を、血統に繋がらない競争に勝利した権力者から切り離した。
 つまり、大王=天皇は如何なる競争からも排除され、地位の安泰が保証される代わりに富の報酬も低め設定された。
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 日本と大陸では、統治者資格は違う。
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 大王=天皇が「(男系の)血統」を唯一の正統性として存続できたのは、嫉妬心を駆り立てるような富みを持たず、慎ましやかに「貧しさ」で生きていたからである。
 故に、最も熱狂な勤皇派・尊皇派は貧民・賤民・部落民であった。
 貧しい庶民は、金に余裕ができるとその中から僅かな金を賽銭代わりに皇居・御所に投げ入れ、大王=天皇の御代を感謝を込めて拝んだ。
 大王=天皇の神性は、こうして生まれ、育まれ、確かなものとなっていった。
 大王=天皇と庶民の紐帯関係とは、そういう事である。
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 日本が戦った全ての対外戦争の根は深い。
 日本を攻撃した外国勢力とは、西洋キリスト教文明のキリスト教勢力、中華儒教文明の中華勢力、反宗教無神論共産主義マルクス主義)勢力であった。
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 日本民族日本人は奴隷にされる事を拒絶して、一人、一カ国、味方もなく、支援者もなく、天皇を中心に固まり、団結して孤独に孤立して戦ってきた。
 それ故に、日本は世界から戦争犯罪国として徹底的に攻撃され、容赦のない破壊と無慈悲な殺戮に見舞われ、敗戦国となった。
 その象徴が、日本国憲法である。
 だが、日本民族日本人は奴隷である事に賛成し、奴隷から解放する事に反対する日本人が存在する。
 そして、日本民族日本人を消滅させる外国人移民1,000万人(主に中国人移民)計画。
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 現代日本ナショナリズムによる右傾化が進んでいるが、外国人移民1,000万人計画(主に中国人移民)が実行されれば、日本のナショナリズムは消滅し、日本民族日本人というアイデンティティーも消える。
 外国人移民1,000万人計画は、100年後には日本民族日本人を少数派に追いやる事ができる為、日本から民族派による右翼・右派・ネットウヨクを根絶する事ができる。
 日本の右傾化を食い止める最良策は、日本民族日本人を消し去る外国人移民1,000万人計画(主に中国人移民)である。
 故に、外国人移民1,000万人計画(主に中国人移民)に反対するメディアは少ないどころか、外国人移民を推進すべきであると旗振りするメディアが大半である。
 だが、少子高齢化による人口激減で労働人口及び消費人口が大量に消える以上、それを埋める為に外国人移民を行わなければ日本国民日本人は維持できない。
 日本国民日本人を日本民族日本人から外国系日本国籍取得者日本人に切り替えれば、日本総人口は維持できる。
 つまり、人口維持の為に日本民族日本人を切り捨てる事である。
 某元総理大臣「日本は日本人だけの日本ではない」
 所詮、日本民族と民族所縁の伝統・文化・宗教・言語は、世界から見ればローカルで、同じ文明・文化を数カ国で共有したい単一国に過ぎない為、消えても世界的な影響は存在しない。
 例えれば、ハワイ王国チベット王国・モンゴル王国などのように。
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 日本の右翼・右派・ネットウヨクを根絶する唯一の方法は、日本民族日本人を消滅させ、民族所縁の全てを無意味・無価値として消し去りる事である。
 歴史も、伝統も、文化も、宗教も、言語も。
 それこそ、インカ文明やマヤ文明インディオ、あるいは北米大陸ネイティブ・アメリカン(インディアン)のように。
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 人類史・世界史・大陸史で、日本民族日本人ほど単一民族として古い歴史を持つ民族は存在しない。
 現存する世界の王朝・帝国・王国で、日本皇室・日本天皇家ほど古い歴史を持った一系男系の一族は存在しない。
 国家にせよ、民族にせよ、存在するのは偶然ではなく必要な意味がある。
 同時に、寿命があり、何時かは国家は滅亡し民族は消滅する。
 それが、避ける事ができない運命であり、宿命である。
 日本民族日本人と民族国家日本は「その時を迎えつつある」と、言う事である。
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 100年後には、移民系(主に中国系)日本国籍取得者日本人は日本民族日本人より人口で上回って多数派となる。
 未来の日本国民日本人は、日本民族日本人ではなく移民系日本国籍取得者日本人、つまり中国系日本人となる。
 中国共産党はそれを狙い、中国軍は極秘に動いている。
 それは、日本を占領しようとする中国の陰謀ではなく、中国の安全保障上の戦略である。
 つまり、陰謀などは存在しない。
 日本国内で中国系日本人が不利な立場に立たされたら、あるいは不利な立場にあると判断すれば、反日派敵日派の中国共産党と中国軍は同胞保護を名目として行動する。
 中国共産党は、反日敵日侮日教育を施した優秀な中国人工作員・スパイを移民・労働者として日本に送り込んでいる。
 中国の伝統的戦略とは、10年先や50年先ではなく、100年先、200年先といった息の長い、遠大な戦略である。
 日本人では、考えつかないし、思いもつかないし、対処できない。
 昔の日本人なら何とかできたが、現代日本人ではどうにもできない。
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 中国共産党は、安全保障戦略として尖閣諸島・沖縄・沖ノ鳥島小笠原諸島を狙い、経済戦略として北海道を狙っている。
 対日戦略の成功の鍵は、日米安保体制の解消と在日米軍及び国連軍の完全撤退、自衛隊の解体と日本の非武装化無防備化であった。
 そして、日本人共産主義者マルクス主義者)らの行動。


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ヘーゲル『精神現象学』の世界

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