🎺13:─2─東條英機は、初めての戦争回避提案(甲案と乙案)を決定し、正式の予備交渉を申し込んだ。1941年11月~No.71No.72No.73No.74  @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 転向右翼(隠れマルクス主義者)は、日米戦争を決断せず外交交渉で平和的解決を目指す東條英機首相に圧力を掛けるべく、単純細胞で思慮分別のない軍国主義者、国粋主義者民族主義者を動かして非難の手紙を大量に送りつけていた。
 国内事情も国際情勢も読めない視野狭窄の右翼や右派は、「開戦」という勇ましい言葉に煽られ冷静に考える事もできなくなり、集団ヒストリー状態となり、半狂乱となって東條英機を「裏切り者」「卑怯者」と汚く罵る手紙を送り続けた。
 革新官僚(隠れマルクス主義者)達も、対米戦に不安がる軍部(特に陸軍)に、安心して戦争が出来るように統計数値を改竄し、嘘の報告書を提出した。
 日本の空気は、開戦派によるブラック・プロパガンダによって対米英戦開戦へと大きく動いていた。
 昭和天皇A級戦犯達の力では、戦争へという時代の激流を止める事も、濁流の流れを平和へと変えることも出来ない所まで追い詰められていた。
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 A級戦犯東郷茂徳外相は、原理原則として一歩も譲らないハル4原則に憤慨していた。
 「この4原則を自分達は少しも守らないのに、我が日本にばかり押し付けてくる」
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 赤松(東条英機首相秘書官)「東條さんは首相になったらいろんなことがわかってきたらしい。これは戦時下のことになるのだが、ある時『近衛さんが開戦前に自分と対立したときの苦衷は今になってわかる』とつぶやいたことがあった。
 日本の上層部、とくに陛下を中心にしての権力関係、それは複雑な構造になっている。陸軍部内にもいろいろな勢力とつながっている人たちがいる。なぜ海軍は、自分たちの力ではアメリカと戦えないと言わなかったのか、彼らが一言ノーと言ったなら、戦争は陸軍だけでは決してできなかった。
 東條さんは確かに戦争の方向に引っぱったといえば、それは認めるけれど、つまりはいいように海軍に利用されたんじゃないかな」
 「東條さんは軍人としてはアメリカとの戦争やむなしとの側にいた。特に陸軍大臣のときはね。しかし首相になって、陛下から白紙還元を命じられて、いわば条件付き首相だった。それで強硬策から転じて戦争より外交に力を入れよ、となった。だがつまりはそうできなかった。これは君、負い目だよ、だからひとたび戦争になったら勝たなければ、との姿勢に転じたんだね」
 「これは開戦時の軍務課長だった佐藤賢了が戦後になって言ったことだけれど、東條内閣は白紙還元なのだから、それまでのすべてを御破算にして条件を一つ一つ調べていって、本当に日本は戦争ができるのかを問うべきだった。どういう結論が出たろうか。たぶん結論は同じで戦争になっただろうということだ。つまりはそれまでの思惑がなんらかの形で噴き出すからね。ということは、東條さんも個人としては必ずしも戦争を行いたかったわけではないが、しかし戦争を進める人たちの代弁役を担うことにならざるを得なかったんだ」
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 11月 日中軍戦力比。
 日本軍…中国戦線・68万人。満州・80万人。本土・37万人。
 中国軍…国民党軍・400万人以上。中国共産党軍及び抗日ゲリラ・不明。
 北支那方面軍司令官として着任した岡村寧次大将は、中国伝統の三光作戦とは正反対の三戒(焼くな、犯すな、殺すな)を訓示し、翌年には全将兵にも同様の訓示を行った。
 来栖三郎前駐独大は、特命全権大使として、アメリカとの戦争を回避する為にワシントンに向かった。
 中国は、アメリカが対独戦重視として軍主力を欧州戦線に投入し、日本軍を撃破する為の援軍を送らない事を恐れていた。アメリカから洩れ伝えられる和平交渉の行方に神経を尖らせ、戦争回避する為に日本への如何なる譲歩にも半狂乱となって反対した。
 財務省のホワイトは、スターリンの指示に従って、日本を戦争に追い込むべくハル・ノートの原案を作成して提出した。
 東京の外務省は、ホノルル領事館に、真珠湾の海軍軍港に出入りする船舶の情報を収集して 報告する様に要請した。アメリカ軍は、同極秘電文を傍受した。ワシントンは、真珠湾の陸海軍司令部にスパイ活動が行われている事を通報しなかった。
 ハワイの太平洋艦隊司令部も陸軍司令部も、ワシントンから対日交渉の進展状況や日本軍の行動についての情報は受けていなかったし、防衛強化の為の整備要請もなおざりにされていた。
 ビルマ植民地政府首相ウ・ソーは、ロンドンを訪れ、自治権拡大の請願の為にチャーチル首相やエイメリー植民地相と会談したが、何ら成果は得られなかった。 
 チャーチル「彼等に必要なのは、独立ではなく鞭だ」
 ルイス・アレン「もし独立の機会があるとすれば、それは一滴の石油も一粒のコメもとれなくなった時」
 ウ・ソーは、ビルマを植民地状態から解放する為に、ルーズベルト大統領に会う為にワシントンに渡った。白人優越主義者のルーズベルトは、面会を拒否した。
 ルーズベルト「大平洋憲章は、有色人種の為のものではない。ドイツに主権を奪われた東欧白人国家について述べたものだ」
 11月下旬 軍令部第一課の課長補佐クラスの高級将校は、第四課土井美二大佐に、日米開戦の場合の輸送船団の喪失船舶数を尋ねていた。
 日本海軍には、兵站輸送保護という思想がなかった為に、敵軍の攻撃による船舶喪失を計算した事がなかった。
 軍令部は、作戦がスムーズに行くように、第一次世界大戦における潜水艦の攻撃による輸送船団の船舶被害数をもとに都合よく算出した。
 ワシントンは、日本との戦争が近付いたとの判断で、上海に駐屯させていた第四海兵隊をフィリピンに引き上げさせた。
 同時に、中国に居住するアメリカ人に帰国するかフィリピンか中立地帯に移動するように要請した。
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 11月1日午前7時 東條首相と杉山元陸軍参謀総長が会談した。
 東條英機「御上の御心を、考えねばならない。日露戦争よりも、はるかに大きな戦争であるから、御軫念(天皇が心を痛めている)の事は、十分拝察できる。今開戦を決意する事は、到底お聞きにならないと思う」
 昭和天皇は、戦争よりも和平を切望していた。
 午前9時 大本営政府連絡会議は、翌日午前1時半まで16時間半開かれ、開戦か和平かで大激論が交わされた。
 A級戦犯東郷茂徳外相と賀屋興宣蔵相は、開戦には反対であった。
 永野修身軍令部部長は、開戦1年目と2年目の間は勝算があるが、3年目以降は予断が許せないと発言した。
 杉山参謀総長は、南方作戦で支那への支援路を遮断すれば、支那は抗戦を断念する公算が大であると述べた。
 統帥部は、和戦決定をせずに時間が経てば、備蓄している石油を消費して枯渇する恐れがあると主張した。
 東條英機「政府としては、統帥部が責任をもって言明しうる限度は、開戦後二ヵ年は成算があるが、第三年以降は不明であると言う事に諒解する」
 誰も、戦争に勝つと明言する者はいなかった。
 統帥部は、11月30日まで外交交渉を続けても良いと譲歩した。
 東條首相「12月1日にならないものか? 1日でもよいから、長く外交をやる事ができないだろか?」
 連絡会議は、外交打ち切りの日時を「12月1日零時」とする事を決定した。
 ルーズベルトは、日本を戦争に追い込む戦略をたてる為に、マジック情報の解読文の全文を届ける様に命じた。
 アメリカ陸軍情報部(MIS)は、日本との戦争が不可避となった為に、戦争準備作業として対日謀略戦準備を急いだ。
 MIS‥ミリタリー・インテリジェント・サービス。
 第四陸軍参謀第二部(G2)は、西部国防司令部本部が置かれているサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ(金門橋)脇にあるプレシディオ要塞の航空機用格納庫に、陸軍情報部語学学校(MISLS)を開校し、日系アメリカ兵に日本語教育を行った。
 陸軍首脳部は、日本との戦いには日本語が堪能な兵士が必要であるとの認識から、日系アメリカ人の忠誠度を疑いサボタージュの危険があるという反対意見を押し切り、忠誠を誓う二世の採用を決定した。
 だが。二世兵士の独立部隊を編成するか、黒人兵同様に軍隊内の一兵士として使用するか、運用方法は未定であった。
 アメリカ陸軍内には、伝統的な人種差別が存在し、黒人やアジア人は一般兵士志とは認められず汚い雑用を命じられていた。
 当然。白人以外の将校は存在せず、軍人エリートの職種とされたパイロットや船長にも白人以外ではなれなかった。
 白人兵士は、日系兵士を黒人同様に差別し、訓練と称して嫌がらせやリンチを加えていたていた。
 日本語学校の生徒は、日本語能力によって三クラスに分けられた。
 Aクラス‥帰米二世。アメリカ国籍を持つ二世で、日本に留学して高等教育を受けた日本語堪能者。
 Bクラス‥帰米者ほど語学能力はないが、一般会話ぐらいはこなせる者。
 Cクラス‥日本語が話せない者。
 戦後建てられた石碑「この建物は1941年11月から1942年4月迄、軍事情報部語学学校第1期生の教室だった。最終的には。6,000人の日系アメリカ人兵の卒業生が第二次世界大戦中、太平洋地域で彼等の祖国の為に勇猛に働いた。アメリカ合衆国はこれらの二世語学兵とその家族に報いる事の出来ないほどの恩恵を負っている」
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 11月2日 昭和天皇は、東條、杉山、永野に、作戦準備の重要を認めつつも外交交渉による打開を強く求めた。
 そして、対米英戦が起きた際に「収拾にローマ法皇を考えてみては、いかがかと思う」と述べた。
 だが、アメリカはプロテスタントで、イギリスはイギリス国教会で、両国におけるカトリック教会は少数派で影響力は弱かった。
 日本人には、カトリック教会もプロテスタントイギリス国教会も区別が付かなかった。
 昭和天皇は、東條英機首相に対して、不幸にも戦争となったら速やかにローマ教皇庁を通じた戦争終結の方策を検討してはどうかとい提案をした。
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 11月3日 参謀総長軍令部総長は、対米英蘭戦争の作戦計画を昭和天皇に上奏した。
 グルー大使は、ハル国務長官に、対外依存度の強い日本が如何に絶望的な経済制裁に屈服する事なく耐え、日本人のほぼ全員が国益と中国で生活する日本人居留民の生きる権利を守ろうとしているかの、近況報告をした。
 「多くの一流のアメリカ人経済学者が主張する『軍事的強国としての日本は、財政的・経済的資源の締め付けと、その結果として早晩訪れるであろうそれらの消耗枯渇の結果、崩壊する』という理論には、私はいまだ納得できない。この様な考察は無意味なうちに、日本が資本主義制度を採用しているという仮定に基づいている。現在、日本の通商の大部分が失われ、工業生産が甚だしく削減され、国内資源が枯渇してきている事は事実だが、彼らが予想した様な日本の崩壊は生じていない。その代わり日本は、政府の強力な経済統制でこの危機を凌いでいる」
 つまり。軍国日本は、チェコスロバキアの様に戦争を避ける為に国民を裏切り国土を売り渡すようなことはせず、国家的腹切りで一丸となって自殺的戦争を始めるだろうと警告した。
 だが。日本が中国から全面的に手を引くまでは、アメリカの国益に反する様な譲歩はするべきではないと、対日強硬策を提言した。
 国務省極東部は、アメリカの国益の為には中国との関係が最優先課題で、戦争で日本がどうなろうとも関心がなかった。
 ホーンベック国務省顧問「歴史上、自暴自棄で戦争を始めた国はない」
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 11月4日 野村吉三郎大使宛の東郷茂徳外相の電文「1、…2、…
 3、日米会談が開始された時、この会談がこれほど長引くと誰が想像したであろうか。我々はある種の了解に速やかに達しうる事を希望し、我々はすでに大いに譲歩し、譲歩に譲歩を重ねてきた。米国はこれに対応せず、最初と全く立場を終始固執した。我が国の朝野には米国の真意を疑う者が少なくない。我が政府はあらゆる屈辱的な事柄に我慢しながら繰り返し誠意を示し、米国に譲るところが極めて大きかった。こうした理由は、太平洋の平和維持のためにほかならない。アメリカ人の中には、我々の一方的な譲歩について誤解しているようであるが、ご承知の通り、それは我々の弱さにあるのではなく、我々の隠忍にもおのずから限度がある。……本大臣は、我々の全ての問題を、米国と平和的に解決できる事を希望する。それが我々との平和維持にとって、また全世界の情勢にとって、いかによりよき影響をもたらす冷静に考える事を衷心(ちゅうしん)から希望する」
 ハル国務長官は、東京からワシントンの日本大使館への、東條首相が和平交渉の為に最後の提案をするという暗号電報の傍受通信の報告を受けた。
 東條首相は、平和を切望する昭和天皇の期待に応えるべく、野村大使に全力で戦争回避の和平交渉に望むようにとの極秘電を送った。
 アメリカ側は、日本国内の好戦勢力に隠れて送られてきた東條極秘電を傍受していた。
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 11月5日 企画院鈴木貞一総裁は、大本営政府連絡会議で開戦後に推移する石油量予想を報告した。
 御前会議の席上。鈴木総裁は、「石油需給のバランス試算表」同様に戦争が可能な数値を列べた「物的国防の規模」と言う報告書を提出した。
 企画院が提出する数値全てが、戦争回避派の東條首相や東郷外相、賀屋蔵相らの期待を裏切るものであった。
 永野修身軍令部総長は、蘭印の油田を軍事占領し、その産油量を当てにすれば3年間は戦えるとした。
 東條首相は、戦争を避ける為に日本が譲歩できる条件をまとめて、国策遂行要領とアメリカに対する2種類の要求案(甲案・乙案)を決定した。
帝国国策遂行要領
「1)帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし、大東亜の新秩序を建設する為、此の際米英蘭戦争を決意し左記措置を採る。
 1.武力発動の時期を12月初頭と定め陸海軍は作戦準備を完整す。
 2.対米交渉は別紙要領に依り之を行う。
 3.独伊との提携強化を図る。
 4.武力発動の直前、タイとの間に軍事的緊密関係を樹立す。
 2) 対米交渉が12月1日午前零時迄に成功すれば武力発動を中止す。」
甲案
「1)保護主義による排他的ブロック経済体制が改められ通商の無差別原則が全世界に適用されるのであれば、日本は門戸開放の原則を受け入れて太平洋全域及び中国の市場を開放する事を承認する。
 2)日独伊三国同盟の解釈において、自衛権のみだりな拡大をしない事を明確化する。 参戦義務が発生したかどうかの解釈は、同盟国に影響される事なく日本政府が自主的に行う。
 3)中国からの撤退は、防共政策から、日本・中国間の平和条約成立後およそ25年を目途として駐屯する。華北及びモンゴルの一部と海南島に関しては、平和成立と同時に撤兵を開始し、2年以内の完全撤退を完了する。
 4)フランス領インドシナからの撤兵は、日中戦争が解決するか公正なる極東の平和が確立ししだい直ちに撤退する。」
 乙案
「1)日本・アメリカ両国は、仏領インドシナ以外の東南アジア及び南太平洋地域に武力進出を行なわない事を確約する。
 2)両国は、蘭領インドシナにおいて石油やスズなどの必要とする物資の獲得が保障される様に相互に協力する事。
 3)両国は、相互に通商関係を在米日本資産凍結(7月25日)以前の情況に復帰させ、この協定は3ヶ月間有効とする。
 日本は、南部仏印に進駐した部隊を北部に移動させ、北部仏印の駐屯部隊を2万5,000人以下に制限する。
 アメリカは、年間100万トンの航空機用揮発油の対日供給を確約する。
 4)アメリカ政府は、日本・中国の和平に関する努力に支障を与える如何なる行動をしない事。」
 以上の4点が成立すれば。日本政府は、日米間の基本合意がなくても、南部仏印進駐以前の状態に戻して和平交渉の成立の為にやり直す用意がある。
 同情報は、日本国内の情報提供者によってアメリカ側に伝えられた。
 統帥権で守られていた最高軍事機密情報以外の国家機密の大半が、アメリカ側に漏洩していたといわれている。
 大本営は、日米交渉の破綻を想定して連合艦隊に対米英蘭作戦準備を命じた。
 東條英機首相は、ワシントンの日本大使館に、撤兵の問題ではこれ譲歩できない所まで譲歩を重ねたと電報を打った。
 東郷茂徳外相は、素人の野村大使では日米交渉は荷が重いと判断し、和平実現の為にベテラン外交官の来栖三郎を特使として派遣した。
 大本営海軍部は、連合艦隊司令長官山本五十六に対して、大本営命令第一号を発した。
 スターク海軍作戦部長とマーシャル陸軍参謀総長は、ルーズベルトに、米英陸海軍秘密会議での参戦に関しての基本軍事諸政策決定事項を報告した。
 両国軍隊はナチス・ドイツを倒す為に全力を尽くし、ナチス・ドイツが倒れるまでは日本には無制限の攻撃を控える。
 日本との戦争が避けられないとしても、軍事作戦は防衛に徹して、領土保全しながら日本軍を弱らせ、日本経済を弱体化させる事を目的とするべきである。 
 そして、日本に対して先に最後通告を渡さない事。
 ルーズベルトとスチムソンらは、マジック情報で、日本は25日で交渉を打ち切る事を知った。
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 11月6日 ルーズベルトは、スチムソンに、日本との間で半年間は戦争が起きない様な条項を盛り込んだ休戦協定案を提起する事を相談した。
 スチムソンは、イギリスは今にも崩壊しそうな危機的状況にある以上、参戦的名目を与えてくれるであろう日本に対して戦争を遅らせるような妥協案を出す事に反対した。
 スチムソン日記「バニーバー・ブッシュがやてきて、全米科学研究開発局の極めて重要な秘密報告を、私に渡した。それは恐ろしいものだった」
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 11月7日 野村大使はハル国務長官と会見し、6ヶ月もの交渉が原理原則論の応酬だけで進展しない事に、国内世論はしびれを切らしている旨を告げて甲案を提出した。
 ハルは、暗号電報解読で、甲案の内容を熟知していたが素知らぬ顔で甲案を熟読したが、甲案には大した関心を示さなかった。甲案による交渉は不調に終わった。
 東郷外相は、甲案による交渉を25日までにまとめて調印する様に訓令を与えていた。 
 中立法修正案。介入主義者は戦争をアメリカ大陸に近付けない為の国家防衛法案であると主張し、孤立主義者は戦争をする為の戦争法案として猛反対した。
 ホワイトハウスで。ルーズベルトは、閣僚に対して「アメリカが日本を攻撃した場合でも国民の支持は得られる」と発言し、日本を追い込む為の戦術を協議した。
 参加閣僚は、「アメリカ国民は日本との戦争を支持する」であろうという認識で一致していた。
 スターク海軍作戦部長からハート海軍大将への書簡。「海軍はすでに大西洋で起こっている戦争に加わっているが、アメリカ(議会と国民)はこれに全く気がついていない様だ」
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 11月8日 FBIは、「アメリカ政府の上級職員が秘密文書をソ連に提供している」という報告書をホワイト・ハウスに提出した。
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 11月9日 ドノバン長官は、弁護士ロヴェルがトムゼン参事官から聞き出した情報をまとめてルーズベルトに報告した。
 「日本がアメリカと戦争するならドイツは直ぐに日本の後に続くだろう。アメリカは太平洋で効果的に戦う事はできない。アメリカは大西洋をガラ空きにして太平洋に総ての海軍力を注ぎ込むわけにはいかないからだ。
 もし、東京と横浜が爆撃されるなら、日本は必ずマニラを爆撃するだろう。
 ロシアが崩壊するなら日本は北樺太を占領するだろう。これは日本の石油事情を改善するだろう。というのも樺太からの石油供給量はかなりなもので、さらに開発する事ができるからだ。
 日本はアメリカ相手に時間稼ぎをしている。これは両国に関して同じで、アメリカもまたこれを利用して日本相手に時間稼ぎをしている。結局、極東に関して日本が呑める条件でアメリカが合意しなければ、日本は今後扼殺の脅威に晒される事になる。日本がアメリカによる扼殺を免れる為に解決を先送りすれば、日本は今よりも自由に振る舞えなくなる。というのも今はドイツが大英帝国アメリカの注意を引き付けているからだ。もし日本が解決を先送りするならば、アメリカが日本を扼殺するのはかなり容易になる。だから、望むと望まざるとにかかわらず、日本は今アメリカを攻撃せざるを得ない」
 日本が、アメリカの要求に従って、中国に持っている権益の重要部分を放棄する事は有り得ず、このまま解決できなければ石油禁輸が続けば日本の海軍艦艇も民間輸送船も動けなくなる。
 八方塞がり的に追い詰められた軍国日本が、解決する為に行動を起こさず無駄に時間を浪費しても得る所は何もなく、むしろ事態を悪化させ自滅するしかない。
 軍国日本には、死中に活を求めて戦争に踏み切るか、チェコスロヴァキアの様に全面降伏して自国が解体されるのほ傍観するか、二者択一しかなく、名誉重んずるサムライなら屈辱に耐えて生き残るより潔く死ぬ方を選ぶであろうと述べた。
 日本人は、中国人とは違うと。
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 11月10日 東郷外相は、グルー駐日大使に甲案の趣旨を説明し、交渉を促進する為に協力を要請した。
 チャーチルの演説。「アメリカが対日戦争に巻き込まれた場合は、イギリスは1時間以内に対日宣戦を布告するであろう」
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 11月11日 ルーズベルトは、対日戦準備完了までの時間が確保して欲しいとの陸海軍の要請に従って、日本との開戦を三ヶ月先に延ばす為に暫定協定案をまとめた。
「1)合衆国は経済的関係を再会する─現時点では多少の石油と米─後日、拡大する。
 2)日本はインドシナ満州国境、南部(蘭印・英領・シャム)の何処にもこれ以上部隊を派遣しない。
 3)日本は合衆国がヨーロッパで参戦しても、三国同盟を行使しない事に同意する。
 4)合衆国はジャップを中国と引き合わせ、話し合いを持たせる。ただし、合衆国は両者の協議に一切、加わらない。」
 中国は、一刻も早く日米全面戦争を開始させるべく、開戦を先延ばしにしようとする暫定協定案に、発狂したが如く猛反対した。
 アメリカもイギリスも、中国人の精神病患者の様な猛抗議に辟易として暫定協定案を断念した。
 東條首相や東郷外相等は、日米全面戦争を回避する可能性があれば、暫定協定案を受け入れる用意はあった。
 ノックス海軍長官とウェルズ国務次官は、国民に、太平洋で最悪の危機が訪れようとしていると警告を発表した。
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 11月12日 東郷外相は、クレーギー駐日イギリス大使にも日米交渉への協力を要請した。
 クレーギーは、戦争を回避する為に早速ロンドンに報告した。
 イギリス外務省は、アメリカの参戦を画策するイギリスにとって日米交渉には関心はなかった。日本寄りのクレーギーにいたく失望し、交渉はアメリカに任せてあると回答した。
 アメリカ海軍作戦部暗号解読班(OPー20ーG)のローレンス・サフォード大佐は、ルーズベルトに日本側の暗号電文を全て提出した。
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 11月13日 野村大使は、甲号におけるアメリカ側の反応を東京に伝えた。
 東郷外相は、乙案をアメリカが受け入れやすい様に修正する事を訓令した。
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 11月14日 ハル国務長官は、東郷茂徳外相が野村吉三郎と来栖三郎両大使に電送した日本暫定協定案・乙案を、マジック電で日本側の最終案であり、これ以降は開戦しかない事を自覚した。
 東條総理は、南部仏印及び華北以南からの撤退と自動参戦権がない事の表明で三国同盟からの実質離脱という提案で、アメリカ軍の蘭印進駐を阻止し対米戦を回避出来ると判断していた。もし日本提案を受け入れれば、東南アジアにおける対枢軸勢力の後退と共に円経済・金融圏が拡大し、各地の民族独立ナショナリズム運動を煽り植民地を西洋から無秩序的に独立させる恐れがあると警戒した。
 ルーズベルトは、「極東で戦争が起きそうか」との質問に「ノー」と答えたが、「日本との戦争は避けられるか」との質問には現時点では軽率な返答はできないと答えた。


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