🎺16:─2─フーバーFBI長官は、英MI5からの真珠湾奇襲情報をガセネタとして握り潰した。1941年12月5日~No.94 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 昭和天皇「さきの大戦の遠因を顧みるに、黄白の対立にあり」
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 ルーズベルトは、日本外務省暗号電報傍受・解読から軍国日本が戦争を決断した事は知っていた。
 軍諜報部の情報から、日本軍が攻撃してくる事を予想していたが、それが真珠湾であるとは信じなかった。
 真珠湾を攻撃するには、航空機でしかあり得ない。
 優生学の科学者は、日本人を科学的に分析し、「日本人は生態的に欠陥があって航空機は操縦できない」という報告書を提出していた。
 アメリカは、宗教的人種差別から日本人を下等人間と見下し、日本軍を甘く見ていた。
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 日本人は、アメリカ人に比べて体力など多くの面でに劣り勝てない事は分かっていたが、戦う事決断した。
 日本人は、個人的に生き残りたがい為に勝ち負にこだわるのではなく、家族・仲間・同胞への想いから四の五の言うのを止めて戦争を決断した。
 日本人は、軍部に騙されて戦争をしたのではなく、戦わざるをえないと覚悟して戦争を受け入れた。
 大人の常識を持っていた日本人は、アメリカに勝てない事は分かっていた。
 大人の常識を持たない日本人だけが、アメリカに勝てると確信していた。
 軍部に騙された日本人は、大人の常識を持たず子供の様な自己判断力がない低能者のみだけである。
 大人の常識を持つ日本人は、軍部に騙されてはいない。
 その意味に於いて、軍部に騙されていたと信じている現代日本人は、戦前の日本人に比べて大人の常識がない子供のような無責任な日本人という事になる。
 つまり、戦前の日本は軍部に騙されていたと確信を持って公言する傲慢な日本人は信用すべきではない。
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 日本軍にとって、真珠湾奇襲攻撃は先制攻撃の一つであり、マレー半島のコタバル奇襲上陸の方が時間的に先であった。
 日本軍機は、奇襲上陸の前に、南シナ海上空で哨戒飛行中のイギリス軍機を撃墜している。
 イギリスやアメリカは、シンガポールを攻撃する日本軍の大輸送船団がマレー半島に近付いてる事を知っていた。
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 12月5日 樺山愛輔は、グルー大使に、対米戦を決意した9月6日の御前会議の内容を伝え、「たった今、胸がむかつくような事を聞きました。今日はこのまま家に帰ります」と言い置いて立ち去った。
 アメリカ軍は、日本軍が開戦と共にどこを攻撃してくるかを連日協議し、フィリピンのマニラ湾とタイ・マレーを分けるクラ地峡への攻撃が予想されると分析していた。
 グルー報告にあった、ハワイ・真珠湾への攻撃は軍事的常識からして荒唐無稽で可能性が低いとされた。
 FBIは、北米・太平洋沿岸のアマチュア無線海上を移動する正体不明の無線を傍受しているという、幾つもの報告を受けていた。
 その真偽は今に至るまで不明であり、その情報がどうなったかも分からない。
 アメリカ軍が、日本軍の行動を掴んでいなかったとすれば、アメリカの情報収拾能力は低かったというしかない。
 真珠湾奇襲攻撃の成功は、日本の諜報・情報・宣伝能力がアメリカより優秀であったと言う事である。
 ドイツのリッベントロップ外相は、日本軍部に、ウラジオストックに陸揚げされているアメリカの援ソ物資を阻止するよう要請した。
 日本軍部は、ナチス・ドイツの圧力を黙殺し、戦時中もアメリカによる対ソ支援を黙認していた。
 マニラで。アメリカのアジア艦隊司令官とイギリスの東洋艦隊司令官は、日本軍との戦争が起きた場合を想定して海軍協力計画を策定するべく協議した。
 シカゴ・ディリー・トリビューン紙は、ルーズベルトの戦争計画を一面全紙で報道した。
 ホワイト・ハウスは、軍国日本が暴露記事を読んで攻撃を仕掛ける事を中止するのではないかと恐怖した。
 ワシントンの日本大使館は、暴露記事を東京に通報しなかった。
 アメリカ軍は、暗号解読でその事実を確認した。
 共和党孤立主義者は、「参戦はしない」と公約して当選したルーズベルトを「戦争を呼び込む火遊びをしている」と非難していた。
 空母レキシントンは、最新鋭艦8隻に護衛されてミッドウェー島に向かって出航した。
 ハワイ・真珠湾には、最新軍艦の姿はなく旧式戦艦など老朽艦のみが碇泊していた。
 その艦艇数は、太平洋艦隊兵力の半分強に過ぎなかった。
 東郷外相は、ワシントンの野村大使に、ハル・ノートに対する最終覚書を長文で打電する事を知らせ、アメリカ側に提示する時期を追電すると伝えた。そして、4月以来の困難なる外交交渉に感謝する電報を送った。
 大統領付海軍武官ビアドール大将は、日本の暗号を燃やせという秘密通信情報をルーズベルトに報告した。
 ルーズベルトは「で、いつ起こると思うか」と問い、ビアドール大将は「およそ、いつでも」と答えた。
 野村大使は、ハル国務長官を訪ね、インドシナに展開している日本軍はABCD諸国の軍事的脅威に対する予防の為であると説明した。
 ルーズベルトのウェンデル・ウィルキーへの書簡「情勢は間違いなく深刻で、もし、日本がフィリピン、蘭領東インドマレー半島ビルマへの展開を継続した場合、いつなんどき武力衝突が起きてもおかしくない。今後4、5日のうちに事を決するかもしれない」
 ワシントンは、東京のアメリカ大使館に対して、突発的な緊急事態が起きた時の準備として暗号や書類を破棄する様に指示した。
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 ヒトラーは、モスクワ攻撃の中止を命じた。
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 日本外務省は、12月6日(ワシントン時間12月7日)に、昭和天皇や軍部の強い要請を受けて、ワシントンの日本大使館に対して宣戦布告が遅れない様に「これから重要な電報を送る」というパイロット電報を打った。
 軍国日本は、「騙し討ちをする卑怯な国」という汚名を避けるべく適正な手立てを施していた。
 アメリカは、全ての暗号電報を傍受していた。
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 12月6日 日本軍部は、「日本の作戦の見地上、ソ連との戦争に入る事を絶対に避けなければならぬ時期の間は、充分にこれを実行できぬ事を諒承せられたい」と返答した。
 当時。アメリカは、ドイツ軍と戦うソ連を支援する為に、大量の軍需物資をウラジオストックに陸揚げし、シベリア鉄道でヨーロッパ前線に送っていた。
 ナチス・ドイツのリッベントロップ外相は、日本に対して援ソ物資の阻止を要求した。
 日本政府は、対ソ静謐の基本方針であるとして、阻止要請を拒否した。
 アメリカの軍需産業は、ユダヤ系国際金融資本から巨額の融資を得て大量の武器弾薬を生産し、アメリカ、イギリス、中国、ソ連などの連合軍に供給していた。
 マレー沖で、日本軍戦闘機はイギリス軍機を撃墜した。
 戦争は、この時から始まった。
 埼玉県北足立郡の大和田にある海軍第1550通信隊は、16:00時に、第一航空艦隊の近くで電波を発するアメリカ潜水艦を発見して軍令部に報告した。
 軍令部は、17:00時頃に、1550通信隊から緊急電を受け取り、第一航空艦隊が敵潜水艦に発見される恐れがあると緊張したが、方位測定の誤りという第二報を受けとって安堵した。 
 第一航空艦隊の旗艦である空母赤城は、1700時に、ハワイ北方の約1,290キロ辺りで無電を交わしあうアメリカ潜水艦2隻を発見した。

 ルーズベルト大統領より昭和天皇に対し、平和を志向し関係改善を目指すという親電が送られる。
 東郷外相、野村大使に交渉打ち切りを伝える「対米覚書」を訓令した。
 アメリカは、午後3時頃に、東京が諸外国の日本大使館に送った対米交渉の終了と国交断絶が近いという13項目の極秘電文を傍受した。
 暗号電報は、返書を「翌7日午後一時にハル国務長官に渡すように」との時間を指定し、日本大使館に暗号機の破壊を命じた。
 冷静に判断すれば、「午後一時」以降に、日本軍が何らかの軍事行動に出る可能性がある事に気付いたはずである。
 だが。真珠湾も、マニラも、その他のアジア・太平洋地区にある全てのアメリカ軍基地は警戒態勢をとる事なく、無防備であった。
 ルーズベルトは、同解読文を読んでハリー・ホプキンスに「これは戦争と言う事だな」「それにしても立派な記録が残った」と語った。
 ホプキンズ「間違いなく戦争になるのに、こちらが最初の一撃を加えられないまま、みすみす奇襲されるのを防げないのは残念です」
 ルーズベルト「いや、我々はそうする事はできない。民主主義の国であり、平和を愛する国だ。だが、我々の歴史に汚点は残らない」
 以前。来栖三郎特命全権大使が求めていた昭和天皇への平和を求める大統領親書を送る件を復活させ、アメリカは最後の最後まで戦争を回避する為に努力をしていたというアリバイ工作を行った。
 「天皇親書」を公表する事で、アメリカは最後の最後まで戦争を避ける為の努力をしていたと言う、歴史的免罪符を手に入れた。
 ホワイト・ハウスは、イギリスの要請に従って対独戦参戦を決定し、中国に味方する形でナチス・ドイツの同盟国日本を戦争に追い込む為に努力を続けていた。
 一部の国務省上級職員は、上司らの「参戦」という本心を理解せず、本気で日本との戦争を回避しようとして奔走していた。
 アメリカ大統領は、国民の総意で選ばれた以上、憲法で権限を制限された象徴天皇とは違って強力な権力を持ち、最高軍司令官として独自で決断し全軍に命令を発していた。
 アメリカ軍情報部は、傍受した「風・メッセージ」と同様に、上層部の命令で真珠湾に伝えなかった。
 後年。政府・議会・陸軍・海軍は、独自に真珠湾攻撃の責任糾明委員会を設置した。
 海軍翻訳班勤務のクレイマー海軍中佐は、メッセージ傍受の事実を証言しようとした。海軍上層部は、戦争遂行に障害になるとして、彼をベセスダ海軍病院の精神病棟に強制隔離し、如何なる委員会にも出席できないように命じ、メッセージ傍受を証言しないように強制した。後に、クレイマーは証人台に召喚さえたが、精神に異常をきたし発言は曖昧で一貫性を欠き証言に信憑性はないとされた。
 陸海軍首脳は、同メッセージが公に出ると戦争内閣であるルーズベルト政権の崩壊につながるとして、事実を公言しないように情報部関係者に箝口令を引いた。真実を証言しそうな部下に対しては、任意退役と年金停止と再就職の妨害をちらつかせて脅した。
 軍人は、上官命令が絶対で有り、最高総軍司令官の大統領に関係するとあっては命令に従わざるをえなかった。
 アメリカ軍は、日本軍同様に都合の悪い情報は隠蔽し、関係する部下全員に偽証を強要した。
 オーストリアからワシントンに、日本艦隊が真珠湾に向かっているという怪情報が飛び込んできた。
 ワシントンの海軍省に、アメリカ・アジア艦隊司令長官ハート大将とイギリス・極東艦隊司令長官フィリップス大将による対日戦争計画に関する「ABC」及び「ABD」の秘密協議での報告書が提出された。
 ルーズベルトは、チャーチルの督促に従って、大統領直属の組織として原爆開発製造のマンハッタン計画を正式に始動させた。
 「ドイツを倒すには有効な武器が必要で有り、それを我々は今掌中にしている」
 極秘軍事計画として、巨額の予算を使うにもかかわらず議会の承認を得ず、情報がナチス・ドイツなどに漏れない様にFBIや州警察や軍諜報機関を総動員して国民を監視した。
 アメリカは、日本以上に監視社会であり、表面的には自由がある様に見えて戦争勝利に為に国民の自由が制限されていた。
 知る権利が制限されていたアメリカ国民で、一部の科学に興味を持つ者以外は、原爆についての知識は無かったし、原爆開発の事実も全く知らなかった。
 チャーチル首相、マニラのフィリピン防衛司令部、オランダ領東インド諸島総督に伝えられたが、ハワイには直ぐには伝えなかった。
 ハワイの真珠湾は、マジック情報が伝えられずつんぼ桟敷に置かれていた為に、防衛体制が不十分であった。
 同6日夜 ルーズベルトは、ラジオ放送で昭和天皇に親書を送った事を伝え、アメリカは平和的解決に絶望せず戦争を回避する為の努力をしていると発言した。
 グルー大使は、命令に従って、天皇への親書を日本政府を飛び越えて宮内省に届けた。
 チャーチルは、英連邦自治領政府に対して、「不幸にして戦争にいたった場合、責任は日本の側にある」と話して団結を呼びかけた。、
 アメリ連邦議会は、特殊兵器(原爆)の開発予算として6,000ドルを許可した。
 ルーズベルト「さあ、我々は攻撃された。それについて疑う余地はない」
 ウォーカー郵政長官「ボスはここ数週間で一番、安堵していたようだ」
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 キンメルは、ハワイ近海における航空機による索敵を行おうとしたが、ワシントンの命令で中止した。
 もし、この時、北方海域に索敵を実行していれば日本機動部隊を発見することができた。
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 ハワイは、アメリカの保護領であったがアメリカの領土ではなかった。
 白人住民の人数よりも、ハワイ人と日系移民の人口の方が多く、正規の選挙をすれば白人候補が当選できなかった。
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 MI5リッデル副長官日記「アメリカは日本がタイに侵攻すれば、完全にイギリスをサポートする事を同意した。日本の軍艦に護送された輸送艦がタイに向かっている。侵攻は差し迫っている」
 イギリスは、アメリカを巻き込んだ対日戦開戦が目の前に迫っている事を知り、その時を固唾をのんで俟っていた。
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 12月6日午前10時ごろ(日本時間で7日) カイロのイギリス軍空軍本部。中東イギリス空軍司令官アーサー・ロングモアは、当地にオブザーバーとして滞在していたボナー・フェラーズに、軍事機密情報である「日本軍は24時間以内にアメリカを先制攻撃するという電報」を入手した事を伝えた。
 フェラーズは、日本軍がアメリカを攻撃するという情報をワシントンに通報するか迷い、その後どうしたかは不明である。
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 2014年12月8日 産経ニュース「【戦後70年】
 真珠湾奇襲、英MI5は知っていた 証拠の日記見つかる 007のモデルのスパイ暗躍 情報伝えられたFBI長官は…
 日本海軍の真珠湾攻撃により炎上して沈む米戦艦ウェストバージニア。奇襲攻撃の情報をFBIは握り潰していた可能性がある(ロイター)
 73年前の12月8日、日本は真珠湾を攻撃した。当時の日本の最高機密だが、英独の二重スパイが攻撃計画を事前に察知し、英MI5(情報局保安部)が把握していたことが、英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。MI5のガイ・リッデル副長官は日記に、スパイが奇襲4カ月前に独側から偵察を指示されたリストに真珠湾と米艦隊があったことを「われわれ(MI5)は所有している」と記していた。スパイの回顧録によると、米FBIにも奇襲を伝えたが、ジョン・フーバー長官が握り潰していたという。(編集委員 岡部伸)
 このスパイは、セルビア人のドシュコ・ポポフ。コードネームは「トライシクル」(三輪車)で映画「007」シリーズのジェームズ・ボンドのモデルの1人として知られる。
 リッデル日記によると、真珠湾攻撃後の1941年12月17日付に「『トライシクルの質問状』を今、われわれ(MI5)が所有している。これは8月にドイツ人たちが真珠湾について特別に関心を示し、可能な限りのあらゆる情報を入手したがっていたことを極めて明瞭に示している」と書かれていた。
 ポポフの回想録「スパイ/カウンタースパイ」によると、「トライシクルの質問状」は、ポポフが同年7月、ポルトガルリスボンで独諜報機関のアプヴェール(国防軍情報部)から「米国でスパイ網を組織せよ」との指令を受け、渡された調査リストだった。この中に真珠湾の米軍施設や米艦隊などが含まれていたという。
 ポポフは、アプヴェールの同僚から、1940年11月に英海軍が航空機でイタリアの軍港タラントを奇襲した攻撃手法に日本が関心を示していると聞いていたため、日本がタラント海戦に倣って真珠湾を攻撃すると推測したという。
 渡米したポポフは、FBIのニューヨーク支部長と面会し「日本が真珠湾を奇襲する可能性がある」と告げた。フーバー長官にも面会して進言したが、フーバーは二重スパイのポポフを信用せず、個人的に握り潰した。さらにフランス人のハリウッド女優、シモーヌ・シモンと交際し、高級ホテルやペントハウスで暮らす豪勢な生活を非難したという。
 「質問状」は書類だけでなく、ドイツが超高細密の印刷技術を使って開発した極秘の連絡手段「マイクロドット」としても手渡された。高倍率の拡大鏡で見ると微細な文字が判明する技術。ポポフはこれをFBIに渡し、英米は初めてドイツの革命的なスパイ技術の存在を知った。
 真珠湾を偵察する「質問状」は、明確な攻撃計画ではなく、奇襲の意図も明記していないため、日本の奇襲計画情報を入手して、米国に伝えたというポポフの主張は信頼性に欠けるとの見方もあった。
 しかし、その後、情報公開が進み、米国では「ポポフ真珠湾情報はフーバーに伝わったが、ルーズベルト大統領まで上げられなかった」とする論文も発表された。大戦中にドイツの「エニグマ」など世界各国の暗号を解読し、現在は博物館となっているブレッチリーパークでも「ポポフは奇襲4カ月前にリスボン真珠湾の『調査』情報を受け取り、MI5に報告し、FBIに伝えた。しかし、フーバー長官は、ポポフを嫌い、拒否。FBIのエージェントは敬意を払って関心を持った」とポポフ真珠湾情報を得て英米に伝えていたと公表している。
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【プロフィル】ドシュコ・ポポフ
 セルビアの裕福な家庭に生まれ、ドイツの大学を卒業後、弁護士となった。第二次大戦勃発後、ドイツのスパイとなったが、ナチス嫌いだったため、英MI5に引き抜かれ、二重スパイとなった。ノルマンディー上陸作戦で偽情報をドイツに流して作戦を成功に導いたことにより戦後、英国籍を得て英国王室から勲章を受けた。
 ギャンブル、女性好きで知られ、「007」のジェームズ・ボンドのモデルの一人とされる。コードネーム「トライシクル」は「女性2人とベッドを共にする習性」「部下を2人雇って3人で情報収集」などから命名されたといわれる。「007」原作者のイアン・フレミングポポフの監視役だった。
【用語解説】MI5
 英情報局保安部。英国内での外国スパイや共産主義者などの摘発、国家機密の漏洩阻止などのカウンター・インテリジェンス(防諜)を行う内務省管轄の情報機関。冷戦時代、ソ連のスパイ、キム・フィルビーら「ケンブリッジ5」を突き止め、大戦中は、日独の諜報活動に監視の目を光らせ、二重スパイを送り込み、欺瞞情報を流して勝利に貢献した。英国は他に外務省管轄の通称「MI6」、秘密情報部(SIS)を持つ。



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