🎺36:─1─ブラジル日本人移民達の「勝ち組」(信念派)と「負け組」(認識派)。1944年~No.171 @ 

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 2017年3月29日 産経ニュース「ブラジル移民船「旅順丸」の航海日誌見つかる 船上の暴動などつづる 4月に公開へ
 ブラジル移民船「旅順丸」の航海日誌。劣悪な食事に不満を持った移民たちの暴動について記録された部分
 明治43(1910)年に日本の第2回ブラジル移民事業で神戸を出港した移民船「旅順丸」の航海日誌が高知県立歴史民俗資料館(南国市)で見つかったことが29日、分かった。航海中の食事や船上での綱引き大会などが詳細に記録されており、同館の石畑匡基学芸員は「つらい航海でも楽しみを見つけていた移民のたくましさを感じる貴重な資料」と話す。
 日誌は、当時事業を手掛けた高知市の「竹村殖民商館」に勤めていた実業家山地土佐太郎が、同社への報告用に記したもの。43年5月4日に神戸港を出発し、インド洋を経て6月28日にブラジル・サントス港に着くまでの日々を便箋36枚につづっている。
 船には富山、岡山、高知、熊本などの出身者900人余りが乗船。船内での作業は県ごとに行われ、綱引き大会も県対抗で行われた。最大の関心事は食事で、普段は米に麦をまぜた飯を提供したが、5月23日に赤道を通過する際は赤飯を食べて祝ったという。
 同月26日には、南インド洋で生まれた男児に船長が「印南男」と名付けたことも記述。6月10日の欄には「移民ノ脅迫的騒擾」と題して、劣悪な食事に不満を持った移民たちが暴動を起こしたことを記録した。サントス港に着く直前の移民へのアンケートでは、航海中の楽しみとしてイルカを見たことが挙げられていた。
 移民史を研究している国際日本文化研究センター京都市)の研究員、根川幸男さんは「旅順丸の航海は、移民事業の継続のきっかけになり、ブラジルで巨大な日系社会が形成される基盤になった。その一端に触れる今回の資料は、移民史の空白を埋め、重要だ」と話している。
 昨年3月に別施設から歴史民俗資料館に移管された資料の中にあった。4月から資料館で展示し、同月販売する資料館の研究紀要にも掲載する。」
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 ブラジルでは、日本人移民達が「勝ち組」(信念派)と「負け組」(認識派)の二派に別れて、対立していた。
 1946年3月7日 対立は憎悪に変わり、勝ち組による負け組に対する幾つかの殺人事件が起きていた。
 ブラジル政府は、日本人の横暴に辟易した。
 7月30日 日本人は、ブラジル人を殺害した。
 ブラジル人1,500人以上が、日本人の店や家を襲撃し、日本人を襲った。
 ブラジル当局は、軍隊を派遣して暴動を鎮圧した。
 日本人に対するブラジル国民の感情は、最悪となった。
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 2018年12月14日号 週刊ポスト「ネットのバカ 現実(リアル)のバカ  呉智英
 約束の地と千年王国
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 今年はブラジル移民110周年でもある。入植者の辛苦はさまざまに伝えられているが、第二次大戦終戦期に起きた『カチ組・マケ組』事件は、重大かつ異様な事件でありながら今では二重三重に分かりにくくなっている。
 まず、カチ組とは入植に失敗して『人生に負けた』人たち、マケ組とは入植に成功して『人生に勝った』人たちである。成功者たちは、新聞やラジオで『情報を買う』余裕があり、祖国日本が戦争に負けたことを認識していた。それ故にマケ組。反対に、入植失敗者たちは情報を買う余裕はなく、祖国が勝ったと盲信していた。それ故カチ組。この二つのグループが血みどろの争いをくりひろげた。
 カチ組・マケ組騒動は1960年代までは日本でも報道され、狂信的ナショナリズムによるものと考えられた。しかし、1982年の前山隆『移民の日本回帰運動』は、全く別の視点を提示した。『千年王国』思想によるものだとする。これは『約束の地』と同種の思想で、苦しむ民衆のために神が準備した千年の平安の国、といういみである。
 約束の地にしろ千年王国にしろ、従来の政治学では論じられない『不条理な政治思想』だが、それがどうも歴史を動かしているらしい。北朝鮮帰国運動の実情解明にこうした視点も必要になるはずだ」



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