🎺46:─2─緑十字船阿波丸撃沈事件。沖縄戦。鈴木貫太郎内閣とルーズベルトの急死。1945年4月~No.213No.214No.215 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本民族日本人は、サムライの子孫として、日本民族の神話を信じ、自己犠牲で昭和天皇と皇室を守ろうとした。
 サムライの子孫でない日本人は、昭和天皇を殺して、皇室を廃止しようとした。
 サムライ日本人は、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)を守ろうとした。
 サムライと祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)は、一心同体である。
 サムライから神聖なる天皇を切り離したら、サムライは単なる病的な猟奇殺人鬼になる。
 サムライでない日本人は、祖先神・氏神信仰の象徴である祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)を蛇蝎の如く嫌った。
 天皇の祭祀は、祖先神・氏神崇拝である。
 日本民族日本人でない日本人は、祖先を神として祀る祖先神・氏神信仰に猛反対している。
 現代日本に、反宗教無神論者が増えているだけに、伝統文化を重んじるサムライ日本人は少ない。
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 日本民族日本人のみが、神の裔・昭和天皇を守ろうとした。
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 春。木戸幸一内大臣の姪の夫であるマルクス主義経済学都留重人は、外務省嘱託としてソ連を訪問した。都留は、ケンブリッジ大学時代に、アメリカの外交官となるハーバート・ノーマン共産主義研究会で知り合い深い関係にあった。
 戦後。ノーマンは、日本共産党幹部16名を府中刑務所から解放して、共産党の立て直しを支援した。ソ連のスパイとして告発されて、自殺した。
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 4月 大本営は、後がない本土決戦に勝利する為の決意として、全部隊に対して国土戦教令を通達した。
 「決戦間傷病者は後送せざるを本旨とす」
 「戦闘中の部隊の後退はこれを許さず」
 「徒手将兵は第一線戦死者又は敵の銃器をとり戦闘を遂行すべし」
 「敵は住民を殺戮し、婦女、老幼を先頭に立てて前進し我が戦意の消磨を計る事あるべし。かかる場合……敵兵撃滅に躊躇すべからず」
 アメリカ軍は、日本占領後に言論統制と宣伝工作を行うという「日本における民間検閲基本計画」を策定した。
 亡命科学者シラードは、ルーズベルトに、原爆使用を思い止まらせ様とした。アインシュタインは、エレノア大統領夫人に手紙を出す事をシラードに約束した。
 モロトフ外相は、佐藤尚武駐ソ日本大使をクレムリンに呼び、日ソ中立条約延期を拒否すると伝え、対日戦に参加する可能性がある事を指摘した。
 マッカーサーは、マーシャル参謀総長に、フィリピン攻防戦で日本軍の頑強な抵抗で多大なる被害を出しただけに、日本本土上陸作戦はソ連軍の参戦が前提であるとの書簡を送った。
 統合情報委員会は、日本を降伏させる為の報告書二通を統合参謀本部に提出し、無条件降伏の条件とくに天皇制度の処罰に関する緩和を要請した。
 「日本人と彼らの指導者に、絶対的敗北は不可避であるが、無条件降伏は民族の殲滅を意味しない事を確信させる事できるならば、日本の降伏を早期に勝ち取れるかもしれない」
 フィリピン、硫黄島等の攻防戦で甚大なる被害を出し、沖縄戦でも日本軍守備隊の抵抗で多くの死傷者を出し始めていた。
 アメリカ軍首謀部は、日本上陸作戦では更なる犠牲が予想された為に被害を最小に食い止める策を模索した。
 政府部内の反共産主義勢力は、本土上陸作戦を実行すれば日本軍のゲリラ戦で泥沼化に追い込まれ、ソ連満州を越して日本に侵攻して領土とする恐れがあり、結果としてアジアの共産主義化につながると警戒した。
 アメリカの対日強硬論の後退は、昭和天皇らの一撃和平論が成功した事を意味する。
 アメリカ海軍工兵隊は、テニアン島に原爆投下特別爆撃部隊専用の航空基地建設を開始した。
 延安で中共第7次全国代表大会が開催さた。
 毛沢東「たとえ、我々が全ての根拠地を喪失したとしても、東北(満州)さえあれば、それをもって中国革命の基礎を築く事が出来るのだ」
 中国共産党は、西洋とは違う東洋の共産主義国家建設に当たって、満州国の重工業を中心とした近代産業と「五族協和」及び「王道楽土」の国家理念を受け継いだ。
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 4月1日 緑十字船阿波丸撃沈事件。貨客船阿波丸は、病院船として徴用され、日本に向かってシンガポールを出港した。
 アメリカ海軍潜水艦クィーンフィッシュ号(艦長チャールズ・ラフリン中佐)は、台湾海峡を航行している阿波丸を発見した。
 阿波丸は、国際法に則り、船体を灰白色に塗り、舷側や煙突など六ヶ所に「緑十字」を描き、夜間航行中は明かりを付けていた。
 ラフリン艦長は、阿波丸が緑十字船である事を確認したうえで、撃沈し、一人の生存者を保護したが残りの乗員乗客2,019人を殺した。
 アメリカの軍法会議は、戦闘最中の悲劇で有り、日本軍が国際法を無視して赤十字船や緑十字船を兵員や軍需の輸送に悪用していると非難し、ラフリン艦長には戒告処分でかたづけた。
 この後も。連合軍は、日本軍は捕虜虐待を行っているとそプロパガンダをを繰り返し、赤十字の旗を出している日本軍の野戦病院を攻撃して、負傷者だけではなく軍医や従軍看護婦を殺害した。
 白人は、宗教的人種差別から、日本人をジュネーブ条約の対象から外していた。
 アメリカ海軍は、病院船であろうと、民間船であろうと、日本の艦船を見付けしだい容赦なく撃沈した。
 その考えで、都市の無差別絨毯爆撃や広島・長崎の原爆投下が行われた。
 アメリカ軍戦闘機は、漂流中の日本人に向けて機銃掃射して殺害した。
 GHQは、ジョージ・ワシントンの誕生日記念日の1946年2月22日に、阿波丸の生き残りを帰国させて口止め料として75万円を渡した。
 同じ日。幣原喜重郎首相は、閣議でGHQ民政局が押し付けてきた日本国憲法を受諾する決議をし、発表した。
 日本政府は、1950年に阿波丸の遺族に対して見舞金として一律7万円を支払った。
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 陸軍中野学校は、沖縄でゲリラ戦を行う為に兵役資格のない14歳から17歳までの少年を集めて「護郷隊」を編成し、万歳突撃などの玉砕を禁止して最後の一人になってゲリラ戦を続ける事を命じた。
 日本兵士や護郷隊らによるゲリラ戦は、9月頃まで沖縄北部に森林地帯で続いた。
 陸軍中野学校は、本土決戦と一億玉砕に備え、国内各地で少年等によるゲリラ部隊を編成した。
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 沖縄戦(〜6月25日) アメリカ軍は、沖縄に上陸する。 
 4月3日 マッカーサーは、日本侵攻を控え、統合参謀本部に対ししてアジア・太平洋地区の統一司令部を設立する為に軍隊の再編を要請した。
 ワシントンの背広組は、マッカーサーの力が強くなるのを恐れ、太平洋方面の軍隊の指揮系統を陸軍、海軍(ニミッツ提督)、空軍(アーノルド将軍)の三っに完全分割した。
 マッカーサーは、陸軍の指揮権を得たが、海軍と空軍への直接命令が出来なくなった。
 そして、日本本土に上陸して勝利するには、中国大陸の日本軍を釘付けにする為にソ連の参戦が不可欠であると、マーシャルに書簡を送った。
 「我々は、ソ連満州での行動を開始する以前に日本本土への侵攻をすべきではない」
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 4月5日 小磯首相は、繆斌による停戦工作は失敗して、失意の内に総辞職した。
 順送り人事として首相になった小磯国昭陸軍大将は、仕事らしい仕事をしないまま首相を投げ出した。
 東條英機の後継者として首相に指名された事が、A級戦犯として指名され、終身禁錮刑判決を受ける原因となった。
 拘置所の中で病死して靖国神社に合祀されたが、日本の反戦平和市民団体や中国や韓国は小磯の魂を合祀する事に猛反対した。
 靖国神社祭神の小磯国昭は、生前も、そして死後も、他に類のないほど不運な帝国軍人である。
 モロトフ外相は、佐藤尚武駐ソ大使に、1年後に期限が切れるソ日中立条約の破棄を通告した。
 「それ以来、情勢は根本的に変わった。ドイツはソビエト連邦を攻撃し、ドイツの同盟国である日本はドイツの対ソビエト戦争でドイツを援助している。それだけでなく、日本はソビエト連邦の同盟国であるアメリカ、イギリスと戦争をしている。このような状況では、日本とソビエト連邦の間の中立条約は意味を失い、条約の延長は不可能になった。以上述べた理由により、また条約の5年間の有効期限が切れる一年前までに廃棄する権利を規定した第三条に従い、ソビエト政府はここに日本政府に対して、1941年4月13日付の本条約を破棄する希望を声明する」
 ソ連は、独ソ戦と太平洋戦争が始まった時点で日ソ中立条約は無効で、本日を以て死文化した条約を破棄すると表明した。
 佐藤大使は、国際法に則って締結した中立条約は有効で、あと一年は効力を持つと食い下がった。
 モロトフは、ソ連は第三条の破棄の権利を主張し、両国関係は条約締結以前に戻っていると譲らなかった。
 佐藤大使は、今にも参戦しそうなソ連の強硬な態度に対して、筋道論を以てあと一年は有効であるとして譲らなかった。
 モロトフは、国際法上有効な中立条約を大国のエゴで破ろうとしている後ろめたさもあって、「5年間の条約有効期間の満了により、ソ日関係は条約締結以前の状態に戻る」と返答した。
 佐藤大使は、土壇場の所でソ連の即時対日戦参戦を食い止めた。
 ソ連は、対日戦準備が整うまで、破棄する事なく曖昧に存続させようとしていた。
 国際法上は、1946年4月まで日ソ中立条約は有効であった。
 スターリンは、国際法に基付いた国家間の正式な条約よりも、戦時におけるヤルタ合意の密約を優先した。
 戦時下では戦争の勝利が如何なる条約よりも優先されるとして、如何なる国際機関も批判はしていない。
 日本側は、中立条約は46年4月5日まで有効で、ソ連軍の軍事行動はないと確信していた。
 日本は、根っからのくそ真面目ゆえに外交音痴で、冷徹にして冷酷な国際常識を理解できなかった。
 ソ連軍は、欧州戦線の兵員や装備を極東に移す作業を急ピッチで進めていた。
 陸軍中央は、関東軍からソ連軍が大部隊を東送しているとの報告を受け、シベリアで新たな軍事行動に出る可能性があると分析していた。
 日本は、中立の立場にあるソ連を通じて和平工作を始めた。
 アメリカやイギリスは、日本がソ連ではなく、バチカンやスイスなどの中立国に和平工作の仲介を依頼する事を警戒していた。
 親ソ派革新官僚や協同主義派学者や進歩的知識人らは、敗戦後の国家再建を、アメリカなどの弱肉強食の市場原理が支配する資本主義諸国とではなく、ソ連などの労働者の楽園である共産主義陣営との援助で行おうとした。日本を共産主義体制国家に改造する事を使命とした彼等は、ソ連との接近を歓迎した。
 軍部中枢の統制派エリート将校団も、対米英との徹底抗戦の為に、ソ連との提携を深め、中国共産党との停戦を模索した。
 反帝国主義の観念右翼は、アジアを西欧列強の植民地支配から解放する為に、ソ連中国共産党との強力な軍事同盟を求めた。
 共産主義から転向した高度な教育を受けた知識人は、天皇への忠誠を誓って、役所や軍隊や民間団体に入り、その博学と指導力から各組織の幹部に就任していた。彼等は、コミンテルンの「敗戦革命」戦略に則り、共産主義革命が起きる前の早期和平に反対して徹底抗戦を国民に訴えていた。
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 4月6日 水上特攻として戦艦大和率いる艦隊は、沖縄に向けて出撃し、翌7日に大和以下四隻は撃沈された。
 海軍内和平派は、徹底抗戦派の継戦の望みを絶つ為に無傷で残っていた戦艦大和を葬る必要があった。
 航空主兵派は、空母部隊を失い、陸上航空基地から特攻隊を出しながら継戦の望みを失っていた。
 戦艦主兵派は、戦艦大和が有る限り、陸軍の本土決戦に協力して戦い抜く化古後で会った。
 和平派は、戦艦大和を犠牲にする為に、昭和天皇のお言葉を利用した。
 戦艦大和は、本土決戦の先駆けとなる為ではなく、戦争終結を促す為の人身御供とされた。
 敗戦が明らかとなった軍国日本は、如何に華々しく、負けっぷり良く、見事に負けきるかが重要であった。
 命を惜しんで中途半端に、惨めたらしく降伏する事は、将来の日本再生の為に絶対に避けねばならなかった。
 富岡幸一「大和が沖縄特攻をする事なく、そのまま敗戦をむかえ、米軍に捕縛され衆目のなか破壊されたとしたら、戦後の日本人にとって、この巨大戦艦そのものが大きな屈辱の記憶となったのは想像に難くない」
 同じ戦艦でも「長門の悲惨」は、「大和の悲劇」ほど日本人の琴線に触れず、鎮魂として悲壮と希望を持った物語として語り継がれる事はない。
 必死に大奮戦した末に轟沈した戦艦大和は、時代遅れの大艦巨砲主義の愚物であったが、日本民族が共に酒を飲みながら涙を流して語れるノスタルジーとしての不滅神話となった。
 民族的不滅神話を守るのが、靖国神社である。
 それは、ユダヤマサダ砦での集団自決に通じる崇高な精神がある。
 マサダ砦に立て籠もった約960人のユダヤ人も、軍国主義下の日本人も、「生きて虜囚の辱めを受けず」を固く信じていた。
 ユダヤ人と日本民族の決定的な違い。
 ユダヤ人は、万物を創世した、全知全能で最高善の体現者である、唯一の死ぬ事のない絶対神と信仰の契約をしていた。
 日本人は、人間と同じに失敗をし、酒を飲んで歌い踊り、笑い、泣き、怒る、清明心で正直に美しくありたいと思って生きている、死する八百万の神々を尊崇していた。
 日本の八百万の神々は、物事を深刻に悲観的にとらえてくよくよと思い煩い途方に暮れるが、考え疲れたら一転して、楽天的で享楽的となって過ぎ去った事は思い煩う事なく割り切って行動した。
 ユダヤ人は「信仰する民」であり、日本民族は「尊崇する民」である。
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 昭和天皇は、早期に戦争を終結させる為に、最も信用し頼りにできる鈴木貫太郎阿南惟幾の二人が内閣を組織してくれた事に安堵した。
 新たに陸相となった阿南惟幾は、8年間侍従長を務めた鈴木貫太郎と一緒に4年間侍従武官職にあった。 
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 4月7日 鈴木貫太郎内閣の誕生。
 鈴木貫太郎首相は、戦争終結を望む昭和天皇の懇願で首相を引き受けたが、極秘に終戦工作を始まる前に本心を偽って、本土決戦を準備している軍部の主戦派と1億総玉砕を覚悟している国民に向けて徹底抗戦を呼びかけた。
 昭和天皇「鈴木首相は、政治的技術においては近衛に及ばなかったけれど、大勇があったので、よく終戦の大業を成し遂げたのである」
 『鈴木貫太郎自伝』「軍人達は、皆『桜の散り際の如く潔く』死に、『悠久の大義に生きる』ことを考えている。しかし、『悠久の大義』とは何を意味するのであろうか。国家そのものが滅亡して、日本人の義が残るのであろうか。……もう、やめねばならない」
 東郷茂徳A級戦犯靖国神社)は、日本を破滅から救うべく、戦争終結交渉を行う事を条件として外相を引き受けた。
 朝鮮系日本人の東郷茂徳は、平和の為に奔走していた。
 戦後。中国や韓国・北朝鮮アメリカは、平和の為に持てる力を出して努力した東郷茂徳軍国主義者と決め付け、靖国神社からその霊魂を追放せよと訴えている。
 鈴木首相と宮中グループは、戦争終結の為に、スエーデン工作、スイス工作、リスボン工作、ヴァチカン工作など幾つかのチャンネルを、公私取り混ぜて模索していた。
 幣原喜重郎「外交交渉に当たる者の任務は、如何にして相手を欺瞞するかにある。国家は極端なエギストであり、そのエゴイズムが、最も狡猾で悪辣な狐狸となる事を交渉相手に要求する。虚々実々、千変万化、交渉の舞台裏を覗き見れば、何人も戦慄を禁じざるをえないだろう」
 外交交渉においては、生真面目で嘘がつけないような正直者では役に立たず、誠心誠意で、相手の話を聞き、相手に配慮して話をまとめようとする人が好い者は有害なだけである。
 外交交渉とは、国家のエゴのみを追求する騙し合い、嘘の応酬である。
 軍部は、小野寺情報「ヤルタの米英密約」と4月の日ソ中立条約廃棄通告から、ソ連参戦は避けられないという予想を立てていた。
 鈴木首相は、昭和天皇から終戦成立を求める極秘の示唆を受け、迫水久常書記官長に戦争継続が可能かどうかの調査を命じた。
 最も重要な情報は、陸軍・関東軍の「ソ連ナチス・ドイツを屈服させたら、軍隊をソ満国境に移動させて9月頃に侵攻してくる」であった。
 国體護持、天皇制度を守るには、ソ連が参戦してくる9月までという期限が出された。
 鈴木首相は、徹底抗戦派を誤魔化す為に各地に総監府を設置したが、目的は本土決戦ではなく秩序ある停戦を実現する為であった。
 陸軍参謀瀬島龍三は、迫水書記官長に早期講和を意見具申した。
 「あらゆる角度から研究しても、もはや勝機はない。だから速やかに終戦の方向に進むべきだ」
 陸軍の一部は、ソ連を通じての和平工作を計画していた。
 鈴木首相は、誰を仲介にたても、問題はアメリカが日本が希望する和平条件を受け入れてくれるかである事を知っていた。
 その為にも、国内外に向けて徹底抗戦の決意を知らしめるべく強硬発言を繰り返していた。
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 4月11日 東京にあるソ連軍諜報部は、日本政府内部の協力者から得た情報として「新しい内閣は、軍事情勢の著しい悪化と国内状況の恒常的悪化にかんがみて、日本を戦争から救い出す条件を作り出す事をその目的としている」
 チャーチルは、ルーズベルトに対して、スターリンポーランド問題でヤルタ合意に違反しているとこ抗議の書簡を送る事を送る事を提案した。
 ルーズベルトは、ソ連軍の対日戦参戦を得る為に「公然と非難する事は避けるべき」であるとしてチャーチル提案を拒否し、対ソ協調路線の変更を認めなかった。
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 首相秘書官松谷誠大佐は、極秘に阿南惟幾陸相に「ソ連を仲介として戦争終結を図る」と言う自説を述べた。
 阿南陸相は、戦争終結を目指す事に同意した。
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 4月12日 ルーズベルトは、アレン・ダレスの極秘和平交渉に抗議するスターリンの手紙に対して返事を書いた。
 「その事はもう過去のことになりました。この種の相互不信や誤解は二度と起きてりはなりません。ソ連軍とアメリカ軍が十分に協調して攻撃をかければ、ナチ軍の崩壊は間違いありません」
 ルーズベルトの趣味は切手収集であり、特に清朝時代の古い切手に対する愛着はひとしおであった。
 ルーズベルトの中国に対する親近感と日本への憎悪は、家系が中国の阿片密売貿易で莫大な財を築いた事に関係していた。
 戦争を止めるかどうかは、追い詰められた国ではなく、追い詰めている国が決める事である。
 つまり。戦争終結の決定権は、アメリカやソ連ににあるのであって日本やナチス・ドイツにはなかった。
 白旗を旗げ、武器を置き、両手を挙げ、戦う意志はないとして陣地から出て降伏を申し込んでも、それを認めるかどうかは銃を向けている者の気持ち一つであった。
 軍国日本が降伏を申し込んだとしても、連合国軍が降伏を認めて攻撃を止めるとは限らなかった。
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 ルーズベルト大統領が、急死した。
 「日本人は頭蓋骨の形状が欧米人と異なる劣等民族であり、彼らが世界を征服する為の侵略戦争などという暴挙を企てるのは、この様な劣等遺伝子のなせしめるわざである」
 ルーズベルトは、日本嫌いの人種差別主義者として、日本人を根絶やしにする為に原爆投下を命じていた。そして、諸悪の根源である天皇制度の廃止と昭和天皇を戦犯として処分する事を望んでいた。
 ルーズベルトの祖先は、中国貿易で、アヘン密売と中国人苦力輸送で富と名声を得ていた。
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 鈴木貫太郎は、終戦工作を成功させる為にアメリカの反日感情を好転させるべく、ルーズベルト大統領の死亡に哀悼の意を伝えた。
 日本は、国家の崩壊と民族の死滅を避ける為に、友好国ソ連を通じて終戦工作を絶えず行っていた。
 血気盛んな将校達は、「敵将に弔意とは何事か」と詰め寄った。
 鈴木首相は、「君らも武士だろう。武士が敵将の死を悼むのは武門の習いではないか」と諭して。
 ワシントンの高官やアメリカ軍の高級将校等から、日本の新政府は和平を望んでいるらしいと考える者だ出はじめた。
 トマス・マン「れは驚くべき事ではないでしょうか。あの東洋の国では、騎士道精神がいまも残っている」
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 トルーマン副大統領は、聖書に誓って大統領に就任した。
 トルーマンは、大統領に就任するや、反共政策として、ルーズベルト政権内のニューディーラーら進歩派を政策決定の場から締め出し、一部の幹部を除いて辞職する様に圧力を掛けた。
 「ドイツ降伏三ヶ月後、ソ連は対日戦に参戦する」というヤルタでの連合国3巨頭会談は、トップ・シークレットとして、トルーマン大統領に
ポツダム会談直前まで知らされなかった。
 さらに、OSSの「天皇制度廃絶という『日本解体計画』」などの謀略を知るや激怒して、OSSの解体を命じた。
 「この連中が戦争でもなんでも始めてしまう」
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 統合参謀本部議長ダニエル・リーヒ提督は、大統領など限られた要人しか知らない国家最高機密であるヤルタ議定書と原爆開発関連資料を新大統領のハリ−・S・トルーマンに手渡した。
 その内容は、副大統領であったトルーマンでさえ知らされていなかった。
 当時の国務省は、国體護持を約束して早期に戦争を終結させようとする親日派のジョゼフ・グリー国務長官代理と、無条件降伏の原則を主張する反日派のディーン・アチソン国務次官補やアーチボルド・マクリーシュに分かれて、対日政策の主導権争いをしていた。
 国務長官エドワード・スティニアスは、どちらにもつかず中立の立場をとっていた。
 ヤルタ極東密約が公になるや。
 親日派は、ソ連に有利、日本に不利、アジアの共産主義化、を理由にして見直しを迫った。
 反日派は、軍国日本に勝利して戦争を終わらせる為にはソ連対日参戦は不可欠である以上、ヤルタ密約に従って日本の領土の一部をソ連に割譲するべきであると主張した。
 駐ソ大使のアヴェレル・ハリマンは、スターリンポーランド問題でヤルタ協定に反した行動を行いつつあると報告し、ソ連共産主義陣営は信頼できるパートナーではないと警告した。
 前駐ソ大使のジョゼフ・ディヴィスは、たとえソ連が裏切りヤルタ協定に反しようとも、ルーズベルト前大統領同様にスターリンを信用し、信頼でソ連を動かすべきであると進言した。
 トルーマンは、これまで国際政治はもちろん国際外交にも関心がなく来た為に、突然の重責に戸惑った。
 さらに、ミズーリ州インディペンデンスの片田舎の弁護士出身で大学すら卒業していなかった為に、超有名大学出身のエリートで固められている国務省幹部とはなじめていなかった。
 トルーマンは、ワシントンのエリート集団への劣等意識から彼の助言を得るよりも自分の考えで行動した。
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 在欧日本大使館の陸軍武官達は、東京の参謀本部に、ソ連が対日戦参戦を計画しているとの秘密電報を送っていた。
 参謀本部も、ソ連が対日戦争に参戦する可能性がある事を伝えた。




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