🎺51:─4─ポツダム宣言から昭和天皇の身の安全と皇室の存続を保証する条項が削除された。1945年7月26日~No.249 @ 

ポツダム宣言と軍国日本 (敗者の日本史)

ポツダム宣言と軍国日本 (敗者の日本史)

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 軍国日本が最低条件として求めていたのは、国體護持(昭和天皇の安全と天皇制度の存続)のみであった。
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 アメリカは、昭和天皇の身の安全と天皇制度存続を保障すれば、軍国日本が降伏して、戦争が終結する事を知っていたが、原爆投下実験を最優先とした。
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 軍国日本が拒否するように、ポツダム宣言から昭和天皇の身の安全と皇室の存続を保証する条項が削除された。
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 コーデル・ハル国務長官は、強硬な天皇制度存続反対論者として、反日派のルーズベルト前大統領の意志を継いで「無条件降伏」を貫くべく、バーンズに「立憲君主制を認める」条項の削減を求める電話をした。
 バーンズ国務長官は、グルー国務次官の天皇制度容認要請を退け、スチムソン陸軍長官の「現在の皇室の下での立憲君主制」を保障するというと「天皇条項」を削除した。
 連合国は、天皇制度存続を曖昧にしたままで、軍国日本に戦争終結の機会を与えるというポツダム宣言を決定した。 
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 戦争終結の選択肢は、勝利を目前とした勝者のアメリカにあって、敗北寸前の軍国日本にはなかった。
 日本が降伏を連合軍に受け入れさせる方法は、昭和天皇の処分にかかっていた。
 1,ロシア革命のように、昭和天皇を退位させ監禁して臨時政府を樹立する事。
 2,ドイツ革命のように、昭和天皇を国外に追放するか亡命させる事。
 3,フランス革命のように、昭和天皇・皇后を処刑し、天皇派を追放するか粛清する事。
 国際社会は、昭和天皇を存続させたままでの降伏を絶対に認めようとはしていなかった。
 ドイツは、ヒトラーが自殺して無条件降伏を認められた。
 イタリアは、ムッソリーニをリンチの末に惨殺して無条件降伏を許された。
 日本が無条件降伏できるのは、国民が昭和天皇を処刑するか、監禁するか、追放するかの何れしかなかった。
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*『ポツダム宣言』(ワシントン時間7月26日)
 降伏勧告案(ポツダム宣言)第12条「現在の皇室のもとにおける立憲君主制を排除するものではない」という条項は、削除された。
 親日派のジョセフ・グルー国務長官代理の部下であるユージン・ドゥーマンは、日本に早期降伏を促す為にポツダム宣言を起草した。
 国務省内の反日派は、昭和天皇を助け日本に厳罰を与えないポツダム宣言に不満であった。
 反日派は、グルーが国務省を去る事を望んでいた。
 ワシントン時間26日午後4時 ドイツでトルーマン大統領は、「昭和天皇の安全」と「皇室の存続」を保証する文言も回答の期限もない、曖昧な共同宣言「ポツダム宣言」を発表した。
 日本が和平への望みを捨て抗戦を続けられる様に、意図的にソ連を外しスターリンの署名を省いたのであった。
 ポツダム宣言は、国際法に基ずいた正式な外交チャンネルではなく、アメリカ戦時情報局の対日謀略宣伝用ラジオで敵国日本に放送された文書である。
 宣言文は、正式に降伏を要求する内容ではなかったし、受諾しなければ原爆を投下するという警告でもなかった。
 アメリカは、日本が原爆投下前に降伏できない様に、国家元首昭和天皇の安全と祭祀王家・皇室の維持を保証しなかった。
 ワシントンの統合参謀本部は、7月31日以降で天候が良ければ原爆投下を実行する様に、テニアン島の陸軍戦略航空隊司令部に命じた。
 トルーマンは、午後7時頃、記者団にポツダム宣言のコピーを配布した。
 トルーマン日記「我々は多くの人命を救う為に、ジャップ(蔑称)に降伏した方が良いという警告を発するであろう。私は彼らが降伏しない事に確信がある。しかし我々は彼らにチャンスを与えるであろう」
 バーンズは、発表直前にモロトフにもコピーを手渡した。
 モロトフは、ポツダム宣言の内容は日本に甘すぎると猛反対し、ソ連独自の共同宣言草案を用意してあったし、スターリンの署名のない宣言文に驚愕して発表を2.3日延期する事を要請した。
 バーンズは、延期要請を拒否した。
 トルーマンは、モロトフが同意しなかった事を理由にしてソ連を外す事とした。
 スターリンは、日ソ中立条約を無効にする為にポツダム宣言最終案への署名を希望していたが、対日戦争に参加していないとして排除された。
 ルーズベルトであったならば、ヤルタ密約で行った様に、スターリンの苦境に配慮して中立条約を無視して参戦する様に要請していた事であろう。
 トルーマンは、モロトフを通じてスターリンが要求したソ連参戦の要請する文書を渡す事に同意した。
 ウォルター・ブラウン日記「日本に対する共同メッセージが発せられる。これは原爆への序曲である」
 ポツダム宣言において、日本の領土は北海道・本州・四国・九州並びに占領国が決めた諸小島に限られると定めた。
 アメリカ軍は、占領下にある尖閣諸島を台湾の一部ではなく琉球の一部とし、日本領である事を認めていた。
 蒋介石は、中国共産党との内戦の為にアメリカからの軍事支援を得るべく、領土問題における決定に対して異義を唱えず、尖閣諸島を日本領と認めた。
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 ソ連が、ポツダム宣言に署名しなかったのは日本と戦っていないからではなく、対日参戦を軍国日本に悟られ関東軍に防衛体制を整えさせない為であった。
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 ポツダム宣言は、国家の無条件降伏ではなく、日本軍の解体と軍隊の全面武装解除を求めていた。
 幾つかの修正が加えられていた。
 1,「日本国民」から「日本政府」に。
 2,占領は、「日本国領土」から「連合国が指示した日本領土内の諸地点」に。
 3,「日本国民の間における民主主義的傾向を支持し、強化すべし」から「日本国政府は日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去すべし」に。
 政府が崩壊したドイツとは違って日本の政府を認め、直接統治から間接統治に変更した。
 東京時間27日午前6時から7時にかけて。
 日本外務省の二つの傍受機関はもとより、陸海軍の中央通信隊や受信装置を持った各前線部隊は、ポツダム宣言放送を受信した。
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  『ポツダム宣言条文』 全訳
「日本の降伏の条件を定めた公告
 (1) 我々、米合衆国大統領、中華民国主席及び英国本国政府首相は、我々数億の民を代表して協議し、この戦争終結の機会を日本に与えるものとする事で意見の一致を見た。
 (2) 米国、英帝国及び中国の陸海空軍は、西方から陸軍及び航空編隊による数層倍の増強を受けて巨大となっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。 (3) 世界の自由なる人民が立ち上がった力に対するドイツの無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人民に対しては、極めて明晰な実例として前もって示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力、すなわち全ドイツ人民の生活、産業、国土を灰燼に帰せしめるに必要だった力に較べて計り知れぬほどに大きい。我々の決意に支えられた我々の軍事力を全て用いれば、不可避的かつ完全に日本の軍事力を壊滅させ、そしてそれは不可避的に日本の国土の徹底的な荒廃を招来する事になる。
 (4) 日本帝国を破滅の淵に引きずり込む非知性的な計略を持ちかつ身勝手な軍国主義的助言者に支配される状態を続けるか、あるいは日本が道理の道に従って歩むのか、その決断の時はもう来ている。
 (5) これより以下は我々の条件である。条件からの逸脱はないものする。代替条件はないものする。遅延は一切認めないものとする。
 (6) 日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、全ての時期における影響勢力及び権威・権力は排除されなければならない。従って我々は、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。
 (7) そのような新秩序が確立せらるまで、また日本における好戦勢力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、当初の基本的目的の達成を担保するため、連合国軍がこれを占領するものとする。
 (8) カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及び我々の決定する周辺小諸島に限定するものとする。
 (9) 日本の軍隊は、完全な武装解除後、平和で生産的な生活を営む機会と共に帰還を許されるものする。
 (10) 我々は、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、我々の捕虜を虐待した者を含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。
 (11) 日本はその産業の維持を許されるものとする。そして経済を持続するものとし、もって戦争賠償の取り立てにあつべきものとする。この目的のため、その支配とは区別する原材料の入手はこれを許される。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加はこれを許すものとする。
 (12) 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする。
 (13) 我々は日本政府に対し日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、かつそのような行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する。もししからざれば日本は即座にかつ徹底して撃滅される。」
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 戦争責任を、昭和天皇、日本政府、日本国民ではなく日本軍閥軍国主義者にあるとした。
 前者を加害者とし、後者を被害者として、明解に区別した。
 連合軍は、日本政府に対して降伏する条件として日本軍のみの無条件降伏を求めた。
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 日本側は、ポツダムで国際会議が開かれている事を知っていたが、同宣言文が戦術的プロパガンダで使用されている民間短波放送であっただけに、公文書とする事には慎重であった。
 日本政府は、ポツダム宣言スターリンの署名がない事に注目し、昭和天皇の安全と皇室の存続を保障しないポツダム宣言を受諾しなくても、有利な条件で戦争終結する為にソ連に仲介を申し込めるとの希望を再確認した。
 和平派は、昭和天皇の安全と皇室の存続につい言及していないが、無条件降伏が国家ではなく日本の軍隊に変更されている事に望みをつないだ。
 外務省の総意は、宣言を受諾すも拒否するも明言を避け、態度を曖昧にして様子を伺うべきであると結論付けた。
 松本俊一外務次官は、一部に問題があっても無条件降伏の条件を明らかにしている以上、ポツダム宣言を受諾すべきであると主張した。
 渋沢信一条約局長と安藤義良政務局長は、昭和天皇の安全と皇室の存続を明らかにしていないとして慎重に対応する様に発言した。
 東郷外相は、皇居に参内し、連合国側の無条件降伏の内容が分かった以上、この宣言文を元にしてソ連との交渉を進めると、昭和天皇に奏上した。
 昭和天皇も、ポツダム宣言文を取り寄せて独自に分析し、戦争を終結させる為に東郷の対ソ仲介要請を推進するという提案を承認した。
 徹底抗戦派は、スターリンの署名がない事で、本気でソ連は戦争に参戦しないとの意固地的な盲目的観測に固執した。
 宣言を傍受した各前線部隊司令部は、本土決戦を前にして日本軍の士気を砕くプロパガンダであるとして、中央に対して断固拒否の意見具申を行った。
 最高戦争指導会議。東郷外相は、ポツダム宣言は「日本軍の無条件降伏」という条件付降伏を呼びかけている以上、戦争終結交渉を続ける為にも発言を慎むべきである発言した。
 阿南陸相、梅津参謀総長、豊田軍令部総長ら軍部は、国民に徹底抗戦の覚悟を促す為にも拒否声明を出すべきであると主張した。
 政府と軍部は、宣言文が、短波放送で流された以上は国民にも知れ渡っているとの判断から、国民には修正なしで全文を新聞に発表する事を決定した。
 徹底抗戦派は、本土決戦を控え、「国體護持」が保障されていない内容を国民に知らせ、玉砕の覚悟をさせる為に公表に反対しなかった。
 佐藤大使は、東郷外相に、ソ連を仲介者として戦争終結を図る事は愚かな行為であると意見具申し、BBC放送がスターリンの対日戦討議に参加した事を報じていると伝えた。
 重慶のハーレイ駐中アメリカ大使は、トルーマンの指示に従ってペトロフソ連大使と会談し、ソ連の対日戦参戦を可能にする為に一刻も早く蒋介石との間での、ヤルタ合意に基ずく中ソ条約を締結するよう要請した。
 正午頃 迫水書記官長は、記者達との情報交換としてポツダム宣言に関する会見を行った。
 席上。迫水は、「日本としては此を直ちに受諾するという態度は取れない。だからまあ、ニグレクト(放っておく)する方向になる」と曖昧な表現を使った。
 読売新聞や毎日新聞は、翌日の朝刊で、刺激性の薄いあやふやな表現として「笑止」と報じた。
 朝日新聞だけが、より過激な表現を使用して「政府は黙殺」と報道した。
 迫水久常「首相はノーコメントといいたかった。とこが当時は英語禁制の世で使えない。やむなく黙殺とも取れる言葉を使わざるを得なかった」
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 同盟通信は、「イグノア(無視)」と報じた。
 アメリカは、「リジェクト(拒否)」と受け止めた。
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 日本政府は「黙殺」と発言していなかったが、一部の新聞が戦意昂揚の為に無責任に報道した事であった。
 昔も、今も、日本の報道機関は新聞や雑誌を売り、視聴率を増やす為に、ややもすると無責任な情報を発信している。
 その為に、日本の報道機関は国際報道では信用度が低い。
 鈴木首相等が戦争終結交渉の好機として待ち望んだのは、ソ連の参戦でああった。
 徹底抗戦派は、ソ連の参戦を否定し、アメリカ軍を本土に上陸させて打撃を与える事を主張していた。
 軍部内の和平論者は、ソ連を通じた交渉に望みを託していた。
 ソ連参戦が戦争終結の鍵であったが、同時に危険な賭でもあった。
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 政府と軍部首脳部は、極秘で行っている早期停戦交渉が、軍部内の徹底抗戦派に知れるとクーデターが起きる事を恐れがあった為に、「受諾」も「拒否」もはっきり言えず「黙殺」と発言した。
 昭和天皇は、国民にこれ以上の犠牲者を出さない為に、早期に戦争を終結させる軟着陸を求めていた。
 連合軍は、軍国日本が戦争を止める手段として、ソフトランディングではなくハードランディングを強要とした
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 7月27日 東郷茂徳外相は、昭和天皇に、ポツダム宣言の受諾を拒否するとの意思を表示すると重大な結果を惹起する恐れがあり、戦争の終結についてはソ連を仲介として交渉に当たる事が適当と、奏上した。
 昭和天皇も、ポツダム宣言の受諾はやむを得ないと判断したが、ソ連仲の終戦交渉の結果を待つ事とにした。
 徹底抗戦派は、鈴木首相に対して、ポツダム宣言を拒否するというハッキリした表明を出さなければ、本土決戦準備を行っている軍隊の指揮に悪影響を及ぼすと圧力を加えた。
 鈴木首相も、降伏するにしても、戦意を失った惨めな敗残兵としてではなく、旺盛な戦意をもった戦士としてその時を迎える事が好ましいとして、徹底好戦派の意見を受け容れた。
 原爆投下実験を成功させる為の、リーフレット心理作戦の開始である。
 投下予告ビラは、日本人に降伏を呼びかける「日本国民に告ぐ」のプロパガンダ文と12の都市名が記載されていた。空爆は、予告された内の4都市に翌日の夜中に実行された。
 爆撃を予告された都市の中には、原爆投下が予定されている広島、新潟、小倉、長崎、京都、奈良などが含まれていなかった。
 原爆投下目標都市の周辺都市を全て爆撃して、孤立化させた。
 周辺都市は焼け野原となり、負傷者を収容し治療する医療機関はなくなり、都市部にあった食糧や医薬品も焼失した。
 さらに。原爆投下実験を成功させヒトとモノへの被害状況をハッキリさせる為の、見馴らし作戦と誘い出し作戦を実行した。
 広島や長崎などの原爆予定都市は空爆されないと知った被災者達は、焼け野原となった周辺都市から移り住んだ。
 各都市の守備隊は、彼等を本土決戦の義勇兵として徴用し、男達を各地の要塞建設に狩り出し、女達には竹槍などを与えて軍事教練を行った。
 アメリカ軍「日本人全体が第一義的軍事目標になった。我々はその場所と男女を問わず、最短期間に最大多数の敵を殲滅する」
 戦時国際法においても、義勇兵は軍人と見なされ、女子供に関係なく日本人全員が逃げる事なく戦う意志を示した事で殺しても良い兵士となった。
 日本人の家族を想う情緒が、日本人を死に追いやった。
 もし、日本人が助かる方法があると知れば、家族の情や絆やつながりを断ち切り、家族を見捨てて逃げる事であった。
 日本人には、家族を捨て去るという非情さがなかった。
 日本軍は、本土決戦を前にして敵前逃亡的な避難をさせない為に、都市部からの退避を禁じた。ただし、戦闘に邪魔になる幼児は強制疎開させた。
 地方に知り合いや親族が或る家族は、都市を離れて疎開した。
 国體護持と祖国防衛に燃える日本国民の多くは、女子供を疎開させても、自分は玉砕覚悟で戦う意志を強く持っていた。
 家族団結の強い日本人の女子供も、自分だけ助かる為に、夫や父親や兄弟を残して逃げる事を好まず、家族全員で一所に戦って死ぬ事を切望した。
 生きるも死ぬも家族一緒とい家族の絆という情緒が、集団自決を生んだ。
 日本人は、家族の絆・つながりを大事にするだけに「一家心中」を美化する。
 アメリカは、原爆投下実験を最優先として、プロパガンダ文で日本が降伏する事は期待しなかったし、許す気もなかった。
 グローブス「我々の作戦を危険に晒す恐れのある日本側の反撃を封じる為に、他の航空攻撃が同時に行われた」
 『日本国民に告ぐ』
「貴方は自分や親兄弟友達の命を助けようと思いませんか助けたければこのビラをよく読んで下さい
 数日の内に裏面の都市の内全部若しくは若干の都市にある軍事施設を米空軍は爆撃しますこの都市には軍事施設や工場があります
 軍部がこの勝目のない戦争を長引かせる為に使う兵器を米空軍は全部破壊しますけれども爆弾には眼がありませんからどこに落ちるか分かりません
 御承知のように人道主義アメリカは罪のない人達を傷付たくありませんですから裏に書いてある都市から避難して下さい
 アメリカの敵はあなた方ではありませんあなた方を戦争に引っ張り込んでいる軍部こそ敵ですアメリカの考えている平和というのはただ軍部の圧力からあなた方を解放する事ですそうすればもっとよい新日本が出来上がるんです
 戦争を止める様な新指導者を樹てて平和を恢復したらどうですか……」
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*新聞報道による、日本政府の「黙殺」発言報道
 7月28日 新聞各社は、ポツダム宣言を掲載し、独自に「政府は黙殺」などと戦意を煽る様な意見を添えた。
 政府大本営連絡会議は、連合国に正式な回答を与える事は認めないが、国民には政府の態度を明らかにする必要があるとして、「無視する」との表現で発表する事に決定した。
 午後4時 鈴木貫太郎首相による定例記者会見。
 鈴木貫太郎首相は、「国家元首たる天皇の安全」が保証されていないとして「重要視しない」と発言し、退席間際にさらに質問されて「ノーコメント」と一言答えた。
 新聞各社は、朝日新聞に倣って「黙殺」と大々的に報じた。
 半官半民の同盟通信は、鈴木首相の「ノーコメント」発言を勝手に曲解して「黙殺」と世界に向けて報道した。
 長谷川才次「後日、毎日新聞の名取君から聞いたのだが、『総理はハッキリした事は何も言わなかったんですよ。近頃の言葉でいうとノーコメントと言ったところなのですが、印刷すると、ああなるんですからねえ』と怪訝な面持ち……」(回想記『8月15日への道』)
 吉武信「黙殺とか笑止千万というような記者の書いたコメントが見出しになっているが、そういう記事を書いたのは、多分、軍担当の記者で、少なくとも官邸の記者はタッチしていないと思う」(読売編『昭和史の天皇』)
 アメリカのAP通信社とイギリスのロイター通信社は、意図的に「拒否」と言い換えて大見出しで報道した。
 国際通信を支配していたのは、ユダヤ系国際金融資本である。
 日本側は、「ノーコメント」発言が、「黙殺」声明に言い換えられ、拒否報道となっている事を知っていたが、修正要求発言を行っては全将兵と国民を動揺させるだけあると判断して控えた。
 近衛文麿A級戦犯東郷茂徳広田弘毅ら和平派は、昭和天皇の戦争終結への希望を叶える為に、スターリンを通じて日本に有利な条件での和平工作に望みを託していた。
 アメリカとイギリスの国民世論は、無条件降伏を拒絶したとして激昂した。
 アメリカは、真珠湾攻撃への報復として、原爆投下の大義名分を得た。
 トルーマン最後通牒ポツダムから出されたのは、日本人を完全な破壊から救う為であった。彼らの指導者はこの最後通牒を直ちに拒否した」
 ドゥーマン「この不注意になされた発言が利用されて、原爆投下の命令が出されたのである」
 トルーマンは、原爆投下をローマ教皇とニューヨークのスペルマン大司教に打ち明け、神の許しと祝福を得たという。その真偽は不明である。
 狂信的反日キリスト教会の一部は、原爆の真の破壊力を知らないままに、戦争の勝利の為に原爆の使用を容認した。
 彼等にとって、異教徒の天皇と現人神信仰者の日本人は、絶対神の「神聖な火」で焼き滅ぼすべき憎き異教徒であった。
 敬虔なキリスト教徒は、「右の頬打たれたら、左の頬を差し出す」という許しの法を拒絶し、「目には目を、歯には歯を」の報復法を選んだ。
 重慶ペトロフソ連大使は、蒋介石と会談してポツダム宣言についての意見を聞いた。
 蒋介石は、日本を降伏させる為にはソ連の参戦が不可欠であると答えた。
 チャーチルは総選挙で敗北して辞職し、アトリー新首相がポツダム会議に参加した。
 スターリンは、軍幹部に対して、北海道まで占領地を拡大する為に、対日参戦期日を8月上旬に繰り上げる様に厳命した。
 ソ連は、日本を分割させる為に焦っていた。
 現代日本の左翼・左派のマルクス主義者や反戦平和市民団体は、この時、日本が無条件降伏に応じていれば原爆投下の悲劇は起きなかったとしている。
 天皇制廃止論者である彼等は、1億人の命を救う為なら国家元首である昭和天皇を連合国にくれてやり、道義的倫理的責任で処刑してもやむなしとしている。
 その理由は、天皇が唯一の最高決定者であり絶対的命令権者であるというものである。
 事実。オーストリア、カナダ、アメリカ、ソ連などの連合国の大半が、昭和天皇の死刑を望んでいた。
 彼等は、人として生物学的DNAとライフを共有しているが、歴史に根ざした民族的な心と志の絆を持っていない。
 ポツダム会談。スターリンは、佐藤大使が25日に提出した戦争終結の為の仲介要請を披露したが、日本側に拒否を伝えると発言した。
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 スイスのバーゼルで。吉村侃は、ヤコブソンを訪問して、ポツダム宣言について説明を受けた。
 「1,アメリカの意図は日本国民を滅亡させる事だろうか?
 2,天皇戦争犯罪者とみなされるのだろうか?
 3,最終的終戦協定では、ポツダム宣言でそうなっているように、無条件降伏は『日本軍の無条件降伏』となるだるか?」
 ヤコブソンは、1に対しては根絶する相手は軍国主義であって日本国民ではない、2については昭和天皇を裁き天皇制度を変更するつもりはない、3の無条件降伏は日本軍であって日本国ではない、と答えた。
 吉村は、ベルンに行き、加瀬公使に「ポツダム宣言昭和天皇や皇室について一切触れない」というヤコブソン情報を伝えた。
 アメリカ側は、天皇制度を変更する意思はないと。
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 日本軍部の徹底好戦派と中央官庁の革新官僚(隠れマルクス主義者)は、共産主義革命を恐れる昭和天皇近衛文麿広田弘毅平沼騏一郎民族主義者の憂慮をよそに、アメリカ軍の猛攻に対抗するべくソ連軍の一日も早い参戦を希望していた。
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 7月29日 ポツダム会談。モロトフは、日ソ中立条約違反の汚名を避ける為に、アメリカとイギリスがソ連の参戦を要請したとの公式声明を求めた。
 アメリカ側は、アジアの共産主義化を避けるべくソ連の参戦を回避する為に公式表明を渋った。
 トルーマンアメリカと連合国は、ソ連を日本との中立条約に違反させる義務を負ってはいない」
 バーンズ「アメリカは、他の政府が正当で十分な理由なしに国際協定に違反する事を要請する立場に置かれるべきではない」
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 7月30日 佐藤大使は、ロゾフスキーに面会し、ポツダム宣言に関係なく、日本の名誉と存立が保障されるなら戦争終結を図りたいと申し込んだ。
 スイスのベルンに駐在する加瀬俊一公使は、東郷茂徳外相とモスクワの佐藤大使に、ヤコブソン情報とグルー声明を踏まえて「ポツダム三国宣言に関する観察」という報告書を送った。
 ポツダム宣言昭和天皇の安全と皇室の存続に言及していないが、求めているのは日本軍の無条件降伏であって日本政府と日本国民ではないとの分析を結果を送り、速やかに受諾して戦争を終結させるべきであるとの意見具申を東京に送った。そして、スターリンは署名していなくとも宣言文に合意していると意見を添えた。
 佐藤大使は、東郷外相に、加瀬公使の電報に言及しつつポツダム宣言を一刻も早く受諾する事を進言した。
 東郷外相は、戦争を終結させる為に、ポツダム宣言を受諾するように徹底抗戦派への説得に努めた。
 スチムソンは、トルーマンに原爆投下計画の最終報告をし、原爆投下後に発表する声明文についての意見を伝えた。
 「グローブス計画の日程が非常に急速に進展しているので、閣下の声明が水曜日の8月1日までに用意される事が不可欠である」
 トルーマンは、翌31日にスチムソンに声明文発表時期に関する回答電報を送った。
 「提案承認。用意が出来次第リリースせよ、ただし、8月2日以降の事」
 スターリンは、対日戦参戦の為に、ワシレフスキー元帥を8月1日付けで極東総ソ連軍最高司令官に任命した。
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 インディアナポリス号事件。
 アメリカ海軍重巡洋艦インディアナポリスは、26日に原爆の部品をテニアン島に降ろし、グアム島に寄港してレイテに向かった。
 日本海軍伊58号は、29日午後11時26分にインディアナポリスを攻撃した。
 インディアナポリスは、翌30日午前0時14分に沈没した。
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 7月31日 Bー29爆撃機の大編隊は、原爆投下候補地以外の12都市を猛爆した。
 法律専門家ベンジャミン・コーヘンは、1943年10月30日の米英ソモスクワ宣言と国際連合憲章103条と106条によって、ソ連の中立条約違反を合法化できると提案した。
 トルーマンは、コーヘンの法解釈をスターリンに書簡として送った。
 国際法に於いて、ソ連の日ソ中立条約違反は、地球上に平和を回復し国際正義をもたらす為に合法的行為と認定された。
 国際法は、何時の時代でも大国の都合で曲解され、勝者に都合の良い道具であった。
 グアムのアメリカ陸軍戦略空軍司令部は、原爆投下実験の準備を全て完了していたが、台風が日本を襲っていた為に8月1日の投下計画を延期した。
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 2017年8月20日 産経ニュース「米沈没艦、深海で発見 広島の原爆部品を運搬
 1937年ごろに米ハワイの真珠湾で撮影された米巡洋艦インディアナポリス(米海軍提供・ロイター)
 第二次大戦末期の1945年7月30日、フィリピン沖で旧日本軍の攻撃を受け沈没した米巡洋艦インディアナポリスの船体が、深さ約5500メートルの海底で見つかった。米海軍が19日発表した。同艦は沈没直前、原爆の部品を運搬する極秘任務に従事。この部品を使った原爆は広島に投下された。
 発見したのは米マイクロソフトの共同創業者で資産家のポール・アレン氏の調査チーム。従来考えられていた海域よりも西方に沈没した可能性が高いという情報に基づき、最新機器を使って捜索した。
 米海軍は「現場の深さを考えれば重大な発見だ」と指摘。アレン氏は「米国人として、乗組員らの勇気と粘り強さ、彼らが払った犠牲にはいくら感謝してもしきれない」と述べた。
 インディアナポリスは日本の潜水艦による魚雷攻撃で沈没した。(共同)」
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日米開戦とポツダム宣言の真実

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