₩73」─1─中国人共産主義者と在華紡事件。ファシスト中国による日本の中国権益を剥奪する革命外交。〜No.328No.329 *    

顔のない城〈上〉―上海物語1930年上海 (上海物語 第 1部)

顔のない城〈上〉―上海物語1930年上海 (上海物語 第 1部)


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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 サミュエル・ジョンソン「地獄への道は善意という名の絨毯で敷き詰められている」
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 中国共産党ファシスト中国(中国国民党)も、反日派敵日派であった。
 ソ連コミンテルンは、中国共産党ファシスト中国(中国国民党)を後ろで操っていた。  
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 中国は、恩を礼ではなく仇で返す。
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 人の好い日本人は、中国人に産業を教えた。
 イロハのイの字から、手取り足取り、金まで貸して親切丁寧に教えた。
 中国が産業力を付けて競争相手になる事を承知で、包み隠さず教えた。
 日本人は、中国人が金を稼いで豊かにり幸せになる事を信じて教えた。
 相手の為になる事を、教える事が人の道と信じていた。
 そして、全てが裏切られた。
 日本人がお人好しであるが故に、自ら日本の悲劇を引き寄せた。
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 日本の中国に対する配慮も思いやりも、全てが無駄に終わった。
 日本人が如何に友人になろうとして中国人に接しても、中国人は日本人との友情を嫌った。
 中国人は、幾ら日本人と接しても日本人を理解しようとは思わなかった。
 全てが無駄であった。
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 日本陸軍の中に「支那通」と呼ばれる将校団がいたが、現代の親日派政治家や外務省のチャイナスクールと呼ばれるエリート官僚とは異なる。
 支那通の将校達は、諜報・情報のエキスパートとして、対ソ戦略から国民政権や各軍閥に深く食い込み、内戦を回避させたり、武力衝突を早期に解決つしたり、中国の安定の為に暗躍していた。
 ハーバート・マイヤー「本当の情報の価値は単に銃弾、爆弾、ハイジャックから身をかわすよう最後の警告を発する事ではなく、何かが起こる前に将来を変える事が出来るよう十分に明確かつ早期に先を見る事で有り、その為には秘密情報以上に洞察力を必要とする」
 「官僚体質組織では、まともな情報機関は機能しない。迅速に物事を理解し、短時間に解決策を創案するしたたかな知恵を持ち、物事を恐れず、日々『不可能』を『可能』にする自信を持つ男性や女性が一体となった情報機関を必要とする」
 「政策決定者に好まれる情報機関高官には価値がない」
 「政策決定者と対峙し、点の情報をつなげバランスのとれた洞察力と想像力で情報の全体像を分からせるのが情報機関高官の職務であり、大方の政策決定者にとって楽しい話ではなく避けたい存在でもあるからだ」
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 1910年から20年代 日本の輸出産業は、絹糸によるアメリカへの製糸業と、綿糸による中国やインドなどのアジア向けの紡績業であつた。
 絹糸は国内生産で100%自給していたが、綿糸はアメリカやインドからの輸入に頼っていた。
 巨大市場である中国には、古くからイギリスなどの西欧企業が進出していて、好景気に沸く日本も新たな販売先を求めて中国大陸に進出し始めた。
 三井物産などの商社系である上海紡績や内外綿は、高品質を売りとした高級品を販売していた。
 中小紡績会社のよる寄り合い組織である日華紡績織は、低価格で庶民向けの商品を売っていた。
 第一次世界大戦終結で戦争好景気が終わり、国内不況が起きるや、輸出産業は大打撃を受けた。
 発展途上にある中国市場は、世界的の戦後不況の被害を受ける事なく低迷しながらも安定していた。
 綿糸の輸入・綿製品の輸出で成り立っていた紡績業は大打撃を受け、安定した中国市場への販路拡大とコストダウンの為に安価な労働力を求めて中国へ工場を移転させた。
 武藤山治(鐘紡)「そんなに中国に出て行っては日本国内の労働力が縮小する」
 紡績不況に苦しむ東洋紡・鐘紡・大日本紡績の大手三社は、中国進出を本格化する為に協力して現地法人を創設した。
 上海市政府は、日本紡績業が本腰を入れて進出してくる事を歓迎し、より多くの中国人を雇用する事を望んだ。
 中国人資産家は、紡績業は儲かると見るや民族紡に大金を投じ、市場での優位を確保する為に政治家や軍人に賄賂り、外資系工場の操業を妨害する為に犯罪的秘密結社に暴動を起こす様に大金を渡した。
 イギリスが、大戦不況と日本製綿製品の販売競争に敗れて、中国市場での占有率を低下させて存在感を失った。
 中国市場は、日本の在華紡と中国資本の民族紡の一騎打ちとなっていた。
 中国の民族紡は、資金と労働力があっても、技術力も経営や販売の知識もなかった。
 宗教的人種差別のあるイギリス企業は、中国人に技術を教えると盗まれ、不法コピー製品が作られるとして警戒して、民族紡に技術を教えなかった。
 日本人は、中国を豊かにし中国人の生活を安定させれば世界常識を身に付け、道徳心や良心に目覚め、法律や規律を守り、国際ルールに則った大人の行動を取る事を期待して、優秀な人材を派遣し、技術以外にも科学や理論など多方面の近代的知識を教え、世界で通用する経営や販売を指導した。
 中国産業は、日本の全面支持によって発展した。
 だが。中国企業の多くは、労働蔑視の儒教的価値観に基づく放漫経営と労働者酷使で経営不振にあり、その原因を支援している日本人に転嫁し、貧困に苦しむ労働者の不満を反日へと誘導していた。
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 1911年 辛亥革命孫文は、中華民国に資金がなかった為に、三井物産接触して、日本に満州の租借を認める代償として1,000万円の借款供与を申し込んだ。
 欧米諸国が清国を支援していた為に、孫文が頼るのは日本しかなかった。
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 1916年 満州族は、再び独立運動を起こした。
 日本陸軍は、袁世凱に圧力を掛けるために独立運動に賛同したが、満州満州族に渡す事には不賛成で、独立運動に敵対していた山東省出身の漢族・張作霖を支援した。
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 1920年代後半 国内上位8社は、在華紡を結成した。
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 1921年 コミンテルンは、中国支部として中国共産党を組織した。
 陳独秀共産主義者は、反帝国主義を掲げて、イギリス、日本への抵抗運動を行うべく都市労働者の組織化を進めた。
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 1922年 世界市場の綿価格は暴騰した。
 民族紡は、無計画な生産量増加で採算割れを起こした為に、日本とイギリスに対して二割操短を要求した。
 イギリス企業は、中国市場は国際市場の一つであり、生産拠点もインドなど複数持っていた為に、中国が求める生産調整を受け入れても影響は少なかった。
 安価な労働力を求めて生産拠点を中国に移していた日本企業にとって、高品質製品として販売を伸ばし利益を上げている現状で、操業短縮などは受け入れられぬとして拒否した。
 市場原理からすれば、コピー製品や粗悪品を大量生産し、経営改革など企業努力をしない民族紡が淘汰される事は、ごく当たり前の事であった。
 だが。中国人は、自分の明らかな非を認める事なく、日本人に面子を潰されたとして激怒した。
 反日運動はこの逆恨みから起き、流血事件を伴う反日暴動に発展し、抗日戦争へと暴走していった。
 中国人の「面子」とは、相手の権利も利益も人間性さえ完全無視する、自己中心的な自己満足の陰険な傲慢であった。
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 1924年 中国共産党は、日系企業を主敵とする闘争方針を立て、労働者の間で反日組織を造る為に、共産党員や左翼系学生を送り込んだ。
 在華紡の労働組合である工会は、中国共産党の指導下に入って激しい反日労働運動を開始した。
 在華紡など日系企業は、労働運動が中国共産党に操られている事をうすうすと感じながら、工会の要求は「常軌を逸した過分なものである」として断固拒否した。
 中国全国総工会は、コミンテルンに参加する事を決議し、コミンテルンの指導の下で反日大衆運動を行う闘争方針を決定した。
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 1925年2月9日 内外紡の2月スト。
 5月30日 5・30事件。イギリスは、日本政府に対して、中国人労働者による大規模デモを鎮圧する為の日本軍出兵を要請した。
 幣原喜重郎外相は、国際協調と中国内政不干渉政策から、イギリスや日本人居留民の保護目的出兵要請も拒否した。
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 1926年(大正15年・昭和元年)
 6月〜7月 内外紡の第三・第四工場スト。
 7月〜9月 日華紡績闘争。
 8月〜9月 小紗渡地区連合スト。
 10月 第一次蜂起。
 12月 イギリスは、中英提携の覚書を発表した。 軍国日本は、イギリスの行為は「ワシントン条約の精神を無視した」行為であると、激しく抗議した。
 日本は、中国及び満州の平和と安定を維持する為に、国際協調関係を国是としてワシントン条約体制を忠実に守っていた。
 欧米列強は、日本を孤立させるように裏取引として中国に接近していた。
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 1927年 中国共産党は、犯罪的秘密結社の協力を得て、貧困労働者や左派系学生と浮浪者を使って市街戦の末に上海市政府庁舎を占領して共産ソビエト政権を樹立した。
 アメリカとイギリスは、軍艦を派遣して、自国民保護と自国資本を侵害すれば武力行使を行うと威嚇した。
 日本政府は、内政不干渉の原則に従い、日本人居留民が被害を受けようとも武力行使を忌避し、中国の自主性に配慮して軍事威嚇行動に参加しなかった。
 日本国民は、弱腰の日本政府を激しく非難し、軍部が自国民保護に乗り出す事を期待した。
 軍部への期待によって、軍国主義思想が日本中に蔓延した。
 一国平和主義が、日本を破滅へと追い込んでいった。
 中国共産党は、第一回南京事件での被害を教訓としてアメリカとイギリスには手を出さず、南京や漢口で自国民が殺害されても報復しなかった軍国日本は組みやすいと見なした。
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 2月 第一回南京虐殺事件。
 第二次蜂起。中国共産党は、在華紡に対して、上海で35万人の労働者や市民を大動員した大規模なストライキを決行した。
 一部は暴徒化して、日系工場での破壊、機材略奪、放火、日本人商店での強奪、放火、日本人居留民に対する暴行が発生した。
 在華紡は、本国政府に支援を要請したが、日本政府は中国政府への配慮から支援を拒否した。
 日本政府は、国家として、在外邦人の生命財産と権利の保護を放棄した。
 幣原喜重郎外相は、内外不干渉方針に従って、在華紡に対して中国人労働者の要求をできる限り受け入れ、上海総領事館には襲撃を受けた日本人居留民の一時的退避を訓令し、軍部に対しては武力救済しない事を強く求めた。
 反日派中国人による、日本人居留民への暴行、日本人商店からの強奪、日本人学童への嫌がらせなど、差別的犯罪事件が急増した。
 中国人警官は、犯罪行為を取り締まらず、見て見ぬふりをするか、中国人犯罪者を庇っていた。
 この事流れ主義的対応や日本人的な配慮や善意が、日本を悲劇へと追いやった。
 4月12日 ファシスト中国の誕生。
 上海クーデター蒋介石は、アメリカとイギリスの支持を取り付け、犯罪的秘密結社の協力を得て、中国共産党系上海臨時ソビエト政権を打倒し、共産党員や左派系学生の大量虐殺を行った。
 アメリカとイギリスは、参加もせず、支持表明もせず、戦闘は嫌いと善人ぶって沈黙して態度を明らかにしなかった日本への不信を強めた。
 戦乱が続く激動の時代。敵でもなく、味方でもなく、泥をかぶらず、血も流さず、安全な所に逃げて傍観し、戦闘が終わり治安が回復し法秩序が戻った後に何事もなかった様に現れて金儲けする人間は最も嫌われた。
 イギリスは、自国民の生命財産と諸外国の共通の利益を守る為に、武力を用いて共に行動しなかった日本を見限った。
 国家の威信の為に、集団的自衛権を発動し、戦争も辞さずとして毅然と行動しない者は国際社会では爪弾きにされた。
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 中国共産党は、政治的な意図の元で在華紡ストライキ反日暴動に発展させていた。
 日本政府は、政治と経済を切り離し、在華紡ストライキを外交で処理せず、民間企業と中国労働者の労働争議として政治問題としなかった。
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 日本が、無警戒で中国に深入りして得した事はなく、中国人を信用して大金を投資投じて利益を得た事は、過去には無い。
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 上海租界工部局(市議会相当)は、中国の内戦激化で無政府状態となり各国の居留民が危険にさらされているとして、各国に治安維持の為の派兵を要請した。
 軍国日本を含めた諸外国は、集団的自衛権を発動し、平和維持の為に軍隊を上海に送り込んだ。
 イギリス軍‥9,000人。アメリカ軍‥1,500人。日本軍‥1,500人。フランス軍‥400人。イタリア軍‥50人。
 海軍艦船合計31隻。イギリス海軍‥11隻。日本海軍‥11隻。アメリカ海軍‥5隻。その他。
 日本軍部は、上海日本租界防衛は海軍が担当する事になっていた。
 日本海軍は、諸外国に領土的野心がない事を示す為に、軽装備の陸戦隊を日本租界に上陸させた。
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 6月 革命外交。蒋介石は、不平等条約の即時破棄と国際合意・ワシントン条約の無効を宣言した。
 軍国日本に対しては、日清戦争以降の1896年と1904年の条約の無効と国際法による交渉で獲得した諸権利は否認し、投資と犠牲で築いた全ての中国権益を没収すると通告した。
 中国の政治的安定や経済再建を目的として締結されたワシントン条約を廃棄した。
蒋介石は、第二次北伐を終えて中国統一が実現した。
 国民政府外交部長・王正廷は、「革命外交」という概念を打ち出し、国際法に基づく正式な手続きを無視して一方的に不平等条約無効を宣言した。
 コミンテルンは、国民党と日本軍を戦わせる為に、中国本土及び満州に於ける日本の権益を全面否定する法令を次々と制定した。
 中国共産党は、各地で抗日運動を暴動に煽り立て、日本人居留民を襲って重軽傷を負わせ、日本人商店を襲撃して略奪と放火を行った。
 幣原喜重郎外相は、国際協調外交を標榜し、中国との戦争を避けるべく、軍部を宥め、日本人居留民に泣き寝入りさせ、中国側に配慮し譲歩して妥協を重ねていた。
 その結果、逆に中国人による抗日暴動は激しさを増し、日本人居留民の被害も増えた。
 石橋湛山「我々にもかつては欧米列強の横暴に対して激昂した尊皇攘夷の時代があった。いまの支那はそれと同じなのだから、もう少し静観すべきだ」
 日本国民感情として、中国人暴徒による日本人居留民への相次ぐ暴行、強奪、強姦、殺人、それら犯罪行為を防止し日本人居留民を保護しない中国を、寛大な気持ちで許す事などできなかった。
 国民世論は、民族主義に燃え、中国の残忍な無法者集団への懲罰的制裁、犠牲となった同胞の復讐を、政府に求め、政府がやらなければ軍部に実行を求めた。
た。
 代理駐華公使の重光葵A級戦犯)は、中国が強行している利権回復と激化する排日運動は民族解放主義思想に基づく要求で阻止する事は不可能である以上、両国の紛争を防ぐ為に日本が率先して不平等条約の根本改定に動き、蘇州や杭州の日本人居留地を返還すべきだと提案した。
 幣原喜重郎外相は、軍部の反対と国民の感情から日本権益の一部を無償で返還する事は不可能であるとして、重光の提案を拒否した。
 重光は、両国の破滅的な戦争を回避する為に、軍部に対し軍事的衝突をしないように慎重な行動を取るように求め、国民が抱く対中悪感情を善隣友好に戻す啓蒙活動を促し。
 国際連盟や国際世論に対して、日本軍が行った一連の軍事行動が中国の内戦による混乱から日本人居留民保護の自衛行為であった事を知ら、理解を求めようとした。
 ワイントン条約を守って中国の平和と安定を希望しているのは日本であって、内戦と混乱で条約を破る違法行為を行っているのは中国である、と。
 蒋介石は、期限を迎えた日本との通商条約の改定を拒否して日本の中国及び満州の権利失効を主張し、日本側の関東州租借地返還を要求した。
 日本政府は、中国政府と不平等条約破棄や在満権益について協議を行った。
 満州反日勢力は、日中交渉を有利に運ぶ為に日本人居留民への暴力事件を各地で起こしていた。
 関東軍石原莞爾ら強硬派は、東京の陸軍中央に対して、中村震太郎大尉惨殺事件に対する制裁行動を意見具申した。
 陸軍中央は、政府の外交解決を支持して軍事行動には不賛成であるとして却下した。
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 日本政府、明治政府、軍国日本は、中国で、悪い事もしたが、それ以上に良い事を沢山してきた。
 恩を受けたはずの中国は、日本が行った良い事は一切認めない。
 中国が主張する歴史認識問題とは、良い行いは全て無かった事として抹消し、悪い行いは捏造・歪曲し増幅させて叫き散らす事である。
 中国とは、忘恩の国であり、信用も信頼も存在しない不義理な国である。
 国際社会は、親中国であり、反日本である。
 日本が、如何に、歴史的事実を明らかにするべく、数多くの証拠を出し、根気よく説明しても、国際世論では聞き入れてはもらえない。
 世界で、日本が訴える「身の潔白」を信用してくれる国も個人も皆無である。
 中国の話を聞く者は多いが、日本の話を聞く者はいない。
 日本は、世界で嫌われる爪弾き者である。
 世界で日本が愛され信用されていると言う事は、幻想である。
 ごく少数の親日派の話を掻き集めているに過ぎない。
 世界の多数は親中国派であって、親日派ではない。
 親日派は、少数派に過ぎない。
 日本は、何時の時代でも孤独である。
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 始末に負えない事に。自称国際派日本人は、歴史的事実を全て知りながら、国際世論に無条件で迎合し、日本批判を声高に主張している。
 日本国内には、こうした日本批判を行う熱心な反日的日本人が数多く存在している。
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 中国人は、相手の下心を深読みして、決して本心から感謝しない。
 白人の慈善行為は、身勝手な自己満足にすぎないと軽蔑していた。世界の支配者を自認する恵まれた白人が、道楽的に被災民に義援金や食糧などの救援物資を恵んで、勝手に溜飲を下げているだけであると。ゆえに、表面的に感謝し、彼等の下心を燻る様な心にないおべっかを並べ立て、取れるだけの物を奪い取ればよいと。
 キリスト教会の救済行為は、信仰を広げようとする賤しい布教行為と嘲笑っていた。ゆえに、神の愛に目覚めた振りをし、関係のない原罪を悔い改めた振りをし、改宗する振りをして、得られるだけの支援物資をかすめ取った。
 では、日本の支援行為は、………
 東アジア人の極一部は、恩義に心から素直に感謝し、恩義を返そうとする。
 だが、大半の者はその逆である。
 恩義を受けて口で綺麗事をいって感謝するが、心の中では「お人好し」を嘲笑い、受けた恩義を返そうという気はない。
 春秋戦国時代。越王句践は、隣国の呉を滅ぼす為に、軍師范蠡の献策を採用して凶作と偽って食糧支援を求めた。呉王夫差は、大国の君主として人徳を見せるべく、越の国民を救済する為に無償で食糧を送った。呉の重臣である伍子胥は、越は呉を滅ぼそうとする油断できない敵であると諌言した為に、主君の不興を買って自決を命じられた。夫差は、国の将来を憂えた伍子胥の屍体を長江に捨てる様に命じた。越は、呉王の恩に感謝して収穫した稲を献上した。呉は、その米を蒔いたが実る事がなく凶作に見舞われた。原因は、越が稲を煮て返したからであった。そして、大国呉は小国越によって滅ぼされた。分別・道理が理解できない君主を持った国は、大国といえどもいとも簡単に滅びた。
 「呉越同舟」という逸話の真意は、仇敵同士でも話し合えば和解できるという美談ではなく、馬鹿正直に相手を信ずると身の破滅につながるという戒めである。
 日本人の能力では、中国の逸話の真実が理解できない。その無能さは、漢籍の読解力のない現代日本で最悪なほどに目立ち、その理解力のなさはさらに悪化し、大人としての分別や道理のなさもさらに進んで幼稚化している。 
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 徳富蘇峰「武力と言うものは、即ち日本国民が、総て国家の干城(かんじょう)に成ると言う精神、これが即ち私の言う武力であります。これ武力は、我々の様な老人でも、ご婦人方は元より、どなた方でもお持ちになるものであります。これ武力なるものは、決して兵隊の力のみではないのであります。即ち国民がその国家を衛る所の精神であります」
 荘子「物を盗めば誅(ちゅう)せられ、国を盗めば王様となる」
 徳富蘇峰「利害の打算あり、何事も勘定づくにて損の行く事はせぬと云う心掛けよりして武士の意地を貫徹すると云うが如き、野暮の沙汰を止め、優勢に対しては、当初より叩頭し、多力に向ては、最前より争わず。不可抗力の前には、一切服従すると云う信条」
 「支那に於ける諸般の問題は、只た利の一字を以て解釈するを得可し。人間万事利の為めに動き、利に依りて動き、利に向けて動く。若し支那人をして、一生懸命ならしむるものあらば、それは君父の讎(あだ)にもあらず、国家の為にもあらず、宗教の為にもあらず。唯た自個の利の為也。利の為ならば、臆病なら彼等も、勇気と相成候。利の為ならば、怠惰なる彼等も勉強家と相成候。利の為ならば、生命をも捨て候。彼の旅順の保塁に、深夜忍び入りて、其の地上若しくは地中に委棄(いき)したる未爆裂の弾丸を拾い、此れをコツコツ叩きて、其為め一命を失うか如きは、彼等か決して悔ひさる所に候」
 日本人は、利よりも人命を大事にし、国の為、父母の為、名誉の為に死を恐れない。
 中国人は、利を人命より大事にしないが、自分の命を守る為なら他人の命や家族の命さえ軽視する。利の為ならば、信義を捨て、恥も外聞もなく、嘘をつき、人を平気で騙す。
 利の為に自分を捨てさり開き直っているが故に、泰然として呑気で陽気であるが、一度激高すると説得ができほどの剣幕で大声を出して暴れる。
 中国人は、口先では道徳を語るが、道徳的行動はしない。
 中国をよく知る日本人は、中国人の本質を見抜き、「利」で中国人と付き合っても一歩下がって「人」として親しくはならなかった。
 徳富蘇峰支那人と日本人とは、決して同じものではない。根本的に違うというこの見地からして、総ての外交政策なり、或は総ての事を創出させなければならないと思う」
 中華皇帝は、征服者として敵対者や反逆者を大虐殺し、全てを焼き払った後に帝国を築いて君臨した。
 中華に於ける「徳」とは、他を圧倒する「武力」であった。
 「仁」や「義」や「礼」は、言葉の綾としての方便に過ぎない。

 

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顔のない城 (下) 上海物語―1930年上海

顔のない城 (下) 上海物語―1930年上海