- 作者:加藤康男
- 発売日: 2016/10/06
- メディア: 単行本
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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ヒトラー、ナチス・ドイツ、ドイツ軍は、昭和天皇、軍国日本、日本人の敵としてファシスト中国(中国国民党、蒋介石)に味方し経済援助と軍事支援を行っていた。
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ハーグ陸戦法規は、捕虜になる条件として重要な3つの要件を定めている。
1、軍隊・組織・団体が降伏する時は責任者がいなければならない。
2、武器は必ず見える様に持たなければならない。
3、必ず軍服を着ていなくてはならない。
以上の3条件を満たす者のみをジュネーブ条約で保護される捕虜と認める。
条件を満たさない者は、ゲリラ・テロリスト・スパイと見なし、軍事裁判をすることなく現場で即時処刑することが認められる。
つまり、中国の便衣隊は正規の軍人ではなくゲリラ・テロリスト・スパイとして処刑しても罪には取られない。
たとえ、それが子供や女性でも即時処刑が認められた。
それが、戦争である。
日本軍による、正規な手続きで降伏し捕虜とならなかった敵兵に対して、敗残兵掃討や残敵掃討は戦争犯罪ではなく正当行為・合法であった。
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軍国日本には、虐殺された日本人の無念を晴らす報復権・復讐権があった。
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1979年2月 胡耀邦「もし中国人民が、われわれ中国共産党の真の歴史を知ったら、人民は必ず立ち上がり、われわれの政府を転覆させるだろう」
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敗戦国ドイツは、賠償金の償還を最優先し、供給力を内需の回復ではなく外需に振り向けた為に、輸出産業に携わる者は裕福になり国内作業関係者は貧しくなった。
国内産業回復が遅れた為に、多くの労働者の貧困が更に深刻化した。
ナチスとドイツ共産党は、貧富の格差に怒りを覚える国民の支持を得て勢力を拡大した。
保守派や財閥は、ベルサイユ条約で軍備再建が禁止されていて、売り上げの低い平和産業製品の輸出では埒が明かないとして、軍需産業を復活させる為に「ベルサイユ条約破棄」としてナチスに期待を寄せた。
栄光ある大ドイツ軍再建を宿願とする国防軍は、軍需産業回復の為に他国の戦争への関与を強めた。
外国の戦争で目を付けたのが、フランコ将軍のファシスト・スペインと蒋介石のファシスト中国であった。
保守派やドイツ財閥は、反日派として、日本軍と戦うファシスト中国ヘの全面支援に賛成した。
ヒトラーやナチスも、国内景気の回復の為に日本軍と戦うファシスト中国への軍事支援を続けた。
ドイツ軍事顧問団は、ドイツ経済及び軍需産業の回復とドイツ軍再建の為に日本軍への宣戦布告なき戦争を蒋介石に提案した。
シーメンス社員であるジョン・ラーベは、ナチ党員として日中戦争経過をヒトラーに報告し、ドイツ軍需産業の代表として武器弾薬を中国軍に供給していた。
日本軍が戦った相手は、ドイツ軍需産業から武器弾薬を大量購入していたファシスト中国軍であった。
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1936年 満州国は、日本政府と、在満日本人居留民に満州国民と同等の権利を与える条約を締結した。
各省庁の日本人文官は、日本の保護国とはいえ、満州国を独立国として国際社会の認知が受けられるようにする為に全力を挙げた。
満州・ハルピン近郊で、石井四郎軍医中将を部隊長とする関東軍防疫給水部(731部隊)が設立された。
「部隊長以下全員軍医薬剤官及び衛生下士官兵をもって編成し各部隊の防疫給水及細菌の研究予防等の業務に従事」
731部隊員は、職業軍人や軍国主義者ではなく医師や薬剤師と衛生下士官であった。
当初は給水・防疫の研究であったが、諸外国軍の生物兵器開発に対抗する為にその分野に力を入れた。
関東軍参謀であった石原完爾は、1933年頃に永田鉄山軍務局長に対して、資源の乏しい日本は生物兵器開発は欠かせないと意見具申した。
総力戦を研究する永田鉄山ら合理主義者は、生物兵器の必要性を認めた。
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1937年 ソ連は、中国共産党や日本共産党に対して軍国日本をファシスト中国との戦争に追い込む事を命じていた。
ナチス・ドイツから派遣されていたドイツ軍事顧問団は、中国軍の勝利を請け負い、蒋介石に日本軍との戦争を意見具申した。
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華北で豪雨。夥しい犠牲者を出した。
6月 日本の衆議院。社会大衆党書記長麻生久「北支経済工作に関して農民大衆の福祉を招来する如き方策を講ずる事が、この目的達成のため緊要である」
近衛文麿首相「今後は、支那民衆の心を把握する事でなければ東洋平和の確立、ひいては日支両国の提携はできない。支那は農業国であるから支那農民と結び、農業の発展に我が国が手伝う事は極めて必要だ」
当時の日本人は、現代の日本人以上に中国の実態を熟知していた為に、日本が中国の災禍から如何にして逃れるべきかを絶えず熟慮していた。
松岡洋右は、国際連盟総会で中国の本質を訴え、日本の自衛行為の正当性を主張した。
だが、国際社会は日本の自衛権行使という説明を犯罪行為の隠蔽として却下した。
欧米列強は、日本の如何なる行為も認めず、一方的に侵略行為として制裁を強化した。
こうして、日本は破滅へと追い詰められていった。
国際社会は、中国の全ての事を知っていた。なぜなら、抗日中国を各国政府と国際資本が全面支援していたからである。
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7月7日 盧溝橋事件。中国共産党の工作員の発砲で、日本軍と中国軍は戦闘に突入した。
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通州事件は、ファシスト中国(中国国民)と保安隊の首謀者の間で、2年前から計画され、天津、豊台、廊坊、順義、塘沽(タンクー)、軍糧城の6ヵ所で同じ日に一斉蜂起で行われた。
別働隊は、日本軍が援軍を遅れないように天津から通州への道路を遮断した。
迅速に日本人を虐殺する為に、通州市内の日本人の家にチョークで暗号となる印を悪戯がき風に付けた。
中国全土は、日本人居留民襲撃事件は、3,000件以上に上っていたが、それ以上に中国人による中国人への殺傷事件は日常茶飯事的に起きていて珍しい事ではなかった。
無法地帯で生活していた中国人には罪の意識がなく、被害を受けてもいない日本本土の日本人がなぜ激高するのか理解できなかった。
事件に巻き込まれるのが嫌なら日本本国に帰ればいいのであって、犯罪地帯から逃げずに生活している日本人が悪いのだと、中国人は考えていた。
加藤康男、「日本政府は戦後一貫して事件のことを口にしていない。奇妙なことだが、日中両国政府がこの事件を『なかったこと』にしてしまっているとしか思えない」
「南京や盧溝橋はもとより、満州各地にある旧大和ホテルに至るまでが『対日歴史戦』の遺跡として宣伝利用されていることを考えると、雲泥の差がある。『通州虐殺事件』の痕跡は極めて都合が悪いので、完膚なきまでに消し去ったものとしか考えられなかった」
7月29日 親日派冀東(きとう)防共自治政府の保安隊約3,300人が、日本軍守備隊歩兵小隊49人に自動車部隊・憲兵隊・特務機関・用務員など合計約120人を攻撃した。
日本部隊は、通州城内の日本人居留民約380人を守って戦った。
保安隊と中国人暴徒は、日本軍守備隊32人と日本人居留民225人(日本人114人、朝鮮人111人)を虐殺した。
浜口茂子「(事件後)家主の小父さんは饅頭を作ってくれたり、親切にしてくれた。その度に『あなた方と私はポンユウ(朋友)だ。日本の軍隊が来たらそう言ってくれ』とせがむ。家主が履いている靴は安田さんの(旦那さん)もの、来ているシャツは(私の)主人のもの。それを知っている私らに、しゃあしゃあと言うのです。私ら日本人とは考え方も感覚も違っている」
中国人とは、そうした、道徳や教養も常識の欠片もない、相手の事を完全無視する身勝手で、おぞましいほどに不真面目で不誠実であり、呆れるほどにいい加減で適当でご都合主義の人間で、信用・信頼を命より大事にする日本人の思考では理解できなかった。
日本の報道機関は、連日、通州虐殺事件を報じ、中国人による猟奇的惨殺を伝えていた。
日本の世論は激昂し、日本人は殺気立ち中国への報復を訴えた。
それが、「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」ンのである。
日本国民は、日本軍の中国進攻を全面的に支持していた。
日本人に対する犯罪行為や虐殺行為は、日本軍と蒋介石軍を戦争させようとした中国共産党の陰湿な策謀であった。
劉少奇や彭徳懐ら中国共産党は、策動拠点を北京大学内に設置し、大学生らを手足の様に使っていた。
欧米のユダヤ系資本の関連する報道機関は、全ての原因は中国侵略を企む日本軍の自作自演で、真の被害者は支那であり中国人であるとする報道を行って、国際世論を反日へと誘導していた。
極一部のジャーナリストが、日本を擁護して中国を非難していた。
F・V・ウィリアムス「中国共産党は、まず日本人を血祭りに挙げることに決めた。虐殺は日本を激高させ、蒋介石も戦わざるを得なくなる……通州事件は史上最悪の集団屠殺……日本人は宣伝が下手だ。敵が最強のプロパガンダ勢力であるにもかかわず、宣伝を無視する」
いずれにしても、各国の報道機関が親中国反日一色である以上、日本には打つ手がなかった。
アメリカは、日本寄りの報道をしていたウィリアムスを「利敵行為」を理由にして逮捕し投獄した。
軍国日本には、逃れる事も立ち止まる事もできず、やむなき「戦争」であった。
が、日中全面戦争には、日本軍部は反対で、日本政府は賛成であった
ウィリアムズ「日本人の友人であるかのように警護者の振りをしていた中国兵による通州の日本人男女、子供らの虐殺は、古代から現代を見渡しても最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう」(『中国の戦争宣伝の内幕』)
一面性の日本人は、信頼し心許せる友人と心が許せない他人を区別し、友人と信じきつた相手には誠意を就くし約束は守り生命財産まで預けた。
二面性の中国人は、友人と他人を利害損得で判断し、利益が得られる時は友人となり、不利益になると判断すれば信義を無視して約束を破り、奪えると見るや友人を襲って生命財産を強奪する。
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8月11日 中華民国は、東京の中国大使館を通じて、日本に在住する全ての華人・華僑に日本から本国に引き上げるように勧告した。
しかし。横浜や神戸の在留中国人の多くは、本国命令を無視して日本から逃げ出さなかった。
ウィリアムズ「私は横浜のチャイナタウンを歩いた事がある。他の町でも遊んでいる中国人の子供を見つけた。危険や恐怖など何も知らない表情であった」
軍国日本は法治国家として、国家権力で、中国で日本人が惨殺されているという報道が繰り返し成されて治安を維持し、日本在住の中国人約6万人の生命財産をを守っていた。
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8月13日 第二次上海事変。
8月22日 陝西省洛川で中国共産党政治局拡大会議が開催された。洛川会議である。
毛沢東は、党と軍の幹部に対して極秘命令を口頭で伝えた。
「中日の戦いは、我が党の発展にとって格好の機会だ。我が軍の兵力の内、70%は我が党の発展の為に使い、20%は(国民党との)妥協の為に使い、残りの10%だけを抗日戦争の為に使う」
毛沢東は、中国共産党が勝利する為の戦略は、日本軍と国民党軍を全面戦争で疲弊させ、中国共産党軍は戦闘に参加せず勢力を拡大して「漁夫の利」を得る事であると。
つまり。中国共産党は、抗日戦争の主役にならず脇役に徹し、第一線で大きな戦いに参加してはならない、と。
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9月 第二次国共合作。毛沢東は、抗日戦を共に戦うに当たり「国民党軍の全ての軍事情報を中国共産党側に渡す事」を要求した。
蒋介石は、ソ連軍の援軍を期待して条件を呑んだ。
11月8日 国民党軍は、上海を放棄して撤退した。
11月12日 毛沢東は、潘漢年(はんかんねん)に「上海陥落後の党の秘密工作署を設置すよ」と命令を打電した。
潘漢年は、中国共産党のスパイとして、上海の日本総領事館に出入りしてファシスト中国軍の極秘情報を高く売り付け、日本軍に接近して日本軍情報を上司の周恩来に伝えていた。
周恩来は、中国共産党側の最高軍事委員会委員長として国民党政府の首府・重慶に滞在し、国共両軍軍事委員会副委員長に就任し国民党軍の極秘軍情報を得ていた。
毛沢東の真の意図は、国民党軍との最終戦勝利の為に中国共産党軍を温存するべく、日本軍と国民党を戦わせ、国民党軍を消耗させ弱体化する事であった。
基本戦略は、中国共産党軍は日本軍と戦わない事であった。
そして、極秘に、日本軍に部分的停戦を申し込んだ。
毛沢東は、孫子と三国志を熟読し「漁夫の利」という狡猾な戦略を実行していた。
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11月5日 トラウトマン調停案。
軍部は、対ソ戦略から、日中戦争を終結させる為にトラウトマン調停案を受け入れる事を、恥も外聞もなく涙を流してまで要望していた。
当時の参謀総長は閑院宮大将で、参謀本部次長は多田駿(はやお)中将であった。
政府関係者及びエリート官僚には、マルクス主義の革新官僚や転向組官僚(隠れ共産主義者)が多数存在していた。
日本の共産主義化には天皇制度を破壊する敗戦革命しかないと考え、軍部が泣いて要望するトラウトマン停戦案を廃棄させた。
日中戦争が泥沼化させたのは、軍部ではなく、マルクス主義を信奉する中央のエリート官僚(革新官僚、転向組官僚)と一部の軍人エリート官僚であった。
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12月13日 日本軍は、ナチス・ドイツの軍事支援を受けていた中国軍を撃退して南京を占領した。
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2015年11月28日 産経ニュース「【LA発 米国通信】
ハリウッドで進む米中蜜月 ブルース・ウィリスらが重慶爆撃の悲劇を熱演…スタローンも熱い視線
日中戦争時の「重慶爆撃」を題材にした中国映画「大爆撃 THE BOMBING」に出演した米ハリウッド俳優ブルース・ウィリス(AP)
南シナ海の人工島建設をめぐる米中対立が顕在化する中、中国が米空軍の支援を得て日本と戦った日中戦争を題材にした中国映画が完成した。ハリウッド俳優や韓国人気俳優が出演。現実の国際政治とは違って、映画界では米中蜜月ムードがただよう。制作関係者の言葉には歴史認識を映画に反映させる意図がにじんでいる。
映画は、「大爆撃 THE BOMBING」(蕭鋒監督)。日中戦争当時、中国政府が首都機能を移転させた重慶市に対する旧日本軍の「重慶爆撃」で被害を受けた市民らを中心にしたストーリーで、中国で来年3月の公開が予定されている。
中国空軍を支援した米義勇航空部隊「フライング・タイガース」の飛行教官、クレア・L・シェンノート役を演じるのは、映画「ダイ・ハード」シリーズで知られるブルース・ウィリス(60)だ。韓国のソン・スンホン(39)も中国空軍のパイロット役で出演するほか、アカデミー賞主演男優賞を受賞したエイドリアン・ブロディ(42)も出演する。アート・ディレクターには映画「リサール・ウエポン」シリーズなどで知られる俳優、メル・ギブソン(59)も加わった。
同作は、習近平指導部が「抗日戦争勝利70年」と内外にアピールする今年中の完成を目指していたがこのほど完成。構想段階から5年を要したという。
米紙ロサンゼルス・タイムズには、11月8日に米ロサンゼルス・ビバリーヒルズで行われた完成記念パーティーの様子が、映画のピーアールとともに掲載された。ブルースは「この映画はとてもおもしろい。私の家族はこれが好きだった。家族と一緒にまた(この映画を)見られるように、米国での公開も期待している」とコメントしている。
唐突に「家族」が出てきたようだが、映画のキャストの中には、元妻で女優のデミ・ムーア(53)との間に生まれた娘、ルーマー・ウィリス(27)がいたのだった。
完成記念パーティーには同作には出演していない人気俳優らも出席。映画「ロッキー」シリーズや「ランボー」シリーズで知られるシルベスター・スタローン(69)は「続編で役を演じることに興味がある」とアピールし、急成長する中国の映画市場に熱い視線を送った。
同作のエグゼクティブ・プロデューサーは「重慶で何があったのかを映画化することで、正しい歴史を思い出させ、次世代に文化的遺産として残す」などとしている。豪華キャストが演じる戦争映画は、エンターテインメントとしての側面と、歴史認識問題の境界線を見えにくくしかねない。文化や芸術として、すばらしい映画であってほしいものだ。(敬称略)」
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軍国日本は、ファシスト中国軍に参加していたアメリカ軍義勇兵と戦っていた。
アメリカ軍義勇兵とは、アメリカ陸軍がフランクリン・ルーズベルト大統領の承認を得て派遣した退役兵士であるが、退役は偽装で正規兵のままであった。
アメリカは、軍国日本に対して宣戦布告していないにもかかわず、ファシスト中国に正規兵を派遣して日中戦争に参戦していた。
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アメリカの諜報機関や宣教師達は、ファシスト中国が行っていた非人道的な軍事行動や虐殺行為を知っていたが、全ての戦争犯罪を軍国日本に押し付けた。
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日本軍は、天皇の軍隊・皇軍としての誇りから、天皇の名誉を傷付け穢さない様に軍律や軍紀が厳しく、上官の命令は天皇の命令として絶対服従であった。
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2017年1月4日 産経ニュース「邦人多数虐殺「通州事件」 中国共産党の扇動判明 蜂起部隊に工作員接触
中国-北京市通州区
日中戦争(1937〜45年)の開始直後、北京郊外で邦人多数が虐殺された37年7月の「通州事件」で、蜂起した親日地方政権の中国人部隊が、中国共産党の扇動工作を受けていたことが、中国での研究で明らかになった。日中戦争は今年で開始80年となるが、「抗日民族統一戦線」の結成を急ぐ当時の共産党が、敵対する親日政権の軍・警察組織に離反を働きかけたことで、惨劇につながる蜂起の素地が事前に形成されていたことが裏付けられた。(編集委員 山本秀也)
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通州事件を起こした「冀東(きとう)防共自治政府」(所在地・通州)の「保安隊」をめぐっては、国民党政権の軍・地方長官と保安隊幹部の通謀が判明する一方、共産党の関与に関しては、日本では可能性が指摘されながら実態が明示されていなかった。
共産党の関与を示す研究は、党史や地方史に関する報告として、河北省唐山市の機構が運営する研究サイト「政協唐山文史網」や、歴史専門誌「国家人文歴史」などで、近年相次ぎ公表された。
それによると、河北省周辺での地下活動を統括した共産党北方局(劉少奇書記)の下で、「黎巨峰(れい・きょほう)」「王自悟(おう・じご)」という工作員が、35年の冀東防共自治政府の成立直後から、保安隊の張慶余(ちょう・けいよ)・第1総隊長、張硯田(ちょう・けんでん)・第2総隊長と関係を構築した。
この接触で、共産党は「抗日救国に一致団結する大義」を張らに植え込んだほか、保安隊内への浸透も進めた。
さらに、盧溝橋事件に始まる日中戦争以前に華北一帯で頻発した抗日活動も、共産党の工作が奏功したものだと指摘。
実例として、36年11月、河北省昌黎県を列車で移動中の山海関守備隊長、古田竜三少佐ら日本軍将校5人が、同じ保安隊の兵士に拉致された事件について、共産党に影響された張硯田の指示だったことを明らかにした。
35〜36年当時、毛沢東率いる共産党は、陝西省北部の根拠地で国民党軍の包囲を受けつつ、党勢の立て直しを模索。国民党や親日勢力を取り込む「抗日民族統一戦線」の構築を方針に掲げ、国民党などの支配地域で地下工作を進めていた。
保安隊工作にあたった黎巨峰は、小学校の教員を務めた地下党員。「通州兵変(クーデター)の推進役」として評価される。事件後は河北省東部(冀東)地区で共産党武装組織の幹部となり、38年8月に同省楽亭県での暴動を組織した。
張慶余らは、盧溝橋事件(37年7月7日)で日本軍と衝突する二十九軍の軍長などを務めた国民党の宋哲元らと事前に通じ、資金を供与されていたとされる。
通州事件で、保安隊は7月28日の深夜から行動に移り、第1総隊が日本軍守備隊の攻撃、第2総隊が外部との連絡切断、教導総隊が駅の制圧と日本軍増援部隊の阻止を担当した。共産党が蜂起計画に直接関与したのか、あるいは一般居留民の被害まで想定していたのかはなお不明だ。
蜂起を指揮した張慶余らは通州事件の後、国民党軍の中将となり、戦後まで生存。中国では「抗日将領」として評価されている。
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【用語解説】通州事件
日中戦争開始直後の1937年7月29日未明、北京の東にある通州(現・北京市通州区)で、親日地方政権「冀東防共自治政府」(殷汝耕=いんじょこう=政務長官)の保安隊が蜂起した事件。自治政府、日本軍の関係機関のほか、日本人居留民が襲撃され、朝鮮半島出身者を含む200人あまりが死亡した。多くの女性や子供が、きわめて残虐な方法で殺害されたことで、日本の国内世論を激高させた。」
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- 作者:高尾 栄司
- 発売日: 2012/02/01
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- 作者:北海 閑人
- 発売日: 2005/09/25
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