🎺57:─1─アメリカ軍は、3発目の原爆は10月中旬頃と報告した。昭和天皇の「聖断」。 関東軍最後の戦い。1945年8月10日~No.277No.278No.279 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本天皇は、立憲君主であって独裁者ではなく、憲法の管理下で行動していた。
 政府と軍部が承認しなければ、天皇は何も行動が取れなかった。
 天応は、政府や軍部の許可を得ずに、国民に直接語りかける事はできなかった、 
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 ユダヤ共産主義者と反天皇派日本人は、敗戦革命として、昭和天皇を殺害し、天皇制度を破壊しようとしていた。
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 原爆投下実験において、日本人は人として見られず、そして人権も無視された。
 それが、ヤルタの密談である。
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 通説通り、戦争は始めるのは簡単だが終わらせるのが難しい。
 それは、敗戦国も戦勝国も同様である。
 第一次世界大戦の総力戦から、その傾向が強くなった。
 第一次世界大戦の終了後。戦勝国である日本は、戦中は好景気に沸いて数多くの成金が勝ち組として馬鹿騒ぎしたが、戦後不況でその多くが巨額の債務を負って負け組として姿を消した。
 第二次世界大戦では、アメリカが世界の軍需工場として連合国軍の武器弾薬の大半を生産していた。
 アメリカ政府は、戦時経済体制として国内産業の民需部門を必要最小限に抑え、軍需部門にヒト・モノ・カネを総動員していた。
 莫大な戦費は、国家予算と戦争国債で賄われていた。
 各報道機関は、国策に従って、戦争国債の購入を促す愛国心的キャンペーンと人種差別丸出しの悪意に満ちたプロパガンダを行った。
 アメリカは、日本軍以上に情報の重要性を認識するがゆに、プロパガンダを巧みに駆使して情報戦を優位に戦っていた。
 国民は、政府発表を信じ戦争勝利の為に、激戦地で戦っている兵士の苦労を思い描きながら耐乏生活を我慢していた。
 キリスト教会も、軍国日本との戦争に協力するべく好戦的ミサを執り行っていた。
 兵士として徴兵されない非白人系アメリカ人は、国民の義務として、一部の例外を除いて軍需工場での労働が強要されていた。
 全ての交通機関は軍隊の管轄下に置かれ、物流は民間用より軍事用が優先されていた。
 FBIや各州警察は、憲兵隊の補助機関として国民の自由を制限し、反社会的活動家の反戦活動を厳しく監視し、労働組合や黒人組織の利敵サボタージュを囮捜査を交えながら徹底して取り締まった。
 アメリカの監視体制は、ソ連中国共産党などの共産主義圏での血に飢えた非人道的無慈悲ではないとしても、不徹底で曖昧な軍国日本の警察や憲兵隊の比ではなかった。
 アメリ軍需産業は、ユダヤ系国際金融資本からの融資を受けて、アメリカやイギリスはおろかソ連や抗日中国にも武器弾薬を供給していた。
 ユダヤ人は、天皇制度国家日本やナチス・ドイツを殲滅する為に全面協力していた。
 ファシスト・イタリアに次いでナチス・ドイツが、最高指導者の死と政府の消滅と軍隊の崩壊で無条件降伏した為に、生産された武器弾薬は対日戦線に送られていた。
 今。突然に軍国日本が無条件降伏を宣言して戦闘行為を止めたら、アメリカの戦時経済は大崩壊し、軍需工場の操業は全面停止して、数百万人の失業者が大都市の路上に溢れる恐れがあった。
 さらに、ヨーロッパと太平洋で戦った数百万人のアメリカ兵士が帰国して、そのまま就職先がなく無職となる事は明らかであった。
 その失業者数は、世界大恐慌時の失業者を上回る恐れがあった。
 だが。アメリカ国民は、4年近い戦争に厭戦気分となり、戦時国債の購入に意欲を持たず、一日でも早い戦争終結を望んでいた。
 アメリカ産業界と労働組合は、ハードランディング的な戦争終結で戦後不況を招かぬ様に、政府に対して産業保護の諸政策を望んでいた。
 アメリカ政府は、経済や社会への影響を最小限に食い止める為に、戦争終結の主導権と戦後世界体制の指導者の立場を確保するべく、ソフトランディング的諸政策を行っていた。
 アメリカは、弱肉強食の市場経済至上主義を信奉する軍産複合体国家であり、自国の利益の為にダブルスタンダードを全ての国に強要していた。
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 ウィリアム・レーヒー「広島と長崎に落とされた恐ろしい兵器は、日本に対して、物理的に全く貢献しなかった。日本はすでに負けたようなものだったし、降伏するつもりだったのだ」
 ドワイト・アイゼンハワー「私は、二つの点で反対だった。まず、日本はすでに降伏するつまりであり、あの恐ろしい兵器を使う必要はなかった。次に、私は祖国があの様な兵器を使う最初の国であって欲しくなかった」
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 トルーマンも、ルーズベルト同様に宗教的人種差別主義者として、日本人を人間扱いせず人権を認めてはいなかった。
 スチムソン陸軍長官が、京都を目標都市から外したのは、日本人の憎悪がアメリカに向けられる事を恐れたからである。
 ソ連が対日戦に参戦した以上、日本人の憎悪を気にする必要がなくなり、原爆投下候補都市としての京都が復活した。
 宗教的人種差別のアメリカ軍は、異教徒非白人・日本人の文化財に愛着はないし保護する意思もなかった。
 連合軍は、非武装の文化都市であったドレスデンを、空爆してキリスト教の貴重な文化財と共に焼け野原にした。
 戦争は、勝つ為ならば如何なる手段も合法化する。
 勝者は、戦犯に問われる事はない。
 奈良や鎌倉なども、戦争が長引けば空爆され焼け野原となる運命であった。
 世界戦争において、敵を倒す為ならば、邪魔と見なした同胞を殺し民族的貴重な文化財でも破壊した。
 戦争は、狂気である。
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 トルーマン大統領は、8月9日に原爆投下の正当性を示す声明をラジオ放送で全世界に対して発表した。
 「我々が開発した爆弾を使用した。真珠湾で我々に通告する事なく攻撃を行った相手に、アメリカ人捕虜を飢餓にさらし、殴打し、処刑した相手に、そして、戦時国際法を遵守する素振りさえかなぐり捨てた相手に、原爆を投下した。我々は戦争の苦しみを早く終わらせる為に、数多くの命を、数多くのアメリカの青年を救う為に、原爆を投下したのである」
 アメリカは、原爆を使用した正当性として、国際法違反で戦争を始めた戦争犯罪者への制裁と、戦争を早く終結させて人命を救う為、2点を強調した。
 国連は、アメリカの説明を受け、戦争犯罪国家日本への原爆投下は正義と平和の為の、勇気ある行動であったと追認した。
 だが、その破壊力が人類の死滅につながる恐れがあるとして国際的管理が必要とされたが、米ソ英仏の常任理事国は原爆開発競争に暴走した。
 「戦争を早く終わらせ人的犠牲を増やさない為」という大義名分がたてば、使用結果の甚大なる被害を無視して残虐性の高い兵器の使用が許される事になる。
 つまりは、戦勝国の核爆弾使用は戦争犯罪とならないが、敗戦国の核爆弾使用は戦争犯罪とされる。
 そして、大義名分が成立すれば化学兵器生物兵器などの使用も合法となる。
 トルーマンは、広島の甚大な被害を写真で確認して恐怖した。
 グローブスは、3発目が準備できるのは早くても10月中旬頃になると答申した。
 3発目の原爆は、8月17日か18日以降の最初の好天の日に、京都を含む目標都市に投下する事が決定された。
 昭和天皇や日本政府がある東京も標的に加えられた。
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 原爆開発計画のアメリカ軍とユダヤ人科学者は、ヒロシマナガサキにおける原爆投下実験の結果データーを得る為に、ワシントンに対して戦争の早期終結を要望した。
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 アメリカは、原爆が投下される遙か以前から、昭和天皇と軍国日本が戦争を早期に終結したがっている事を知っていた。
 その最低条件として求めていたのが、昭和天皇の安全を保障する国體護持である事も知っていた。
 国體を認めれば、昭和天皇も軍国日本も降伏する事が分かっていた。
 全てを、アメリカは知っていたのである。
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 レーリンク(オランダ人判事)は、自著『東京裁判』で、昭和天皇は原爆とは関係なく降伏を決めて、アメリカは軍国日本が降伏する前に原爆投下を急いでいと、記述した。
 「アメリカは罪の意識に苛まれた。アメリカは原爆を使わなければ犠牲者は数百万人も上積みされただろうという言い出した。戦争を終わらせたのは原爆だと人々に信じさせる為のプロパガンダが溢れた」
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 8月10日 東京に、原爆投下予告ビラ7万5,000枚が撒かれた。
 日本の空はアメリカ空軍に支配され、上空を通過するB29は各地に原爆投下予告ビラを撒いていた。
 原爆投下予告ビラや降伏勧告ビラは、日本人兵士捕虜が書いていたと言われている。
 午前零時3分 皇居の御文庫付属室で、ポツダム宣言受諾の可否についての御前会議が始まる。
 午前2時30分 第一回目の「聖断」。昭和天皇は、戦果の望めない本土決戦に固執する軍部への不信を表明し、「外相の申しいるところに同意である」と発言して、「皇室の安泰」のみを求めるという一条件案を支持した。
 昭和天皇が退場した後。御前会議は最高戦争指導会議に切り替えられ、出席者全員が天皇の聖断を認める決議を行った。
 3時 閣議が再開され、国體護持を条件で受諾するという「聖断」を政府の方針とする事を決定した。
 阿南は、鈴木と米内に対して、連合国側が天皇の国家統治権を認めなければ戦争を継続する事を約束させた。
 梅津は、参謀本部に帰るや、河辺参謀次長ら幹部を集めて、御前会議で聖断が下った事を告げた。
 陸軍は、昭和天皇が本土決戦計画を否定し、軍部に対して不信を表明した事に愕然とした。
 陸軍内の継戦強硬派は、戦争終結に不満を抱きクーデターを起こすべく行動を起こした。
 内閣書記官長の迫水久常は、昭和天皇の言葉を参考にして終戦詔書の草案を練り、大東亜省顧問の安岡正篤らが手を加えた。
 4時 東郷は、外務省に戻り、ポツダム宣言受諾の聖断を受け、平沼枢密院議長の修正案に従って電文を作成した。
 6時 外務省は、連合国に受諾の電文を送った。
 「条件中には天皇の国家統合の大権を変更するの要求を包含しおらざる事の諒解の下に、帝国政府は右宣言を受諾す」
 東郷茂徳外相(A級戦犯)は、昭和天皇の名代と日本政府の代表として、スイス政府を通じてアメリカ政府に対して、諸都市に対する原爆投下や無差別絨毯爆撃が、罪のない多くの民間人を虐殺している事に対して、公式に抗議する声明を送った。
 「アメリカは再三にわたり、毒ガスその他の非人道的戦争方法を不法とすべきで、相手国がこれを使用しない限り、その国にこれらの兵器を使用しない旨を声明している。しかし、それにもかかわず、この度アメリカが使用した原子爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において、毒ガスその他の兵器を遙かに凌駕するものである。従来のいかなる兵器にも比較できない無差別性惨虐性を有するこの爆弾を使用するのは人類文化に対する新たな罪悪である。帝国政府は、自らの名において、また全人類および文明の名においてアメリカ政府を糾弾すると共に、即時このような非人道兵器の使用を放棄すべき事を厳重に要求する」
 トルーマン大統領は、日本からの抗議文を黙殺して回答しなかった。
 マリク大使は、東郷と会見し、ソ連は日本がポツダム宣言を拒絶した事を理由にして宣戦布告すると伝えた。
 東郷は、マリクに対して、ソ連は約束を破り警告なしに侵略を行ったと非難し、ポツダム宣言を条件付きで受諾する声明文を連合国側に伝達する様に依頼した。
 高木惣吉日記「陸軍のクーデターの気勢は刻々と高まり、海軍の決戦論者も、必死になって終戦の妨害につとめた。鈴木は唯陛下の指図を仰ぐばかりで、自らはすこしも采配を振ろうとせず、梅津、阿南、豊田は決戦論に取り憑かれ、重臣は何れも安産地帯から見物という姿で、決死の覚悟で和平に尽くしたのは米内、木戸のほか寂々たる少数にすぎなかった」
 木戸は、戦争責任が昭和天皇に及ばない様に偽装工作を行い、皇室の安泰と皇室財産の隠匿に奔走した。
 そこには、国民の生命への薄かった。
 昭和天皇も、正統な天皇である事を証明する「三種の神器」を敵の手から守る事を最優先とした。
 最重要課題は、国柄として、天皇を中心とした国體の存続であった。
 朝日新聞は、日本政府がポツダム宣言を受諾して降伏する事を決定した情報をえたが、本土決戦と一億全玉砕を訴えてきた手前、知らぬ顔で戦意昂揚の報道を続けた。
 下村宏情報局総裁は、日本の敗北を示唆する声明を出した。
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 三種の神器が、天孫降臨神話に基ずく日本の文明や宗教や文化の大本である以上は、当たり前である。
 三種の神器が敵に奪われる事を容認したり、三種の神器がなくても天皇の正統性が認められるとする日本人には、日本の歴史を語る資格はない。
 日本民族にとって、三種の神器天皇心神話=日本神話の欠くべからざる核である。
 日本神道民族宗教である事を証明するのは、三種の神器を所持する正統な祭祀王・万世一系男系天皇(直系長子相続)の存在がある。
 三種の神器を無視する者には、民族的絆はなく、神道の信仰は無縁であり、如何なる神社をも参拝する資格はない。
 神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)と三種の神器は、神代の昔から一心同体であり、神格性をもたらす為にも不可分の関係である。
 強いていえば、絶対神とイエスキリストと人をつなぐ、聖書であり、精霊であり、十字架である。
 この宗教的関係を否定するのは、反宗教無神論者のマルクス主義者である。
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 日本のアイルランド・ダブリン領事別府節弥は、アイルランド外務次官からジョセフ・グルー国務長官代理が「米英は日本の皇室存続の要求を受け入れる」との見解を聞き、東京の本省に打電した。
 英国政府暗号学校(プレッチリーパ−ク)は、日本の外交暗号を傍受し解読した。
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 8月10日午前7時35分(ワシントン時間) 日本の同盟通信社は、日本側は天皇の地位存続・国體護持という条件付きでポツダム宣言を受諾する意向である事を報じた。
 ワシントンは、軍国日本が国體護持という条件付きで受諾を表明した事に対する回答文作成作業に入った。
 ニューズウィーク誌は、対日戦争終結が近いとの情報を得て、8月20日号で「対日戦勝」の特集記事を掲載した。
 天皇制度存続について、日本人と天皇の関係について、神道天皇制度について、そして一般では知られていないプライベートな昭和天皇の日常生活といった事まで委細に取り上げた。
 「天皇の『大権』が尊重されるならば降伏するという日本の申し入れは、天皇制を残して得をするのは日本と連合軍のどちらなのかという厄介な問いを生じさせた。その答えの鍵を握るのは、天皇統治下の日本社会で日米のどちらがこの独特の地位を操るのが上手いのか、という事だ」
 特攻や玉砕といった自殺行為を続ける日本軍を降伏させる唯一の方法は、昭和天皇が自ら降伏宣言を出す事である。
 日本人の天皇に対する不可解な忠誠心を利用し天皇制度を残す事を保障すれば、全ての日本軍は降伏し、日本人はおとなしくなって日本社会は保持され、占領統治は上手くいって重荷にならずに済むだろうと。
 軍国日本の降伏近しとの報道で、アメリカは勝利の内に終戦を迎えるだろうという祝賀ムードに包まれた。
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 8月11日 早朝近く。ダブリンの別府領事から外務省に緊急の警告電報が届けられた。 別府電報「本日10日、アイルランド外務次官と面談してグルー国務長官代理お見解として、グルーは皇室を強く擁護する考えで、皇室存続の日本の要求を英米は受け入れるだろう。と聞いた。ただし問題はソ連がそれに譲歩するかどうか。しかし、もしも皇室が維持されたとしても、日本はおそらく英米軍の占領を受け入れ、現在の政府も外交団も消失するだろう。次官の考えでは、ソ連参戦で日本の運命は悲観的になった。ばぜならロシアは望む全ての領土を奪うまで戦闘を止めないからだ。皇室維持についていえば、真剣に慎重な政策を取り、大石内蔵助西郷隆盛の時代の様に祖国を内戦に導かない事を望む」
 別府領事は、アメリカはソ連の侵攻を食い止める為に日本が求める国體護持を容認する用意があるから、軍部の軽挙妄動を押さえ、軍人や右翼などの軍国主義者によるクーデターや内戦を防止し、ポツダム宣言を受諾して戦争を終結させるべきであると、意見具申した。
 軍国日本がソ連の条約破りの参戦で戦争終結を決断したのと同時に、アメリカも早期終戦の為に削除したポツダム宣言第12条を復活させた。
 新潟県新潟市は、第三の原爆が新潟に投下される恐れがあるとして、内務省の意向を無視し、独断で新潟市民全員を強制疎開させた。
 日本政府は、国體護持の為に一億総玉砕を信じ込まされている国民にポツダム宣言受諾による終戦を発表する事は、大混乱を招き、敗戦共産主義革命が起きる恐れがあると憂慮して、真実を知らせる事なく隠蔽した。
 下村情報局総裁は、国民に対して、国體護持の為には、如何なる困難も堪え忍ぶべきであると訴えた。
 陸軍省は、朝刊に、「たとい、草を喰み土にかじり野に伏すとも断じて戦ふところ死中自ら活あるを信ず」という徹底抗戦を訴える大臣布告を掲載させた。
 軍部継戦派が、聖断に従おうとする阿南陸相の許可を得ずに出した布告であった。
 近衛や吉積陸軍省軍務局長らは、布告発表を止めようとしたが果たせなかった。
 阿南も、継戦派を力で押さえる事は、いたずらに混乱を誘い暴発を招く恐れがあるとして、気が済むまで騒がせた方が良いとして静観した。
 東郷外相は、日本がポツダム宣言受諾する事を連合国側に知らせるべきだと判断した。
 松本外務次官と同盟通信国際局長の長谷川才次は、軍の検閲を受けないモールス信号を利用し、大田三郎外務省職員が密かに発信した。
 吉積軍務局長は、継戦派の説得に苦慮している矢先の事で、外務省の背信行為を激しく抗議した。
 継戦派内急進派は、クーデターを起こす為の密議を始めていた。
 外務省は、昭和天皇の聖断に従って、スイスとスウェーデンを通じてポツダム宣言を受諾する旨をアメリカに伝えた。
 受諾文書「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を抱合し居らざる事の諒解の下に帝国政府は右宣言を受諾す」
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 8月10日 ニューヨーク・タイムズ紙は、「連合国は裕仁存続を決定」という一面記事を掲載した。
 ロンドンの新聞は、アメリカ政府が国内とソ連の執拗な反対を押し切って天皇の地位を保持する決定を下した事を報道した。
 陸軍省は12日夕方にスイス駐在の岡本清福陸軍武官からの「天皇御位置に関する各国の反響」で、外務省は13日未明にスウェーデン駐在の岡本季正公使から「日本側条件を是認」という、極秘電報で知った。
 午前7時33分(日本時間11日午後8時33分) トルーマンは、日本政府の正式回答であるモールス信号情報を知らされた。
 バーンズ国務長官は、国民内に広がる厭戦気分に配慮して、日本の条件付きポツダム宣言受諾を承認しようとした。
 国務省知日派は、「天皇の法的国家統治の大権」を認める事は軍国主義を温存させる恐れがあるとして猛反対した。
 アメリカの報道機関は、政府筋の情報として、近いうちに軍国日本が降伏するらしいという情報を流した。
 ニューヨーク・タイムズとニューヨーク・ヘラルドトリビューンなどは、昭和天皇を裁判にかけ、天皇制度を廃止するべきであると訴えた。
 国民世論は、戦争犯罪国日本に対して、ナチス・ドイツヒトラーは自殺)やファシスト・イタリア(ムッソリーニはリンチ処刑)同様に無条件降伏を要求する事を求めた。
 専制君主廃止論者は、昭和天皇を処刑し、天皇制度の廃止を支持した。
 9時 トルーマンは、閣議の席上で今後は大統領の許可なしに原爆の使用を禁止するとの決定を伝えた。
 トルーマン「再び10万人の人々を抹殺してしまう事を考えるだけでゾッとする。……このように子供達を殺してしまう事を好まない」
 二種類の原爆による投下実験が成功した以上は、新たな種類の原爆(水爆・中性子爆弾・他)がない為に三発目以降の投下実験は必要がなかっただけである。
 投下するしないよりも、四発目以降の原爆がまだ完成していなかった。
 原爆投下実験の事実を隠蔽する為に、広島と長崎の悲惨な人的被害を理由とした。
 レーヒー「日本から、広島市の80%が破壊され、10万人が死亡したという情報を受け取った」
 科学者や軍人は、戦略報告として、爆撃による軍事的効果ではなく、爆発による建物の破壊状況や爆心地からの距離による死傷率を重視した。
 つまりは、核分裂による破壊力に関する科学実験としてのデータが欲しかったのである。
 国際資本は、戦後に原子力産業を発展させ莫大な利益を得る為の実績造りの為に全面協力していた。
 戦後のインタビュー。
 「他の原爆が準備されていたのであろうか、ただちに使用できるようになっていたのだろうか」
 トルーマン「イエス。リストに載っていた他の二つの都市(新潟と小倉)は破壊される運命だった」
 トルーマンは、スウェーデン政府から日本政府の正式回答が届いた事を打ち明けた。
 日本の条件付きポツダム宣言受諾回答について、スチムソン陸軍長官やフォーレスタル海軍長官やレーヒー提督らは認めるべきであると主張した。
 バーンズは、日本の降伏は認めるとしても、条件を付けるのは戦勝国側であって敗戦国側ではないと反対した。そして、アメリカ側の回答草案を提出した。
 陸軍省のマックロイ次官は、日本の降伏文書作成に取りかかった。
 バーンズ「もし、日本の回答を受け入れれば大統領は十字架に磔にする事になる」
 ソ連、イギリス、中国は、バーンズ回答草案を承認した。
 スターリンは、日本分割の為の複数司令官統治案を撤回したが、北海道・北方領土・千島列島・南樺太を武力でソ連領にする為の軍事行動を命じた。
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 8月11日 朝日新聞国際法規を無視せる 惨虐の新型爆弾 帝国、米政府へ抗議提出」
 スイスのガゼット・ド・オーザンヌ紙は、社説で、アメリカ軍による対日爆撃に停止を勧告した。 
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 8月11日午前9時35分 北サハリンに待機していたソ連軍は、日本領南樺太に侵攻した。
 トルーマンは、スチムソン陸軍長官とフォーレスタル海軍長官の勧告を却下して、日本が無条件降伏するまで都市への無差別爆撃の継続を決定した。
 マンハッタン計画は、第四発目の原爆は8月19日までは製造の準備が出来ないが、10月末までには合計7発の原爆が製造できると報告した。
 アメリカ軍は、三発目の原爆投下を中止したが、中小都市への無差別爆撃は続けた。
 日本への原爆投下が破壊力を知る為の実地実験であった事は、アメリカの公式文書に記載されているといわれている。
 アメリカ政府が、原爆の威力を世界に見せつける為に、広島と長崎で原爆実験をおこなったのは歴史的事実である。
 アメリカ軍首脳の大半が、投下せずとも日本は降伏すると意見具申を繰り返していた。 政府高官は、制服組の反対を無視し、政治的判断として投下を命じた。
 科学者は、机上で想像する威力と現場での現実的威力の差を知りたいという純然たる好奇心から、原爆投下を切望していた。
 ごく一部の科学者は、使用に反対する署名をおこなったが、それ以上の行動や運動を起こさなかった。
 そして、科学者は、原爆実権が終了し、日本が降伏し戦争が終結した後に平和運動をおこなった。
 原子爆弾には、ウラン235型とプルトニウム239型の2種類があったが、数はさらに数個製造されていたという。
 日本における原爆投下が科学実験であった以上、ウラン型一個とプルトニウム型一個の使用で充分で、3発目の投下は必要なかった。
 もし別の種類の原爆、例えば水爆があれば、日本の降伏を先延ばしにして実地での投下実験をおこなったで有ろう事は事実である。
 だが、水爆はまだ完成していなかった。
 戦争勝利者が、戦闘の悲惨や原爆の凄惨に恐怖して戦争を中止する事はない。
 トルーマンや軍首脳や科学者が、原爆被害を知るのは、日本が降伏した後に調査団を派遣してからの事である。
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 ニューヨーク・タイムズ紙「日本は降伏を申し出る」「アメリカは天皇を残すだろう」
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 2018年4月8日 産経ニュース「【昭和天皇の87年】要塞を死守せよ! 関東軍の決死の反撃、ソ連軍は大混乱に陥った
 関東軍最後の戦い(2)
 虎頭要塞から発射された15センチ加農(カノン)砲の砲弾が次々に満ソ国境のウスリー河を越え、対岸のソ連軍陣地で炸裂(さくれつ)する。41センチ榴弾(りゅうだん)砲は20キロ離れたシベリア鉄道の関連施設を粉砕。30センチ榴弾砲も火を噴き、対岸のトーチカなどを破壊した。
 突然のソ連侵攻からおよそ半日が過ぎた昭和20年8月9日午前11時、満州東部の要衝で、関東軍が反撃に転じたのだ。高度に機械化された敵の大軍に対し、要塞に立てこもる関東軍の第15国境守備隊は、兵力寡少ながら士気も練度も高かった。
 猛虎山の主陣地で敵情捜索にあたった監視隊員の戦闘記録によれば、要塞の重砲はソ連軍に一泡も二泡もふかせたようだ。
 とくに41センチ榴弾砲の威力はすさまじく、ウスリー河にかかるイマン鉄橋に命中、極東ソ連軍の生命線ともいえるシベリア鉄道を一時不通にした。
 同日未明の5時間にわたるソ連軍の先制砲撃で要塞周辺の山肌は深く削り取られたが、地下に構築された鉄筋コンクリートの陣地は、健在だったのである。
 思わぬ反撃に、ソ連軍陣地は大混乱に陥った。
 × × ×
 守備隊は夜になると、斬り込み攻撃を敢行した。要塞の各陣地から小部隊が飛び出し、近くまで浸透していたソ連軍の狙撃部隊を襲撃、爆弾を抱えた兵士が戦車に体当たりして擱座(かくざ)させた。
 一方、ソ連軍は明くる10日に爆撃機を投入、上空と地上から猛烈な砲爆撃を加えた上で、11日午後6時、圧倒的な火力を背に狙撃部隊が総攻撃を仕掛けてきた。これに対し守備隊は決死の斬り込み攻撃で応じ、戦力がはるかに上回るソ連軍を撃退した。
 13日には、要塞を見下ろす高所にソ連軍が続々と進出、奪還をはかる守備隊との間で激しい白兵戦が展開された。守備隊陣地の一つ、臨江台をめぐる戦闘の様子を、前出の監視隊員がこう書き残している。
 「敵が小臨江台の一番高い所を狙って攻撃し、これを占領して赤旗を掲げると、(守備隊の)小隊は下の方から攻め上りこれを奪回する。幾度となくこのような攻防戦が繰り返された。(中略)十三日夕刻、例によって薄井見習士官は抜刀指揮して逆襲を敢行し、陣地頂上に駆け上ったところを、敵の手榴弾(しゅりゅうだん)が命中しついに倒れた。彼は文字どおり七生報国の念願を果たし、弱冠二十二才にして臨江台の土と化した」
 圧倒的な火力をもって次々に攻め寄せるソ連軍に対し、何度も、何度も立ち上がる守備隊将兵−。
 腹部に銃弾を受け、要塞の仮包帯所に運び込まれた砲兵隊中尉は天に叫んだ。
 「おれは死なないぞ、もう一度やる」
 × × ×
 戦っているのは、将兵だけではなかった。
 ソ連侵攻の9日以降、猛虎山陣地には約300人の、平頂山陣地には約150人の在留邦人が避難しており、婦女子を含め率先して負傷兵の看護、弾薬の搬送、炊事などに従事した。
 速射砲中隊所属の兵士がつづった戦記によれば、要塞外の作業で「敵が襲撃して来たらどうするか」と話し合っていた兵士らを、看護婦のひとりが「そのときは突っ込めばよい」と叱咤(しった)激励したという。
 だが、所詮は多勢に無勢である。ソ連軍が無尽蔵ともいえる兵力を投入してくるのに対し、孤立無援の守備隊は補給の手段がなく、戦力は日増しに激減した。
 やがて虎頭要塞は、壮絶な最期を迎えることになる−。(社会部編集委員 川瀬弘至 毎週土曜、日曜掲載)
   ◇   
【参考・引用文献】
防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 関東軍(二)関特演・終戦時の対ソ戦』(朝雲新聞社)
○平田文市編『ソ満国境 虎頭要塞の戦記』(全国虎頭会事務局)

加農(カノン)砲と榴弾砲 カノン砲は長い砲身が特徴で、高初速の砲弾を水平に近い弾道で発射し、主に遠距離の目標物を直接狙って破壊する。一方、榴弾砲は砲身が短く、山なりの弾道で敵陣地などを攻撃する。山地などの遮蔽物で目標を直接狙えない場合に威力を発揮し、敵の歩兵や輸送車などを制圧する間接射撃に有効である。ただし第二次世界大戦以降、長砲身の榴弾砲が出現し、カノン砲との区別は事実上なくなっている。」



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日本文化私観 (講談社学術文庫)

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