🎺71:─1─洗脳政策による日本人の心と精神の破壊。『太平洋戦争史』。「真相はこうだ」。「真相箱」。1945年12月~No.326No.327No.328@ ㊹

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 現代日本でも洗脳教育は続けられ、洗脳された日本人の、多数派が左翼・左派・ネット左派で少数派が右翼・右派・ネット右翼である。
 つまり、護憲派は洗脳された日本人であり、親米派も洗脳された日本人である。
 高学歴出身知的エリートは、洗脳教育の優等生である。
 反米派も洗脳された日本人である。
 リベラル派・革新派・エセ保守派そして保守派もまた洗脳された日本人である。
 洗脳されていない日本人は、誰もいない。
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 12月 日本軍は、武装解除し、軍人・軍属約311万人に帰郷を命じた。
 軍人の中には、日本人兵士の他に朝鮮人や台湾人の兵士が含まれていた。
 朝鮮人兵士や台湾人兵士は、強制や強要されたわけでもなく、自分の意思で志願して日本軍に加わっていた。
 中国の日本人居留民約50万人は、長年かけて、合法な仕事で稼いだ資産や貯金、適正価格で購入した我が家や不動産、売り手の言い値で買い揃えた家財道具、全てを没収されて追放された。
 非戦闘員の引き揚げ者は約319万人で、没収された財産はや数億円(19兆円以上)。
 戦後の日本には、中国に対して没収された日本資産の返還請求は認められていない。
 引き上げは、軍人・軍属が優先され、民間人は後回しにされた。
 史上最大の武装解除が混乱もなく完了したのは、昭和天皇が退位もせずに国家元首の座にあったからである。
 昭和天皇が戦争責任をとって退位していたら、日本はドイツ帝国ロシア帝国の崩壊と同じ同胞同士が虐殺し合う惨たらしい運命をたどっていた。
 それは、流血を好む共産主義者が望んだ暴力的共産革命の序曲であった。
 日本が悲惨な共産主義化しなかったのは、昭和天皇が退位しなかったからである。
 鈴木安蔵は、天皇制度廃止を説くノーマンの後押しを受けて天皇を中心とした国體を批判する論文「憲法改正の根本論点」を雑誌『新生』12月号に投稿した。
 「国体護持を日本国民が希望するにしても、従来、国體の名の下に、あらゆる反動的勢力が横行し、封建的帝国主義的政策が強行されて来た事を考へるとき、もし依然国體問題を無批判のままに放置するならば、再び国家主義的勢力ないし風潮が、国體護持の名分の下に結集し強化する危険がある。徹底的に、『国體』の根本的批判をなさしむべきが日本民主主義化の前提と思うが如何。
 『国體護持』を認むる結果、日本民族は、依然万国に比類なき優秀民族なりとの根拠なき自負心を捨てず、真に謙虚な国際社会の一員たる再出発をなしと思うが如何」
 トルーマンは、中国の内戦を中止させる為にマーシャル国務長官(陸軍大将)を派遣した。
 中国共産党代表の周恩来は、マーシャルと会談し、毛沢東ソ連よりアメリカとの積極的な関係を望んでいると伝えた。
 マーシャルは、帰国し、腐敗堕落した蒋介石の国民党より清廉潔白な毛沢東中国共産党を支援するべきだと、トルーマンに報告した。
 ニューヨーク・タイムズ紙 バイロンブライス(陸軍法務官)「(東京裁判の正体)東京裁判は、日本が侵略戦争をやった事を、懲罰する裁判だが、無意味に帰するから止めたら良かろう。ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任ではなく、戦後に千島、樺太を譲る事を条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるこら、日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的効果はない」
 アメリカの記者であるマーク・ゲインが来日し、マッカーサー司令官の側近であるフェラーズ代将ら知日派幹部らの話を聞いて後に『ニッポン日記』を出版した。
 第二章「実施の時期。 側近(インナー・サイクル)──バァタン・ボーイズ
 ……
 占領の最初の六週間の2人の首席(側近)はマッシュバー大佐とボナーフェラーズ代将だった。……
 もし『バタァン・ボーイズ』の中で政治分析家ないしは政治哲学者と称しうる人がいるとすれば、フェラーズは最もそれに近かったろう。彼が元帥の考え方にどれだけの影響力を与えていたか知らないが、私は元帥の発表する声明の中に、いつもフェラーズの思想の反映を発見しては驚いたものである。元帥は最近『口を閉じていろ』と命じた(とフェラーズは私に語った)が、それまでは彼はどんな政治上の話題でも快く話をした。だから彼の政治ならびに社会哲学についての私の調査記録はふんだんにある。
 たとえばフェラーズは、ルーズベルト大統領がアメリカを無理矢理に戦争に引きずり込んだと確信し、またドイツとの戦争も起こらずにすんだと固く信じている。
 『天皇ヒロヒトルーズベルト以上の戦争犯罪人ではない。事実、君、記録を調べてみたまえ、そうすれば・・・』と彼はある特派員に語った」
 12月2日 梨本宮守正元帥や広田弘毅ら59名の逮捕命令が出され、皇族も例外扱いされない事が明らかとなった。
 皇室関係者は、昭和天皇にも追及の手が及ぶ可能性があるとして警戒した。
 以前に。幣原喜重郎内閣は、戦争責任等に関する応答要領を閣議決定し、昭和天皇の地位と国體を守る為の「陛下に関する説明」をまとめ上げていた。
 1,日米和平交渉の円満妥協で戦争を回避する事を望んでいた。
 2,昭和天皇は、政府と軍部が決定した開戦を裁可したが、それは憲法上の慣例に従い却下できなかった。
 3,真珠湾攻撃計画の大綱は聞かされていたが、日時などの細目は聞かされていなかった。
 4,開戦前に、アメリカに最後通牒を手交するものと諒解していた。
 極東委員会は、昭和天皇を戦犯として裁いて有罪として退位させ、天皇制度の廃絶を最終目的としていた。
 12月6日 GHQは、新たなA級戦犯容疑者として近衛文麿元首相、木戸幸一内大臣大島浩前駐独大使ら7名に逮捕状を発した。
 12月7日 昭和天皇は、木戸幸一内大臣に、戦犯容疑者逮捕について「アメリカより見れば犯罪者ならんも我が国にとりては功労者なり」と語った。
 アメリカ賠償使節団団長エドウィン・ポーレーは、「日本からの賠償即時実施計画」を作成した。
 日本を工業国から農業国に改造する為に、重工業施設を賠償に充て、再軍備をさせない為に全ての航空機工場や陸海軍工廠を潰した。
 GHQは、日本人に日本人は戦いを好まない平和的な農民であるとの洗脳教育を行った。
 12月8日 民間情報教育局(CIE)は、開戦日から、日本軍が如何に占領地で残虐行為を行ってかという内容の『太平洋戦争史』を新聞各紙に掲載を開始した。
 日本軍罪悪史観によって、軍国日本の正当防衛及び自衛的軍事行動は完全否定された。
 12月9日 唯一の公共放送(後のNHK)は、民間情報教育局の指揮監督下で、日本精神を破壊する洗脳プロパガンダ番組「真相はこうだ」のラジオ放送を開始した。
 日本の放送局は、48年8月まで、日本人に罪悪感のみを植え付ける放送を、「真相箱」「質問箱」と名称を変え続けた。
 日本罪悪史観に基ずく反日天皇放送は、今日においても、表面的に分かりづらい手法で、「公正・公平・中立」といった放送法を建て前とする自己規制の影に隠れて行われている。
 中国や韓国に配慮し、日本を貶めるような内容の歴史番組が捏造と歪曲とヤラセで製作され放送されている。
 その実例が、平成13年1月に行われた「国際女性戦犯法廷」を放送した特集番組「問われる戦時性暴力」であった。
 12月14日 GHQ法務部長カーペンター大佐は、米軍紙「太平洋・星条旗」に、戦犯として裁かれる東條英機らにA級・B級・C級の序列を付けるとの声明文を掲載した。
 GHQの日本占領には、5,000人以上の英語が話せる日本人エリー集団が協力し、特権的生活が保障された。
 彼らの多くが反天皇マルクス主義者として、GHQ内のニューディーラー(ユダヤ共産主義者)に協力していた。
 英語を話せる日本人には、ステータスの高い優遇された生活が与えられた。
 彼らは、敗戦国日本の為ではなく、日本改造の為に英語を駆使して働いていた。
 12月16日  日中戦争終結と日米戦争回避に奔走した近衛文麿元首相は、出頭期日の16日の前日に青酸化合物をあおって自裁した。
 近衛文麿の遺書「僕は支那事変以来、多くの政治的過誤を犯した。之に対し深く責任を感じて居るが、所謂戦争犯罪者として、米国の法廷に於て裁判を受ける事は、堪え難い事である。殊に僕は、支那事変に感ずればこそ、この事変解決を最大の使命とした。
 そしてこの解決の途は、米国の諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今、犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思う。しかし、僕の志は知る人ぞ知る」
 もし生きて東京裁判の法廷に出廷していれば、東條英機と共にリンチ的縛り首で処刑されていた。
 自裁前の近衛を最後に見た次男・近衛通隆の証言「最後の言葉となった『僕は無益でただの小さな逆説を生きたんだ』という意味が長いこと理解できなかったんですが、ようやくこの歳になって父の死の意味を理解できるようになった気がしますね。多分、無力だった抗議の意思が込められていたんでしょう。藩?(はんぺい)としての無力感、政治家としての無力感とかいろいろあったでしょうから」
 政府と宮中は、戦犯追及が昭和天皇に及ぶのを避ける為に、先手を打って詔勅を出す事にした。 
 幣原喜重郎首相は、GHQ内の親日派であるカーミット・ダイス准将(教育局長)や学習院教授のレジナルド・ブライス(イギリス人)らの助言を得て、人間宣言の原文をまず英文で書き、後に日本語に翻訳した。
 「人間宣言」の主目的は、昭和天皇の命を狙い天皇制度を廃絶しようとしている外国勢力に対抗する為に、ワシントンの親日派への天皇メッセージであった。
 寺崎英成も、フェラーズやアチソンなどGHQ内の親日派に、国體護持の為の支援を強く要請した。
 12月17日 GHQは、政教分離の原則に従い神道指令を出して、国家による神社への財政支援や便宜や保護を廃止し、公的資格を持つ人間の神社参拝も禁止した。
 つまり、公人であろうと私人であろうと、公職に有る限りは神社参拝は一切認めないという事である。
 この考え方は、現代に於いても引き継がれている。
 マッカーサーは、日本をキリスト教国化し、日本人をキリスト教徒に改宗させる為に、「信教の自由」を無視して神道禁止令を命じた。
 アメリカが追い求める「神から与えられた使命」(マニフェスト・デスティニー)は、非キリスト教の劣等民族をキリスト教徒として生まれ変わらせ文明人にする事であった。
 「貴方の宗教は何か?」と問われて、無宗教と告白して恥じない日本人を親切心からキリスト教に導こうとした。
 12月19日 バーンズ国務長官は、辞表を提出した。
 トルーマンは、翌47年1月に、新たな国務長官に制服組のトップであるマーシャル参謀総長を任命した。
 12月21日 昭和天皇は、元日本共産党委員長で転向組で右翼の大物・田中清玄を引見した」
 木下道雄(侍従次長)「これは従来にない破格の事である。出獄後、沼津の山本玄峰老師に参禅。終戦後、米軍相手の土木事業に乗り出したる者なり。共産党を相手に戦わんとする気構え。七生報国を聖上に誓う」
 宮中と官邸は、GHQ内部の共産主義者と日本人共産主義者天皇制度廃絶の為に動いてる事に危機感を抱き、GHQ内の反共産主義勢力と共謀して国内の共産主義勢力の攻勢から国體を守ろう為に孤独な戦いを続けていた。
 問題は、マッカーサーであった。
 マッカーサーは、日本のキリスト教化と同時に共産主義的国家への大改造に邁進し、昭和天皇共産主義勢力から日本を守るという自衛行動に理解を示さなかった。
 GHQ内の共産主義者は、昭和天皇の厳罰と天皇制度の廃絶を求める国際世論・アメリカ世論・極東委員会の雰囲気を背景にして、天皇存続・国體護持の有条件降伏を認めたバーンズ回答を破棄して攻勢を強めていた。
 アメリ世論調査の7割が、昭和天皇の処罰を望んでいた。
 12月22日 昭和天皇は、学習院・東大教授の板沢武雄を招いて神社指令に対する対応を諮問した。
 板沢は、神道キリスト教徒が考えているような明確な輪郭を持った宗教ではなく、信仰は聖書による教義ではなく心の持ち方であり、神の法・戒律ではなく日常生活における心の有り様である以上、心配には及ばないと奉答した。
 「この指令は、顕語をもって幽事を取り扱わんとするものにして、例えれば鋏を持って煙を切るものなり」
 森羅万象を八百万の神々として崇め、自然のお陰で生かされていると感謝する信仰を破壊する事は、自然を否定する事につながるからである。
 寺崎英成「日本人は『ボカシ』が好きだ。それは水蒸気のせいではあるまいか。カリフォルニアの空気で育った頭で、水蒸気で育った頭を解釈し、統治する事の危険がそこにある。(日本流の)漠然とした考え方や言葉を、ハッキリした英語に直す事は困難でもあり危険でもある」
 12月26日 憲法研究会は、民間の自主憲法制定運動として、段階を生んで天皇制度を廃止するという「憲法草案要綱」を発表した。
 高野岩三郎は、即時天皇制度を廃止して共和制に切り替え、天皇に代えて大統領を国家元首にするという「日本共和国憲法私案要綱」を発表した。
 ノーマンは、天皇制度廃止の好機でありながら、廃止論者のマルクス主義者を強力に後押しても天皇の大権を大幅に縮小させて存続させた事に失望した。
 再建された日本共産党は、ソ連のような共産主義共和国を建設する為に天王制度廃止をハッキリと主張した。
 12月27日 モスクワで、日本占領の最高意思決定機関である極東委員会(FEC)の設置についての協定が発表された。
 構成国の中に、昭和天皇の処刑と天皇制度の廃止を求めるソ連、カナダ、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドが参加していた。
 マッカーサーは、極東委員会が天皇制度廃止する憲法の作成に主導権を握る事は、占領政策に支障をきたす恐れがあると危惧した。
 昭和天皇戦争犯罪で裁き処分する事は内戦を引き起こすと恐れ、連合国が納得する対策の検討に入った。
 マルクス主義者は、昭和天皇の処刑と天皇制度の廃止を支持した。
 12月31日 民間情報教育局は、日本人の精神を破壊する為に、修身・国史・地理の授業中止命令を出した。
 日本人マルクス主義者の協力を得て、国公立図書館から日本に関する思想哲学・政治・経済などの分野における書籍7,000冊以上を焚書処分とした。
 自由と民主主義の原則から、言論と思想と宗教が徹底して弾圧された。
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 GHQは、靖国神社カルト教団の宗教施設と決め付け、ドッグレース場を建設する計画を立てて焼き払おうとした。
 靖国神社の存続について賛否両論が巻き起こり、ローマ教皇庁代表で上智大学学長であるブルーノ・ビッテル神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン 神父に意見を求めた。
 ブルーノ・ビッテル神父「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。靖国神社国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」
 この進言により靖国神社は残った。
 祖国を守る為にカミカゼ特攻や玉砕で奮闘した日本軍兵士に感動した心ある諸外国の軍人は、同じ命を賭けて祖国を守る軍人として靖国神社を参拝した。、
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