🎹11:─4─『漢民族に支配された中国の本質』。中国人は古代から兇悪・凶暴な侵略主義者である。〜No.48No.49 ⑧ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年1月号 正論「読書の時間 
 『漢民族に支配された中国の本質』 三浦小太郎 ハート出版、1,540円(税込)
 戦前から戦後にかけて活躍した元陸軍軍人のチャイナ・ウォッチャー、長野朗の目を通して中国人の国民性を描いている。満州事変の前年、昭和5年の段階で長野は『支那時代来る!それは決して誇言ではない。世界の重点は大西洋から太平洋に移り、太平洋問題の重点は支那になるのだ』と、中国の発展を見通していた。
 長野は中国人(漢民族)に中に飛び込んで深く付き合い共感し、よく理解した上で、『凡(およ)そ今の世界に支那人位深刻な侵略主義者はあるまい』と、中国人の侵略ぶりを描いている。商人と農民が大挙して押し寄せ、現地住民を人口的に圧倒していく。満州国が成立するころにはすでに、満州漢民族に占拠されつつあった。戦前から漢民族による南モンゴル東トルキスタンチベットへの侵略が始まっており、その後さらに深刻な問題となるであろうことを、長野は見抜いていた。その先見の明には驚かざるを得ない。これは共産党の政策以前の、中国人の国民性に由来する行動だったのだ。
 であるから、仮に習近平氏が失脚しても侵略は止まらないことが予想される。『地を匍(は)う支那民族に隣して居る日本が、今のような行き方では満州人や蒙古人と同じく敗北する外ない』との長野の予言が現実化することのないよう、日本は備えを怠ってはなるまい。(編集部)」
   ・   ・   ・   
 古代から、日本と中国・朝鮮との間には友好・善隣などは存在していなかった。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、朝鮮人や韓国人とは違って現代の多数派漢族系中国人とは血が薄く、揚子江流域以南に住んでいる偏見と差別そして弾圧を受けている少数派少数民族系中国人に近い。
 日本人と中国人は同種・同族で一衣帯水である、はウソである。
   ・   ・   ・   
 日本にとって、中国と朝鮮は古代からいつ侵略してくるか分からない敵であった為に、親日派知日派帰化人として受け入れたが、敵日派や侮日派を帰化人として敬遠していた。
 日本は、古代から難民大国・移民大国であった。
    ・   ・   ・   
 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を狙っている。
   ・   ・ 

🌪42¦─1─中国空母「遼寧」が沖縄通過 太平洋でヘリ発着。~No.161No.162No.163No.164 (51) 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2021年12月18日16:24 産経新聞「中国空母「遼寧」が沖縄通過 太平洋でヘリ発着
 中国空母「遼寧」(共同)
 防衛省統合幕僚監部は、中国海軍の空母「遼寧」などの艦艇計4隻が16日に沖縄本島宮古島の間を南下し、東シナ海から太平洋に入ったのを確認したと発表した。海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」などが監視に当たった。領海侵入自衛隊への危険な行動はなかった。
 防衛省遼寧の沖縄通過を確認したのは今年4月以来。同省は、中国が外洋での活動能力の強化を図っているとみて、警戒を強めている。
 防衛省によると、海自が15日午前、長崎県男女群島の西約350キロを南東に移動する4隻を見つけ、護衛艦や哨戒機で監視を続けた。東シナ海と太平洋でそれぞれ空母から艦載ヘリコプターの発着艦もあった。空母のほかは、ミサイル駆逐艦フリゲート艦、補給機能があるとされる高速戦闘支援艦が1隻ずつ。
 中国初の空母となる遼寧は平成24年に就役し、28年に太平洋へ初めて進出した。」
   ・   ・   ・   

🎷73:─1─岸田政権下の自民党は対中非難決議を今国会でも見送った。親中国派・媚中派。~No.319 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2021年12月17日20:04 産経新聞「対中非難決議 今国会でも見送りへ
 対中人権非難決議をめぐり記者団の取材に応じる自民党古屋圭司政調会長代行=17日午後、党本部(奥原慎平撮影)
 中国政府による新疆ウイグル自治区などでの人権侵害行為を非難する国会決議は、先の通常国会に続き、今国会でも採択が見送られる見通しになった。複数の議連が決議採択に向けて動いていたが、自民党執行部が、北京冬季五輪の「外交的ボイコット」をめぐる対応を政府が決める前の決議採択に慎重なためだ。
 自民党茂木敏充幹事長は17日、超党派の「日本ウイグル国会議員連盟」会長を務める古屋圭司政調会長代行らと党本部で面会し、政府が外交的ボイコットに関する対応を表明しない限り、決議採択は認めない考えを示した。決議に関し「内容はいいが、タイミングの問題だ」と語った。
 面会には「日本チベット国会議員連盟」会長の下村博文文部科学相、自民の「南モンゴルを支援する議員連盟」会長の高市早苗政調会長らも同席した。
   ・   ・   ・   
 12月18日07:49 MicrosoftNews FNNプライムオンライン「対中非難決議 今国会見送りへ 高市氏「大変悔しい」
 © FNNプライムオンライン
 今の国会で、中国政府によるウイグルなどでの人権侵害を非難する決議が見送られる見通しになった。
 自民党高市政調会長臨時国会こそはと思って、公明党と文言調整含めやってきて、大変悔しいですね」
 自民党高市政調会長ら、中国の人権問題に関わる複数の議員連盟の幹部は、17日、党本部で茂木幹事長と面会した。
 高市氏らは、北京オリンピックを目前に控える中、今の臨時国会での非難決議を求めたが、茂木氏は、内容には理解を示したうえで「今はタイミングではない」として、決議の採択を見送る考えを伝えたという。」
   ・   ・   ・   
 12月18日19:56 MicrosoftNews  NNN24「中国&五輪…動く高市氏 不協和音の萌芽
 © NNN 中国&五輪…動く高市氏 不協和音の萌芽
 来年の北京五輪を外交的ボイコットするのか?中国の人権状況について国会で非難決議を採択するのか?中国との向き合い方をめぐり響き始めた岸田政権内の「不協和音」。自民党内の対立の萌芽・温度差は政権を揺るがすガバナンスの問題に発展するのか?解説する。(日本テレビ自民党担当キャップ 前野全範)
高市政調会長の官邸訪問 北京五輪の外交的ボイコット要求
 それは12月14日の夕方のことだった。自民党高市早苗政調会長古屋圭司政調会長代行、下村博文・前政調会長らが首相官邸の岸田首相の元を連れ立って訪問した。面会の要件は、来年の北京五輪について外交団や政府関係者を派遣しない、いわゆる「外交的ボイコット」を求めるためだった。それぞれ立場はウイグルチベット内モンゴル関連の議員連盟会長としてということではあったが、現職の自民党幹部、しかも党四役の1人の高市政調会長首相官邸に直接乗り込み、政権の「外交政策」に注文を付けるのは珍しい事態だった。
 このとき、自民党内では既に外交部会で北京五輪の外交的ボイコットを求める声が相次いでいたほか、保守色が強い議員グループが7日の段階で首相官邸を訪れボイコットをするよう強く申し入れていた。政府よりも党が「強く出る」ことについては、実は珍しくはない。常に相手国や国際社会への外交的な配慮が求められる政府の、本音の部分を党が代弁するパターンだ。政府側からすれば「きちんと党のご意見はうかがいました」という『ガス抜き』的な意味合いもある。ただ、このようなパターンは通常、政府と党の間で役割分担や落としどころが決まっているものだが…今回はどうなのか。
北京五輪「閣僚派遣せず」方針 外交ボイコットは曖昧戦術か?
 焦点となっている「外交的ボイコット」の可否について、複数の外務省幹部はこの問題が表面化する前の先月頃から筆者の取材に対し、「元々、外交ボイコットという言葉に定義はないから…」と何度も呪文のように繰り返していた。
 回りくどい言いぶりだが、その心は「外交的ボイコット」を大々的に宣言すると中国の激しい反発を招いてしまうおそれが強いので、この言葉自体は使わない。ただし、閣僚や政府関係者を派遣しないことで結果的にアメリカやイギリスなどとも足並みをそろえる、という対応の仕方。言うなれば外務省的「曖昧戦術」だ。
 外務大臣を4年8か月つとめた岸田首相もこうした外務省の戦術に一定の理解を示しているとみられ、ある官邸関係者は「岸田首相は外交は完全に外務省の言いなり。外交的ボイコットの件も外務省の曖昧案が基本路線で、総理はそれに逆らわない」と語る。
■中国非難決議で再び動く高市氏 今度は茂木幹事長に直談判
 一方、こうした曖昧戦術に対し、旗幟を鮮明にせよ、というのが、高市氏ら党内の保守系の議員らの立場だ。17日。高市氏は今度は茂木幹事長の元を訪問し、直談判に及んだ。内容は中国による新疆ウイグル自治区や香港などへの人権侵害を非難する国会での決議案だ。
 しかし、茂木氏は「外交的ボイコット」をめぐって、世論の関心が高まる中、「内容はよいがタイミングの問題がある」として決議案を自民党として了承することに待ったをかけた。幹事長の了承が得られなかったため決議は今国会での採択は見送られる方向になり、高市氏はカメラの前で「本当に悔しい」と心情を吐露した。つい先月まで外務大臣だった茂木氏は外交情勢を鑑み、首相官邸ともすり合わせた上で、今国会での決議見送りを判断したとみられている。
 一方、決議見送りの判断については、安倍元首相が高市氏の側に立ち、周辺に対して「批判が殺到すると思う。官邸に相談してはダメで党としての意思を示すべきだ」などと不快感を示しているとされるほか、保守系議員からは茂木幹事長の判断への反発の声が相次いで出ている。
自民党内に響く「軋み」の音。不協和音は大きくなるのか?
 順調に滑り出し、臨時国会も無難に終えようとしている岸田政権。その一方で足元の党内を中心に「不協和音」が響き始めた。
 ある自民党関係者は党内の現状についてこう解説する。
 「色々なところでギシギシと変な音が聞こえている。軋む音が聞こえながらも何とかかろうじて前に進んでいる状態だ」
 中国への向き合い方という難しい課題をめぐり、見え隠れするようになった対立の萌芽。意思決定過程での足並みの乱れは政権全体のガバナンスをも揺るがす問題に発展していくのか。年末年始も対中外交をめぐり目が離せない展開が続く。
   ・   ・   ・   
 12月19日10:40 産経新聞尖閣周辺に中国船 18日連続
 尖閣諸島。手前から南小島、北小島、魚釣島=沖縄石垣市鈴木健児撮影)
 沖縄県尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域で19日、中国海警局の船2隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは18日連続。
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、領海に近づかないよう巡視船が警告した。」
   ・   ・   ・   
 12月19日19:43 産経新聞「対中決議案、公明幹部の意向で「非難」削除 今国会採決も見送り
 有料会員記事
 日本に住むウイグル人香港人による「自由」を求めるデモ行進。日本政府に北京五輪の「外交ボイコット」を求める声も上がった =11日、東京・渋谷
 新疆(しんきょう)ウイグル自治区や香港などでの深刻な人権侵害行為を非難する国会決議案が、公明党の一部幹部の意向を反映し、中国政府への批判のトーンを弱めていたことが19日、分かった。原案に明記されていた中国当局による人権侵害を非難し即時停止を求めた部分は削除され、人権状況について説明責任を求める内容に修正された。ただ、修正後の決議案は公明が党として正式に了承するまでには至らず、今国会での採択も見送られる方向となった。
 決議の原案は、超党派の日本ウイグル国会議員連盟や日本チベット議連などが今年4月に作成したが、先の通常国会では採択には至らなかった。
 ウイグル議連会長で自民党古屋圭司政調会長代行は今月14日、公明幹部に改めて21日に閉会する臨時国会での採択に向け、協力を打診した。公明幹部は原案の表現を修正するよう求め、古屋氏が応じた。」
   ・   ・   ・   

⛅25:占領される沖縄。小説『南風(まぜ)に乗る』 柳広司。~No.49No.50 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年12月3日号 週刊ポスト「本年『本土復帰50年』
 ベストセラー作家が描く『沖縄が主人公』の物語
 『南風(まぜ)に乗る』 柳広司
 あの乾坤(てんち)そのもののような大国・清と戦争をして、日本が勝った?明治政府の軍隊とは、それほどまでに強いのか。
 沖縄の人たちのあいだに日本軍への絶対的な信頼が生まれたのは、このときからだ。その後、明治、大正、昭和と時が移り、日本が中国・アメリカとの無謀な両面戦争をはじめたあとも、
 ──たとえアメリカが沖縄に攻めてきても、日本の〝皇軍〟が自分たちを守ってくれる。日本軍が負けるはずはない。
 沖縄の人たいの多くが心からそう信じていた。日本軍が打ち出した『軍民一体』『郡民共生共死』の異様な方針(軍人が戦死すれば少なからぬ恩給が出るが、民間人の戦死には国家はびた一文ださない。民間人は文字どうり殺され損)さえ、さほど抵抗なく住民のあいだに受け入れられたことからも信頼ぶりが窺えよう。
 だが、1945年4月1日からはじまった沖縄地上戦において、沖縄の人びとの信頼は手ひどく裏切られる。
 沖縄に上陸した米軍の攻撃に対し、沖縄守備隊第32軍は首里城地下壕の司令部を捨てて南部に撤退を決定する。南部にはすでに大勢の住民たち──ほとんどは女子供と年寄りばかり──が避難していた。日本軍の決定は、避難民の巻き添いを前提にした徹底抗戦の方針だった。
 沖縄には〝ガマ〟と呼ばれる天然の壕(鍾乳洞)が多く存在する。住民が避難していたこのガマに、日本兵が次々になだれこんだ。かれらは住民に対して『ここは日本軍が使用する。お前たちは出ていけ』と命じる。反論する者には『戦争中は軍の命令が絶対だ』と突き放し、さらに『お前たちはここから出て、沖縄を守るために闘え、われわれ日本軍は日本のために闘う』といって住民から食料を奪い、ガマから無理やり追い出した。
 別のガマでは、日本兵は避難民を追い出さなかった。かれらは逆に、銃やナイフを住民に突きつけてガマ内に留まるよう命じ、逃げ出さないように厳重に監視した。『沖縄人は敵のスパイになる』というのがその理由だ。
 いずれの場合も、その後多くの住民が戦闘の巻き添えとなり、あるいは、軍民一体お方針の下、『生きて虜囚の辱を受けず(戦陣訓)』なる国際法無視(無知)の妄言で洗脳された日本兵によって自決を強要された。
 6月23日に沖縄守備隊司令官・牛島満が自決。日本軍の組織的抵抗は終了する。だが、牛島が自決にさいして沖縄全軍に『徹底抗戦』を命じたため、何人(なんびと)といえども戦闘停止の宣言ができなくなり、米軍による掃討作戦はその後もつづけられることになった。
 沖縄での降伏調印は、本土が降伏した半月以上後の9月7日だ。
 その間(かん)も犠牲者は増えつづけ、沖縄戦での死者は県民のじつに4分の1以上にのぼる。4人に1人。親兄弟、親戚から戦争犠牲者を出さなかった沖縄県民は一人もいないということだ。
 沖縄地上戦や、住民を置き去りにして軍が先に逃げた満州でもそうだが、敗戦によって明らかになったのは、
 1、軍は住民を守らない。
 2、軍が守るのは軍(国家は抽象概念に過ぎない。軍が現実に守るのは軍そのもの)
 3、住民は真っ先に切り捨てられる。
 というみもふたもない即物的な現実だった。
 別に不思議なはなしではない。徴兵制を基礎とする近代国家の軍隊は必然的に官僚組織とならざるを得ず、官僚組織において最優先される生理は唱えていた本土決戦が強行されていたとすれば、日本全土でもおなじ地獄が生じたのはほぼ間違いない。
 だが、現実には本土決戦は行わず、沖縄では地上戦が行われた。
 沖縄県民だけが、地上戦の地獄の中で軍隊の本性を目の当たりにすることになった。
 明治以降、『皇軍不敗』『神州不滅』と教えられ、そう信じていた沖縄県民にとって、心から信頼していた分、皇軍の〝裏切り行為〟は決して許せるものではなかった。
 日本軍、憎し。
 解放軍アメリカ、ウェルカム・・・。
 国場がかつて聞いた沖縄の声はそのときのものだ。
 わずか数年で、その声は反転する。
 沖縄の人たちの前に現れたアメリカ軍は、とてもではないが解放軍などと呼べた代物ではなかった。かっらは、自分たちは戦争に勝ったのだから好き勝手ふるまう権利がある、という態度を隠そうともしなかった。〝無気力でお人好しの、哀れむべき未開民族〟。そういって憚(はばか)ることがなかった。もはや劇画としか評しようのない、暴力をかさにきた異民族支配者の姿だ。
 1949年11月に沖縄を訪れた『タイム』誌記者フランク・ギブニィは次のように書いている。
 ──オキナワは、米陸軍の才能のない者や除け者のよいはきだめになっている。その軍規は世界中の他の米駐留軍と比べて最悪であり、最低の者たちを集めた1万5,000の部隊が、絶望的貧困のなかに暮らしている60万人のオキナワ住民を統治している。
 沖縄に駐屯する米軍こそが、教養のない、野蛮な兵隊の集団だった。ギブニィはつづいて、
 ──過去6カ月間に米軍兵士はオキナワで殺人29,強姦18、強盗16,殺傷33という驚くべき数の犯罪を犯した。
 と、自国の軍隊に唾を吐きかけるように書いている。よほど見かねる状況だったのだろう(もっとも、占領軍とは元々そうしたものなのかもしれない。馬に乗り剣で切り合う中世の戦(いくさ)は知らず、近代以降の戦争では敵を同じ人間と見做(みな)したのでは使用できない兵器が多すぎる。同じ人間が隠れているガマに爆弾を投げ込れ、あるいは強力な火炎放射器をガマ内に向けるなど、正気の者には到底不可能だ。近代以降の戦争では兵士、のみならず国民すべてが敵国の人間を同じ人間と思わないよう〝洗脳〟される。相手を同じ人間と思っていない以上、ルールを守る必要はない。沖縄戦では米軍側にも1万2,000名におよぶ戦死者がでている。目の前で戦友が殺された米兵のなかに、個人的な復讐心に燃える者がいなかったとは考えづらい)。
 ギブニィの記事に付け加えるべきはむしろ、沖縄での米兵の重大犯罪の多くが、〝裁かれることさえなかった〟という事実だ。米兵が沖縄で人を殺したり、傷つけたりした事件を扱うのは非公開の軍事法廷で、検事と裁判官は(法律の専門家ですらない)軍人がつとめ、判決結果も公表されなかった。被害者家族には、犯人がその後どうなったのかさえわあらない。殺され損の、泣き寝入りである。
 終戦7年後、サンフランシスコ講和条約で日本が独立したあとも、沖縄の状況は何ひとつ変わらなかった。本土(ヤマト)は沖縄を切り捨てた──売り渡した──といわれるのも当然だ。講和条約が発効した。〝日本の独立記念日〟4月28日は、沖縄では『屈辱の日』として記憶されている。
 講和条約発効後、苛酷な軍政に苦しむ沖縄を絶望の淵に追いやるように、沖縄各地に本格的な軍事基地の建設が次々にはじまる。それらはもはや、たわむれに〝キャンプ〟などと称する一時的施設でなく、恒久的使用を目的とした軍事基地(ベース)であるのは明らかだった。
 冗談じゃない。こいつらは沖縄に居座るつもりだ。
 アメリカの兵隊は沖縄から出て行け!
 ……」
   ・   ・   ・   
 日本列島に住む日本民族琉球民族アイヌ民族は、ヤポネシア人(石器人)・日本土人縄文人を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
   ・   ・   ・   
 白人キリスト教徒から見れば、日本人はアフリカ人同様に奴隷であった。
 宗教的西洋白人至上主義のアメリカ社会では、ユダヤ人、アフリカ人、アジア人、南北アメリカ大陸のインディオやインディアンなどの人種・民族に対する偏見や差別が根強く、特に日本人に対する敵意と嫌悪は異常に強かった。
 その証拠が、ヒロシマナガサキに対する原爆の投下実験と人体実験で、日本人は科学の進歩の為の実験体・モルモットに過ぎなかった。
 つまり、それはある意味で人種差別戦争であった。
   ・   ・   ・   
 白人から見たら、日本人は人間でなく害虫・毒虫かネズミのような害獣であった。
   ・   ・   ・   
 ロシア人共産主義者の日本人観も、偏見と差別であった。
 ソ連正規軍と中国人抗日暴徒は、満州樺太で逃げ回る数十万人の日本人避難民(主に女性や子供)を大虐殺していた。
 ソ連軍は、千島列島の占守島に上陸したが少数の日本軍守備隊による反撃で甚大な被害を出して占領できなかった。
 が、戦勝国が行った人道に反する犯罪行為は当然の権利で、如何なる行為も無罪とされた。
 その証拠が、北方領土4島の犯罪的強奪である。
   ・   ・   ・   
 敗戦国日本では外国人による凶悪犯罪が激増していた、沖縄では米兵であり、国内では米兵と朝鮮人であった。
 中でも、日本国内の反日朝鮮人が行っていた日本人に対する兇悪犯罪は酷かった。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇は、沖縄への行幸を切望しながら果たせなかった。
 昭和時代の皇太子(平成の天皇、令和の上皇)は、昭和天皇も名代として何度も沖縄を訪問した。
 反天皇反民族反日本の過激派(日本人共産主義者テロリスト)は、皇太子を殺そうとしたが失敗した。
   ・   ・   ・   
 日本人にはいろんな日本人がいて、賢く優れた善い日本人は少なく、陰険な悪い日本人や無能・低能・下らない・ダメな・バカな・愚かな日本人が数多くいた。
 戦国時代に捕らえた日本人を中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人に奴隷として売って金を稼いだブラック日本人の子孫が、現代日本人である。
 現代の日本人は、架空に近い時代劇や理想とする時代小説は好きだが、現実に起きた事実の歴史は嫌いである。
 日本人は惻隠の情や物の哀れを持っち人助けをよくする心優しい人である、はウソである。
 それが、平安時代山椒大夫羅生門の鬼女・盗賊から変わる事がない日本人の本性であり、それ故に日本人(沖縄とヤマトンチュウ、アイヌと和人)は油断も隙もなく、信用できない、あてにできないのである。
   ・   ・   ・  
 命大事として戦う事を嫌って逃げる現代の日本人と、死ぬ事を覚悟して逃げずに戦った昔の日本人とで、姿形が似ていても全く正反対の別人のような日本人である。
 昔の日本人は武士・サムライであり百姓や町人であったが、現代の日本人は何れでもない。
 現代日本には、理(ことわり)としての義も道もなく、ましてや武士道などは跡形も存在しない。
   ・   ・   ・   
 近代戦争における総力戦とは、兵士・非戦闘員(一般市民・民間人)や男性・女性に関係なく、子供から老人まで国民とされた全ての人間を巻き込む殺し合いであった。
 つまり、戦闘に参加する敵か味方か、さもなくば戦争に参加しない傍観者・部外者・赤の他人かであった。
   ・   ・   ・   
 絶望的な沖縄戦で、昭和天皇、軍国日本、軍部は沖縄を祖国防衛の捨て石としたが見捨てたわけではなかった。
 その象徴的作戦が、戦艦大和の水上特攻と航空機のカミカゼ特攻であった。
 日本民族そして沖縄県民も、最後の勝利を信じ、死を覚悟して戦った。
 その時、日本国籍を持っち日本国民=皇民・臣民とされたアイヌ人、朝鮮人、台湾人は分からない。
 日本国内にいた、200万人以上の朝鮮人、十数万人の台湾人、数万人の中国人、そして数万人の連合国軍兵士捕虜が、敗北しつつある軍国日本を静観していた。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇や政府・軍部は、戦争を止める為に、極秘でスイスのアメリ諜報機関OSSやソ連と極秘に下工作を進めていた。
 親中国・親共産主義・反天皇反日本のフランクリン・ルーズベルトは、軍国日本、ナチス・ドイツファシスト・イタリアに対して「無条件降伏の原則」を突き付けた。
 無条件降伏とは、戦争指導者の死であり、イタリアはムッソリーニを集団リンチで惨殺して降伏し、ドイツはヒトラーの自殺で降伏した。
 日本に対しては、昭和天皇の命(死)と天皇制度の廃絶であった。
 軍国日本は、「国體護持」を最低条件として戦争を続けた。
   ・   ・   ・   
 武士であり百姓であった日本民族は、多勢に無勢で絶対に勝てない必ず負けると分かっている戦いであったとしても、戦う事を決断して行動すれば、弱音を吐かず、死を覚悟し、死中に活を求め、最後には必ず勝との信念で、最後の一人になるまで「死力を尽くして」戦った。
 それは、九死に一生を得えたいという、絶体絶命な状況に追い詰められた「窮鼠猫を噛む」的な悲壮感であった。
   ・   ・   ・   
 戦前の日本人は、日本軍=皇軍の不敗神話を信じて戦った。
 歴史的事実として、いつの時代でも日本民族は殺し合いを好んで戦争を仕掛けた事はなく、ギリギリまで戦争を避ける和平の道を探った。
 如何しても避けられないとなった時に、「降りかかった火の粉は払う」として戦争を仕掛けた。
 日本は弱小国であるがゆえに、地球規模の軍事大国に対して先制の奇襲攻撃を行った。
   ・   ・   ・   
 古代から昭和前期までの日本の戦争は、全て積極的自衛戦争であった。
 そして、その戦法は「肉を切らせて骨を断つ」という捨て身の戦い方であった。
 それが、本土決戦・一億総玉砕に備えた貴重な兵力である戦艦大和を水上特攻に航空機をカミカゼ特攻にし、数千人の若者を沖縄戦に投じて無駄に戦死させた。
 が、無駄死には犬死にではなかった。
 沖縄の犠牲は結果として、日本の極秘降伏工作を後押し、米ソ冷戦の兆しと相まって、アメリカやイギリスに早期停戦の為に「無条件降伏の原則」を捨てさせる事ができた。
 が、アメリカは2つの原爆投下実験が終了するまでは日本の降伏を認めなかったが。 
   ・   ・   ・   
 日本とアメリカの戦争の遠因は、アメリカの軍事侵略である、それは明治31(1898)年のハワイ併合によるハワイ王国滅亡、ハワイ王家消滅、民族宗教・民族言語・民族文化の消滅であった。
 それ故に、軍国日本・天皇主義者、特に東郷平八郎日本海軍の軍縮反対派にとっては天皇・皇室、日本国・日本民族アメリカの侵略から守る日米戦争=太平洋戦争は避けられない運命であると覚悟していた。
 その対米戦争の象徴が、戦艦大和ゼロ戦であった。
 が、誰もアメリカの国力(経済力・軍事力)には勝てないと分かっていたが、武士として日本男子として負け犬のように泣き叫びながら女々しく逃げるわけにはいかなかった。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、日清戦争日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争、その他、全ての戦争を国家存亡の危機と認識し、男性も女性も、子供から老人まで死を覚悟して一丸となって戦った。
 戦争とは、国家が国民を守る為に戦うのではなく、国民が国家の為に戦うもので、その意識は日本民族には強かった。
 日本国・日本軍・日本民族は、戦場で敵軍と敵兵と殺し合うという戦争犯罪を行ったあが、同時に戦場で敵国人の被災者を数百人から1,000万人以上を助けるという自己犠牲的な人道貢献もおこなっていた。
 太平洋戦争における日本人兵士の戦傷死は、3分の1が戦死であったが、残りの3分の2は悲惨な餓死・病死であった。
   ・   ・   ・   
 日本の近代化である軍国主義民族主義、宗教否定啓蒙運動は、ロシアの軍事力による軍事侵略とキリスト教の宗教侵略から天皇国家日本、神国日本を守ろうとする攘夷運動から始まった富国強兵策であった。
 ロシアの侵略とは、江戸時代後期に起きた、1792年の寛政日露交渉と攘夷運動、1807年の文化露寇事件(海賊行為)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、1854年のロシア軍艦による対馬不法占拠事件などである。
 ロシアは、昔も現代も変わらない。
 キリスト教の宗教侵略とは、戦国時代に起きていた中世キリスト教会の日本人奴隷交易である。
 そこに、明治以降にアメリカの軍事侵略とソ連コミンテルン中国共産党・国際的共産主義勢力のイデオロギー侵略が加わった。
 共産主義イデオロギー侵略とは、昭和7(1932)年の日本共産党に対する「天皇制度を打倒して、天皇とその一派を排除せよ」という32年テーゼである。
   ・   ・   ・   

⛅2:─1─琉球語は弥生時代末期か古墳時代に原日本語から分かれた言語。~No.2 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 台湾から琉球を経て日本列島に流れ着いたヤポネシア人が、石器人・日本土人となった。
   ・   ・   ・   
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、ヤポネシア人、日本土人縄文人を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
 琉球民族は、ヤポネシア人、琉球土人(日本土人縄文人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 日琉語族 (にちりゅうごぞく、英語: Japanese-Ryukyuan languages) または日本語族とは、日本列島で話され、日本語とその同系の諸言語からなる語族である。ジャポニック語族(英語: Japonic languages)とも呼ばれる。
 概要
 「日琉語族」は、日本本土の言語と、奄美群島から先島諸島(南西諸島、琉球諸島)の言語を同系統の別言語と定義した上で、両者を包括する際に使われる用語である。数百以上の言語が属するという意見もあり、特に琉球諸島では地域差が著しいため、諸言語の集合として「琉球諸語」と捉えることもある。
 一方、琉球諸島の言語を日本語の一方言として扱う場合には、「日本語」が日琉語族の代わりに使われ、日本語派は「本土方言」、琉球語派は「琉球方言」または「南島方言」とされる。この場合、日本語は同系統の言語の存在が証明されていない「孤立した言語」であるとみなされる。
 学術的には、どちらの定義でもその内容が本質的に変わるわけではないが、琉球諸島の言葉を方言とするか言語とするかは沖縄独立運動との関係から政治的・社会的要因で論じられることが多いため、学会外で論争となることが多い。そもそも、言語学的には方言と言語を明確に線引きする基準は存在しない。
 なお、アイヌ語ウィルタ語・ニヴフ語も日本列島北部で話されている(話されていた)言語であり、特にアイヌ語は日琉語族といくつかの語彙を借用しあっていると考えられるが、日琉語族とは系統が異なる。
   ・   ・   ・   
日本大百科全書(ニッポニカ)「琉球語」の解説
 琉球語 りゅうきゅうご
 原日本語から発達した言語のうち、鹿児島県下の奄美(あまみ)大島から南の琉球列島で発達した言語を琉球語または琉球方言という。琉球共通語の役割を果たした首里方言が沖縄に属しているために、沖縄語または沖縄方言とよばれることもある。
   [中本正智
 言語の環境と区画目次を見る
 琉球語は原日本語から発達したとはいえ、本土方言全体と対立するほど独自性のある言語であり、また、内部の方言差も大きい。その要因は二つある。一つは60に近い島々が南北に連なっているという琉球列島の地理的要因であり、もう一つはこれらの島々が中央圏と周辺部という重層的な構図のなかに位置づけられているという文化的要因である。
 琉球列島が日本文化の中央圏から遠い所に位置しているため、かならずしも中央圏の歴史的な推移に対応する事象をじかに受容するというわけでなく、たとえ受容したとしても、多島をなしているため、島ごとに受容の仕方が異なるのが自然である。琉球列島の文化受容の最大の入口は沖縄本島中南部の「沖縄口」であり、ここから大和(やまと)文化をはじめ、中国、朝鮮、南方の周辺諸国の文化を取り入れて、琉球王国の文化が完成するのである。受容した文化が周辺に浸透していくとき、北は奄美大島の名瀬、南は八重山(やえやま)列島の石垣、宮古島の平良(ひらら)などを経て、最終的に各島々の受容口に至る。このように、中央圏から各島々に達するまでに、いくつかの中継地を経るため、島によっては長時間を要することがある。中央圏からの遠近に応じて各島々は微妙に色分けされる結果となっている。
 現在の琉球語内部の方言をみると、大小の特色が重層をなしている。大きく沖縄・奄美の両地域をあわせた北琉球と、宮古八重山の両地域をあわせた南琉球(先島(さきしま)諸島)とに分かれ、しかもそれぞれの内部の方言差は大きい。方言どうしが通じないほど差のあるものという観点からしても、北琉球の沖縄方言、奄美方言、南琉球宮古方言、八重山方言、与那国(よなぐに)方言の五つに分かれる。日本列島で隔たっている部類に属する東北方言と鹿児島方言の差は、琉球語の五大方言の一つである沖縄方言の内部差ほどもない。それほど琉球語の方言差は大きい。
   [中本正智
 時代的背景目次を見る
 島ごとに多彩な言語が使われているところへ、縄文期から弥生(やよい)期に移ったころから、琉球全域に原日本語の影響が緩やかに浸透していったのであろう。島々と大和朝廷の交渉はどうだったであろうか。『日本書紀』(720)によると、掖久(やく)(屋久島(やくしま))が616年に、多禰(たね)(種子島(たねがしま))が677年に、阿摩彌(あまみ)(奄美)が682年に、『続日本紀(しょくにほんぎ)』(792)によると、度感(とく)(徳之島)が699年に、信覚(しか)(石垣島)、球美(くみ)(久米(くめ)島)が714年に、それぞれ大和朝廷と交渉をもち、方物を献上したり、人々が位階を授かったり、禄(ろく)を賜ったりしたことがみえる。島単位で記録されているところから、おそらく、当時、島々が独立形態をとり、言語の溝も大きかったのではなかろうか。
 12世紀に豪族の支配が始まり、琉球王国へ歩み始めた。沖縄は北山、中山、南山の分立を経て、1429年中山に統一され、琉球王国の形態が整った。尚真王の1477年から1526年までに中央集権体制が確立され、王国建設の過程で周辺諸国の文化を摂取し、ここに琉球王国の文化が開花する。このころから琉球王国の中心地首里の方言が琉球共通語の地位を得て、周辺部に影響を及ぼし始めるのである。この期の言語は古謡集『おもろさうし』(1532~1623)や古辞書『混効験集』(1711)のなかに採録されている。
 1609年の島津氏の琉球支配は、強い大和化の波をおこし、琉球王国の文化がしだいに衰微する結果をもたらし、明治の廃藩置県琉球文化の独自性は失われていった。
 琉球語はこのような歴史的な背景のもとで発達し、独自の歴史をたどってきている。
   [中本正智
 言語的特徴目次を見る
 琉球語は古語をよく残している。奈良朝期の「足」を表す日本語は「はぎ」と「あし」であり、「はぎ」は「脛(すね)」を、「あし」は踝(くるぶし)から下を表していた。現代日本語では、「あし」が踝から下の部分だけでなく、脚全体を表すようになっていて、「はぎ」は「ふくらはぎ」に化石的に残り、脛全体を表す語としては滅んでいる。ところが、琉球では、「はぎ」に対応するパギ系の語が脚全体を表す語として残っているけれど、沖縄を中心に脚全体を表すピサ系の語が新しく発生したために、パギ系は北の奄美と、南の宮古八重山に残って、典型的な周圏分布を示している。
 琉球語は多彩である。「頭」を表す語ならば、カマチ系が奄美大島と喜界島に、アカマチ系が八重山に、カラジ系が徳之島と与論島に、ツブル系が沖縄と沖永良部(おきのえらぶ)島に、カナマリ系が宮古に、ウッカン系が徳之島にあって、異なる系統の語が島々に分布している。
 琉球語は新古の層が幾重にも重なり、それだけ時代層が深い。アーケージュー(あきつ、蜻蛉(とんぼ))、トゥジ(とじ、妻)、アンマー(あも、母)など古語につながる語が多い。
 ハ行古音のp音があったり、係り結び法があったり、音韻と文法の面でも古い層を残している。言語変化の新しい層をみても、島々の地域的な変容が激しい。こうした独自の歩みを続けてきた琉球語は、ラジオやテレビの発達のため中央圏との距離が縮まり、しだいに言語的な独自性を失っている。
   [中本正智
 『国立国語研究所編『沖縄語辞典』(1963・大蔵省印刷局)』▽『仲宗根政善編『沖縄今帰仁なきじん方言辞典』(1983・角川書店)』▽『中本正智著『琉球方言音韻の研究』(1976・法政大学出版局)』▽『中本正智著『図説琉球語辞典』(1981・力富書房)』▽『中本正智著『琉球語彙史の研究』(1983・三一書房)』▽『服部四郎著『日本語の系統』(1959・岩波書店)』▽『平山輝男中本正智著『琉球与那国方言の研究』(1964・東京堂出版)』▽『外間守善著『沖縄の言語史』(1971・法政大学出版局)』▽『中本正智・比嘉実著『沖縄風物誌』(1984・大修館書店)』
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 琉球語(琉: 島言葉・しまくとぅば)もしくは琉球方言(りゅうきゅうほうげん)は、日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる言語である。日本本土の日本語と系統を同じくするものの、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがあるため、日本語とは別の言語と見なす立場と、日本語内部の一方言と見なす立場とがある(#言語か方言か参照)。また琉球語内部でも地域差が著しいため、諸言語の集合として琉球諸語(りゅうきゅうしょご)あるいは琉球語派(りゅうきゅうごは)と呼ぶ立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、言語説と方言説の両論を考慮して、琉球語琉球方言)と併記する。
 独立言語として見た場合、日本語と系統が同じ唯一の言語と見なされ、日本語と琉球語を合わせて日琉語族あるいは日本語族と呼ばれる。一方、日本語の一方言とする立場からは、「琉球方言」または「南島方言」(なんとうほうげん)と呼ばれ、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大きく分類できる、とする。
 概説
 琉球語琉球方言)は、琉球諸島の地理的な広さと、強力な中央語を持たなかった歴史(琉球王国時代、支配層では首里方言が中央語の地位にあったが、大衆同士のリングワ・フランカとしてはほとんど使われなかった)から、地域ごとの方言差が本土以上に大きい。大きく沖縄本島以北の北琉球方言(北琉球語群)と、宮古列島以南の南琉球方言(南琉球語群)の2グループに大別でき、北琉球方言奄美方言(奄美語)と沖縄方言(沖縄語)に、南琉球方言宮古方言(宮古語)・八重山方言(八重山語)・与那国方言(与那国語)の諸方言(諸言語)に分けられる。「沖縄県の言葉」という意味で「沖縄方言」や「沖縄語」、「ウチナーグチ(沖縄口)」という呼称が使われることもあるが、本来「沖縄(ウチナー)」は沖縄本島を指す言葉であり(現在でも先島諸島の住民は沖縄本島を指して「沖縄」と言う)、今の沖縄県全体を指すようになったのは1879年(明治12年)の沖縄県設置以後である。
 歴史
 「琉球祖語」も参照
 近代以前
 琉球語琉球方言)と日本語(本土方言)が分かれた時期は、おおよそ紀元前後以降、奈良時代(8世紀)以前と考えられている。琉球語琉球方言)にみられる、動詞の終止形と連体形の区別や、ハ行子音に対応する語頭p音などは、奈良時代以前の日本語の特徴である。しかし、琉球語琉球方言)と日本語(本土方言)の類似の程度から言って、分岐の時期が弥生時代よりもさらに古く遡るとも考えられない。言語学者服部四郎は、二言語間の共通の語彙を比較する言語年代学の手法を使って、京都方言と首里方言の分岐年代について1450~1700余年前という計算結果を示している。一方で考古学や人類学の成果からは、グスク時代の始まった10 - 12世紀頃、日本本土からの移民により琉球列島で農耕が開始され、人口の急激な増加が起きたことが分かる。こうしたことからトマ・ペラールは、琉球語と日本語はおそらく弥生時代末期か古墳時代に分岐し、10世紀頃に本土(おそらく九州)から移動した集団により琉球祖語が琉球列島へもたらされたとしている。琉球語琉球方言)には、日本語で中古(平安時代)以降に起きた語中・尾のハ行のワ行音化(ハ行転呼)が起きているほか、「正月」「上手」などの漢語の語形が中古・中世の日本語と対応しているが、ペラールはこれらは分岐後の日本語(本土方言)との接触により説明できるとしている。グスク時代より前からの先住民の人口は少なく、先住民は農耕技術を持った日琉語族話者によって置き換えられたか、あるいは同化されたと考えられている。
 1265年に禅艦という僧侶が日本から仏教を伝えた際、同時に文字も伝えたと言われている。15世紀末頃から、琉球語琉球方言)は盛んにひらがなで書き表されるようになった。「おもろさうし」などにみられる仮名遣いや、同じ時期の外国語資料に記された沖縄方言は、すでにo→u、e→iの変化を起こしている。おもろさうしの仮名遣いには、沖縄の発音に合わせた表音的な仮名遣いと、日本の規範的な歴史的仮名遣いが混在している。
 琉球王国が成立すると、15世紀頃に士族語として首里方言が作られた。首里方言は、琉球諸島全域に通じる標準語として、あるいは書記用の言語として盛んに用いられた。しかし方言が抑圧されることはなく、各地に多様な方言が残された。
   ・   ・   ・   

🎷45:─3─南モンゴル団体が中谷補佐官に中国共産党の弾圧が「厳しい状況」と報告。~No.187 ㊸ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の政治家や官僚は、相手(中国共産党)がいない所で口先で非人道的行為を厳しく批判・非難するが、相手を目の前にすると委縮して何も言えず沈黙し、場合によっては卑屈になって愛想笑いを浮かべ胡麻をする。
 日本には、建前として中国共産党批判をしても、本音は違って隠れ親中国派・媚中派が少なからず存在する。
   ・   ・   ・   
 2021年12月10日10:32 産経WEST「中国国内のモンゴル族弾圧「厳しい状況」19日に大阪で証言者集会
 中国共産党の軍服を着て敬礼のポーズを取るモンゴル族の子供たち(南モンゴルクリルタイ提供)
 人権問題などを理由に来年2~3月の北京冬季五輪パラリンピックに首脳や政府使節団が出席しない「外交的ボイコット」が各国で相次ぐ中、中国国内で漢民族への同化政策を強いられているモンゴル族の証言者集会が19日、大阪府枚方市の市民会館で開催される。地元議員らでつくる実行委員会は「人権弾圧のない世界の実現に向け、現状を知ってもらいたい」と広く参加を呼びかけている。
 証言者集会は、「南モンゴルクリルタイ(世界南モンゴル会議)」の関係者を招き開催。同会議は11月25日に国会内でも会合を開き、自民党の「南モンゴルを支援する議員連盟」の高市早苗会長が「政府・与党は中国政府に対し、主張すべきは主張し、具体的な行動を強く求めていく」とのメッセージを寄せた。
 同会議副会長で、19日に証言予定のオルホノド・ダイチンさん(55)は、内モンゴル自治区の赤峰市出身。21年前、留学のため来日したという。
 モンゴル族が通う学校に、中華民族の団結を訴える中国語のメッセージが取り付けられている(南モンゴルクリルタイ提供)
 ダイチンさんによると、同化政策が強まったのは昨年から。モンゴル族が多く住む地域の学校では、モンゴル語から中国語での教育に順次変更されたという。「民族の文化が奪われる」と、隣国のモンゴル国でも怒りの声が上がるが、ダイチンさんは「経済は中国に依存している。民間はともかく、モンゴル国政府は中国に強く物を言うことができない」と話す。
 当局は国内での抗議活動には強硬姿勢で臨んでいるといい、ダイチンさんは「1万人から1万5千人が施設に拘束され、威嚇や洗脳教育を受けた。非常に厳しい状況だ」と危機感を強めている。
 証言者集会は19日午後1時半開始。入場無料。問い合わせは実行委(072・846・5577)。」
   ・   ・   ・   
 2021年11月25日 産経新聞「中谷補佐官に弾圧実態報告へ 南モンゴル団体が方針
 中国の圧制に抗議する「南モンゴルクリルタイ」の会合=25日午後、参院議員会館(奥原慎平撮影)
 中国・内モンゴル自治区の出身者らでつくる「南モンゴルクリルタイ(世界南モンゴル会議)」は25日、国会内で会合を開き、中国当局による自治区での民族弾圧や在日モンゴル人への脅迫行為に関し、証言や映像を収集し、国際人権問題を担当する中谷元首相補佐官に報告する活動方針を決めた。岸田文雄政権が人権外交を進める上での一次資料とするのが狙い。
 自治区では昨年秋から小中学校の教科書でモンゴル語から標準中国語への変更が始まり、中国当局は登校拒否やデモ活動を行った人々を拘束している。国内のモンゴル人も中国当局者を名乗る人物から抗議活動への不参加を強要される事案が相次いでいるという。
 ドイツに亡命しているショブチョード・テムチルト会長はオンラインで会合に出席し、「中国は南モンゴルを侵略し、われわれはモンゴル語で教育を受ける権利も奪われた。自決権を勝ち取る道しか残されていない」と訴えた。
 自民党の「南モンゴルを支援する議員連盟」会長の高市早苗政調会長はメッセージを寄せ、「政府・与党は中国政府に対し、主張すべきは主張し、具体的な行動を強く求めていく。私は先頭に立つ覚悟だ」と強調した。
 会合では来年2月に開幕する北京冬季五輪の開催に抗議し、各国政府に「外交的ボイコット」を求めていく方針も決定した。」
   ・   ・   ・   

⛿17¦─9─中国が狙う“海洋安全保障の基点”沖ノ鳥島 16年ぶりに総合調査を実施。〜No.96No.97 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本の政治家の中には、中国共産党の侵略から国益や領土を死守する事より、政局や選挙での当選しか考えていない政治家が少なく存在する。
 その最たる政治家が親中国派・媚中派である。
   ・   ・   ・   
 2021年12月10日 MicrosoftNews FNNプライムオンライン「中国が狙う“海洋安全保障の基点”沖ノ鳥島 16年ぶりに総合調査を実施
 © FNNプライムオンライン
 日本の最南端、沖ノ鳥島の海はブルーブラック。黒にわずかに青を混ぜた深い色だった。12月なのに温暖化の影響下、季節はずれの台風21号が日本近海に発生し、高い波とうねりに包まれた沖ノ鳥島の環礁は、白く縁どられていた。
 【画像】小さな島、東小島と北小島を守るための工事
 12月5日、6日の二日間、東京都と東海大学は、共同で沖ノ鳥島周辺の海洋調査を行った。海洋調査研修船「望星丸」が利用され、東海大学海洋学部の教員を中心とした25人の調査員、研究員で調査を実施した。周辺海域の海洋調査は初めての試みであり、同島に関する総合調査は、2005年に日本財団が実施して以来、16年ぶりの取り組みである。
 海洋安全保障上の重要性
 沖ノ鳥島は、国土の最南端に位置し、40万平方キロメートルに及ぶ領海と排他的経済水域の基点となり、また、海洋安全保障上重要な島であるが、その現状を国民は知らされていない。同島を行政域内に持つ東京都は、沖ノ鳥島の現状を広く都民、そして国民に伝え、今後の有効活用を考える必要から、東海大学海洋学部と共同で、同島周辺海域の海洋調査を実施することになった。
 一つのテーマは、SDG‘s14「豊かな海を守ろう」に置き、海洋環境、水産資源に関する調査を行う。具体的には、漂流するマイクロプラスチック量や環境DNAを測定することにより存在する海洋生物を把握する。
 また、望星丸に搭載されている海底状況を把握できる「マルチナロビーム」を使い、詳細なデータの少ない海底地底の測定を行った。さらに、ドローンを使い、環礁外から島全体の状況を撮影し、今後の同島の活用の基礎資料とした。
 絶海の孤島
 沖ノ鳥島は北緯20度25分30分にあり、日本で唯一、熱帯気候に属する日本の最南端の島である。東京都小笠原村に属し、東京港の南方約1700キロ絶海の孤島である。
 周囲12キロほどのサンゴの環礁に囲まれ中に、北小島、東小島の小さな島が存在する。北小島は高潮時、高さ16センチほど姿が残り、東小島は6センチほどであるといわれている。この小さな島が基点となる日本の領海と排他的経済水域の面積は約40万平方キロメートルに上る。
 この島の重要性から、政府は、小さな島の周囲をコンクリートで固め、鉄製の消波ブロックを設置し、チタン製のネットで覆い、波浪による浸食を防ぐ処置を行っている。
 「島」ではなく「岩」と主張する中国
 日本、米国、中国が関わる海洋安全保障上も重要な位置にある沖ノ鳥島の管理は、極めて重要である。今年、沖ノ鳥島近海において中国の調査船が日本に無断で海洋調査をしていることが確認され、政府は遺憾の意を表明した。
 中国は、日本国政府が国際機関により確認を得ている沖ノ鳥島国際法上の「島」(※注1)に該当することを否定し、「岩」(※注2)であると主張し、日本の排他的経済水域の主張を認めようとしない。沖ノ鳥島は、米国の基地があるグアムと沖縄本島の中間にあり、軍事展開においても重要な位置にあり、中国にとって目が離せない海域である。
 日本政府は、沖ノ鳥島の経済的な利用を明確するために、同島環礁内においてサンゴ礁の培養実験、外洋上における金属疲弊の実験等をおこなっている。さらに、2007年に灯台を設置し、2011年からは、北小島につながる洋上に桟橋の建設を進めている。
 今回の調査では、島周辺の波、風が強く、AUV(自立型無線潜水機)による調査は見送られたが、海洋資源開発、漁業、観光利用など多方面で活用できるデータが収集され、分析した結果が、今後、東京都から公表される予定である。
 ※注1:「島」とは、常に水に囲まれ高潮時に陸地が存在する。
 ※注2: 「岩」人の居住もしくは独立した経済的生活を有することがない島は、岩として、排他的経済水域及び大陸棚の基点とはならない。
 【執筆:海洋経済学者 山田吉彦】」
   ・   ・   ・   

🎺20:─1─国民世論は避戦論の東條英機に対してアメリカとの戦争を強要し、そして脅迫した。~No.110No.111No.112 ⑫ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 戦前の日本人が、軍部・軍国主義者・民族主義に騙された被害者というのはウソで、その逆で、平和維持・戦争回避の外交努力をしていた東条英機首相らを弱虫・裏切り者と罵り、アメリカとの戦争を強硬に求めていた。
 軍国日本にとって対外戦争は、明治以来の正当性のある合法的な積極的自衛戦争であった。
   ・   ・   ・   
 NHKスペシャル
 新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(前編)」
 (2021年12月4日の放送内容を基にしています)
 もし80年前、太平洋戦争の時代にもSNSがあったなら、人々は何をつぶやいたのだろうか?今、研究者たちが注目するのが、戦時中に個人が記した言葉の数々「エゴドキュメント」だ。膨大な言葉をAIで解析。激動の時代を生きた日本人の意識の変化を捉えようとしている。
 1941年12月に始まった太平洋戦争。長きに渡った戦争で国は焦土と化し、日本人だけで310万もの命が失われた。なぜリーダーたちは判断を誤ったのか。そして、なぜ多くの市民が大国との戦争に熱狂したのか。それを解き明かす鍵が、近年発掘が進むエゴドキュメント。個人がつづった日記や手記だ。表現の自由が制約された時代。誰にも言えなかった本音が記されている。会社員や学生などの市民。最前線の兵士。国のかじ取りを担う指導者たち。ひとりひとりの視点から、新たな戦争の姿が浮かび上がる。個人の視点から歴史のうねりを追体験していくシリーズ「新・ドキュメント太平洋戦争」。第1回は「開戦」。国家を破滅へと導く戦争の入り口で、日本人の多くは歓喜した。しかし、時計を巻き戻すと、開戦の前年、社会には戦争とほど遠い空気が漂っていた。都市部ではアメリカブームに沸き、ハリウッド映画やジャズが流行した。国の指導者たちも、国力で圧倒的に勝るアメリカとの戦争を避けようとしていた。なぜ、わずかな期間で急激な意識の変化が生まれたのか。開戦の前年から太平洋戦争に至る道のりを、市民と国の指導者のエゴドキュメントから探っていく。
 <開戦 なぜ日本人は熱狂したのか>

 当時の陸軍大臣東條英機言論統制の意図を語ったエゴドキュメントが残されていた。
 『英米に対して三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いたずらに排英米運動を行うことを禁止する』
 東條ら軍の指導者たちは、この時点ではアメリカとの決定的な対立を避けようとしていた。すでに陸軍は100万を超す大兵力を日中戦争に投じていた。その上、アメリカと対立する余裕はなかったのだ。

 日本とアメリカの青年たちによる卓球大会。日米親善がことさらに強調されていた。アメリカとの戦争を招きかねない三国同盟を結んだ日本。その一方で「親米」を演出するという矛盾に満ちた政策を推し進めていた。しかし、そうした日本のご都合主義は、アメリカには通用しなかった。ドイツと結んだ日本にアメリカの世論が反発。厳しい経済制裁を求める声は8割に上った。飛行機の燃料やくず鉄などの重要資源の輸出禁止が矢継ぎ早に決まった。

 開戦の8か月前。国の指導者たちは、アメリカとの決定的対立を避けるための外交交渉に乗り出そうとしていた。背景には、陸軍が極秘でおこなったアメリカとの戦力比較のシミュレーションがあった。その報告に立ち会った将校の「エゴドキュメント」が残されていた。そこには指導者たちの「本音」が吐露されている。
 『三月十八日、物的国力判断を聞く』
 陸軍の中枢で政策決定に関わった石井秋穂中佐。この日、参謀本部で明かされたシミュレーションの結果は、陸軍の首脳に衝撃を与えた。
 『誰もが対米英戦は予想以上に危険で、真にやむをえざる場合のほか、やるべきでないとの判断に達したことを断言できる』
 資源豊富なアメリカとの戦争が2年以上に及んだ場合、日本側の燃料や鉄鋼資源が不足することが判明。これを受け、陸軍大臣・東條らは、日米戦争は回避すべきと判断した。

 ドイツが突如ソビエトへ侵攻し、独ソ戦が勃発。金原さんが敏感に感じ取っていたように、日本の運命を大きく左右することになる。
 独ソ戦勃発から10日後。それまでアメリカとの戦争を避けようとしてきた指導者たちが、ここで決定的な判断ミスをおかす。日本軍が南部仏印、今のベトナム南部に進駐したのだ。
 『自存自衛上、立ち上がらねばならない場合に備えて、あらためて南部仏印に軍事基地を作るという要求が生まれつつあった』
 独ソ戦により、日本にとって背後のソビエトの脅威がなくなった。その隙に、アメリカの禁輸政策のため欠乏する資源を手に入れようと、東南アジアの資源地帯を押さえようとしたのだ。アメリカは、日米のパワーバランスを崩しかねない日本軍の行動に強く反応した。そして、日本への石油の輸出を止めた。石油の9割をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、計り知れない打撃だった。軍の指導者たちは、アメリカがそこまで強硬に反応するとは想定していなかった。南部仏印進駐に関わった石井はこう振り返っている。
 『大変お恥ずかしい次第だが、南部仏印に出ただけでは多少の反応は生じようが、祖国の命取りになるような事態は招くまいとの甘い希望的観測を包(かか)えておった』
 希望的観測が招いた石油の禁輸。アメリカとの戦争に慎重だった海軍も態度を大きく変える。
 『ぢり貧になるから、この際決心せよ』
海軍のリーダー永野修身。この捨てばちとも受け取れる言葉の裏には、永野なりの算段があった。
 『今後はますます兵力の差が広がってしまうので、いま戦うのが有利である』
 石油が底をつけば戦争はできない。その強迫観念が指導者を戦争へと駆り立てようとしていた。事態を冷静に見ていたリーダーもいた。海軍次官、澤本頼雄。開戦に強く反対する。
 『資源が少なく、国力が疲弊している状況では、戦争に持ちこたえることができるか疑わしい』
 澤本は、戦争に勝ち目はなく、日米の外交交渉での解決を探るべきだと主張した。
 『この方向に向かうことこそ国家を救う道である』

 10月。開戦の2か月前。日米は対立を深めながらも、ぎりぎりの外交努力を続けていた。アメリカが日米交渉の条件として求めたのは「中国からの日本軍即時撤兵」。しかし、その要求は陸軍にとって受け入れがたいものだった。
 日中戦争での戦死者18万人以上。東條たち陸軍首脳は、撤兵はその犠牲を無にするものとして受け止めていた。では、アメリカとの戦争を選ぶのか。東條は悲壮な面持ちで漏らしたという。
 『支那事変(日中戦争)にて数万の命を失い、みすみす撤退するのはなんとも忍びがたい。ただし日米戦となれば、さらに数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えねばならないが、決めかねている』
 6日後、東條は決断を首相に伝えた。
 『撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事変(日中戦争)の成果を壊滅するものだ。数十万人の戦死者、これに数倍する遺族、数十万の負傷者、数百万の軍隊と一億国民が戦場や内地で苦しんでいる』
 泥沼の日中戦争がもたらした戦死者、耐え忍ぶ人々。指導者たちはその膨大な犠牲に判断を縛られていた。
 10月18日。内閣総理大臣となったのは東條英機。このとき、天皇は日米交渉の継続を望んでいた。東条内閣発足の際、側近に打ち明けた言葉がある。
 『いわゆる、虎穴に入らずんば虎児を得ずということだね』
 アメリカに強く出るべきとする陸軍強硬派を、陸軍の東條に抑えさせる。それにより、戦争を避ける道を探ろうとしていたのだ。しかし国民は、軍人出身の首相の誕生に異なる期待を抱いた。
 『いまや死中に活を求めるほかはないのである』(10月17日「頴原退蔵日記」より)
 『いよいよ臨戦色濃厚な方向へ進む』(10月20日 山中宏「私の戦時財界日誌」より)
 『前内閣に類を見ない思い切ったことを断行できるのではあるまいか』(10月19日「小長谷三郎日記」より)
 アメリカから再び、中国からの撤兵を求められた日本。指導者たちは開戦を決定する。
   ・   ・   ・   
 BLOGOS
 記事
 岩田温2015年12月08日 13:25開戦の日に考える。何故、日本国民はあの戦争を支持したのか?
 今日は12月8日。大東亜戦争が勃発した日だ。
 終戦の日には、毎年、戦争について語られる。その際に強調されるのが戦争の悲惨さだ。確かに、戦争は悲惨であり、多くの人々が悲しんだ。歴史的な事実であり、そこに嘘はない。
 だが、戦争には開戦に至る経緯というものがあり、掲げた理屈というものがある。何も理由もなしに戦争を始めるということはありえない。何故、日本人の多くが戦争を支持したのか。その部分を見つめなければ、本当の意味での反省などありえない。
 以下、拙著『人種差別から読み解く大東亜戦争』からの抜粋だ。 何故、日本国民の多くが戦争を支持したのかを人種差別という観点から、読み解こうとしたものだ。
 平成七(一九九五)年八月月十五日、当時の村山富市総理が、戦争に関する談話を発表しました。いわゆる「村山談話」です。この談話の発表以来、基本的に全ての内閣がこの談話で示された歴史認識を踏襲しています。
 私は、この村山談話には大きな問題点があったと考えています。「お前は日本軍の侵略を認めない歴史修正主義者か」といきり立つ前に、冷静に村山談話を振り返ってみましょう。
 村山談話には次のような一節があります。
 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」
 「その通りだ。日本はアジアを侵略し、多大の損害と苦痛を与えた」と一気に納得せずに、もう少し、お付き合いください。これは何気ない文章のように思われるかもしれませんが、よくよく考えてみると不思議な文章です。わが国が国策を誤り、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略に手を染め、アジア諸国の人々に対して、多大の損害と苦痛を与えたというのです。
 「我が国」が「植民地支配と侵略」によって、「アジア諸国の人々」に対して「多大の損害と苦痛を与えた」というだけならば、認識の相違はありますが、理解は出来る文章です。単純に、我が国が他国に迷惑をかけ、申し訳なかったという話です。しかし、この文章は、そうした我が国と他国との関係だけを記述したものではありません。「我が国」と「国民」との関係についても言及しているのです。私が理解できないのは「我が国」は「国民を存亡の危機に陥れ」の一節です。
 一体、「我が国」の誰が国民を存亡の危機に陥れたというのでしょう。「何をバカなことをいうのだ。そんなのは、当時の政府のリーダーであり、軍部の指導者に決まっているではないか」という、反論の声があがるかもしれません。
 確かに当時の政府の責任者、軍部の責任者に責任があったのは確かでしょう。それは否定の出来ない事実です。政治家として、軍人として、祖国を敗戦に至らしめた責任は重いといわざるをえません。
 しかし、国民は一方的に「存亡の危機」に陥れられただけの被害者だということは出来るのでしょうか。そして、戦争を熱烈に推進し、戦争反対の声をあげようものならば、「売国奴」よばわりしていたマスメディアの責任も存在しなかったことになるのでしょうか。
 私はこの部分に大いなる違和感を覚えるのです。戦前、戦時下の日本における消費や観光に着目した面白い研究をしているケネス・ルオフという学者は、冷静に次のように指摘しています。
 「(戦後)日本を戦争の暗い谷間へと引きずりこんだとして、漠然とした少数の『軍国主義者』を非難することが通例となった。しかし、国民の支持がなければ、全面戦争の遂行などできるわけがないのだから、これは奇妙な言い草だった」(『紀元二千六百年消費と観光のナショナリズム』朝日叢書、xi頁)
ルオフは、戦前の日本で愛国主義的な雰囲気が盛り上がっていたことを指摘していますが、それはただ政府が盛り上げていただけなく、国民の側もそれを喜んでいたことを指摘しているのです。騙した指導者と騙された国民。こういう加害者と被害者の単純な二項対立は成立しないはずなのです。
 明らかに、当時の日本国民は戦争を支持し、マスメディアも開戦を熱烈に支持していました。この歴史的な事実が忘れ去られようとしています。まるで、国民は戦争指導者によって騙されただけの存在であったかのようにあつかわれていますが、戦争を熱烈に支持ていたのは国民自身なのです。
 村山談話は、単純に我が国の「侵略」を反省するだけの談話ではなく、我が国の国民が熱烈に戦争を支持ていたという歴史の真実から目を背けている談話なのです。他国に対する謝罪以前に、我々の先祖たちは、何故、あの無謀ともいえる戦争を熱烈に支持していたのだろうか、という部分を明らかにすべきでしょう。自分たちに都合の悪い部分には目を塞ぎながら、謝罪と反省を繰り返したところで、それは本当の意味での謝罪にも反省にもならないはずです。
 大東亜戦争開戦時、多くの国民が開戦を支持しました。この歴史的な事実に目を向けたうえでこそ、本当の意味での反省があるのではないでしょうか。一握りの狂信集団に騙され、国民は戦争に巻き込まれ、アジア諸国には迷惑をかけた。こうした歴史認識は、あまりに偏っているといわざるをえません。
 何故、日本国民の多くが、あの戦争を支持したのでしょうか。
 現代でも多くの若い人々を魅了する『人間失格』、『斜陽』の著者として有名な太宰治の小説「十二月八日」の中に、その手掛かりがあります。(なお、この「十二月八日」は、インターネット上の青空文庫で全文を無料で読むことが可能となっています。)十二月八日とは、昭和十六年十二月八日を意味しています。いうまでもなく、日本海軍が真珠湾攻撃を敢行した日米開戦の日のことです。小説はこのような形ではじまります。
 「きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。」
日米開戦が始まったその日、一般的な主婦がいかに感じていたのか。それがこの小説の主題です。果たして、戦争を悲しみ、呪っていたのでしょうか。困窮する生活を訴え、一日も早い終戦を願っていたのでしょうか。全く違います。日米開戦に歓喜する主婦の悦びに満ち溢れた一日が描かれているのです。朝、ご飯の準備をしようと子供に乳をやっていると、どこからラジオの声が聞こえてきます。
 「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」
 日米開戦を告げる重大な一報でした。この一報を受けた主婦の感想は次のようなものです。
 「しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。
 」 戦争を憎む気持ちなど微塵も感じさせない叙述です。我々、戦後の日本人の大方の予想とは異なり、日米開戦の一報に、この主婦は感激しているのです。勿論、この後の辛く、苦しい戦争生活を知らないからこそ、このような感覚を抱いたのでしょう。しかし、ここで確認しておきたいのは、開戦当初、多くの日本国民が、この主婦のように日米開戦を支持していたという事実です。この主婦は次のようにも述べています。
 「いやだなあ、という気持ちは、少しも起こらない。こんな辛い時勢に生まれて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生まれて生甲斐をさえ感ぜられる。こういう世の中に生まれて、よかった、と思う。ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、なんて」
 暗い戦争の時代という現在の我々のイメージとは全く異なる感覚です。戦争がはじまった時代に生まれて「生甲斐」を感じるというのは、現代の感覚からすれば、不謹慎そのものでしょうが、当時の人々がそう感じていたという事実を無視することは出来ません。
では、どうしてこの主婦は、ここまで熱烈に日米開戦を支持しているのでしょうか。
 戦争そのものを好む好戦的な気分が漲っていたのでしょうか。この手がかりも主婦の叙述の中にあるので、引用してみましょう。
 「台所で後かたづけをしながら、いろいろ考えた。目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持ちが違うのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩きまわるなど、考えただけでも、たまらない。」
引用した中にある「支那(シナ)」とは、中国のことです。そうです。この主婦は、今回のアメリカ相手の戦争は、中国を相手にした戦争とは「まるで気持ちが違う」というのです。何故、中国相手の戦争とアメリカ相手の戦争とでは、「まるで気持ちが違うのでしょうか」。その手がかりも引用した一節の中にあります。
 「目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか」黄色人種である中国人相手の戦争と、白人であるアメリカ相手の戦争とでは、気分が違うというのです。現在、我々は「人種」という問題をあまり意識することはありません。しかし、戦前の日本では、この「人種」が非常に大きな意味をもっていました。本書は「人種」、とりわけ「人種差別」の問題から、あの大東亜戦争を説明してみようという試みです。
 勿論、いうまでもありませんが、「人種差別」の問題だけが、戦争勃発の要因ではありません。歴史とは様々な原因が複雑に絡み合って生じた出来事であり、たった一つの理由だけで、大東亜戦争を説明できるはずがありません。
 しかし、現在、日本国民の多くが大東亜戦争を支持したという事実が忘れ去られ、まるで日本国民は一部の戦争指導者に騙された被害者であったかのような議論が横行しています。間違いなく日本国民は日米開戦を熱烈に支持しました。そして、この背景には、明治維新の開国以来、日本がアメリカを始めとする白人による人種差別を受け続けているという被害者意識、そして、憤りの念が存在していました。
 この人種問題に着目し、何故、日本国民があの無謀ともいえる戦争を支持したのか、その一つの理由を理解しようというのが本書の試みです。人種問題という非常に大きな問題を扱う為、時間的にも、空間的にもかなり大きな話になりますが、本書が何らかの形であの戦争を理解するための一視座を提供するものであれば幸いです。
   ・   ・   ・   
 2021年12月8日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「真珠湾攻撃から80年「元日本兵」が語る戦争の内実 あの時代の「狂喜」と「悲嘆」はなんだったのか
 © 東洋経済オンライン 爆発炎上する戦艦アリゾナの炎に浮かび上がる戦艦群。1941年12月7日撮影(写真:近現代PL/アフロ)
 80年前(1941年)の12月8日は、旧日本軍がハワイ・真珠湾アメリカ軍基地を奇襲攻撃し、太平洋戦争が開戦した日だ。それから80年。元日本兵たちは開戦をどう捉えていたのか。著書に『帰還せず 残留日本兵戦後六〇年目の証言』がある、作家・ジャーナリストの青沼陽一郎氏が解説する。
 喜ばしいこととして記憶されていた開戦
 あの日、父親は新聞を見て「ばんざーい!」と叫んだ――。
 80年前の12月8日は日米が開戦した日だ。それまで日米交渉の役人の話ばかりをしていた父親は、真珠湾攻撃を伝える新聞に目を通して歓喜したという。
 その話を私が聞いたのは、今から16年前の戦後60年の節目にあたる夏のことだった。当時はまだ、東南アジアの各地に終戦後も自らの意思で復員を拒み、現地で暮らす元日本兵たちがいた。私はその理由が知りたくて、それぞれの元日本兵を訪ねてまわった。そのときのひとりが「あのときを思い出す」と話したことだ。
 佐賀県の出身で開戦後に志願して入隊すると、航空隊の整備兵としてインドネシアに送られ、そこで終戦を迎えると2日後にスカルノが行ったインドネシア独立宣言の警備でその現場に立ち会っていた。そのままインドネシア独立戦争義勇兵として加わり、独立後はジャカルタで家族と暮らしていた。開戦の思い出は、決して悲観的なものではなく、むしろ喜ばしいこととして記憶に残っていた。
 少なくとも、私が聞いたその当時の状況からすれば、日本国内の庶民は日米開戦を望んでいたとさえ言えた。まして、この戦争が悲惨な末路をたどるとは想像すらしていなかった。
 同じインドネシアでもスマトラ島に在住していた元日本兵は、真珠湾攻撃の一報を横浜の自宅の布団の中で聞いたラジオで知った。まだ10代の少年だった。その瞬間に「よし、俺は兵隊になってやろう」と思った。胸が高鳴って眠れなかったという。
 その翌年、18歳で軍隊に志願した。彼は言った。
 「『人の嫌がる軍隊に、志願で出てくるバカもいる』なんて、私の前で歌う奴もいましたよ」
 2人の兄がすでに兵隊になって中国で戦っていたことも大きく影響したという。
 “白紙”が自動的に“赤紙”になった日本兵
 そうかと思えば、12月8日がそのまま人生を変えた元日本兵もいた。当時は20歳になると男性が受ける徴兵検査には、すぐさま入隊となる甲種合格と、予備となる乙種合格があった。ホーチミン市で出会った元日本兵は第3乙とされ、通常は兵隊に採用されることはないはずだった。
 「あのころは、甲種合格といったら威張って歩けるっていうんだから、第3乙なんてしゅーんとしとったですよ」
 その代わり「教育召集」というものが3カ月間だけ課せられた。徴兵が“赤紙”なら、教育召集には“白紙”が送られてきた。彼もこの白紙を手に、「じゃ、ちょっといってくるぞー」とだけ周囲にこぼして気軽に入営した。周りもすぐに帰ってくるものと、見送りもしなかった。
 山口県山口市の生まれだったが、このころには中学を出て朝鮮半島で税関の仕事をしていた。だから、彼が召集されたのも平壌だった。開戦の年の11月1日のことだった。
 「そして毎日、日にちを数えながら、あとしばらくしたら帰れるぞ、と言ってやっとったんですよ。そうしたら12月8日に、どどーん!となっちゃって、それでもう自動的に赤紙になっちゃったんです」
 真珠湾奇襲攻撃が日米開戦のきっかけとなったのとほぼ同時に、陸軍がマレー半島に奇襲上陸してイギリス軍と戦いながらシンガポールを目指すマレー作戦が開始されている。この作戦に参加した元日本兵は「あのときは、面白かったぁ」と懐かしそうに振り返った。
 開戦前に召集令状を受け取ると、輸送を担当する自動車部隊に配属された。朝鮮半島で戦車部隊と一緒に訓練を受けると、釜山から台湾に移動。そこで自動車を輸送船に積み込んだところで1941年12月8日を迎えた。
 シンガポールまでは、自動車が走れる舗装された道だったから、自分の運転する車を飛ばして、とにかく競ってシンガポールを目指した。
 その先をいく兵士たちは自転車に乗って目的地を急いだ、いわゆる「銀輪部隊」が率先していた。彼らと徒党を組むようにマレー半島を制圧していく勢いは、まさに痛快だった。そのとき、日本が負けようなどとは夢にも思えなかった。
 敵兵のことを敬称をつけて呼んでいた
 当時の日本兵に共通するのは、敵兵のことを「敵さん」と敬称をつけて呼んでいたことだった。「鬼畜米英」ではなかった。その勢いに乗じて敵さんの資材をぶんどって回った。自動車のガス欠が見えていたから、それこそ制圧した敵さんの飛行機の中から燃料を抜き出して運転する自動車に使った。
 ところが、日本軍の自動車が使うものと違っていた。あまりに高品質で、今でいうところのハイオクのようなものだった。これを使って自動車を飛ばしていたら、快調な走りではあったが、かえってエンジンがおかしくなった。すでに物資の違いはそんなところにも見えていたが、日本軍の兵站が脆弱であっても、それでも相手の高級品を手中に納めることは容易だと感じた。
 あるときは、敵さんの機関銃だけを備え付けた鉄板だけの小型のタンクが置き去りになっていた。これはエンジンが利用できる。そう判断した自動車部隊は、エンジンを取り外して持ってきたことがある。
 車体からエンジンを取り外すのに時間がかかり、ようやく手に持って運び出そうとしたとき、鉄板の隙間から光るものに気がついた。注視してみると、そこに人の目があった。イギリス兵がこちらを見つめていた。それも3人。彼らはタンクに乗ったまま、日本兵がエンジンを抜き取る様子をただじっと見ていた。
 驚くと同時に愉快になった。敵さんが手出しできないほどに、それだけ日本には勢いがある。強いのだ、負けるはずがないのだ、そう思った。日本軍の勢いはそのままに、翌年2月15日にはシンガポールを攻略している。
 ただ、いいことばかりは続かなかった。このあと戦局は大きく転換する。
 シンガポールが陥落してからは、しばらく現地ですることもなく、命令が出るまで、ぼうっとして過ごしていた。それからビルマ(現ミャンマー)の戦線に移動して、インパール作戦に従軍することになった。史上最悪の作戦とも言われるこの作戦の顛末については史実に残るとおりだ。
 後方支援のはずが自動車の通る道すらなく、象や牛に支援物資を背負わせてぬかるんだジャングルの道を行く。追加支援はない。戦線を維持できなくなった撤退の道すがらは「白骨街道」とも呼ばれた。敵さんとの戦いで死ぬよりも、飢餓とそれにマラリアコレラで死ぬ兵士ばかりになった。
 「追及して来ーい!」
 それが後退する日本兵たちが口々に叫ぶ言葉だった。
 絶命している日本兵が多数
 野戦病院と呼ばれている場所にたどり着けば、そこは死体のやまだった。そこまでの道の途中には、蚊屋を吊ったまま、中のハンモックに横たわって死んでいる兵隊もいた。
 やがて自動車部隊が自らの自動車を放置した山麓の地点にたどり着くと、車の中に乗り込んだまま、そこで絶命している日本兵の姿もあった。自動車の屋根は、木の枝と葉で補修してあった。
 「追及して来ーい!」
 その言葉がむなしく響いた。彼はそのままビルマ終戦を迎え、復員することなく隣国のタイで生涯を閉じている。戦争のはじまりから終わりまでを知る人物だった。
 80年前の12月8日。日本国民の多くは日米開戦を賞讃した。しかし、それから4年後にはそれが大きな間違いであったことを知る。約310万人の日本国民が犠牲になった。そのうち約240万人は日本の本土の外で絶命したとされ、その半分は骨すら拾われずにいる。そして国体が大きく変容し、価値観がまったく塗り替えられた。
 あの時代の狂喜と悲嘆はなんだったのか。今いちど考え直す必要がありそうだ。」
   ・   ・   ・   
 日本の戦争とは、天皇・皇室と日本国と日本民族を、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、マルクス・レーニン主義共産主義イデオロギー侵略から守る母国防衛戦争であり、敵に味方する反日・敵日の中国や朝鮮など周辺諸国を攻撃殲滅し各国に親日傀儡政権をつくり攻守同盟を結ぶ積極的自衛戦争であった。
 明治新政府が、近代的天皇制度中央集権国家を選択し、軍国主義政策を採用して、富国強兵・殖産興業・近代教育で軍国日本へと暴走したのはこの為であった。
   ・   ・   ・   
 日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義キリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられたことである。
 アメリカの太平洋侵略を最も警戒したのが、1894(明治27)年にハワイ王国滅亡を目の当たりにした東郷平八郎であった。
 ハワイ王国は、アメリカからの侵略から母国を守る為に日本の軍事支援を期待して、明治天皇天皇家との姻戚関係を申し込んだ。
 日本は対ロシア戦に備えて軍備強化を急いでおり、そこに新たに対アメリカ戦を加える余裕はなく、苦渋の選択として天皇家とハワイ王家との結婚は断り、1898(明治31)年にハワイ王国の滅亡を涙を流しながら傍観するしかなかった。
 日本海軍内のワシントン海軍軍縮会議に猛反対した艦隊派は、ハワイ王国滅亡を教訓としていた。
   ・   ・   ・   
 日本の開国・幕末・明治維新戊辰戦争・近代化・軍国主義化の発端は、ロシアの軍事力による軍事侵略とキリスト教の宗教侵略で、その歴史的事実が、中世キリスト教会の日本人奴隷交易、寛政日露交渉(1792年)と攘夷運動、文化露寇事件(1807年)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、攘夷派が激怒した対馬事件(1854年)の弱腰交渉、などであった。
 日本をロシアから救ったのは、戦争も辞さずのイギリスの軍事力・海軍力であった。
 軍事を否定し信用しない国家・国民・民族には、現実世界で生きる資格はなかった。
 熱狂的天皇主義者(現代の右翼・右派・ネットウハ、一部の保守派とは無関係)である尊皇派・勤皇派による攘夷運動は、間違った愛国主義民族主義ではなく、正しい国粋主義・好戦主義、正義の戦争・聖戦であった。
   ・   ・   ・   
 レーニンは、搾取されている貧しき人民を解放する為には世界の共産主義化しかないとの信念から、日中戦争と日米英蘭戦争(太平洋戦争)をプロデュースし、中国共産党日本共産党ディレクションした。
 スターリンは、屈辱的日露戦争敗北の復讐としてレーニンの対日陰謀を実行し、ピョートル1世(大帝)の日本征服の夢を叶えるべく北海道と北方領土4島を武力で強奪しようとした。
   ・   ・   ・   

⛿2¦─1─「戦う事は悪」と信じる現代日本人には武士や百姓を語る資格はない。〜No.2 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本民族の武士と百姓は、先祖から受け継いだ土地や島を敵から守る為に命を捨てて戦ってきた。
 日本の土地神話は、昔と現代では全然違う。
   ・   ・   ・   
 2021年12月7日06:30 MicrosoftNews zakzak「戦うことは「悪」ですか 悪化した「尖閣問題」「拉致問題」 日本に“戦ってでも守る”という圧力が欠け、相手国に「舐められている」のが原因
 自著『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社)が、第4回アパ日本再興大賞を受賞したことをきっかけに、夕刊フジから久々のお声がけを頂いた。実に6年ぶりの連載に心躍っている。というわけで、夕刊フジ読者のみなさん、「お久しぶりです!」。
 この6年間に、日本はどう変わったか。大変残念なことに、私が力を入れて取り組んできた「尖閣問題」も、「拉致問題」も、改善するどころか悪化した。
 沖縄県尖閣諸島はじりじりと中国が実効支配の度を高め、空からも海からも民間メディアの目が入らなくなった。私たち民間有志は「尖閣に行く」と言ったら最後、石垣島からの出港さえ阻まれるようになった。
 北朝鮮による拉致問題は、2002年の5人の帰国以降、まったく進展がなかった。一方で、一日千秋の思いで肉親の帰国を待つご家族は、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父、滋さんをはじめ、歯が欠けるように亡くなっている。
 政府が「オールジャパンで取り組んでいる」はずの問題が、このように未解決のまま膠着(こうちゃく)、悪化している最大の理由は何か。
 誤解を恐れずにいえば、日本が「舐められている」からであろう。外交交渉の裏付けとなる「圧力」が、日本にはすっぽりと欠落しているのだ。「圧力」の最たるものは「武威」だ。話し合いで決着がつかず、一線を越えたら「戦ってでも守る」という武威の裏付けがあってこそ、外交交渉にも迫力が出る。それなしに、いくら「遺憾砲」を連発しても、相手は痛くもかゆくもない。そうこうするうちに、状況は悪化し、国の尊厳が損なわれていくだけなのだ。
 こんな状態から脱するためには、「戦うこと」イコール短絡的に「悪」だと思い込まされてきた戦後の価値観から脱しなければならない。それは、すなわち大東亜戦争での先人たちの戦いぶりに心底恐れをなしたGHQ(連合国軍総司令部)が、日本人を再起させないために仕掛けた「洗脳」から目覚めるということだ。
 昨年から今年にかけて、映画『鬼滅の刃 無限列車編』が、国内歴代興行収入第1位を記録した。大人も子供も夢中にさせたこの作品は、戦後体制によって失われたと私が嘆いている「尚武(しょうぶ=武を重んじること)の精神」の塊のようなキャラクターたちが、スクリーン狭しと暴れまわる。
 単なる勧善懲悪ではなく、相打ちや自己犠牲を厭わない、極めて日本的な戦いぶりが現代日本人の心をわしづかみにしたということは、実は日本人が「戦う気概」を渇望していることの表れではないか。
 だからこそ、私は問いたいのだ、「戦うことは『悪』ですか」と。明日からは各論で、4つのテーマを取り上げてみたい。
 ■葛城奈海(かつらぎ・なみ) やおよろずの森代表、防人と歩む会会長、ジャーナリスト、俳優。1970年、東京都生まれ。東京大農学部卒。自然環境問題・安全保障問題に取り組む。予備役ブルーリボンの会幹事長。著書・共著に『国防女子が行く』(ビジネス社)、『大東亜戦争 失われた真実』(ハート出版)、『戦うことは「悪」ですか』(扶桑社)。
   ・   ・   ・   
戦うことは「悪」ですか サムライが消えた武士道の国で、いま私たちがなすべきこと

🎷72:─1─経済安全保障は軍事領域。中国に対する国防と経済安全保障に反対する朝日新聞。~No.316No.317No.318 (67) 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2021年12月3日 21:04MicrosoftNews 日テレNEWS24「岸田総理 経済安保に新法案提出の考え示す
 岸田総理大臣は、自らが力を入れている、経済安全保障について講演し、国の産業にとって重要な製品を安定的に調達できるようにすることなどを盛り込んだ新たな法案を、来年の通常国会に提出することを目指す考えを示しました。
 経済安全保障とは、軍事的な面だけでなく、最近、激しさを増している、経済的な面での国同士の対立などに、対応するためのものです。
 岸田総理は、この経済安全保障に力を入れることを表明していて、3日は都内で開かれた経済安全保障をテーマにしたシンポジウムで講演しました。
 岸田総理「来年の通常国会においても、サプライチェーンの強靱(きょうじん)化、あるいは基幹インフラの信頼性確保を進めるための新たな法案、この提出を目指しています」
 岸田総理は、このように述べ、経済安全保障についての法整備を進めることで、「経済構造の自律性と、日本の技術の優位性、不可欠性をしっかり確保してまいりたい」と強調しました。
 また、経済安全保障を担当する小林鷹之大臣は、「技術流出の防止の観点では、特許の非公開制度というものも検討しなければいけない」と述べ、現在は、「原則公開」となっている特許の内容を、一部、非公開とする法改正を行う考えを示しました。
 シンポジウムでは、自民党高市政調会長も講演し、災害が発生した場合や、感染症が流行した場合に、「医療などに必要な物資を国内で調達できる強靱(きょうじん)なサプライチェーンをつくっておくことが重要だ」と訴えました。
   ・   ・   ・   
 12月4日 MicrosoftNews JBpress「日本の国防強化を敵視?今度は経済安全保障に水をかける朝日新聞
 日本戦略研究フォーラム
 © JBpress 提供 (写真はイメージです)
 (古森 義久:JFSS顧問、産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)
 朝日新聞が11月23日の社説で日本の経済安全保障に水をかける主張を述べていた。ああ、またか、と思った。朝日新聞は日本が自国の国家安全保障や防衛を強化することに対して、陰に陽に、一貫して反対してきたからだ。
 だがさすがの朝日新聞も最近は日本をめぐる軍事情勢、安保情勢があまりに険しくなったため、従来の日本の防衛力やアメリカとの防衛連携の強化にはすべて反対するという姿勢もやや遠回しに、カーブをつけて、というふうになってきたようだ。
 しかし今回の社説は苦しい詭弁と独善的なレッテル貼りにより、年来の「日本の安保嫌い」にお里帰りしたようにもみえる。
 「経済安保」法案に噛みつく
 この社説は「『経済安保』法案 かけ声先行は危うい」という見出しだった。主題は経済安全保障である。より具体的には岸田政権が国会への提出を目指すようになった「経済安全保障法案」への反対が主体だった。
 もう少し厳密に言うならば、正面からの反対の言辞を避けながら、四方八方からこの法案とその背後にある経済安全保障という概念に水をかけ、反対を促す主張だった。
 経済安全保障とは国際的には経済活動も単に経済自体の利益の追求だけではなく、自国の防衛、経済以外の安全保障を考慮して、潜在的な敵を利する経済行動や自国の安全保障を侵す経済行動は自粛する、という概念である。
 岸田政権の法案には自国の経済面での必需品の外国への依存を減らし、有事に備えての自立の度合いを増す、という目標も含まれているようだ。
 いずれにしても経済安全保障とは、経済活動も軍事面での防衛や安全保障への悪影響を生まないよう自主規制するという意味だと言える。つまりは国の防衛の強化なのだ。
 朝日新聞の社説はまずこの法案に対して「前のめりになって過剰の網を広げ、国内調達や輸出管理の強化が過ぎれば、国際分業の利益を失う」と述べる。「前のめり」「過剰の」「過ぎれば」というのは、朝日新聞が自分たちの嫌う相手の言動にその内容の検証もせずに貼り付ける負のレッテル言葉である。
 「前のめり」であれば、「過剰」であれば、悪いに決まっているではないか。だが客観的には岸田政権や自民党のいまの経済安保に対する姿勢が前のめりとか過剰だと決めつける根拠は現段階ではなにもないのだ。いや、むしろ後のめりで、過少かもしれない。
 同社説には他にも決めつけ的な独善の表現が多々あった。
 「『経済安保』を錦の御旗のように用い」
 「国内生産の範囲をいたずらに広げる」
 「政府の介入が過剰かつ裁量的になれば」
 「強権やスローガンではなく」
 以上はいずれも「悪いことは悪い」という種類の政府の動きをまだ確定していない段階から悪い方に決めつけている表現だと言えよう。
 自国をここまで悪魔扱いするのか
 とくに朝日新聞は「前のめり」という言葉を防衛問題では頻繁に使う。自分たちの反対論を支えるために、相手の動きは軽率で浅はかな前のめりだと決めつけて、「前のめりだからよくない」という屁理屈を持ち出すのだ。このレッテル言葉悪用の朝日側の歴史は長い。
 2001年9月4日の朝日新聞の社説は「前のめりはよくない」という見出しだった。反対の対象は日米共同のミサイル防衛構想だった。この社説は日本がミサイル防衛網を保持することに反対して、「ミサイルごっこの『仮想現実』から一刻も早く目覚めるべきだ」と結んでいた。
 朝日新聞は日本にとっての中国や北朝鮮のミサイルの脅威をいまも「ミサイルごっこの仮想現実」と呼ぶのだろうか。
 朝日新聞は日本の防衛政策へのこの種の反対をずっと続けてきた。防衛庁防衛省に昇格することも、特定秘密保護法を発効させることも、アメリカとの共同防衛指針を充実させることも、反対だった。とくに2014年、安倍政権下での日本の集団的自衛権の限定的な行使容認には朝日新聞は大々的な反対キャンペーンを展開した。その際に頻繁に使ったのが「前のめりの危うさ」という定番の用語だった。
 このころの朝日新聞は、日本がアメリカとの共同防衛を強化するための集団的自衛権の限定行使に次のような表現で反対していた。
 「国家権力の暴走」
 「歯止め、きかぬ恐れ」
 「戦争加担の恐れ」
 「都合よく行使拡大」
 「際限のない軍拡競争」
 「思うがままに武力を使いたい」
 「憲法は葬られ、『ナチスの手口』」
 「力ずくの論理」
 こうした、おどろおどろしい記述の主語はなんとわが日本なのである。日本とはこんな無謀で無法の国なのか。朝日新聞は自国をここまで悪魔扱いするのか。
 だからそもそも朝日新聞はとにかく日本の防衛が嫌い、安全保障の強化も反対なのだと断じるほかないだろう。こうした背景を眺めて、今回の社説に目を通すと、なるほどと、うなずける点がまた増えてくる。
 [筆者プロフィール] 古森 義久(こもり・よしひさ)
 1963 年、慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞入社。1972 年から南ベトナムサイゴン特派員。1975 年、サイゴン支局長。1976 年、ワシントン特派員。1981 年、米国カーネギー財団国際平和研究所上級研究員。1983 年、毎日新聞東京本社政治編集委員。1987 年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS 顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。
 著書に、『危うし!日本の命運』『憲法が日本を亡ぼす』『なにがおかしいのか?朝日新聞』『米中対決の真実』『2014 年の「米中」を読む(共著)』(海竜社)、『モンスターと化した韓国の奈落』『朝日新聞は日本の「宝」である』『オバマ大統領と日本の沈没』『自滅する中国 反撃する日本(共著)』(ビジネス社)、『いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ』(幻冬舎新書)、『「無法」中国との戦い方』『「中国の正体」を暴く』(小学館101 新書)、『中・韓「反日ロビー」の実像』『迫りくる「米中新冷戦」』『トランプは中国の膨張を許さない!』(PHP 研究所)等多数。
 ◎本稿は、「日本戦略研究フォーラム(JFSS)」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。」
   ・   ・   ・    
 12月6日09:00 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「日本の経済安全保障「軍事領域」で押さえたい要点 新興技術との繋がりに不可欠な保全・育成・連携
 API地経学ブリーフィング
 © 東洋経済オンライン 軍事領域における経済安全保障を支えるのは新興技術だ(写真:Graphs/PIXTA
 独立したグローバルなシンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)」の専門家が、コロナウイルス後の国際政治と世界経済の新たな潮流の兆しをいち早く見つけ、その地政学的かつ地経学的重要性を考察し、日本の国益と戦略にとっての意味合いを、順次配信していく。
 経済安全保障の核にあるハイテク分野の産業競争に向き合うには、安全保障と軍事技術(ゲームチェンジャー技術)の動向を理解することが不可欠である。現代の安全保障は、新興技術によって戦略・作戦・戦術を変革する過渡期・発展期にある。技術革新はこれまで何度も軍事領域に変革をもたらしてきたが、現代の特徴はこの変革を牽引しているのが、急速に進展する民生技術であることだ。
 ロボティクス、人工知能(AI)、量子技術などの技術は、民間の産業競争力のコア技術であるとともに、軍事力にも応用可能な軍民両用(デュアルユース)技術である。これら新興技術は伝統的な軍事技術の価値や位置づけを変え、新たな戦闘トレンドを作り出している。この動向を新興技術の発展に支配的な影響力を持つ民間セクターとともに産官学で理解を深め、現代の経済安全保障論に位置づける必要がある。
 軍事技術の変化と戦闘のトレンド
 軍事領域の経済安全保障の議論の前提となるのは、現代の安全保障で注目される3つの戦闘トレンドである。
 第1に、戦闘領域(ドメイン)や主体が融合し不明確化することである。陸海空の伝統的な戦闘領域と、宇宙・サイバー・電磁波などの領域と、無人化・自律化システムの領域を組み合わせ、その相乗としてマルチ・ドメイン作戦を実行することが重視されている。
 第2に、物理的領域での戦闘空間の高速化と、サイバーや認知領域での競争空間の常在化という2つの時間が併存していることである。情報通信技術や人工知能の発展により、高度な戦場認識や戦闘管理が瞬時に実行され戦闘全体が高速化している。他方で、日々実行されているサイバー攻撃や情報戦のような認知領域は常在戦場となる。
 第3に、軍事技術が高機能・集約型と単機能・分散型に二極化する傾向があることである。莫大な開発コストを伴う次世代戦闘機・イージスシステム・衛星コンステレーションのような、ハイエンド技術の統合トレンドの一方で、廉価な航空ドローンのスウォーム攻撃や3Dプリンターによる使い捨て型兵站に至るまで、ローエンド技術による戦場の変革も重要だ。
 ゲームチェンジャー技術:次世代の戦闘を規定
 こうした次世代の戦闘を規定するのがゲームチェンジャー技術である。その第1は無人化システムとロボティクスである。陸海空すべての領域において急速な技術開発が進む無人化技術は、指揮統制、戦場認識/空間管理能力、戦力投射能力に著しい変化をもたらしている。さらにAIによる作戦・戦術・交戦の自動化・自律化が進展すれば、中間階層における人的介在を最小限とした自律的な指揮統制メカニズムが軍の行動を形作る時代が到来するかもしれない。
 第2は高出力エネルギーである。とりわけ指向性エネルギー兵器(DEW)は、砲弾やミサイルなどの運搬手段によらず、意図した目標に対して指向性エネルギーを直接照射することによって、目標物を破壊もしくは機能を停止することが目指されている。また、高出力マイクロ波によって発生する電磁パルス(EMP)が、電磁波によって情報・電力インフラに不可逆的な損失を与える兵器として実用化されることも目前となっている。
 第3は量子技術である。量子技術もこれまでの軍事の常識を凌駕する革命的変革をもたらす可能性が高い。量子コンピューターは、大規模データの高速処理により戦闘システム能力を飛躍的に向上させ、量子センサーは航空機の気流変化や潜水艦の水流変化を感知し、量子レーダーはステルス機さえ探知し、量子暗号は公開鍵暗号の解読を可能とする。
 軍事領域の経済安全保障1:新興技術を保全する
 経済安全保障政策はこれら新興技術と軍事領域のつながりを、「保全」「育成」「連携」という3つの方針で臨む必要がある。まず喫緊の対策として必要とするのは、機微技術を流出や搾取から「守る」措置の徹底である。米中両国の技術覇権が熾烈化する中で、アメリカは「国防権限法2019」に付随する措置として、対内投資規制の強化、機微技術の輸出管理、政府調達の規制の強化を推進している。またアメリカのバイデン政権の下では、機微技術に関するサプライチェーンの見直しも包括的に進められている。
 日本の経済安全保障政策においても、機微技術の管理についてさらなるガバナンス体制の確立が重要となる。第1に、対内投資規制については2020年の改正外国為替及び外国貿易法(外為法)によって、外国人による日本買収手続きを厳格化する措置が採られている。ただ投資審査をする体制は十分とはいえず、アメリカの対米外国投資委員会(CFIUS)のような常設化された審査体制を整備することが求められる。
 不必要な貿易投資の委縮を招かないように
 第2に、安全保障貿易管理の強化も喫緊の課題である。日本では経済産業省を中心に、幅広い対象の新興技術の移転を規制(貨物の輸出・技術の提供)する措置を、大学、企業、研究機関に向けて啓発に努めている。広範な民生技術が対象となり、各企業や研究機関の輸出管理体制の拡充に努め、不必要な貿易投資の萎縮を招かないようにすることも重要である。
 第3に、日本の防衛産業、機微技術を扱う事業者、重要インフラ事業者などの機密を保全するセキュリティーリアランス制度を確立することが重要である。機微技術や機密情報へのアクセスを階層に応じた許可性にするとともに、情報保全体制の整備を通じて国際連携の推進を図るべきである。
 軍事領域の経済安全保障2:新興技術を育成する
 日本は「戦略的不可欠性」の観点からも、新興技術の開発と活用を抜本的に強化することが重要である。日本の産業界が保有する素材、要素技術、基礎研究、基盤技術を十分に掘り起こし、日本の防衛力に資する新興技術を育成することが肝要だ。特に従来の安全保障技術研究推進制度による基礎研究支援に加えて、基礎技術を装備化につなげる「橋渡し研究」や、技術と防衛構想をつなげる「将来戦研究」を総合的に推進することが求められる。
 日本における防衛技術の研究開発は、長らく他国に比して低水準で推移していた。しかし、令和4年度概算要求において防衛省は研究開発費に3257億円(対前年度比1141億円増)を投じることを発表し、防衛技術に関するシンクタンク機能の強化や、ゲームチェンジャーの早期実用化に資する取り組みに本腰を入れる。防衛産業・技術基盤の強化とともに、新興技術の開発と実装化に向けたスキーム強化をさらに推進することが望ましい。
 軍事領域の経済安全保障3:国際的な連携を推進する
 経済安全保障と軍事技術をめぐる重要な論点は、国際的な連携を推進することである。日米同盟の観点からは、ミサイル防衛(SM3ブロックIIA)の共同技術開発が実施され、すでに完成品を配備する段階まで進捗した。日米の防衛装備品をめぐる次の柱となる共同技術研究・開発の推進が望まれる。日米が直面するのは今世紀最大の安全保障上の課題といえる中国との戦略的対峙である。日米が軍事技術をめぐる共同研究・開発を通じて、この安全保障上の課題を克服する国防・産業協力を推進することが望まれる。
 アメリカとの輸出管理をめぐる政策協調はとりわけ重要である。アメリカの再輸出規制の域外適用には日本の産業界からの批判も根強い。アメリカが日本とともに新興技術の対象や懸念すべきエンドユーザーに対する情報交換を平素から行い、エンティティリスト(アメリカ商務省産業安全保障局(BIS)が発行している貿易上の取引制限リスト)や軍民有業企業指定などの規制措置については、アメリカの一方的指定ではなく同盟国との協議を前提とするのが望ましい。そのために、日米で外務・経産省によるハイレベル協議を定例化することが重要であろう。
 防衛装備品の海外移転の推進
 最後の論点は、防衛装備品の海外移転の推進である。防衛装備移転三原則(2014年)の決定から7年が経過したものの、日本からの防衛装備移転はオーストラリアへの潜水艦、タイへの防空レーダー、インドへの救難飛行艇などがいずれも失敗し、フィリピンへの監視レーダー輸出を除き、確たる成果を挙げていない。日本の防衛産業が海外市場を獲得し、日本と友好国との防衛協力を推進するためにも、防衛装備品移転を強化するガバナンス改革は急務である。
 経済安全保障をめぐる議論で、日本は戦略的な自律性と不可欠性の確保を重視した議論を進めている。安全保障分野での取り組みの課題は山積みだが、その前提として軍事領域の技術への洞察力を深めることが重要である。
 (神保謙/アジア・パシフィック・イニシアティブ-MSFエグゼクティブ・ディレクター、慶應義塾大学総合政策学部教授)」
   ・   ・   ・   

🎷71:─1─岸田政権の米中二股外交。林外相が訪中すれば米国反感、しなければ中国侮辱。~No.313No.314No.315 (66) 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年11月29日17:12 MicrosoftNews zakzak「【ニュースの核心】「米中二股外交」で岸田政権“大失態”か 林外相自ら訪中要請公表…訪中すれば米国反感、しなければ中国侮辱
 © 産経新聞社 【ニュースの核心】「米中二股外交」で岸田政権“大失態”か 林外相自ら訪中要請公表…訪中すれば米国反感、しなければ中国侮辱
 岸田文雄政権の外交姿勢に不信感が高まっている。欧米諸国が、中国当局によるウイグルや香港での人権弾圧を受けて、北京冬季五輪の「外交的ボイコット」を検討するなか、政界屈指の「親中派」とされる林芳正外相が、中国の王毅国務委員兼外相による訪中招待を公表し、前向きに反応したのだ。そもそも、中国は日本への軍事的圧力を強めており、米国との同盟関係を重視する自民党外交部会などから強い反発も出ている。ジャーナリストの長谷川幸洋氏が、林氏の「外交的失態」と、瓦解(がかい)し始めた岸田政権の「米中二股外交」を厳しく指弾した。
 ◇
 先週のコラムで、私は「日本が米国と中国の双方にいい顔をする『二股外交』を展開し、同盟国である米国の信頼を損なう懸念が出てきた」と書いた。残念ながら、懸念は現実になりつつある。
 林氏は21日、フジテレビ系「日曜報道 THE PRIME」や、BS朝日の「激論!クロスファイア」で、中国から訪中要請されたことを明らかにした。林氏は18日、中国の王毅外相と電話会談した。外務省はその際、中国からの訪中打診を公表していなかったが、大臣自ら語ってしまった。
 林氏は訪中するかどうか明言を避け、訪中する場合も日程は未定としたが、BS朝日で「招請を受けたので調整はしていく」「米中両方と話ができるのが日本の強み」などと前のめり気味に番組で語った。
 これを聞いて、中国は「林外相は必ず来る」と確信し、小躍りして喜んだに違いない。事務方が伏せていた話を、大臣本人がテレビで公表したからには、来ないわけがない。
 公表していなければ、行かなかったところで、波風は立たない。だが、公表した後で行かなかったら、大臣が意図して「中国の顔に泥を塗った」も同然になるからだ。
 林氏は「ここは政治家として売り出す絶好のチャンス」と思ったのかもしれない。だが、米国は「日本は二股をかける気だ」と思ったに違いない。「米中両方と話ができる」という発言には、そんな思惑がにじみ出ている。
 この発言は「日本が米中対立の仲介役になる」という意欲表明のように聞こえる。そうだとすれば、まさしく二股以外の何物でもない。対立している一方に肩入れして、仲介役は務まらないからだ。
 林氏は勘違いしているのではないか。
 米中両方と話ができても、それは「日本の強み」でも何でもない。オンライン上とはいえ、米中のトップ同士、ジョー・バイデン大統領と、習近平国家主席は16日、すでに直接会談している。そこに日本が割って入ったところで、米国から見れば「余計なお世話」ではないか。
 ◆要請は蹴飛ばすべきだ
 そもそも、日本は米国の同盟国だ。中国に脅かされている当事者でもある。
 沖縄県尖閣諸島周辺での度重なる挑発は言うに及ばず、中国海軍艦艇は17日、4年ぶりに鹿児島県の屋久島周辺で領海侵入した。中国とロシアの爆撃機4機も19日、日本周辺の上空を飛行している。
 脅迫されている被害者の日本が、脅かしている張本人の中国に招かれて、ホイホイ出かけているようでは、話にならない。ここは毅然(きぜん)として「まず、そちらの態度を改めよ」と要請を蹴飛ばすべき局面だろう。
 林氏の訪中には、自民党内からも慎重姿勢を求める声が出た。
 佐藤正久外交部会長は「(欧米では、北京冬季五輪に対する外交ボイコットが議論されるなか)海外に完璧に間違ったメッセージになる」と指摘した。
 林氏が訪中すれば、中国は必ず五輪開会式への要人出席を求めてくる。林氏は、それにどう答えるのか。
 答えもさることながら、私は訪中要請の公表自体が、とんだ「外交的失態」だと思う。訪中すれば、米国を怒らせ、しなければ、中国に余計な恥をかかせるかたちになるからだ。岸田政権の「二股外交」は始める前から、早くも失敗しつつある。
 ■長谷川幸洋(はせがわ・ゆきひろ) ジャーナリスト。1953年、千葉県生まれ。慶大経済卒、ジョンズホプキンス大学大学院(SAIS)修了。政治や経済、外交・安全保障の問題について、独自情報に基づく解説に定評がある。政府の規制改革会議委員などの公職も務めた。著書『日本国の正体 政治家・官僚・メディア-本当の権力者は誰か』(講談社)で山本七平賞受賞。ユーチューブで「長谷川幸洋高橋洋一のNEWSチャンネル」配信中。」
   ・   ・   ・   

🏁27¦─1─中国共産党は日本のメディアの言論と出版の自由を奪っていく。~No.161No.162No.163 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本のメディア・出版は、自主規制して、中国共産党ウイグル内モンゴルチベット少数民族に行っている非人道行為を報ずる事が欧米諸国に比べて極端に少ない。
   ・   ・   ・   
 習近平は、親中国派・媚中派の協力を得て強引に天皇と会見する事で次期指導者として箔を付けた。
   ・   ・   ・    
 2009年12月15日  AFP「天皇陛下が習副主席と会見、「慣行破り」論議の中
 【12月15日 AFP】天皇陛下(Emperor Akihito)は15日、中国の習近平(Xi Jinping)国家副主席と皇居で会見された。慣行の1か月前の申請を破って設定された会見が論議をかもしているにもかかわらず、鳩山由紀夫(Yukio Hatoyama)首相は習副主席の会見を温かく歓迎した。
 宮内庁によれば、会見は20分間にわたって行われた。習副主席は、2012年に胡錦濤(Hu Jintao)国家主席の後継者となると目されている。
 通常、締め切りが1か月前とされている天皇陛下と要人の会見申請を、中国側が1か月前までに行わなかったにもかかわらず、政府が習副主席に特別に取り計らって会見をかなえたことに批判があがっている。中国側から要請があったのは前月26日だった。
 鳩山首相は、記者団に対し、「副主席が日本で活動している最中にこういう状況になったことは大変残念だ」と述べ、「将来のリーダーになれる可能性の高い方をもっと喜びの中でお迎えすべきだ」と語った。
 時事通信(Jiji Press)によると、天皇陛下は会見で「今回の訪日によって両国間の理解と友好関係が一層増進されることを希望しています」と話した。
 一方、習氏は「お忙しい中、わざわざ会見の機会をつくっていただき、深く感謝します」と謝意を述べたという。
 今回の訪日は、習氏が08年3月に副主席に就任して以来初めて。また、中国の要人が天皇陛下と会見するのは、国賓として08年5月に訪日した胡主席以来となる。(c)AFP
 【関連記事】天皇陛下と中国副主席との会見15日に、慣行破りに反発も
   ・   ・   ・   
 リベラル・民主党政権の親中国派・媚中派は、中国共産党に配慮して、皇室の慣行を破り、天皇陛下の健康負担を顧みる事なく、習近平副主席と天皇陛下との会見を強行した。

 天皇の政治利用は、保守・自民党政権の親中国派・媚中派による天安門事件後の天皇・皇后両陛下の中国訪問に続いて2回目であった。
 国民主権現代日本では、天皇・皇族・皇室は使い勝手のいい便利な道具でしかない。 
 マルクス主義の革新派による、天皇・皇族・皇室に対する批判は下品なほどに口汚く激しく山のように数多いが、中国共産党・韓国・北朝鮮への非難は控え目で数が少ない。
   ・   ・   ・   
 2022年1月号 Nanada「習近平の誤算
 芥川賞作家が中国の脅迫を告発  楊逸
 命が危ない
 『わが敵「習近平」』(2020年6月小社刊)を出版後、私は無数の脅迫や圧力受けました。
 まず、親しい友人女性から電話で『こんな本を出してはいけない』『中国に帰国したら捕まる』と言われ、在日中国文化人の会合で酷評されたと告げられました。彼らは、私が経済的に困窮したため売名行為でこんな本を出した、と断言したそうです。
 それ以外の複数の中国人の知人からも『あなたの身に怖ろしいことが起きる』『夜道を気をつけなさい』と警告されましたが、誰も私の本を実際に呼んでいないのに呆れました。
 想定外だったのは、日本の出版社からも仕事がキャンセルする連絡が相次いだこと。取材済みの書籍や雑誌の仕事はいくつも『なかったこと』にされて、二度と依頼がなかった。香港どころか、日本国内の自由もすでに失われていたのです。
 日本では中国共産党を批判すると仕事を失い、文筆家として生きていけない──仕事がキャンセルされ、二度と依頼がこない以上、日本の言論、出版の自由は建前だけということがよくわかりました。
 次ぎに起こったのは、無言電話です。発信者不明で定期的にかかってきます。電話に出ると録音した音声が流れ、『あなた宛(あて)の郵便物が届いたから大使館に連絡して』。
 明らかにいやがらせです。
 私の父親は3年前に脳梗塞で倒れ、寝たきりと思い、正月のあいさつをしたいと思い、子供と3分ほどの短い動画を撮影して親戚経由で送ると、全員から受信拒否されました。
 直接連絡すると履歴に残るので、人づてに理由を尋ねると、私の家族と親戚は全員、警察の事情聴取を受けて監視され、怯(おび)えているというのです。
 ……
 身内や親戚からは命が危ないと言われ、私のせいで危険な目に遭わせたくないと、親戚や友人との連絡を自ら断ちました。私は自分の言動に責任を負いますが、人に迷惑はかけられません。友人からは、中国共産党と関係良好なアジア諸国、タイや新型コロナウイルス、マレーシアに立ち寄れば危ないと警告されています。
 コロナ禍を利用した中国
 ……
 変わらない中国の腐敗
 ……
 利用される海外報道
 中国はマスコミを使った国際世論戦も巧みに進めています。全人代を取材する海外メディアは特に優遇されます。記者証を見るとアメリカ・グローバル日報などと、いかにも外国メディアの響きですが、実際は中国高官の家族や関係者が海外で設立したものです。
 派手な名前で現地メディアとして登録し、事務所を置く。インターネット上にサイトを作り、中国の最新ニュースを掲載しつつ、習近平の最新の発言について、現地の親中国政治家や学者のコメントを取材して流す。
 アメリカのグローバル日報の記事として『米有名政治家や学者が習近平の発言を絶賛』と報じ、それを中国国内メディアが『グローバル日報が全面評価』とリンクを貼る。これで国内世論は信じてしまいます。
 日本でも同じように、中央宣伝部の息のかかった日本語現地メディアが『日中関係に岸田首相が前向きな発言』と切り取って報じると、中国国内では『日本首相が中国に好意的』と引用される構図です。
 中央宣伝部は、日本の新聞やテレビなど既存マスコミの奥深くにも入り込んでいます。中国を専門とする学者は共産党との関係が悪化すれば研究を続けられませんから、親中発言をするしかありません。日中関係の節目で、高名な学者が発言した、とインタビューされます。中国に好意的な報道をする各国メディアが、連携して情報操作するのです。
 中国から情報が意図的に漏れることもあります。……巨大な情報操作があるのです。
 たとえば、習近平姉弟や親戚がオーストラリアで大きな企業を経営していたり、カジノで巨額の散財をしたりしていますが、その報道はすぐ消えました。
 ……
 中国国外に逃げた民主化運動組織やチベットウイグルの組織は必ず分裂します。内部に共産党の協力者がいて、はした金をつかませると、言葉や文化の違う海外で生計を立てるのが大変な人は、生活のために簡単にスパイになります。
 アメリカのBLM運動で燃え上がったアンティファに、大勢の中国人が参加していました。中国大使館がバックにいて、日当や弁当が出ればバイト感覚で参加する人が多いのも当然でしょう。
 ……
 非国有企業の報道禁止
 2021年10月8日、中共中央の新たなメディア規制が報じられました。日本のニュースでは、『民間企業の報道参入を認めない』とありましたが、実は中国語の原文は民間企業ではなく『非国有企業』なのです。
 中国政府が10日までを期限に、報道事業に民間企業が参入することを禁止する規制案を公表したもので、『非国有企業』は新聞社や出版事業、テレビ局に参入できなくなります。インターネットニュースも、民間企業が経営したり出資したりしてはいけない。
 具体的に報道禁止分野は、『政治、経済、軍事、外交、重大な社会問題、文化、科学技術、衛生、教育、スポーツなどのほか、政治や世論、価値観にかかわる業務や事件の実況中継に携(たずさ)わってはならない』つまり、何も報道できないのです。
 ……
 21年10月1日の国慶節の直前から同時期にかけて、山西省で大洪水が起きましたが、中国メディアは一切報じませんでした。締め付けがすでに効いていて、収穫時期の作物がすべて水に浸(つ)かったことも報じない。国慶節の報道が終わった5日すぎに、ようやく情報が小出しになりました。 
 その前の7月17日、河南省で洪水があり、地下鉄に閉じ込められた乗客など300人以上の犠牲者が出た際にはネット中継する人がいて、世界中に情報が流されました。しかし山西省の洪水はそれを上回る被害が出たのに、当局の抑え込みが成功し、当初まったく情報がなかったのです。
 非国有のメディア企業には当然、在中国の外国メディアも含まれます。今後、中国からの報道は共産党が嫌う報道を流さなくなり、北朝鮮と同じようになるはずです。
 人間性に反する伝統
 私はなぜこうなるかを考え続け、中国人に反(アンチ)ヒューマニズムの伝統があると気づきました。魯迅がこのテーマに取り組んだのは有名ですが、現代の文学作品にも、反人間性の伝統が活写されています。
 王小波の『黄金時代』(勉誠出版)では、革命の洗脳が浸透した辺境農村で、荒唐無稽なほど人間性を無視する出来事が起こります。莫言(ばくげん)の『酒国(しゅこく)』(岩波書店)で描かれる中国の腐敗文化、他人を買収して共犯者にする手口は、理屈より物語で読んだほうが実感しやすいでしょう。
 反抗しない中国人を作り出す統治体制は、長い歴史を持つ、人間を家畜のように隷属させる制度です。私の人生を振り返ると、家族全員が下放(かほう)され、住居もなく、姉は命を落としました。
 なぜ不幸な目に遭うのか考えた時、『母親は地主階級出身で、両親とも教師で知識人階級だから、思想改造が必要だ。原因は搾取階級出身である自分のせいだ』との考えにたどりつき、なんとなく納得していたわけです。
 その考え自体が間違いだったと、この2年で目覚めました。来日した1987年から2020年までの33年間、『わが家は迫害されて当たり前だ』と納得していたおかしさにやっと気づきました。
 中国人は洗脳され続けた結果、『苦しいのは自分のせいで、仕方がない』と諦めてしまいます。共産党の圧政下の人たちは反抗など不可能だし、洗脳を解くことすら難しいでしょう。
 苦境を受忍する中国人の悪弊こそ、共産党政権が70年も存続した最大の原因だと気づき、私は声を上げなければいけないと決意したのです。
 過酷すぎる幼少期の体験に慣れてしまうと、当たり前のように受け入れてしまいます。もし、私が文化大革命の時代に10代後半だったら紅衛兵になって、親を『搾取階級』と糾弾していたと思います。
 ですから、洗脳された中国人が沈黙している理由もよくわかります。彼らにつける薬はありません。私が危機感を覚えるのは、この根本的な価値観の違いを理解せず、中国人の善意を信じる日本人が非常に多いこと。
 1対1のふるまいではいい人でしょうが、日本人のやさしさが通用しない中国人の価値観とどれほど深刻な衝突の可能性があるか、想像もできないのは怖ろしいことです。
 人民の首にある
 私自身、どこまで西側の自由と民主主義の価値観や考え方に近づけたか、自信はありません。でも、中国で身につけた価値観が根本的に間違っていたことはわかります。だから政治的な主張をしてこなかった私が、中国共産党習近平体制への激烈な批判者に転じたのです。
 同時代を歩んだ中国人の思考を理解しつつも、日本で学んだ自由と民主主義の価値観を受け入れ、中国共産党の政治体制、人を人として扱わない政治システムをこれ以上存続させてはいけないと確信しました。
 欧米先進国が中国をWTOに加盟させ、多額の投資で経済発展させたおかげで中国は強国となり怪物化しました。その責任の一端は、欧米と日本にあります。
 習近平体制の締め付けは、これからさらに厳しくなるでしょう。習近平が権力基盤を固めた2016年あたりからひどくなり、最近に食い込んでいる状態です。中国人は機械的に生きるしかない生存環境に置かれ、インプットするのは人民日報の情報です。それ以外の情報で何か考えようとすると、すぐに首のひもがしまって死んでしまう。
 習近平体制が存続していけば、やがて中国人の首にかかっているひもが、今度は日本人やアメリカ人の首にかけられることになります。
 なぜなら、中国に批判的な海外報道は大きな圧力にさらされているからです。現地大使館は報道に抗議し、訂正や謝罪を要求します。また、アメリカ文化を代表するハリウッド映画は、中共宣伝部の検閲基準をクリアしないと公開できなくなりました。スポーツ関係者の発言やファッション、アート、漫画やアニメ、ゲームの内容にも共産党は口を出します。
 外国企業も、ひとたび屈すればどんどん締め付けられる。最大の市場・中国に配慮すれば、自主規制するしかありません。日本やアメリカの子供達向けの漫画やゲームは、中国の検閲を受けるのが当たり前になるでしょう。
 共産党が得意とするプロパガンダに対抗する最善の策は、それをわかりやすく解説してあげることです。共産党イコール悪というスローガンでは、一般の人に伝わりません。
 そこで、現代文学の表現を借りる必要があります。……」
   ・   ・   ・   
 クラウゼビッツ「敵の軍隊を壊滅しても、国が残れば軍隊は再建でいる。敵の国を壊滅しても、国民が残れば国は再建できる。しかし国民の意志、魂を壊滅させれば、完全に敵国を壊滅できる」
   ・   ・   ・   
 中国は、儒教皇帝体制であろうと、マルクス・レーニン主義体制であろうと、統治体制は変わりはしない。
 中国の歴史からすれば、儒教マルクス・レーニン主義共産主義毛沢東主義スターリン主義も同じである。
 日本の天皇や日本国・日本民族は、そうした中国を拒絶し、日本から排除して、中国人の大量移住を嫌い拒否した。
 積極的に移住を認めたのはインド仏教価値観を持った中国人の高僧・名僧のみで、中華価値観を持った中国人儒学者は数えるほどしかいなかった。
 朝鮮人にいたっては、統一新羅以降は誰一人いない。
   ・   ・   ・   
 中国共産党を含む共産主義が目指す理想的人民独裁体制とは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』『動物農場』であり映画の『未来世紀ブラジル』の世界である。
 中国人とは、映画『マトリックス』の幻想世界で夢を見ながら生命力を吸い取られながら一生を終え、年老いて生命力が弱なり生産性が悪くなれば不良品と認定され、さらには死ねばゴミとして捨てられる人間電池である。
 「勝てなくても勝てるとの信念」で少数の抵抗勢力を指揮して大群で襲い来る敵ロボットと絶望的に戦い壮烈な戦死を遂げたのは、日本人のミフネ隊長であった。
   ・   ・   ・   
 人を奴隷に仕立てる有効な手段は、思考力や判断力が弱い子供の頃に教育と情報で洗脳する事である。
 それは、現代の日本人でも同じ事である。
   ・   ・   ・   
 国家・国民を支配するのに51%以上の多数派になる必要はなく、3%~5%の少数派で充分である。
 つまり、同調圧力・空気圧に影響されて動く日本(人口約1億2,000万人)を支配するなら3%(約360万人)の同志がいればこと足りる。
 長野中国人騒動事件。在日中国大使館は、中国共産党の命令に従って在日中国人数千人を長野市に動員して、北京オリンピック聖火リレーチベット弾圧に抗議する日本在住チベット人や日本の人権・人道市民団体を襲わせた。
 保守派自民党政権は、中国共産党の御機嫌を損ねる事を怖れ、襲撃する中国人ではなく抵抗するチベット人や日本人を逮捕した。
 親中国派・媚中派のメディア報道機関は、報道しない自由・国民に知らせない権利から、中国のイメージ悪化を恐れて中国人暴動事件を詳しく報道せず闇に消した。
   ・   ・   ・   
 少子高齢化による人口激減を解消する為に、1,000万人外国人移民計画(主に中国人移民)を実行さている。
 現実問題として、移民大国となった日本では中国人移民が増え始めている。
 中国共産党は、中国人移民が多く住み地域に支部が開設し、日本国への忠誠より共産党への忠誠を求め、共産党の支配を強化している。
 中国人移民に日本国籍を取らせ、参政権投票権・立候補権)と地方公務員(役人)・国家公務員(官僚)登用権を獲得する事で、日本国内部に深く根を張らせる。
 それは中国式陣地取り、つまり「碁」である。
 中国人移民を日本に送り込むのは「トロイの木馬」で、日本人支援者の協力を得て日本を中国人が住みやすい環境に内部から改造しようとしている。
 それは、ウイルス感染とウイルス増殖に似ている。
 では、誰が中国共産党と中国人移民・中国人留学生を引き入れたかと言えば、反天皇反日本人のリベラル派戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代、高学歴な知的インテリや進歩的インテリである。
 中国共産党の影響は、日本の最難関優秀大学・教育機関とメディア報道機関に深く根付いている。
 敵の敵は味方、というわけである。
   ・   ・   ・   
 石平「敵の内部に入り込み、次第に乗っ取る浸透工作は中国のお家芸です。周恩来がやったことを思い出してください。
 1924年、コミンテルン共産党の活躍が期待外れあったため、孫文率いる国民党の乗っ取りに乗り出します。コミンテルンは国民党の支援や武器を提供する見返りとして、共産党幹部が共産党員のまま国民党幹部に参画することを受け入れるよう要求。かなり無理な要求ですが、どいしてもコミンテルンの支援が欲しかった孫文はこれを承諾したのです。国民党はコミンテルンの全面支援を受けて、革命本拠地で黄埔(こうほ)軍官学校を創設し、その重要ポストである政治部主任に周恩来が就任しました。
 周恩来はそのポストを利用し、国民党の軍官を共産党の信奉者に転向させ、暴動を起こさせました。これが、1927年のいわつる南昌蜂起(なんしょうほうき)で、この日、8月1日は人民解放軍建軍記念日とされています。
 共産党の浸透工作は、国共内戦の趨勢を決した三大戦役(遼瀋{りょうしん}戦役、淮海(わいかい)戦役、平津{へいしん}戦役)でも活かされています。
 淮海戦役は徐州で2カ月もの間、国共双方が何十万人もの兵士を投入して戦った、いわば天下分け目の関ヶ原の戦い。なぜ、ここで共産党が勝てたかと言えば、国民党軍の最高司令部に周恩来の放ったスパイが十数年前から潜入していたからです。このスパイによって、国民党軍の作戦はすべて共産党に筒抜けでした。
 国民党の最高司令部が立てた作戦計画が、戦地の国民党軍の司令官に伝わる前に、毛沢東は情報を摑んでいたなんて伝説もあるくらいです。
 敵のなかに深く入り込んで徹底的に情報を盗み、策動し、潰すのは中国共産党お家芸なのです。永田町にもそういう人物がいるのではないか、……」
   ・   ・   ・   
 親中国派・媚中派は、現代でも周恩来が日本に仕掛けた巧妙な陰謀・謀略の罠にはまり、毛沢東よりも周恩来を偉大な指導者と崇めている。
   ・   ・   ・   
 独立王国時代のチベットで、政権中枢にいた親中国派・媚中派中国共産党政府との友好関係を築く為に、条約を結び、中国人移民を受け入れた。
 中国共産党は、中国人移民を保護する名目でチベットを侵略し、法王派、反中国派、民族主義、親英派、新インド派、宗教勢力を武力で排除して占領してチベット王国を滅亡させ、チベット宗教を弾圧し、死と暴力の恐怖支配を続けた。
 中国軍は、共産主義による人民解放を大義として200万人以上のチベット人を虐殺した。
 中国人の微笑みには、血に飢えた残忍な真顔が隠れている。
 親中国派・媚中派は、自国の国益や自国民の権利よりも中国共産党の利益を優先している。
   ・   ・   ・   
 一般中国人と中国共産党員・中国軍人・武装警察官・民兵・海民兵・秘密結社構成員・中国人犯罪者・その他は別人である。
   ・   ・   ・   
 ロシア革命は、少数派であるボルシェビキのさらに少数派であるレーニン率いるロシア共産党が勝利して成功した。
 レーニンは、ソ連ロシア共産党を支配する為に少数精兵として党内のレーニン派以外の多数派・反主流派を粛清した。
 スターリンも、独裁支配を完成させる為にライバルのトロッキーレーニン派など1,000万人以上を粛清して独自の少数派を維持した。
 共産主義とは、人民多数派ではなく党少数派、少数派の中の少数精兵のイデオロギーである。
 それは、中国共産党も同様である。
   ・   ・   ・   

⛿3¦─4─岸田首相、防衛力強化にあらゆる選択肢を検討。バイデン大統領、防衛費増を期待。〜No.12 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年11月17日15:23 MicrosoftNews 産経新聞「首相、防衛力強化「あらゆる選択肢を検討」
 © 産経新聞 自衛隊観閲式で訓示を行う岸田文雄首相=27日午前10時27分、陸上自衛隊朝霞駐屯地(代表撮影)
 岸田文雄首相は27日、陸上自衛隊朝霞駐屯地(東京都練馬区など)で行われた自衛隊観閲式で訓示し、中国や北朝鮮の情勢を踏まえ、「いわゆる敵基地攻撃能力の保有も含め、あらゆる選択肢を排除せず検討する」と述べ、防衛力強化の決意を改めて示した。
 首相は訓示で、北朝鮮について「極超音速滑空兵器や変則軌道のミサイルなど昨今の新たな技術の開発向上を見過ごすことはできない」と指摘。中国については「十分な透明性を欠いたまま軍事力を強化し、一方的な現状変更の試みを継続している」と非難した。
 その上で首相は国家安全保障戦略(NSS)や防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画(中期防)の戦略3文書の改定を指示したことに触れ、「冷静に現実的に議論を突き詰めていくこと、国民にしっかりとご理解を頂くことが政治の責任だ」と述べた。
 観閲式には自衛隊員約800人が参加したが、新型コロナウイルスの影響で部隊の行進は中止した。終了後、首相は新型コロナワクチン大規模接種センターや災害派遣を経験した隊員らと車座で意見交換。宇宙やサイバーセキュリティーなど新たな作戦領域に対応するための最新の装備品展示を視察し、機動性に優れた機動戦闘車や戦車にも試乗した。」
   ・   ・   ・   
 11月27日20:45 産経新聞「<独自>米軍が最新鋭砲空輸へ 離島防衛を想定
 沖縄県の米軍キャンプ・ハンセンで訓練する高機動ロケット砲システム「ハイマース」=9月30日
 米海兵隊が12月に陸上自衛隊と実施する共同訓練で、中国のミサイル脅威を想定した新たな作戦構想「遠征前方基地作戦(EABO)」に基づき、最新鋭の高機動ロケット砲システム(HIMARS=ハイマース)を日本国内で初めて長距離空輸することが27日、分かった。沖縄県の離島などで有事が発生した際、遠方から展開した海兵隊がハイマースと陸自の地対艦誘導弾(SSM)で中国のミサイル網に対抗する作戦を念頭に置く。陸自がEABOとの連携を目的とした共同訓練を行うのも初めて。
 海兵隊がハイマースの長距離空輸を行うのは、陸自との共同訓練「レゾリュート・ドラゴン21」。12月4日から17日まで、八戸演習場(青森県)や矢臼別演習場(北海道)などで陸自約1400人、海兵隊約2650人が参加する。
 訓練では、海兵隊部隊がC130J輸送機で米軍普天間飛行場沖縄県)から海上自衛隊八戸基地までハイマースを空輸する。海兵隊はこれまで日本国内ではハイマースの長距離移動を艦艇で行ってきたが、EABOが展開スピードを重視することを踏まえて空輸を行い、陸自のSSMと標的の調整などを行いながら連携を確認する。
 EABOはミサイルなどを装備した小規模部隊が分散展開し、中国などのミサイル網に対抗する作戦構想。在沖縄海兵隊はインド太平洋地域でローテーション展開しており、有事の際に遠隔地から緊急展開する能力が重要となる。
 日本側は離島防衛などでEABO部隊の来援に期待する。3月の日米外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)共同声明で「実戦的な二国間及び多国間の演習及び訓練が必要」と明記されたことを踏まえ、自衛隊としては初めて、EABOとの連携を訓練の目的に据えた。
 平成30年末に改定した防衛計画の大綱では陸海空の領域に宇宙・サイバー・電磁波領域を融合させる「領域横断作戦」を打ち出している。陸自の吉田圭秀幕僚長は18日の記者会見で「領域横断作戦と米海兵隊のEABOの連携を図ることが最大の焦点だ」と述べた。
  ◇  
■遠征前方基地作戦(EABO) 米海兵隊が策定を進める作戦構想。EABOはExpeditionary Advanced Base Operationsの略。中国などが高精度の長距離ミサイルを展開する中で、敵の射程内にセンサーやミサイル、補給拠点などを分散配置して「島のバリア」を形成。敵の標的を分散させると同時に敵の艦艇や航空機を攻撃。従来の海兵隊が基本としてきた大規模部隊による上陸作戦から転換を図る。」
   ・   ・   ・   
 11月27日21:01 MicrosoftNews KYODO 共同通信「バイデン大統領、防衛費増を期待 岸田首相に電話会談で表明
 © KYODONEWS 岸田文雄首相、バイデン米大統領(ロイター=共同)
 【ワシントン共同】バイデン米大統領が10月上旬の岸田文雄首相との電話会談で、日本の防衛費増額方針に期待を表明していたことが分かった。米政府筋が27日までに明らかにした。バイデン政権は唯一の競争相手と位置付ける中国の抑止を念頭に、日本の安全保障分野でのさらなる負担を見込んでいる。初の対面での首脳会談が実現すれば主要な議題となるとみられる。
 岸田氏は自民党総裁選前、防衛費について「数字に縛られてはならない」と増額に意欲を見せた。米政府筋によると、首相就任直後の電話会談で、バイデン氏は防衛力見直しの着実な進展に期待を示した。望ましい増額幅には触れなかった。」
   ・   ・   ・    
 11月29日07:50 MicrosoftNews 時事通信「「台湾の次は尖閣」=中国動向を警戒―豪国防相
 © 時事通信 提供 26日、キャンベラで講演するオーストラリアのダットン国防相(EPA時事)
 【シドニー時事】オーストラリアのダットン国防相は26日、「台湾が取られたら次は尖閣になるのは確実だ」と述べ、中国が武力などを通じて台湾の支配に成功すれば、自国領と主張している沖縄県尖閣諸島も同様に標的になるという認識を示した。首都キャンベラでの講演で、中国が近海で領土拡張的な動きを見せていることに関し、語った。
 ダットン氏はモリソン政権内で対中強硬派として知られる。最近も、米国が中国の侵攻から台湾を守るために派兵を約束すれば、豪州も同盟国として軍事行動に参加しないことは「想像できない」と発言し、物議を醸した。」
   ・   ・   ・    
 11月29日18:40 産経新聞「防衛最前線 離島防衛の要 日本版「海兵隊」の水陸一体作戦
 © 産経新聞自衛隊統合演習 水陸両用作戦】種子島で離島奪還訓練が行われ、海から上陸する海上自衛隊の輸送艇LCAC=25日午前、鹿児島県中種子町の長浜海岸(納冨康撮影)
 陸海空の自衛隊による統合演習の一環として、日本版「海兵隊」とされる陸上自衛隊水陸機動団(水機団)の水陸両用作戦が11月25日、鹿児島県の種子島で報道公開された。活発化する中国の軍事活動にさらされる南西諸島の防衛を主な任務とする水機団。占領された離島の奪還を想定した作戦を記者が見た。
 轟音とともに上陸
 早朝午前7時、朝日に照らされた種子島西海岸。美しい砂浜が数キロ続く長浜海岸が作戦の舞台だ。浜には島を占領した敵のバリケードを模した鉄骨の工作物が整然と置かれている。
 作戦はひっそりと始まっていた。沖合10キロほどの海上に待機していた輸送艦「くにさき」などに搭載されていた水陸両用車「AAV7」9両が海岸へ向かってゆっくりと進んでいた。
 午前8時前、浜辺に接近していた海上のAAV7から白い煙が上がり始めた。敵の目をくらませるためのスモークだ。9両は続々と上陸し、浜辺に陣取った。89式小銃を構えた水機団員約100人が次々と飛び出し、海を背に半円状に広がって敵を警戒する態勢に入った。1両目の上陸からわずか7、8分だった。
 「ブゥォーーーーン」
 大型扇風機のようなプロペラ2機の轟音が砂浜一帯に響きわたる。大型車両を積んだエアクッション艇「LCAC」(エルキャック)が水しぶきと砂を巻き上げながら浜辺に乗り上げた。LCACから大型車両を降ろしたところで報道公開は終了となった。
 陸自海上で訓練
 実際の離島奪還作戦は上陸前に陸海空の航空機や艦艇による攻撃で敵戦力に打撃を加える。今回も上陸前日までに打撃演習を実施した。上陸後には後続の隊員を次々と上陸させ、先に上陸した水機団員とともに半円状の味方領域を広げていく。施設隊を投入して指揮所や駐留施設を構築し、島を奪還するまで続けるという流れだ。
 この日、上陸作戦の後、報道陣はLCACに乗船して輸送艦「くにさき」へ移動し、船上で陸自車両をLCACに載せて発進する場面も公開された。
 LCACは戦車などの搭載スペースを取るため船室は非常に狭く、1畳ほどの空間に10人がすし詰めになって乗る。外は風速6・1メートル。うねりで船体は大きく揺れ、記者はすぐに気分が悪くなってしまった。
 水機団員は日ごろ、水中に墜落したヘリコプターからパニックを起こさずに脱出するような訓練をこなしている。水機団が「精鋭無比」を誇ってきた陸自空挺団と並び称されるゆえんだ。
 © 産経新聞自衛隊統合演習 水陸両用作戦】種子島で離島奪還訓練が行われ、海上輸送艦「くにさき」(手前)から発進する海上自衛隊の揚陸艇LCAC 後方は輸送艦おおすみ」=25日午前、鹿児島県(納冨康撮影)
 くにさきの船体内で陸自の水機団員は、120ミリ迫撃砲を牽引(けんいん)した高機動車を海自の船員と連携しながら格納庫のLCAC上に載せていった。LCACは海自隊員の「グリーンウェル(ウェルドックと呼ばれる格納庫の準備良好)」の合図でプロペラ音とともに発進していった。
 対処力と抑止力
 水機団は平成30年3月に2個連隊で発足。米海兵隊との共同訓練を何度も経て水陸両用作戦のノウハウを学んだ。一度占領された離島を奪還するには海上から近付き、陸上戦闘で敵を制圧する水陸両用作戦が必要だ。そのために陸自と海自のスムーズな連携が求められ、今回の演習は陸海の連携を確認するのが最大のテーマだった。
 © 産経新聞自衛隊統合演習 水陸両用作戦】種子島で離島奪還訓練が行われ、海上輸送艦「くにさき」において海上自衛隊の揚陸艇LCACに車両を積み込む陸上自衛隊の水陸機動団の隊員ら=25日午前、鹿児島県(納冨康撮影)
 終了後、水機団長の平田隆則陸将補は記者団に「わが国をしっかり守れる対処力、そしてわが国に良からぬことをすることを防ぐ抑止力を、しっかりと身に付けないといけない」と強調した。(市岡豊大)
 【AAV7とLCAC】水陸両用作戦で使用する2つの装備。水陸両用車両「AAV7」は重さ22トン、全長8・2メートルで最大24人を運べる。12・7ミリ重機関銃を備え、戦闘まで全て行えるのが特徴。水上は最大時速13キロ、陸上は72キロ。エアクッション艇「LCAC(エルキャック)」はいわゆるホーバークラフト。重さ100トン、長さ27メートル。戦車サイズで1両、人員で約30人を積載でき、上陸場所を選ばないため災害救援にも活用される。
 © 産経新聞自衛隊統合演習 水陸両用作戦】種子島で離島奪還訓練が行われ、海から上陸した陸上自衛隊水陸機動団の水陸両用車AAV7=25日午前、鹿児島県中種子町の長浜海岸(納冨康撮影)」
   ・   ・   ・   

☂20:─1─芳野連合会長は日本共産党の閣外協力合意に反対。~No.75No.76No.77 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2021年11月28日01:29 MicrosoftNews FNNプライムオンライン「共産・志位委員長 野党共闘の継続訴え 「攻め込み追い詰めた」
 © FNNプライムオンライン
 共産党の志位委員長は27日、中央委員会の総会で、10月の衆議院選挙では、野党共闘自公政権に「攻め込み、追い詰めた」として、野党の共闘の継続を訴えた。
 共産・志位委員長「今回の総選挙は、支配勢力に攻め込み、追い詰めた」、「野党の共闘は重要な成果を勝ち取ったことをまず強調したい」
 共産党は、10月の衆院選立憲民主党などと共闘したが、12から10に議席を減らした。
 志位委員長は、総会で「限定的な閣外協力でも、共産党が協力して政権が生まれたら、政治を根本から変える巨大な一歩となり、支配体制を土台から揺るがす」と述べた。
 そして、「野党共闘を前進させるため、今後も揺るがず力を尽くす」と述べ、2022年の参院選でも共闘を継続すべきだとの認識を示した。」
   ・   ・   ・   
 11月28日10:51 産経新聞尖閣周辺に中国船 5日連続
 手前から南小島、北小島、魚釣島=沖縄・尖閣諸島鈴木健児撮影)
 沖縄県尖閣諸島周辺の領海外側にある接続水域で28日、中国海警局の船2隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは5日連続。」
   ・   ・   ・   
 11月28日12:11 MicrosoftNews FNNプライムオンライン「立憲民主代表選の候補者ら「共産党共闘で失ったものが」
 © FNNプライムオンライン
 フジテレビの「日曜報道 THE PRIME」に出演した立憲民主党代表選挙の候補者は、4人中3人が、「共産党との共闘で失ったものがある」との認識を示し、今後の連携のあり方などについて論戦を交わした。
 梅津弥英子キャスター「共産党との共闘で失ったものがあると思う方?」
 逢坂誠二首相補佐官「それぞれの選挙区で、いわゆる共闘という言葉に象徴されるような、共に戦うようなことを、それぞれやっていたかっていうと、そこはずいぶん温度差があると思いますよ」
 小川淳也 元総務政務官「今回の『限定的な閣外協力』という言い方が、非常に中身がよくわからない。そのことによって、国民の十分な理解につながらなかったという反省があります」
 泉健太 政調会長「どうしても、野党全体の訴えというふうにボケてしまったことで、やはり立憲民主に比例票が届かなかった、来なかった」
 西村智奈美 元厚労副大臣立憲民主党として、自分の力できちんと訴えて、そして政策を有権者の皆さんから理解していただいて票を投じていただく、これが基本だと思います」
 また、2022年夏の参院選に向けて、野党候補の「予備選挙」を行う案については、それぞれ意見が分かれた。
   ・   ・   ・   
 11月28日15:25 MicrosoftNews 時事通信「「共産と共闘あり得ず」=芳野連合会長
 連合の芳野友子会長は28日放送のBSテレ東番組で、30日の立憲民主党代表選で選出される新代表に共産党との共闘について「あり得ないと言い続けていきたい」と述べた。芳野氏は「(新代表と)しっかりコミュニケーションを取り、連合の考え方に理解をいただきたい」と強調した。番組は26日に収録された。」
   ・   ・   ・   
 11月28日17:37 産経新聞「自民で「事実上の移民」と反発も 外国人労働者拡大
 会見する松野博一官房長官=26日午前、首相官邸(矢島康弘撮影)
 政府が新たな在留資格「特定技能2号」の業種拡大を検討するのは、人手不足が深刻な業界の強い要望があるためだ。ただ、与党の一部にも反発がある上、外国人労働者の受け入れ拡大は岸田文雄首相が目指す賃金上昇に水を差す懸念もある。移民流入が国家運営の大きな負担となったり、社会の分断を広げたりした欧州各国の例もあり、政府が思い描いた通りに決着するかは見通せない。
 松野博一官房長官は26日の記者会見で「国民の人口に比して一定の規模の外国人・家族を、期限を設けずに受け入れて国家を維持する政策を取る考えはない」と明言した。「いわゆる移民政策は取らない」との政府方針を変更したわけではないと強調した形だ。
 「特定技能」は安倍晋三政権の平成30年に成立した改正出入国管理法に基づく制度。安倍氏は当初、保守層の反発を考慮し慎重だったが、介護や建設、宿泊業などの業界団体の窮状を熟知する菅義偉官房長官(当時)の強い説得もあり、受け入れの方向へかじを切った。安倍氏は「優秀な外国人材にもっと日本で活躍してもらうために必要だ」と説明し、「移民政策」との批判をかわしてきた。
 今回は14業種のうち12業種を見直す。菅政権下の6月に「外国人材の受け入れ・共生のための総合的対応策」を改定し、「特定技能2号の対象分野追加および業務区分の整理に関わる検討」を加えたためだ。岸田文雄首相は、安倍、菅両政権が進めた政策の是非の判断を迫られることになる。
 ただ、自民党には対象拡大に否定的な意見も根強い。来夏の参院選を控え、支援を受ける業界団体への配慮から前向きな議員もいるが、9月の党総裁選で高市早苗政調会長を支持した若手参院議員は「絶対に認めない。党部会などで制度が抱える問題点を徹底的にあぶり出す」と語る。
 別の問題もある。首相は26日の「新しい資本主義実現会議」で、経済界に「3%超の賃上げ」実現を強く求めた。一般的に低賃金と指摘される外国人労働者の受け入れ拡大は賃金上昇にマイナスの影響を与える可能性があり、首相の経済政策と矛盾が生じかねない。
 首相側近は「首相は拡大に前のめりではない。全面拡大はないだろう」と話すが、永住に道を開くことにもなり得る重大な政策転換に際し、十分な国会論議と政府の丁寧で透明性のある説明が求められる。(千田恒弥)
 関連・政府「特定技能2号」拡大検討 在留期限なし」
   ・   ・   ・   
 11月28日17:42 MicrosoftNews 読売新聞「連合会長「立民と国民の合流求めていく」…共産との共闘は「あり得ない」
 © 読売新聞 連合の芳野会長
 連合の芳野友子会長は28日、BSテレ東の番組で、今後の野党共闘について、「立憲民主党、国民民主党、連合が協力し合って戦える関係をつくっていきたい」と述べ、「立民と国民民主の合流は今後も求めていきたい」と強調した。
 立民と共産党の共闘については「連合の立場としては、あり得ないということは言い続けていきたい」と改めて見直しを求めた。来年夏の参院選に向けて「野党共闘の中に考え方の違う共産党が入ってくることは、ちょっと考えなければいけない」と指摘した。
 30日に選出される立民の新代表に関しては「しっかりとコミュニケーションをとり、連合の考え方を示して理解をいただきたい」と述べた。」
   ・    ・   ・  
 11月28日21:28 MicrosoftNews KYODONEWS 共同通信「閣外協力合意は国民への公約 共産志位氏、立民をけん制
 © KYODONEWS 記者会見する共産党の志位委員長=28日午後、東京都渋谷区の党本部
 共産党志位和夫委員長は28日、第4回中央委員会総会を終えて記者会見し、政権交代が実現した場合に「限定的な閣外からの協力」をするとした立憲民主党との合意の継続を主張した。「(来夏の)参院選でもこの立場で臨みたい。この上に立って共闘の発展を目指したい。国民への公約と考えている」と述べた。見直し論が浮上する立民側をけん制した形だ。
 連合の芳野友子会長が国政選挙での共産との連携を改めて否定したことには「私たちは協力を願っている」と強調した。」
   ・   ・   ・   
 11月29日19:47 MicrosoftNews FNNプライムオンライン「「どなたが代表でも共闘の公約変わらない」共産党・小池書記局長が立憲民主党をけん制…代表選を前に
 © FNNプライムオンライン
 立憲民主党の代表選を翌日に控える中、共産党の小池書記局長は先の衆院選で限定的な閣外からの協力をするとした立憲民主党との合意について「どなたが代表になろうとも国民に対する公約で公党間の確認だ」と述べ、新代表決定後も合意は継続するべきだとけん制した。
 【画像】この記事の画像を見る
 小池書記局長は会見の冒頭で「立憲民主党との政権協力の合意、限定的な閣外からの協力について、私たちの立場を述べておきたい」と切り出した。
 そして小池書記局長は「立憲民主党日本共産党との政権協力の合意、これは市民連合と4野党で確認した20項目の共通政策を実現するために、どういう政権を作るかと政権の姿を示したものだ。国民に対する公約である、そして両党の党首が交わした公党間の合意である。この合意を確認すると立憲民主党の当時の枝野代表が決断したから、我が党の志位委員長はそれに敬意を表して私たちもそれ受けて20を超える小選挙区で立候補を取り下げる決断をした。私たちは引き続きこの国民への公約、両党間の合意、これを誠実に順守して参る。立憲民主党にもそのことを強く求めたい」と訴えた。
 立憲民主党代表選の4候補は28日、フジテレビの「日曜報道THE PRIME」に出演し、4人中2人が「共産党との共闘で失ったものがある」との認識を示した。
 また立憲民主党の最大の支持母体の一つ連合の芳野会長は立憲と共産の共闘について「あり得ない」との立場を示している。
 小池書記局長の会見での発言は、立憲の代表選を前にした「新代表へのけん制」とみられる。
 さらに小池書記局長は記者団から、合意はいつまで続く認識かを問われると「総選挙で国民に対して公約したことだから、それは当然、今の議員の皆さんは、今の立憲民主党は選挙の任期が続く限りは、それは順守する責任がある」と語気を強めた。
 立憲民主党の代表選では、夏の参院選に向けて共産党との協力関係をはじめとした野党共闘の在り方が最大の争点となっている。」
   ・   ・   ・    

⛿24¦─8─自衛隊、種子島での離島奪還作戦を報道公開。中国軍は台湾有事で日本を攻撃する。〜No.144 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を日本から強奪しようとしている。
 中国軍は、日本に対する復讐戦として作戦を立て軍備を整え、核ミサイルの照準を日本に向けている。
 中国の学校では、中国共産党の指導によって反日教育・抗日教育が徹底して行われている。
   ・   ・   ・   
 2021年11月25日10:26 産経新聞「離島奪還作戦を報道公開 自衛隊種子島で 種子島で離島奪還訓練が行われ、海から上陸する海上自衛隊の揚陸艇LCAC=25日午前、鹿児島県中種子町の長浜海岸(納冨康撮影)
防衛省は25日、陸・海・空の自衛隊による実動の統合演習を鹿児島・種子島で行い、占領された離島の奪還を想定した水陸両用作戦を報道公開した。日本版「海兵隊」とされる陸上自衛隊水陸機動団(水機団)の隊員が特殊な水陸両用車両で海岸へ上陸する様子が公開された。
 水機団員約100人は、水陸両用車「AAV7」9両に分かれて乗り込み、10キロ沖の輸送艦から砂浜へ次々と上陸。部隊が海岸に味方領域を確保すると、続いてエアクッション艇「LCAC(エルキャック)」2隻が水しぶきと砂を巻き上げて砂浜へ乗り上げ、大型車両を下ろしていった。
 上陸前には海自の掃海隊が機雷警戒を行うなど陸自と海自の連携も確認した。上陸前日までに陸・海・空の艦艇や航空機による打撃演習も行った。
 水機団は平成30年3月に2個連隊で発足した。水陸両用作戦の演習は今回24回目で、当初は米海兵隊との共同訓練を経て運用性を向上させてきた。
 南西諸島では尖閣諸島沖縄県石垣市)周辺で中国が軍事的圧力を強めつつあり、防衛省自衛隊は有事を想定した防衛力強化を急いでいる。」
   ・   ・   ・   
 11月25日10:56 産経新聞尖閣周辺に中国船 2日連続
 手前から南小島、北小島、魚釣島=沖縄・尖閣諸島鈴木健児撮影)
 尖閣諸島沖縄県石垣市)周辺の領海外側にある接続水域で25日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは2日連続。
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。領海に近づかないよう巡視船が警告した。
 11月25日21:15 MicrosoftNews KYODO 共同通信「中国、極超音速兵器を相当数配備 国防省が発表、軍備増強懸念も
 © KYODONEWS 中国建国70年の軍事パレードに登場した次世代弾道ミサイル「東風17」を積んだ軍用車両=2019年10月1日、北京の天安門前(共同)
 【北京共同】中国国防省の呉謙報道官は25日の定例記者会見で、中国軍が極超音速滑空兵器を搭載する新型弾道ミサイル「東風17」を既に相当数配備していると発表した。戦いの在り方を一変させる可能性がある次世代兵器と位置付けられており、中国の軍備増強に対する米国や台湾の懸念が高まりそうだ。
 米国防総省が3日発表した報告書は、中国のロケット軍が2020年に東風17の運用を始めたと指摘していた。香港メディアによると、東風17は台湾に向けたミサイル基地にも配備されている。
 呉氏は、対艦弾道ミサイル「東風26」も同様に配備していると述べた。」
   ・   ・   ・   
 11月25日06:00 MicrosoftNews JBpress「準備は整った中国の台湾侵攻、日本も間違いなく戦場になる
 織田 邦男
 © JBpress 提供 中国軍とロシア軍は示威的行為のため、共同で日本一周の軍事訓練を実施した(10月16日撮影、Chaina Militaryより)
 テレビのあるワイドショーで台湾に関するアンケート結果を公表していた。
 日本は「台湾有事に軍事的にかかわるべきか」という設問に対し、「関わるべき」が71%、「関わるべきでない」が18%、「どちらとも言えない」11%であった。
 どこか他人事のメディア人
 筆者は大変驚いた。驚いたのはこの数字より、設問である。
 「台湾有事」は好むと好まざるとにかかわらず、「日本有事」になる。軍事的常識があれば、沖縄、先島諸島は少なくとも戦場になることは分かるはずだ。
 フォークランド紛争湾岸戦争イラク戦争などからも容易に想像がつく。
 この設問を作った人は、台湾有事について日本が「軍事的にかかわらず」に済ませることができるとでも思っているのだろうか。
 コメンテーターが誰一人これを指摘しなかったことも問題だ。
 現代戦はサイバー戦、心理戦、世論戦などから始まるが、武力行使は制空権奪取から始まる。台湾から与那国島まで110キロしか離れておらず、戦闘機では7分もかからない。
 台湾で事が起きると、指呼の間にある日本の領土は否応なく戦場にならざるを得ない。
 このアンケートを企画した人は、平均的日本人だと思う。だが、台湾有事を「ベトナム戦争」の感覚で観ていることに驚いてしまう。
 またぞろ米国の戦争への「巻き込まれ論」の再生である。
 沖縄県民140万人をどう守るのか
 軍事を教えてこなかった戦後教育のつけが、こんな形で出てきたのかもしれない。もし日本の政治家が、この程度の認識であれば恐ろしいことになる。
 国民の71%が「かかわるべき」と応えているが、設問にはおかしいと感じつつも「かかわらざるを得ない」と考えたのだろう。
 一般国民の方がよほど常識的な感覚を示している。少しホッとする。
 台湾有事という危機は日本にとって2つの深刻さがある。一つは先述のとおり、日本の領土、少なくとも南西諸島が戦場になるということだ。
 沖縄県民140万人の命をどのように守るのか、先島諸島に住む約10万人の国民をどのように安全に避難させるかなど喫緊の課題は山盛りである。
 2つ目は台湾が中国の手に落ちた時の深刻さである。
 もし台湾が中国に屈服し、中国海軍、空軍が台湾に常駐するようになれば、日本のシーレーンは容易に中国に押さえられる。
 貿易立国の日本、資源の大半を海外に依存する日本にとってシーレーンは生命線である。このシーレーンが押さえられれば、中国の属国に成り下がらざるを得なくなる。
 台湾有事は日本存亡の危機ともいえる。
 習近平主席の本気度
 だからこそ、中国に対し台湾有事を起こさせないよう、外交はもとより、価値観を同じくする国が一致結束してハード、ソフトの「抑止力」を整えなければならないのだ。
 日本の最大の問題は、アンケートの設問にみられるように、台湾有事がどこか「対岸の火事」的感覚で捉えられていていることだ。
 危機に対する当事者意識が日本人にないこと、これが最大の危機である。
 2021年7月1日、中国共産党創建100年にあたり、習近平党総書記は「台湾問題を解決し、祖国の完全な統一を実現することは、党の歴史的な任務だ」と強調した。
 10月9日の辛亥革命110周年記念大会では、「祖国の完全な統一は必ず実現しなければならない歴史的任務であり、必ず実現できる」と述べた。
 11月16日(日本時間)に行われたオンライン米中首脳会談で、ジョー・バイデン大統領が「台湾海峡の平和と安定を損なう一方的な行動に反対」すると述べると、すかさず習近平氏は「台湾独立派がレッドラインを突破すれば、断固たる措置を取らざるを得ない」「火遊びする者は焼け死ぬ」と警告した。
 軍事的にみれば、この1~2年に台湾武力侵攻が可能なほど軍事力が十分整っているとは言い難い。
 ただ米国の参戦がなければ、明日でも台湾の空中、海上封鎖は可能である。
 現在、中国海軍艦艇数は約350隻、米海軍は293隻であり、世界最大の海軍の座は既に中国に奪われている。
 台湾侵攻への法整備は整った
 台湾侵攻のための中国国内の法整備は既に整った。
 2010年に国防動員法、2015年には国家安全法が施行され、2017年には国家情報法およびサイバー・セキュリティー法、そして2021年には、改正国防法と海警法が施行された。
 主権や領土の保全に加えて、海外権益などを軍事力で守る方針を明記しており、軍民の総動員は可能になった。
 台湾の武力統一は起こるか否かではなく、いつ起こるかという段階にきている。
 日本人は危機を直視し、危機の未然防止のために、あらゆる手立てを尽くさねばならない。
 「危機を未然に防止する者は決して英雄になれない」といわれる。英雄はいらないのだ。」
   ・   ・   ・