🎻64:─2─福島第一原子力発電所事故と政府・官庁の収拾が付かない大パニック。2011年3月13日~No.175No.176No.177 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 安全神話崩壊は理系思考の破綻が原因。
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 岸田秀和光大学名誉教授)「どんな国家でも、その国民一般の平均水準以上の指導者を持つ事はできない」
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 原子力の専門家は、福島原発周辺の放射能汚染地帯に赴いてデータを集めて東京に持ち帰った。
 政府は、集めた情報を公表せず、二転三転するあやふやな公式見解を発表して、社会を混乱させ、国民の不安を煽り恐怖感を与えた。
 諸外国は、日本は不都合な情報を隠匿していると不信感を募らせ、インターネットのリアルタイムの情報で実態を信用した。
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 東京電力は、原発の安全の充実から、新潟県中越沖地震刈羽原子力発電所の対策本部予定建物が被災した事を教訓として、福島原子力発電所に免震設計の緊急時対策室として「免震重要棟緊急時対策室」を建設した。
 そして、外部電源確保として7回線を設けて万全を期していた。
 だが。津波対策のみが、想定する範囲での対策に留まり、想定を超えた最悪を予想していなかった。
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 原子炉がメルトダウンを起こし、半径250キロが緊急避難対象とするシミュレーションを行った。
 政府は戒厳令に近い強権を発動し、首都圏を含む5,000万人及び皇室と国家機関を避難させる計画を検討した。
 反戦平和市民団体や護憲派などは、戦争や大災害に対して自衛隊を被災地に出動させ、避難民を救助する事に反対している。
 その為に、自衛隊の緊急時有事を想定した法律は存在しない。
 彼らは、自衛隊を否定すれば戦争は起きないし、大災害が発生しても一人の犠牲者もなく助かると確信している。
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 尾山太郎「政治家の役割は国民の様々な利害を調整することです。外交でも同じ。意見の違いをどこで折り合うか、臨機応変に対応して政治的な目標地点に着地させる冷静な判断と手腕が問われる。批判や反対意見にいちいち感情的になっていたら政治になりません。
 例えば小泉純一郎・元首相は、党内の反対にも馬耳東風で『他人がどう思おうとこれをやる』と郵政民営化を進めたが、反対派を罵ることはなかった。
 菅直人氏のようにずっとキレているのは、自分なりの信念や政治倫理を持たず、本質的に自分に自信がないから八つ当たりしていたのでしょう」
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 3月13日 吉田所長は、暴走している原子炉を制御して大爆発させない為に、原子力発電所の責任者として不眠不休で事故に対応していた。
 所員や作業員達も、僅かな仮眠を取りながらも、一寸も気を許す事ができない極限状態で悪戦苦闘しながら、死の恐怖と戦いながら汚染された現場で作業を続けていた。
 非常用バッテリーの電池が切れて、3号機の非常用冷却水の循環が停止した。冷却水の補給が途絶えると、核燃料が剥き出しとなって空焚き状態になりメルトダウン(炉心溶解)が起きる。
 炉内の圧力が高くなると、爆発の恐れもあった。
 圧力を下げる為に緊急にベントをして水蒸気を出す必要がったが、ベント弁が開かなかった。
 炉内の圧力を下げる為に、消防車のホースを使って注水しても入らなかった。
 ベントに成功して、注水が出来るまでに6時間以上かかった。
未明から早朝にかけて 3号機への注水が停止して原子炉圧力減圧に失敗し、圧力が上昇して燃料棒が溶け炉心破損が始まった。
 午前2時42分 3号機への海水注入の作業を主導で中断した。
 午前5時58分 吉田昌郎所長は、3号機の原子炉冷却機能喪失と政府や東電本店などに報告した。
 午前6時30分 吉田昌郎所長は、3号機爆発の危険が高まった為に、現場作業員に対して免震重要棟への避難を命じた。
 午前7時30分 吉田昌郎所長は、退避命令を解除した。
 家族を放射能から守る為に、原子炉の暴走を食い止めるべく自己犠牲で格闘していた。
 昼頃 ルース大使は、枝野幸男官房長官と電話会談をおこない、支援を申し込み代わりに事故に関する情報の提供を求めた。
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 台湾からの救助隊第一陣は成田空港に到着したが、日本外務省から「台湾の救助隊を迎え入れる準備ができない」として入国を拒否された。
 日本政府と外務省は、中国救助隊を受け入れている所に台湾救助隊を受け入れる事は、中国共産党政府の「台湾は中国の一部」であるという主張の否定につながる恐れがあるとして拒否した。
 日本国民は、自国民の命よりも中国共産党政府への配慮を優先する日本政府と外務省に運命を委ねていた。
 新幹線開発関係者「(新幹線)あの技術を中国に出しては行けない。それは中国政府を強化し、ひいては日本の安全保障を損なうことになる」
 中国共産党政府は、日本と「新幹線技術は中国国内でのみ用いて、中国国外に出さない」という契約をして、新幹線技術の提供を受けた。
 が。後年、中国の新幹線技術は中国独自の技術であるとして、日本との契約を破って国外に売り出した。
 そして日本は、2015年のインドネシア新幹線建設計画で中国新幹線に敗れた。
 中国新幹線の売り込みは世界中で行われ、日本新幹線は窮地に追い込まれている。
 現代日本人は、過去の苦い歴史を教訓として学ばない為に、同じ失敗を同じ理由で繰り返し、後退こそしれ進歩する事がない。
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 3月14日 エルドリッヂは、前方司令部を開設するべく、沖縄の海兵隊在日米軍から十数名を引き連れて仙台に入った。
 だが。日本政府も地方自治体も、阪神・淡路大震災同様にアメリカ軍に支援を要請する意志はなかった。
 韓国救助隊本体102人が、被災地に到着したが、23日に福島原発事故による放射能汚染を懸念して救助らしい救助活動もせず全員帰国した。
 韓国の報道機関は、「韓国救助隊は一番乗りし、勇敢に救助活動した」という嘘の報道を行った。
 朝鮮日報「東日本大地震で悲惨な被害に見舞われた日本国民に対し、韓国人ほど心からの慰めと激励を送った国民はない」
 殆どの記事には真実がなく、何ら根拠のない自画自賛だけの白々いい文言であった。
 日本国内には、その報道を真に受けて感謝する日本人が少なからずいた。
 韓国人は、日本人の常識では理解できない様な発言や行動を繰り返していた。
 日銀は、金融政策決定会合で10兆円の追加金融緩和を発表したが、2日後にこっそりと資金を回収し、円高を容認してデフレ状態を維持した。
 午前9時半か10時 吉田所長は、3号機で水素爆発の危険性が増した為に全員退避の命令を出した。
 午前10時 池田元久本部長は、第2原発自衛隊に第1原発の原子炉が爆発寸前にあると言う正確な情報を知らされないままに、第1原発に向かうように命じた。
 自衛隊員は、給水車7台が福島第一原子力発電所に到着し、3号機前の給水槽に直接向かった。
 午前11時1分 3号機原子炉建屋で水素爆発が起き、準備していた消防車が破損して2号機への注水が困難となった。
 作業に当たっていた作業員や自衛隊員に負傷者(自衛隊4名、作業員7名)が出て、注水準備作業は中断した。
 現場は大混乱に陥って正確な情報が伝わらず、40人以上の作業員の行方が分からなくなった。
 全員の安否が確認できたが、大半が過剰被曝をしていた。
 吉田昌郎「1号機の水素爆発を経験したので、3月14日午前、3号機で爆発が起きた時、爆発そのもので狼狽える事なく対応策の指示を始めた。ところが、間もなく現場周辺から免震重要棟に避難してきた屋外作業中だった作業員達からの報告があった。それによると、今回の爆発は、原子炉建屋の上層階の外壁が吹き飛んだ1号機の水素爆発と違って、建屋の構造が大きく破壊され、大量のコンクリート片などが広範囲に吹き飛んで、多数の負傷者が出ただけでなく、40名以上が行方不明になっているという。その報告に大きなショックを受け、もしそれほどの作業員が命を失ったのなら、現場の責任者として命をもって詫びるしかないと思い、本当に死のうと心に決めた。しばらくして全員無事である事が確認されたのでほっとしたが、確認ができるまでは本気で死を考えたのです」
 吉田所長は、自己判断で海水注入の再開に現場に行こうとする作業員達を止め、注入準備の為の新たな指示を出した。
 「現時点で注入が今、止まっているだろうし、2号機の注入の準備をしてないと行けない、放っておくともっとひどい状態になる、もう一度現場に行って、ただ、現場は多分、瓦礫の山になっているはずだから、瓦礫の撤去と、瓦礫で線量が非常に高い、放射能をしっかり測って、瓦礫の撤去、必要最小限の注入の為のホースの取り替えだとか、注入の準備に即応してくれ」
 後の吉田氏の説明「そうしたら、本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです。勝手に行ってもよくないと逆に抑えて、この班とこの班は何をやってくれ、土建屋バックホー瓦礫を片付ける事をやってくれというのを決めて、段取りして出て行って、そのときですよ、殆どの人間は過剰被曝に近い被曝をして、ホースを取り替えたりとかですね。やっとそれで間に合って、海水注入が16時30分に再開できたんですけれども、この影には、線量の高い瓦礫を片付けたり、かなりの人間が現場に出ています」
 現場では、一人も放射能を恐れて逃げ出さず、家族を思って避難せず、混乱して情報が乏しい中で作業を行っていた。
 午後6時22時 東電本店は、2号機原子炉の燃料棒が露出と判断し、第一原発が危機的状況にあると認識した。
 東電社長清水正孝社長は、首相官邸からの指示に従って、記者会見中の副社長に、広報担当社員を通じて「炉心熔解」の言葉を使わないように伝えた。 
 東電は、首相官邸の指示で重大な事故が起きてる「炉心溶融」という事実を隠蔽し、「炉心溶融」を認めたのは2ヶ月後であった。
 日本は重大事に於ける情報公開の重要性が理解できず、意図的に不都合な情報を隠蔽し責任を回避する為に偽情報を流す事が知られ、信用度を落とした。
 午後7時20分 消防車の燃料切れで、2号機原子炉への海水注入が停止した。
 2号機の冷却が困難になって炉心の破損が始まり、メルトダウンを起こして大爆発し、核燃料が全て吹き飛ぶ恐れがでた。。
 吉田昌郎所長は、官邸の総理執務室にいた細野豪志首相補佐官に緊急連絡をとった。
 細野豪志首相補佐官の傍らで、菅直人首相で電話を聞いていた。
 東電の清水正孝社長は、海江田万里経産相に2号危機の深刻な状況と悪化すれば退避させる旨を伝えた。
 第一原発(1F)の吉田昌郎所長と第二原発(2F)の増田尚宏所長は、関係のない人間を避難させて2Fの体育館に収容させる事を決め、バスを手配した。
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 深夜 ルース大使は、枝野幸男官房長官に電話連絡をして、情報提供とNRCスタッフの官邸常駐を要求した。
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 台湾は、直ちに救助隊28名を派遣し、1億台湾ドルの義援金の支出を表明した。
 民間では、チャリティーTV番組で8億9,000万ドルもの募金を集めた。
 日本赤十字が2013年に発表した義援金額では、アメリカに次いで2番目で200億円以上となっていた。
 日本政府は、恩知らず礼儀知らずにも、2012年の追悼式典で、中国共産との怒りを恐れて恩を仇で返した。
 日本人は、最低の人間となった。
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 福島第一原子力発電所の原子炉は、アメリカの安全基準を元に製造されたGE社製で、自然災害多発地帯という日本の立地条件を完全無視したものであった。
 現代文明は、自然と調和を取りながら発展する文明ではなく、科学で自然を征服し支配し改造し破壊して発展する文明である。
 安全は、自然と折り合って得るのではなく、自然を屈服させて得るものであった。
 アメリカには津波による甚大なる被害が存在しない為に、アメリカの考えた安全基準には津波対策は含まれてはいなかった。
 人間は思考する動物として、自分が生まれ育った環境や個人的な体験でしか物事を理解できないという生物学的限界がある。
 大地震と大津波による甚大なる被害は、自然災害を考慮していないアメリカ・スタンダードという世界基準を唯一絶対として設計されたがゆえに、起きるべくして起きた人災であった。
 原子力安全神話とは、アメリカの単調な自然環境の中で考えられた虚構であった。
 津波の危険がある所に建屋や非常電源施設を防備を手薄にして設置した事が、最大の原因であった。
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 原子力発電所の作業員を放射線障害から守る為に、被曝線量が許容量を超える時は作業を禁止する法律がある。
 特殊作業員を確保する為に、線量が異常に高くなった場合から速やかに一時退避させる必要があった。
 政府は、混乱の中でその法律を忘れていた。
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 日本の政治家やエリート官僚達はエリート・パニックに陥り、悲惨な真実を公表すると国民が大パニックを起こし収拾が付かなくなると事を恐れて、何の根拠もないウソの発表を繰り返していた。
 中央を動いた事のないエリート層は、現場の惨状から目を知らし、自分に都合が良い情報のみを取り上げ、自分が理解できる範囲で指示を出していた。
 すべては、机上の願望でしかなかった。
 目の前にあるのは、報告書と数値情報のみであった。
 エリート官僚には、現実を見通す想像力も先を予測する発想力も奇抜な行動力もなく、几帳面に法律や規則に基づいた事務処理能力だけは優れていた。
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 3月15日 福島第二原子力発電所は、地震津波による被害が第一原子力発電所より軽侮であり、医師や看護師が居た為に、怪我人が運び込まれてもいいように受け入れ準備としてベッドや水と除染道具を用意した。
 機能不全に陥っていた首相官邸に比べて、現地ではできる限りの努力を不眠不休で続けていた。
 安全な東京にいる政治家は、思考停止状態で狼狽し怒鳴り散らし命令を喚いていた。
 現場の責任者は、部下や関連企業の作業員達に命の危険を伴う作業を頼んでいた。
 3月14日夜から15日朝にかけて 2号機がベントも注水もできず、核燃料が剥き出しとなってメルトダウンが起き始めた。緊急冷却水が止まり、冷却水注入の為につないでいた消防車のホースも3号機の爆発でバラバラにされた。
 東京本店の清水正孝社長は、官邸や経産大臣の再三の命令に困惑して、吉田所長に対して感情を逆撫でするように「四の五の言わないで下げろ」と厳命した。
 もし。発想力なき丸暗記による優等生的官僚タイプであれば、上官命令に絶対服従のエリート幹部であれは、官邸、監督官庁、東電本店の命令に盲目的に従って、東日本は高濃度の放射能汚染で人が住めなくなっていた。
 吉田昌郎「炉内の圧力を下げる事がやっとできて、ホースもつなぎ直して水を注入できる態勢が整ったのです。ホットして消防車からの注入を始めようとしたところ、消防車のポンプが動かない。燃料切れになっていたのだ。しかも補給の燃料が直ぐには手に入らないという。
 この時ばかりは、もうダメだと思いました。パニックになっていた。もし2号機が爆発したら、第1原発敷地内に人はいられないから、両脇の1号機と3号機の制御もできなくなるだけでなく、第2原発放射能によって一切の作業ができなくなるから大変な事です」
 2号機のベントができなったのは、津波による全電源喪失ではなく、それ以前に、地震によって複雑に配管されていた管が破損したからである。
 複雑な物や装置はに安全はなく、必ず不具合が生ずる。
 午前2時 2号の危機で吉田昌郎所長と東電はが話し合っていた退避計画が、清水正孝社長から海江田万里経産相枝野幸男官房長官に電話で伝えらた。
 午前3時過ぎ 東電本店では、退避の手順を取り決めて福島第一原発に対して、健常者は2F(第二原発)の体育館へ、怪我人は2Fのビジターに収容する、という具体的な退避指示を出した。
 第二原発は、第一原発からの退避者を受け入れる準備を行った。
 吉田昌郎「関係ない人間は避難させます」「2Fまで退避させようとバスを手配した」
 免震重要棟には、700人近い人々が避難していた。
 その大半が、総務、広報、人事などの一般事務職と設備補修などの協力企業の派遣などで女性社員も含まれ、原子炉事故対応に不要な人員であった。
 時間と共に所内に於ける放射線量が上がり、発電所の外への脱出が不可能となっていた。
 1号機に続き3号機でも水素爆発を起こし、2号機や4号機でもいつ何時最悪な事態が発生するかも分からず、何時までに原子炉制御が復活して安定するかも分からなかった。
 泊まり込みに必要な食糧や水など生活物資が発電所の外から搬入される保障がなかったし、免震重要棟に700名が留まる事で建物内に排泄部が溢れ環境の悪化で作業に支障をきたす恐れがあった、その為にも不必要な人間をより安全な第二原発に避難させる必要があった。
 避難する者達は、危険を承知で家族がいる家を目指して高濃度放射線量の中を突っ切ることはせず、指示に従って第二原発に向かった。
 午前3時 菅直人首相は、福島第一原子力発電所(1F)の吉田所長が必要な人員外を第二原子力発電所(2F)に退避させる話を、全面退避と勘違いし、東電の清水正孝社長を官邸に呼び出して詰問した。
 清水社長は、「そんな事は考えていない」と返答した。
 午前5時36分 菅直人総理は、東電本社に乗り込み、避難計画を全面撤退と早合点して、テレビ会議を通じて凄まじい勢いで罵倒した。
 「事故の被害は甚大だ。このままでは日本国は滅亡だ。撤退などあり得ない!命懸けでやれ」
 「撤退したら、東電は100%潰れる。逃げてみたって逃げ切れないぞ!」
 現場の状況を全く理解できず思い込みだけで怒鳴り散らす日本国総理と、右往左往するだけで対処できない政府・首相官邸と、他人事の様に固唾を呑んで傍観していた議会、全ての政治家の体たらくで日本は不安で大混乱に陥っていた。
 その責めは、政権与党も野党も関係なく、保守も革新も関係ない。
 自分こそが日本の将来を考えていると公言して憚らない全ての政治家が負うべき、十字架であった。
 午前6時過ぎ 2号機の格納容器が爆発して破損し、容器圧力制御室(サプチャン)の圧力がゼロになり、高濃度の放射性物資(放射能)が外部に漏れ出した。
 吉田昌郎所長は、「各班は、最少人数を残して退避!」を命じた。
 午前6時半頃 4号機原子炉建屋で水素爆発。
 福島第一原発事故からの放射性物質の大量放出は、この時から始まった。
 アメリカ政府は、放射能被曝を避ける為に、在日アメリカ人に対して福島第1を中心に80キロ圏外へ避難するように指示した。
 チェルノブイリ原発事故と同じ深刻な事態になる恐れがあったのは、4号機の燃料貯留プール内にある燃料棒の爆発であった
 午前7時頃 吉田所長は、最悪の事態が予想される為に、予め決めていた退避計画に従って事故対応に最低限必要な人員以外の退避を命じた。
 吉田所長は、2号機の状態が悪化した為に、「一緒に死んでもらう69名を選抜し」、残りを放射線量の低い第二原発に避難させた。
 吉田昌郎「あの時、実際の退避があった時からどのくらい前だったかわかりませんが、内々に2Fに退避させる人間を〝選別しろ〟という指示がありました。私は、自分の班では3人だけが残って、あとは2Fに行ってくれ、と部下に指示しました。しかし、〝自分も残ります〟と言って、譲らない奴がいました」
 「どうしても残る、と言い張って聞かない連中の事を思い出すと、今でも涙が出そうになるます。でも、それを張り切って〝もし俺に何かあったら、お前が来て、ここでやらんなきゃいけないんだぞ〟と言って、やっと退避させました。その部下達が、朝日によって、所長命令に違反して2Fに〝逃げた人間〟とされれしまいました。彼らに申し訳ないと思いと、記事に対しては言いようのない怒りを覚えました」
 退避計画は、前夜の内に計画されていて、650名の一般職員と関連企業の人々は混乱もなく、用意されていたバス5台と乗用車数十台に分乗して、第二原発(2F)へ避難した。
 死ぬかも知れない作業の為に残った者にも、当然、愛する家族はいた。
 吉田昌郎「現場の連中が、あの放射能の中を、黙々と作業をしてくれたんだ。そんな危ない所を何度も往復する。それを淡々とやってくれた。彼等がいたからこそ、何とかできたと思う。私は単に、そこで指揮を執っていただけのおっさんです」
 もし。自分の命や家族の事が大事として職場を放棄したら、彼等は自分の命と家族を守れても、原子炉は大爆発を起こしてチェルノブイリ以上の史上最悪の大惨事となり、東北地方は人が住めない高放射能汚染による危険地帯となっていた。
 だが。家族を最優先とする戦後教育では、命を捨てる自己犠牲を否定し、如何なる状況にあろうとも職場を放棄して家族のもとに帰り、家族と共に過ごす事が一番の幸せであると教えている。
 退避した後、2号機から白煙が上がった。
 午前9時頃 1号機〜3号機まで炉心融解メルトダウン)を起こし、正門付近での放射線量が急速に上昇して最高値の毎時1万1,930マイクロシーベルトを観測した。
 午前11時過ぎ 3号機が水素爆発を起こした。
 速やかな退避によって、所員や作業員の被曝は免れた。
 世界は、危機的状況に追い詰められてもパニックに陥らず逃げる事なく闘った彼らを讃えて、「フクシマ・フィフティ」として呼んだ。
 吉田昌郎「一番信頼している当直長がね、もう若い奴が足すくんで『もう帰ろう』と言っても、土下座して残ってくれって頼んでくれたり、それで、本人がまた現場に行ったりとか。本当に今回当直長とか当直副長クラスが現場で踏み留まってくれたってのがすごいですね。……やっぱりね、僕は、発電所長としての判断はですね、今回、やっぱり僕は、今もずっと見て、基本的に考えると、やっぱり発電所にいる人の命なんですよ。これを守らないと、その周辺の人の命も守れないわけです。ええ。これがやっぱり大基本だと思うんです」
 今も昔も、日本の組織は、現場は生き死にがかかっているだけにしっかりとしているが、危険のない後方の安全地帯にいる首脳部は正確な分析判断も的確な指示命令を出せず狼狽えるばかりである。
 第1原発半径20〜30キロ圏内に屋外退避を指示した。
 対象者は、14万人に達した。
 オフサイトセンターは、現地対策本部を安全な福島県庁に移動させた。
 退避の混乱の中で、一部の人間が行方不明になった。
 昼過ぎ 第二原発に退避した東電職員の内の幹部(GM)クラスは、吉田所長の要請を受けて第一原発に戻り、命の危険が伴う現場作業で被曝量が基準値一杯になるまで作業に従事した。
 吉田昌郎「本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」
 現場では、命の危険を恐れず絶望的状況にあっても希望を持ち、諦める事なく努力していた。
 依然として、東京の首相官邸は事故対応は機能不全に陥って大混乱していた。
 後日。某新聞社や一部の政治家達は、この退避が命令違反もしくは職場放棄に当たるとして非難した。
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 深夜 静岡県東部地震。富士山の直下で震度6強の地震が発生した。
 火山学者は、東日本大震災との関連で富士山が噴火する事はないと説明したが、本震では噴火を恐れていた。
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 日本政府は、ルース大使が必要に要求する官邸へのNRCスタッフ常駐を受け入れた。
 細野豪志「味方によって半分進駐軍みたいに見えたと思うんです」
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 セルビア(総人口720万9,000人)は、ボスニア内戦、コソボ紛争及びNATO空爆経済制裁、失業率20%と経済状況は最悪で、仕事があっても月額平均4〜5万円で国民生活は貧困の極みにあった。
 親日家の多いセルビアで、東日本大震災のニュースを見るや被災地への義援金募集が始まるや、瞬く間に約2億円集まって送金した。
 ヨーロッパ諸国内で、最も多い金額であった。
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 「私」として「有りの儘」に生きるのも大事だが、「公」として「誰かがやらねばいけない仕事だから自分がやる」と覚悟した者だけが、危険な現場に踏み留まった。
 それが、自分を犠牲にする日本人らしさであった。
 日本型指導者とは、歴史が証明する所の先見性・統率力・判断力・人間力を兼ね備えた者である。
 歴史的事実として、日本人はそうした高い志を持った指導者の為に命をなげうって奉公した。
 日本人は、そうした指導者になろうと志して歴史を学び、そうした指導者とは誰かを知る為に歴史を学んだ。
 ゆえに、日本の歴史を大事にし、そして愛した。
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 吉田昌郎「逆に被害妄想になっているんです。結果として誰も助けに来なかったではないかという事なんです。済みません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから。……今の議論の中で、みんなベントと言えば、すぐ出来ると思っている人達は、この我々の苦労が全然分かっておられない。ここは苛立たしいところはあるんですが、実態的には、もっと私よりも現場でやっていた人間の苦労の方がものすごく大変なんですけれども、本当にここで100(ミリシーベルト)に近い被曝もいた人間もいますし」
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 2014年5月20日 朝日新聞東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第1原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた」
 ニューヨーク・タイムズ紙電子版「2011年、パニックに陥った作業員達が命令を無視して福島原発からに逃走した」
 BBCニュース「フクシマ原発の作業員は命令を拒否し、事故後に原発から逃げ去った」
 韓国・国民日報「日本版セウォル号……福島事故時に職員ら命令無視して原発から脱出」
 韓国・エコノミックスレビュー「福島原発事故は〝日本版 セウォル号〟だった! 〝職員90%が無断脱出……初期対応できず〟」
 中国人民網「スクープ 福島原発事故後、9割の職員が現場から逃走し放射能濃度を激増させていた」
 オーストラリアン「フクシマの〝ヒーロー達〟は実は怖くなって逃げ出した。 事故に対して自らを犠牲にして果敢に闘い、『フクシマ・フィフティ』として有名にあった原発作業員達だが、全く異なる恥ずべき物語が明らかになった」
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 朝日新聞は、「日本と日本人を貶める意図」を持って捏造記事を掲載し、その目的を達成した。
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 吉田昌郎「私の事はどうでもいいから、現場で奮闘した人々の真実を書いて欲しい。彼らの姿を後世に残して欲しいんだ」
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海の放射能汚染

海の放射能汚染

  • 作者:湯浅一郎
  • 発売日: 2012/06/12
  • メディア: 単行本
「放射能汚染地図」の今

「放射能汚染地図」の今