🎵03:─1─明治維新と植民地獲得競争の帝国主義時代。神戸事件。石垣島事件。1851年~No.4No.5 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本は、地政学的に、清国とロシアの脅威に晒されていた。
 ロシア帝国が暴力的共産主義革命で崩壊した後は、ソ連が敵であった。
 清国が孫文辛亥革命で崩壊した後は、中国共産党が敵であった。
 だが、ソ連レーニンと国民党の孫文に資金援助したのは軍国日本であった。
 ロシア革命辛亥革命も、その成功には軍国日本が関係していた。
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 ヘレン・ミアーズ「日本民族は生まれ付き侵略的であると考える者にとって、日本史の事実はきわめて都合が悪い……私達の非難は、むしろ明治までがいかに拡張主義でなかったか、これに対してヨーロッパ諸国がいかに拡張主義であったかを際立たせる。……私達は日本人の『本姓に根ざす伝統的軍国主義』を告発した。しかし、告発はブーメランなのだ」(『アメリカの鏡・日本』)
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 オールコック「軍艦とか軍港というような軍事力の優勢は、それほど強い防衛力を持っていない通商にとっては危険の源となる。ロシアは現在こういう軍事的優勢をこの水域で求めているように思われる。……侵略的な海軍国が、朝鮮と日本乃至はその一部でも所有すれば、無尽蔵に近い資源を手に入れる事になる。……イギリスは、東洋に大きな権益を持っており、日本はその東洋の前哨地である。」(『大君の都』)
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 吉田松陰「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」
 吉田松陰靖国神社)は、靖国神社に祀られている高杉晋作久坂玄瑞らに、イギリス・アメリカ・ロシア帝国は神国日本を掠め取ろうとしている夷敵であり、神国日本を守る為には富国強兵を急ぎ、満州沿海州、朝鮮、琉球、台湾、フィリピンを版図にすべきであると、大陸侵攻策を主張した。
 明治維新で戦った坂本龍馬靖国神社)ら勤皇の志士の多くは、ロシア帝国の侵略を食い止める為に朝鮮征服論を確信していた。
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 日本の潜在的脅威は、古代から北からの侵略であった。
 つまり、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)制度国家日本にとってロシア帝国と後のソ連共産主義勢力が恐怖の源であった。
 現代のロシアや北朝鮮中国共産党も、やはり日本の安全を脅かす「北」の仮想敵国かもしれない。
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 高杉晋作靖国神社)『遊清五録』「此の地はかって英夷に奪われた場所であって港が賑わっているといってもそれは外国船が多い為である。中国人の居場所を見れば、多くは貧者で不潔な環境に置かれている。わずかに富んでいるのは外国人に使役されている者だけである」
 「今から7年前に、古橋は老朽化して崩れたが、中国人はそれを再建する事が出来なかったので、英国人が此の橋を作った。中国人は、此の橋を通行する度に英国人に壱銭を払っているという」
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 西郷隆盛(南州神社)「国の陵辱せらるるに当たりては、たとへ国を以て斃れるとも、正道を踏み義を尽くすは、政治の本務なり。
 然るに、平日、金殻利財の事を義するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、一朝、血の出る時に望めば、頭を一所に集め、唯、目前の苟安(こうあん。一時の安楽を貪る事)を謀るのみにして、戦の一時を恐れ、政府の本務を墜さば、商法支配所と言う可きのみ。
 更に政府に非ざるなり」(『大西郷遺訓』)
 頭山満「自分らの懐勘定ばかりして、国家民生の為に尽くす心がなかったら、それは政府でも何でもない。西郷さんが、『商法支配所』と言われたのは適評だ。己を空しうし、公に奉ずる心がなければ、国家の政治が出来るものではない」 
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 日本列島には6,800以上の有人・無人の島があり、日本は主権国家として全ての島を武器を持って、如何なる犠牲を払っても守らねばならない。 
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 1543年 スペイン船サン・ペドロ号は、珊瑚礁(後の沖ノ鳥島)を発見してパレセベラ(帆の様な)と命名したが、領有を宣言しなかった。
 発見する事は、領有とは違う。
 1789年 イギリス人ウィリアム・ダグラスは、パレセベラを報告してからはダグラス礁と呼ばれたが、領有を宣言しなかった。
 沖ノ鳥島は、何処の国も領有権を主張しなかった。
 19世紀 アメリカの捕鯨船は、無人島で、未だ日本の領土ではない南鳥島を発見してマーカス島と報告していた。
 アメリカは、マーカス島の領有宣言を怠った。
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 明国も、清国も、海禁政策で、中国人が遠洋に出る事を禁止し、禁を破れば処刑した。
 琉球への使節は、尖閣諸島を見たかも知れないが領有はしなかった。
 尖閣諸島は、琉球王国の領土に組み込まれ、、自然の成り行きで日本領となった。
 尖閣諸島が中国領になった事は、歴史上、一度もない。
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 1851年 イギリスは、海底ケーブルが実用化されるや、世界制覇のカギは海底ケーブルの支配にあるとして、ロンドンと植民地を結ぶ海底ケーブル敷設に取り掛かった。
 50年の歳月を費やして、世界中に有線通信ネットワーク(オール・レッド・ルート)を完成させた。
 海上ケーブルは上海まで延び、陸上電線網はシベリアを横断してウラジオストックに達していた。
 太平洋横断ケーブルは既に完成しており、残るは上海・ウラジオストック間の海底ケーブルルートのみであった。
 空白地帯として取り残されている極東アジア地区の開通で、世界電信網は完成する事になる。
 ユダヤ系国際金融資本は、世界情報網支配の為に、日本の電信線敷設権を手に入れる必要があった。
 大半の国は、自国で電信線施設を行う煩わしさから解放される為に、西欧資本と西欧技術で西欧人が施設する事を大歓迎し、多額の賄賂を貰って敷設権を売り渡していた。
 だが。サムライ日本人は、外国に情報を握られる事は植民地化につながるとして、親切心で言い寄ってくる西欧資本の誘惑を拒絶し、国内情報網から西欧資本を排除した。
 日本の民族資本と欧米列強の国際資本との情報戦争は、この時から始まり、1945年に日本の敗北で収束した。
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 1852年 アメリカは、奴隷貿易が廃止され労働力不足となり、黒人に替わって中国人を新たな奴隷とし、強制連行ではなくて正規契約労働者(苦力、クーリー)として輸入する事にした。
 アメリカの苦力運搬船ロバート・バウン号は、厦門(アモイ)から苦力を乗せて出港してカリフォルニアにに向かった。
 出港して程なく。白人船員の虐待に怒った苦力達は叛乱を起こし、石垣島沖でロバート・バウン号は座礁した。
 380人の苦力達は、石垣島に逃げ込んだ。
 イギリスは、苦力の反乱鎮圧と逃亡者捕縛の為に戦艦コンテストとリリーを派遣した。 沖縄に滞在していたペリー提督は、反乱鎮圧とアメリカ人保護と逃亡者捕縛を目的そして戦艦サラトガを急派した。
 アメリカ・イギリス合同艦隊は、石垣島を砲撃し、水兵を上陸させて投降せず逃げる苦力を虐殺した。
 石垣島島民は、170人以上の苦力を匿い助け、後日、全員を中国に帰国させた。
 後年。中国側は、石垣島島民に感謝し、虐殺された中国人の墓と供養塔を建てた。
 2010年代に入ると。中国共産党政府は、石垣島尖閣諸島を含む沖縄は中国固有の領土であると主張し、国際社会に日本の不法行為を訴えた。
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 1853年 フランス人ゴビノー伯爵は、文明論的白人優越論である「人種不平等論」を出版した。
 アーリア人種の白人こそが、高度な文明を持つ能力がる人種あり、知能なき有色人種に文明を教える使命があり、その重荷の為に植民地とする必要があると。
 帝国主義による、植民地獲得競争の始まりである。 
 ペリー来航。ペリー提督は、西洋の優れた技術を見せ付ける為に、蒸気機関車の模型を走らせ、電信機の実演を行った。
 アメリカ側の記録「毎日のように大勢の役人や民衆がやって来て、アメリカ人技師に電信機の作動を懇願し、通信が往復するのを熱心に見ていた」
 アメリカが日本にペリーを送った本当の意図は、アメリカの外貨獲得は綿花・煙草の輸出しかなかく、国庫を賄う為に清国におけるアヘン密貿易に参加する必要があった。
 さらに、黒人奴隷の輸入が禁止されて労働力不足になった為に、新たな奴隷として支那人を輸入する必要に迫られていた。
 アメン密貿易と支那人奴隷貿易の為に、太平洋航路の開拓が急務であった。
 渡辺惣樹「こうしたリーダーたちの心の奥底に『日本には開国の貸し』があり、『支那にはアヘンの借り』があるという意識。どちらの意識も日本の国益にはマイナスに働きます。『アヘンの借り』は、アメリカのアジア外交の原罪です。決して語られないタブーです。アメリカの東アジア外交は、これからもこの闇を抱えながら展開されていくことでしょう」(『日本開国』)
 1859年 ダーウィンの進化論。
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 江戸時代末期における日本の識字率は約60%で、同時期のイギリスの20〜25%に比べて多かったといわれている。
 特に、身分低い庶民での識字率が高い。
 メーチニコフ「読み書きの能力など、日本の全ての国民にとって、あって当たり前だと考えられている」「平民日本も、自らの文学も文字を持っており、ヨーロッパから来た新来者には信じられないほど、それらの文字は広汎に使われている」(『回想の明治維新』)
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  西洋列強の侵略から日本を守るには、伝統的農業立国から近代的工業立国に生まれ変わる必要があった。
 日本は植民地化されないためにも、急いで、諸藩連合体の幕藩体制を捨て天皇中心とした強権的中央集権体制に作り替える事が求められた。
 日本が独立を守るか失うか、日本人が奴隷にされるかされないか、切羽詰まった状況に於いて、朝鮮の事も中国の事も顧みる余裕はなかった。
 中国も朝鮮も、その後の悲劇は自分が招いた事であり、日本には関係ない。
 世界史における国際情勢とは、非情なものであり、自国の不運は自国の判断ミスであって他国の責任ではない。
 自国の愚かさを隠して他国の責任にを叫ぶのは、自分が無能であると証明している事に他ならない。
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 靖国神社の祭神となった尊皇尊王派や勤皇の志士は、20代や30代の下級武士や郷士や庶民であったが、祖国日本を白人列強の植民地にしない為には古い既存勢力倒す必要があっとして立ち上がって戦った。
 何時の時代も、日本の変革を起こしていたのは、日本の将来を憂い、自分の命を捨てても日本を救わねばならないという情熱を持った20代を中心とした若者であった。
 靖国神社とは、国を守り、国を救い、国を存続させようという、忠君愛国の象徴であった。
 20代の若者達は、社会を梗塞している藩を飛び出し、生き方を閉塞させている身分を捨て、天皇を中心とした国體を再建する為に国事に奔走して死んだ、
 靖国神社は、国内外の日本の脅威を打ち払い、天皇と日本国を守る為に死んだ若者達を神として祀った。
 靖国神社とは、そういう特別な神社である。
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 日本近海の島嶼を狙っていたアメリカ、ロシア、イギリス。
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 1868(明治元)年1月 明治新政府の樹立。
 一世一元の制に従い、年号を明治と改める。
 明治天皇は、天地の全ての神々に誓って五箇条の誓文を発布した。
 1,広く会議を興し万機公論に決すべし
 2,上下心を一にして盛に経綸を行うべし
 3,官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ人心をして倦まさらしめん事を要す
 4,旧来の陋習を破り天地の公道に基づくべし
 5,智識を世界に求め大いに皇基を振起すべし 
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 海の外から流れ着いた日本人は、常世の国崇拝を持ち、日本の外にある素晴らしく優れたモノに憧れそれを取り入れ身に付けたいというたいという衝動を持っていた。
 同時に。常在の国崇拝を持ち、日本の内にこそ素晴らしく優れているモノが存在するとして探究する情熱を持っていた。
 外に対する動的衝動と内に対する静的情熱を対立する事なく包容して調和させているのが、大和心の古層である。
 日本の思想は、二元論的二項対立ではなく、三元論的多様性である。
 古代においては、中華文明の文字である漢字に憧れ、文字を身に付ける為に儒教と法家に基ずく律令制と法を導入して都を建設した。
 国際を意識するエリート達は、中華の世界で馬鹿にされない為に、儒教道教などの思想書医学書漢詩など多方面の漢籍を大量に輸入して読み、漢詩を詠んだ。
 伝統に拘るエリート達は、日本が消失する事
 中世においては、印度文明で生まれた仏教に魅了され、その宗教観や死生観を身に付ける為に、最新の建築技術を導入して、寺院を建設した。
 エリート達は、御仏に見捨てられない為に、経典・仏像・仏画などを大量に輸入し、宗教的美術品を見上げて念仏を唱えて功徳を積んだ。
 国学者達は、外来文化の儒教や仏教が蔓延すると日本は中国化して日本が消失するとの危機感から、日本は日本らしくあるべきだとして反発した。
 近代においては、西洋文明で生まれた西洋文化の虜となり、科学・機械・思想・哲学を輸入し、国際人になる為に日本語を捨てて西洋語を必死になって体得しようとした。
 民俗学者達は、浅薄で思慮分別なき西洋礼賛が進むと日本の国柄が損なわれるとして、日本風土の中にも西洋キリスト教に負けず劣らない高い価値観があるはずとして研究を行い、日本回帰を訴えた。
 日本文化の特殊性や独自性を際立たせ、美しい日本語に拘り抜く事で、中華文化西洋文化による文化属国を回避し、中国語や西洋語を教養として学んでも日常化させなかった。
 この日本文化や日本語への意固地的な拘りが日本文明を独自文明に成長させ、中華文明に呑み込まれる事からも、西洋文明の植民地にされる事からも、日本を救った。
 世界文明による大陸帝国は長短あっても例外なく滅亡したが、島文明の倭国・日本国は万世一系男系天皇(直系長子相続)の皇室の下で亡びる事なく続いている。
 日本民族の民族力とは、神代から絶える事なく民族中心神話の中に存在する皇室による。
 皇室とは、日本民族日本人そのものである。
 決して、中国人でもなければ、朝鮮人でもなく、ましてユダヤ人でもない。
 日本人は、日本人である。
 そして。日本人の単一性とは、混血で有り、雑種である。
 日本人とは、ハーフである。
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 神戸事件。
 貿易商社ジャーディン・マセソン商社の代理人である武器商人グラバー(ユダヤ人)は、南北戦争で使用された大量の中古の武器を新品の最新兵器と偽って売り込む為に来日した。
 ジャーディン・マセソン商社は、謀略でアヘン戦争を引き起こし、中国への貿易額を拡大して巨万の富を得たアヘン貿易商社であり、ロスチャイルド財閥傘下のロイズ保険や香港上海銀行の代理店を務めていた。
 欧米のアヘン商人は、アヘン市場を東アジア全域に広めるべく、大量のアヘンを日本に持ち込んだ。コルテス以来いつの時代でも、キリスト教徒白人は「愛の信仰」を隠れ蓑とし全世界を独占しようとしていた。  
 イギリス・ロスチャイルドは中古の武器を討幕派に、フランス・ロスチャイルドは旧式な武器を幕府側に売って利益を得ていた。
 西欧列強は、植民地支配を守る為に、殺傷力のある最新兵器を植民地の非白人に売る事をなかった。
 戦争を煽る白人の武器商人も、道義として白人支配を守る為に、莫大な利益になる事はわかっていても最新式兵器を非白人に売る事はなかった。
 重要な事は、有色人種間に不信感と敵意を植え付け、有色人種同士で殺し合いをさせて利益を得る事である。
 間違っても、白人の植民地支配を危機に晒す事があってはならないという事であった。
 ユダヤ人金融資本は、「黄金の国」と言われた日本の豊富な金を略奪する為に、国際的金相場に無知なサムライを騙して銀との交換比率を偽った。
 そして、武器を売って金儲けする国際資本は、南北戦争で余った中古の武器を法外な値で日本に売りつけて暴利を得た。
 白人財閥群は、利益を得る為に日本人の間で対立を煽り、略奪できる金目の物を全て奪い尽くすまで内戦を長期化させようとした。
 世界史の常識として、戦争は国際経済に巨万の富をもたらしていた。   
 欧米列強は、自国の財閥を儲けさせる事が自国の繁栄につながると確信していた。
 その国家戦略から、アジア・アフリカに混乱を引き起こし、戦乱を起こす為に勢力不均衡を創り出していた。
 民族や部族や宗教諸派の諸勢力を利用し、敵意を掻き立て、相手を皆殺しにするまで内戦を長期化させた。それが、国際経済における究極の金儲けであった。
 徳川幕府には、神国・日本をキリスト教国から防衛する為の強力な軍隊を持たず、そして西欧列強に対抗するだけの成熟した外交戦略もなかった。
 キリスト教国には、親切心や善意は存在しなかった。ゆえに、日本は西洋列強の軍事力で植民地とされ、日本人は強制的にキリスト教に改宗される危険があった。
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 寺島宗則は、電信は国家運営と近代化には欠かせない施設であり、電信線敷設と敷設資本を欧米に頼る事は植民地化の原因になると建白した。
 「電信線を国で敷設し、国で運営する」
 新政府は、遅れれば欧米列強の植民地にされるという危機感から、外国に依存せず独自で通信網の整備を行う事を決定した。
 明治政府は、各地で起きた神風連の乱西南戦争という士族の反乱を、通信網を利用して内戦に発展する前に鎮圧した。
 サムライの反乱軍は、百姓町人出身兵の政府征討軍によって悉く敗北した。
 電信は、国防の要で有り、国家が主導して施設する事にした、
 民間企業に任せては、脆弱な民族資本では資金不足となり欧米資本の融資を受けざるを得なくなり、欧米列強が自国の権益保護を目的として軍隊を派遣してくる恐れがあった。
 事実。西洋は、そうした言い掛かりでアジアやアフリカに植民地を拡大してきていた。
 だが。開明幕臣や諸藩の有志や在野の町人学者らは、ペリー来航以来、電信の可能性を認識していた。
 佐久間象山は電信実験に成功し、島津斉彬は電信機開発を奨励した。
 勝海舟は、電信機の解説書であるの解説書『電信機之解』を著していた。
 榎本武揚ら志ある幕臣は、日本を西洋の植民地にしない為に、電信機などの最先端の科学や技術を貪欲に学んでいた。
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 1869(明治2)年 明治天皇は、王政復古の為に犠牲となった日本人の御魂を祭神として祀る為に、「靖国神社」の前身である東京招魂社の創建を認めた。
 明治天皇「我が国の為に尽くした人々の御魂は。 国自ら永久にお祀りすべきである」
 吉田松陰松陰神社靖国神社)「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂
 志ある日本人は、日本を外国の植民地にせず、日本民族を外国人の奴隷としない為に、犠牲となった日本人を「靖国神社」で神として祀った。
 民族の「心」と「絆」を共有しない日本人は、「靖国神社」を否定する。
 アメリ国務省は、日本側の要請を受け、国際外交指南としてヘンリー・デニソンを日本外務省に派遣した。
 デニソンは、横浜のアメリカ領事館裁判所判事となり、のち副領事に転じた。
 日本外交を指導するデニソンは、国務省の密命に従って、日本外交をアメリカの国益になる様に誘導し、そして日本の国家機密を本国に伝えていた。
 12月25日 日本は、急いで東京・横浜間の電信をスタートさせ、次第に国内に拡大させていった。
 明治政府は、西洋の植民地にされるという恐怖心から電信線敷設を急いでいた。
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 1870年3月 明治政府は、国家収入が乏しい上に、国家の正統性を主張するべく、旧幕府や旧諸藩の債務を放棄せず相続した為に財政難にあった。
 国家を近代化させる為には交通・輸送の整備が急務であるとして、鉄道建設目的で外債をロンドン市場に募集した。
 関税及び鉄道収入を担保とし、据え置き期限を3ヵ年、償還期限を10ヵ年として、9分利付英貨公債100万ポンド(邦貨400万円)を得た。
 5月 兵部省は、南下して日本を侵略しようとしているロシア帝国に対抗する為に、「至急おおいに海軍を創立し、善く陸軍を整備して護国の体勢を立つべきの論」を建白した。これが、悪名高い、日本の近代的天皇制度下での軍国主義国家の始動である。
「最近、各国交際の道が開けて、国々は外面では〝公議〟を唱えるが、内面では〝私心〟を逞しくして、他国を併呑したり貿易港を力によって開かせたりしている。よって各国においては陸海軍を増強してこれに備えている。このような動きには、つまるところ万国公法の〝自護の権〟を大きくしようとしている行為なのである」
 大日本帝国は、欧米諸国とくにロシア帝国の侵略から祖国を守るべく軍事力を強化する為に富国強兵策を採用し、自主独立を維持する為の産業を興すべく殖産興業を推進した。
 日本は、万国公法が認める自衛権として、国家の総力を挙げて諸外国に負けない陸海軍の創設と増強に暴走した。
 悪の帝国として永久戦犯国として告発される、軍国日本の誕生である。
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 デンマークに本拠を置く大北電信会社は、ロシア帝国デンマーク両政府の全面支援を受けて、明治政府に対して日本と中国大陸間の海底ケーブル敷設を申し込んだ。
 大北電信会社は、イギリス、ロシア、ノルウェーの資本参加を得て、ユダヤ系国際金融資本家が深く関わっていた。
 清国は、高官の多くが賄賂を貰ってすでに同意していた。
 欧米資本は、清国内の鉄道・港湾という交通網と電信という通信網の敷設権を手に入れ、中国の社会共通資本(インフラストラクチャー)を掌握しようとしていた。
 事実上の植民地化であった。
 拝金主義の中国人は、目の前に積まれる大金にしか興味がなく、大金を増やす為に国内の諸権利を高額で売っていた。
 中国の植民地化は、中国人自ら招いた愚行であって、欧米列強が悪いわけではなかった。
 つまりは、自業自得であった。
 大北電信会社と交渉に当たったのは、外務大輔の寺嶋宗則であった。
 日本側は、日本の電信網と国際的海底ケーブルに接続する事は認めても、欧米電信会社を国内の電線線敷設工事に参入させる事は断固拒否した。
 大北電信会社はイギリス、フランス、ドイツ帝国の電信会社と連合体を作って、瀬戸内海を通る横浜・長崎間の回線敷設参加を要求した。
 資金難の日本とっては願ってもない提案であったが、基幹電信線に外国企業の参加を認める事は、日本の機密情報が盗まれ、国家の独立性と国防を失う恐れがあるとして拒絶した。
 西洋列強は、日本の排他的閉鎖的体質を非難し、外国資本が参入できるように日本の開放を求めた。
 8月25日 日本は、大北電信会社との間で条約を結んだ。
 大北電信会社は、日本国内の電信線敷設参加を諦める代わりに、大陸と日本をつなぐ海底ケーブル敷設権を得た。
 日本は、国内の電信網を確保し、長崎と横浜以外への海底ケーブルの陸揚げを認めず、「将来、海底ケーブルの上海ルートを買収可能」という項目を認めさせた。
 だが、国際通信への接続権は失った。
 逓信省と軍部は、国防から対馬壱岐などの海底ケーブルを日本電信網に組み入れる為に、明治24年4月に呼子対馬間の買収に成功した。
 日本は、外国資本を排除して国内通信の自主権を確保した。
 軍部は、宿敵ロシア帝国が参加している大北電信会社の動向に警戒し、大北電信会社の国際回線を使う事は軍事機密が盗まれる恐れがあるとして、日本独自の海底ケーブルの施設計画を進めた。





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