🎵26:─1─アムール川大虐殺事件。ジョン・へイ宣言。シベリヤ鉄道敷設と朝鮮国内対日軍事基地建設。大津事件。1899年~No.61No.62 @ 

 
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 福沢諭吉「政治上の失策は影響が大きいが、それに気付いて改めれば、鏡面の曇りをぬぐうのと同じで傷痕は残らない。しかし、教育の場合は、阿片のように全身に毒が回って表面に現れるまでに歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する」
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 1899年 日本は、南鳥島の領有を宣言して、東京都に編入した。
 アメリカは、アメリカ人が最初に発見したマーカス島が、南鳥島として日本領になった事を知らなかった。
 日本政府は、ロシア帝国の北海道侵略を警戒し、アイヌ人がロシア側に味方して北海道をロシア帝国領にしない様に、アイヌ人を味方としてつなぎとめるべく北海道旧土人保護法を制定した。
 現代日本は、同法律はアイヌ人を土人と差別する悪法として非難している。
 明治時代。アイヌ人を差別せずに和人と同等に扱うという理想主義から、日本民族から遠ざけて異化するのではなく、国民化する為に同化政策を強引に推し進めた。
 国家の方針として、アイヌ人への差別をなくそうとした。
 つまり、日本人とアイヌ人の混血化である。
 もともと、日本民族とは純血種ではなく混血の雑種民族である。
 本土並みの教育を行い、風土病の克服の為に衛生の普及と生活習慣の改善を徹底させた。
 農地を無償で払い下げ、農耕技術を指導し、農機具や種子を支給し、30年間非課税とした。
 だが。日本人の中には、露骨にアイヌ人を野蛮人として差別し、その血を汚らわしいと嫌う者がいた。
 アイヌ人達は、北海道をロシア帝国領にしない為に、天皇の命令に従って和人に協力して戦った。
 アイヌ人と和人が混住する事で混血化も進み、純血種としてのアイヌ人は日本ではいなくなった。
 山辺安之助「どうにかしてあの可哀想なアイヌの子供達を、早く日本人並みに、同様な善良なる皇民にさしてやりたい」
 ロシア領では人種差別が当たり前で、アイヌ人とそれ以外の民族との混血化は起きず、共産主義による大虐殺を受けていなければ純血種のアイヌ人が存在する。
 当時のキリスト教徒白人は、日本人や中国人やアイヌ人を絶対神に愛される権利を持った同じ人間とは認めず、薄汚い奴隷か従順な家畜か狩るべき獰猛な獣と見なしていた。
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 ハワイ王家のリリウオカラニ元女王は、ハリソン大統領に復位を願う陳情使節をワシントンに送った。
 ハリソン大統領は、ハワイ王家の復活を拒否し、今日の情況を招いたのは女王の悪政によるものであるとして嘆願を門前払いした。
 こうして、ハワイ王国は完全に消滅してアメリカの領土となった。
 アメリカは、自由と民主主義の「正義」を世界中に広げるという「明白の使命」を掲げた。
 アメリカの戦争や行動は、「正義への衝動」から起こされた。
 日本は、アメリカのハワイ併合に抗議した。同時に、大国の利益の前には、小国の権利など無いに等しい事を痛感させられた。
 アメリカ軍は、日本軍がフィリピン独立派を支援する事を恐れた。
 これが、アメリカが絶対神苅らさ授かった「明白なる天命」の正体である。  
 ジョン・ヘイ国務長官は、反植民地主義の理想と、中国に関する「門戸開放宣言」を行った。
 そして、アメリカ有利のダブル・スタンダードとして中南米市場の開放を拒絶した。
 アメリカは、人口3億人の中国に於ける分け前を要求した。
 日本とイギリスは、対ロシア戦略から、支那大陸の門戸開放宣言を他国が同意する事を条件として消極的支持した。
 アメリカは、キューバ保護国とし、傀儡政権を作って支配した。
 「まともな隣国ほど危険なものはない。いつも内輪揉めしているか、自国の意のままに操れるか、それが望ましい隣国だ」
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 7月19日 布引丸事件。日本のアジア主義者は、フィリピン独立派を応援した。
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 1900年頃 日本人労働者達は、カリフォルニアの幾つかの農園で賃金値上げのストライキを行い、日給の値上げに成功した。
 白磁経営者は、日本人労働者は真面目に働く為に重宝した反面、農地を奪おうとしている悪党として警戒した。
 反日急先鋒であるサンフランシスコ労働組合以外の幾つかの西海岸労働組合は、集団で秩序を持って行動する日本人労働者を組合員に加えて組織化する利点を強調し始めていた。
 ロサンゼルス労働評議会書記長「この決議案は、評議会にとって実に意義があるものだ。東洋人を組合員に迎え入れれば、彼等がストライキ破りに使われる事がなくなるのではないか、それによって白人の職を奪うという事がなくなるのではないか、という考えが大勢を占める事になった」
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 1900年 ドイツ帝国は、中国におけるイギリスの権益を奪う為に、ロシア帝国と日本の戦争にイギリスを巻き込む為に、日本とイギリスの提携を仲立ちした。
 日本とイギリスは、揚子江協定を結んだ。
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 海軍大臣山本権兵衛は、日本海軍に無線通信網を構築する為に、海軍省内に無線電信調査委員会を設置し、軍・官・民一体による独自の電信機開発を命じた。
 翌34年に、マルコーニ製無線通信を改良した三四式無線電信機を完成させたが、海戦中における安定性に疑問視された。
 ロシア海軍も、無線電信機の採用を決定し、ドイツ・シーメンス社ロシア分工場で製造したポポフ式無線電信機を艦艇に装備していった。
 階級社会であるロシアでは、無線電信機を扱える兵士は限られたために、ドイツ人技師が乗艦して実地で操作を教えた。
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 日本陸軍は、黄檗宗僧侶の河口慧海チベットに潜入させ、対中国謀略専用の諜報員を常駐させた。
 同様に、仏教僧をスパイとして利用して、インドやイスラム圏に送り込んでいた。
 日本のスパイのモットーは、明石大佐の「誠実であれ」であった。
 アメリカは、自主独立国家ハイチ共和国(1804年独立)の主権を否定して、ドイツ帝国と分割統治した。
 清国の近代化の過程で。漢族将軍や資産家らは、中国市場に参入を希望する国際資本に、便宜を図る見返りとして多額の賄賂と利益の一部を得て私腹を肥やしていった。
 国際資本は、上海・広州・天津などの沿岸部に工場群を建て、多くの中国人を安い賃金で労働者として雇用した。さらに、内陸で鉱山開発を行い、鉱石を運び出す為の鉄道を敷設し、そこでも多くの中国人を労働者として雇った。
 外国企業に雇われた中国人労働者は、労働環境の悪い職場で過酷な重労働を強いられていた。だが、それでも一般の中国人よりは恵まれた生活が送れ、雇用されなかった中国人との貧富の格差が生まれた。
 商才ある者は、外国語を覚え、キリスト教に改宗し、外国資本家に気に入られるようにおべっかを使って仕事を得て私財を増やした。
 貧しい中国人は、儒教価値観から、漢族将軍や科挙官僚などの特権階級との貧富の格差は我慢できたが、隣人との格差には我慢が出来なかった。
 外国製品が氾濫して、中国製品を扱っていた中国商人は大打撃を被った。
 漢族将軍や科挙官僚等は、利益を求める国内外の資本家から賄賂を取り、中国の近代化を謳い文句にして、貧富の格差に憤り改善を訴える中国人を暴力で取り締まった。
 後発組のドイツ帝国は、人種差別意識が強く、少ない投資で多くの利益を得る為に山東省で強引な植民地経営を行った。
 プロテスタントキリスト教会も、先発組として地盤を築いてきたカトリックキリスト教会に対抗して強引な布教活動を行い、地元の土着民族宗教と衝突を繰り返していた。
 格差に不満を持つ下層農民や外国資本のに仕事を奪われて没落した商人は、中国全土で排他的暴動を起こしていた。
 宗教的武闘秘密結社の義和団は、伝統的土着宗教を否定して布教を行うキリスト教に激怒し、山東省でキリスト教会や鉄道を襲撃して宣教師や中国人キリスト教徒を虐殺した。
 満州大臣らは、外国資本から賄賂を取って私腹を肥やす漢族将軍や科挙官僚等に持ち、自分達にもうまい汁を吸わせろと威嚇する為に外国人排斥暴動を、陰で操った。
 義和団は、清朝を助けて白人を中国から追い出すべく北京に流れ込み、北京の外国公使館地区を包囲した。
 西太后は、満州大臣等の説得に同意して、日本を含む欧米列強に宣戦布告し、温存していた正規軍を義和団救援に派遣した。
 義和団と清国軍は、公使館地区を攻撃し、逃げ遅れた日本人や白人を殺害した。
 義和団事件(北清事変)は、清国軍の軍事介入で国際事件に発展した。 
 李鴻章ら漢族将軍は、光緒帝の開戦命令を無視し、正規軍が連合国軍1万9,700人の攻撃で壊滅するのを傍観した。
 日本を含む8ヵ国は、自国民を救出する為に軍隊を派遣した。
 日本は、包囲軍に清国軍が加わっている為に、隣国として主力となって3万人の大兵力を派遣した。
 8ヵ国軍は、清国軍と義和団を排除して、公使館地区を救出した。
 8ヶ国連合国は、義和団を鎮圧し、正規軍を撃破し、北京を軍事占領して共同管理下においた。
 ドイツ軍とロシア軍は、人種差別的に、管理区域内で強姦や略奪行為を行った。
 帝国日本は、国際法を遵守する国際人であろうとして、北京に駐留する日本人兵士に一切の犯罪行為を厳禁と命じた。
 世界最強と恐れられていた清国の正規軍が敗北した為に、「眠れる獅子」と畏怖されていた植民地帝国清朝は衰退し崩壊し始めた。
 ロシア軍(17万7,000人)は、東清鉄道と自国民現地保護を理由にして、満州を侵略して軍事占領した。
 ロシア帝国の真の意図は、不凍港を得る為に満州を自国領とすることであった。
 日本は、ロシア帝国の支配が満州から朝鮮に及ぶのを警戒して、イギリスの協力を得て撤兵を申し込んだ。
 日本にとってロシア帝国は、江戸時代後期から地政学的脅威であり、日本防衛の為に対露戦略として大陸積極策はやむを得ない選択であった。
 戦後の現代に於いて、日本の積極的大陸政策は全て戦争犯罪的侵略行為として完全否定されている。
 だが。ロシア帝国は、弱小国日本の抗議を無視して、全満州を支配するべく旅順軍港の強化と朝鮮への影響力を強めた。
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 3月 サンフランシスコ市長ジェームズ・フェランは、市内で発生したペストの拡大を封じ込めるとの理由で、日本人と中国人の住む地域の隔離を発表した。
 5月7日 サンフランシスコの労働組合は、反日本人移民大会を開催した。
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 7月 フィリピン独立派のアギナルドは、日本に密使を送って支援を要請した。
 日本の右翼は、フィリピンをアメリカから独立させるべく民族主義者に武器を与えた。 7月21日 布引丸沈没事件。
 フィリピン民族主義者は、日本に逃亡して、日本を活動拠点とした
 8月 厦門(アモイ)事件。台湾総督児玉源太郎後藤新平は、台湾海峡支配下するべく厦門占領計画を立て、厦門東本願寺布教所を放火し、福建省に軍隊を派遣した。
 イギリスとアメリカは、日本が揚子江流域に進出してくる事は自国の中国権益を危険に晒すと感じて激しく批判した。
 児玉源太郎は、厦門占領を断念した。
 10月 恵州事件。中国革命派は、日本の孫文と連絡を取り合いながら挙兵して深?を占領したが、清国軍の反撃で敗北した。
 西太后は、敗北を認めて、李鴻章に講和交渉を命じた。
 抑圧されていた漢族の目の前で、清国は外国勢力に降伏した。
 清国は満州族征服王朝であって、漢族の中国王朝ではなかった。
 清国の統治能力が低下するや漢族軍人は軍閥化して、中国は分裂し始めた。
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 アムール川大虐殺事件。
 1900年6月 北清事変。義和団が、黒河対岸のロシア領を侵略してブラゴヴェシチェンスクを占領した。 
 7月16日  ブラゴヴェシチェンスク(海蘭泡)事件。ロシア軍は、報復として、ロシア領内で清国が管理している江東六十四屯を襲撃して支那人居留民3,000人以上を虐殺した。
 8月2日3日 黒龍江事件。
 ロシア軍は、黒河鎮に渡河上陸し、支那人2万5,000人を虐殺して、屍体をアムール川に捨てた。
 日本軍は、ロシア軍の東三省侵攻を警戒した。
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 1901年 一高寮歌「アムール川の流血や 氷りて恨み結びけむ 二十世紀の東洋は 怪雲空にはびこりつ コサック兵の剣戟や 怒りて光散らしけむ 二十世紀の東洋は 荒浪海に立ちさわぐ 満清すでに力つき 未だ魯縞(ろこう)も穿ち得で 仰ぐ独り日東の 名も香んばしき秋津島(日本)」
 5月20日 大津事件日本橋の魚問屋にお針子として住み込んでいた畠山勇子(25)は、日露両国が戦争になる事を憂いて、負傷したニコライ皇太子への謝罪を含む嘆願書を両国政府に提出し、京都府庁前で自決した。
 京都・末慶寺の住職・和田準然師は、畠山勇子の遺体を引き取り丁重に葬り供養した。
 多くの日本人が、誰に頼まれたわけでもなく、誰かに命じられたり強要されたわけでもなく、意を決して自決した名もなきお針子の死を悼んで墓参りをして冥福を祈った。
 ラフカディオ・ハーンやラモエスポルトガル文人)らは、自決した畠山勇子の一途な念いと自己犠牲死を尊ぶ日本人の心情に感動こそすれ、狂信的愛国者の愚行、命を粗末にする蛮行と唾棄しなかった。
 モラエス「祖国と天皇陛下のため自分の持っている唯一のもの、命、を投げ出した勇子。祖国の名誉と平和を保ち、天皇陛下の御心を安らかにしてさしあげよう、と考えた勇子。……紅毛人はこれを狂信的行為とかヒステリー発作と混同するだろうが決してそうではない」(『弧愁』)
 日本は、朝鮮とは違う。
 9月 北京議定書が調印され、中国の植民地化が始まった。
 モンゴルやチベットや新疆ウイグルなどは、漢族の移住者が増える事により、伝統文化や民族宗教が破壊される事を恐れて自立運動を始めた。
 清朝が存続している限りは、満州族への友好関係から、中国からの分離独立までは決断仕切れずにいた。
 儒教価値観の漢族は、病的人種差別主義者として、モンゴル人やチベット人を獣のように差別し弾圧した。
 漢族は行く先々で、人種差別による紛争を起こしていた。
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 1901年 アメリカは、パナマ運河開設・管理権を獲得。 
 イギリスは、対ドイツ戦略から、アメリカを味方に付ける為に権利を永久放棄した。
 プラット修正。アメリカは、キューバ保護国化した。



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