🎵32:─1─明治時代は、漢籍・漢詩の才能のある非凡なる凡人の時代。山縣有朋。~No.81No.82 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 明治時代は、江戸期の日本的儒教教育を受けたサムライ・武士の時代で、漢籍漢詩で東洋知識を持った「非凡なる凡人」の時代。
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 大正時代は、明治期の西洋近代教育を受けた庶民(百姓や町人)の時代で、欧米語を話し高度な西洋知識を持った高学歴な「文官エリート」の時代。
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 昭和時代前期は、大正期のマルクス主義的教育を受けた国民の時代で、海外に留学した事のある高学歴の「軍人官僚エリート」の時代。
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 昭和時代中期・後期・平成時代は、戦後の自由・民主主義教育を受けた市民の時代で、記憶力の強い偏差値の高い高学歴の「一般官僚エリート」の時代。
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 2017年1月号 正論「左翼リベラリズムから明治を取り戻す
 明治150年記念シンポジウム
 対談、渡辺利夫・阪本是丸・松元崇・新保祐司、コーディネーター・金子宗徳
 左翼が作った『福沢諭吉』像
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 渡辺 福沢を民権論者と評価する人も多くいますが、まず国柄を論じず、民権を論じても仕方がない。列強の『勢力東漸』の現在にあっては、国権論者でなければならない。『文明論之概略』では『国の独立は目的なり、国民の文明はこの目的に達する術なり』と書いています。『文明論之概略』の趣旨は『独立論之概略』ですよ。
 天皇中心の国家構築のために
 阪本 私は大雑把にいって、明治維新については、天皇を中心とする国家構築を目指す運動だったと捉えています。天皇中心の国家構築ということでは、佐幕も勤皇も、旧幕府軍であれ、官軍であれ、変わらなかったんですね。
 明治維新のときからさかのぼって天皇と宗教の関係を考えてみても、少なくとも徳川幕府であっても、天皇をないがしろにしようとした歴史は日本にないんです。
 それから帝国憲法における天皇について『絶対的君主』という人がいますが、福沢は『帝室論』で皇室を政治社外に置いています。絶対的君主はないんですね。
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 明治の国学者である丸山作楽は、まず天皇の祭({まつり}祭祀)があって、それで政(まつりごと)を行う、祭祀一致の国家であるということを述べていますが、天皇が親しく祭祀を行われているということと、天皇親政が直接関係するか間接的に関係するかというこよによって、見方が違うんです。
 天皇国家神道に関わるわけですが、これはいわゆる教派神道とは違うんですね。島地黙雷神道には宗教と治教があると言っています。神道は宗教ではないという考え方は伝統的にあり、天皇のお祭を見ていると、根本的には皇祖皇宗に対して国民の平安を祈るもので、これは一貫しています。
 国家神道は、その天皇のお祭をどうするかという意味であるのです。
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 明治維新は皇室の祭祀と国家と政治、国民との関係を考える上で重要です。明治の人たちは、天皇を単に祭り上げるのではなく、真剣に議論し合って、考えたんです。その最たるものが五箇条の御誓文です。ときどき、天皇の存在を王権神授説でとらえようとする人たちがいますが、これは大きな間違い。まさに皇祖皇宗以来のものですからね。
 山縣有朋は『日本の地方自治の父』
 松元 明治の元勲、山縣有朋はあまり人気のない人ですが、実は『日本の地方自治の父』といわれているんです。
 山縣が導入した明治の地方選挙とは、今で言うところの『出たい人より出したい人を』の制度でした。立候補制がなく、誰でも好きな人に投票できるし、選ばれた人は議員として働く義務があった。
 しかも当時の国政選挙権が直接国税15円以上収めた男性だけに認められていたのに対し、山縣の導入した地方選挙権は地租を少しでも収めていれば得られるというもので、大口納税者ならば女性でも認められるものでした。さらに、こうして選出された地方議員から成る町村会が、町村長を選出し、地方行政のトップとなった。現在の国政の議院内閣制とよく似た制度だったんですね。
 山縣は地方自治を『立憲制の学校』と考えました。実際、明治23年の帝国議会成立に先だって、地方自治制度が始まっていたんですね。それができた背景には、日本では江戸時代から伝統的なコミュニティが構築されていたという事実がありました。少しでも年貢を納めていれば小作人でも村の寄り合いに参加していた。山縣は、その伝統をベースに、ヨーロッパをモデルにしながら、この地方自治制度を導入したんです。
 戦前は中央集権的だった、日本の地方自治制度は戦後、アメリカによって導入されたんだと思っている人も多いようですが、実は、そうではないんです。福沢諭吉も『地方自治は古来、日本の固有の制度にして、国民のこれに慣れたること久』と言っています。
 山縣の地方自治制度は、『代表なくして課税無し』『税金を払うなら、当然、代表を出す権利がある』という『財政民主主義』だったともいえます。財政民主主義の観点から見れば、現代の日本の政治も褒められたものではありません。国会の予算委員会でほとんど予算の審議をしない、そんな国は日本以外ないのではないですか。
 山縣は言論の自由を大事にした人でもありました。五箇条のご誓文の『万機公論に決すべし』を大事にした人物です。山縣が死んだ時、マスコミは彼を酷評しましたが、後に昭和天皇は彼を高く評価しました。
 非凡なる凡人
 新保 明治100年に明治回顧が盛んに行われ、文明開化、近代化路線ができたことは喜ばしいことだったという雰囲気でしたが、あれから50年経った150年では、その見方は変わっていくべきだと思います。文明開化、近代化の人といわれてきた福沢諭吉も、渡辺先生がお話しになったように、150年の今は、士魂の人とみることができる。松元先生のお話にあったように、山縣有朋にしても、見方が変わってきています。 ……
 では、明治の文芸人で誰が代表的かというと、私は国木田独歩だと思います。彼の『非凡なる凡人』という作品がありますが、明治人とは何かといえば『非凡なる凡人』なのだと思います。
 桂正作という貧しい家にうまれた男が西国立志編スマイルズの『自助論』の訳書)を読み、努力し、電気会社の技師になる。決して抜群の才能があるわけではないが、『我を忘れ世界を忘れ、身も魂も、今そのなしつつある仕事に打ちこんでいる』。その姿を見る独歩は『荘厳に打たれた』と書いている。凄いことをしているわけではなく、電気の修理をしているのですが、荘厳を感じさせる、それを見て荘厳と思う感覚を持っていた。これが明治であり、明治人なんだと思います。明治の日本は『非凡なる凡人』が支えたんです。
 もう一つ、文学には硬文学と軟文学がありますが、明治の文芸は硬文学なんです。明治においてまともな人間が読んでいたのは、小説家個人のことをこちょこちょ書くような小説ではなく、評論、漢詩、漢文なのです。天下国家、公を論じる硬文学として読んでいたわけです。明治には文学はまともな人間の志としてあったし、多くの政治家や実業家も漢詩、漢文が読めたわけです。100年後、明治文学で残るのも乃木希典漢詩『爾霊山』ですよ。明治とは何か、日露戦争とは何だったのか、国家と日本の歴史をうたう叙事詩だからです。北原白秋が偉大なのも『海道東征』という日本の歴史を描く叙事詩を書いたからです。明治の文芸には日本の民族と歴史をうたいあげた作品があった。それを評価していかなければいけない。
 11月3日を明治の日にする意義
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 渡辺 神保先生にもう少しうかがいたいのは、昭和一桁生まれぐらいの知識人は漢詩が読めましたが、いまは読めないですよね。漢籍から得られる表現や感情には特有の論理性、倫理性がありますよね。
 神保 たしかに、これは大変なことです。明治の文学者たちの面白いところは、彼らの多くが頭の中で『漢文、漢詩なんか必要ない』と西洋文学を志しながら、彼らの血肉は漢文の教養だったということなんですね。その絶妙なバランスで明治の文学は作られていた。
 金子 松元先生からは何か。
 松元 明治国家の成り立ちから考えると、薩摩藩も始めは佐幕だったのが、尊王攘夷といって幕府を倒し、幕府を倒したら攘夷ではなく、開国をするわけですね。昨日言っていることと、今日やっていることが正反対ですが、そうやって成り立った国家なんですね。そうしなければ生き残れなかったのですが、そんな中で、『万機公論に決すべし』ではないが、本音で議論し合っていたんですね。それが日露戦争に勝ったあたりから、本音で議論ができなくなっていったんじゃないか、という気がするんですよ。そんな中で、山縣は本音で議論し続けたから嫌われたのではないかと思うんです。
 渡辺 松元先生がおっしゃているのは、司馬遼太郎史観に沿っているのではないかと思いますが、司馬は『坂の上の雲』を書いて以降、歴史物を書くのをしばらくやめてしまいますね。日露戦争以後の歴史を司馬はあまり書く気がしなかったのでしょうね。これは推測ですが、サムライの時代が終わって官僚の時代になってしまった、という感覚があったのではないですかね。日露戦争を闘った将軍達は、いずれも旧武士、つまりサムライですが、それ以降は、学校秀才が軍人になっていきましたから。おそらく司馬には、日露戦争後、強靭でしなやかな日本からひ弱な日本に変わってしまったように見え、関心を失ったんじゃないですかね。
 漢籍の話に戻すと、明治の指導者は漢文に基づく思考があったわけで、その意味では、現代人の私達は大切なあるものを失ったと言えるかもしれません。漢籍を自由に読みこなす知識人がいた時代といない時代、明治150年をそういう切り口から見る文芸評論、文明批評の人が現れないか。今日は『正論』をはじめジャーナリズムの方々もいらしていますが、そういう若手の思想家を育ててほしい。
 金子 神保先生のお話を聞きながら、大正時代を象徴する白樺派夏目漱石の関係、ひいては近代的自我の末路について考えていました。現代人は我に拘りがちですが、我を捨てて何事かを為すという精神をもっと見直すことが重要ではないかと思います。
 神保 左翼リベラルの人は、大正文化人、大正デモクラシー、大正の自由な気風を評価しますが、私は時代はだめだと思っていて、結局、明治なんですよ。
 金子 最後に、明治の意義を国民にどう伝えていくべきか、お考えを伺いたいのですが。
 渡辺 150年前に何が起きたのか、正しく再確認していくべきだと思います。明治維新とは、往時の世界情勢を理解しなければこれを語ることはできません。江戸時代は権力分散型社会だったのですが、そこにヨーロッパの列強が押し寄せてきた。明治維新とは、それに対抗するため大政奉還廃藩置県により多元的社会を一元的な社会に変えた革命なんですね。しかし、その新しい政府を支える人材は、旧体制の道徳─士魂─によって育てられていた。だから、日本はアジアの中で生き残ることができた。そういう観点で明治を見ていけば、『明治の日』も重要な現代的意味をもつのではないでしょうか。
 阪本 私は、岩倉具視を評価しないで、明治維新の本当の意味はわからないと思います。王政復古の大号令も、皇室祭祀も、憲法も岩倉がいなければできなかったでしょう。有名であってもマイナスにしか評価されない人たちを、評価し直していくことです。
 松元 とにかく、明治維新は生身の人間が、悩みながらやったんだということを知ることです。
 神保 幕末から明治維新日本民族に与えられた試練の時代であったと思います。そこで残った者が、明治維新を成し遂げた。明治という時代はかけがえのない時代といえますが、ぜひ(明治天皇の誕生日の11月3日を)明治の日にしてほしいと思います」
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 日本神道には、教祖がいないし、経典・聖典もなく、教義もなく、厳しい戒律や厳格な定めもなく、そして最大の特徴は信仰する信者・教徒がいない事とである。
 日本神道・日本神社を支えているのは、氏子と崇敬者と鎮守の神域に住む居住者の三者で、そこに信者・信徒はいない。
 天皇が祭祀する伊勢神宮(祭神・天照大神)そして靖国神社(祭神・英霊神)が鎮守する神域は日本列島(北は北方領土から南は沖縄・尖閣諸島沖ノ鳥島まで)である。
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 マルクス主義史観は、明治維新による近代化(教育・軍事・産業)を完全否定しないが、さりとて肯定もしない。
 マルクス主義は、人民の権利を最優先として、民族の主権と生存そして天皇制度を完全否定する。
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 明治維新は、ロシアの軍事侵略から母国日本と日本天皇を防衛し、日本国の植民地化と日本民族の奴隷化を防ぐ為に実行された。
 つまり、軍事力強化が最優先課題であった。
 ロシアは、アジアに植民地・領土を拡大し、太平洋に出る為に東に侵出し、そして日本をその拠点にするべく侵略しようとした。
 日清戦争日露戦争そしてシベリア出兵は、この為に起きた戦争である。
 日本にとって、清国・中国と朝鮮は反日敵日国家であって親日知日国家ではなかった。
 日本と清国・中国・朝鮮の間には、友好関係は絶無で、友好関係があったという話は嘘で馬鹿げた話である。
 特に、朝鮮は昭和天皇や皇族を暗殺しようとしたテロリストを数多く輩出していた。
 清国(中国)と朝鮮が、ロシアと軍事同盟的な手を組んで日本の存続を脅かしたので攻撃し、撃破し、朝鮮を併合して植民地化した。
 軍国日本の使命は、大陸侵略ではなく、母国防衛の自衛であった。
 軍国主義政策による軍国日本は生き残る為の唯一の最良手段であった。
 軍国日本の大陸戦争は、ロシアの攻撃を絶えず受けていた隣国ポーランドフィンランドバルト三国などの祖国防衛戦争と同じ軍事行動であった。
 戦争を避ける為に外交手段・話し合いに徹するべきだったという平和主義者は、歴史が理解できないし、現実が見えない以上、相手にしない方が命の為身の為である。
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 天皇の祭祀とは、子孫が直接に血・生命・肉体・魂・霊・心・志など全身全霊で繋がる自分だけの祖先を神として奉る、氏神祖先神の人神信仰である。
 天皇の祭祀は、皇祖皇宗である女性神天照大神と男性神神武天皇と全身全霊で繋がっている正統な子孫でなければ執りおこなわれない。
 正統な天皇の位が氏神祖先神の人神信仰という宗教性で保証されている以上、血統・血筋に繋がらない者が天皇に即位する事は絶対にあり得ない。
 日本民族日本人が自分を日本民族日本人と認識するのは、祖先を神として奉る天皇の祭祀を拝する時である。
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 血統・血筋で皇祖皇宗に繋がらない何処の馬の骨とも分からない得体の知れない人間をアイドル的人気だけで天皇に押し上げた時、民族宗教である氏神祖先神の人神信仰は失われ、正統な天皇も消滅し、日本民族日本人も絶滅する。
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 軍国日本は、2000年以上の歴史を持つ民族宗教(国體・国柄)を守るべく、国内外で、一国だけの孤独な戦争をしていた。
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 天皇制度国家日本を滅ぼそうとしたのが、欧米のキリスト教諸国とソ連中国共産党共産主義勢力であった。
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 反民族で反宗教無神論マルクス主義者は、1920年代から日本民族国家日本を人民独裁体制国家に大改造するべく、天皇制度を廃絶する暴力的共産革命を起こそうと暗躍していた。
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 中世キリスト教会は、異教国日本をキリスト教国家に生まれ変わらせるべく、異教徒の日本人をキリスト教に改宗させ世界中で奴隷として売買し大金を稼いでいた。
 それ故に、豊臣秀吉徳川幕府キリスト教邪教として弾圧し、キリシタンを処刑した。
 キリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を殺害しようと何度も試みたが失敗した。
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 軍国日本は、欧米キリスト教諸国とソ連中国共産党などの共産主義勢力との世界戦争に敗れて解体された。
 敗北してなお民族国家日本を保ち得たのは、民族宗教としての万世一系男系天皇(直系長子相続)の天皇祭祀が残ったからである。
 だが、その天皇祭祀は、今や、宗教に無理解なグローバル的日本人が急増して風前の灯となり消滅しようとしている。
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 さらに醜悪でおぞましいのは、現代の右翼・右派・ネットウヨなどに蔓延している分別なき天皇主義者や民族主義者である。
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 日本が歪になり醜悪でおぞましくなったのは、1945年の敗戦、1980年の内政干渉歴史教育問題、1990年のバブル崩壊、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、2017年の日本企業の隠蔽や改竄などの不正行為を経る事によってである。


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