🎶02:─1─アメリカは日本を仮想敵国と定め、中国大陸政策を進めた。1913年~No.2No.35 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日米戦争勃発の機運は、日本からではなく、アメリカから発生した。
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 アメリカは日本を仮想敵国と定め、対日戦略を策定し、軍艦を建造して海軍力を強化し、対日中国大陸政策を進めた。
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 大正期(1912年7月30日〜)。東京帝大や京都帝大の教授らは、日本が列強の一員として国際責任を果たす為に
は、西洋の思想や哲学を積極的に取り入れ国民を啓蒙する必要があると訴えた。
 日本の西欧化・国際化の為には、閉鎖的閉塞的な日本の古くさい伝統的因習を打破するべきだとの風潮が産まれた。
 つまり、「和魂」否定の「洋魂洋才」化である。
 一部の過激思想家は、「天皇制打倒」と「伝統破壊」のマルクス主義を最下層の庶民に広めようとしたが失敗しが、高学歴の知的エリート層に多くの共鳴者を得た。そして、官界から華族や皇族中にも支持者を得た。
 彼等は、あやふやであてにならない「心」を捨てより確かな科学的合理性を主張した。
 つまりは、「人間性」否定の共産主義による反宗教反神論の「無魂」社会である。
 昭和期の思想弾圧として、東京帝大と京都帝大の共産主義派教授や学生が逮捕され、その逮捕は官界や華族にも広がった。
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 欧州列強は、英仏露の三国協商陣営と独墺伊の三国同盟に分かれて激しく対立していた為に、内戦から無法地帯と化した中国に居住する自国民を保護する余裕がなくなっていた。
 諸外国は、極東アジアで中国の混乱を鎮める国力を持つ日本に軍事介入する事を期待していた。
 アメリカは、中国市場に進出する為に、アジア世界で日本の発言力が強まる事を嫌った。
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 1913年 H・G・ウェルズは、原子爆弾が登場するSF小説『解放された世界 人類の物語』をイングリッシュ・レビュー使に翌年まで連載した。
 メキシコ革命。ウエルタ将軍は、クーデターを起こしてマデロ大統領を処刑した。
 大統領夫人と子供達は、逃げ場を失って日本公使館に保護を求めて逃げ込んだ。
 当時の公使は、朝敵として官軍と戦った長岡出身の堀口九萬一であった。堀口は朝鮮の閔妃暗殺に関係した外交官で、韓国・北朝鮮では極悪人とされている。
 クーデター部隊は、大統領家族を捕らえる為に日本公使館に押しかけ、家族の引き渡しを要求した。
 古武士の気概を持つ堀口公使は、天皇の名誉と国益を守る為に「死」を覚悟した。
 公使館の玄関に国旗「日の丸」を敷きその上に仁王立ちとなって、殺気立つクーデター部隊兵士に対して「私を倒し国旗を踏みつけて館内に入れ!」と大声で威嚇した。
 クーデター部隊は、超大国ロシア帝国を破った明治天皇が支配する軍国日本と戦争する意思はないとして、公使館を包囲するにとどめた。
 非白人にとって、白人の超軍事大国・ロシア帝国を倒した天皇制度国日本は英雄であった。
 堀口公使は、「窮鳥懐に入れば猟師殺さず」の惻隠の情として、ウエルタ将軍と直談判し大統領家族の身の安全を約束させた。
 今の日本にはいない、「死の覚悟」という武士道精神を持ったサムライ日本人である。
 現代日本は、ペルー政府が逮捕監禁する事がわかっていながら日系ペルー人フジモリ元大統領の帰国を許し、裁判では弁護する事なく見捨てた。
 瀋陽の日本領事館では、保護を求めてきた北朝鮮の脱国者家族を武装警官に引き渡した。そればかりか、武装警官が落とした制帽を拾って手渡した。
 現代日本人には、外国語が堪能で国際常識に精通していても、頑固に信としての「誠」を貫こうとするサムライはいない。
 昔も今も。国際社会において、誠意を以て話し合えばわかり合える例は極少数の例外中の例外に過ぎない。
 無法化した地域では、死ぬ覚悟や戦争をする覚悟がなければ話し合いなど無意味であった。
 昭和前期において。日本は国際協調と内政不干渉の原則を取り、戦争を避ける為に、相手の善意にすがり誠意を以て話し合って問題を解決しようとした事が悲劇をもたらした。 袁世凱は、総選挙を約束したが、その前に政敵である宋教仁を暗殺し、選挙権を持つ党員を買収した。
 国民党は、指導者を失って混乱した。
 アメリカで活動していたドイツ人工作員エドワード・ライエル・フォックスは、ワシントンのドイツ大使館付き武官フランツ・フォン・パーペンに、日本とアメリカが宣戦布告なき戦争状態にあると報告した。
 「カリフォルニアの問題をまく利用すれば、アメリカと日本を戦わせる事は可能である。……アメリカ世論の眼を、ヨーロッパから東洋に向けさせる必要がある。ドイツに好意的な新聞の論調はあてにならない。しかし、ハースト系の新聞は、アメリカを日本との戦争に仕向けられそうだ」
 チベットは、民族の永年の念願であった中国からの独立を宣言した。
 イギリスをはじめとして幾つかの国が、チベットチベット民族の国と承認した。
 中国は内戦で混乱していた為に、チベットの独立を黙認した。
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 内田良平支那人とは何か』
 支配階級は「堂々たる政治家を自任する者にして、美辞麗句とは裏腹に、振る舞いは汚れ、彼等の心事が巷の守銭奴と何ら変わらないのは昔のままである」
 中堅の中流階級は庶民階級の上にあって官匪の様に「財を盗み酒を飲み美肉を喰らう以外に何の関心もない、残忍で欲深い連中で食人種。黄金万能の国の住民。詐欺を義務と思っている連中。金銭への執着は水火も辞さないほど猛烈。戦闘では卑怯な者が、弾丸雨飛(うひ)の中に飛び込み戦死者の懐中を漁る」
 庶民階級は「井を穿って飲み、田を耕して喰らう、帝力我に於いて何かあらん。個人の生活が安全なら、君主がいようがいまいが、国土が異民族にとられようがどうなろうが、全く関知しない」
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 葉室長邦伯爵の四女春子は、税務署職員と不倫をし、手が切れるまで又別の男と不倫をしていた。
 伯爵で軍人の夫は、左遷された。 
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 牧野伸顕外相。アメリカで激しい人種差別的排日運動が広がり、カリフォルニア州において土地利用権を制限する排日法案問題が起きた。
 反日派中国人による、日本人居留民暴行・殺害事件が3件発生した。
 中国当局は、国内に住む日本人居留民の保護に積極的ではなく、むしろ反日派中国人による日本人への侮辱や暴行を取り締まらず放置していた。
 日本政府は、政府があってない様な無法地帯に近い中国の国内事情に対して、中国及び満州にある権益を守り日本人居留民の保護の為に、何らかの強い外交的措置を取る必要があった。
 「対華二十一箇条の要求」は、そうした必要によって計画された。
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 1月 カリフォルニア州議会に、「市民権を持つ事のできないたない外国人」という規定に基ずく外国人土地所有規制法(ウェブ・ヘネイ法案)が上程され、審議に入った。
 日本人移民を対象としている事は、明らかであった。
 日本人移民の多くは、排日法案や排日運動に絶望して帰国した。
 少数の者は、生活が苦しい日本に帰国するより自由なアメリカに留まることを決断した。
 町に出てクリーニング店や雑貨店などの商店を始める者もいたが、多くは郊外の農村地帯に留まった。
 農村に留まった日本人移民は、白人地主から荒野を安価で借り受け、である重労働集約型の日本式農法で開墾し作物を育てた。
 不毛に近かった大地は、白人の合理的な開放的農法でも、中国の強引な強奪的農法でも開墾できなかったが、日本の緻密な集約型農法で肥沃な農地に生まれ変わった。
 日本民族は、大地にへばりつき、自然と共生して生きる、根っからの農耕漁労民族であった。 
 アメリカ人にとって、浪費家の中国人が稼いだ金をアヘンと博打と女で散財する事が分かりやすかったが、質素倹約家で遊びもせず金を貯める日本人が理解できなかった。
 人懐っこく開放的で陽気でよく笑う中国人は好ましく見えたが、余所余所しく閉鎖的で感情を表さない陰気な日本人は理解できなかった。
 それは、英語が話せるかどうか以前の人間性であった。
 3月3日(〜21年) ウッドロー・ウィルソンが、大統領に就任した。
 「雑多な人種が同化できるかどうか。それが重要なポイントだ。白人種と同化できない人種がいては、同質化した国民の形成は難しい」
 3月5日 ウッドロー・ウィルソン大統領は、有力な支持者であったニュース・アンド・オブザーバー紙を経営する実業家のジョセファス・ダニエルズを海軍長官(〜21年3月4日)に任命した。
 ダニエルズ海軍長官は、「太平洋をアメリカの海にする」という前政権の基本方針を踏襲し、第一次世界大戦中に建艦計画を開始した。
 ダニエルズ・プラン(3年艦隊計画)として、日本の八八艦隊に対抗する為に戦艦10隻・巡洋戦艦6隻をはじめとして計155隻の艦艇の建造を始めたが、ワシントン海軍軍縮条約により中止された。
 ダニエルズは、有名な人種差別主義者で、非白人非キリスト教徒の日本人が国際社会にのさばり出て国際的地位を得ようとする事が気に食わなかった。
 反日派の人種差別主義者であるフランクリン・ルーズベルトは、ウッドロウ・ウィルソン大統領によって海軍次官に任命され、ジョセファス・ダニエルズ海軍長官の下で海軍の拡張に尽力した。
 5月 アメリカは、中華民国を承認した。
 カリフォルニア州反日系報道機関は、東京からの特派員電として、日本側は不快感をあらわにして法案阻止の為に武力行使を主張していると伝えた。
 排日派市民団体は、日本人移民に土地を所有させない事はアメリカの総意として当然の権利であるとして、反日的活動を繰り返す日本への強硬姿勢を訴えた。 
 日本で布教活動を続ける宣教師らは、反米感情が日本人改宗の障害になっているとして、アメリカ国内に対して日本擁護の発言を強めた。
 5月2日 ホワイトハウスは、日本との最悪事態を避ける為に、カリフォルニア州議会に対して差別的法案であるとして廃案にする様に圧力をかけた。
 だが。カリフォルニア州議会は、人種差別法である事を充分理解しながら排日土地法を圧倒的多数で可決した。
 下級審は、生地主義から日本人移民の子供はアメリカ市民権を取得できると判定を下していた。
 最高裁判所は、国民世論が日本人移民の市民権取得に反対していた為に、結論を先送りにしていた。
 一部の法律家は、「白人に限る」と限定する事は、独立宣言や合衆国憲法に違反すると反対していた。
 アメリカ国民の多くが、市民権は帰化した「自由な白人」のみが持てるものと認識していた。
 日本人移民の多くが、アメリカでの生活に絶望して帰国した。
 アメリカに残った日本人移民は、労働集約型農業として家族総出で働き、不毛に近い大地を耕して農作物を栽培した。
 だが。「女性は外に出て働かず家の内で家事をしていればよい」という、キリスト教的男性中心の家長主義を信ずる組織は、男女参加農業を絶対神の掟に反すると非難した。
 女権向上を求める組織も、奴隷的過重労働を強制する非人道的行為であると抗議した。
 日本文化とキリスト教アメリカ文化の衝突であり、お互いが如何に説明して理解を求めようとしても、解決は不可能であった。
 白人は、キリスト教的価値観こそが世界価値観であると確信していただけに、日本の文化と宗教に基づいた伝統的価値観を聞く耳持たずとして完全否定した。
 両者には、冷静に話し合って分かり合おうという意志は皆無であった。
 民族文化や民族宗教への思い入れは、大陸気質の開放的な中国人よりも島国気質の閉鎖的な日本人の方が強かった。
 アメリカ人は、中国人への嫌悪以上に日本人への敵意が強かった。
 ヘレン・ミアーズ「日本人は、あの島国で息の詰まるような生活を強いられていた。限られた空間、それほど豊かでない食生活、多湿な環境。日本での彼等は、いってみれば眠ったままの蕾であり、息を潜めてじっとしていた菌のようなものだった。彼等は故国のこうした息苦しい環境から解放されると、カリフォルニアの日の光と爽やかな空気の中で、驚く程の速さで活発に動き始めた」
 10月 袁世凱は、議員選挙で大総統に就任するや、新約法を発布して国民党を解散させ、国民党員の議員資格を剥奪した。そして、支配を強化する為に北洋軍の軍備増強を図った。
 10月2日 サンフランシスコ・イグザミナー紙は、添田寿一の『加州日本人問題』という報告書を掲載した。
 日本政府は、日本排斥問題の解決の為に、「日本人移民に対して祖国日本を捨てアメリカ国民となり、アメリカ国民として忠誠を誓い、アメリカ国民としてその責任と義務を果たすように」と訴えた。もし。不幸にして、「日本とアメリカが戦争になったら、日本を捨ててアメリカ国民として銃を取って勇敢に行動する様に」と。
 だが。排日派市民団体は、善良なアメリカ人をたぶらかそうとする日本側の悪辣な策謀であるとして警戒を強めた。
 アメリカの中間層は、日本側の発表を好意的に受け、日本人移民への恐怖心と敵対心を緩めた。
 排日法案の成立や排日運動に絶望して帰国する日本人移民が増加する度に、日本人移民は根を張って住み着かないであろうと高を括っていた。
 だが。徐々に、帰国せず定住する日本人移民が増え、生活を安定させ、結婚して子供を産み始めるや、何れは居なくなるであろうという淡い期待は裏切られた。
 出生地主義をとるアメリカでは、生まれたに二世は自動的にアメリカ市民権が与えられた。
 人種差別主義者にとって、アメリカ市民権を持った日系アメリカ人が増える事は、白人中心の団結を弱体化させ、有色人種で白人社会を崩壊させる元凶であると、世論に訴えた。



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