🎶06:07:─1─アメリカ軍は、対日戦略から日本陸軍の戦闘能力をシベリアの戦場で調査し、そして早期に撤退した。1916年~No.10No.11No.12No.11 @ 

尼港事件の背景を探る

尼港事件の背景を探る

  • 作者:佐藤 誠治
  • 発売日: 2011/01/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 セオドア・ルーズベルトは、優生学者マジソン・グラントの著書『最優秀種の後世への保存』(1916年出版)を絶賛した。
 アメリカは社会ダーウィニズムの信奉者が主流派で、「悪は悪、善は善、中間はない」(スチムソン日記)の二元論が判断基準であった。
 白人キリスト教徒が、人類の中で最も優秀である以上、世界を支配する資格があると信じられていた。
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 1916年 西原借款。日本は、二十一ヵ条の要求(第五条の7項目は撤回された)でこじれた両国関係を改善する為に、合計8件で総額1億4,500万円の借款を行った。
 西原亀三は、孫文ら南方派は四分五裂して中心となる指導者がいないとして、借款交渉をおこなう相手ではないとして無視した。
 二十一ヵ条の要求とは、国際法にもとずき、日清・日露両戦争で獲得し日本側の利権を再確認するものであった。
 当時。国際社会で、中国の正統政権として認知されていたのは段祺瑞の北京政府であった。
 孫文は、日本からの支援を得る為に、二十一ヵ条を認める中日盟約を密かに交わしていた。
 南方派は、北京政府を打倒する為に、日本の要求を受け入れた二十一ヵ条の要求や西原借款に猛反対した。そして、各地で日本に抗議する愛国運動を起こしていた。
 アメリカは、太平洋と大西洋の防衛力強化する為にダニエル海軍計画を作成した。戦艦10隻、巡洋艦6隻、駆逐艦及び潜水艦など120隻という、海軍大増強計画である。
 海洋国家の海防を任務とする日本海軍も、対抗して戦艦8隻、巡洋艦4隻の八四艦隊計画案を作成した。
 両国による建艦競争の始まりである。
 日本が、総力を挙げたとしてもアメリカの国力に叶うはずもなかった。
 さらに。資源が無く資金も少ない日本が太平洋を渡ってアメリカを侵略できるはずもない事は、誰が見ても明らかであった。
 アメリカに潜入していたドイツ軍情報部の工作員は、「日本はアメリカ太平洋沿岸に足掛かりを得て、アメリカを侵略しようとしている」というパンフレットを撒いた。
 ハリウッドの映画産業は、「黄禍」を題材にした反日的映画を製作して放映し、大ヒットさせて多額の収益を得た。
 反日運動を指導してきたハースト系新聞社も、日本がアメリカを侵略する映画を製作して大成功を収めた。
 アメリカ陸海軍は、地中海に於ける日本海軍の活躍と中国大陸に於ける日本陸軍の進撃から、日本はアメリカの安全保障上の脅威であると認識し、日本との戦争を想定した新たな戦略案の策定に入った。
 アメリカ海軍関係者の内で、日本脅威論で対日戦準備を訴えたのがフランクリン・デラノ・ルーズベルトであった。
 デラノ家は、中国とのアヘン密輸と苦力貿易で巨万の富を築いた関係から親中国派であった。
 その関係で、フランクリン・ルーズベルトは中国贔屓で日本を敵視していた。
 12月 アメリカは、サント・ドミンゴ海兵隊を派遣した。
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 1917年 鳥潟右一は、世界初の双方向無線通話に成功した。
 アリゾナ州は、帰化資格のない外国人の資産取得禁止法を制定した。帰化資格のない外国人とは、いうまでもなく日本人移民の事である。
 日本人移民への憎悪は、年々、全米に広がって行った。
 特に、低賃金労働者は日本人移民への敵意を剥き出しにした。
 だが、世界の超軍事大国・ロシア帝国を一国で撃退したという日本の軍事力から、黒人、ユダヤ人、中国人の様になリンチ殺人事件を起こさなかった。
 事実。アメリカはおろか世界中で、宗教的白人至上主義の人種差別で非白人非キリスト教徒はリンチを受け、暴行され、強姦され、そして虐殺されていた。
 日本人移民が諸州で人種差別的法案で迫害されようとも、日本が国家として正論に基ずく道理を通し、国力不相応の巨大な軍事力を維持していた事で、日本人移民の生命は守られていた。
 もし、国力なく軍事力を持たなければ、幾ら正論を持って道理を説いても見向きもされず、日本人移民は財産はおろ命まで奪われていた可能性がある。
 弱肉強食の非常な帝国主義時代において、日本は軍国主義政策で国民生活を犠牲にして軍事力を強化しなければ生き残れなかった。
 武器を持って抵抗し戦争しない国家や国民は、奴隷として自由を与えられず、人として生きる権利が認められない非情な時代であった。
 だが。現代社会は、軍国日本が生存の為に採用した軍国主義政策を非人道的犯罪と断罪している。
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 芳川顕正伯爵四女鎌は、運転手と心中未遂事件を起こし、後に別の運転手と駆け落ちして勘当された。
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 1月22日 ウィルソン大統領、戦争の即時停止を求める「勝利なき平和」を提唱した。
 ドイツ帝国は、アメリカに圧力をかける為に、内戦中のメキシコと同盟に引き込むべく工作を行っていた。
 2月3日 ツインメルマン電報事件。アメリカは、ドイツがメキシコに工作を行っているとの情報を得るや、ドイツとの国交を断交した。
 3月 ロシア革命。革命ロシアは、ドイツ帝国と単独講和を結び戦線を離脱する。ドイツ軍は、東部戦線の大兵力を西部戦線に配置転換して大攻勢の準備を行う。
 連合国は、シベリアに集積された膨大な軍需物資がドイツ軍に渡る事を恐れて、革命ロシアにドイツ帝国への輸送中止を求めた。話し合いの裏で、実力で阻止するべく、シベリア出兵を行う為に関係国間での調整を開始した。
 イギリスは、革命ロシアの隣国である日本にヨーロッパ戦線への派兵の代わりにシベリア出兵を強く要請した。
 アメリカは、ロシア人への親近感から出兵には躊躇していた。
 理想主義者ウィルソンは、ロシア帝国支配下にあったチェコスロバキア人が革命ロシアからの独立する為にチェコ軍を編成したのを機会に、「民族自決の理念」に従って出兵を決定した。
 外交交渉とは、あらゆる情況に臨機応変に対処できるように、平和的な話し合いから最悪の戦争までを想定して行われる。つまり、国際交渉において戦いを覚悟しない話し合いは無意味でり、軍事力のない交渉は譲歩して権利を失う事である。 
 4月6日 ウィルソン大統領は、アメリカ国民の賛成多数を得て、正義の戦いを掲げてドイツ帝国に対して宣戦布告した。
 ラテン・アメリカ諸国の参戦が相次いだ。
 ウィルソン大統領は、ドイツ帝国に対して、専制君主制の帝政を止め、自由と民主主義に基ずく憲法を採用して共和国になる様に勧告した。
 6月23日 日本は、満州における特殊権益が正式に認められた。
 日本海軍は、連合軍の一員として、第2特務艦隊を地中海に派遣した。
 欧州列強のユダヤ系国際資本は、日本が対中貿易に参入してきた事で中国市場の独占が奪われるとの危機感を抱き、中国人秘密結社を利用して反日運動を煽った。
 11月 ロシア10月革命。
 11月2日 石井・ランシング協定。ウィルソン大統領は、「無効」と強弁した。
 アメリカは、日本の対華二一ヶ条の要求に反対していたが、日本陸軍と右翼によるフィリピン独立派への支援を断ち切る為に日本との妥協を図った。
 日米両国は、中国における領土保全・門戸開放・機会均等の諸原則を侵害しない事で合意した。
 日本は、フィリピンにおけるアメリカの権益を承認する見返りとして、南満州と東部蒙古における特殊権益を認めさせた。
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 1917年 日本は、同盟国イギリスからの要請で護衛艦隊を地中海に派遣し、英仏など連合軍の軍輸送船のべ788隻、兵士約70万人を護送した。
 6月 駆逐艦榊(さかき)が、地中海で魚雷を受けて59人が戦死した。
 1919年4月 日本海護衛艦隊は、任務を終え帰国するにあたり、59人の戦死者と12人の戦病死者をマルタ島に葬った。
 当初。連合軍関係者は、日本海軍が日本海海戦で快勝したとは言えその目で見ていなかった為にその能力には懐疑的であり、非白人蔑視の人種差別からお荷物に過ぎないとして評価は低かった。
 だが。日本軍人の命知らずの活躍で評価は変わった。
 マルタのバレッタで開かれた日本海軍帰任式典には、大勢の市民が駆けつけて感謝の賛辞を送り見送った。
 ジョバンニ・バネッロ「護衛艦隊の兵士は尊敬された。日本人への敬意は今も受け継がれている」
 イギリス海軍墓地の中にある「大日本帝国第二特務艦対戦死者之墓」は、歴史的記念碑として地元島民の手で大事に守られ、日本人観光客はもとより歴史を知る欧米人達も訪れている。
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 1918年 白虹事件。
 アメリカ議会は、欧州戦線へのアメリカ軍派兵にあたり、市民権の取得が認められていない日本人移民を兵士にするべく、義勇兵として戦った者には自動的に市民権を与える法律を可決した。
 日本人移民は、市民権が得られると期待して志願して戦場に赴いた。
 アメリカ人も、一所に戦ってくれる日本人志願兵を戦友として受け入れた為に、日本人移民排斥運動は下火となった。
 反日感情が消えたわけではなく、下火となって燻り続けていた。
 後年。アメリ最高裁は、帰国した日本人義勇兵に対して、帰化不能者である日本人移民者は市民権獲得該当者ではないとの裁定を下した。たとえ、名誉の負傷をしたり、戦闘によって名誉な勲章を授与されても、法案の該当者ではないと切り捨てた。
 日本人復員兵は、不服を申し立てて、1935年に市民権を獲得した。
 人種差別主義社は、最高裁の判定を覆した日本人への横暴に激怒し、アメリカの名誉を守る為に日本人移民排斥運動を再開した。
 1月8日 ウィルソン大統領は、14箇条宣言を行う。
 目的は。反植民地主義から、イギリスやフランスが国外で持っている全ての権益を剥奪する事であった。
 中国・朝鮮などでナショナリズム運動が盛り上がり、反植民地暴動が頻発した。
 アメリカは、中南米でのナショナリズム運動を弾圧し、親米政権樹立を後押しした。
 ウィルソン大統領の独りよがり的理想主義外交で、国際外交は大混乱し、秩序ある落ち着きは不安定となり、民族自決を求めるナショナリズム紛争が到る所で起きた。
 アメリカの軍需産業は、各地のナショナリスト勢力に独立闘争に必要な武器弾薬を供給した。
 5月1日 周恩来は、日本に留学していた。
 「朝、読書。昼飯の後、半時間昼寝。夜、九段一帯をぶらぶらしていると、ちょうど靖国神社の大祭(春季例大祭)に出合い、それを見て深く感動した(看了深受感動)」
 6月 日本軍部の第一回改定帝国国防方針。仮想敵国は、第一位に中国、次ぎにロシア帝国アメリカと続いた。そして、今次の大戦に鑑み、主戦場を中国大陸とする総力戦が考慮された。
 天然資源のない日本は、戦略物資の供給を日英同盟に頼っていた為に、イギリスの権益の多い南進策を避け、中国やロシア帝国に備える北進策を採用していた。
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 7月 米騒動
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 8月3日 シベリア出兵。日本は、日本・満州・朝鮮に共産主義が拡大する事を阻止する為に、同盟国イギリスの要請とアメリカの派兵決定を受けて同時出兵に同意した。
 日米覚書。原敬首相は、対米協調路線から、気まぐれに方針を変更するウィルソン大統領に手こずりながらも、辛抱強く要求に従った。
 そして。シベリア戦線で取り残された日本は、国際社会から好戦的侵略国と非難された。
 日本軍正規銃である三八式歩兵銃の優秀さは、シベリア戦線において証明され、友好関係にあったタイやフィンランドなどに輸出された。
 国際社会から、力の空白地となったシベリアを領有する野心からの出兵と邪推される事を警戒した。
 アメリカは、グラスノシチェホフ首相を首班とするシベリア極東共和国を支持し、日本が支持するセミニョノフ政権を否定して崩壊させた。
 8月14日 日本は、アメリカの発起に従い中国の第一次世界大戦参戦を認め、中国の戦費を負担する参戦借款を行った。中国は、財政難にあった為に、日本の援助で連合国に味方して参戦した。
 9月24日 日本は、二十一ヵ条の要求以来の山東省問題を解決する為に、約4,000万円の鉄道借款を行う事で、中国側と交換公文書を交わした。
 日本側は、多額の融資をする事で、中国と間で問題となっていた諸懸案を全て処理した。
 孫文は、広東で最初の軍政府を樹立した。だが、地元の軍閥と反目して大元帥を解任された。
 11月 ドイツ帝国は敗北し、ウィルヘルム2世は退位してオランダに亡命した。
 コンピエーニュで第一次世界大戦休戦協定。
 敗戦国ドイツは、ウクライナからの食糧輸入が途絶えた為に、国民は飢えて社会は混乱した。
 国家にとって、最も重要な責務は食糧を確保して、国民を飢えさせない事であった。
 飢えた国民は、左右に関係なく食糧を供給してくれる政党勢力を求めていた。
 マルクス主義者は、国民の不満を利用して暴力的社会主義革命を起こしていた。
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 アメリカ軍は、シベリアに軍隊を派遣したが、その主任務は、ロシア軍を破った日本陸軍の実力を戦場で調査、分析する事であった。
 アメリカ軍兵士は、人種的偏見からに、敵軍の赤軍兵士ではなく友軍の日本軍兵士を嫌っていた。
 アメリカ人の中には、人民革命としての共産主義に同調する者が多く、ロシア皇帝同様に日本天皇を人民を搾取する専制君主として憎んでいた。
 日本軍は、全ての戦場で、アメリカ軍の前で戦わされた。
 GE(ゼネラル・エレクトリック社)などアメリカ企業は、シベリアにある膨大な鉱山資源の開発権を得る為に、ソ連指導部に賄賂を送っていた。
 ワシントンは分裂し、国務省FBIロシア革命政権を否定していたが、商務省と企業は対ソ貿易の促進させる為にソ連指導部と裏工作を行っていた。
 国際社会とは、そうしたモノである。



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学校で習わない日本の近代史 なぜ戦争は起こるのか

学校で習わない日本の近代史 なぜ戦争は起こるのか

  • 作者:横内 則之
  • 発売日: 2010/08/01
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