- 作者:栗山 正博
- 発売日: 2007/08/17
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本は、難民受け入れ国であったが、その難民が原因で戦争を強いられて、数百万人が戦争で惨殺された。
日本の善意は、世界から拒否され、そして裏切られた。
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アメリカやイイギリで生活するユダヤ人達は、ヒトラーと同盟を結ぼうとする軍国日本と昭和天皇を敵と断定し、軍国日本を滅ぼし昭和天皇に厳罰を加えるべく活動を本格させた。
ユダヤ人は、反天皇反日で、昭和天皇と軍国日本と敵対する者は味方として支援し、それこそ悪魔とでも手を組む程の憎悪を見せた。
昭和天皇は、戦争を避ける為に親ユダヤ派として、ユダヤ人難民をヒトラーの魔も手から助けようとした。
A級戦犯達も、ユダヤ人難民をナチス・ドイツの弾圧から助けるべく行動を起こしていた。
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昭和天皇は、ユダヤ人難民の救済を希望していた。
日本の政府と軍部は、合法的にユダヤ人難民を救済していた。
日本は、奉仕の精神・自己犠牲の精神で、ポーランド系ユダヤ人難民達を無償で助けた。
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日本陸軍内のポーランド派は、ドイツ派よりも潜在的影響力があった。
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アメリカ・イギリス・ソ連など諸外国は、反ユダヤ主義から、ユダヤ人難民の救済を拒否し、ユダヤ人難民の入国を拒否していた。
アメリカとイギリスは、日本を経由して逃げてくるユダヤ人難民を遮断する為に、対日強硬政策を強めていった。
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イスラエルは、反日の国民世論に従い、昭和天皇の大喪の礼に弔問使の派遣を拒否した。
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ユダヤ人社会では、親日・知日は少数派で、反日・嫌日は多数派である。
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中国共産党は、ユダヤ人難民救済に一切関係していない。
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夏 日独伊三国同盟交渉が始まった。
7月 陸軍や親ドイツ派政治家達は、院外団や右翼団体に金を渡して慎重派や反対派への抗議行動を続けさせていた。
海軍大臣・米内光政、海軍次官・山本五十六、海軍省軍務局長・井上成美は、三国同盟に猛反対していた。
東京・芝浦で、ダイナマイトを持っていた労働者が逮捕された。逮捕された労働者は右翼で、三国同盟に反対する親英米派の要人暗殺を自供した。
井上軍務局長は、右翼のテロから海軍省を防備するべく、横須賀鎮守府に対して陸戦隊一個小隊の派遣を命じた。
海軍部内でも、親独派が三国同盟締結に動き、海軍首脳に対する不満を募らせていた。
7月5日 板垣征四郎陸相は、8月に実施する石原完爾少将と山下奉文中将を含んだ人事異動案を内奏した。
昭和天皇は、平和を求め戦争には反対であっただけに、満州事変を起こし拡大させた張本人の石原完爾少将の名がある事に不快感を著して直ぐには裁可しなかった。
板垣征四郎(A級戦犯)に対しても快く思っていなかったが、東條英機同様にユダヤ人難民保護に取り組んだ事で幾分か不快感を和らげていた。
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7月26日 アメリカの「対日準宣戦布告」。
日米戦争への避けられない道がここから始まった。
宣戦布告なき日米戦争の序章である。
アメリカ政府は、天津英国租界問題で日本に制裁を加えるべく日米通商航海条約の破棄を通告した。
日本国内では、反米世論が一気に高まった。
アメリカ国内は、無反応で、反対の声は上がらなかった。
セイヤー国務次官補は日本大使館の須磨参事官を呼び出し、中国での侵略行為を続ける日本軍への経済制裁として、日米修好通商条約を6ヶ月後に廃棄すると一方的に通告した。
「最近数年来、アメリカ政府はアメリカと他国間に締結された有効なる通商航海条約に関し、右の条約の締結された目的をよりよく達成するためにはどのような変更が必要であるかを決定すべく検討を加えつつあった。以上の検討中にアメリカ政府は1911年2月21日ワシントンで調印された日米通商航海条約が新たなる考慮を必要とする条項を含んでいるとの結論に達した。このような新たな考慮に対し途を開きかつ新たな事態の発生に即応しアメリカの権益を擁護し促進せしめるため、アメリカ政府は該条約第17条の規定に従い、ここに本条約の期限終結を希望する旨通告がなされたしかし、かかる通告がなされた以上条約及び付属議定書ともに本日より6ヶ月以後に満期となるものと期待する」
日本は、重要な物資の供給をアメリカに依存していただけに、経済に与える影響は致命的であった。
アメリカ・ウォール街の金融家達は、アジア地域で勢力を拡大する軍国日本を粉砕する為に、ファシスト中国や中国共産党そしてソ連を抗日戦線としてまとめて動かそうとしていた。
軍国日本を巡る戦争を欲したのは、アメリカのユダヤ系国際金融資本と軍産複合体であった。
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7月28日 イギリスのマンチェスター・ガーディアン紙「日米通商条約廃棄の如きは米国史上未だその例を見ざる事であり、従ってその意味も重大かつ明確である」
イギリスは、アメリカほど表だっての行動を取らなかったが、伝統的勢力均衡戦略からアメリカを含む反日連合の形成を促していた。
イギリスの最大の関心事は、アジア地域の植民地支配と利権の維持であって、日本との友好関係ではなかった。
ユダヤ系国際金融資本は、軍国日本の敵であった。
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8月3日 軍部は、ユダヤ系国際資本の協力を得る為に、逃げ出してくる全てのユダヤ人難民を保護するべく、海軍案を基にしたユダヤ人難民応急対策案を決定した。
昭和天皇は、ユダヤ人難民の保護を希望していた。
8月19日 駐ソドイツ大使フリードリヒ・ヴェルナー・フォン・シューレンブルクは、クレムリンでモロトフ首相兼外相と独ソ協定の為に交渉を行ってきたが物別れに終わった為に、帰国する事にした。
モロトフは、帰国間際のシューレンブルク大使をクレムリンに呼び、「上からの指示」として独ソ不可侵条約の締結に合意する事を伝えた。
受け容れ難い条件を提示して恫喝的に威圧感を与えて条約・協定交渉を決裂寸前まで追い込み、突然、掌を返した様に「上司からの指示」で譲歩して相手に安堵感を与えて締結し、柔やかに相手に歩み寄って信頼感を勝ち取る。
ソ連や中国共産党が常套手段として行う、狡猾な陰謀的交渉術である。
8月20日 ノモンハン事件。当初。日本軍部と関東軍は、日中戦争の最中であった為に、強硬的発言とは裏腹に局地的国境紛争で終結させる方針をとっていた。
だが。日本軍と満州政府内のソ連スパイの日本人協力者は、ソ連軍圧勝による日本軍撃退と満州人民解放を信じて戦闘を拡大させるべく暗躍した。
日本軍は、ソ連軍の侵入を阻止して善戦したにもかかわず惨敗を認め、劣勢で戦った前戦指揮官達に責任を押し付けて自決を強要した。
だが。不思議な事に、第23師団長小松原道太郎中将には厳しい処分が降されなかった。
ソ連は、ゾルゲ・尾崎ルートを使って軍国日本を日米英戦争に追い込むべく、日本政府や軍部に南進論を焚き付けた。
同時に、アメリカ国内のスパイを使って反日世論を煽り、ホワイトハウスに対日制裁の強化を取る様に誘導した。
反日派のルーズベルトは、国民の絶大な支持を受けて日本を追い込むよな対日強硬政策を実行し、日本軍と戦うファシスト中国へのヒト・モノ・カネの軍事支援を積極的に行う様に軍に命じた。
8月23日 独ソ不可侵条約締結。ポーランド分割の密約。
モロトフ首相兼外相とナチス・ドイツのヨアヒム・フォン・リッベントロップ外相は、ポーランド分割とバルト三国の支配権という秘密議定書を交わして独ソ不可侵条約を締結した。
スターリンは、イギリスと・フランスが直ちに対独宣戦布告する事を知った上で、ヒトラーに対してポーランド侵略を容認した。
敗戦革命戦略に基づき、ナチス・ドイツとイギリス・フランス連合軍の戦争でヨーロッパが荒廃した後に、共産主義革命を起こすと計画していた。
平沼騏一郎首相は、「欧州情勢は複雑怪奇なり」として三国同盟交渉を打ち切った。
ルーズベルトは、独ソ不可侵条約が締結されや、ナチス・ドイツとの戦争は避けられないと覚悟した。
アメリカ国民や議会は、第一世界大戦の記憶から厭戦気運が強く欧州戦争への参戦には猛反対していた。
ルーズベルトは、国民世論としての孤立主義と反戦論を覆し、アメリカを戦争する為の布石を打ち始めた。
それは、個人の願望を叶える為の陰謀ではなく、国益追究という大統領の政治決断による国家戦略であった。
つまり、「ルーズベルトの陰謀」は存在しない。
アメリカ・イギリス連合国の戦略目的は、ナチス・ドイツを戦争で屈服させる事であって、日本との戦争は二次的な付け足しに過ぎなかった。
アメリカ軍首脳部は、ドイツ軍を粉砕する為に全兵力をヨーロッパ戦線に投入する戦略をたて、軍国日本との戦争を避ける事を望んだ。
スターリンは、中国共産党に対して、勝てない日本軍と戦うのではなく、日本軍の攻勢で弱体化したファシスト中国への闘争を強化する様に命じた。
毛沢東は、コミンテルンの方針転換を受け入れて、独ソ不可侵条約を全面的に支持した。
蒋介石は、ヒトラーの裏切りに続いてスターリンの変身に戸惑い、対日制裁を強化しつつあるルーズベルトに接近した。
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ヒトラーは、英仏に対抗する為に、同盟を渋る軍国日本に見切りを付けてスターリンと独ソ不可侵条約を結んだ。
軍部は、対ドイツ提携・対ソ戦略の根本的な見直し作業に取りかかり、有効な防共はソ連との協調であるとしてソ連との同盟を望み始めた。
陸軍は、ソ連を現実的仮想敵国とする根本戦略を大転換した。
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8月24日 海軍省調査課長高木惣吉大佐は、日本の対外政策を検討する叩き台にする為に「対外諸政策の利害得失」という文書を作成した。
「東亜新秩序の建設育成」に為には、日中戦争を早期解決させる事と同時に幾つもの戦争を起こさない事が肝要としている。
その対外方針における選択肢として三っを提示した。
1,何処とも提携しない孤立独住政策。
2,イギリス、アメリカ、フランスとの連合政策。
3,ソ連、ドイツ、イタリアとの連合政策。
日本海軍は、アメリカを仮想敵国とする立場からソ連との提携を望んでいた。
海軍首脳部には、親ソ派が多く存在していた。
8月25日 イギリスとフランスは、ポーランドと相互援助条約を結んでナチス・ドイツに圧力を掛けた。
ポーランド軍は、対ソ対独戦略から日本陸軍との協力関係を望んだ。
日本陸軍内のポーランド派は、ドイツ派を抑えて宿敵ソ連を東西で牽制する為にポーランド陸軍との関係を結んだ。
両国の陸軍は、信頼関係のもとで情報を共有した。
8月27日 関東軍は、ノモンハン方面の守備隊がソ連軍の猛攻で甚大なる被害を被りながらも何とか進撃を食い止めているものの、何時まで防ぎきれる分からない状況の為に速やかにソ連との停戦交渉と友好協定を求めた。
植田謙吉(関東軍司令官)は、「ノモンハン方面のソ軍に対し徹底的打撃を与えつつ、他面ドイツ、イタリアを利用してソ連より休戦を提議せしむると共に、速やかに日ソ不可侵条約を締結し、更に進みて日独伊ソの対英同盟を結成し、東洋における英国勢力を根本的に芟除(さんじょ)」すべきである述べた。
8月28日 平沼騏一郎内閣総辞職。
8月29日 ナチス・ドイツは、ポーランドに最後通牒を突き付けた。
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ポーランドの都市ダンチッヒは、旧ドイツ帝国の領土であったがヴェルサイユ条約でポーランドに割譲された。
住民の圧倒的多数がドイツ人で、ポーランド人はほんの少数であった。
ドイツ住民は、祖国ドイツへの復帰を希望していた。
ヒトラーは、ダンチッヒの民意として返還を要求した。
ポーランドは、バルト海への道として確保する為に拒否した。
歴史的常識ある政治家は、ウィルソン大統領は作った歪なヴェルサイユ体制への反省から、地元のドイツ人住民の総意を尊重し、ヨーロッパの平和を維持する為にヒトラーの要求で叶えられる限りの領地を返還する事に同意していた。
だが、チャーチルなど対独戦派は、チェンバレン首相の宥和策による「ミュンヘンの譲歩」外交の失敗であったと激しく批判した。
もし、ポーランドがダンチッヒをナチス・ドイツに返還したら、第二次世界大戦は起きなかったかも知れないし、共産主義が世界中に蔓延して人類に地獄をもたらす事もなかったかも知れない。
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