🎺13:─4─ハル・ノートは、東條英機が戦争回避の為に決断した満州以外からの撤兵譲歩案を拒絶した。1941年11月26日~No.78No.79No.80 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アメリカは、すべての外交暗号を解読し、交渉期限が11月末まで交渉決裂は戦争につながる可能性が非常に高いという事を理解していた。交渉が打ち切られた場合、12月初めには日本が先制攻撃を開始する事を予想した。
 アメリカ軍諜報機関は、ワシントンの日本大使館から東京の陸軍省への武官暗号電報を傍受し解読していた。
 イギリスは、日本の暗号電報膨張をしていた。
 バチカンは、日本や中国・朝鮮のキリスト教会を通じて詳しい情報を得ていた。
 ユダヤ系国際金融資本は、金を武器としてあらゆる情報を入手していた。  
 日本の国家的機密情報の大半が、筒抜けであった。
 情報が筒抜けであった事を知らなかったのは、日本の指導部、政治家や外交官や軍人達であった。
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 11月25日 「ハル・ノート
 アメリカは、中国在住の日本人居留民50万人以上を無防備なままで狂暴な中国人犯罪者や朝鮮人テロリストの中に見捨て、そして、仏印等での食糧確保を断念して、両地域から無条件全面撤兵するという『ハル・ノート』を野村大使と来栖臨時大使に突き付けた。
 日本が『ハル・ノート』を受け入れたとしても、アメリカは食糧購入禁止等の経済制裁を解除する気はなかった。アメリカの望みは、戦争であった。
 アメリカは、「日本の自衛権」を否定していた。ワシントンは、アジアの全アメリカ軍に対して日本軍の奇襲攻撃に備える様にを命じた。アメリカ軍は、早い段階からマニュアルに従って対日開戦準備を行っていた。対して、日本軍は泥縄式的に準備を行っていた。
 ウィリアム・ヘイター「アメリカ政府は(日本が拒否する事を)承知していたはずだ。私がこの文書(ハル・ノート)の存在を教えられた時、国務省は、これを極東問題の理想的解決、ユートピアとして扱っていた」
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 「ハル・ノート」を作成したのは、ソ連のスパイであるハリー・デクスター・ホワイト財務次官(ユダヤ人)であった。スターリンユダヤ人)は、日本を含む全アジアを共産主義化する為に、日本とアメリカを戦争させる様に指示を与えていた。共産主義者は、共産主義大義で戦争を起こし拡大させるべく暗躍していた。ソ連共産主義陣営の指導者の多くは、国際主義者ユダヤ人であった。
 日本を戦争に追い込んだのは、まぎれもなく国際的ユダヤ人金融資本家とユダヤ人経営の巨大軍需産業であった。
 日本には、侵略して戦死するか、座視して餓死するか、土下座して奴隷になるかの、三つの選択肢しか残されていなかった。
 軍国日本は、「戦うも亡国なら、戦わないのも亡国」として「戦わずして亡国は、真の亡国。奴隷への道」と拒否した。敗れたとしても、「戦って亡国」になれば子孫に名誉と勇気を残せると覚悟した。当時の指導者は、口では必勝を叫んでいても、本心から勝てると信じていた者は一人もいなかった。その覚悟ができる者のみが、真のサムライである。それは、理屈では説明できない事であった。
 チャーチル「我々はその瞬間まで、10項目について知らなかった。この文書は我々が要求していたものを、はるかに大きく上回ったものだった。日本大使が呆れ返ったというのは、その通りだったに違いない」
 ハル国務長官は、スチムソン陸軍長官に「これで、私の方は片付いた。後の仕事は、君とノックスの手の中にある。陸軍と海軍のね」と語った。
 アメリカは、ハル・ノート最後通牒と認識していた。
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 マニラのイギリス諜報部は、ワシントンに、「12月1日に日本軍がクラ地峡を攻撃する可能性あり」との極秘電報を打った。
 ルーズベルトとスターク海軍作戦部長は、日本軍の進撃という極秘情報をスチムソン陸軍長官やノックス海軍長官らに伝えなかった。
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 キッシンジャールーズベルトは、日本がハル・ノートを受諾する可能性はないと知っていたにちがいない。アメリカの参戦は、ルーズベルトという偉大で勇気のある指導者の並々ならぬ外交努力なしでは達成できない偉大な成果だった。彼は、孤立主義的なアメリカ国民を大規模な戦争に導いた。もし日本がアメリカを攻撃せず、東南アジアだけにその攻撃を集中していたならば、アメリカ国民を、何とか戦争に導かなければならないといルーズベルトの仕事は、もっと複雑困難になっていたであろうが、結局は彼が必要と考えた戦争を実現したのである」
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 11月26日 日本海軍の機動部隊は、真珠湾攻撃の為に択捉島単冠湾を出撃し、ハワイに向かった。
 世界初の、航空部隊を主力とした機動艦隊であった。
 ワシントンは、北太平洋を航行している自国と連合国の船舶に対し、悪天候を理由にして引き上げを命じ、今後は南太平洋航路を使いオーストラリアとニューギニアの間のトレス海峡を通る様に指定した。
 南下する全ての日本艦隊の進路上から、一瞬にして敵の船舶が全て消えた。
 スチムソン陸軍長官は、ルーズベルトに、上海から仏印に日本軍の遠征軍派遣が開始した事を報告した。
 ルーズベルトは、内心、日本軍が予想通りに行動を起こした事を喜んだ。
 スターク海軍作戦部長は、ハワイのキンメル太平洋艦隊司令長官に対して、ハワイ近海で予定されていたエンタープライズレキシントンの両空母の模擬演習を中止して、ミッドウェー島とウェーク島への陸軍の戦闘機を運ぶ様に命じた。
 キンメル提督らは、、突然の命令に困惑したが、日本軍の攻撃を想定した模擬演習を中止して空母部隊に輸送命令を伝えた。
 太平洋艦隊の3隻の空母の内1隻であるヨークタウンは、西海岸のサンディエゴ基地にいた。
 ハル・ノートが手交された後は、真珠湾への通信は全て参謀総長マーシャルの決済が必要となり、日本軍の情報が遅れたり或いは送られなかったりとの支障が出始めた。
 キンメル提督やショート将軍以外の、マッカーサーや他の司令官には正しい情報が送られていた。
 ハル国務長官は、スチムソン陸軍長官に、日米和平交渉は終了して後は戦争しかないと話した。
 「ジャップには、覚書を送ってやったよ。私はもう一件から手を洗った。あとは、君とノックス──陸軍と海軍の問題だ」
 国務省は、日本政府に対して、平和的解決を求めるとして基本原則に基づいた覚書を手渡した事を発表した。世に言うところの「ハル・ノート」は、極秘文書として公表されなかった。
 野村大使も来栖特使も、この覚書を読んでアメリカ側の最後通告と認識し、「日本の提案に対するこの回答は交渉の終結も同然と受け止められる」と語った。
 ハル国務長官は、国務省幹部に、対日交渉は終了して後は戦争しかなく、後の事は安全保障の問題として陸海軍の手にゆだねられたと発言した。そして、何時日本軍が奇襲攻撃をしてきてもよい様に防衛戦略を練る様に語った。
 シビリアン・コントロール下にある軍当局は、ただちに国外の駐屯部隊に戦争警戒を発した。
 但し、部隊を指揮して戦う制服組は依然として二正面作戦には反対であった。
 AP通信は、ワシントンからの情報として、日米交渉は土壇場に追い込まれ、日本側が、アメリカの諸原則を受け入れて侵略を中止して平和を回復するか、前進運動を再開してその報いを受けるであろうと結んだ。
 確かな筋からの情報として、「合衆国は今晩、政策に関する率直な声明書を日本に手渡した。……爆発寸前の極東問題に関して両国が合意する可能性に事実上、完全に終止符が打たものだった」と報じた。
 UP通信「合衆国は、政策に関する率直な声明書を日本に手渡した。情報筋が語るところによると、それは爆発寸前の極東問題に関して両国が合意する可能性に事実上、完全に終止符を打つものだった。合衆国政府は何らか譲歩をする代償として、日本が将来の侵略計画を放棄する事、中国とフランス領インドシナから撤兵する事、中国で『門戸開放』政策を復活させる事、日本がいわゆる〔大東亜〕共栄圏を実現する手段として武力にかえて平和的交渉を用いる事を求めると伝えている」
 アメリカは、何時の時代でも、如何なる地域でも、相手国の国内事情を完全無視し、自国優位の独占ルールを、巨大な武力や莫大な経済力を背景として小国に強引に押し付けていた。
 アメリカは、自国の利益を追求するという国益から、相手国の利益・国益を考慮せず強引に完全粉砕していた。つまり、弱肉強食の国際市場原理から相手国への配慮はまったくなかった。
 日本は、古代から宗教・伝統・文化・風土で培ってきた日本独自のルールを守りつつも、国際協調で受け入れる範囲で適応するべく努力してきた。だが、日本(国家・民族)そのものを根底から破壊しようとするアメリカの無制限要求「ハル・ノート」を、小国とは言え主体性を持って戦争を覚悟で完全拒否する事を決断した。
 追い詰められた日本には、国家として国民を守る為に戦争を起こす以外に生き残る術はなかった。
 こうして、日本は永遠に消える事のない極悪・凶悪な「戦争犯罪国」との烙印を押された。
 海軍情報部は、ルーズベルトに対して、「日本軍がアメリカ及びイギリスに対して戦争を仕掛ける為の準備を始めているらしい」という極秘電文を傍受したと報告した。
 この国家機密情報は、スチムソン陸軍長官やマーシャル陸軍参謀総長らも報告されたが、真珠湾には伝えられなかった。但し、日本軍の爆撃が予想されるパナマ運河守備部隊には伝えられた。
 真珠湾の太平洋艦隊司令部もハワイ方面陸軍司令部にも、如何なる情報も伝達さず、早い時期から日本海軍の奇襲攻撃を受けるまで蚊帳の外に置かれていた。
 ハル・ノートは、日本側の最終打開案(乙案)に対する正式な拒否回答であり、交渉の為の新たな原則である。
 アメリカは、日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ、およびアメリカ合衆国と包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものである。
 作成者のホワイト財務次官(ソ連のスパイ)は、日露戦争の成果を否定する内容になっている為に日本政府が最後通牒と見なすだろうと予測して、ハル・ノートの前段に「極秘、試案にして拘束力なし」との文言を記述する事で、ハル・ノートは試案である事を明記し、わざと交渉継続の可能性がある様に臭わせた。
「1)アメリカと日本は、英中日蘭ソ泰米間の包括的な不可侵条約を提案する。
 2)仏印の領土主権尊重及び経済協定を締結する。
 3)日本は中国及び仏印から一切の陸海空兵力、及び警察力を撤収する。
 4)日米両国は、アメリカの支援する重慶国民党政府以外の如何なる政府も認めない。
 日本が、成立させ支援している汪兆銘の南京政権を否認する。
 5)イギリスなどの諸国が1901年の北京議定書で得た中国に対する治外法権を放棄する様に、両国が共同で努力する。当然両国は、率先して権益を放棄する。
 日露戦争後。日本の戦争は、全て自衛ではなく侵略であるとし、戦勝国として正当な権利で獲得した中国権益を完全否定した。
 アメリカは中国・満州不可分論の原則から、満州を含む全中国大陸からの完全撤兵を要求し、領土の3分の1を放棄させ様としていると解釈した。
 6)通商条約再締結の為に交渉を開始する。
 7)アメリカは日本の資産凍結を解除し、日本はアメリカ資産の凍結解除を行う。
 8)円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立させる。
 9)第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄。
  日本側は、日独伊三国同盟の廃棄要求と捉えた。
 10)両国は、本協定に合意し実現に向けいて邁進する。」
 アメリカ側は、貿易条約再締結の交渉を始める条件としたが、必ずしも開始するとは確約していなかった。
 野村・来栖両大使は、ハル・ノートを受け取り熟読するや、最後通牒的内容に愕然として日米交渉継続は不可能と判断した。
 ハル国務長官は、難色を示す両大使対してアメリカ側の意図説明をせず、質問を一切拒否し、日本側を突き放す様に投げやりな頑なな態度をとった。
 両大使は、ルーズベルトとも会見したが、にこやかな態度を示すもハル・ノートを再考する余地はまったくない様に思われた。
 ハル・ノートの提示は、陸海軍の長官にも知らされずに行われた。
 ルーズベルトとハルは、これによって日米交渉は決裂して、後は戦争しか残されていないであろうと理解していた。
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 アメリカは、満州国を自主独立国と承認せず、中国の一部と見なしていた。
 よって、中国からの全面撤兵は満州も含むのが常識である。
 アメリカは、日本が激怒して拒否する事が分かっていた。
 ハル・ノートは、明らかに最後通牒であり、宣戦布告であった。
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 後年。ハミルトン・フィッシュは、ハル・ノートは対日最後通牒であると証言した。
 「日本人は、あの戦争を最後まで勇敢に戦った。わが国と日本の間に二度と戦いがあってはならない。両国は、偉大な素晴らしい国家として、自由を守り抜き、お互いの独立と主権を尊重し、未来に向かって歩んで行かねばならない。日本が攻撃されるような事があれば、わが国は日本を防衛する。それがわが国のコミットメントである。その事を世界は肝に銘じておかねばならない」
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 覚書第二部『合衆国及び日本国間協定の基礎概略』「日本政府は中国とインドシナから、全ての陸・海・空軍及び警察部隊を撤退させるものとする。合衆国政府及び日本政府は重慶を暫定的に首都とする中国国民政府以外の、如何なる中国内の政府や体制をも─軍事的、政治的、経済的に─支援しないものとする」
 ハル・ノートは、中国に生活する日本人居留民約50万6,000人の生命財産の安全を保証せず、日本軍の全面撤退を要求している。
 日本軍は、日本人居留民の安全を最優先として撤退を渋っていた。
 軍部が、もっとも懸念したのは、通州事件などの日本人居留民虐殺事件の再発と拡大であった。
 日本が侵略戦争の理由としたのは、抗日派中国人の虐殺から日本人居留民を保護するという自衛行為であった。
 日本軍が中国から全面撤退した後、誰が、日本人居留民を保護してくれるかであった。
 中国共産党は、日米全面戦争を起こさせる為に、資本家指導の国民党政府に不満を抱く中国人を煽って日本人居留民虐殺事件を多発させていた。
 蒋介石は、中国人の不満が自分に向けられるのを恐れて、日本人居留民の安全を保証しないし、保護活動を行うはずがなかった。
 反日朝鮮人も、日本からの独立を勝ち取る為に、日本人へのテロ行為を繰り返していた。
 結果として。武器を持たず無防備な気弱な日本人居留民は、猟奇的虐殺を平然と行う凶暴な中国人暴徒の中に見捨てられることになる。
 日本の軍国主義者は、民族中心主義に走り、合理的思考を停止させ、情緒的に軍事行動に暴走した。
 好戦的冒険主義者は、国家が戦火に巻き込まれて数百万人が焼き殺されようとも、中国にいる約50万6,000人の日本人居留民を守ろうとした。
 日本の悲劇は、短絡的に、少数の為に多数を犠牲にするという行動で起きた。
 日本政府は、国家の責任を放棄して、国外で生活する日本人同胞を見捨てれば戦争は起きなかった。
 民族主義として仲間の「絆」意識の強い日本人は、アメリカの排日移民法などの差別に激怒し、差別で不利益を被る日本人に同情し救いの手をさしのべようとした。
 世界は合理的に自己責任を鉄則として、日本の様な情緒的な行為は一切しない。
 日本の常識は、世界では通用しない。
 その事を突きつけたのが、ハル・ノートである。
 軍国日本は、日本民族を民草として慈しみ安寧を祈る天皇の御稜威・大御心から、ハル・ノートを拒否した。
 そして、未来永劫許される事のなき戦争犯罪国家の烙印を押された。
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 吉田茂は、アメリカとの戦争を避ける為に、ハル・ノートの末尾に「以上は試案であって、拘束力は持たない」との文面から、「これは最後通告ではない。交渉の余地がある」と主張した。
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 日本の政府と軍部は、全員一致で開戦を決定した。
 東郷茂徳アメリカは東亜の現実を見ない。しかも自らは容易に実行しない諸原則を日本に強要する。我が国の譲歩にもかかわず、その主張を一歩も譲らない。ハル提案は到底受け入れられない。これをアメリカが撤回しない限り、交渉を継続しても、我が国の主張を通す事は不可能だ」
 軍国日本人は、昭和天皇の名誉を守る為に、嘘偽りを避け、掛け値なしで、外交的駆け引きもなく、戦争を避けたい一心で生真面目に交渉を続けていた。
 加瀬英明「外交官は天皇の名代として、その任に当たる。天皇は嘘を付かないんだから、その名代も嘘を付かない。ひたすら誠意を持って事に当たる。ところが、外国で誠意を持った国なんてありません」
 誠心誠意努力する生真面目な人間は、裏切られた知ったときの失望は、堪えに堪えただけに怒りとして爆発する。
 幣原喜重郎「外交は狐狸の化かし合いだ。いかにして相手を欺瞞するかにある。国家は極端なエゴイストであり、そのエゴイストが、最も狡猾で悪辣な狐狸となる事を交渉者に要求する」
 外交交渉とは、如何に国益を守り利益を上げ為に老獪な謀略を行って相手に被害を与えるかであった。
 誠意による譲歩では、外交交渉は出来ない。
 譲歩は、相手を惑わす狡猾な手段の一つである。
 誠意を持って話し合いで物事を解決すると言う事は、高度な教養で交渉が出来ない無能な者の自己弁護の下品な言い訳である。
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 夜。チャーチルは、ルーズベルト宛に緊急極秘電報を送った。
 イギリス政府は、チャーチル極秘電報の公開を75年間禁止したが、2016年11月26日に公開を2060年まで延期した。
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 11月27日 日本は、中国の暗号解読でアメリカ側が3ヵ月休戦の暫定協定案を検討している事を暗号解読で知り、ハル・ノートが和平への望をもたらす暫定案であろうと期待していた。
 期待は見事に裏切られ、期待が失望に変わり、そして絶望した。
 絶望は、選択肢を狭め、降伏を拒否して開戦へと暴走した。
 吉田茂ら非戦派は、「これは最後通牒ではない。まだ交渉の余地がある」と主張した。
 グルー大使も、日米の関係改善の為に根強い話し合いを続けるように要請したが、これまでのワシントンの反応からアメリカがこれ以上の譲歩をする事はないと分かっていた。
 「この時、開戦のボタンは押されたのである」
 東郷外相らアメリカ側の暗号電文を読んでいた者達は、アメリカの戦争への確固たる意思があると感じ取っていただけに、和平交渉による避戦は不可能と断念していた。
 大本営政府連絡会議は、日米交渉成立の期待を込めて、ハル・ノートに対する緊急的会議を開いた。
 出席者全員が、平和への望みが絶たれ国家的な自殺が要求されていると絶望し、そして理不尽な最後通牒であるとして激怒した。
 東條英機首相「これは最後通牒です」。
 東郷茂徳外相は、日本側が最終案として提示した乙案が拒否された上に、ハル・ノートの内容に失望し外交による解決を断念した。
 連絡会議に於いて、ハル・ノートが提示された事で、軍部と革新派の強硬意見が主流となり、東條首相や東郷外相ら交渉妥協派の努力は無駄に終わった。
 連絡会議は、日米開戦やむなしとの結論から宣戦の事務手続き順序を決定した。
 野村大使と来栖大使は、ホワイト・ハウスを訪れてルーズベルトに交渉継続を願い出た。
 ルーズベルトは、暗号解読で日本が交渉の最終期限を日本時間で29日零時と決定した事を知りながら、交渉継続に前向きであるフリを見せて期待させた。
 ハル国務長官は、スティムソン陸軍長官の電話に、「自分は日本との暫定協定を取りやめた。私はこのことから手を洗った。今や問題は貴方及びノックス海軍長官 即ち陸海軍の掌中にある」と答えた。
 アメリカ海軍は、アジア各地の潜水艦部隊に対して無制限潜水艦作戦を発令した。
「日米が開戦した場合には、たとえ、武装していない商船でも警告なしに攻撃してもよい」
 アメリカ陸軍は、最高司令官であるルーズベルト大統領命令として、前線基地司令部宛に極秘の警告を発した。
 「戦争が回避できないのであれば、合衆国は日本に最初の明白な行動に出る事を望む」
 ワシントンは、フィリピンやボルネオなど対日戦の最前線にあるアメリカ軍部隊に対して極秘命令を発した。
 「対日交渉はすでに終了した。日本の攻撃が数日以内に予想されるから、適切な防御を行う様に」
 命令を受け取ったアメリカ軍部隊は、臨戦態勢に入った。
 アメリカは、日本との和平を望んではいなかった。
 ルーズベルトは、ホワイ・トハウスで戦争会議を開き、「対日戦は厭わない。切っ掛けがあれば開戦する。ついては各方面への警報は慎重にすべき」と話した。
 スチムソン陸軍長官は、「開戦を辞さないなら、最終的な警報は必要ではないか」と主張した。
 ルーズベルトは、日本にこちらの動きが覚られないように警報を出し、日本軍に先に撃たせるよう仕向ける旨を指示した。
 戦争に反対する議会と国民を戦争に駆り立てる為の、隠蔽工作を命じた。
 ハル国務長官は、アメリカは平和の為に努力したという証拠を残す為に、日本側との合意に達する見込みのない不毛な話し合いを続けた。
 ハルは、スチムソンに日本と戦争をしない為の休戦協定や暫定協定は全て取りやめたと伝えた。そして、「私は、もうこの問題から手を引いた。問題は、もはや貴方とノックスの手にある─海軍と陸軍の、ね」と話した。
 スターク海軍作戦部長とマーシャル陸軍参謀総長は、ルーズベルトに対日戦共同戦争計画案を提出した。
 「今もっとも肝要なのは、合衆国の観点から言えば、時間を稼ぐ事である。フィリピン諸島には海軍と陸軍のは大幅な援軍が至急派遣されたが、望ましい兵力には達していない。増援は継続して行われている。重大で差し迫った懸念であるはグアム近海の陸軍の護送と、上海をまさに発とうとしている海兵隊の護送である。総勢2万1,000人の地上軍部隊が1941年12月8日に合衆国を出航する予定であり、この増援部隊が戦争行為の始まる前にフィリピン諸島に到着する事が重要である。国家政策に合致している限り、当方が性急な軍事行動を起こす事は避けるべきである。事を遅らせられれば遅らせられるほど、同諸島を陸・海軍の基地として保持できる保証が高まるのである」
 つまり、フィリピン諸島に対する増援と防衛強化が完了するまでは、日本との戦争は先に延ばすべきであると提言した。
 陸軍省海軍省は、海外にある全てのアメリカ軍前哨基地に対して、日本との外交交渉は決裂した以上、何時日本が不意打ち突いて攻撃してくるかわからないとの戦争警告通知を発した。
 マーシャル参謀総長は、ハワイのショート中将に対して、日本との交渉が打ち切られた事を知らせ、一般市民にわからない様に警戒態勢を強化する様に警告した。
 ハロルド・スターク海軍作戦部長は、日本軍が奇襲してくると予想されるフィリピン、タイ、ボルネオなど東南アジア地域の海軍施設に警告を発した。
 イガソル海軍作戦部次長は、ルーズベルトの戦争警告を海軍の全指揮系統に流した。
 アメリカ軍は対日戦準備が整っていない為に、日本軍の攻撃は来年春頃になるとの希望的観測を抱いていた。
 スターク海軍作戦部長は、真珠湾のキンメル大将に対して、日本との交渉が終了した事を伝え、日本海軍機動部隊がフィリピンやタイに向かって出動しているらしいと伝えた。
 ディフェンス・コントロール・Ⅰ指令(戦争指令)「戦争状態に突入した。後は現場指揮官の判断に委ねる」
 太平洋・アジア各地のアメリカやイギリスの各部隊は、本国の命令によって日本軍の攻撃に対する応戦態勢に入った。
 「本電は戦争警報とと見なされるべし……日本軍の員数と装備及び海軍機動部隊の編成からすると、フィリピン諸島、タイあるいはクラ地峡もしくはボルネオへの上陸作戦が考えられる。本土各海域、グアム及びサモア妨害工作に対する防御手段をとるよう」
 タイ、マレーシア、シンガポールなどの抗日派武装華僑や反日朝鮮テロ組織と、フィリピンのイスラム系ゲリラやジャワの郷土防衛義勇軍ビルマの反ファシスト人民同盟などの各武装民族主義者は、欧米植民地軍に協力して日本軍の侵略に備えた。
 ベトナムのベトコンなどの各共産主義組織は、ソ連コミンテルンの指令のもとアメリカ情報機関の支援を受けて、反日運動を開始し、日本軍の情報を伝えた。
 グルー大使は、東京の知人友人らに、戦争を回避する為に無条件で即刻「ハル・ノート」を受諾するべきであると訴えた。
 「ハル・ノートは範囲が広く客観的で、まさしく政治の道を具現した文書である。もし日本が侵略的政策を中止しさえすれば、日本がそれを手に入れる為に戦っていると称するものを、アメリカは殆ど全部日本に与える事を提議している。このプログラムに従えば、日本は必要とする原料を自由に入手する事と、通商貿易の自由と、財政的協力及び援助と、凍結令の撤回と、アメリカと新しい通商条約を交渉する機会を与えられる。だがもし日本が東亜の国々を政治的経済的に抑圧しようと欲し、武力によって南進を遂行しようとするならば、間もなくABCD国家の全てと戦端を開く事になり、問題なく敗北して第3等国の地位に落ちる。だがもし日本が賢明な手段を打てば、これ以上の戦争をする事なく、その為に戦争を始めたと日本が主張する要求を、全て手にする事が出来るである。いま日本政府がとるべき賢明な処置は、ハル・ノートを直ちに受け容れ、偉大な外交的勝利をおさめた事を国民に納得させる事である」
 アメリカ軍は、日本との戦争が近づいたとして、マニュアルに従い上海の海兵隊をマニラに移動さた。
 ワシントンにいる、イギリスの情報部員マン・W・スチーブンスン(暗号名イントレピッド)は、チャーチルに、アメリカ軍は2週間以内に軍事行動を開始すると報告した。
 チャーチルは、アメリカを戦争に引き込む事に成功したと喜んだ。
 ワシントンとロンドンは、軍国日本との外交交渉は不調に終わり、日本軍が何時何処を攻撃するか分からないにせよその時が近づきつつある事を確信していた。
 MI5(英国軍情報部第5課)は、偽称で、正式には内務省に所属する国内情報機関SSと呼ぶ。
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 11月27日 UP通信「ワシントン11月27日。米政府筋は『枢軸国同盟からの脱退と中国からの全面撤退を求める米政府の要求に対する日本政府の回答は、数日以内のタイへの日本軍の攻撃になるかもしれない』という懸念を表明した」
 アメリカ軍は、東南アジアの華僑・華人などから日本軍に関する情報が大量に得て、日本軍の攻撃は近いと判断し、開戦後にベトナムからタイ・ビルマ・中国雲南省に侵攻すると分析していた。
 フィリピン大統領は、日米開戦が近いにも関わらず、フィリピン国民には日本軍を撃退する防空準備が不足していると嘆いた。
 アメリカ海運業者は、アジア航路の全ての船舶に武装を装備した。
 アメリカは、日本との戦争は不可避であり、開戦は近いと考えていた。
 アメリカ市民は、軍国日本はアメリカ側の要求を全面的受諾して戦争にはならないと、楽天的に考えていた。 
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 真珠湾の太平洋艦隊のキンメルは、近いうちに日本との戦争はある事はワシントンからの情報で知っていたが日本海軍航空隊による真珠湾攻撃はないとの確信と日本艦隊は日本国内にあるとの偽情報を信じ、当分の間は艦隊運用計画や戦術訓練を臨戦警戒体制に変更させず実施していた。
 日本軍は、アメリカ軍との情報戦で優位にあった。





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