🎺16:─1─ニイタカヤマノボレ1208。アメリカ軍情報部は日本軍の行動を知っていた。風情報。1941年12月~No.90No.91No.92No.93 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 国力に不安を抱く大日本帝国は、大国との戦争を回避する為にギリギリまで外交交渉を行い、万策尽きて戦わざるを得ない状況に追い詰められた時に、平和を諦めて戦争を仕掛けた。
 日本人は、戦争を覚悟していただけに、戦争を避けようとしたが、戦争から逃げようとはしなかった。
 日本軍部は、いつ宣戦布告してもいいように平時から戦争の準備を行っていた。
 軍国日本の戦争は、主体性なく後手から始まる事が多かった。
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 昭和天皇アメリカとの戦争に反対したのは、皇太子時代にヨーロッパを訪問し、第一次世界大戦における悲惨な爪痕を見、破壊と死を肌で感じたからである。
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 アメリカとイギリスは、日本の暗号電報を傍受・解読し、日本国内の協力者からの国家機密情報の提供で、日本の行動を知っていた。
 日本は、騙し討ちではなく奇襲攻撃を仕掛けただけである。
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 アメリカ海軍諜報機関は、日本海軍艦艇の動向追跡の為の無線方位探知機をアラスカ、シアトル、グアム、上海、フィリピン、サモアなどに置き、日本海軍の暗号通信を傍受していた。
 アメリカ軍は、日本海軍の暗号無線を傍受はしていたが解読と翻訳までには至っていなかった。
 ただし、FBIとニューヨーク警察は国際法に基づく外交特権を無視して、1920年春にニューヨーク日本総領事館に忍び込み、副領事室の金庫に保管されていた「日本帝国海軍秘密作戦暗号書」を盗撮した。
 アメリカ海軍情報部は、その後も国際的重犯罪である機密文書の盗撮を繰り返し、日本海軍の暗号書と軍用語を熟知していた。
 アメリカ軍は、日本軍艦艇の識別符号から現在地を割り出していた。
 呼び出し符号は、平時であれば半年に一回定期変更されていたが、11月1日に変更されたのが12月1日にまた変更された。
 アメリカ軍は、日本海軍が近いうちに戦闘を開始するものと判断した。
 大艦巨砲思想のアメリカ海軍は、日本海軍が真珠湾を攻撃するとしたら航空機ではなく潜水艦・潜航艇と分析していた。
 ハワイのキンメル提督は、ハワイの警戒水域を監視する全駆逐艦に対して、潜航している国籍不明の潜水艦を発見したら即撃沈するように命じた。 
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 12月 昭和天皇は、統帥権を持った大元帥として真珠湾攻撃計画を知っていたと言われているが、定かではない。
 イギリス外務省高官ノース・ホワイトは、チャーチルに「アメリカに於ける孤立主義は、当分のところ力を振るい続けようが、克服される事になろう。アメリカは、まだ、我々の懐に入っていない。だが、大統領は我々を救う為に、一歩一歩、着実に計略を進めている」
 イギリスは、一日も早く、アメリカが大西洋憲章に従って対日戦開戦をする事を望んでいた。
 イギリス海軍は、軍国日本との戦争に備えて最新鋭装甲戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパレスと共に、シンガポールに派遣した。
 シンガポールのイギリス軍司令官パーシバルは、マレー半島を南下してくる日本軍に備えて、半島部に6万人のイギリス・インド軍を投入して、数ヶ月間持ちこたえる事ができる要塞線を幾重も作った。
 要衝であるクアラルンプールには、数週間は防戦できるように、奥行き30キロにも及ぶ巨大にして重層な陣地を作り、インド第11師団と2個旅団を配置した。
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 朝日新聞などに煽られた国民は、対米戦を決断しない東条英機首相に対して「腰抜け」「意気地なし」「卑怯者」など罵詈雑言の手紙を送りつけて「早く開戦せよ」と脅した。
 戦争を望んでいたのは、軍部ではなく国民であった。
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 アメリカ軍情報機関は、日本がハワイ・真珠湾、米国西海岸・サンディエゴ、フィリピン・マニラなど太平洋アジア地域にある主要な軍港に関する情報を活発に集め始めたという報告を受けていた。
 アメリカ軍は、日本軍が奇襲攻撃に出る事を予想していたが、攻撃目標が真珠湾とは考えてはいなかった。
 その根拠は、科学的分析によって、肉体的欠陥から「日本人は航空機をまともに操縦できない」という、人種差別的偏見からそう信じられていた。
 日本航空機による真珠湾攻撃は有り得ないという先入観から、暗号電報に真珠湾情報が多数あっても注意を払う事なく、稚拙な謀略と嘲笑して無視していた。
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 アメリカ海軍航空隊は脆弱で、戦闘機パイロットは約130人で、主力戦闘機であるF4Fワイルドキャットは年産300機に過ぎなかった。
 アメリカ海軍も、主流派は大艦巨砲派であり、航空派は脇役どころかお荷物とされていた。
 航空母艦を中核とした本格的な機動部隊を編成していたのは、日本海軍だけであった。
 つまり、軍国日本は世界で優秀であった。、
 零戦を配備していた日本海軍航空隊は、世界最強であった。
 零戦の欠点は、世界標準とされた13ミリ機関銃ではなく20ミリ機関銃(60〜100発)と7.7ミリ機関銃を装備していた事とされている。
 空母エンタープライズを中心とした空母部隊は、真珠湾を出航してからは隠密行動を取り、24時間哨戒による臨戦態勢の下で、国籍不明の船舶、航空機、潜水艦を発見しだい警告なく即攻撃し撃破する様に命令されていた。
 当然。太平洋上に存在するのは、ドイツ海軍ではなく日本海軍である。
 アメリカ軍は、日本側からの宣戦布告を受ける前から、すでに戦闘態勢に入っていた。
 ホワイトハウスは、日本外務省の秘密暗号電報を解読して、昭和天皇東條英機首相らは戦争を避けるべく外交努力をし、和平交渉が失敗すれば戦争を決断する事を知っていた。
 アメリカは日本軍の攻撃に備えて戦闘配備に入っていた以上、日本側の騙し討ちは言い掛かりに過ぎない。
 軍国日本の「騙し討ちの責任」は、軍国日本ではなく、それを許したアメリカ政府とアメリカ軍にある。  
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 バンドンのオランダ軍総司令官テル・ポールテン将軍は、オランダ軍情報部が掴んだ、日本海軍艦隊は千島列島、澎湖列島海南島に集結して出航したという情報を、マーシャル参謀総長に伝えた。
 ルーズベルトは、日本海軍艦隊情報を聞くや、其の情報は他人に伝えない事と今後も日本海軍艦隊情報を報告するようにマーシャルに命じた。
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 12月1日 昭和天皇独白録「御前会議というものは、おかしなものである。枢密院議長を除いて出席者は全員、閣議または連絡会議で意見一致の上で出席している。議案に対して反対意見を開陳できるものは枢密院議長ただ一人で多勢に無勢、如何ともし難い。全く形式的なもので、天皇には会議を支配する決定権はない」
 御前会議は、ハル・ノートを受けて対米英蘭開戦を決定した。
 昭和天皇も「開戦やむなし」と裁可した。
 昭和天皇は、平和を希望したが、政府が対米英戦開戦を決定した以上、憲法に従って立憲君主として、御前会議で開戦を決定した事を硬い表情を崩さず沈黙して受け入れ裁可した。
 天皇は、絶対君主ではなかった為に、自分の意志で憲法を無視する事ができなかった。
 日本は、憲法を遵守する法治国家であり、法律を無視して約束を踏みにじる中国の様な人治国家ではなかった。
 昭和天皇「もし、己が好む所は裁可し、好まざる所は裁可しないとすれば、これ専制君主と何ら異なる所はない」
 東條英機「御上が日米交渉を白紙に還元して、再検討せよと仰せられたので、私は誠意を持ってこれを実行したが、どうしても戦争に突入せねばならぬとの結論に達したので、御上にお許しを願った。
 しかし、なかなかお許しがなかった。そして、ようやくやむを得ないと、仰せられた。
 御上が真に平和を愛しておられ、平和を大事にしておられる事を、目の当たり拝察できて、私は何とも申し訳ない事を、お許し願わねばならないので、残念至極だった。
 御上は日英同盟の事、英国御訪問中受けられた、英国側の厚情などを、静かに仰せられた。
 私は二度とこの様なお許しを願う羽目にならぬようにと、心から願った。
 宣戦の大詔の中に、『豈(あに)朕が志ならんや』とある文句は、もと原案になかったのを、特に御上の仰せで、加えられた」
 樺山愛輔伯爵は、東郷茂徳外相の内意を承けて、東京倶楽部でグルー大使とドゥーマンと合い、日本政府は日米交渉を打ち切った事を伝えた。
 外務省は、開戦の時まで偽装外交を強要する軍部に抵抗した。
 軍部は、外務省に妥協して、国務省に野村大使が通告文書を届けるのは「日本時間12月8日午前3時(ワシントン時間12月7日午後1時)」に同意した。
 それは、真珠湾奇襲攻撃の30分前であった。
 山本五十六司令長官は、30分しか時間がない事に不安を抱いた。
 MI5の元に、在英日本大使館や領事館の動きが逐一報告され、その全てが戦争開始を示す緊張した情報であった。
 「日本は領事館の電話線を切った」
 「在ロンドン日本大使館は暗号機の解体を指示した」
 イギリスは、開戦と同時に国内にいる日本人の抑留を協議した。
 ワシントンは、ハワイの陸海軍司令部に対して、グルーの真珠湾奇襲攻撃警告とその可能性がないとの分析結果を伝えた。
 「海軍情報部では、こうした噂を信憑性あるものとは考えていない。そればかりか、日本の陸海軍の現在の配備と動きに関する情報に基づけば、パールハーバーへの攻撃は近い将来のうちにはあり得ない、作戦計画もされていないと思われる」
 マイルズ陸軍少将は、暗号解読から日本軍の軍事行動は近いと判断し、「避けられなくはないにしても、戦争はおそらく起きるでしょう」とマーシャル陸軍参謀総長に話した。
 軍上層部は、真珠湾における軍艦の停泊位置を座標値にした格子状地図情報(10月9日)を無視し、真珠湾防衛司令部に知らせる事を求める部下からの再三の意見書を握りつぶした。
 ブラットン陸軍大佐「陸軍参謀総長に阻止され、いかなるマジック(傍受情報)も海外の司令部に送られる事はありませんでした」
 アメリカの報道機関は、日本軍が新たな南進行動を取る為にフランス領インドシナに大部隊を集結させていると報じた。
 ハル国務長官は、野村大使と来栖特使に、日本の発言は「恫喝や身の毛もよだつ様な脅迫ばかりだ」となじった。
 アメリカ軍諜報機関は、東京からベルリンの日本大使館への対米英戦戦近し」という暗号電報を傍受した。
 連合艦隊は、北部太平洋上の機動部隊に真珠湾攻撃の攻撃命令を発した。
 「ニイタカヤマノボレ1208」
 外交交渉が成立して作戦中止の暗号電文「ツクバヤマハレ」
 空母赤城と給油艦は、無線風刺を忘れて無線を使用していた。
 アメリ海軍省ルーズベルトの指示に従って、アジア艦隊司令長官ハート大将に対して、日本軍の進路と予想されるインドシナ近海の3カ所に小型艦艇3隻を派遣する様に命じた。
 出撃した1番艦はイザベラ号で、2番艦はラナカイ号で出航直前前に真珠湾攻撃の為に中止され、3番館は決まっていなかった。
 ハート大将は、西シナ海とシャム湾に侵入使用としている日本軍の動向を監視する様に、航空機や潜水艦に偵察を密にする様に命じた。
 日本軍航空機は、アメリカ軍艦艇を発見したが、マレー攻略部隊の輸送艦隊が発見される恐れがあるとして攻撃せず見過ごした。
 シンガポール防衛軍は、日本軍の不穏な行動に備えるべく戦争警戒体制をとり、マレーシアの全部隊に第二戦備態勢を命じた。
 オランダ軍も、日本軍の攻撃を予想して蘭印への広範な軍隊移動を命令した。
 抗日派華僑は、日本軍の侵略に備えて武器を持ち民間自衛軍を組織した。
 東南アジアを占領した日本軍は、ゲリラ活動を行う華僑数万人を虐殺した。この虐殺行為は、戦争犯罪とされた。
 FBIハワイ支局の特別捜査官シーバスは、ホノルル警察の諜報局長ジョン・バーンズを呼び出して、「日本軍が一週間以内に真珠湾を攻撃する」という機密情報を伝えた。
 シーバス捜査官は、マニラのイギリス情報部から日本軍に関する機密情報を得ていた。
 遙か以前から。ホノルル警察とFBIは、オアフ島日系人への監視を強化し、危険分子のリストを作成して何時でも逮捕できる準備をとっていた。
 アメリカは軍国日本以上の監視社会で、移民国家として国民の愛国心を本気で信用せず、利敵行為を行わないか絶えず監視し、危険分子には人権を無視して別件で逮捕した。
 それが、アメリカの「自由と民主主義」である。
 フーバー長官のもとに、蘭印のオランダ人情報部員から、日本軍の攻撃が一週間以内にあると言う報告が届けられた。
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 ラモン・アルカラス(フィリピン海軍士官)「日本との外交交渉がワシントンで続いている中で、本日、英国海軍極東司令官トム・フィリップ提督がマニラ入りした。フィリピンを含む極東防衛について、フランシス・セイアー高等弁務官ダグラス・マッカーサー米極東陸軍司令官、トーマス・ハート米海軍アジア艦隊司令官と協議するためである」
 「マニラ湾のすべての艦船は、11月27日に発せられた警告に従って警戒態勢にある。『日没前には、3隻以上の艦船が並列しないようにしながら指定の埠頭に碇泊すべし』の指示に従って碇(いかり)を下ろしている」
 フィリピンのアメリカ海軍は、日本軍攻撃機による空爆に備えていた。
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 12月2日 東京の外務省は、ワシントンの日本大使館に対して、三台ある暗号機の内二台の破壊を命じた。
 外交の常識が或る者であれば、暗号機を破壊する事は開戦が近い事を理解したであろう。
 ジャワ島バタヴィアジャカルタ)のオランダ軍暗号解読部隊は、東京からバンコク大使館に送られた真珠湾の四つの海域に関する暗号電報を解読して、ワシントンのオランダ大使館に伝えた。大使館付き陸軍武官ウェイジャーマン大佐は、マーシャル総参謀長に伝えた。
 同様の情報は、バタヴィアアメリカ軍情報部からもワシントンの陸軍情報部に伝えられ、真珠湾が攻撃を受ける可能性があるとして警告した。
 サンフランシスコ第12海軍区の情報部は、ハワイの西方海域から発信された未確認信号を傍受した。マカラー大佐は、同情報をワシントンに送ったが、ルーズベルトに知らされたかは不明である。マーシャルは、同情報を真珠湾の陸海軍司令部には伝えられず、警告も与えなかった。
 ルーズベルト「合衆国は日本とは平和な状態にあり、それも完全に友好関係にある」
 国務省は、日本との交渉には幾つかの越えがたい難しい課題があるが、総じて平和的な話し合いが続けられ、戦争に発展する様な決裂状況にはないと発表していた。
 アメリカ国民は、政府発表を鵜呑みにし、アメリカは戦争回避への努力を続けており、日米戦争はあり得ないと確信していた。
 ルーズベルトは、記者会見で、日本軍の増派がフランスのヴィシー政権との合意であれば反対できないが、部隊移動が常識外の大部隊である為に、日本政府に対して如何なる意図で追加部隊を送ったのかの説明を求めたと語った。そして、「アメリカは日本と平和な状態にあり、それも完全なる友好関係にある」と語気を強くして発言した。
 ウェルズ国務次官は、日本大使に、インドシナに集結している日本軍の説明を求めた。
 スチムソン陸軍長官は、中国代表に、事態は万事上手くいっていると蒋介石に伝える様に要請した。
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 12月3日 連合艦隊司令長官山本五十六は、午前10時45分に昭和天皇に拝謁し勅語を賜って退室し、勅語に対する奉答文を提出した。
 昭和天皇も、戦争が避けられないのならば、日本の名誉の為に、サムライの如く正々堂々と戦う事を希望した。 
 山本五十六は、軍令部に対して「戦争は堂々とやるべきである。無通告などはとんでもない。事前通告は必ず行うように」 
 東條英機首相も攻撃前に宣戦布告を発する事に賛成したが、東郷茂徳外相のみが乗り気ではなかった。
 東條英機首相も東郷茂徳外相も、日本海軍の真珠湾攻撃は知らされていなかった。
 A級戦犯達で、真珠湾攻撃を知っていたのは永野修身軍令部総長ら数人のみであった。
 記者団は、ハル国務長官に日本との対話状況についての説明を求めた。
 ハル国務長官は、11月26日に手渡した国際的道議による基本的な諸原則に対する日本側の回答を待っている段階であり、日本軍が行っている部隊移動の説明もまだ得てはいないと、答えた。
 ニューヨーク・タイムズ紙「長官はアメリカの政策が平和的な手段を採用し、法と正義と道議に基づくドクトリンを遵守しているのとは対照的に、日本の政策は武力に基づいているとの見方を示した。予備的な対話では、この問題があらゆる側面から取り上げられた。そうした中には、多少の細かい話しも非常に多くの大きな問題も含まれていたと、長官は述べた。……ハル氏は、自分の理解しているところでは、イギリスは我が国政府にシンガポールにおける海軍力の増強について常に情報を提供しており、また、オランダも同様に、蘭印インド諸島の軍事的備えに関して情報を寄せていると述べた」
 アメリカは、表面的には平和の為に日本との対話を継続している事を発表していたが、その裏では日本との戦争の為にイギリス、オランダ、中国と協調行動を取っている事をほのめかしていた。
 イギリスとオランダは、植民地支配における帝国主義的権益を守る為にアメリカの対日強硬政策に協力し、対日戦の為の軍事協力を強めた。
 ワシントンの日本大使館から東京の本省への報告。「すべての状況を勘案して、タイを占領した場合、イギリスとアメリカが何らかの共同軍事行動を、宣戦布告の有無にかかわらず、とる事は決定的に間違いないとみられる」
 日本の諜報機関は、連合国側の対日戦に備えた秘密会議を行っているとの未確認情報をえ、経済制裁や日米交渉での強硬発言が東南アジアにおけるアメリカ軍の部隊移動と連動していると分析していた。
 アメリカやイギリスなどの日本に敵対する国々の船舶は、日本軍の攻撃を避ける様にして上海港から姿を消した。
 アメリカの砲艦ウェーキ号とイギリスの砲艦ペトレル号は、上海租界に残った自国民守る為に上海港に留まった。 
 日本は、短波放送で「東の風、雨」を二回繰り返し報じた。
 ワシントンの日本大使館は、暗号機の破壊と秘密書類の焼却処分に取り掛かった。
 アメリカ軍諜報機関は、暗号を解読し、日本大使館の動きを見張っていた。
 スターク海軍作戦部長は、各方面に日本が各大使館に向けて暗号機や秘密文書の処分を命じた事を知らせた。
 真珠湾のキンメルには別の電文を送った。「日本軍の攻撃目標はマレー方面で、ハワイではない」と。
 ワシントンも、開戦に備え、東京を含む枢軸陣営にある各大使館に暗号機や重要書類の破棄を命じた。 
 イタリアのチアノ外相日記12月3日「アメリカ国民を直接この世界大戦に引き込む事の出来なかったルーズベルトは、間接的な操作で、即ち日本を攻撃せざるを得ない事態に追い込む事によって、大戦参戦に成功した」
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 ホノルル総領事員タダシ・モリムラ(吉川猛夫)は、最新の真珠湾における艦艇情報を極秘電報として東京に送った。
 アメリカ海軍情報局(ONI)は、吉川猛夫の暗号電報を全て傍受し解読していた。
 FBIも、吉川猛夫を日本軍のスパイである事を知り監視していた。
 フランクリン・ルーズベルトは、FBI長官フーバーから吉川ルートの報告を受けていたが逮捕と国外追放を許可せず、吉川情報をハワイの司令官に伝える事も認めなかった。
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 12月4日 外務省は、不戦条約における自衛行為である以上は無通告開戦を主張し、宣戦布告文を手交する事には消極的であった。
 東郷外相は、昭和天皇や東條首相や山本五十六司令長官らの強い要請で対米覚書を用意する事に同意した。
 軍部のゴリ押しに、外務省は折れた。
 この外務省のやる気のなさが、後にアメリカへの通告の遅れという大失態を引き起こした。
 アメリカ陸軍諜報機関は、日本の暗号処分命令という極秘電報を傍受し、戦争が切迫しているという判断した。
 海軍情報部極東課長マッカラム中佐は、真珠湾のキンメル司令長官に知らせるべきであると進言した。
 上司は、スターク海軍作戦部長の指示に従って、マッカラム中佐の作成した文書から「戦争は目前に迫っている」という表現を削った。
 ワシントン・ポスト紙は、大スクープとして「ルーズベルトの戦争計画」を掲載した。
 スチムソン陸軍長官は、「その様な秘密計画を、我が国の敵に知らせる人物や新聞を愛国的だと思っている」とのコメントを出した。
 ホワイト・ハウスで、定例閣議が開かれた。
 短波放送傍受班は、「東の風 雨」を傍受した。
 サフォード大佐は、「風」情報を報告した。
 「風」情報は、真珠湾のキンメル提督やショート将軍には伝えられなかった。


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日米開戦の悲劇

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