🎺35:─2─松岡洋右の対米インテリジェンス。第1回ケベック会談と原爆共同開発。日本人に原爆を投下する密約「ケベック秘密協定」。1943年5月~No.164No.165No.166 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ニューヨーク警察とFBIは、デトロイトとニューヨークでの黒人暴動を松岡洋右工作と警戒した。
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 河南省周囲の日本軍占領地帯に、衛生観念のない中国人飢餓難民が大挙して流入してペストやコレラ赤痢などの疫病が蔓延した。
 中国人難民が増えると、例外なく生活環境が悪化して伝染病が広がり、治安が悪化して殺人や強盗などの凶悪犯罪も急増した。
 日本陸軍防疫部隊(731部隊など)は、日本赤十字社や民間の医療機関と協力して感染拡大を防ぐ為に、反日で騒ぐ中国人を暴力的に鎮め、罹患者を強制的に隔離して無理矢理に治療を施した。
 中国人難民を放置しては治安悪化の原因となる為に、現地の日本企業の工場や作業場に強制連行し、必要最低限の食べ物を与えて働かせた。
 労働を軽視する中国人は、銃剣で収容され暴力をもって重労働をさせられたとして反発した。
 恩より利を優先する中国人は、けっして日本に感謝する事はない。
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 アメリカは、人種差別の激しい国であった。
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 5月 政府は、男子不足を補う為に女子の勤労動員促進を閣議決定した。
 44年までに、女子挺身隊が地域、職場、学校別に組織された。
 アリューシャン列島のアッツ島の日本軍守備隊は、玉砕した。
 連合軍の攻勢で、太平洋所の島々で日本軍守備隊による玉砕が始まった。
 この頃から。朝鮮人労働者数百万人と朝鮮人従軍慰安婦数十万人を強制連行の為に、多くの輸送船が朝鮮と日本の間を頻繁に往き来していたという。
 太平洋戦線での輸送船は、急速に減少し始めていた。
 補給を断たれた島々では、多くの餓死者を出し始めた。
 スターリンは、何時かは日本を攻めて屈服するべく、極秘で対日戦参戦の為の下準備を命じた。
 5月5日 アメリカの軍事政策委員会は、最初の原爆投下の目標をドイツではなく日本とする事を提案した。スタイヤー将軍は、東京を投下目標にすべきであると提案した。検討の結果、トラック島に集結している日本艦隊に投下するのが最善と決まった。
 5月8日 インド独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、軍国日本の軍事支援を受ける為に、東京に到着した。
 ヒトラーは、人種差別主義者として、イギリスに植民地支配された劣等民族インド人を支援する気はなかった。
 「インドが自治政府を持つには、あと150年はかかるであろう」
 インド人は、民族の解放と祖国の独立を果たす為に軍国日本を頼った。
 5月25日 ロバート・オッペンハイマーは、最初の核分裂連鎖反応を成功させたエリンコ・フェルミに対して放射性毒物兵器に関する書簡を送ったとされている。 
「エリンコ・フェルミ
 放射能で食品を汚染させる問題について報告します。私はすでにいくつかの作業を進めています。……50万人を殺すのに食べ物を充分に汚染できない場合には、計画を試みるべきではないと考えます。というのは、均一に分布させる事が出来ないため実際に被害を受ける人間がこれよりはるかに少なくなる事は間違いないからです。……
 ロバート・オッペンハイマー
 彼らは、日本人を人の心や人格を持った生身の人間と認めず、日本の女子供は人類を進歩させる為の偉大な科学実験に身命を捧げる尊い被験者と見なしていた。
 アメリカは、日本で大規模な人体実験を行おうとしていた。
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 6月 政府は、若い労働者を徴兵して戦場に送った為に、総力戦として銃後の生産活動を支えるべく徴兵猶予の学生や中学以上の生徒の勤労動員を行う事を決めた。
 東條内閣は、学徒戦時動員体制確立要綱を閣議決定した。
 全国の学校で報国隊が結成され、学生や生徒は食糧増産の農作業や軍需工場で兵器製造にあたった。
 6月5日 日比谷公園で行われた、山本五十六国葬。一般市民を含む数万人が参列した。 
 6月22日 ルーズベルトは、軍事政策委員会委員長ブッシュと会談し、原爆投下の目標をナチス・ドイツではなく日本であると打ち明けた。
 デトロイト。黒人を中心とした少数民族住民は、白人の人種差別に反対する暴動を起こした。
 黒人は、白人が始めた戦争に強制参加させられる事に不満であった。
 6月23日 州政府は、軍隊を動員して武力でデモ隊を鎮圧した。死者34名。
 6月30日 御前会議に於いて、「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」を決定し、ソ連に対して「極力日ソ戦の惹起を防止、進んで日ソ国交の好転を図ると共に機を見て独ソ間の和平を斡旋するに努」と定めた。
 日本政府は、南京政府を枢軸国の一員として法治による健全国家にする為に日華細目協定(上海共同租界返還協定)に調印した。
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 7月 連合軍は、シチリア島に上陸した。
 イタリアは、連合軍に降伏した。
 7月14日 参謀本部は、対外情報の収集と分析を強化するべく、東京高井戸に中央特種情報部を置き参謀総長直属とした。発足時は約300にんであったが、45年には1,600人に増員された。
 日本軍は、アメリカ軍の通信や短波放送を傍受して敵の動きを探っていた。
 7月30日 ビシー政府は、日本に倣って、汪兆銘南京政府を正統政府と認めて上海フランス租界を返還した。
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 夏 アメリカの戦略活動局(OSS)は、日本の暗号を解読しながら対日謀略放送を開始した。世に言う、MO(モラル・オペレーション)作戦「士気作戦」である。
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 8月 日本政府は、女子挺身勤労令を布告し、12歳以上、40歳未満の女子の参加を義務付けたが、家庭の事情で勤労に参加できない者は除外した。
 終戦時までに、約47万人の女性が各職場で第一戦に出て働いた。
 アメリカの軍事政策委員会は、ナチス・ドイツの原爆開発情報を分析した結果、マンハッタン計画はドイツに追いつき追い越し、ヒトラーが先に開発してアメリカに投下する危険は去ったと判断した。
 ルーズベルトやスチムソンらホワイトハウスは、政治判断として、原爆投下目標からナチス・ドイツを外した。
 スターリンは、国家防衛委員会の席上で、安全保障の観点から対日戦の準備を始めるように極秘命令を発した。
 対日戦準備は、外務人民委員のモロトフと内務人民委員のベリヤ以外には知らされていなかった。
 8月1日 日本政府は、朝鮮に徴兵令を施行したが、朝鮮人兵士の非協力で軍事教練が遅れた為に実戦配備は行えなかった。 
 ニューヨーク。黒人居住区で、人種差別に抗議する暴動が発生した。
 ニューヨーク警察とFBIは、松岡洋右工作ではないかと警戒した。
 松岡洋右は、外務大臣当時に、白人の人種差別に憤っていた黒人らマイノリティーを味方に付けるべく工作を行っていた。
 8月11日 チャーチルは、カナダのウィリアム・ライオン・マッケンジー・キング首相に宛てて、カナダが原爆開発に参加し、ハウ軍需大臣に合同方針決定委員会の委員になって欲しいとの書簡を送った。
 第1回ケベック会談(〜24)。ケベック秘密軍事会合。
 アメリカ・イギリス・カナダの3カ国は、共同で原爆開発を行う事を決めた。
 ケベック協定第5条 ワシントンに次の委員から成る合同方針決定委員会を設置する。
 ・ヘンリー・スティムソンアメリカ陸軍長官
 ・ヴァネヴァー・ブッシュ‥アメリカ科学研究開発局長
 ・ジェイムズ・ユナント‥アメリカ国防研究員会議長
 ・ジョン・ディル‥イギリス陸軍元帥
 ・J・J・ルウェリン‥イギリス陸軍大佐
 ・C・D・ハウ‥カナダ軍需大臣

 8月29日 汪兆銘主席は、南京国民大会堂で「アヘン戦争100年記念反英興亜大会」を開催し、演説を行った。
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 "Freedom Betrayed (裏切られた自由) フーバー元米大統領回想録の要旨
「第48章 第1回ケベック会議、1943年8月11日〜24日
 チャーチル首相、ルーズベルト大統領、カナダのキング首相が出席した。会議中、場合に応じ蒋介石の代わりとしてスン外相も加わった。
 太平洋ではマッカーサー大将が43年2月8日にガダルカナルから、また5月30日にアッツ島から日本軍を駆逐して状況を進展させた。7月1日に南太平洋で総攻撃をかけ、7月2日にレンドバ島を奪取し、8月7日にはニュージョージア島の基地を奪取した。
 地中海では5月に英米軍が仏領北アフリカを奪取し、7月にはシシリー島を占領した。ムッソリーニは国民の信頼を失い、7月25日に首相を辞任した。
 ロシアでは、ヒトラーが7月5日に第4次攻撃をかけたが、ロシア側は反撃して8月5日までにオレルとベルゴロドのドイツ軍拠点を奪い返した。
 Uボートに対する攻撃は効果を収め、商船の被害は5月には18.7万トンにまで減少した。
 情報
 ハルは言う−−「チャーチル首相とルーズベルト大統領は、フランス北部への侵攻を44年の春まで延期することに決めた。首相は、欧州への侵攻はバルカン半島、『柔らかい欧州の横腹』からにすべきであり、バルカンと欧州南部からの侵攻によってソ連がそこに居座り英米の利益を損なうことを防げるべきだ、と主張した」。
 ウェデマイヤーは言う−−「8月10日、ルーズベルトは不思議なことを言った・・・バルカン半島攻勢についての英国の見方を理解しておらず、ソ連がバルカン諸国を獲得したいと思っていることを信じず、ソ連はただ『他のスラブ諸国との親密な関係を望んでいるだけ』と考えているようだった・・・」
 後進国信託統治
 植民地主義に対する米国の反感がこの会議であらわになった。ハル長官は回想録で、「大国に依存する国についてイーデン英国外相 と議論し、国際信託統治体制についての試案を見せた。イーデンは、自治にも様々な程度があり、『独立』と言ってもどんな政体を意味するか、はっきりしない・・・」と述べた。 ハルは、「チャーチルは昨年言ったことを忘れたようだ、チャーチルは『大英帝国の解体を行った最初の首相にはなりなくない』と言ったのだが」と述べた。
 原子爆弾
 1942年6月第2回ワシントン会議で、チャーチルとルーズズルトは「チューブアロイ」という暗号名の原子爆弾計画についてすでに話し合っていた。それ以来この兵器についてかなりの進展があった。
 今回原子爆弾について最重要な合意が2人の間でなされた。その合意内容は11年後 (54年4月5日) チャーチルが議会で初めて明らかにした−−
 1、 両国間では使用しない。
 2、 相互の合意なしには第3国に対して使用しない。
 3、 『チューブアロイ』(日本人の上に落とす事の合意)については (互いの合意なしには) 機密を漏洩しない。
 4、 戦時中の生産分担が米国に重かったことに鑑み、両国が定めた条件にもとづき戦後の生産・商業的優位性を決定する。
 首相は米国大統領が公正かつ世界の経済的反映と調和すると見なす以上の産業的・商業的利権を主張しない。
 しかし米国の外交関係に関わるこの合意が批准を求めて上院に上程されることはなかった。」
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 アメリカ・イギリス・カナダの三ヶ国は、極秘事項として、原爆開発の協力体制強化を決めた。
 チャーチルルーズベルトは、原爆技術共有に関する合意書・ケベック協定に密かに署名した。
 イギリスは、アメリカの原爆使用に対して拒否権を確保し、日本に対する2発の原爆投下実験実施を承認した。
 戦争終結前に新兵器の原爆を日本で使用する事は、連合国首脳の間では決定事項であった。
 カナダは、首都オタワに近いペタワワで、イギリスの原爆開発技術を導入してプルトニュウムの濃縮を行った。
 ヒロシマナガサキの原爆投下実験は、アメリカ・イギリス・カナダの三ヶ国プロジェクトで実現した。
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 ルーズベルトは、ケベック秘密協定など重要事項は側近と一分の閣僚しか知らせなかった為に、急死したさい新大統領トルーマラン等は混乱した。
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