🎺40:─1─アメリカは、ソ連が対日戦に参戦すれば北方領土四島及び北海道半分をソ連領とする事を認めた。1944年~No.173No.174No.175 @ 

原爆の秘密 (国外編)殺人兵器と狂気の錬金術

原爆の秘密 (国外編)殺人兵器と狂気の錬金術

  • 作者:鬼塚 英昭
  • 発売日: 2008/07/19
  • メディア: ハードカバー
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 靖国神社に祀られた日本人青年は、愛する身近な者達の為に死ぬ事を覚悟して、「残念ながら私は死ぬんで行くが、貴方はぜひ生きてください」と手紙を出した。
 銃後に残された女性は、本心から死んで行く愛する人に向かって「私の為に死んできてくださいと」は決して言わない、声を殺し涙を流しながらうつ伏せた。
 誰も、愛を捨てて喜んで死んだ者はいない。
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 台湾籍の台湾人は、投票権という権利がない分、兵役の義務もなかった。
 朝鮮人同様に、志願して日本軍兵士となったが、強制ではな本本人の自由意思に任かされていた。
 台湾人は日本人と共に戦ったが、朝鮮人はほんの僅かな親日派が日本人ともに戦った。
 日本の台湾人や朝鮮人への対応とアメリカの日系アメリカ市民への対応は、全く異なる対応であった。
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 リチャード・トイ「軍事作戦を巡って軍幹部と激論を重ねるが、最後は忠告を受け入れた。軍幹部らに信を置いたからだ。統治はむしろ実務的で協調的だった」
 「国民がチャーチルを好んだのは、戦争で何が起きているかを知らせたからだ。長期的視野に立って、情報の意味も説明した」
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 アメリカ軍の反攻戦が本格化し、各前線で日本軍兵士捕虜から日本軍機密情報を聞き出す必要から日本語情報要員を必要とした。
 日本語学校は、日本語兵士の需要に応えるべく忠誠を誓う二世アメリカ人を採用し、ミネソタ州のフォート・スネリングに移った。
 卒業した日系アメリカ人兵士は、北はアリューシャン列島から南はオーストラリア、西はビルマに至るまでのアメリカ軍部隊に配属された。
 二世兵士は、アメリカ国民やアメリカ人兵士の偏見や差別に絶えながら、アメリカ市民の義務として日本軍と戦い、終戦後は占領軍として日本に進駐した。
 アメリカ軍は、勝利の為には全ての事を疑うという戦略から、日系兵士を信用せず日本軍に内通する恐れがあるとして単独行動を禁止し、白人兵士との共同行動を義務付けていた。
 日本は性善説朝鮮人兵士や友好的中国人兵士を信じ切ったが、欧米は性悪説で日系二世兵士を信用せず最危険な任務を押し付けた。
 如何なる犠牲を厭わず他のアメリカ部隊の先を突撃する442部隊の活躍によって、アメリカ人の日本人に対する認識が変わった。
 特に。開拓精神のアメリカは、理由はどうであれ、一所に窮地に立って苦労し、助け合う為に血と涙を流す相手を真の友人とした。
 現代日本の国際的信用は、現代人が平和貢献で得たものではなく、戦前戦中の日本人と日系人が国家に忠誠を誓い命を犠牲にして得たものである。
 現代日本は、アメリカに押し付けられたという平和憲法を盾にして、戦場で死闘を繰り返してるアメリカ人などの他国人を見捨てて逃げ出す事を合憲としている為に、真の意味でアメリカの友人とはなり得ない。
 常識的国際社会でも、金儲けをして血を流す義務を果たさず、他国の青年の命を金で買って逃げ回る日本人は、真の国際人とは見なさない。
 国際人の必修条件は、外国語を堪能に話す事ではなく、命を犠牲にしても、毅然として責任を執り、逃げ出さずに義務を果たすかである。
 つまり。国際正義として国際法を守る為に、銃を持って敵を殺し、戦死する勇気があるかである。
 サムライでない現代日本人には自己犠牲という勇気はなく、反戦平和という命大事の護憲思想で、惨めにコソコソと逃げ回っているだけである。
 左翼・左派のマルクス主義者などアメリカ嫌いの一部の日本人は、相手がアメリカ人であれば見捨てて逃げる可能性がある。、
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 オリヴァー・リトルトン産業相「日本は、パール・ハーバーアメリカを攻撃するよう仕向けられた。アメリカが参戦を強いられたというのは歴史の曲解である」
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 ボース「アジアに住むインド人は、人的、物理的資源を総動員して、日本と生死を共にする」
 アジアに住む反日の中国人や朝鮮人以外の有色人種の多くが、白人と戦う日本軍に協力した。
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 カリフォルニアの人種差別主義者は、日系アメリカ人の忠誠を証明する二世部隊の創設には猛反対した。
 南部諸州の白人至上主義者も同様に、非白人の権利拡大につながるとし、アジア人や黒人達を兵士として軍隊に入隊させる事に反対した。
 彼らは、真珠湾攻撃で初めて海軍十字章を授与したドリー・ミラーの様な薄汚い黒人が、これ以上でる事を警戒した。
 陸軍省は、日系アメリカ人にも日本軍と同じ如何なる困難にあって挫けないサムライ根性があると期待して、忠誠を誓う二世や三世を兵士として採用した。
 一世を中心とした祖国日本に愛着を持つ日本人移民は、銃を持って戦う事に猛反対し、非戦論から非暴力無抵抗を訴え続けた。
 二世や三世は、祖先が生まれた敵国日本よりも、いま住んでいるアメリカに忠誠を誓い、アメリカ国民として戦う事が重要であるとして軍隊に志願した。
 日系人部隊は、イタリア戦線の最も激戦地に投入され、理不尽ともとれる過酷な命令に従って戦っていた。
 その死をも恐れない大和魂による突撃精神で、40%以上の死傷率を出しながら味方を助け、戦闘を勝利に導いていた。
 多くの犠牲者によって、日系部隊は他の部隊より多くの勲章を授与されていた。
 マーク・クラーク陸軍大将ら前線指揮官の多くが、日系アメリカ人兵士の戦いぶりを称賛して報告した。
 人権問題では中立的な立場を取る新聞各社は、日系二世部隊の活躍を報道した。
 アメリカの東部諸州や北部諸州は、戦場で活躍する日系二世部隊の記事や特集を読む事によって、日系アメリカ人への認識が変わってきた。
 だが、忠誠を誓わず銃を取って戦わない平和主義的日系アメリカ人は、依然として下等な人間として軽蔑されていた。
 アメリカ軍は、忠誠を誓う日系アメリカ人は決して裏切らないとの確信から、太平洋戦争にも動員する事を決めた。
 日系アメリカ人も、祖国である日本との戦いに躊躇せず、太平洋戦線に志願した。
 日系女性も、アメリカへの忠誠を表す為に、積極的に陸軍婦人部隊や従軍看護婦に参加した。
 戦場に出られない日系アメリカ人は、ボランティア組織を作って戦争に協力した。
 彼らにとっての祖国は、日本ではなくアメリカであった。
 アメリカへの忠誠を拒否した日本人が収容されていたニューウェル収容所などでも、アメリカに協力する為に再度の忠誠心調査を求めた。
 それでも戦う事を拒否する日本人は、日系アメリカ人社会からのけ者に去れ、そして孤立した。
 戦線が拡大されるにつれて、日系兵士の戦死も増えた。
 良心的なアメリカ人は、自己犠牲による献身的な日系人を見るにつれて、日本人排斥運動に疑問を持ち、日系アメリカ人から市民権を剥奪せよという反日本人活動家からの声に嫌悪感を覚えた。
 西部諸州と南部諸州の白人至上主義者は、日系アメリカ人の権利拡大はアメリカ社会の危機につながるとして、ワシントンでのロビー活動を強化した。
 中国戦線からワシントンに、日本軍と積極的に戦おうとしない中国軍の不満や、国民の窮状を救済もせず腐敗し堕落している国民党の重慶政府の無能ぶりや、蒋介石をはじめとした政府高官や軍幹部が私利私欲で私腹を肥やしている醜態を知らせる、報告書や苦情が数多く送られていた。
 ルーズベルトは、蒋介石を見限り、中国の要求を本気で取り合おうとはしなかった。
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 インドネシア。日本軍の現地部隊は、オランダ人女性捕虜を強制連行して売春行為を行った。
 軍上層部は、オランダ人女性を慰安婦として置いている慰安所を閉鎖した。
 戦後。オランダは、戦犯法廷で犯罪を行った日本人兵士達を処刑した。
 オランダ人被害者は、日本政府に対して謝罪と賠償を求めた。
 日本の戦争犯罪には時効がなく、当事者が処刑され全員死亡した後も、50年後も、100年後も、永久的に日本は謝罪と賠償を請求される。
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 昭和天皇は、訓令違反した杉原千畝に、帝国大学出身のエリート外交官でもないのに勲5等瑞宝章を授与した。
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 反日派のルーズベルトは、日本を解体する為に、昭和天皇と日本政府の了承も得ず無断で、スターリンに日本の領土と国民を譲渡しようとしていた。
 アメリカとソ連は、戦勝国には敗戦国の生殺与奪権があるとして、敗戦国となる日本国家の主権と日本国民の権利をすべて無効にして認める気はなかった。
 両大国の意思が、後の国連憲章の「敵国条項」として成文化された。
 スターリンは、日露戦争の復讐として日本人を虐殺しようとしていた。
 ルーズベルトは、スターリンの日本人への憎悪から目をそらして、日本人を助けようとはしなかった。
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 1944年 三笠宮は、若杉参謀の偽名を使って、支那事変において日本軍の軍紀の乱れが中国人民の敵意を煽ったと指摘する「支那事変に対する日本人としての内省」という文書を書いて、陸軍内はおろか政府要人などにも配布した。
 軍部は、例え真実とあっても重大な局面に立たされている現状において、かかる文書を放置しては戦意喪失して敗北につながる恐れがあるとして全て回収した。
 アメリカは、国民に不利な真実・情報を伝えても負ける事がない実力と自信を持った大国である以上、政府や軍当局はマスコミに如何に批判・攻撃されても微動だにせず戦争を続けていた。
 軍国日本は中程度国家として、勝利を確信しているアメリカとは違って、何時いかなる時も薄氷を踏む思うで行動し、機密暗号が解読されていた為に敗北が確実であった。
 戦う軍部は、戦争を始めた張本人として「負ける」とは言えない為に、「勝つ」と公言して国民を騙していた。
 理想的な戦いの終わらせ方は、矢が尽き弾が尽き食糧が尽き戦意を消失して負け犬の如く土下座をして惨めに敵の軍門に降るのではなく、体力が尽き立っているのがやっとのような状態になってもまだ戦えるという精神力で降伏する事である。
 それが、負けて勝つという武士道精神である。
 そこが、武士の日本人と儒学者の中国人・朝鮮人との違いであった。
 ゆえに、戦って玉砕・全滅するという美学は、日本に存在し、中国や朝鮮には存在しない。
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 1943年末 連合軍は、タイ国内にある日本軍の拠点や鉄道及び橋などの爆撃を始めた。
 終戦までに、254回の爆撃が行われ、タイ人の死傷者数は3,000人以上であった。
 1944年 自由タイの抗日運動家は、日本軍の占領から祖国タイを解放する為に連合軍お助けを借りてタイに潜入し、国内で活動する反日派ゲリラの協力を得て破壊工作を始めた。
 日本軍は、連合軍の猛攻撃で敗走し始めると疑心暗鬼に襲われ、地元住民が敵に内通していると邪推し、少しでも素振りが怪しいと見るや敵のスパイとして惨殺した。
 地元住民は、イギリス軍は撃退した日本軍を解放軍として歓迎していたが、住民虐殺をし始めた日本軍を侵略者と見なして嫌い始めた。
 タイは、日本軍が各地で撃破され敗走し始めるや密かに連合軍との関係修復に取りかかり、これまで行っていた反日派ゲリラの取り締まりをゆるめた。
 「勝ち馬に乗る」、それがごく普通の人間が取る自己保存の素直な行動で、非難すべき事ではない。
 勝ち馬に乗らず、信念・志に従い、如何なる不利な状況にあっても盟約(たとえ口約束でも)に従って自滅の道を行くのが日本サムライの「潔さ」であった。
 東南アジア地域では、敗走する日本軍に対して、落ち武者狩り的に連合軍の味方をして日本軍兵士を襲撃する反日派ゲリラが急増した。 
 敗走する日本軍にとって、連合軍よりも襲撃してくる反日派ゲリラの方が恐怖であった。
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 1944年 北アメリカ海外宣教会議は、近いうちに敗戦を迎える異教国日本に対して、侵略戦争を命じた異教徒昭和天皇戦争犯罪を煽った宗教指導者から、迷える日本人を正しい絶対神の教えに導くかについて話し合った。そして、国家神道の宗教弾圧を受けている日本国内のキリスト教会との提携を模索した。
 新疆の第二次東トルキスタン共和国は、中国から分離独立し、同じ民族がいるソ連に支援を要請した。
 FBIは、アメリカ国内で諜報活動をしていた日本の東情報を壊滅させた。
 1944年のギャラップ社世論調査
 「日本民族を絶滅させる」  13%
 ルーズベルトは、スミソニアン研究所の文化人類学者アールス・ヒルデリカに「日本人全員を、温和な南太平洋の原住民と強制的に交配させて、無害な、やる気がない民族に作り替える計画を立てる」様に依頼した。
 日本民族の単一性を消失させる雑婚による交配計画は、ルーズベルトの急死によって日の目を見る事がなく終わった。
 人種差別主義社は、日本の民族・言語・文化・習慣の単一性を葬らない限り、日本人のキリスト教白人文明に挑戦する性根を取り除く事は出来ないと確信していた。
 彼等は、好戦的な日本民族を無能無力にする為の品種改良を行おうとしていた。
 その為には、フィリピン同様にキリスト教を国教とし、英語を公用語とする事であった。
 日本文化の源泉である日本神道と日本国語を、日本から完全に消し去る事が重要とされた。
 日本神道と日本国語を日本人から奪ってしまえば、日本はフィリピン以下の文化・教養・科学技術力に落とす事ができるからである。
 とにかく、日本国語が最も脅威であった。
 戦後の日本人は、平和憲法下で、外交と防衛の国家主権が剥奪され、自国を守る事が禁止され、無力で無能な人間に改造された。
 生きた文化防衛として、英語の公用語化とキリスト教への改宗を拒絶し、日本神道・日本国語による日本文化を守った。
 日本人の心は、日本神道・日本国語の日本文化に支えられている。
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 大統領選において。トマス・デューイ共和党候補は、ルーズベルトが日本の外交と海軍の暗号を解読して日本軍の行動を知りながら、真珠湾攻撃を許した事を糾弾しようとした。
 マーシャル参謀総長は、戦時下で、日本軍の暗号を解読している事を公表する事は利敵行為になるとして圧力をかけた。
 デューイ大統領候補は、300万票差で敗れた。
 1月 ルーズベルトは、太平洋戦争協議会において、日本領土を大幅に削減する事を明らかにし、旧日本領の一部をソ連に与えるとした。
 反日強硬派のルーズベルトは、日本が領土を周辺諸国に奪われ衰退する事を望み、アジアはソ連と中国が二分して支配する事が理想的な形と確信していた。
 ルーズベルトのブレーン達は、アジアを共産主義化する為に中国共産党ソ連への財政及び軍事支援を進めていた。
 アメリ国務省のジョン・エマーソンは、中国・重慶を訪問し、同年10月に延安を訪れ日本共産党野坂参三(変名、岡野進)と会った。
 「日本人捕虜の反戦教育を行っていた岡野進と会って、日本の軍国主義打倒と民主主義の為に日本共産党と協調、協力できると思った。究極の共産主義の目的は民主主義とかけ離れている事を後で知ったが、大戦中も大戦後も共産主義者と協調、協力するリスクを考えた事はなかった。当時は共産主義者との協力は可能で、戦後の日本の連立内閣には共産党員が入閣するとさえ多くの人間が考えていた」
 アメリカの理想主義者は、中国共産党を農民党と日本共産党を民主主義勢力として支援していた。
 エマーソンは、延安から帰国するや国務省の極東問題担当官となり、野坂参三の「日本革命の二段階論」を日本占領政策に反映させるべく活動した。
 マッカーサーが行った対日占領政策としておこなった諸改革は、野坂参三がノーマンやエマーソンに語った二段階革命論であった。
 1月11日 元駐英大使マイスキーは、ソ連の長期的安全保障の為に、日本に奪われた南樺太と千島列島をソ連領とすべきであるとの報告書を提出した。
 1月14日 ハル国務長官は、ルーズベルトに対して、戦争を早期に終結させる障害となっている「無条件降伏」の定義についてチャーチルスターリンと協議する事を提案した。
ルーズベルトは、ハルの提案を却下したが、無条件降伏すれば南北戦争の故事に従い勝者が敗者に情けをかけ用意がある事を、両国に説明するように命じた。
 1月20日 西部方面防衛軍司令官J・L・デウィット中将は、日本人差別のニューウェル収容所問題最終報告書を発表した。
 アメリカ軍は、太平洋上での反撃が本格化し、アメリカ人兵士が日本軍の捕虜となる危険がなくなるや、日本軍によるアメリカ人捕虜に対する虐待情報を大量に流し始めた。
 これまで日本軍による捕虜虐待報道を差し止めていたのは、同報道でアメリカ人兵士が虐待に恐怖して太平洋戦線に出動を拒否したり、厭戦気分が蔓延して戦争中止を求める事を恐れたからである。
 日本軍が敗走し日本兵の玉砕が始まった以上、その心配が無くなった。
 今度は、最終勝利戦闘を勝ち取るまでアメリカ軍兵士を鼓舞する為に、日本軍兵士への憎悪を?き立てるべく、歪曲・捏造・虚偽などをない交ぜにして捕虜虐待報道を操作した。
 その中で、フィリピンの「バターン死の行進」を経験したウィリアム・ダイエス証言が報道された。
 アメリカ世論は、日本軍による捕虜虐待報道がされるや、日本人憎しの感情が巻き起こった。
 愛国心を持ったアメリカ人達は、日系二世部隊兵士が生まれ育った土地を訪れたり、収容所から出てきた日本人移民を見かけたら殺すと息巻いていた。
 新聞各紙も、カリフォルニア州をはじめとした西部諸州で、日本人への暴力沙汰が増えると警鐘を鳴らしていた。
 収容所で生活し始めた日系アメリカ人への嫌がらせは、以前より増して酷くなった。
 「日本人が、この町から出て行け!」
 ヨーロッパや太平洋でアメリカ軍の一員として戦っている日本人部隊も、同様の敵意に晒されていた。
 アメリカに忠誠を誓う日系アメリカ人は、罵声を浴び、差別され、阻害を受けようとも、善良なるアメリカ人として生きて行く為に、日本を捨てて同化しようとしていた。
 二世部隊の活躍が知れ渡るや、東海岸では忠誠心を誓って戦う日系アメリカ人への見方に変化が起き始めた。
 アフリカ系アメリカ人は、白人から偏見を持って差別される同じマイノリティーとして、日系アメリカ人を仲間として温かく迎え入れた。
 だが、ユダヤアメリカ人は、日系アメリカ人をファシストの一員として目の敵にして攻撃した。
 ユダヤ人の多くが、異教徒・天皇と軍国日本の敵であり、絶対神の信仰に仇なす多神教の日本に好意を寄せてはいなかった。
 ユダヤ教徒は、絶対神への信仰の証しとして、神の血筋を神聖化する人への信仰を根絶しようとしていた。
 唯一絶対神信仰は、人を神として崇拝する神道の祖先神・氏神信仰を滅ぼそうとした。
 多神教神道一神教ユダヤ教キリスト教は、正反対の宗教で、相容れない宗教である。
 宗教的世界基準は、普遍的な一神教で統一され、土着的民族的多神教は消滅しつつあった。
 宗教的白人至上主義の人種差別主義者は、日系アメリカ人への認識が好意的に変わる事を恐れ、日本軍による犯罪行為をことさら大袈裟に取り上げ、さらには悪意を以て捏造して反日感情を煽った。
 サンフランシスコ・クロニクル紙は、強制隔離収容所の日本人の意識を調査した。半数がカリフォルニア州から出る事を、残りが元の家に戻りたいと希望していると報道した。
 戦時移民計画局は、忠誠を誓う日系アメリカ人への意識の変化を好機として、西海岸諸州の日本人人口を減らす為に国内各地への分散移住計画を推し進めた。
 ロサンゼルス・タイムズ紙「(コロラド州議会調査委員会における日系二世部隊兵士の証言)私達は、海を渡って戦いに臨む。飢え、傷付き、もしかしてアメリカの土地を二度と踏む事が出来ないかもしれない。私達には、どうしてもお願いしたい事がある。愛する家族や兄弟が、この国で差別されない様にして欲しい」
 日系二世アメリカ人は、アメリカ人の偏見は日本人に原因がったのではないかと考え、アメリカ社会に受け入れて貰う為には、命を犠牲にしても忠誠心を証明する必要があると確信した。 
 ロバート・E・パーク「戦争するにしろ平和を構築するにしろ、我が国が多民族国家であるという事実は重要なファクターである。多民族国家である事が財産なのか、それとも足枷になるのかは、我々自身が国内の人種問題にどの様な解決策を見出されるかの能力にかかっている」(『戦時におけるアメリア社会』)
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 2月 日本陸軍は、北部太平洋方面からの侵攻しくるアメリカ軍に備えるべく、新たに第五方面軍司令部を編成し、軍司令官に樋口季一郎中将を任命した。
 南樺太守備として第88師団が編成され、兵力は約2万人。
 千島列島守備として第91師団が編成され、兵力は約2万3,000人。
 第91師団の司令部を、千島列島北東端の幌莚島(ほろむしろとう)に設営した。
 ソ連との国境にある占守島には、関東軍から精鋭・戦車第11連隊と歩兵第73旅団など約8,500人を配置した。
 占守島には、日魯(にちろ)漁業の缶詰工場があり、従業員約2,500人が働いていた。内女性が約400人いた。
 2月5日 陸軍参謀本部戦争指導班(大本営20班)の種村佐孝中佐は、参謀次長秦彦三郎中将からの密命でモスクワに出発した。
 密命は、日本が独ソ戦和平の斡旋が可能か探ることであった。
 同じ頃、陸軍参謀瀬島龍三大佐もモスクワに向かった。
 2月7日 ロサンゼルス・タイムズ紙(女性からの手紙)「生粋のカリフォルニア人として一言言っておきたい。我が国内に日本人を解放する事はもってのほかです。この政策を進めている役人は、いつもニタニタして信用ならない『黄色い獣』の中で暮らした事などないと思います。利他的な行為はこの『悪魔の民族』には無用なのです。キリスト教徒としての使命なんぞを振りかざしてお説教する様な連中には、もう静かにして貰わなければなりません」
 アメリカ人が憎んだのは、日本の軍国主義者やファシストではなく日本民族日本人そのものであった。
 ゆえに、日本人を根絶する為ならば、焼夷弾でも、原爆でも、枯れ葉剤でも、如何なる残虐な兵器でも使用する事には反対しなかった。
 日本国土を、農業しか出来ないまでに徹底的に破壊する事を求めていた。
 国際的有識者は、生き残った好戦的日本人を、平和的民族になるまで他の人種や民族と混合させて血を薄めるべきだと提言した。
 地上から単一民族による民族国家日本を消滅させる為に、より多くの人種や民族を大量に移住させせるべきだと真剣に考えていた。
 太平洋戦線の島嶼で、日本軍が玉砕する事に溜飲が下りる爽快感を味わった。
 日本軍の死が、日本軍兵士だけではなく、女や子供でも気にはしなかった。
 日本人を憎悪する同様の手紙が、ワシントンや報道機関に洪水の様に送られていた。
 シンクレラ・ルイス「もしカリフォルニアでファシズムが勢いを増す事になれば、その人種的差別はユダヤ人ではなく東洋人に向けられる」
 各地にあるチャイナ・タウンは、アメリカ国民に日本人への憎悪を?き立てる様に、日本軍による残虐行為の数々を意図的に捏造して広めた。
 2月23日 竹槍事件。新名丈夫は、東京日日新聞に「勝利か滅亡か 戦局はここまできた」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と、日本の窮状と国土防衛の内情を書き東條内閣を遠回しに批判した。
 東条英機首相は、38歳の新名を懲罰召集した。
 海軍は、徴兵するには高齢であると抗議した。
 東条英機首相は、30代後半の約250人を召集し、その内約3分の2を硫黄島守備隊に送り込んで戦死させた。
 同様の懲罰召集事例は、40代の逓信省工務局長の松前重義に対しても行われた。同時期に召集された約100人は、輸送船に乗せられ前線に送られる途中で撃沈されて戦死した。
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 3月 戦況悪化に伴い、京浜地域の学童を縁故疎開させる事が決定された。
 全国の報国隊に参加していた生徒は、授業を中止して戦争遂行の勤労作業に狩り出され、国民学校高等科まで動員の対象とされた。
 中学校以上の生徒は、男女問わず深夜作業も課せられ、労働は大人同様の重労働が強要された。
 動員の対象となった生徒は、約7割に当たる約310万人であった。
 ジョージ・ブレイクスリーは、国務長官と同省幹部等で組織する戦後計画委員会に、介入慎重論に沿った穏健的な対日占領計画の原案を提出した。
 だが、対日強硬派は日本を利するのみであると不満であった。
 ロンドンにおいて連合国戦争犯罪委員会が、侵略戦争を起こしたナチス・ドイツ及び日本を戦争犯罪でどう裁き、非人道的罪を如何に償わせるかを話し合った。9月末。同委員会は「侵略戦争を準備しさらに遂行する目的の為にのみ行われた人々の行為は、戦争犯罪ではない」との報告書を公表した。
 インパール作戦。英印軍は、敗走する日本軍を陸・空から徹底した掃討作戦を行った。
 イギリス軍は、日本軍兵士捕虜は進軍の邪魔になるとして、英語がわからず機密情報を持たないない日本人兵士捕虜の処分する事を決めた。
 銃弾の節約の為に、生きたまま焼き殺すか穴に埋めて処分した。
 インド人兵士は、上官であるイギリス人将校の命令で、日本人兵士捕虜を大量に処刑した。
 連合国軍は、戦争の勝利を最優先する事から、戦争中は日本人兵士捕虜を最小限にとどめるという暗黙の了解があった。
 日本軍の「玉砕」とは、便利な公用語である。
 チャンドラ・ボースは、日本軍によるインド独立支援目的のインパール作戦が失敗に終わるや、日本を利用する事を諦めた。次の支援を、中国共産党毛沢東ソ連スターリンに期待すべく裏工作を始めた。
 ボースの搭乗する飛行機がビルマから日本に向かう途中で墜落して、ボースは死亡した。
 イギリス軍は、ビルマ領マニポール州など西部7州が、石油やタングステンなどの地下鉱物を産出する豊かな土地であった為に、インド領に編入した。
 辻政信作戦参謀は、壊滅状態にある第33師団(弓兵団)に対して撤退を命じた。足手まといになる野戦病院に対して、「奉勅命令」として、収容している負傷者で自力歩行できない者を処分して後方に撤退する様に命じた。「天皇の命令」という皇軍上層部の絶対命令に従い、治療中の傷病兵300名以上を生きたまま穴に埋めて、日本部隊は敗走した。 日本のエリート軍人官僚は、ガリ勉の点数主義で、人としての人格形成よりも試験における高得点という記憶力が優先され、社会から隔離された閉鎖教室で純粋培養された。
 エリート集団である中央の参謀達は、情報が多く集まる戦死の危険性のない後方の机上で作戦計画を練って、計画に基づいて徴兵された兵士を将棋のコマの様に動かし、苦戦の内で大量の戦死者を出した。戦闘の敗北は、完璧な計画を遂行しなかった現場の戦闘部隊の無能と決め付け、失敗責任を政治力のない非エリートの指揮官に押し付けて自決を強要した。
 中央のエリート軍人は、出世する野心の為に功績を得るべく「天皇の命令」を悪用し、恣意的に「勅命」を乱発して軍隊を動かし、大量の犠牲を承知で非情な命令を現地軍に押し付けていた。
 逃げ足の速い日本のエリート、責任を取らない日本のエリートの好例が、関東軍参謀辻政信が引き起こしたノモンハン事件であった。
 日本の組織は、エリート意識の強い、責任を認めたがらない隠蔽体質ゆえに、負けるべくして負けた。
 戦後。エリート軍人官僚の多くが、兵士や銃後の庶民を戦争に突き落とし多くを死なせたが戦犯として裁かれることなく、公職追放が解除されると社会的地位を得た。
 辻政信は、国会議員となった。
 日本におけるエリート教育は、昔も、今も、それほど変わってはいない。
 イギリスの貴族出身者は、国民の模範になる事が使命とされた為に、高度なエリート教育を受けて高級将校となり、自己犠牲精神でたえず危険な戦場に立った。戦争を嫌い戦場に赴かない上流階級出身者には、臆病者として「白い羽」を送り、仲間を見捨て見殺しにする人にあるまじき卑怯者として軽蔑し差別した。その為に、他国以上に貴族出身者の死亡率が戦った。ノブレス・オブリージュである。
 塩川優一「伝染病を出したら連隊の恥であるのみならず、連隊長の責任問題になる、というのである。そこで、大々的に防疫体制をとろうとした私の考えはいっぺんにつぶされた」(『軍医のビルマ日記』)
 錫村満「もう一年あまり塩素が手に入らないので、浄水の消毒をしておりません」(『似島原爆日誌─若き軍医の回想録』)
 古川愛哲「春頃から塩素不足かで、浄水はとりやめられたことになるが、広島市だけに限らなかったであろう。……こうして、浄水していない水道の水が多くの幼い子供を疫病で殺した」(『原爆投下は予告されていた』P.40)
 ロンドンで、連合国戦争犯罪委員会が開催された。チェコスロバキア亡命政府の法律顧問のエチェルは、枢軸国の戦争は如何なる理由があろうとも犯罪であると告発した。中国やポーランドなの諸外国は、この主張を支持した。
 エチェル「枢軸側は、『戦争の法と慣習』(ハーグ陸戦法規)の根底にある人道的配慮を踏みにじっており、彼等の戦争目的は、外国の国民を奴隷化し、これらの国民の文明を破壊し、さらには人種、政治姿勢、宗教、に基づいて、これらの国民のかなりの部分を肉体的に絶滅する事である。ゆえに、責任を負う個人は裁判に掛けられるべきだ」「死刑判決に十分な他の犯罪を犯しており、この見解が採用されれば、枢軸側の犯罪的政策全般の遂行手段となった全ての事例を正しく解決する方法を得る上で有益である」
 3月15日 国務省は、日本の占領政策に於ける宗教問題を検討し、信教の自由を尊重させる為に侵略主義を助長させた国家主義天皇崇拝の国家神道を廃棄すべきであると考えた。
 3月24日 ロンドンのフレデリック・クー(ソ連のスパイ)は、日本国内の逼迫している食糧事情を証明する情報として、鹿児島で起きた食糧暴動を報告した。
 UP通信社記者ウォルター・ランドルは、中華民国陸軍総司令何応欽将軍と会見し、日本軍の内部崩壊が近いとの説明を聞いた。
 重慶の国民党軍でも、延安の中国共産党軍でも、降伏して投降した日本軍兵士捕虜への反天皇反日本の洗脳教育が進められていた。
 洗脳された元日本軍兵士は、日本軍内や日本軍占領地で反戦ビラを配布していた。
 日本軍内の朝鮮人兵士や朝鮮人軍属は、軍事機密情報や武器弾薬を以て中国側に逃亡していた。
 ソ連は、日本人共産主義者に対して更なる反天皇活動を強化する様に示唆し、あわよくば日本でロシア型共産主義革命を起こそうと為ていた。
 アメリカの一部の有識者も、天皇制度と軍国日本を解体する為には、ロシア革命かドイツ革命の様な大改革が必要であると確信していた。
 3月30日 日本は、懸案となっていた北樺太の石油開発やオホーツク海の漁業権で、ソ連との議定書に調印した。
 敗戦が続きの日本は、ソ連の対日戦参戦を防止する為に多少の譲歩をおこない、独ソ間の停戦交渉の仲介を申し込んだ。
 アメリカとイギリスは、日本側が必死の思いで独ソ仲介工作を行っている事を暗号電報を傍受して知っていた。
 ヒトラーは、日本側の申し込みを拒否した。
 ドイツ軍情報部は、国民党政府高官からの情報として、ソ連は43年10月の三ヶ国外相会談でアメリカとイギリスに対して対日戦に参加する事を約束したと、日本側に伝えた。
 関東軍は、43年11月頃に同様の情報を入手し、満ソ国境地帯に於けるソ連極東軍の動静を探っていた。
 アメリカ軍諜報機関は、日本の外務省と海軍の暗号電文を傍受し解読していたが、陸軍の暗号電文だけはいまだに解読できていなかった。
 アメリカ陸軍の関心は、主敵のドイツ軍の軍事暗号であって、日本陸軍の軍事暗号ではなかった。
 日本軍と戦っていたのは、アメリカ海軍と海兵隊であった。
 当時。アメリカ空軍も完全に独立せず、陸軍か海軍の航空部隊として所属していた。
 日本への原爆投下や空襲を行った、B29は陸軍航空隊に配備されていた。
 3月31日 海軍乙事件。日本海軍の機密書類が、アメリカ軍に渡った。
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 4月 フォーチュン誌4月号「軍が日本人を西海岸から締め出す方針を長引かせようとすればするほど、ハースト系の新聞に代表される反日メディアは、日本人が戻ってくれば暴動が起きる、というプロパガンダを続けるだろう」
 「暴力を受ける可能性があるからといって、その被害者側を閉じ込めるというのはおかしな話である。我が国には犯罪者を拘禁する事はあっても、その被害者を閉じ込めるという伝統はないはずだ」
 イギリス政府は、戦後、日本とドイツをソ連共産主義勢力に対抗する勢力とするべく長期的戦略委員会を設立させた。
 大陸打通作戦。日本軍参加兵力約50万人。
 アメリカ陸軍は、戦略爆撃目標として東京、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸の6都市を列挙し、都市爆撃計画を進めた。
 爆撃開始時期を翌45年3月とし、それに合わせてB29と焼夷弾の大量生産を始めた。
 4月4日 ロニー・スミス訴訟。連邦最高裁判所は、大統領候補を決める予備選挙から黒人を閉め出す事は違憲であるとの判決を出した。
 南部諸州は、黒人の権利拡大は白人社会を崩壊させるのもであると猛反対した。
 学校の教育現場では、アメリカは移民者によって建国された国である事から、合衆国憲法の自由と平等の精神で人種を差別する事は悪い事であると教えた。
 ロバート・E・パーク「ある種の人種だけが民主主義を享受できるというのはおかしいし、バラバラの大きさに切ったパイの様にその享受のあり方が不均一というのもおかしい。民主主義はそのシステムが国民全体に均等に適用されて初めて意味を持つのである」
 ウィリアム・ディーン・ハウエルズ「新しくこの国にやって来た者達は、この社会に同化してきた。その結果、我々は一歩進んだアメリカ人になる事が出来た。我々の歴史はこの繰り返しだった。現在の少数人種が我が社会に同化する事で、我々はさらに一歩進んだ国民になるのである」
 ごく普通の白人家庭では、黒人やユダヤ人や日本人に対する人種差別の正当性を子供に語っていた。
 保守的キリスト教会も、「絶対神は自らに似せて創造された白人のみを愛し恩恵を与える」という教義から、白人の優位性を守る為に宗教的人種差別を容認していた。
 合衆国憲法が制定された時、アメリカには奴隷制度が存在していたと。
 合衆国憲法を制定した政治家の多くが、多くの奴隷や下男下女を使役する大農園主であったと。
 彼らは、宗教的選民思想による白人至上主義者であり、有色人種を支配する権利を絶対神から与えられていたと。
 自由と平等の権利は、優秀人種の白人のみの特権で有り、劣等人種にはないと。
 4月12日 イギリスは、カナダの原爆開発を支援するべくジョン・コッククロフトらの優秀な科学者を送った。
 4月16日 トルーマンは、上・下院合同会議でルーズベルトの「無条件降伏路線」を継承すると声明を発表した。
 アメリカ議会は、国民世論に従って昭和天皇の厳罰と天皇制度廃絶を求めていた。


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日本文化における時間と空間

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