アメリカの世界戦略と国際秩序―覇権、核兵器、RMA (国際政治・日本外交叢書)
- 作者:梅本 哲也
- 発売日: 2010/02/01
- メディア: 単行本
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
ユダヤ人は、昭和天皇を殺し、日本を滅ぼす事を希望していた。
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2発目の原爆が投下する前に昭和天皇と軍国日本は降伏すべきであったいう者が絶えないが、それは有り得ない事であった。
誰も、2発目の原爆投下を止める事ができなかった。
原爆投下を止める事ができるのは、最高軍司令官のトルーマン大統領だけである。
昭和天皇と軍国日本は有条件降伏を望んでいたが、アメリカは無条件降伏を要求していた。
アメリカは、降伏交渉開始は、2発の原爆投下実験が終了した後と決めていた。
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8月7日 神奈川県網島にあった安立電気工場で陸軍の受信機検査中に、ホノルルかサイパンの何れかのラジオ局から放送された電波を受信した。
「日本はポツダム宣言を受諾して、全面降伏をしました」
だが、その真偽は不明である。
日本の陸海及び関係者による原子爆弾委員会は、使用された兵器が原爆であろうとの予測を出した。
日本の国策同盟通信社は、広島の惨状を世界に向けて生々しく報じ、原爆投下は非人道的殺戮であると非難した。
軍部の強硬派は、本土決戦をして、如何なる犠牲を出しても国體は護持すべしと主張した。
午後。鈴木首相は、東郷外相の強い要請に従って関係閣僚による緊急閣僚会議を開いた。
東郷外相は、原爆が使用され甚大なる被害が起きた以上、ポツダム宣言を基礎として戦争の終結を考えるべきであると迫った。
阿南陸相は、調査結果が出ないうちに原爆と決めつけるは早計であるとし、その事で戦争終結を急ぐ事には猛反対した。
軍部は、原爆を使用され甚大な被害が出ても戦争に敗北したわけではなく、敵主力との本土決戦で雌雄を決せるべきであるとの強硬論を譲らなかった。
豊田軍令部総長「まだ其の一発の原子爆弾で戦争継続をどうするという事を議論する程度には、状況は進んでいなかったにである」
政府としても、国民が一丸となって国體護持の為に1億総玉砕を覚悟しているい以上は、昭和天皇の安全と皇室の存続に言及しないポツダム宣言を鵜呑みして降伏するわけにはゆかなかった。
昭和天皇は、正確な被害報告をしない軍部に対して不満を抱き、木戸内大臣に「かくなる上はやむを得ぬ。余の一身はどうなろうとも一日も早く速やかに戦争を終結して、此の惨劇を繰り返さない様にしなければならぬ」と胸の内を明かした。
木戸内大臣は、敗戦は避けられない以上、占領軍によって昭和天皇が戦争犯罪人として裁判にかけられない様にする事が、皇室を存続させる唯一の方法であるとして、宮中を挙げて大元帥・昭和天皇を非戦の立場であったという偽装工作を始めた。
東郷外相は、国内が戦争終結で意見統一できない焦りから、ソ連の仲介での交渉開始に一縷の望みを託して、佐藤尚武大使にモロトフとの会談を督促する緊急電報を打った。
日本側は、無条件降伏ではなく国體護持(昭和天皇の安全と皇室の安泰)の条件で戦争を終結させるべく、虚しいほどの努力を重ねていた。
東郷外相は、二発目の新型爆弾・原子力爆弾の投下を阻止するべく、モスクワの佐藤大使にソ連に和平仲介を依頼する督促電報を打った。
アメリカは、日本の暗号電報を傍受し、日本人の情報提供者から、日本の政府及び軍部が混乱して「即、ポツダム宣言受諾」を決められない状況にない事を知っていた。
ワシントンは、軍に対して、日本が無条件降伏を受諾する前に二発目のプルトニウム型原爆投下実験を実施する事を希望した。
ホワイト・ハウスは、二発目の原爆投下実験が成功するまで、日本の無条件降伏を拒否する事を暗黙の了解としていた。
シラードは、シカゴ治金研究所所長コンプトンに、大統領にて提出した、科学者達によるの原爆使用反対嘆願書の公開を求めた。マンハッタン計画の責任者グローブス将軍は、機密文書として公開に反対し、計画に関する全ての情報を国防に関する最機密として隠蔽した。アメリカの情報管理は、徹底し、公開されている情報の多くは操作されていた。
日本軍は、小倉の連合国兵士捕虜収容所「福岡俘虜収容所第三分所」にアメリカ兵捕虜5,000人を集め、人間の盾とした。
宋子文を長とする中国代表団はモスクワに到着し、モロトフとハリマン大使は空港に一行を出迎えた。
スターリンは、原爆投下の詳しい情報が届くや、極東ソ連軍最高司令官ワシレフスキー元帥にザバイカル時間9日零時に攻撃を開始する様に厳命した。
モロトフは、佐藤大使に翌日に面会する伝えた。
スターリンとモロトフは、対日戦参戦の条件である中ソ条約を急いでまとめるべく宋子文と会談を持った。
両者は、近日中に敗北する軍部日本が大陸に所有する全ての利権を如何に分け合うかで紛糾した。
スターリンは、日本が戦後立ち直って反共産主義戦争を仕掛けてくる事を警戒し、対日防衛戦略からより多くの領土を獲得しようとしていた。
ハリマン大使は、ソ連の参戦は最終勝利の為に必要であるが、多くの権利をソ連に与える事には反対であった。
アメリカは、戦後の対ソ戦略から大連港を自由な国際港として確保しようとしていた。
スターリンは、ヤルタ合意で参戦に必要とされた中ソ条約締結に失敗した。
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高見順『敗戦日記』「広島は原子爆弾でやられて大変らしい」
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アメリカ軍は、二発目の原爆投下作戦を成功させる為に、九州以外の都市を爆撃するという予告ビラを撒いて実行した。
当然の事ながら、予告都市の中には小倉、新潟、長崎は含まれていなかった。
『日本国民に告ぐ』
「米国は今や極めて強力な爆弾を発明した。原子爆弾一個は、B292,000機が一回に搭載した爆弾に匹敵する。疑いがあれば広島の被害を調査せよ。この爆弾による徹底的破壊の前に、諸君が戦争を中止を陛下に請願する様に望む。米国大統領は、名誉ある13ヶ条の降伏条項を提示した。これを承認し、直ちに武力抵抗を中止しなければ、我々は、この爆弾その他の優秀な兵器で戦争を迅速に終結させる。即刻都市より避難せよ」
アメリカ軍は、投下目標都市を指定していない原爆投下予告ビラを、都市人口10万人以上の47都市に計600万枚を撒いた。
アメリカは、原爆を複数所有し、何時でも日本に投下できる事を誇示した。
日本政府及び軍部は、原爆被害の正確な情報を掴んでいなかったし、国民に本土決戦を訴え戦闘意欲を鼓舞していた為に報道規制を行っていた。
原爆投下爆撃機の安全を確保するために、目標都市の名は伏せられていた。
降伏条項は、昭和天皇の身の安全と皇室の存続を保障しないポツダム宣言であった。
昭和天皇や政府及び軍部首脳部は、アメリカに言われなくても戦争終結の為に議論していたが。アメリカが国體護持を保障しない為に、即答できないでいた。
当然の事ながら。アメリカ側も、日本が即時降伏できない事を十分知っていた。
つまり。アメリカは、いつ如何なる時点に於いても「人道主義の立場に立って、罪のない人々を助ける為に努力した」という証拠を残そうとしただけである。
それは。真珠湾攻撃直前になされた、ルーズベルト大統領から昭和天皇への「平和を求める親書」と同じ偽善的行為であった。
OWI(アメリカ戦時情報部)は、日本軍の警戒心を西から東に向かせるべく、「APワシントン7日発 東京が次の目標になっているかもしれない」というラジオ放送を流した。
情報戦を知る者にとっては、意図的な謀略である事を看破した。
東京が狙われているという情報は、何処から漏れたかは不明であったが、東京とその周辺に噂として広がった。
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アメリカ陸軍爆撃部隊は、豊川市を爆撃し、工場で働いていた女子挺身隊2,400人を含む女性や子供などの一般市民を焼夷弾で生きたまま焼き殺した。
アメリカ軍にとって、日本人は、男でも女でも、子供でも老人でも、健康な人間であれ病人であれ、無条件で殺す敵に過ぎなかった。
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8月8日 中立国アイルランド。ダブリン駐在の別府節弥領事は、同月2日にアメリカから休暇で帰国した駐米大使のブレナンから聞いた、グルー国務長官代理の「3ヶ月以内に対日戦が終結すると予測はできないが、日本人が意図すれば、明日にも終わる」との発言を東京の外務省に報告した。
イギリスの政府暗号学校(ブレッチリーパーク)は、アメリカ同様に、日本の在外公館と東京の外務省との暗号電報を全て傍受し暗号を解読し、軍国日本の内情を詳しく知っていた。
陸軍省軍務局は、「『ソ』連の対日最後通牒に対し採るべき措置の研究」を作成し、ソ連の攻撃は本年度中には起きうることは無いとの判断を下していた。
東郷外相は、昭和天皇に拝謁して、此の期を利用して戦争の終結を早めるべきであると言上した。
昭和天皇も、戦争の終結に同意した。
東郷茂徳「陛下は其通りである、此種武器が使用せらるる以上戦争継続はいよいよ不可能になったから、有利な条件を得ようとして戦争終結の時期を逸することはよくないと思う。又条件を相談してもまとまらないのではないかと思うから成るべく早く戦争の終結を見るように取り運ぶことを希望すると述べられて総理にもその旨を伝えよとの御沙汰であった」
ロンドンにおいて国際軍事裁判条例が調印され、同条例第6条(c)で「人道に対する罪」が定義された。「犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とにかかわらず、本裁判所の所管に属するいずれかの犯罪の遂行として、又はこれに関連して行われた所の、戦前又は戦時中の全ての一般市民に対する殺人、殲滅、奴隷化、強制的移送その他の非人道的行為、もしくは政治的・人種的又は宗教的理由に基づく迫害」。翌46年2月13日に、国連は無修正で可決した。
『プラウダ』は、広島の原爆投下を報じ、トルーマン声明を掲載した。
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午後11時(モスクワ時間午後5時) モロトフは、佐藤大使に、ソ連はポツダム宣言に追加加入する事と日本に対して9日零時をもって宣戦布告すると声明文を手渡した。
ただし。其の時間か、モスクワ時間か、それよりも6時間早いバイカル時間かは明らかにしなかった。
宣戦布告の理由は、日本が平和を回復する為のポツダム宣言を拒絶した事と、連合国からの要請に基ずくとした。
「平和の到来を早め、今後起こりうる犠牲と苦難より諸国民を解放し、またドイツが無条件降伏を拒否した後に体験した危機と破壊から日本国民を救う為の唯一の方法である」
佐藤大使は、ソ連を仲介とした和平交渉の話と思い込んでいただけに驚いた。
ソ連軍は、奇襲攻撃を成功させる為に、佐藤大使の東京への暗号電報を差し止めた。
ソ連は、平然と国際法を破り、敗戦間際の軍国日本を侵略して領土を奪った。
現代に続く、北方領土問題の発生である。
国際法は、何時の時代でも、大国の有利な様に変更され、小国は正当な権利があっても犠牲となる。
国際外交は、力で決められ、軍事力なき正論は役に立たなかった。
国際世論は、戦争犯罪国家日本を非難しても、戦勝国ソ連を非難しない。
モロトフは、暗号を使用して東京に連絡する事を許可した。
佐藤大使は、宣戦布告文を東京の外務省本省に送る為にモスクワ中央電報局に依頼した。
モスクワ中央電報局は、受理したが日本電信局に送信しなかった。
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ハリマンは、イギリス大使クラーク・カーとモロトフに会った後に、単独でスターリンと会談した。
スターリンは、ソ連も原爆開発を開始していると仄めかした。
ハリマンは、ソ連参戦の情報をワシントンに知らせた。
トルーマンは、ソ連の参戦が8月15日以降と判断し、ソ連が参戦以前に日本を降伏させるべく原爆投下を行っただけに驚いた。
ジョージア州上院議員ラッセルは、トルーマンに対して、真珠湾騙し討ちの制裁として原爆のさらなる使用を要求した。
トルーマンは、9日に回答文をラッセル上院議員に送った。
「私は、日本が戦争において恐ろしく残酷で非文明的な国である事を知っている。しかし、私は彼らが野獣であるから、我々もその様に振る舞わなければならないという論には与しない。私としては、一つの国の指導者が豚の様に強情であったとしてもその全国民を抹殺してしまわなければならないとする事には戸惑いを感じざるを得ない。これを貴下の為にお伝えしておくが、私はこれが絶対に必要としなければこれを再び使用する事はないであろう」
ハーバード・フーバー「女性や子供を無差別に殺す原爆を使った事を思うと、身の毛のよだつ思いである」
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ロンドン会議。ロンドン協定締結。国際軍事裁判所憲章。戦争犯罪類型、事後法としての「平和に対する罪」。
ニュルンベルク裁判準備委員会長ジャクソンは、ナチスの戦争犯罪を裁くに当たって、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の四ヵ国で新たな法律を作る事を決めた。
「国際法については、国ごとに、色々な意見があり、なかなか合意できないので、この裁判の手続きに関して戦勝国である4ヵ国が合意して決めるのが適切である」
戦勝国は、近代刑法で禁止されている事後法を定めて過去の戦争犯罪を裁く事を決定した。
この法解釈は、後の東京裁判でも採用された。
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