🎹02:─1─軍国日本の軍事力は世界第八位で、中規模国家であった。~No.2 * 


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   ・   ・  {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・  
 軍需と民需の全ての原材料を外国から購入する資源の乏しい極貧の軍国日本。
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 日本は、ロシア、中国、朝鮮といった敵日諸国に包囲されていた。
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 日本軍は、ロシアの侵略から祖国を守る為に組織された。
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 軍国主義者は、超法規的に、憲法を停止し、議会を解散させ、政治家を拘束し、国会を閉鎖する事がでなかった。
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 日本の軍隊とは、日本国民の軍隊であると共に、天皇の軍隊でもあった。
 ゆえに、国家元首である天皇は唯一の大元帥である。
 日本軍は、皇軍として天皇と国體を第一に守り、次いで国民・国土・国益を守った。
 守る為ならば、迷う事なく火器を使用して敵を実力で排除した。
 そして、日本軍は敗北して消滅した。 
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 日本軍は、最強の兵士を作る為に、生ぬるい日常生活からの「決別」として人格否定の鉄拳制裁を行い、如何なる困難な状況に追い込まれても一人で生き残れる兵士にする為にしごきにしごいた。
 日本兵士は、 皇軍兵士となる為の「通過儀礼」として、非人道的な軍事教練に耐えた。
 日本民族日本人は、地獄の様なしごきにも耐えに耐えて兵士となった。
 鉄拳制裁という「しごき」によって、日本軍は非人道的な軍隊と非難されている。
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 日本軍には、鉄拳制裁などの暴力行為があったが、中国などの私的な処刑はなかった。
 日本の兵士は、全て天皇の兵士・臣民とされた。
中国の兵士は、直属の上官の奴隷的私物たされ、生殺与奪の権はその上官が所有していた。
 日本の軍隊は、非人道的なソ連軍や中国軍とは異質であった。
 また、兵士間での苛めや嫌がらせはあったが、欧米列強の軍隊の様に人種差別や宗教差別は少なかった。
 欧米の軍隊には、白人以外の将校はいなかったし、キリスト教徒以外で指導的立場に立つ事はありえなかった。
日本軍では、日本人以外でも将軍になれたし、キリスト教徒でも日本軍部隊を指揮をした。
天皇派、日本人ではない高級将校でも、キリスト教徒の将軍でも、軍功をたてれば勲章を与えた。
 日本の組織は、家族的雰囲気を大事にし、無償の信用・信頼で自己犠牲的に助け合った。
 欧米の組織は、契約を重んじ、利害共同体として友人的に一緒に行動した。
 日本は家族的繋がりとしての「絆」を尊重し、欧米では絶対神への信仰による「証し」を尊重した。
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 日本の徴兵制には、日本独自の家を中心とした原則があった。
 日本には、先祖から受け継いだ家を大事にし、家を絶やさず子孫に残そうとした家文化があった。
 日本人は、個人の願望より、祖先の血と心と志を受け継ぎ伝えるために家を優先した。
 その意味において、日本人は今の現実以上に時空を越えた祖先と子孫との家族としての「絆」を大切にした。
 軍部は、跡取りである長男、惣領は除外して、相続権のない次男や三男を徴兵した。
 やむを得ず徴兵した長男は、戦死の危険が少ない後方勤務に配属した。
 志願した長男は、職業軍人である以上、本人の希望として戦場に送った。
 総力戦となった昭和時代には、個人の家よりも国家が優先され、全ての国民が例外なく徴兵された。
 キリスト教世界の戦争である第一次世界大戦で始まった総力戦は、日本独自の家伝統を破壊し、日本人に非情をもたらし、多くの家から相続人を奪い断絶させた。
 総力戦は、全てを破壊した。 
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 日本人は、一等国民として、赤紙で徴兵されて、戦場に送られた。
 朝鮮人は、二等国民として、志願して戦場に赴いた。
 一等国民・二等国民と区別する事は、民族差別であるとされた。
 朝鮮人は、国家元首昭和天皇暗殺などのテロ計画をする反日地下武力組織をもっていた。
 朝鮮人は、反日的で、天皇への忠誠心も日本への愛国心微塵もなかった。
 台湾人は、親日的で、天皇への忠誠心も日本への愛国心もあった。
 朝鮮人や台湾人における志願は、自発ではなく強制であったといわれている。
 だが。徴兵検査の結果、不健全で兵役に耐えられない者は、兵士として使いモノにならないとして入営させなかった。
 入営できなかった朝鮮人や台湾人は、軍との契約で軍夫・軍属として採用され、通訳・捕虜監視員・労務者などとして戦場に送り込まれた。彼等は、銃を持つ事なく、日本軍の後方任務を担当した。
 日本に生き日本国籍を持つ成人男性は、例外なく家族と祖国と同胞を危害を加えようとする外敵から守る義務があった。
 兵役を忌避する日本人は、国民の義務を放棄し、召集令状を破り捨てて逃亡した。
 過激な左翼・左派の日本人マルクス主義者は、万世一系男系天皇(直系長子相続)制度を内部から崩壊させる為に、軍隊内部で共産主義信奉者を増殖させていた。
共産主義化した将兵から、軍隊内の機密軍事情報を入手してソ連に通報していた。彼等は、日本軍の攻撃を鈍らせて敵兵をわざと助け、日本軍を窮地に追い込んだ。
さらに、諸外国人に天皇と日本軍への憎悪を煽るべく、敵国の一般人に対して意図的に虐殺や略奪などの残虐行為を行った。
 暴力的共産主義革命は、軍隊内部の下級兵士等の不平不満から起きていた。
 心理的に弱い日本人兵士は、仲間との「絆」で集団として行動する時は強かったが、捕虜となって孤立すると弱かった。
 中国軍は、捕虜とした日本人兵士で日本を裏切る者は生かしたが、天皇に忠誠を誓う者は残虐な方法で拷問にかけ惨たらしく虐殺した。中国人兵士は、切り落とした日本人兵士の頭を蹴り合い投げ合って遊んだ。
 味方の兵士を人と見なさず命を奪う中国軍に、敵軍である日本軍兵士を人として接する事は絶対にありえなかった。
 中国には、人権も人道もない以上、「捕虜を保護する」という国際法は通用しなかった。
 中国に逃げていた生粋の日本共産党員は、中国軍に囚われた日本人兵士捕虜を、反天皇の革命闘士に洗脳した。洗脳された日本人革命闘士を、中国共産党軍に参加させて日本軍と戦わせるか、破壊工作員として日本軍の後方に送り込んだ。
 戦後。中国共産党は、撫順に戦犯管理所を設置し、日本人捕虜を思想改造教育「洗脳」を徹底的に行った。マルクス主義で再教育された日本人捕虜は、帰国して中国帰還書者連絡会を結成して、各地で反戦平和の講演をして、靖国神社を否定し、昭和天皇と日本軍を批判した。(エドワード・ハンター『洗脳・中共の心理戦争を解剖する』)
 東條英機陸相は、日本人兵士の精神的動揺を懸念し、「生きて虜囚の辱しめをうけず」の『戦陣訓』を発表した。『戦陣訓』は、戦時国際法を守るであろう対米英戦ではなく、国際法を踏みにじり人を虫ケラの様に残虐に虐殺する対中戦について、将兵に覚悟を促すものであった。
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 日本は法冶国家として、自己犠牲的に国土防衛の義務を果たす国民の権利を守る責任があり、同時に国民皆兵思想にもとずき祖国を外敵から守るべく徴兵制を引き愛国心教育を行った。
 軍隊は、皇軍の名に恥じない為に軍律を厳しく徹底させ、全将兵公序良俗の為に規範を暴力的に教え込み、規律を厳守させ違反者には軍法会議で処罰し、指揮系統を明確にする為に上官の命令には絶対服従を強要した。
 上級指揮官には、武士道的軍人精神で、如何なる極限状態にあっても兵士の信頼を失わない為の人望と、常日頃から民間人の信用を得る為の人間力を、自己判断のもとで自己責任で自己鍛錬する事が求められた。
 この自己抑制の精神主義で、日本軍隊は世界から賞賛されていた。
 義和団事件で、厳しい軍律・軍規を守る日本軍部隊は連合国部隊の中で唯一略奪行為をしなかった。一番、虐殺と略奪行為を行ったのはロシア軍であった。
 日本軍は、残虐行為を当然の権利として行うロシア軍から、日本を死守する為に戦った。それが、日露戦争である。
 だが、現代において、この戦争は日本の侵略戦争として非難されている。
 つまり、日本軍の行った戦争すべてが犯罪行為、戦争犯罪であると。
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 日本の神道的伝統では、上に立つ者が下の者に対して恩を感謝するが故に、下の者が上の者に対して義理を果たした。
 国民は全て天皇の民である以上、天皇の臣である軍指揮官は天皇の民を預かって国防の責務を果たした。
 故に、天皇の臣は天皇の民を個人の使役に使う事はできなかった。
 天皇は、大家族主義(八紘一宇)のもと、民の安寧を祈り、民草の幸福を願い、平和を維持し極力戦争を回避する事を国務大臣に示唆した。
 天皇天皇と言われるのは、天皇だけが国家、国民、民族に全責任を負い、全てを包括する存在であるからである。
 全軍に命令を出すのも大元帥である天皇のみでり、その軍事行動の全責任もまた天皇にあるとされた。
 天皇は、最終的決定権を有した唯一の存在である。ここに、天皇の戦争責任がある。
 それ故に、臣下である政府と軍部は、国権の発動としての開戦には優柔不断的に慎重を期した。
 アメリカとの戦争には、9ヶ月以上もの長時間の堂々巡りの議論を重ねた。そして、開戦を決定するまでに内閣が三つも交替した。アメリカや、ナチス・ドイツや、中国や、ソ連では、考えられないほどのリーダーシップの欠如であった。
 政治家や軍人は引退があり、閣僚や官僚に引責辞任があっても、天皇には退位はなかった。
 身勝手な個の報道人や評論家や学者は無責任発言をし雲隠れして責任を回避し他人に転嫁できたが、完全な公人の天皇には無責任は許されなかった。
 故に、純日本的な思考をする戦前の日本人は、何とかして天皇に責任を負わせない様に苦心惨憺と努力した。
 皇軍である日本軍は、国體である天皇を外敵から守る事を最優先とした。
 全員とは言わないまでも、多くの兵士が「天皇陛下万歳!」と叫んで敵軍に対して自決的万歳突撃を行った。
 神道的信仰を持つ戦前の日本人は、自己犠牲的に、万世一系男系天皇を守ろうとしたのである。彼等は、愛国心を持った軍国主義者として「七生報国」を誓った。
 日本軍の戦死者には、中国軍やソ連軍の戦死者とは違って、はっきりと名前と出身地がわかっていた。よって、日本には、無名戦士は存在しない。
 故に、日本軍の戦死者は軍神・祭神として靖国神社に祀られた。
 靖国神社を廃棄して無宗教の国立「無名戦士の碑」を建設するという事は、宗教的霊魂を消し去り、戦死者から名前や出身地を剥奪する事である。つまり、日本人の無国籍化である。
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 日本の議会は、天皇から「立法の大権」を委託され、第122代明治天皇が宣布した「五箇条の誓文」に従って運営されていた。
 憲法の規定により、軍事費な国会の予算審議で抑制されていた。
 国会は、法律により普通選挙で民主的に選ばれた代議員で構成されていた。
 国家主義者や国粋主義者など民族中心主義団体が、議会の主導権を持っていた。一部ではあったが、朝鮮名の在日朝鮮人の代議士や反軍部の代議士やキリスト教徒の代議士がいた。
 だが、代議士の中に、天皇制度廃止の反国家的共産主義者や労働者・プロレタリアの諸権利を獲得しようとした人民革命派の代議士や愛国心も忠誠心もない反社会的代議士はいなかった。彼等がいなかった事から、戦後の現代民主主義は、戦前の議会を未成熟な議会民主主義と否定している。
 現代日本の知的リベラルは、反天皇派代議士がいなかった事を持って、戦前は天皇ファシスト体制であったと否定している。
 選挙民とは、国内で生活する日本人と在日朝鮮人の事であり、国外で生活する日本人には資格がなかった。
 極東アジアが実力者による鶴の一声の非民主的人治国家なら、日本は天皇による立憲君主の民主的法治国家であった。
 戦前までの日本は、604年の「憲法十七条」以来、中国的実力者による独断専行を嫌う皆の衆的集団で話し合う衆愚政治であった。
 議会は、天皇の希望に従って国際協調を政府に求め続け、天皇の「神聖不可侵の権威」を侵害する天皇機関説を否定した。
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 ソ連を含む周辺諸国は、反日国家として、日本の主権を侵害し、領土を侵略し、国民を殺傷しようとしていた。
 軍部は、国外の脅威から天皇と国家を守るべく統帥権を振り回し、テロやクーデター未遂事件を起こして危機感を煽った。
 周辺諸国軍に比べて劣勢に立たされていた軍部は、国家防衛の為の軍事費増額を巡り絶えず議会と大激論を戦わせていた。
 議論では劣勢に立たされる事が多かった為に、議会に対して強権を発動できない軟弱な内閣を幾つも倒閣した。
 だが、天皇の大権の前では、憲法の廃止はもちろん停止すらできず、選挙で選ばれた反対派議員を処刑どころか辞職する事さえできなかった。
 国體(万世一系男系天皇制度)護持の建前から、憲兵隊や警察機構を動かして、宗教否定の共産主義や民族中心主義反対の国際平和主義を弾圧し、厳しい統制の下で反天皇的な思想や言論を圧殺した。
 これが、軍部中心の全体主義軍国主義である。
 だが、軍部寄りの右翼的内閣は、天皇が「民族の安寧」「アジア及び世界の平和」「米英との協調」そして「憲法の遵守」を切望した為に、腰砕けとなって軍部に見捨てられていたのが事実である。
 軍国主義者といえども伝統的天皇主義者である以上、非戦平和の「天皇の御稜威」「大御心」には逆らえず、憲法を停止し議会を解散させ国会を閉鎖する事できなかった。
 日本が、中国化(極東アジア化)せず、民主主義を圧殺し「暴力と死」で支配する中国的独裁者を生み出さなかったのは、2600年、124代(124代目は昭和天皇)という宗教的万世一系男系天皇制度(国體)があったからである。
 現代日本の歴史教科書は、天皇制支配機構である独裁体制を天皇ファシズムとして完全否定している。
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 ドメック・ガルシア(アルゼンチン海軍大佐)「国家は、常に戦いの準備をすべきである。これが、取りも直さず戦いを避ける最もよい方法である。そして、宝というべき国民を守るよい方法といえる。要するに国家の安全と国の繁栄は、戦いの準備をしておく事に支えられているといっても過言ではない。防衛への投資は、長い目で見ると最も効果の高い利益と地位を与えてるものである」
 『日露戦争海戦報告書』「武士道の精神を尊ぶ日本において、名誉を賭けた義務ともいえる仇討ちは、必ず遂行しなければならないと考えられており、……ロシアによって受けた屈辱を晴らす為、すべての国民が国家に尽くす事が義務であると考えていた。……貧しい農夫から裕福な大阪商人に至るまで……何と素晴らしい不屈の精神を信条とする国民であろうか。……ある人は、日本海海戦の勝利は、日本の海軍軍人のみならず、日本人すべての努力によるものであるといった。これは疑いようのない事であり、対馬において、ロシアを敗北させた日本人ほどの、強烈な愛国心を有する国民を他に見出す事は困難であろう」
 「このような成功の秘訣は、優れた艦隊を作ろうとする、強い意志を持つこと以外の何物でもない。……急に情熱に駆られて艦隊を保有しようとしても不可能である。そのような意志は、継続して持つ必要があり、日本は長年にわたり強い意志を持ち続けていた。
 優れた艦隊を持ちたいという感情は、……国民の精神に刻み込まれていなければならない。何故ならば、一世代や一代の政府ではなく、幾世代、幾世代にも渡る政府の努力が必要である。……
 計画そのものが納得できるものであったといえる。何故ならば、先人達の組織作りの計画は、私心を捨てた愛国主義に基づいており、合理的、実際的、かつ、意欲的な精神で作られていたからである。……
 原点は有能な日本の軍部が優れた能力と視点を持ち続け、完璧な研究と用意・準備を行った事に帰結する」
 「装備は金で買えるが、人的資源は買う事ができない。……優れた人的資源が、日本海軍の得た称賛すべき勝利の要因であった。
 伊地知海軍大佐の言葉が示しているのは、『教育と忍耐こそが勝利を与えてくれる明白な方法であり、真の愛国心とは、危険を避けるのではなく、その危険を払う為に敢然と立ち向かう事にある』という事である」
 現代日本は、反戦平和を最優先し、如何なる軍備も戦争の原因となるとして、国民を犠牲にして戦争準備を進めた軍部を美化すの如何なる話も、右翼的言説であるとして否定している。
 政府は、国益よりも、市民の命こそ、守るべき義務があると。
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国家神道と日本人 (岩波新書)

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  • 作者:島薗 進
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