🎹29:─3─第2回南京事件を事実と証明する一次史料。〜No.181No.182No.183 * 


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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博・   
 第2回南京事件での日本軍の虐殺行為を糾弾する事は、軍国日本の復讐権及び報復権を否定し、日本軍の武力を用いた現地での自国民保護を認めず、日本軍の正当防衛を犯罪と決めつける事である。
 虐殺事件は、日本人・日本軍ではなく、中国共産党・中国人・ファシスト中国(中国国民党)が先に行っていた犯罪である。
 国際司法機関は、後で起こした日本軍の一度の中国人虐殺を有罪とし、先に行った中国共産党ファシスト中国(中国国民党)の度重なる日本人居留民虐殺を無罪とした。
 全ての日本人居留民虐殺事件を裏で煽っていたのは、中国共産党共産主義者である。
 中国、漢族とは古代の孫子以来謀略・計略に長け、虐殺を繰り返す残忍な民族ではなく種族である。
 中国共産党に指示を与えていたのが、スターリンソ連コミンテルン共産主義者である。
 ロシアには、そうした風土が存在する。
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 2017年2月17日号 週刊金曜日南京大虐殺
 懲りない『南京虐殺』否定派の常套手段  植松青児
 故意に無視される自説不利の一次史料
 1937年12月に、日本軍が中国・南京攻略時に引き起こした、無差別虐殺事件。これに対する否定派は、おしなべて事件を証明する一次史料を故意に無視するという、致命的欠陥を抱えている。
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 『産経新聞』や『正論』で展開される南京事件否定派の手口は、①被害側(中国人)の証言や史料を『でっち上げ』だと否定する②当時南京に滞在し、事件の存在を伝えた欧米人を『中国国民党が仕掛けたプロパガンダへの協力者』と見なして証言信憑性を否定する③加害側(日本軍)の証言や史料で虐殺等の存在を示すものについては『これは虐殺ではなく正当な殺害である』など解釈論で正当化する、などの特徴がある。
 さらに、④日本軍側の証言や史料で虐殺等の存在を示すもののいくつかには反論すら用意せず、ひたすら『知らんふり』を決め込む、という特徴も挙げられる。この④こそ否定派の『アキレス腱』であり、この点を指摘されれば彼らの『歴史戦』は瞬時に混乱し、破綻をきたすはずだ。『産経新聞』や『正論』で繰り返し主張される南京事件否定論も、この『アキレス腱』を抱えている。
 それが典型的に表れたのが、2014年頃より展開された『産経』の『歴史戦』シリーズでの南京事件否定論だ。15年2月15日付1面トップ記事では、熊本の第6師団隷下の歩兵第47連隊に所属していた元・獣医務曹長の『城内はからっぽでした』『人がおらん以上、虐殺があるはずがなか』などの証言を前面に出して、南京事件否定論を展開した。
 しかしその第6師団は、1965年に元将官たちが編さん委員会を担って師団戦史を刊行しており(発行は熊本日日新聞)、そこでは以下のような記述を残しているのだ。
 『のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第6師団の目の前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、この一帯の沼沢は死屍で埋められたという。
 これは明らかに正規の戦闘行為によるものである。にもかかわらず中国側は虐殺として取り扱っている』(『熊本兵団戦史2 支那事変編』。熊本兵団戦史編さん員会編者)
 このように、同師団の戦史では、同師団は敗走する兵士のみならず、難民、すなわち民間人をも南京の『城外』で殺戮し、一帯の沼沢が埋まるほどの死屍が生じたことを記しているのだ。にもかかわず『産経』は、『城内』でそれを見なかったという元・獣医務曹長を前面に出して1面トップ記事を組んでしまったのだ。
 彼らのと『歴史戦』いうものはこのように実にお粗末きわまりない代物であるが、同師団戦史の記述が広く知られていない現在の日本社会では、残念ながらこのような稚拙な手口でも一定の効果をあげてしまっているのが現状だ。
 ハッタリの『実証主義
 ちなみに同戦史の執筆者は、この殺戮の正当性を訴えている。しかし、これはやはり無理がある。侵略者が、侵略された側の敗兵と難民を追って一緒くたんに殺したら、客観的には『虐殺』と判断せざるをえまい。この執筆者も、もし熊本が地上戦でどこかの軍隊に侵略されて日本側の敗兵と難民が一緒くたに殺されたら、それを『虐殺』と断じたのではないだろうか。
 これに懲りず、16年には『別冊正論26「南京」斬り』が刊行された。この別冊の記事目次で目についたのは、否定派こそが実証的であり、理知的であるかのような自己演出だ。
 〈日中共鳴の「南京大虐殺」虚構史 進展する日本側の実証研究〉(月刊『正論』編集部)、〈「南京大虐殺」論争の最新焦点〉(藤岡信勝)、〈左傾マスコミはなぜ「虐殺」を創るのか 中国のいいなりで日本側記録検証せず〉(柿谷勲夫)等々。しかし上達したのは『実証主義』を装ったハッタリだけで、前述の④については何ら変わりがない。
 とりわけ、06年春に刊行された『現代歴史学南京事件』(笠原十九司・古田祐編、柏書房)には、重要な日本軍史料や証言がいくつも提示され、文字通り『実証主義』的な議論がされているが、それらに言及し反論している記事は、この『正論』別冊にはなぜかまったく見られない。
 では、『現代歴史学南京事件』で提示された史料の一例を紹介しよう。日本陸軍中枢で当時行なわれた会議では、南京の日本軍に関して次のような報告がなされた(同書13頁)。
 『軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、掠奪たえず、現に厳重に取締りに努力しあるも部下の掌握不十分、未教育補充兵等に問題なおたえず』
 これは田中新一・陸軍省軍事課長が記録した『支那事変記録 其の4』(防衛研究所戦史部所蔵)の中の、1938年1月12日の陸軍省局長会議における阿南惟幾陸軍省人事局長の報告だ。阿南は38年初頭、日本軍の南京占領後の軍功査定と不軍紀問題の調査のため、南京に赴き現地軍を視察・聴取し帰国した。そして陸軍局長会議で『強姦、掠奪たえず』と報告したのだ。
 これを受けて、田中自身も以下の所見を記している。
 『陸軍内部における多年の積弊が支那事変を通じて如実に露呈せられたものとみるべく、……深刻さには改めて驚かされる次第なり』──。陸軍が蓄積させてきた悪弊が如実に露呈したようだ、と述べている。
 『掠奪、強姦多数あり』
 さらに、同書から引用する。
 『一つは、1938年6月に第11軍司令官として中国戦線に赴いた岡村寧次の記録である。1954年6月に厚生相引上援護局が作成したこの記録、『岡村寧次大将陣中感想緑』(靖国偕行文庫所蔵)には、38年7月13日のこととして、次のような記述がある。
 中支戦線到着後先遣の宮崎参謀、中支那派遣軍特務部長原田少将、杭州機関長萩原中佐等より聴取する所に依れば従来派遣軍第一線は給養困難をなして俘虜の多くは之を殺すの悪弊あり、南京攻略時に於て約4、5万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数ありしたことは事実なるか如し。 
 なお、この記録の表紙には、「一切転載並公表を禁ず」とのただし書きが付されている』(12頁)
 少し説明を加えよう。当時中将の岡村寧次は武漢戦の総司令官として南京戦の約半年後に中国に向かい、先に現地にいた宮崎周一や原田熊吉ら陸軍高官から、軍の状況を内部聴取した。……
 この証言で重要なのは、原田少将(当時)から聴取している点だ。彼は南京戦を戦った『中支那派遣軍』の特務部長でもあり、占領後の南京市内に入り宣撫工作を総括し、当時の南京の実情を知る立場だった。その原田からも聴取した結果が『約4、5万に上る大殺戮、市民に対する多数の掠奪、強姦があったことは事実のようだ』『給養困難を名目に俘虜の多くを殺す悪弊があった』というのは、加害者の内部証言としては非常に重い意味を持っている。
 『南京事件論争』という言葉がある。ここでも先ほどまで『南京事件否定論』という言葉を使ってきたが、しかし、否定『論』と名乗るなら、最低限ここで紹介した史料や証言には言及したうえで、有効な反論を試みるべきだ。その姿勢がまったく見られない以上、『産経』が展開しているのは『論』ではなく、南京事件否定のプロパガンダと言わざるをえまい。
 プロパガンダをしかける側が自らを『実証的』とうそぶき、相手を『プロパガンダ』と侮る。そうした倒錯がある程度受け入れられているのが、南京事件をめぐる日本社会の状況なのだ。
 ここで紹介した証言や史料は、一例に過ぎない。もちろん、加害側の証言や史料だけでは南京虐殺の全体像を知ることは難しく、また加害側は規模を過小に述べる傾向がある。しかし、『産経』など否定派にこれ以上好き勝手させないためにも、ここで紹介した証言や史料はきわめて有効であるはずだ」

 

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「南京事件」を調査せよ

「南京事件」を調査せよ

  • 作者:潔, 清水
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 単行本