🎹22:─3─日本の戦争は財宝・領土・イデオロギー・宗教ではなく情の戦争であった。暴支膺懲。〜No.121No.122No.123 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦前の日本人と戦後の日本人は、別人のような日本人である。
 戦前の日本人は、理由がハッキリし、道理・筋が通る戦いであれば積極的に支持した。
 戦後の日本人は、いかなる理由があろうとも戦う事を放棄した。
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 日本の戦争は、領土の拡大や富の強奪といった強欲な野望を実現する為の戦争ではなく、人としての情の為の戦争であった。
 「殺されたから殺す」という、復讐権・報復権の発動であった。
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 日本が戦争を始めたのは、中国共産党やロシア人共産主義者による逃げ惑う一般日本人、特に女性や子供への陰惨な猟奇的虐殺が引き金であった。
 つまり、暴支膺懲である。
 日本民族日本人は、激怒して戦争を始めた。
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 日本民族日本人は、和歌・短歌や俳句を詠む歌人であったが、叙情詩人ではなかったし、ましてや哲学者、思想家、主義主張の徒、信仰者、宗教家ではない。
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 2019年6月2日号 サンデー毎日五木寛之のボケない名言
 文学者、特に詩人の叙情的な精神が危険なのです──沼野充義
 『論には論』を『情には情』を
 これはある対談集のなかで、沼野充義さんが洩(も)らされた言葉の一部である。ロシア・東欧文学研究の第一人者である沼野さんの、溜(た)め息のようなひと言が、ひどく心に響いた。
 昭和はすでに遠くへ過ぎ去ったが、その幻影はいまだに尾を引いて残っている。思うに戦前の昭和は、『論』によって戦争に飛びこんでいった時代ではない。国家の強制によって民衆が動員された結果でもない。子供から老人まで、一般の民衆が集団的叙情によって献身した時代だつた。
 『叙情詩的』などと表現がある。じつはその言葉自体が、どれほどの叙情をはらんでいることか。
 私たちは東条英機の思想によって聖戦に身を投じたわけでではない。天才的作曲家、信時潔の『海ゆかば』の叙情に共感し、歌謡曲『九段の母』のメロディーに涙して、父を、子を戦場に送ったのだ。
 文学者、詩人のみならず、音楽家も、画家も、歌い手も、大半の芸術家は、すべて情の煽動者だった。『ラ・マルセイエーズ』も、『インターナショナル』の歌声も同じである。
 叙情は常に両刃(もろは)の刃である。孤独な人びとは、常に一体感を求める。戦前の叙情は、ほとんどが国民的一体感の子守唄だった。情を論破することは不可能だ。小野十三郞のいう『新しい叙情』の確率は至難の業(わざ)である。しかし『論には論を、情には情を』の道しかあるまい。新しい『情の時代』が始まった」
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 武士・サムライは、相手が誰であれ火の粉を振り掛けてきた相手に対して、武士の体面、名誉から逃げることなく戦った。
 たとえ、相手が強者であろうが、戦っても勝てない相手でも、負けて殺されようが、武士の一分として臆する事なく、命を仕掛け、命を捨て、肉を斬らして骨を断つの気迫で戦いを挑んだ。
 武士・サムライの体面、名誉、武士の一分において、勝ち負けや生死など二の次三の次であった。
 そして、負けるつもりはなかった。
 武士・サムライには、負けるから戦わない、殺されるから逆らわない、そんな無様な、みっともない生き方は屈辱でしかなく、そんな生き方をするのなら切腹して自決した。
 武士・サムライは、惨めな負け犬として生き長らえる事を最も嫌った。
 武士道における「死の覚悟」とは、そういう覚悟である。
 武士・サムライの美学とは、「死んで生きる」ことで、靖国神社精神である。
 靖国神社を否定する事は、武士道・士道を否定する事であり、自分は武士・サムライではないと宣言する事である。
 つまり、現代日本から武士・サムライが消えつつある。
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 武士・サムライは、主君と御家(藩)ヘの忠誠心を持ち、哲学、思想、主義主張そして敬虔な信仰に基づいた宗教心を持っていなかった。
 日本において、哲学、思想、主義主張そして宗教・信仰にはたいして意味がなかったどころか、そうした事を真顔で説いて回る者は変人か狂人か単なるバカと見なされて相手にされなかった。
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 日本の自然環境・風土には、哲学・思想・主義主張そして個性の強い宗教は馴染まなかった。
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 日本民族日本人にとって宗教とは、日常的な冠婚葬祭の為だけに必要な便利な道具であって、御大層に「人とは何か」とか「生きるとは何か」などと考える思索の道具ではなかった。
 それ故に、仏教は葬式仏教であり、神道はお祭り神道であった。
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 日本民族日本人は、国家や政府や軍部の情報でに簡単に操られるほど、常識が欠如した思慮分別の乏しい衆愚民族ではなかった。
 それは、すぐ欺される自己判断力の弱い現代日本人である。
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 日本民族日本人は、庶民であって、人民ではないし、民衆・大衆でもなかった。
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 日本民族日本人は、足を踏まれたり平手で叩(はた)かれるぐらいでは激情に駆られる事はなかったが、敵意を剥き出しにして殴る蹴るの乱暴や凶器・道具を持ち出す相手には容赦しなかった。
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 世界は、日本民族日本人の激怒と復讐権・報復権を否定し戦争犯罪としてて断罪した。
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 日本には、軍国主義はあったが、ファシズムはなく、よって天皇ファシズムなどは存在しなかった。
 軍国日本、日本軍は、全体主義であるファシズム、ナチズムそして共産主義と、天皇制度と母国と民族を守る為に戦争をしていた。
 日本の真の敵は、中国共産党ソ連・ロシア人共産主義者などの共産主義勢力であった。
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 東京裁判とは、軍国日本と日本民族日本人の復讐権・報復権を否定し、昭和天皇A級戦犯達、日本陸軍の人道貢献と平和努力を歴史から抹消する国際裁判であった。
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