💸22¦─1─日本製造業の生き残り戦略は、完成品販売ではなく、部品供給や下請けなどの子会社化である。〜No.110No.111No.112 * 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 「メイド・イン・ジャパン」は、商品のタグ項目の一つでブランドではない。
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 バブル経済によって経済大国となり豊かさと安定を手に入れるや、思考は停止し、行動は鈍化して、既存を破壊し常識を覆し新しい物を生み出そうという斬新な発想をする人材困難な技法で腕を磨こうという職人を失った。
 メイド・イン・ジャパン神話の崩壊である。
 日本は、謙虚さを失い傲慢となって怠惰で身を滅ぼす愚か者の物語が始まった。
 その姿はまさしく、絶対神の怒りをかって死滅したソドムとゴモラの都市そのものであった。
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 日本人児童の英語力を強化する事は、日本国語力を弱め柔軟な発想力を弱めモノ作り能力を奪うことになる。
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 2015年10月23日号 週刊朝日「国内最大の家電見本市『シーテック ジャパン』が10月7日から10日まで、幕張メッセ千葉市)で開催された。国内外の計531社・団体が最新技術を駆使した試作品など披露した。テーマはインターネットとモノが融合する『IoT』。でも何かヘンだ。日本の家電業界の『大物』の姿が少ないのだ。
 事務局によると、日立製作所は2012年、ソニーは13年を最後に撤退。粉飾決算疑惑で炎上中の東芝も今回出展を見送った。
 かって電機業界の利益構造は『スマイルカーブ』と呼ばれ、口角の上がった部分、つまり高収益なのは上流の部品産業と、価格に影響力を持つ家電量販店だった。だが近年は新興国企業の台頭などで家電が売れないため、今春には量販最大手のヤマダ電機も販売不振から大量閉店を決断。『笑顔』はなくなり、どこかの財務相の口元のようになっている状況だ。
 未出展の理由を各社は『インフラ事業に舵を切ったため』(日立)、『BtoBシフトを加速中』(東芝)、『グローバルで選択と集中をした結果』(ソニー)と回答。だがある大手社員は『「日本が家電の中心」なんてのは過去の話』。来場したソニー社員は『未出展は寂しいが、出せるモノがまだない』とする。
 投資家はこう見る。日本個人投資家の木村喜由理事は『米国は発想力ある人材がおり、部品さえあれば新しいモノを作る。日本はその逆。不振の原因はそこ。中韓大手も後追いなので、日本の二の舞です』。
 ……
 高橋氏は言う。
 『鶏と卵はあくまで鶏が先。リスクを承知で作ったモノの先に技術革新とコンテンツがある。日本勢もリスク回避を続ければジリ貧になる』
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 2015年10月20日号 ニューズウィーク誌日本版「河東哲夫
 消えた『日本の顔』の行方 家電復活には技より人を磨け 
 日本の製品と存在感が国際的に薄まるばかり
 メガ競争に必要なのは企業内における発想の転換
 千葉県の幕張メッセで先週、IT・家電見本市『シーテックジャパン』が開かれた、日本はかって電子立国といわれて、エジソンの国アメリカのお株を奪っていたが、近年は日本家電や日本市場は後退。家電の世界は毎年9月の独『IFA』、1月の米『CES』が注目を集めている。シーテックには、今年ソニー東芝日立製作所が出展を見送った。
 かって日本の家電は世界を風靡した(オーディオ・ビデオが主体で、白物家電は国内にとどまっていたが)。ソ連崩壊で自由化したモスクワや上海にできたばかりの浦東地区の夜空も日本家電のネオンでまばゆかった。今は両方ともない。ipad、iphoneはもちろん、パソコン、掃除機、扇風機でさえ中国の聯想、台湾のエイスースティック・コンピューター、イギリスのダイソン・アプライアンセズやアメリカのアイロボットの台頭が目覚ましい。日本が先行しているとうぬぼれていたロボットも、ソフトバンクのペッパーは台湾の鴻海精密工業が量産を請け負う。
 日本の家電製品はまだ世界の市場で売れているが、多くが中国や東南アジアで製造されたものだ。部品のほとんどは日本製でも、組み立て工程の利益は海外に流出している。それでも日本は電子部品生産では世界一、日本の部品なしにサムスンもアップルも製品を作れない、と胸を張るのだろうか? 確かに日本の電子部品輸出額は昨年約7兆4,000億円に達しているが(最終製品はわずか約2兆円)、02年に最終製品を約10兆円、部品も約9兆円輸出していたのに遠く及ばない。部品だけでは日本の顔が見えなくなってしまう。
 200国近くもの国がひしめく世界で、日本を認知してもらのは大変だ。以前は自動車ゃ家電で日本はすぐ認知してもらえたが、今では存在感は薄く、すっかり見えない国になった。
 将来の利益より今の派閥
 家電はもともと、エジソンとGEのアメリカが発祥の地。日本があれだけできたのは、テレビやハイファイ・オーディオといった売れる製品の基本仕様が長い間変わらず、磨いていればよかったのと、戦後日本の低賃金と超過勤務、メーカー間の過当競争による低価格で米企業に圧倒できたからだ。
 ゲームのルールを決める力を持つ者は、新参者に負けるとルールを変える。家電の場合はデジタル化だ。アップルはipodというコンセプトをつくると、最高の部品を日本や韓国企業に発注、台湾の鴻海に中国で組み立てさせるという、自社工場なし(ファブレス)のアウトソーシングモデルで世界市場を迅速に制覇した。
 ソニーも同様のデバイスを出したものの、提供する音楽を自社の持つものに限定したため、アップルの後塵を拝する。アップルが利益の60%をipod,iphonで上げているのと比べると、日本の家電メーカーは巨大すぎて、特定の製品に資本と人材を集中しにくい。社内は将来の利益より現在の派閥の利益のために動くので、ますます動きが鈍くなる。
 現在は、ものづくりとAI(人工知能)、サービスが一体化する時代。ものづくりも『匠の技』で磨いていればいいものではなくなった。既存の殻を破った特異な思い付きを磨き、商品化する技が必要になっている。
 ここでは『個性重視』と『国際化』がキーワードになる。日本の組織は国内派が派閥を成して重要決定を牛耳るから、発想は国内中心で殻を破ることは考えない。トップが会社の将来を考え、実現可能な具体策を講ずることが必要だ。若い社員には数年間の海外勤務(外国企業への出向でもいい)を必修とし、保護することなしに本音で現地の経営を味わわせてはどうか。そして社の内外で斬新なアイデアを持つ者に資金を与え、設備と労働力を利用させる体制を考える必要がある。
 経済は国力の基礎。製品は国の顔。メガ競争の時代。日本家電の復活を祈ってやまない」
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 江上剛「(一流企業の社員に送るアドバイス)会社の業績がいい時は、お客さんや下請けからチヤホヤされ、接待でも必ず上座に座らされる。が、ひとたび不祥事が発生すれば、そうしたお客さんや下請けから手痛いしっぺ返しをくらうのです。ですから、『世間は思いの外、冷たい』ということをあらかじめ覚悟しておき、調子の良い時こそ周囲に頭を下げ、傲慢にならないように心がけなければいけません」
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 何時の時代でも、部品メーカーや下請け産業は新たな有力な競争相手が生まれれば淘汰される。
 独自の完成品を持たない企業は、弱肉強食の市場経済では生きて行けない。
 日本市場では、親会社や発注会社がこれまでの長い付き合いから困った時は温情として助けてくれる。
 が。国際市場では、他国の企業は決して助けてはくれない、寧ろ容赦なく奪えるモノ全てを奪いつくし、そしてカス(授業員とその家族)だけを残して潰す。
 世界経済は、利益の為に戦う性悪説の世界で有り、お互いが利益を分かち合って共に生きて行く性善説の世界ではない。
 現代の日本人は、グローバルな時代で果たして生きて行けるのか。
 白物家電が全滅状態な上に、電気自動車が主流となってガソリン車が減り、新幹線鉄道システムが中国勢に敗退し、原子力関連施設も韓国・中国勢の売り込みに押され、この先何を輸出して外貨を稼ぎ、1,000兆円以上の借金を返済するのか。
 人口減少の加速で、労働不足と消費の減退が深刻化する。
 今は、過去の遺産で何とか食いつないでいるが、将来、それは消滅する。
 いま出回っている「メイド・イン・ジャパン」とは、過去の遺産であって、将来へのパスポートではない。
 過去の「メイド・イン・ジャパン」という成功モデルや成功の法則は、未来に於いて通用しない。
 ばぜはら、それは新しいモノを生み出さない「死」んだ存在だから。
 日本の失敗の最大原因は、アメリカのような存在のある国になりたいと憧れ、アメリカ化しすれば成れると信じてアメリカを真似したことである。
 日本は、如何に憧れ真似をしてもアメリカには成れない。
 将来に於いても、決して成れない。
 なぜなら、日本はアメリカに全ての面で依存しなければ存続できないからである。
 そして、アメリカは日本と違って全てのルールを創る顕在的潜在的な総合力を持っている。
 日本には、ルールを創る総合力はない。
 対米依存否定の反米派は、所詮、くだらない、いじけた、つまらぬ、相手にする価値のない人間である。
 それ以上に信用できないのは、無批判の下僕的対米依存論者である。
 日本が、アメリカの真似をして同じ事をする限り没落するしかない。
 戦前の日本は、アメリカと距離をおき、アメリカとは違う日本独自のルールで行動しようとして、アメリカに暴力的に潰された。
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 費用対効果。
 短期で利益を前年度・前期より上げる。
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 なぜ、韓国や中国がノーベル賞を受賞する事が難しいか。
 黒田勝弘「国や企業が設立した色々な研究所があります。ですが、早く成果を上げないといけないという韓国人特有の性格も関係しているのか、施設では3年とか短期間で結果が出る実験を中心にやらべばならない。長期間にわたり、日の目を見ないかもしれない研究をやる余裕がないのです」
 石平「中国では、大学も研究者も金儲けを第一に考えています。地道に基礎研究をする人などほとんどいません」
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 煽てに弱い日本人は、技術立国日本という架空の「メイド・イン・ジャパン」神話と幻想の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に煽てられ堕落し劣化した愚かな日本人。
 「メイド・イン・ジャパン」は、消費者・買い手・客が選んだ生産地の国に過ぎない。
 生産者・職人や商売人・企業家が自慢する看板・商標ではない。
 生産者・職人が自慢するのは、自分が作った品物である。
 商売人・企業家が自慢するのは、自分が厳選して店頭に並べる品物若しくは売り込む品物である。
 「メイド・イン・ジャパン」とは、霧か霞のような実態のない、それこそ仏に祈る御題目か神に捧げる祈祷に過ぎず、商品という実体を扱う生産者・職人や商売人・企業家が頼る代物ではない。
 日本人は、お人好しの単純馬鹿であるが故に、他人、それも外国人で白人から褒められ煽てられると舞い上がって有頂天となり、自分は偉い、自分は優れていると子供のように浮かれ喜び、思考停止と行動不能に陥り自堕落となり劣化し没落する。
 それは、百姓根性であり職人魂でもなければ武士道でもない。
 百姓が、「ご無理ご尤も」として御上に逆らわなかったのは、強権的に威圧・恫喝・脅迫・威嚇されて恐怖に怯えたからではなく、御上に言葉巧みに「あだてられ」上手い話で「丸め込まれた」からである。
 百姓一揆は、搾取と弾圧で苦しめる御上への怒りによる暴動ではなく、話が違う、約束が違う、裏切られた、という不満で起きていた。
 大名の重要な要素は、約束や契約は守る事である。
 人は必ず失敗し大損をし被害を被るものである以上、失敗から教訓を導き出して学び、同じ失敗や過ちを繰り返さないようにする事が大事である。
 やってはならない事は、嘘をつく、約束を破る、信用している人を裏切らぎる、である。
 大名は失敗・失政しても、それを家臣が補う。
 家臣が補えないのが、嘘偽りや裏切りである。
 故に。武士・サムライは信義を大事にし、約束した事は命を捨てて守り通した。
 武士に二言なし。
 切腹・自決・自裁は、それ故に尊ばれた。
 将軍や大名には、大陸の君主のような強いリーダーシップを持った名君は少ない。
 商人や職人は、他人の言葉巧みな甘い言葉「おだて」は、自分を騙して利益を独り占めにしようとしていると疑って信用しなかった。
 故に。神道信仰では、言葉を「言霊」として畏れ、約束・契約を起請文として不磨の大典と祭り上げた。
 「メイド・イン・ジャパン」は、具体的な商品名ではなく、権威と格式を持ったブランド・商標でもなく、確実に売れるという保証や約束でもなく、金を出して買い揃えたいという願望を引き出す魅惑的な名称でもない。
 消費者・買い手・客に対して、高性能と品質の良さを約束する単ある荷札・タグに過ぎない。
 信用と信頼を得る為に、愚直に生真面目に寸分違わない正確さを求め、相手に誠心誠意を以て商品を届ける。
 決して、裏切らない、失望させない、それが全ての日本製品に付けられた「メイド・イン・ジャパン」というタグである。
 商売相手が口にして褒めそやす「メイド・イン・ジャパン」は、尊敬3割嘲笑7割である。
 尊敬3割で、「日本の技術力はナンバーワン」と盲信して浮かれ騒いで馬鹿を見たのが、バブル崩壊である。
 技術は優秀であったが、人間性は無能に成り下がった。
 幕末から明治にかけて、技術がなかったが人材は豊富であった。
 バブル崩壊後、世界に通用する人材が枯渇した。
 架空の「メイド・イン・ジャパン」神話から目を覚まし、これまでの成功モデルや成功の法則や既存の手法を時代遅れとして捨てるか刷新しない限り、日本の再建はあり得ない。
 「メイド・イン・ジャパン」は人気があるが、人気だけで商品が売れるわけではない。
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 家電各会社は、毎年、年数回モデルチェンジをして、その都度新機種の新製品を発表して売り出した。
 だが、消費者は、長引く不況から古き機種を捨て新しい製品を買いたいとは思わなくなっていた。
 個人消費の冷えは、日本製品に以前ほどの人を惹きつけるような魅力がなくなっていた事である。
 日本製品の魅力がなくなった原因は、企業側がブランドだけで売れると傲慢になり「もの作り」を軽視し事にある。
 過去の成功体験・成功モデルを変えず踏襲していれば、自社を愛している消費者は自社製品を必ず買ってくれると。
 「経費対効果」から、今ある売れ行き製品の改良と有能な人材で満足し、時間と経費が掛かる人材育成と製品開発は失敗が多く無駄金として切り捨てたからである。
 売れ行き不振による収益減少を補う為に、アメリカ方式を採用して、失敗作ばかり出して遊んでいるように見える開発部門を中心とした有能な従業員を大量にリストラした。
 アメリカ方式は、自社開発ではなく中小企業もしくは個人が持っている斬新な技術を買収として自社製品として売り出す事である。
 アメリカ方式の採用によって、独自的発想の自社開発による個性的な商品を提供するという日本企業の個人商店的な魅力は消えた。
 賢い消費者は、同じ様な性能の製品であれば価格の安い製品を買った。
 企業は、製品が売れるのは情緒的魅力ではなくブランドであると信じ、消費者心理や市場の動向を無視して時代の潮流を見失った。
 メイド・イン・ジャパンは、日本企業のブランドではなく、日本製品の魅力であった。
 消費者が買うのは、日本企業の人畜無害にして無味乾燥的な古くさいブランドではなく、他社製品との差別化を図った強烈な個性を持った時代を先取りした斬新な日本製品の魅力であった。
 個性をなくした日本製品には、高価でも買って持ちたいという物欲を駆り立てる魅力がなくなった。
 家電各社の凋落は、価格競争に負けたのではなく、日本ブランドが持っていた個性的魅力を捨てたからである。
 完成品を輸出できない企業は、完成品を販売する企業に対して自社の部品を提供した。
 メイド・イン・ジャパンとは、完成品に付けられるのであって、製品の中に組み込まれた部品に付けられるものではない。
 部品供給メーカーは、所詮は、完成品を取り扱う親会社に従う下請け・子会社に過ぎない。
 名の知れた完成品販売会社は世界に数社しかないが、優秀な部品供給会社は世界に数十・数百社と存在する。
 日本家電企業が、完成品販売会社ではなく部品供給会社で生き残ろうとすれば、親会社の鼻息や目線を気にして衰退し、親会社の気まぐれで契約が打ち切られ倒産に追い込まれる事もありうる。
 日本国内で大企業と威張っても、所詮は、世界市場では中小企業、町工場に過ぎない。
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 日本の輸出製品は、完成した最終製品ではなく製品に組み込まれる高性能部品である。
 最終製品は輸出先国の景気や消費状況に左右さて不安定だが、高性能部品は世界中の製造メーカーを相手に取引する関係で安定している。
 メイド・イン・ジャパンといわれた白物家電製品は、斜陽産業として国際競争力を失い輸出量は激減していた。
 自動車産業も、生産拠点を海外の市場近くに移している。
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 部品メーカーとして衰退産業のメイド・イン・ジャパンと完成品メーカーとして隆盛産業のメイド・イン・チャイナ。
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 戦後復興期から高度成長期までの日本は、欧米産業の後追いとして模造品を作り、安かろう悪かろうと言う評価でメイド・イン・ジャパン商品を輸出していた。
 悪評を乗り越え、イノベーションを繰り返し優れたメイド・イン・ジャパン商品を開発生産して世界第二位の経済大国になった。
 イノベーション能力を失ったメイド・イン・ジャパン商品が、市場での「ワクワク・ドキドキ」感という魅力を失って売れなくなったのは当然の結果である。
 イノベーション能力を維持できた企業は残り、維持できなかった企業が生き残れなかった。
 メイド・イン・ジャパン商品の売れ行き不振による日本経済の衰退は、イノベーションできなかった日本企業が大半であったと言う事である。
 この先、日本が昔のに他人に頼る事なく自力でイノベーションができなければ、日本の衰退は加速化する。
 さらに、人口激減が日本を襲う。
 日本の再生は、人口爆発で経済大国として成功した経営モデルとメイド・イン・ジャパン神話を捨て去る事である。
 昔の成功した経営モデルとメイド・イン・ジャパン神話に漬っている内は、新たなイノベーションはあり得ないし、日本の復興は不可能である。
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 2016年11月17日号 週刊新潮逆張りの思考 成毛眞
 メイド・イン・チャイナの意味が変貌する
 ……
 メイド・イン・チャイナといえば、壊れやすい・センスが悪い・安っぽい・コピー商品が多いなど、およそネガティブなイメージが付きまとっていたが、今は時代の先端を行くようになっている。一方で、残念ながら日本からは、ナインボットやドローンのように私の財布の紐を緩めるような商品は生まれていない。すでに、中国は日本を追い越しているのだ。
 メイド・イン・チャイナはもう、そのパッケージからして美しく、堂々としている。ちっとも安っぽさがなく、開封する前からわくわくさせてくれる。おそらくは世界の工場として、パッケージにも手を抜かないトップブランドの商品作りに携わっているうちに、美についての意識が高まっていったのだろう。それにくらべて我が国の商品のパッケージは、効率化はされているが楽しくない。
 性能や安全性の高さを示す意味で使われる前、メイド・イン・ジャパンという言葉は、安物を意味していて、その意味で正反対になるのは20〜30年近くかかった。今は、メイド・イン・チャイナの意味が変貌する過渡期にあるといえるだろう。いつまでも中国製を馬鹿にしていると浦島太郎状態になりかねない。
 サービスについても同様だ。中国は食の国だから、調理のレベルもぐんと上がっていくに違いない。今はなかなか想像できないが、おもてなしのレベルも上がる。はたしてそのときメイド・イン・ジャパンはメイド・イン・チャイナに勝てるのか」



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