☂11:─2─戦後民主主義教育世代。シルバーデモクラシーと全共闘。〜No.41No.42No.43 

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 シルバーデモクラシー全共闘世代は、少数派ながら次世代に革命思想を注入している。
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 戦前の共産主義者は、ソ連コミンテルンの手先となり、中国共産党の支援を受け、天皇制度打倒を掲げ、暴力革命を起こすべく昭和天皇や皇族を殺すテロリストになっていた。 
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 産経新聞iRONNA
 iRONNA編集部
 シルバーデモクラシー全共闘
 シルバーデモクラシー。既得権を守りたい高齢者が政治プロセスを支配する現象だが、わが国ではその中心が団塊世代である。彼らの青春時代、大学キャンパスは「全共闘」と呼ばれた学生たちに占拠され、まさに「革命前夜」だった。あれから半世紀。「老害」とも揶揄されるシルバー民主主義の功罪を考えたい。
 「シルバーデモクラシー」の根底にあるもの
 『産経新聞出版』 2018/11/12
 産経新聞取材班
 近年、高齢層の投票行動が選挙結果に多大な影響を与えているという意味で、「シルバーデモクラシー」という言葉が使われる。特に日本は、「団塊」と呼ばれるベビーブーム世代であり、その数は圧倒的だ。すでに一線を退いた人が多いものの、今なお社会に厳然たる影響力を持っている世代とも言える。
 『総括せよ! さらば革命的世代-50年前、キャンパスで何があったか』(産経新聞取材班、産経NF文庫)は、そんな彼らの青春時代にメスを入れた一冊だ。
 半世紀前の大学キャンパス。そこには、「革命」を訴える世代がいた。当時それは特別な人間でも特別な考え方でもなかった。にもかかわらず、彼らは、あの時代を積極的に語ろうとはしない。語られるのは中途半端な武勇伝だけであり、「そういう時代だった」「みんなそうだった」と簡単に片付ける人すらいる。
 そして、私たちの「隣人」としてごく普通の生活を送っている。彼らの思想はいつから変わったのか。いや、変わっていないのか。その存在はわが国にどのような功罪を与えたのか。そもそも当時、この国のキャンパスで何が起きたのか?
 本書のもととなる新聞連載は、そんな疑問を持った若手記者たちにより、2008年5月から09年6月にかけて行われた。取材当時、全共闘世代は60歳前後。ちょうど彼らが会社を定年退職するなどして、社会の一線から退こうとしているタイミングだった。最初の書籍化から10年が経過したが、連載の骨格はそのままに、文庫化にあわせて再取材と修正も行っている。
 取材当時は、09年9月に発足した民主党政権の誕生前夜だった。学生時代に自民党政権に激しく抵抗した全共闘世代に、政権交代について尋ねたことが何度かあったが、「政権交代しても権力は権力で変わらない」という冷ややかな声とともに、「昔、おれたちが願っていたような時代がくるかもしれない」と答える人もいた。少なくとも、政権交代前夜の熱気のようなものは感じられた。しかし、民主党政権は多くの国民の期待を裏切ってあっさりと倒れ、現在は自民党の一強多弱と呼ばれる政治状況が続いている。
 一方で、「国家権力への反対運動」はなくなったわけではない。ここ数年だけみても、例えば、特定秘密保護法をめぐって反対運動を行った「SEALDs(シールズ)」と呼ばれる学生グループが注目を集めたことや、学校法人「森友学園」への国有地売却や、学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題での倒閣運動もあった。「アベ政治を許さない」などというプラカードとともに、国会周辺で政権に退陣を迫る〝闘争〟は今も続いている。だが、そこに集う人々をよく見ると、ほとんどが高齢者である。
 文庫化にあわせ、以前取材した元闘士たちの何人かに連絡をとったが、やはりというべきか、長期政権となった安倍晋三政権を批判し、野党のふがいなさを嘆く人が少なくなかった。本書でも指摘しているように、当時の大学進学率は15%前後。団塊の世代イコール全共闘世代とは言えないし、全共闘世代のその後の人生もひとくくりにはできない。ただ、彼らの世代には今も、根底に心情左派的な意識が広がっているのではないかと感じる。
 それは、若いころに好んで聞いた音楽をいくつになっても聴き続けるような感覚なのかもしれないが、そのようなノスタルジーの中に彼らは今も生き続けているのだろうか。
 60年代後半に学生時代を過ごした「全共闘世代」はリーダー不在の世代ともいわれる。タレントや作家など個性的な才能を発揮している人は多いものの、与党政治家やカリスマ的な経営者は意外に少ない。自民党の総理経験者でいえば、小泉純一郎氏(42年生まれ)から安倍晋三氏(54年生まれ)までの空白の期間にあたる。福田康夫氏は36年、麻生太郎氏は40年生まれで、2人はともに小泉氏より年長だ。
 全共闘世代で総理になったのは、やはりと言うべきか、民主党政権での2人だけである。鳩山由紀夫氏(47年生まれ)と菅直人氏(46年生まれ)だ(野田佳彦氏は安倍氏より若い57年生まれ)。2人の評価はあえてしないが、全共闘世代を代表する政治家と言っても過言ではない。
 学生運動の収拾に最前線であたった警察幹部の一人で、先ごろ亡くなった元内閣安全保障室長の佐々淳行さんは本書の中で興味深い分析をしている。30(昭和5)年生まれで、全共闘世代とは一回り以上違う佐々さんは警視庁警備1課長として東大安田講堂事件の攻防戦を指揮。72年の連合赤軍によるあさま山荘事件も担当するなど、警察側から見た歴史の証言者である。
 佐々さんは、年の離れた弟のような全共闘学生に対して一定の理解を示しつつも、「文明批評的にみると、昭和ヒトケタ生まれの自分たちと昭和20年代生まれの彼らの間には、埋めがたい世代間の亀裂があった」と指摘。「戦前、戦中、戦後を死にものぐるいで生き残ったわれわれと比べ、彼らは、もの心ついたときには経済復興が済み、自由と平和が保障されていた。仮にすべての人間の深層心理に闘争本能というものが潜んでいるとするならば、彼らの行動は疑似戦争体験のようにも思えた」と言う。
 だが、激しい攻防となった安田講堂事件については、逮捕された計633人の学生のうち東大生はわずか38人で、全体のわずか6%。残りは他大学から駆けつけた「外人部隊」だった。東大全共闘のメンバーの多くは「勢力温存」を理由に学外に逃げ出していたという。
 こうした見方をめぐっては全共闘OB側から反論もあるが、佐々さんは「まるで敵前逃亡だと思った。当事者でありながら、いざとなると日和る要領のよさと精神的なひ弱さも彼らの世代の特徴だ」と話し、次のように述べた。
 「闘っている全共闘には理ありと感じていたが、問題はその後現在に至るまでの総括です。沈黙している人はまだ良いが、自分のことを棚にあげて『いまどきの若者は』なんて言うのは許せない。誰がどうだったと明らかにするつもりはないが、何も総括していないのに、いっちょ前のことを言うなと思うんです」
 佐々さんは、紛争を通じて逮捕したり動向調査をしたりした闘士たちが、その後、政治家や評論家などに転身した姿をテレビなどで見かけることがよくあった。警察庁を含む中央官僚や著名な経済人にも全共闘出身者がいたという。彼らに対し、佐々さんは「早く引退しろ」と手厳しかった。
 「総括もできないようでは、リーダーシップもとれない。早く次の世代にバトンタッチすべきだ。若い世代もとっくに見抜いていると思う」
 そして、07年の東京都知事選を例に出し、昭和ヒトケタ世代の石原慎太郎氏=1932(昭和7)年生まれ=と対抗馬だった全共闘世代の浅野史郎氏=1948(昭和23)年生まれ=を両世代の代表と見立て、2人の勝敗を分けた要因を「若者の支持」と分析した。
 「若い世代の全共闘世代への不信感が選挙結果にあらわれた。総括できない頼りないお父さんではなく、いざというときに頼れるおじいちゃんを選んだということだと思うのです」
 本書では、元日大全共闘議長の秋田明大さん、元赤軍派議長の塩見孝也さん(故人)、元日本赤軍最高幹部の重信房子受刑者、元東大全学連リーダーの西部邁さん(故人)ら学生運動を内側から見ていた人たちに加え、佐々さんのような外側から見た人々や教職員の視点、そして数多くの無名の元全共闘学生たちの声を集めている。
 今や戦争体験者の多くが鬼籍に入り、戦場体験者となれば、ゆうに90歳を超えてしまう時代になった。つい、20~30年前までは、それほどの苦労もなく探すことができた歴史の当事者たち、証言者たちが、次々と私たちの前から姿を消しつつある。
 「全共闘世代」は今70歳前後。当時を記した作品はいくつかあるが、当事者目線のノスタルジックな回顧録も多い。本書は、多数の学生を巻き込んだ熱気が潮を引くように沈静化した理由について、多角的な視点で検証を試みている。かつて大学で何があったのかを知る入門書であり、シルバーデモクラシーの功罪を考える一助にもなるかもしれない。
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