🎻64:─7─「Fukushima50」。死を覚悟した作業員が東日本壊滅を救った。~No.191No.192No.193 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 日本民族日本人は、言霊を信じていた為に、良い事を言っても悪い事は言わなかった。
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 庶民は、泣き言を言わない、不平不満を言わない、愚痴を言わない、罵詈雑言や誹謗中傷を言わなかった。
 武士は、職業軍人として、常在戦場として、四の五の言い訳をせず、事に臨んで臨機応変に行動していた。
 江戸幕府は、10万人以上の犠牲者を出した明暦の大火(振袖火事)を教訓として、「人が生活すれば火事は避けられない」との原則から、防災ではなく減災を目指した町の復興を行った。
 江戸の町は火災が絶えず、その度に数百人数千人の被害者が出ても、明暦の大火のような犠牲者は出なかった。
 江戸幕府が心掛けたのは、後世の為に、災害の原因、経過、被害、復興を包み隠さず、都合が悪かろうと偽らず、改竄せず、誤魔化さず、有りの儘に記録として残す事であった。
 記憶魔の結果、古文書が日本全国に山のように保存されている。
 古文書の多さは、世界でトップレベルであった。
 当時の日本人と現代の日本人は違う。
 現代日本には、武士も百姓もいない。
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 保科正之「備えずして罰するは不可」
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 日本の自然には、絶対神の御意思や救世主の奇跡などは存在しない。
 真理を究める哲学や思想は必要だが、お為ごかし的な綺麗事しか言わない主義主張はいらなかった。
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 日本民族日本人が生き残れたのは、自ら動く事による偶然と幸運と勢いによる紙一重・危機一髪のような薄氷であって、賢く秀でて優れたがゆえの必然や当然ではない。
 誰も助けてはくれない以上、痛くとも苦しくとも辛くとも、泣きながら何かをなしながら前に進しかない。
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 日本における安全神話は全てウソである。
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 2020年4月号 正論「『Fukushima50』公開記念トークイベント詳報
 『これが日本人なんだ』
 門田隆将×若松節朗×和田正人  司会 有元隆志
 ──この作品を映画化するきっかけは。
 若松 2013年に門田さんがこの原作本『死の淵を見た男』を僕にくださったのです。多忙のためしばらく経ってから読み始めましたが、そこへ映画会社のKADOKAWAから『この作品を映画化したい』との話があったのです。原作の圧倒的な緊迫感のある展開を映像化するのは大変だ、と思いましたが、やる以上は原作に勝る映画を作らなければ、と思ったのが始まりでした。
 その上で、福島の人たちにどういう寄り添い方ができるのか、ということも考え、商業ベースでというよりもこの映画を作る意義を考えたのです。原作に描かれた『フクシマフィフティ』と呼ばれた人たちを世に出す必要があるだろう、故郷や家族のためにどうやって自分を犠牲にできるかという精神を伝える必要があるだろうと思いました。彼らの行為には、ゼロ戦に乗って特攻隊として飛び立っていく人たちの大和魂と通じるものがありますが、そうした日本人の持っている一番いいところを再認識し、世界に向けて『日本人はこういうものなんだ』と発信する必要があると考えたのです。
 それから原発というものを考えるきっかけになれば、と思います。
 ……
 門田 ……
 吉田昌郎(まさお)所長についていえば、原発の運転員の方々にもずいぶん取材をしましたが、皆さん『吉田さんが所長でなかったら、とても日本は助からなかっただろう』と言っていました。『なぜ危険を冒して原子炉建屋への突入を繰り返せたのか』と聞くと『吉田さんとなら一緒に死ねると思っていた』と言う運転員たちがいたのです。一方、吉田さんは『俺はただのオッサンや』『俺は何もしていない。部下がすごかった』とずっと言っていました。
 国家の『死の淵』に立った人たち
 若松 この映画のために日本の最高の俳優2人をそろえられたのは大きかったですね。渡辺謙さん演じる吉田所長がいるのは緊急時対策室で、ここにいるのはエリートの人たち。そして佐藤浩市さんや和田君たちのいる中央操作室(中操)は福島の地元の高校を卒業した人たちが詰めています。映画の中で吉田さんが福島の民謡を歌うシーンがあるのですが、東電本店から来ているエリートが地元の民謡を歌うというところに、吉田さんの人間性の一端が表れているかと思います。
 門田 補足すると、中操にいるのはほとんどが地元の小高工業高校出身者です。和田さんが演じた本馬昇さんも、佐藤浩市さんが演じた伊沢郁夫さんも小高工の出身でした。伊沢さんに至っては、福島第一原発ができる以前にそこを遊び場にしていました。そういう地元の人たちが家族や故郷を救うために突入した。その地元出身の運転員が『吉田さんのためなら死ねる』と言うほどの信頼関係を普段から築いていたことに、私は感動しました。私も25年、新潮社でサラリーマン生活をしてきましたが、私と一緒に死んでくれるような部下は一人もいません。こうした信頼関係があって、かろうじて日本が救われたのだと、今さらながら思われます。
 あのとき原発に残っていた人たちは、自分の死の淵に立つとともに国家の死の淵にも立ったわけです。そのときに突入するか・しないか、突入要員に志願するか・しないか、いろいろな決断を迫られる局面がくる。そのときのことについて、私は中操にいた人ほぼ全員に話を聞きましたが、それはすごい葛藤があったそうです。試写会でその葛藤が実によく伝わってきて、感動しました。
 和田 あの場面については門田さんから事前にいろいろお話しを伺いました。『私が行きます』と最初に手を挙がるまで10秒ほどあったそうですが、その間が1分くらいに感じた人もいたそうで、そうした緊張感は撮影所の中で自然に生まれていました。撮影現場も、常に緊張感がありました。
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 あの『総理』をどう描いたか
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 ──映画には自衛隊も米軍も出てきますね。
 若松 美術さんも役者も『いいものを作ろう』と頑張っている中で『ウソのない映像を撮りたい』と僕の欲も出てきました。総理は福島へ陸自の『スーパーピューマ』というヘリコプターで行ったのですが『やはり映画でもそのヘリでないといけない』と、映画会社に無理を言って交渉してもらい、自衛隊のOKが出ました。それから米軍による『トモダチ作戦』を撮るためには、横田基地でのロケが必要だろう、となったのですが、交渉でなかなかOKが出ない。ギリギリのところでOKが出て助かりましたが。
 門田 今回、自衛隊も米軍も最後は全面協力してくれて、ヘリにしてもすべて実際のものを飛ばしてもらって撮影していますから、迫力があるはずです。私が感動したのは、映画の中で現場からの撤退を求められた自衛官が『民間の人たちが戦っているときに我々が退くわけには参りません。私たちの仕事は国を守ることですから』と、撤退を断るシーンがあるのです。吉田所長を演じる渡辺謙さんと、自衛隊の隊長を演じる前川泰之さんとこのやり取りは、胸が熱くなるものがあった。クランクアップのときに前川さんは『毎回、自衛隊の服務宣言を何度も心の中で唱えて撮影に臨みました』と挨拶して、そのまま服務宣言を暗誦したのです。ここまでの思いでこの役をやってくれたんだなあ、と感激しました。
 ──映画には当時の『総理』も出てきます。阪神大震災東日本大震災の総理が誰であったかを考えると、政権のトップがいかに重要か、痛感されますが。
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 福島の人たちへの同情より、感謝を
 ──福島での試写会の反応はいかがでしたか。
 若松 佐藤浩市さん、渡辺謙さんと一緒に郡山での試写会に行ってきましたが、僕らが登壇して挨拶しているときから涙を流しているお客さんがいました。この映画は大震災のことを思い出されてしまうのではないかと心配しましたが、多くの人に『この映画を作ってくださってありがとうございます』と背中を押されました。この映画を作ってよかった、と思っています。
 門田 この映画は最初からすごく迫力で、あっという間に2時間が過ぎてしまいますが、最後の15分くらいが圧巻でした。字幕で、東京五輪の聖火がが福島のJヴィレッジから出発することがきちんと出てきます。それは何を意味しているのか。この映画で伝わってほしいのは『福島への感謝』です。福島の人たち、浜通り福島県沿岸部)の人たちが体を張って日本の崩壊を止めたのです。そのおかげで現在、東京でも普通の営みができているわけです。そして今、ここまで復興してきたのだということを示すべき聖火が出発するのです。そのことを日本人全体が受け止めるべきですし、世界にも伝えたい。福島の人たちに対して、私たちは同情するよりもまず感謝しなければならない。それが東京五輪の前にこの映画が公開されることの意味だと、私は思っています。
 最後の15分で『これはこういう映画だったのか』と分かっていただけるでしょう。私はいろいろな人と何回か試写会に行きましたが、全員もう涙腺崩壊でした。そういう気持ちで映画を観ていただければ、非常に嬉しく思います。
 若松 『福島は自然のきれいな場所なんだよ』とプロデューサーである角川歴彦会長がずっと行っていまして、その言葉が頭から離れず、『最後は桜で終わらせなければダメだな』と最初から決めていました。夜の森公園というきれいな桜並木がありまして、今でも帰還困難区域になっていますがそこに一日だけ撮影に行きました。きれいな桜並木ですが、誰も見ている人がいません。すごく複雑な思いで撮影しました。そこで佐藤浩市さん演じる主人公が『吉やん、今年も桜が咲いたぜ』と言うんですね。その桜が毎年咲くように、廃炉作業も何年も何年も続くのだろうな・・・ということを表現してくれました。おこから、我々のメッセージをくみ取っていただければ幸いです。
 日本人はなぜ残って戦えたのか
 門田 原発事故の1年9カ月後にこの原作を世に出したのですが、これによって原発内部での壮絶な戦いの詳細が初めて明らかになったため、今度は私が多くの海外メディアから取材を受ける立場になりました。それぞれの方が聞きたいことは、結局は一つなのです。それは『日本人はなぜ原発に残って戦うことができたのか』でした。一言で言い表せませんが、それが日本人である、ということを説明しました。その上で『貴国では、残ることはできませんか』と逆質問したのです。ほとんどの人が『無理です』と答えました。
 映画のタイトルが『Fukushima50』になったのは世界70カ国以上で上映されるということがあるわけですが、外国の人たちにとっては日本人がなぜあそこまで使命感と執念を持って戦い抜けたのか、本当に不思議だつたろうと思います。ただ映画で描かれたように、作業員の間には『このまま現場に残っても、犬死ではないか』という葛藤もありました。そうした葛藤の末に残った人がいるというのが事実なので『これが日本人なんだ』という思いで映画を観ていただけたら、余計に涙を誘われるのではないかと思います。
 和田 僕自身、大震災当時は東京・錦糸町で舞台の稽古をしていて被災し帰宅難民になって、携帯電話のワンセグ放送でニュース映像で見ていたのですが、やはり誰しも大震災の記憶は五感に残っているのではないでしょうか。今回の撮影では、初めてセットの中に入った瞬間に記憶のスイッチが入ったように思います。大震災を経験して記憶している日本人すべてがそうしたスイッチを持っているのではないでしょうか。僕の場合、心がすでに準備できていた状況で、あとは原発の現場で作業していた人たちの感情を生々しく表現して伝えることに取り組んだ、という感じでした。
 この映画は、感動映画ではありません。皆さんに涙を流させようと思えばそういう演出はいくらでもできますが、若松監督は全くそのようには作っていません。でも、初めて試写会を見たときに僕は最後の15分、涙が止まりませんでした。なぜ涙が出るのか分かりませんでしたが、考えてみて『これは日本人全員が持っている心の傷なのではないか』、皆が大震災を経験して負った古傷なのだと思いました。この傷は癒やされることはあっても完治することはない深い傷なのだと思います。皆さんに劇場に足を運んでいただいて、この映画がこれから先の日本を考えていくための大事な機会になれば、と願っています。 門田 この映画が問うているのは『日本人とは何か』だと思います。決死の突入で、福島の作業員たちは実際にベント(弁を開けて原子炉格納容器の圧力を下げる作業)を成功させています。それによって東日本壊滅は回避されました。実行したのは、福島の浜通りの男たちです。そのおかげで我々は生きている。それを知らないままでいるのは申し訳ないと思います。それだけに、この映画は日本人全員に観ていただきたい。素晴らしい映画に仕上げていただき、若松監督、和田さん、本当にありがとうございました。
 若松 門田さんの原作の中には、9・11の話と、スマトラ地震の話があります。なぜそうした大災害の教訓に学ばなかったのだろうと、映画を作りながら考えました。映画の中で『僕たちは何を間違えたんだろう』というせりふがありますが、やはり自然を甘く見てしまった結果がこの大惨事を生んだわけです。この映画を、僕は事実に即して誠実に作ったつもりです。どうかこの映画をきっかけに、原発や自然災害について皆さんで語り合ってほしいと思います。
 大震災のとき、僕は東映の大泉の撮影所にいました。まず『家族は大丈夫か』と思いました。映画で描かれた最前線の作業員たちも、死の淵に立ちながら家族のことをずっと思っていたはずです。同じ思いで映画を観ていただけたら、とても嬉しいです。
   (構成 溝上健良)」
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 日本列島は火山噴火と大地震などの自然災害が多発する危険地帯で、数万人以上の死者と数十万人以上の被災者を出し社会が混乱しても、暴行・殺害・略奪・強姦などの凶悪犯罪が横行する犯罪地帯とならず、少ない配給を争って奪い合う無法地帯になる事がなかった。
 犯罪地帯・無法地帯となったのは、日本民族日本人の数千年の歴史において関東大震災における朝鮮人惨殺事件の1件のみで、それ以外ではない。
 日本民族日本人は、人が困っている時に犯す「火事場泥棒」を人の道に外れた犬畜生行為として嫌い、人間の屑として軽蔑し、自警団を組織して火事場泥棒に対して制裁を加えた。
 ヤクザでさえ、生きるか死ぬかの被災者を襲って金目の物を奪わず、自分たちの食べ物を与えて助けた。
 それは宗教的奉仕ではなく、人として「止むに止まれぬ」思いからであった。
 日本民族日本人は、心の中に「羅生門の鬼」が巣くっている事を自覚し、心の鬼=荒魂を惟神に通ずる清明心で鎮め和魂に変えていた。
 地獄絵図の自然災害が発生しても犯罪地帯・無法地帯にならなかったのは、日本民族日本人が和魂を信じきっていたからである。
 それが、大和心である。
 日本民族日本人は、中国人や朝鮮人とは違うのである。
 中国の犯罪秘密結社や朝鮮の犯罪集団と、日本の昔ながらのヤクザ・博徒・任侠とは違う。
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 デマやウソを垂れ流して被災者に風評被害をもたらす愉快犯的な日本人が、現代日本で増えている。
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 日本民族日本人が命を捨てても従ったリーダーとは、信仰する宗教や信奉するイデオロギーではなく、家・家柄、身分・階級ではなく地位・役職・肩書きでもなく、そして成功した後で増額される昇給、多額の報酬、保証された昇進の為でもなかった。
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 お上ご無理ご尤もは、昔の日本ではなく現代日本である。
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 物事に対して、昔の日本人はよくよく考えて自分から行動したが、現代の日本人は自分では考えず命じられるまま言われるままに忠実に動いた。
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 不言実行の日本人が2割、有言不実行の日本人が3割、自己主張もなく手取り足取りの指示があればようやく動ける日本人が5割。
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 戦後教育で求められた人材とは、命令指示に従って忠実に行動して成果を挙げる機械部品的な日本人である。
 高度経済成長からバブル経済までの日本を支えてきた人材とは、そうした日本人である。
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 2020年3月号 Voice「日本人は震災を『検証』しているか
 3・11から1年目、われわれはあの震災をどう振り返るのか──。
 大作『Fukushima50』で吉田昌郎(まさお)所長を演じた名優が明かす覚悟
 渡辺謙   聞き手:編集部(中西史也)
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 イチエフを預かる男が何に悩み、苦しんだが
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 犠牲的精神を体現した『フクシマフィフティ』
 ──メルトダウンの危機に直面した福島第一原発では、原子炉格納容器の圧力を下げるため、弁を開け容器の気体の一部を放出する『ベント』という手法がとられました。本作でも、作業員が自らの身一つで原子炉内に突入する姿が描かれています。
 渡辺 僕は自分の映画を観て泣くことはほとんどないのですが、決死の覚悟でベントに挑んだ人たちの顔を見て、さすがに涙腺が緩んでしまいましたね・・・。中央制御室の作業員が高い放射線量の原子炉に身を擲(なげう)って突入したのに、その前に別の部隊が外側から弁を開けてしまう。これが現実なんです。当時の混乱によって生じた出来事ですが、スクリーンを通じて物語を届けることで、人びとの感情を揺さぶる側面もあるでしょう。
 ──ベントを敢行するペアを決める際は、将来のある若手作業員を室内にとどまらせ、ベテラン作業員が率先して原子炉突入を希望していました。『フクシマフィフティ』と世界から称賛された作業員の姿が印象的です。
 渡辺 彼らのような犠牲的・献身的な精神は、並大抵の覚悟では実践できません。現場の作業員は皆、未曾有な事態に直面して、内心では恐怖に駆られたと思うし、当然『死にたくない』という気持ちもあったでしょう。人間として当たり前の感情で、彼らの無事を願う家族だっていた。そんな極限の状況下、限られた人員のなかで誰が残り、誰が原子炉に行くのか。自分はいま、何を為(な)すべきなのか。そうした選択に迫られたときにこそ、その人物がいままでどういう生き方をしてきたかが問われるのかもしれません。
 死と向きあうという意味では、世代的な感覚の差もあるでしょう。制御室内の放射線量が高まったとき、ベテラン作業員が『若い者は帰れ、俺たちは残る』と言い放ったのは、若手作業員の将来を気遣ったからが一つ。同時に、『俺たちがこの発電所を育ててきたんだ』という責任感があったのではないか。そんな気がしています。僕自身、偉大な先輩俳優の姿をこれまで見てきて、彼らから映画界を背負う気概を感じてきました。そうした覚悟を思い起こすシーンでしたね。
 ──一方、吉田所長の『現場の人間は体張ってんだよ』というセリフに象徴されるように、現実では東京にいる東電本店や官邸と、福島にいる現場との認識の乖離(かいり)が浮き彫りになり、本作でもその様子が少なからず描写されています。
 渡辺 門田さんの原作を読み、原発事故にゆいてリサーチしていると、これほど基本的な情報ですら現場に下りていなかった、と愕然としました。どうして本店と現場のコミュニケーションがうまくいかなかったのか。その事実を僕たちが映画というエンターテインメントで伝え、一人でも多くの国民に考えてもらうことは大切なことでしょう。
 ──被災地では作業員のみならず、自衛隊や米軍の活動も復旧・復興に大きく貢献しました。彼らに対してはどのような思いを抱いていますか。
 渡辺 震災から1カ月後、僕も被災地に入ってのですが、自衛隊員が不眠不休で懸命に汗を流している姿を目(ま)の当たりにしました。撮影中もその光景が蘇り、ただただ頭が下がる思いでした。
 ──映画では、ある自衛隊員が『国を守るのがわれわれの仕事ですから』と語る場面がありますね。
 渡辺 自衛隊員はさらっと言ってしまうのだけれど、決して当たり前のことではない。彼らの働きが被災地の再生に大いに寄与したことは、僕が強調するまでもないことです。
 また米軍は震災後、真っ先に被災地に駆けつけ、物資を運んでくれました。自分の国の災害ではないにもかかわらず、『トモダチ』のために危険を冒(おか)して助けに来てくれた。日本人の一人として、深く感謝しています。
 日本人は震災や戦争を『検証』できていない
 ──渡辺さんは本作の舞台挨拶で、『この国は(過去の教訓を)論理的に継承して後世にどう残していくのかを考えることがあまり上手ではない』と発言していました。あらためてその意味を教えてください。
 渡辺 日本人は歴史をきちんと振り返ることができているのか、と不安を感じることがあります。東日本大震災もそうだし、75年前の先に大戦のことですら、いまだに納得のいく『検証』ができているのか疑問です。過去の悲劇に正面から向き合うための教育が不十分な側面もあるでしょう。
 将来、われわれが同じ過ちを繰り返さないために、いま以上に歴史から多くのことを学ばなければいけません。わが国で起こった事実と真摯に向き合い、理解した上で、いかなる未来を築くかを考える必要がある。いま被災地がどのような状況にあるのかを含めて、われわれは情報を受け止めて、選択をしていかなければならないと思いますね。
 ──作中、ダンカンさん演じる『福島民友新聞』の記者が『福島に未来はあるんですか』と詰め寄るシーンがありました。……
 渡辺 ……映画の終盤、コウちゃん(佐藤浩市)演じる伊崎が福島に咲く桜を見上げるシーンは象徴的でした。人が住めないイチエフの近くに、花だけは生命の息吹を重ねている。美しく咲き誇る桜と目と鼻の先に事故現場があるんです。絶望ではないけれど、希望とは決して言い切れない虚無感
がそこにはある。命の営みが存在する力強さと、イチエフの宿命を背負った男の顔が合わさるシーンは、僕に被災地のリアルを映していると感じました。
 ……
 リーダーに必要なのは雑音を吹き飛ばす信念
 ──渡辺さんは今回の吉田所長のみならず、『硫黄島からの手紙』(2006年)の栗林忠道・陸軍中将や、『負けて、勝つ~戦後を作った男・吉田茂~』(NHKドラマスペシャル、2012年)の吉田茂など、究極の決断を迫られる役を多数演じてきました。そうしたリーダーの心情をどう想像しますか。
 渡辺 本作の吉田昌郎さんはもちろんのこと、それこそ吉田茂首相だって国の命運を左右する判断を迫られた際、悩みを抱えながら決断していたと思うんですね。僕たちはどうしても、歴史の結果から見ます。でも当事者は、右に行くか左に行くか、前が見えないまま進むべき道選ばなければならない。はたして自分の決断が後世にとって良いことなのか、気持ちが揺らぐこともあったでしょう。
 ただそのなかでも、『必ず日本を正しい将来に導くんだ』という信念が、吉田茂首相にも吉田昌郎さんにもあったのだと思います。彼らを演じるなかで、雑音を吹き飛ばすような断固たる覚悟がリーダーには必要だと痛感しましたね。」
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 日本民族日本人は、生きる事よりも死ぬ事の意味を問い続け、如何に死ぬ為にどう生きるかを考え、思い、そして信じる方法で行動していた。
 それが、日本の心であり、志であり、気概であり、精神であった。
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 現代日本には、口先だけで正論を語り、気に食わない相手を非難中傷・罵詈雑言をぶつけるエセ正義の徒が急増している。
 そうした日本人は、有言不実行である。
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 現代日本には、命よりも信義や名誉や体面を重んじる死を覚悟した潔い武士は存在しない。
 左翼・左派・ネットサハはもちろん右翼・右派・ネットウヨクは、武士でも百姓でもないし、賤民や部落民とも無関係である。
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 日本の底力は、中央の本部に座っている高学歴出身知的エリートではなく、地方の現場で汗水垂らして働いている作業員であった。
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 日本民族の宗教観・死生観・霊魂観では、人形・絵画・字体・写真など表現するものには魂が宿ると信じられ、粗末にせず大切に取り扱い、捨てる時は感謝を込めて供養祭を行い燃やした。 
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 日本の現代アートは、表現の自由で特攻隊員の魂・霊魂を冒涜し、近代の戦争画戦争犯罪礼賛画として排除した。
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 カミカゼ特攻隊員の苦悩した心情が、理解できる日本人が2割、拒絶する日本人が3割、分かるようで分からない日本人が5割。
 それが解決できない靖国神社問題である。
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 カミカゼ特攻は、犬死にでもないし、無駄死にでもなかった。
 一説に、気弱な日本人兵士の気分を高揚させ死を恐れず特攻させるためにアヘンを用いたと言われている。
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 カミカゼ特攻とは、宗教やイデオロギーにおける自爆テロではないし、ヒロイズムにおける自己陶酔の自己犠牲でもない。
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 現代の日本の政治家、官僚、経営者など各界のリーダーで、損得抜きで、命を捨てても、家族をおいても、その指示に従いたいと思えるほどの人物はいない、少ない。
 ウソや誤魔化しを恥じも外聞もなく言い放し、他人の成功を自分の功績として横取りし、自分の失敗の責任を他人に押し付けて逃げ、気の弱い部下を追い詰めて自殺させる、そうした不誠実なリーダーに対しては利益のみで従うのみである。
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