⛅12:─1─沖縄教育連合会。中国共産党の対日アヘン謀略。日本共産党の沖縄独立論。中国は沖縄の領有を主張した。1945年~No.35No.36No.37 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 永世中立国スイスが、何故、他国の侵略を受けず自主独立を守り、如何なる大国の支配を受ける事ができたのか。
 其れは、国際金融センターとしての存在価値ではなく、全国民の国防意識の高さであった。
 スイスは小国としてたいした軍事力がなかったが、全国民が外敵の侵略に対して武器を取って抵抗し、負けるとなったら全国土を焦土として、全ての家畜を殺し、全ての農作物を焼き払って、何も与えないという覚悟を持っていた。
 それが、スイス人である。
 スイスは、同盟国を持たない為に援軍は期待できなかった。
 スイスの国防は、個別的自衛権であり、集団的自衛権ではなかった。
 スイス人は、全滅覚悟で自衛戦争をする決断をしていた。
 スイスの、戦争に於ける正義である。
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 日本国土に於ける激しい地上戦は、南の沖縄・硫黄島と北の南樺太・千島列島・北方領土で行われた。
 沖縄では、アメリカ軍の猛攻で約10万人の民間人が犠牲となった。
 満州南樺太・千島列島・北方領土では、ロシア人兵士によって女子供など数十万人が惨たらしく虐殺された。
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 1945年 沖縄戦終了。沖縄戦によって、沖縄県民に甚大なる被害が出たが、同時に市町村の役場が破壊され、住民台帳と土地台帳が焼失した。
 沖縄在住の本土・日本人が持っていた借用証書と役場の借金の抵当に入っていた農地を記した登記簿も、戦火で全てが焼失した。
 激戦の中で、金貸しの本土・日本人も借金をそていた貧困農民も犠牲となった。
 10月 共産党幹部の徳田球一は、都内で開催された党大会で「琉球独立論」を唱えた。
 「沖縄民族は少数民族であり、歴史的に搾取、収奪された民族である」
 沖縄の独立を勝ち取る為の沖縄人連盟が結成され、在日朝鮮人朝鮮人連盟と連帯して反天皇反日武力闘争を始めた。
 11月以降 アメリカ軍は、戦略要地ではない地域の避難民強制収容所から漸次解体し、強制収容していた沖縄県民や本土・日本人を開放した。
 沖縄統治の為には沖縄の復興が急務として、住む家をなくした者には資材・テントを支給し、自活できるまで食べ物を配給した。
 アメリカ軍による基地建設が本格化したのは、中国共産党が引き起こした台湾有事の1952年頃からである。
 市町村の役場は、住民台帳、土地台帳および登記簿の焼失に伴い集落に帰ってきた住民・農民から聞き取り調査を行い新たな書類を作成した。
 その過程で、借金や抵当を証明する証書がなくなって貧困農家を苦しめていた借金は全て帳消しとなった。
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 日本領であった南樺太・千島列島・北方領土は、ソ連軍によって不当に占領された。
 とくに、北方領土は江戸時からの日本の領土であった。
 それ等の土地には、虐殺された日本人の数十万人の女子供の血が流され、死骸は放置され白骨化し、遺骨は帰国できず打ち捨てられている。
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 1946年2月 琉球政府は、土地所有権証明書の再発行の為に約6年を費やして新たな土地台帳を作成した。
 借金漬け貧困農家や小作農は、土地担保の借用書、抵当に入っている土地の登記簿、土地所有者を記し土地台帳、などが焼失した事をいい事に、聞き取り調査に所有地を誇大に申告した。
 不正申告者が続出して、申告を総合すると現実の農地面積より多くなった。
 それを確認する手段がなかった為に、ウチナンチュウは嘘偽りを言わない正しき人という性善説から、おかしいと思っても申告を無条件で受理した。
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 ヤルタ極東密約が公表され、ルーズベルトが対日参戦条件としてスターリンに日本領土の南樺太・千島列島・北方領土四島・北海道東半分をソ連領として割譲する事を認めた事が判明した。
 蒋介石は、ソ連戦勝国として日本領土を手に入れるのならば中国にもその権利があると主張した。
 重慶に駐在していたイギリス大使は、ロンドンの外務省に対して蒋介石の主張を伝える電報を送った。
 「ソ連日露戦争の報復として帝政ロシア時代に戻って要求するのなら、中国は満州(清国)時代に立ち戻ってビルマインドシナ琉球群島、樺太まで要求する」
 イギリスもアメリカも、中国の主張を却下し、琉球群島(尖閣諸島)を日本領土と認め決定に変更を加えなかった。
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 1947年2月14日 沖縄出身共産主義者は、沖縄に密かに帰郷して沖縄教育連合会(後の沖教組)を結成し、戦前に思想弾圧を受けた同志を集めた旧友会というサークルを立ち上げた。
 7月20日 左翼勢力は、沖縄人民党を結党し、日本復帰を掲げて沖縄住民に支持者を広めつつ、天皇制度打倒の為に学生への共産主義思想の普及と反アメリ占領政策闘争を指導した。
 中国共産党は、沖縄を無力化する為に、沖縄に配備されている核兵器の撤去と反アメリカ軍基地闘争に支援を行い、工作員を潜入させた。
 47年8月から49年6月まで、アメリカ軍占領下の沖縄には中国国民党軍が駐屯し、駐屯地はチャイナ陣地と呼ばれた。
 アメリカ軍は、対日戦用に大量に生産され使い道がなくなった余剰物資を中国に売却し、沖縄やサイパンなど太平洋の激戦地で放置されている中古の車輌や資材・機具なども払い下げた。
 中国国民党軍は、中国共産党との内戦の為に軍需物資を上海などにの集積所に陸揚げした。
 中国共産党軍の便衣隊は、山積みされた軍需物資に対する破壊工作を繰り返していた。
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 戦後日本は、自由主義陣営に留まる為に対中国戦略から沖縄県民の苦境をやむをえない犠牲とし、日米安保の為にアメリカ兵士の犯罪を見逃した。
 戦後の日本人は、自分だけ安全に生きる為に同胞を見殺しにし、自分だけの平和の為にアメリカ軍基地を本土に引き受ける事を拒否して沖縄に押し付けた。
 金儲けだけを考える本土の企業家は、沖縄県民の心情を無視し政治家や官僚と協力して沖縄開発費による公共事業を食い物にした。差別意識を持つ彼等は、琉球を日本の固有の領土とか考えず、琉球人を日本人より劣っていると軽蔑していた。
 沖縄県民は、本土から見捨てられても、民族の独立と領土主権を異民族から守る為に、アメリカ軍の武力弾圧や非人道的拷問にもめげずに独力で日本復帰の為の運動を戦った。
 当時の彼らは、愛国心から日の丸と君が代に愛着を持っていた。
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 マルクス主義者は『沖縄独立論』で、「沖縄民族は、少数民族であり、歴史的に搾取、収奪された民族である」と主張し、沖縄は日本から独立すべきであると市民に訴えた。
 事実。沖縄が日本の領土になったのは明治からで有り、その前は朝鮮と同じ中国の属国であった。その為、一部の中国人は沖縄は中国の固有の領土であると信じている。
 自分本位の信念に情熱を燃やすマルクス主義者は、沖縄県民の惨状に目を向けず、天皇を排除したプロレタリアートの国を造る為に沖縄を日本から分離独立すべきであると主張した。
 そして、ソ連のアジア共産主義化戦略の一環として、沖縄を中国領として中国共産党支配下編入させようとした。
 彼等は、無国籍日本人として、国家の利益や将来よりも自分の信念・思想を優先した。
 故に、沖縄が中国領に、対馬が韓国領に、北海道がソ連領に、その他の地域が他国の領土になろうとも、一向に痛痒を感じなかった。
 大事に守るべきなのは、自分の見える地域と自分に関係した友人だけであった。
 それ以外には、興味がなかったのである。
 その証拠に、シベリヤに抑留された同胞に同情し早期帰還を働きかけなかったし、ソ連軍に不法占拠された北方領土の返還を求めなかった。
 同様に、韓国が竹島を自国領と宣言しても抗議しなかった。
 そして、共産主義国北朝鮮に拉致された日本人がいる事を知りながら、平然と見捨てた。
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 1950年 スターリンは、中国共産党が密かにアメリカに接近している事を知るや両国の関係修復を妨害する為に、北朝鮮に南部への侵攻を容認し、中国共産党に軍事支援を要請した。
 北朝鮮の侵略である以上、国連は非難して国連軍を派遣し、その主力がアメリカ軍になる事は明らかであった。
 スターリンは、東ドイツなどの衛星国の支配強化の為に、アメリカ軍の主力を朝鮮半島に引き付ける必要があった。
 6月25日(〜53年7月) 朝鮮戦争
 北朝鮮軍は、ソウルを占領し、休み無く追撃戦を仕掛けて朝鮮半島を占領しようとした。
 ソ連は、進撃に必要な弾薬とガソリンの補給を遅延させ、韓国軍とアメリカ軍が防衛体制を整えられように、北朝鮮軍をソウルに3日間留め置いた。
 スターリンは、中国共産党が独自で東南アジアへ勢力を拡大しようとしている事に警戒し、毛沢東の軍隊を朝鮮戦争に引きずり出そうとした。
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 大人には、将来ある子供達に対して重大な責任がある。
 戦争には相手があり、自分では戦争を避けたいと思って努力しても、相手が仕掛けてくれば「降り掛かった火の粉」は大火傷を覚悟で払いのけなければならない。
 サムライ・武士ならば、名誉と体面と志・気概を守る為に戦争をおこなうのが当然であった。
 戦争を避ける為に、名誉と体面と志・気概を捨てるのはサムライ・武士でもない。
 もし、サムライ・武士であるのなら、本当のサムライ・武士ではない。
 サムライ・武士が、戦争を仕掛ける時はよほどの理由があっての事である以上、後を継ぐ子供に対して自己を正当化する責任と義務がある。
 正当化とは、「大義は我にあり、天地神明に誓って何ら恥じる事はない」と言う事である。
 嘘偽りのない理由で自己を正当化する為に、中国や朝鮮のような卑怯、卑劣な行為を行わず、血も涙もない残虐の非道な行為をせず、潔く、正正堂堂とふるまった。
 歴史を見れば、それは明らかである。
 戦争した自分を正当化できない者は、サムライ・武士ではない。
 自分を正当化して納得させる相手は、敵ではなく自分の子供である。
 それが、靖国神社護国神社である。
 靖国神社を貶す者は、サムライ・武士ではない。
 もし、サムライ・武士を名乗るのであれば、それは性根が腐っている、近づいてはいけない狂人である。
 サムライ・武士ならば、心を浄め、心を鎮め、心底から靖国神社護国神社に参拝する。
 現代日本では、本物のサムライ・武士の子孫が急速に激減し、サムライ・武士の子孫と大ウソをつく性根の腐った日本人が急増している。
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 人が人としても生きて行く為に必要なのは、金や食べ物でもなく、嘘でも良いから心の支えとなる「言い訳」や「物語」である。
 靖国神社護国神社には、心の支えとなる「物語」が無限に存在する。
 子供達は心の穢れのない純粋無垢として素直であるだけに、大人が語る物語を信じ憧れ、その物語から夢や希望を見出し、その夢や希望を目指して歩く。
 心の支えとなる絵空事に近い「物語」を否定すれば、子供達は夢や希望をなくし、心を失い、生気をなくし、廃人か狂人の如く、無意味に日々を過ごし、食って寝て仕事をして死に向かって生きるしかない。
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 歴史的事実として、サムライ・武士の人口は総人口の約5〜10%しかいなかった。
 百姓や町人などの庶民は、サムライ・武士を尊敬せず、自分も何時かは出世してサムライ・武士になろうという憧れもなく、むしろ刀を差して威張るだけ威張る、食って寝るだけの暇を持て余している穀潰しと嘲笑っていた。
 サムライ・武士は多額の借金を抱えた貧乏人で、庶民よりも惨めな生活を強いられていた。
 サムライ・武士は、百姓や町人が金を出せば一代だけであるが誰でもなれた。
 子供もサムライ・武士させたければ、貧乏なサムライ・武士の養子になれば子供もサムライ・武士になれた。
 日本の身分制度とは、その程度のものにすぎなかった。


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