🎺92:93:─1─軍国日本は成功モデルの限定的合理性で行動して敗北し崩壊した。~No.399No.400No.401No.402No.403No.404 (58) 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 昔ながらの日本人は2割、今風で昔風を嫌う日本人は3割、そのどちらとも言えないあやふやな日本人は5割。
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 2021年1月22日号 週刊朝日東京大学の同級生に覚えた違和感
 子ども学習支援団体代表理事 李炯植
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 東大生の家庭は6割以上が年収900万円以上だ、とする東大調査結果を示しながら言う。
 『東大の同級生には、小中髙私立で貧困家庭の子どもに出会ったことがない人もいます。実情を知らない人が省庁で政策立案に関わるのだとしたら危うい。自分は机上の空論でなく、実践活動に関わりたいと思ったんです』」
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 2020年12月31日・21年1月7日新年特大号 週刊新潮佐藤優の頂上対決
 我々はどう生き残るか
 菊澤研宗
 人間は『合理的』に行動して失敗する
 このコロナ禍にあって、企業の多くは日本的経営から脱却し、生産性を上げるべく世界標準の経営を取り入れようとしている。しかし効率を追求するだけでは、思わぬ落とし穴に陥ることがある。大東亜戦争における日本軍の失敗を斬新な手法で分析した経営学者による日本型組織の再評価論。
 佐藤 菊澤先生のお書きになった『組織の不条理』を、いまも同志社大学の三つの講座で使わせていただいています。
 菊澤 20年以上前の本ですのに、たいへんありがとうございます。
 佐藤 大東亜戦争における日本軍の失敗をまったく新しい視点から分析されていて、学生たちが物事を考えるにあたり、非常にいい訓練になっています。あの本は先生が防衛大学校の教授時代にお書きになったのですよね。
 菊澤 そうです。私の専門は経営学ですが、防大では民間の学問だとして、役に立たないという批判がものすごくあったんです。それに対し、経営学でも企業組織論でも、応用すればいろいろなことが分析できて、防大でも役に立つということを示したかったんです。
 佐藤 将校、特に情報将校には、この本が絶対に必要です。『人間は合理的に行動して失敗する』という、この本のテーマを押さえておかないといけない。
 菊澤 私はそれを『不条理』と呼んでいますが、企業だけでなく、あらゆる組織で起こり得ることです。
 佐藤 日本軍の失敗については、防大の教授陣らがまとめた『失敗の本質』という古典があります。それを根底から覆すような切り口でした。
 菊澤 もちろんその本は私も納得できる名著ですが、合理的なアメリカ軍組織に対して非合理的な日本軍組織という構図で見ているんですね。これは一般にも広く共有されている認識ではないかと思います。
 佐藤 日本軍は非合理だし、飛行機に竹槍で向かうような精神主義だとよく強調されます。
 菊澤 そういう一面もあるでしょうが、私は1990年代に研究が進んだ企業理論や組織論を採用して、大東亜戦争における日本軍は、合理的に行動して失敗した、と分析したわけです。
 佐藤 『限定的合理性』ですね。
 菊澤 はい。従来の経済学では、すべての人間を完全合理的と考えて、利益を最大化するように行動すると仮定してきました。完全合理的な人間は、あらゆる情報を収集し、正しく判断して、利益を最大化する。そこでは個人で何もかもできますから、あえて組織を形成する必要もありません。
 佐藤 しかしながら、実際にはそんな人間はいない。
 菊澤 ですから組織を作るわけです。そして組織の経営学と呼ばれる新しい経営学では、すべての人間は完全合理的でも完全に非合理的でもなく、限られた情報の中で合理的に行動する、と考えるところから出発します。これを『限定的合理性』と呼びます。
 佐藤 そこからさまざまな組織を見ていくと、問題の在り処がまったく違って見えてきたわけですね。
 菊澤 ガダルカナル戦では近代兵器を装備した米軍に対して、日本軍は銃剣で肉弾突撃します。しかも一度ではなく、三度も繰り返しました。
 佐藤 無謀な戦術として必ず引き合いに出されます。また小規模戦力を逐次投入したことによる失敗の代名詞にもなっている。
 菊澤 けれども『限定合理性』の観点からは合理的なのです。まず、白兵攻撃戦術は、日露戦争後、日本のデファクトスタンダード(事実上の標準)でした。白兵戦は、日本のような資源の乏しい国に適合し、日本陸軍ではその戦術を多大なコストをかけて洗練させてきました。この戦術を推進すればするほど、日本陸軍は効果的に資源を備蓄できたわけです。
 佐藤 組織構成としても歩兵が中核を担っていましたね。
 菊澤 その通りで、もし白兵戦術を変更するなら組織も改変する必要があります。それには多大なコストがかかります。
 佐藤 また白兵戦には成功体験もありました。
 菊澤 満州事変や日中戦争、香港攻略作戦などでも、ある程度効果的でした。また、そこで功績をあげた部隊は高く評価してきた経緯もあります。戦術を変更すれば、こうした歴史を否定することになり、士気にも関わってくる。ですから微(かす)かに勝利の可能性があれば、戦術として効果的でないとわかっていても、簡単に変えられないのです。つまり、白兵戦術を繰り返すことが合理的な選択だったのです。
 佐藤 変革するよりもしないほうが組織にとってメリットがあった。
 菊澤 その通りです。変革より現状を維持するコストが低ければ、それを選ぶことが合理的になります。
 不正を維持する構造
 佐藤 非常によくわかります。霞が関でも日々同じようなことが起きています。昨年、経済産業省文部科学省のキャリア官僚が相次いで覚醒剤で逮捕されたことがありました。
 菊澤 記憶にあります。
 佐藤 覚醒剤を使っていたら、普通は周囲にわかります。急に態度が変わったり、書類の書き方がおかしくなるということがあったはずです。文科省の場合は、当人の机の引き出しから見つかっていますから、役所でも使っていた可能性が高い。
 菊澤 そうでしょうね。
 佐藤 とくに上司はわかっていたでしょう。でも課長などはだいたい2年で異動します。だからあと1年、穏便にすませられれば次の人にバトンタッチできる。となれば、問題にするメリットがありません。在任中に発覚すれば監督責任を問われて自分にもきつい処分が出ますし、出世にも差し障ります。でも次の人に引き継いでしまえば『気がつかなかった』ですみます。その責任の方が軽いし、どこかでその部下が辞めてくれれば、なかったことになる。
 菊澤 合理的に考えて、見て見ぬふりをするわけですね。
 佐藤 周囲も同じで、彼がおかしいことを報告すると、事情聴取されたり、周りから白い目で見られたりする。だから放っておくという選択になります。
 菊澤 組織の経済学の一つに『取引コスト』論があります。人間は限定合理的ですから、相手の不備に付け込んで自己的利益を追求するものと捉えられる。すると取引において、相互に騙されないように駆け引きが展開され、それによって無駄な取引コストが発生します。それは、会計上には表れない見えないコストです。このコストの存在を認識すると、たとえ現状が不正であっても変革するには多くの人々を説得する必要があり、多大な取引コストが発生するのが分かります。この場合、不正な現状を維持する方が合理的になるのです。不条理は、こうしたプロセスの中から生まれてきます。
 佐藤 また役所の世界には「うまくやれ」という指示があります。それが成功した場合は『指示通りよくやった』と評価され、たいていはその成果を7対3くらいで上司が持っていってしまいます。一方、失敗した場合は、『うまくやれと指示したじゃないか、どうして指示通りやらないんだ』と、全責任を押しつけられる。
 菊澤 興味深い習慣ですね。
 佐藤 私にも経験があって、ソ連崩壊後のモスクワに、自民党の代表団が来ることになったんです。その際、大使から『休暇をとって、彼らを自発的にアテンド(世話)してくれ』と言われたんですよ。
 菊澤 それは怖い。
 佐藤 その少し前、私はソ連共産党の秘密文書庫で、日本の社会党共産党にお金が流されているという資料を見つけて報告したことがありました。これに自民党が非常に興味を持ったのでやってきた。でも公務員の中立性に関わるから『組織としては対応できない』、それで『休んでやってくれ』ということなんですね。
 菊澤 なるほど。そこはきちんとしている。
 佐藤 それで直属の上司に相談したら『それは筋が悪いから私に相談しないでくれ』と言われ、その上の上司に相談したら『絶対引き受けたらダメ。国会で問題になったら呼び出されるわよ』と言われたのですが、一日おいて『やってみたら』と豹変しました。『バレたらどうするんですか』と聞くと『あんた、バレるような下手打つの?うまくやるのよ、うまく』と。その上司、男性ですが、何か大変なことがあると、オネエ言葉になるんですよ。
 菊澤 それで結局、引き受けたのですか。
 佐藤 ええ。いろいろ資料を見つけ出しました。そうしたら今度は社会党が代表団を送ってくることになった。そこで私は『お前、逃げていろ』と指示され、しばらく大使館に行きませんでした。もっともこの話は、自社さきがけ政権が誕生して両者の関係が良好になったので、永久にお蔵入りになりました。
 菊澤 問題にならなくてよかったですね。この『うまくやれ』のような 曖昧な言葉は、インパール作戦にもあります。攻撃的防衛を主張するブルマ方面軍からインパール作戦を上申された大本営は、『作戦実施準備令』という命令を発令しました。それは、実行するかもしれないし、中止かもしれない、『よく考えて行動しろ』という曖昧な命令です。攻撃は必要だが、地形的な要因から前戦の兵士に武器や食料の補給ができないことは、大本営にもわかっていましたから。
 佐藤 明らかに無謀な作戦ですからね。
 菊澤 ところが戦況が悪化すると、司令官の個人的な野心もあって、この曖昧な命令は『作戦を実行せよ』という意味として勝手に解釈され、作戦が実行に移されます。これは限定的合理性と曖昧な命令が結びついて生まれた不条理です。
 佐藤 実行に移す際、反対する師団長が次々と更迭されましたね。
 菊澤 これも理論があって『アドバース・セレクション』(逆淘汰)という現象です。限定的合理性のもとでは、例えば、良心的な経営者が、不況で特定の従業員をクビにするのは忍びないので早期退職制度を採用すると、有能な人は合理的に退職し、無能な人だけが残ることになる。インパール作戦も補給困難を主張して司令官と対立した有能な理性的な人たちは去り、無理な作戦に従う非理性的な者だけが残りました。
 佐藤 おもしろいですね。そうした観点から、日本軍を語る人はいなかったと思います。
 損得勘定を超える
 菊澤 ここで大きな問題は、優秀な人ほど不条理に陥りやすいということです。なぜなら彼らはさまざまなコストが見えてしまうからです。ガダルカナルでは白兵戦術からの移行に伴うコストの大きさが見えるし、インパール作戦ならそれを実行しない場合の戦局の悪化が見えてしまう。
 佐藤 コロナ禍のオリンピックも、21世紀版ガダルカナルと言えるかもしれないですが。
 ……
 菊澤 不条理の中でも、特に重要なのは経済効率性と倫理性の不一致のケースです。損得計算上は得だが、倫理的には正しくないと価値判断するケースです。この場合、リーダーとなる人は、損得計算ではなく、価値判断に従うべきです。
 佐藤 そこを間違うと、不正でも合理的だとして物事が進んでいく。
 菊澤 最近、ゼミの学生に、損得計算の結果と価値判断の結果がズレた経験をレポートにしてもらったんです。すると出てきたのは、やっぱりというか、いじめの問題なんですね。塾で一緒の仲のいい友達が学校ではいじめられている。いじめは悪いことなので止めるべきだったが、自分もその対象になると損をするので、助けにいかなかった。
 佐藤 慶應の学生ですから、頭はいい学生たちでしょう。
菊澤 だから彼らがリーダーになったとき、ちょっと怖いな、と思いました。ずっと損得計算という行動原理で育ってきているんですよ。損得計算上、不正の方が得をする状況に置かれた際、どのような行動をするのか、非常に心配です。
 佐藤 前に先生は、自分ではコントロールできないから、恋愛をするといいとおっしゃっていましたね。
 菊澤 そうですね。それもダメな恋愛をしてほしい、損得計算など吹っ飛びますから。でもいまの学生は初めから危険を察知し、素早く損得計算し、危ない恋愛はしないんですよ。
 佐藤 この価値判断において、先生は、小林秀雄が晩年まで取り組んでいた『大和心(やまとごころ)』を経済学の中で再定義され、その重要性を説かれています。
 菊澤 『大和心』は、誠実さや真摯さなど見えないものに関わることであり、『もののあわれ』を理解する真心でもあります。つまり、非科学的な判断のもとになるものなんですね。反対に『漢心(からごころ)』は、科学知識、客観的な基準で、つまりは損得計算です。だから不正がそこにる時、損得計算を超えて価値判断ができるかどうかのヒントが『大和心』にあると考えています。
 佐藤 損得計算や効率に支配されない価値判断をするには、超越的な概念というか、一種の哲学的なアプローチが必要になってくる。
 菊澤 そうですね。価値判断は主観的なので、頭のいい人間ほど避けようとします。しかし、主観的だからこそ、その責任を取ればいいのです。ただ、日本人はこのあたりが少し弱い。
 佐藤 誰かが価値判断するというより、その場の『空気』を読むというか、作ってしまう。
 菊澤 不正だけど合理的という『黒い空気』ができてくる。しかも、全会一致とか全員賛成ということが好きで、客観性を担保しようとします。そこでは誰も価値判断していないわけです。しかも、客観的なので、だれも責任を取る必要がない。そこが日本人の弱さという気がします。
 評価すべき日本型組織
 佐藤 一方で菊澤先生は、合理的に計算ずくでない日本の会社組織の曖昧さを評価されているところもありますね。
 菊澤 日本の組織には、ただの損得計算に収まらないやわらかさがあります。コロナ禍で非常に日本的だと思ったのは、苦境にある全日空トヨタに社員を受け入れてくれと要請し、トヨタがそれに応じて検討に入ったことです。こんなことはアメリカでは考えられません。日本ではコロナもみんなで一緒に耐えようとする。そこがとても日本的です。
 佐藤 菊澤先生は、いま一つの流れとなっているアメリカ流のジョブ型雇用への移行にも批判的ですね。
 菊澤 職務給にすると、みな単能工になり同じ職務になり同じ職務に長くつきます。すると、不正が起こりやすくなります。またジョブ型にして評価主義を推し進めると、組織は分断の度合いが深くなります。さらに非正規も多いわけですから、組織として強さが失われていく。
 佐藤 日本の総合職という曖昧な職種についても、評価されています。
 菊澤 不確実な時代には、それが強みになる可能性があります。先日、ダイナミック・ケイパビリティ(変化対応自己変革能力)など組織変革について経済産業省でお話ししてきたおですが、変革に当たっての人材について、労働市場を使って必要な人材を組み合わせればいいじゃないか、と言う人がいたんです。
 佐藤 人材の流動化を推進してきましたからね。
 菊澤 でも労働市場から集めてきた人材で組織を作っても、それは単なるモザイクのような組織で強くないのです。彼らは損得計算して得だからとやってくるわけですから、危機の共有ができない。危機がきたら他に移ればいいという人たちを集めてもしょうがないわけです。会社が赤字になっても、苦境にあっても、この会社が好きだからやめない、この会社で働くことに価値を見出している。そういう価値判断をしてくれる人たちが強い組織には必要なのです。
 佐藤 健全な愛社精神ですね。これは非常に大切ですよ。
 菊澤 かつてカメラのフィルムメーカーのトップ企業は、イーストマン・コダック富士フイルムの2社でした。両社とも、デジタルカメラが誕生して、将来的にフィルムの販売が大幅に落ち込むことを1990年代に認識していました。そこで富士フイルムは、危機状態にあることを社員にオープンにして危機を共有し、一丸となって事業の多角化します。まさにダイナミック・ケイパビリティを発揮して、写真フィルム技術を次々と応用して、特殊なフィルムや化粧品、医薬品の開発まで行うようになりました。
 佐藤 一方、コダックはなくなってしまった。
 菊澤 コダックは危機の共有ができませんでした。それをはっきりさせると、みんな損しないように逃げて行ってしますから。結局、上層部は、株主の利益を最大化すべくコスト削減をしたり、豊富な資金で自社株を買って株価対策をしたりしましたが、それではまったく変化に対応できなかったわけです。
 佐藤 フィルムがいらなくなれば、会社もなくなるのが当然というのがアメリカでしょう。
 菊澤 そうです。だから組織が変われない。富士フイルムの場合は、組織としてやわらかさがあった。高い社内労働流動性です。
 佐藤 伝統的な日本型経営を評価すると、古い、遅れていると考える人がいますが、私は逆に半歩先を行っていると思うんです。コンプライアンス法令遵守)至上主義とか、評価主義や働き方改革で、いま社会組織はそうとうに歪みや軋みが出てきています。やっぱり組織には健全な愛社精神とか、損得計算を超えた理念が必要ですよ。
 菊澤 その方がダイナミック・ケイパビリティが発揮しやすい、ということもあります。不確実性が普通の状態である時代になっていますが、日本企業はそれに対応できる潜在能力、つまり高い社内労働流動性お持っていると思うのです。」
組織の不条理―――なぜ企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか
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 毎年、高学歴知的エリートは優秀な成績で卒業し、その優秀・有能を認められて官公庁や大企業に就職し、特権意識を強めながら出世して責任ある地位に就き、中には親の跡を継いで世襲政治家になっていく。
 彼らは資産を増やし、何に不自由のない満ち足りた生活を送り、幸せな老後を迎えて生涯を終えていく。
 生活や社会の各種サービスを受けるには、金が要る。
 「地獄の沙汰も金次第」は、今や現実の日本に姿を表しはじめている。
 現代日本は、金に支配されたブラック社会である。
 そして、現代日本人の健康と命そして老後と寿命は金で買える、この世は金次第である。
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 現代日本では、親の収入によって貧困格差と教育格差が生まれそして拡大し、貧困家庭では支援の手が届かず自殺者や餓死者が出始めている。
 日本では、欧米のように貧富の格差に激怒した民衆が暴徒化して暴動、略奪、暴行・殺人・強姦などの不法地帯化する騒乱が起きない。
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 現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
 昔の日本人が優れていたからといって、現代の日本人も優れているとは限らず、むしろ現代の日本人は昔の日本人よりも劣っている可能性さえある。
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 武士は、剣道バカ、武士道バカ、道楽・放蕩バカではなく、ソロバン武士から土木武士、農耕武士、商売武士など社会に存在するあらゆる業種・職種で、百姓や町人同様に一心不乱となって働いていた。
 主命・君命・上意とあれば、好き嫌いに関係なく、得意不得意に関係なく、与えられた任務は命を懸けても成し遂げねばならなかった。
 武士が責任を取る方法は「切腹」しかなかく、切腹を嫌がる武士は「腰抜け武士」と軽蔑され、その恥・恥辱は本人だけではなく家族全員に向けられ武士社会から「村八分」にされた。
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 高学歴知的エリートは昔も今も変わりなく、違うと言えば、昔のエリートの方が今のエリートよりも歴史力・文化力・宗教力は多少優れていた。
 世界認識も世界情勢分析も、決断力や行動力も、語学力が優れている高学歴知的エリートよりも昔のエリートの方が優れていた。
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 現代日本は政府・官公庁・企業などで、ウソ・偽り、詭弁、言い訳、偽証、誤魔化し、改竄、捏造が蔓延り、誰も恥とは思わなく、それがバレそうになると開き直り、追い詰められると逆ギレして凶暴化して恫喝や脅迫を行い、そして暴力を振るい、最悪、相手を殺す。
 現代日本人は、精神性が弱くなり、耐える力がなくなり、キレ易くなっている。
 日本人は清廉潔白で潔く正しく、ウソを吐かない、偽らない、誤魔化さないので信用できる、信頼できるは、昔の日本で現代日本にはなくなりつつある。
 それはある意味、古い日本を壊し崩壊させるという戦後教育の輝かしい成果である。
 つまり、現代日本には忠臣蔵はもうない。
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 戦前日本の失敗・敗北は、帝大出身の革新官僚や陸海軍大学出身の高級幕僚などの超エリートが前例主義で歴史上の合理的成功例(成功モデル)を参考にして日本を動かしたからである。
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 現代日本人は見たは日本人ではあるが、昔の武士・サムライ、武士・サムライの子孫でもなく当然の事ながら武士道・武士の一分はないし、また、昔の百姓や町人でも、百姓や町人の子孫でもなく踏まれても抜かれても生えてくる雑草のような泥臭さはない。
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 日本の儒教論語儒教であって、中華儒教(中国の儒教・朝鮮の儒教)とは別の儒教である。
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 国内外の労働市場から日本人に関係なく有能な人材を雇用して人材の流動性を高めれば、東日本大震災における福島第1原発電所事故の様な深刻なクライシスが発生すれば人材は「金より命を優先して」事故対応を放棄して安全地帯に避難し、メルトダウンによる原子炉崩壊そして建屋爆発が起きて、最悪、チェルノブイリ原発事故同様に東日本は人が住めない放射性物質に汚染された死の地帯となった。
 日本人の命と健康そして幸福の為に自己犠牲ができるのは日本人だけである。
 それが、福島第1原発電所事故における、現場を見ない・現場を知らない・現場が理解できない東京中央対策本部エリート要員ではなく、地元の現場職員である。
 現代日本は、急速に「金の切れ目が縁の切れ目」の社会になりつつある。
 つまり、滅私奉公・忠君愛国・私益より公益という「忠臣蔵」は存在しなくなる。
 東京中央対策本部エリート要員が、安全地帯で机上の計算だけを頼りに深刻な現場の状況を見ず全てをコントロールしていたら日本は人が住めない、地獄のような土地になっていた。
 人の暴走において、現場の暴走よりエリートの暴走の方がより深刻である。
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 戦闘は、最初は砲撃戦、次ぎに銃撃戦、最後に白兵戦として突撃して敵軍守備隊を全滅させ敵軍事拠点を占領し、残党狩りを行い敵軍兵士捕虜を取らない事であった。
 日本陸軍の場合、補給物資が届きづらく砲弾も銃弾も少ない為に、全弾撃ち尽くす前、銃弾が残っている段階で早めに一か八かの白兵戦に突入していた。
 日本軍の白兵戦とは、砲撃・銃撃による近代戦法ではなく、戦国時代の武士と武士による気魄のこもった潔い肉弾戦である。
 白兵戦による輝かしい成功例が、日露戦争における旅順軍港要塞占領で、ロシア軍は奉天会戦で日本軍よりも大軍を擁して絶対優位にあったにもかかわず乃木希典の第3軍の存在を恐れ勝て戦闘を放棄して敗走した。
 短期決戦として少数兵力で敵大軍の意表を突いて奇襲的白兵突撃で撃退する、それが日本陸軍の正攻法であった。
 日本軍は、日清戦争から太平洋戦争まで、兵力はもちろん武器弾薬など全ての面で不足している絶対不利な状況で戦っていた。
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 日本社会は、成功して当たり前で、失敗は許されず、一度でも失敗するとダメ人間・無能人間と烙印を押され現場から排除され、復活の再挑戦が与えられない非情なブラック社会である。
 問われるのは、成功例ではなく失敗しなかった事である。
 そして、失敗しないという事は「何もしなかったと」という事である。
 日本の組織は、権力者や上司・上役に媚び諂いおべっか巧みな者や有力者の縁故を持つ者が、処世術に長けた世渡り上手として昇進して良い思いをする事が多い。
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 日本の組織で重要なのは、在籍中に成功する事ではなく失敗しない事であり、2~3年の任期を無事に終える為に事無かれと先送りで後任に押しつて逃げきる事であった。
 つまり、「何もしない」というのが組織に生きる日本人の究極の行動原理である。
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 現代日本人の賢い処世術とは、部下や同僚の成功は自分のお蔭・手柄と吹聴して自慢し、自分の失敗は部下・同僚の不始末が原因と責任を押しつけて逃げる、である。
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 日本武道の秘訣は、勝つ事ではなく負けない事であり、先手必勝の念に囚われない事であった。
 何故なら、武士・サムライの世界では、勝とうと思うと負けて命を失う危険性があるが、負けない事に徹しきれば死ぬ危険性が少ないからである。
 つまり、後手に回らない「後手の先」、つまり先に仕掛けず相手が仕掛けた事に対応しながら行動する事である。
 つまり、隠れた「五目並べ」である。
 五目並べは、先手が必ず勝つゲームである。
 武道の試合において、お互いが斬り合う前に刀を構えて相手に対峙した時が最初の一手である。
 武道における後手の先とは、構えた時をさす。
 武道は、相手より先に動く事を重視していないが、ただし迅速に動いて相手の機先を制する行動は奨励している。
 生き死にの場における、「宋襄の仁」は愚策中の愚策とされていた。
 先手必勝に焦って大敗したのが、徳川家康三方原の合戦であった。
 武道における最初一手とは、試合に臨んで撃ち込む前の「気組み」にあった。
 武士・サムライはその「気組み」を鍛え養う為に、仏教で座禅を組み雑念を払い、神道で沐浴して心身の穢れを流し、俗欲我欲私欲を遠ざけて無心となり、俗世を気にせず、一心不乱となって厳しく辛い修練に打ち込んだ。
 剣の道にバカになり、バカに徹する事が武士道であった。
 武士の立ち合いにおいて、相手の身構えを見れば相手の実力・技量や性格が分かると言われた。
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