🎻23:─1─戦後民主主義第1世代と60年安保闘争。戦後の左翼・左派の誕生。~No.82 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族の歴史風土においては、崇拝宗教・哲学・思想はあっても信仰宗教やイデオロギーは馴染まなかった。
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 日本はブラック社会であり、日本人はブラックな人間である。
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 軍事占領された日本国と日本民族は、ハワイ王国・ハワイ民族やビルマ王国・ビルマ民族のような滅亡という悲惨な運命を逃れる事ができた。
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 戦後民主主義と戦後教育の目的は、宗教・文化・イデオロギーの侵略として日本人の民族中心神話を諸悪の根源=戦争原因として消滅させる事であった。
 つまり、反宗教無神論の「神殺し=天皇殺し=日本民族殺し」である。
 現代の高学歴知的エリートは、類い稀な才能・能力で純粋培養され、厳しく選別され、優秀な人材として高位の地位が卒業と共に与えられ社会に送り出されている。
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 日本に対する、宗教侵略は戦国時代から、文化侵略は明治時代から、反宗教無神論イデオロギー侵略は大正時代から始まっていた。
 江戸時代後半の脅威とは、キリスト教国・西洋文化・軍事大帝国ロシアの北からの侵略であった。
 大正時代の脅威とは、共産主義ソ連コミンテルンの北からの侵略であった。
 古代からヤマト王権天皇国家の日本の脅威は、北の蝦夷(反天皇勢力)に味方して侵略してくる危険性のある西の中国と朝鮮であった。
 日本は、古代から反天皇反日本勢力に包囲され、自存自衛の為の戦争を続けていた。
 武士の征夷大将軍とは、北の反天皇勢力を討伐する為の称号であった。
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 2021年2月14日号 サンデー毎日「世代の昭和史 保阪正康
 共通の歴史体験は世代を形成し、世代はまた相通じる歴史観を生み出していく。……今回は、60年安保を闘った世代が戦後どのような教育を受け、それをどのように内面化してきたかを検証する。
 ㉕安保世代は『戦後民主主義純情派』だった
 敗戦時、この国の国民学校は勉学の空間ではなかった。児童は疎開中であり、高学年になると、勤労動員まがいの役を果たすのが日常であった。戦争が終わった、さて今日から勉強というわけにはいかなかった。都市の小学校では大体が生徒を疎開させていたために、それを元に戻すことから始まった。男性教諭は出征していて、その帰りを待たなければならなかった。無論、戦時下の教科書や聖戦完遂を唱える飾りなど、全て使えない。占領されることになった日本は、連合国からどのような命令を下されるのかまだ判然としなかったが、教育については徹底して改革を要求されることは当然予想できた。
 軍国主義との決別について、教育機関の中には、奇妙な『送別会』も行われたという。例えば山陰地方のある都市の小学校では、『進駐軍の来る直前に、軍歌の送別会なるものをやっている。それは全校生徒を講堂に集めて、明日から歌えなくなる軍歌を思い切り生徒に歌わせておこうという目的』(『教科書の歴史』唐澤富太郎)だったというのだ。実はこの種の送別会は各地で行われたというのである。また、占領政策の始まる前にこれまでの修身や国語の教科書の皇国史観丸出しの内容を復習という形で教えた先生もいるというのである。文部省の官僚が各地に出張し、これからの教育の理念はやはり『国體護持』だと命じて歩いたと言われている。占領軍にはすぐに否定された。
 戦争に負けたとはいえ、教育現場は簡単には民主主義教育に移行したわけではなかったのである。
 実際に昭和20(1945)年9月以降、占領軍が日本に入ってきて占領政策を進める段になると、いささかでも復古的な教育は許されないことになっていく。修身、日本歴史、地理の3科目は授業が停止された。そして翌年4月からの新1年生は、全国どこもこれまでの教科書を使わず、新しい教科書も間に合わないため、毎日学校でザラ紙に謄写(とうしゃ)版刷りの4、5枚の紙をもらい、それを基にその日の授業が行われた。まさに民主主義教育は手探りで始まったのであった。これらはパンフレット教科書とも呼ばれた。私はこの年が小学校1年生であった。若い女性の先生が、ザラ紙を生徒に配布して、アイウエオと片仮名で教えた。昭和21年4月の入学生は、まだ国民学校と言い、片仮名から授業を始めたのである。昭和22(1947)年4月から、新しい教育制度が始まったのだが、その谷間にいたのが私の世代であった(昭和14年の遅生まれと15年の早生まれがこの年に入学している)。
 私の説く世代論では、私の年齢前後から昭和20年代の半ばまでの小学校入学世代を、あえて『戦後民主主義純情派』とでも名付けようか。いわば占領政策の初期の教育政策を受けた世代と言っていいだろう。この世代があの60年安保のデモに参加した中心世代であり、その参加の動機は純情派という枠組みに組み込まれていると見ることで容易に説明ができる。指導部に名を連ねる者は少なかったが、学生デモの中軸をなしていたと受け止められる。パンフレット教科書での手作りの民主主義教育を受けた世代は、戦後社会の価値観の変化を体現したと言っていいのではないかと、私は考えている。
 この純情派が受けた教育は、人により体験の内容が異なっているし、地域によって差があることを認めるにせよ、この1年前、あるいは2年前の皇民教育が否定されたという点では共通点があった。私の例を述べることになるが、小学校3年生から4年生までは次のような体験をしている。箇条書きにしてみよう。
 1,『日本は悪い国でした。東條英機は悪い人です。アメリカは正義の国です』
 2,『日本は神の国ではありません。天皇は神ではありません』
 3,『日本は東洋の永世中立国スイスのようになるのが理想です』
 4,『私たちは自分で考え、判断する人にならなければなりません』
 5,『日本は武器を持ちません。2度と戦争をしません』
 さしあたりこのようなことが徹底的に教え込まれた。私は北海道の人口2万を超える町で小学校に入学したのだが、女性教師が『日本は悪い国でした。反省しなければなりません』と小学校の3年生の時に話していたことを今も覚えている。教師の間でも反省派とそうではない考えの2派があったのだろうが、私のクラスは、その反省派の教師(この方が圧倒的に多かったのだろう)に教えられたということができるだろう。
 私は長じるに及んで、小学校低学年の時に教師からどういうことを教えられたかを、まったく同年代の友人たちと話し合ったことがある。出身地はさまざまであったが、多くの者は、『日本はスイスのようになれ』と言われたり、『日本は悪い国でした』のようなことは言われたなあ、と思い出す。これも私の記憶なのだが、学校ではよく集団映画鑑賞の時間があり、その時にディズニーの映画や『生きものの記録』のような映画を見せられた。そういう時に、アメリカのニュース映画が最初に上映される。私はこのニュース映画を見るのが好きであり、楽しみであった。
 そういうニュース映画の中に、太平洋戦争時のアメリカのカメラマンが撮影したフィルムが入っている時があった。私が小学校4年生の頃だから、昭和25年ごろではなかったろうか、日本軍の特攻機アメリカの艦艇に体当たりするシーンがあった。しかしその特攻機は撃ち落とされてしまう。そういうシーンの時に映画館の一角から拍手が起こる。それに促され生徒たちも拍手するのである。私は子供心になぜ日本の飛行機が撃ち落とされるのに、私たちは拍手をしなければならないのか、と不思議に思った。
 民主主義を僭称し生徒を利用した教師
 のちに知ったことだが、これはある教師が手を叩いたのがきっかけだったことがわかった。その教師がどういうつもりで拍手したのか、私はわからなかったのだが、私が拍手しなかったのは暗闇の中から小さく聞こえた拍手が、やがて大きくなるそのことに漠然と恐怖を感じたからにほかならない。この拍手の音は長じても記憶から消えなかった。40代の頃であったか、ある書評紙にその拍手のことを書いたことがあった。すると日をおかずして、作家の山田風太郎さんが、『それが日本人なんだ。日本人とはそういうものだ』という原稿を書かれた。状況が変われば日本人はそれに合わせる人物が必ず出てくるんだ、戦時下の行為を全て忘れて、今度は次の時代の価値観に合わせるタイプが多いのだ、と書いていた。
 山田さんは、この世代論で言うのならば、大正11(1922)年の生まれであり、戦争によって人生の幕を閉じる者も多かったこのシリーズの最初で取り上げた大正10年代(戦争要員世代。戦争死が最も多い世代であり、特高パイロットにさせられた世代でもある)の生まれであるだけに、特攻死に関しては特別の思いがあるように思う。その心理の底には、戦争が終われば彼らはこれほど無慈悲に扱われるのか、といった悔しさがあると受け止められる。その感情が、『日本人とはそういうものだ』との感想に落ち着くように、私には思える。
 私たちの世代は、戦後民主主義を生身で受け止めたと言えるが、それはある意味で上の世代により作られた面もあった。よく言えば、自分たちの過ちを繰り返してはならないといった期待と反省が、アメリカを中心とする占領国の民主化政策の方針と合致したのであった。少々意地の悪い見方をするならば、我々はあるタイプの人たちから自分たちの思想や感情を植え付けられて、利用されたという側面があった。特攻機が撃ち落とされて拍手をした私たちの世代は、密かに映画館の一角から拍手をして、民主主義の名の下に生徒を利用した教師のその屈折した心理に踊らされたのでもあった。
 無論これは私の個人的感情をもとにしているのだが、おおかた間違ってはいないと思う。
 その延長で見ていけば、『60年安保闘争』というのは、世代論から見ていくといくつかの特徴が浮かび上がってくる。政治的、思想的という枠組みではなく、このシリーズの骨格をなしている世代的特徴ということになるだろうか。これもあえて箇条書きにしておこう。
 1,戦後民主主義純情派による世代的総括
 2,アメリカンデモクラシーへの懐疑と不信
 3,『東洋のスイス』の大いなる疑問
 4,オモテの思想(言論)とウラの思想(言論)の対比
 さしあたりこのような特徴を導き出し、考察を加えることが必要になるだろう。この4点を説明することで、戦後民主主義世代は、『60年安保闘争』時に何を見たのか、そのことを詳細に分析することができる。戦後社会の構造の中にいくつもの矛盾を見いだして、我々の世代は戦後民主主義の純情派から少しずつ離脱していったのであった。
 この4点を個別に解説する前に我々の世代が、民主主義教育の渦中でどのような教育を受けたのか、当時の教科書を基にその特徴を考えておくことにしたい。新教育制度の下で、小学校でも『社会科』が教えられることになった。その役割は、『青少年に社会生活を理解させ、その進展に力を致(いた)す態度や能力を養成すること』という点にあった。基本的人権などを全く無視して、自己の生命を国家のために捧(ささ)げるといったファシズム教育から、人権教科ともいうべき科目の誕生であった。同時に、科学的文化主義に徹しているのも特徴だったという。
 4月生の社会科教科書(『日本のむかしと今』)には、15人の人物が登場するが、そのうち11人は科学者である。残りの4人は、織田信長豊臣秀吉徳川家康、ペリーだが、エジソンなどを登場させて、『だれが世の中を今のようにべんりにしたか』を詳細に説明している。『文化国家建設を国家理念としたことにもよるであろうが、自然科学の結果が、誰にも客観的であり、しかも思想的な立場が問題にならない事によるものであろうが』(『教科書の歴史唐澤富太郎』)といった具合である。1年生の国語は、『おはなをあざるみんないいこ。きれいなことば、みんないいこ。なかよしこよし、みんないいこ』で始まっている。これには曲がついていて、新1年生はこれを歌いながら学習を始めるのである。
 かつてのように、『ヘイタイサン ススメ』とはその内容が一変している。
 安保闘争戦後民主主義世代の覚醒
 こうした戦後民主主義の教科書は、この1年余前の時代と大幅に変わった。軍事主導体制の時代から、『平和と民主主義』『文化国家の創設』『科学主義的発想』、さらには『人権意識の高揚』などが指摘できる。これが戦後民主主義世代の純情派の特徴であろう。
 連合国の占領期は6年8ヵ月続いたのだが、この期間は2つに分けられる。
 占領前期は昭和24年2月の第2次吉田茂内閣までである。この期間は戦後民主主義を極めて理想的な形で日本を定着させようとした時期である。占領後期は、その後から昭和27年4月28日の日本の独立回復時までである。この期間は東西冷戦の激化で、日本はアメリカの極東アジアの軍事拠点の意味を持たされた。当然占領前期とは、占領軍の態度も方針も大きく変わった。極めて純粋とも言えた占領前期とは、反共の拠点となった日本の社会では次第に理念の変質が起こった。
 私は、この占領前期の期間に小学校に入学した世代にさえ、教育の変化を見るのだが、しかし戦後民主主義の教育世代としての理想主義は確かに存在していた。
 この世代が、日本社会の矛盾と杜撰(ずさん)な構造に気がついたのが、繰り返すように『60年安保闘争』だったと考えることができるんである。その自覚を明確に説明できるのが前述の4点だった。この社会はそのような自覚の下で一度解剖される必要があったのだ。私たちは歴史的疑問や視点を特別に見つめることなく、見逃してきたことを改めて検証しておくことにしたい。」
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 2月14日号 サンデー毎日「世代の昭和史 保阪正康
 ㉖『60年安保世代』にとってのアメリカ的民主主義
 その偽善、その二重性をどうとらえるか
 ……今回は、戦後第1世代が自らアメリカンデモクラシー体験の解答として60年安保闘争に集結するプロセスを検証する。
 この連載で戦後民主主義世代の初期の層を、私は昭和14(1939)年前後から20年ごろまでに誕生した人たちではないかと書いてきた。いわば占領期に小学校に入学したのだが、戦後民主主義を教育の場で割と純粋におしえられたと言ってもいいだろう。皇国史観を小学校の1年生から教育された世代とは違って、戦後の民主主義教育の枠組みでたっぽりとアメリカンデモクラシーを叩き込まれたのである。私はこの世代として、このような教育を全面的には否定しない。しかし、全てが正しいかったなどと言うわけにもいかない。
 その矛盾を世代論の立場から明らかにするために、4つの特徴を検証すべきであると説いた。改めてその内容を簡潔に説明しておくと、『戦後民主主義の総括』『アメリカンデモクラシーへの懐疑(かいぎ)』『国家目標の偽善』『言論の二重性』で、この柱を個別に分析していくと、私たちの世代の総括といった心理的葛藤の儀式を済ますことが可能になってくるように思えるのである。それはとりもなおさず、ある世代が自分たちに施された教育の矛盾や限界を明確に意識していくということになる。
 例えばと言っていいのが、明治23年10月30日に発せられた『教育勅語』は、昭和10年代の戦前の小学校、中学校では学校の行事の時に必ず式場で校長によって奉読されてきた。児童生徒は必ず直立不動で校長の奉読を聞いたという。小学校の3、4年生になると、修身の教科書の最初は、この教育勅語であった。生徒は全文を暗唱させられ、そしてノートに書き取りをするように命じられた。この教育勅語とは別に、昭和14年5月22日に発せられた『青少年に賜りたる勅語』もまた暗誦させられたり、書き取りをさせられた。この勅語は全文が177字であり、教育勅語より短かったために生徒たちには歓迎されたという。
 時に旧制中学の入試問題に出題されることもあると言われて、子供たちは一様に懸命に暗誦したというのである。
 なぜ昭和14年という時期にこのような勅語が発せられたのだろうか。2つの理由が考えられる。ひとつは日中戦争が泥沼の状態になり、国家総力戦の方向に向かって走り出した。それには次世代の青少年に戦争協力態勢を取ってもらわなければ困るという軍事指導者の焦りである。陸軍の現役軍人あ中等学校以上に配属されて15周年の年である。これを記念して、皇居前広場で全国の青少年代表が日ごろの軍事訓練の成果を見せようと軍装で行進をした。昭和天皇がそれを閲兵したのである。
 それを記念して出された勅語であった。このことについて山中恒の『修身教科書 戦時下の国体思想と現在』には、次のようにある。
 『教育勅語が皇運扶翼の徳目を挙げたのに対し、こちらは青少年学徒の任務を前提に、青少年学徒個々人に内省的に自らを律するための徳目を列挙し、実践を命じるものでした』
 つまり皇国の少国民は日々このような心算で生きよ、と命じていた。『国家隆昌の気運を永世に維持せんとする任』とは、『文を修め武を練り質実剛健の気風を振励』することに努めよ、ということである。日本の史実の核心はその点にあり、それが皇国の発展に寄与するというのであった。教育勅語以上に天皇を神格化するわけではないが、修身教科書のページを開いたあとに教育勅語があり、その次にこの勅語が続く。つまり、セットになって神格化した天皇像と皇国が神国なのだという構図が見えてくる。
 戦後民主主義世代はこうした国体思想を全否定する前提での教科書によって、意識改革が行われた。簡単に言えば『昨日』を全否定することで、『今日』が存在することになったのである。皇国史観の特徴は記紀の神話を事実として理解させ、この国はまさに『神の国』とか『世界に一つの神の国』といった八紘一宇の精神を鼓吹(こすい)せしめたことであった。そういう教育が特にこの昭和10年代には顕著に進んだ。こういう教育を全否定するするのならば、当然荒療治が必要であった。これまで書いてきたように、『日本は悪い国です』とか『アメリカは正義の国です』という、実に単純な便法が戦後の教育現場を闊歩(かっぽ)したのもわからぬわけではない。
 私たちはそういう教育上の変化の手駒だったのである。そして、手駒だと気が付いた最初があの『60年安保闘争』だったと言っているのである。あえて繰り返すことになるが、私たち戦後民主主義世代が与えられた教育内容が間違っていたとか、偽善的だったなどと言っているのではない。むしろ戦前の皇国史観教育を払拭(ふっしょく)した戦後民主主義教育の方がはるかに人類史に則(のっと)っていることは疑い得ない。それを前提に以下の論を展開していくのである。
 前述の4点は、手駒が手駒であることを自覚するきっかけになったという意味なのである。この4点の中で最も重要なのは、『アメリカンデモクラシーへの懐疑』と『言語の二重性』の2つを軸にして考えるとわかりやすい。私たちは戦後の民主主義教育を民主主義そのものと受け止めて考えてきた。しかしこれはアメリカンデモクラシーであり、まさに戦後民主主義だったのである。
 私たちはデモクラシーの普遍的意味、民主主義の相対的価値についてほとんど無知だったのである。確かにアメリカンデモクラシーは戦後民主主義と一体であった。しかしそれが、デモクラシーや民主主義の普遍的価値と同質とは言えなかったのである。
 『アメリカンデモクラシー万歳』の矛盾
 あえて結論から書いていくが、私たちは『アメリカ』、あるいは『戦後』を取った形のデモクラシーや民主主義体制に移行していかなければいけなかったのである。それを怠ったためにデモクラシーや民主主義は制度疲労を起こし、迷路に入り込んだ形になっていると言っていいのではないだろうか。
 アメリカンデモクラシーの偽善性は、幾つも挙げられるだろう。日本の占領状態の中で、当初は極めて純粋な形の民主主義的手法で日本を改革しようとした。前述の皇国史観の教育を根底から突き崩した。それは確かにデモクラシー的な改革であった。ところが東西冷戦が明確になった昭和24(1949)年2月ごろからは、そのデモクラシーは一変した。極東の反共陣営の要衝との位置付けがされていく、日本社会は占領初期の純粋ともいうべきデモクラシーの変質が起こった。
 アメリカは、軍事を認めさせようと躍起になっている。『思想の自由』を謳(うた)いながら、その実リベラルな人たちも排除して旧軍の高級軍人と連携して日本人を朝鮮戦争などで数多く利用している。日本にも軍備を持たせようと画策し、そして再軍備の動きを見せている。こういう動きを点検していくと、アメリカにとって都合の良いデモクラシーであり、アメリカのためのデモクラシーであった。戦後の論壇には、こういうデモクラシーに対して社会主義的なデモクラシーこそが有効性を持つとの論もあったが、それは多くの人を納得する論理とはなり得なかった。
 私たちの世代は、大体が『アジアのスイスになれ』という教えられ方をしてきた。永世中立国スイスは、私たちの世代では特別の意味を持って語られてきた。無論、それには占領政策の戦略もあった。日本軍国主義体制を解体するための一方法が『理想の国スイス』であった。現実にそういう言葉(永世中立国)のプラスイメージが、私たちの潜在意識の中に眠っている。しかしそういうプラスイメージの言葉は次々と死語になっていったのである。私は、スイスになれと言われた時代の空気は、確かに民主主義の体制だと誰もが思ったであろうが、実際にはそれはアメリカのためのデモクラシーであったのだ。
 前述したように軍事国家であり、天皇を神権化した皇国であった国の体制を、たちまちのうちに変えてしまうために、児童生徒まで喧伝(けんでん)された『スイスたれ』『アメリカンデモクラシー万歳!』は、まさに爆風のように広がり、そしてその矛盾を背負い込みながら、私たちはデモクラシーや民主主義の形として受け入れて、その矛盾にも目を瞑(つぶ)り、戦後民主主義教育として巧みに利用し、利用されたのであった。そのことをもう少し角度を変えて検証してみよう。
 占領下で教科書はどのような検閲でできあがったのだろうか、唐澤富太郎の『教科書の歴史』によるならば、日本歴史についての教科書はどのように書かれたのかが説明されている。昭和21年10月から小学校用には、『くにのあゆみ』という歴史教科書が使用されることになった。この教科書は、この年の5月から準備されたという。GHQ(連合国軍総司令部)の教科書の主任官は、執筆者(小学校用の執筆者は、家永三郎、森本義彰、岡田章雄、大久保利謙)たちに、どういう文章がダメなのか、どういうエピソードならよいのか、を具体的に指摘していった。以下にような点にあった。
 1,皇位伝承の系譜に触れてはいけない。
 2,神道への言及は許されない。
 3,宗教的記述は避ける。取りあげると宣伝になるから。
 こうした事情を見ていくと、アメリカの民主主義教育の根本は、天皇制と宗教関連は禁止で、あとはある程度自由であるということになるようだ。同時に検閲の実態についてだが、最初に禁止する内容を伝えていただけにそれほど大きな書き直しは命じられなかったというのである。余計な形容詞は削られたという。執筆者たちは、『(戦前の教科書の)文体にひきずられて、修飾語や形容詞を不用意に原稿中に使用した。(略、検閲官に)徹底的に削られた』という。これは日本の教科書がいかに形容詞によって成り立っていたかの証明にもなったということであろう。
 『戦後民主主義純情派世代』の歴史参加
 ただ社会科(これは戦後に作られた科目だが)などでは、GHQが必ず挿入を命じたのは、巻末などに『政府も国民も司令部の占領の目的によく力を合わせて、平和な日本をきずきあげることに励んでいます』とか『新しい政治がはじまりました。今度こそ、ほんとうに、国民が力をあわせて、日本を民主主義の国にするときであります』といった具合に、占領政策の目的を必ず加えさせたというのである。
 こうし教科書の作られ方を分析していくと、GHQは主要なポイントを押さえていることがわかる。同時に占領政策の根幹にあるのは、占領目的が明確に打ち出されていて、アメリカンデモクラシー、あるいは戦後民主主義はかなり生の言葉で教科書に記載されていたことがわかってくる。あえて個人的な感想を言えば、このような挿入箇所があったのかもしれないが、小学生の時には私は定かに記憶してはいない。
 改めて私たちはこうした教科書の裏側にある事実や占領政策の実態に触れていくと、結局は日本の官僚(教科書の作成では文化省ということになるのだが)たちが、アメリカンデモクラシーや戦後民主主義の尖兵だったと気づいてくる。アメリカンデモクラシーの持つ偽善性、あるいは二重性という問題は、こういう構図を作り出していたのではないかと思うのである。戦後民主主義教育の純情派は、この構図の中で歴史に参加していたのではないかと思えてくる。私はこのことを理解するために、戦後日本の言論が戦前の日本社会の言論と『オモテの言論』と『ウラの言論』という関係を作り上げていたことに、着目すべきだと考えるようになった。
 そのことを世代論の立場で語っていきたい。」
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 敗戦国を占領支配したアメリカ・GHQ・連合国(国連)は、日本を戦争ができない非武装国家に大改造する為に、キリスト教会の協力を得て、日本人マルクス主義者・日本人共産主義者を走狗とした。
 日本人マルクス主義者は、天皇制度廃絶・皇室打倒と日本の共産主義化そして戦前に迫害された報復として、「虎の威を借りる狐」の様に占領軍の権力を用いて公職追放焚書処分、教育改革などを断行し、教育界とメディア・報道機関を支配した。
 キリスト教と仏教の中で共産主義に共鳴した赤い僧侶・赤い神父・赤い牧師も、日本の共産主義化に精力的に協力した。
 昭和の廃神毀釈、神殺しが始まり、その手始めの標的が靖国神社伊勢神宮など由緒正しい主要神社であった。
 それが、反宗教無神論に基ずく靖国神社焼却廃棄計画と昭和天皇戦犯訴追要求であった。
 日本の宗教界・精神界・神秘界の破壊・崩壊・消滅を食い止めたのは、一部の反マルクス主義の外国人カトリック教神父であった。
 戦前の大学教授・教育者、革新官僚・エリート軍人官僚、新聞記者・メディア関係者の一部は、新たな支配者に卑屈になって媚びを売り、GHQ左派の支援を受けている日本共産党日本社会党に入党し、反天皇反日の左翼・左派活動を始めた。
 彼らは戦前同様に、極秘にソ連中国共産党から活動資金を与えていた。
 こうして戦後民主主義体制が成立し、それが現代日本の基層に存在している。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、異教徒非白人の日本人を奴隷として売り買いして金を稼いでいた。
 バチカンは、慈悲深い絶対神の「隣人愛信仰」から日本人キリシタンを奴隷にする事を禁じた。
 敬虔な宣教師達は、日本人を奴隷から救うべく熱心に布教活動を行い、数十万人の日本人に洗礼を行って救済した。
 キリスト教における「創造主の救済」とは、絶対神の福音で目覚めたキリスト教徒を救って天国に導き、創り主を拒否する異教徒は奴隷として地獄に叩き落とす事であった。
 その意味の延長として、日本への原爆投下(実は、実戦における投下実験)は罪(戦争犯罪)とはされず合法的に正当化されている。
 日本のキリスト教化と日本人救済の最大の障害は、神の裔にして祭祀王の日本天皇であった。
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 現代日本人は、戦国時代の「乱取り」で捕らえた日本人を外国人に奴隷として売って金を稼いでいた日本人の子孫である。
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 日本、日本民族には、世界に対して「目には目を歯には歯を」の復讐権・報復権があるが、日本国、日本人にはない、特に保守派や右翼・右派・ネットウヨクには無縁である。
 昔の日本、日本民族と現代の日本国、日本人は別物である。
 現代において「日本、日本民族の復讐権・報復権」を保持しているのは、最高神の女性神からの正統な血筋が証明できる特別な男系父系相続の万世一系天皇御一人である。
 これを歴史的事実に例えれば、朝敵として官軍に攻撃された会津藩が実は天皇の勅命で行動していた勤皇家であった事を証明する「孝明天皇からの『御宸翰』」である。
 明治新政府は、「孝明天皇からの『御宸翰』」ゆえに藩主松平容保を処罰できず家老を身替わりとして切腹させた。
 この構図は、戦争責任不問とされた昭和天皇と処刑されたA級戦犯達ににている。
 国際法戦時国際法は、昭和天皇が開戦の詔勅で宣した「自存自衛の戦い」を否定できなかった。
 正統な血筋ではない正当な女系母系継承天皇には、この権利保持はなく、当然権利発動もない。
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 奴隷として売買されたアフリカ人・アフリカ諸国には、人として私的な被害賠償・名誉回復・権利復活の請求と法的闘争はできるが、国家として公的な復讐権・報復権はなく、個人的な武装闘争は死刑で処断されるべきテロであり重犯罪である。
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 反宗教無神論の日本人共産主義テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリストと同様に昭和天皇と皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 現代日本の歴史は、日本人奴隷売買も昭和天皇・皇族惨殺テロも問題となしない。
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 敗戦国日本に押し付けられた戦後民主主義は、プロテスタンティズムにおける大衆のアメリカンデモクラシーとマルキシズムにおける人民のインターナショナルの混合型で、目的は共通の邪魔ものである日本固有の民族・歴史・文化・伝統・宗教・神話・言語・風習・習慣・因襲・その他からなるナショナリズムを排除しようとした。
 戦後民主主義の目的は、戦前の日本とは違う、ローカルなナショナリズムの古い衣を脱ぎすてグローバルなインターナショナルの新しい衣に着替える事であった。
 つまり、新生日本市民を創造し、日本国民を大改造し日本民族を消滅させる事であった。
 戦後教育現場を主導したのは、政教分離と反宗教無神論マルクス主義理念であって、隣人愛信仰と絶対神の福音のキリスト教教義ではなかった。
 日本に対する、宗教侵略は戦国時代から、文化侵略は明治時代から、反宗教無神論イデオロギー侵略は大正時代から始まっていた。
 宗教・文化・イデオロギーなどによる様々な侵略から日本を守ったのが裕仁天皇で、それは令和の現代においても変わらず、崩御され諡号昭和天皇となられ天皇霊天皇神)として安らかに眠る事なく御一柱で戦われている。
 天皇霊天皇神となられた昭和天皇は、後ろから現代日本人の言われなき罵詈雑言を投げかけられ弓矢を射かけられてなお、満身創痍で孤独に日本を守り救うべく孤独に戦われている。
 天皇とは、生きているうちはこの世=現世でも、崩御されればあの世=常世でも、退位する事なく歴代の天皇の内に加わり天皇として存在する。
 つまり、生きていても死んでも歴史に名が残れば、生きている心・血・命・志・精神・気概・玉体を絶対根拠として今の今上天皇でも神話の初代天皇であっても天皇天皇である。
 それが、最高神である女性神天照大神の血を正しく引く天孫族の、神の裔としての日本天皇である。
 それ故に、天皇は神聖不可侵である。
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 天皇位の根拠は、血の神話を正統として、人の法律を正当とはしない。
 血の神話による正統は変えられないが、人の法律を正当は変える事ができる。
 血の神話は正統な男系父系継承であり、人の法律は正当な女系母系継承である。
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 日本は教育で、1945年を境に戦前と戦後は遮断され、同じ日本人と言っても繋がり・絆は存在しない。
 つまり、日本国民と言っても、戦前は民族であり、戦後は市民であった。
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 戦後の歴史教育は、子供達に「戦前は悪、戦後は正」、「神話由来の天皇制度は非科学的」、「キリスト教禁教とキリシタン弾圧は非人道的犯罪」、「日本人は悪で加害者、中国人や朝鮮人は善で被害者」、「日本が行った行為は全て誤りであった」などの洗脳教育を行った。
 そして、戦前の日本が被った被害や日本人が自己犠牲で行った人助けを一切認めず消し去った。
 それ故に、日本を歴史には、日本人が奴隷として世界中に売られた事も、シベリア出兵時にポーランド戦災孤児やロシア人避難学童を救助した事も、日中戦争時にポーランドユダヤ人難民を保護した事も、太平洋戦争時に河南省で餓死寸前だった中国人を救護も、全てなかった事とされた。
 日本人を奴隷として売ったのは、紛れもなく現代日本人の祖先である。
 現代日本人は、先祖返りを始めている。
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 日本人は、御上、支配者、権力者、実力者、勝者、強者、上司・上役に対して自分を卑下し、愛想笑いを見せながら卑屈に媚び諂いすり寄る卑しい根性を持っている。
 そのさもしく醜い性根を発揮したのが占領期間であり、そうした惨めで哀れな大人達を見ながら子供達は育ってきた。
 そした同調圧力・場の空気が日本を覆い、70年以上経った現代においても当時の空気を濃密のまま国内の至るところに残っている。
 日本人とは、そういう人間である。
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 ソ連コミンテルン中国共産党、国際的共産主義勢力は、敗戦日本で人民暴力革命を起こすべく工作員天皇を否定する日本人に接近して親ソ派・親中派に育て上げ、才能豊かで行動力のある日本人には活動資金を与え、より過激な日本人に武器を提供した。
 日本人共産主義テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺するべくつけ狙っていた。
 日本国内には、数十万人の反天皇反日的な在日朝鮮人在日韓国人が住み、差別する日本人への敵意を漲らせていた。
 戦後の都市部では、天皇制度をめぐる左翼・左派と右翼・右派、生活をめぐる在日朝鮮人在日韓国人と日本人との喧嘩が絶えなかった
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 戦後の自由・民主主義教育は、子供達に、昭和天皇ヒトラーと同罪の憎むべき戦争犯罪者の親玉という印象操作を行ってきた。
 学校の歴史教育は、近隣諸国への配慮から、外国人テロリストによる昭和天皇殺害失敗事件など天皇・皇族に対する不敬テロ事件(大逆事件)を全て抹消した。
 つまり、「日本は悪・犯罪者であり、外国は正義・被害者」という評価の定着と、日本人を悪人・犯罪者にした元凶は昭和天皇を初めとした近代天皇という認識の固定である。
 その象徴が、名古屋で開催されたあいちトリエンナーレ2019年における表現の自由騒動で、国民の多数が「昭和天皇の肖像写真を燃やして踏みつける」映像を何ら問題とせず当然の事として受け入れた。
 そして、2020年、国民の70%以上が天皇即位を神話(最高神・女性神)に基ずく正統的血筋・血統の男系父系相続から法律に基く正当的皇統の女系母系継承に切り替える事に賛成している。
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