🎷40:─1─東日本大震災10年。天皇陛下の皆さんへのお言葉。上皇陛下の国民への御言葉。~No.162No.163No.164No.165 ㊳ 

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 日本民族は、天皇上皇のお言葉を謹んで拝聴するが、反天皇・反宗教無神論マルクス主義者の発言など聞かない。
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 2021年3月9日17:13 産経新聞「【東日本大震災10年】発生5日後 上皇さま、国民へ向けお言葉
 発生から5日後に、国民に対しビデオメッセージでお言葉を述べられる上皇さま=平成23年3月16日、皇居・御所(宮内庁提供)
 津波に加えて東京電力福島第1原発事故の状況も刻々と推移し、被害の全体像が見えない中、上皇さまは東日本大震災の発生から5日後の平成23年3月16日、国民に向けたビデオメッセージを公表された。在位中の上皇さまがビデオメッセージの形で国民に向けた思いを示されたのは初めてだった。当時を知る関係者は「国民が復興に向け、結束する力につながった」と振り返る。
 「被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています」。上皇さまは5分56秒のビデオメッセージで、時折紙に目を落としながらカメラの向こうの国民を見つめ、ゆっくりと語り掛けられた。被災者を案じ、救援活動が続いていることへの感謝や、各国からの見舞いの声をご紹介。「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切」と述べられた。
 関係者によると、ビデオメッセージという方法は上皇ご夫妻が提案されたという。被災地では当時、懸命の救助活動やライフラインの復旧が続けられていた。直接被災地を訪問すればそうした活動の妨げになることに配慮し、できる形で思いを伝える方法を考えられた結果だった。上皇さまは上皇后さまと推敲(すいこう)を重ねられ、収録は公表当日に行われた。カメラには上皇さまお一人で向かわれ、上皇后さまは撮影スタッフの後ろから見守られたという。
 当時、宮内庁長官だった羽毛田信吾さん(78)は「上皇さまは、いかに国民と心を通わせるか、いかに現地に赴いて直接、国民と接するかということを非常に大事にしてこられた。ビデオメッセージはその延長線上に考えられたこと」と捉える。国民全体が被災地に心を寄せ、「絆」が注目されたことも「お言葉が大きな力になったのではないかと思う」と語った。」
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 3月10日10:51 産経新聞尖閣周辺に中国船 26日連続
 尖閣諸島を含む東シナ海上空=沖縄・尖閣諸島鈴木健児撮影)
 尖閣諸島沖縄県石垣市)周辺の領海外側にある接続水域で10日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは26日連続。
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。領海に近づかないよう巡視船が警告した。」
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 3月11日15:08 産経新聞東日本大震災10年 追悼式の天皇陛下お言葉全文
 天皇陛下と皇后さま=11日午後2時56分、東京都千代田区国立劇場(代表撮影)
東日本大震災十周年追悼式で、おことばを述べられる天皇陛下と皇后さま=11日午後2時56分、東京都千代田区国立劇場(代表撮影)
 東日本大震災から10年を迎えた11日、東京都千代田区国立劇場で行われた政府主催の追悼式で、天皇陛下が述べられたお言葉の全文は以下の通り。
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 東日本大震災から十年が経(た)ちました。ここに皆さんと共に、震災によって亡くなられた方々とその御遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
 十年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、二万人を超す方が亡くなり、行方不明となりました。また、この地震に伴う津波原子力発電所の事故により、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。この震災の被害の大きさは、忘れることのできない記憶として、今なお脳裏から離れることはありません。
 あれから十年、数多くの被災者が、想像を絶する大きな被害を受けながらも、共に助け合いながら、幾多の困難を乗り越えてきました。また、国や全国の地方自治体、百六十を超える国・地域や多数の国際機関、大勢のボランティアなど、国内外の多くの人々が様々な形で支援に力を尽くしてきました。
 私も、皇后と共に、被災地を訪れてきましたが、関係者の努力と地域の人々の協力により、復興が進んできたことを感じています。これまで復興に向けて歩んできた多くの人々の尽力とたゆみない努力に深く敬意を表します。
 一方で、被災地ではまだ様々な課題が残っていると思います。復興が進む中にあっても、新しく築かれた地域社会に新たに人と人とのつながりを培っていく上では課題も多いと聞きます。家族や友人など親しい人を亡くしたり、あるいは住まいや仕事を失い、地域の人々と離れ離れになったりするなど生活環境が一変し、苦労を重ねている人々のことを思うと心が痛みます。また、原子力発電所の事故の影響により、人々がいまだに自らの家に帰還できない地域や、帰還が始まったばかりの地域があり、農林水産業への風評被害の問題も残されています。高齢者や子供たちを含め、被災された方々の心の傷を癒やし、心身の健康を見守っていくことも大切であると感じます。
 今後、困難な状況にある人々が、誰一人取り残されることなく、一日でも早く平穏な日常の暮らしを取り戻すことができるように、復興の歩みが着実に実を結んでいくよう、これからも私たち皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切であると思います。私も、皇后と共に、今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います。
 先月にはマグニチュード七を超える地震福島県沖で発生しました。被災された皆さんに心からのお見舞いを申し上げます。この地震東日本大震災の余震と考えられており、このことからも、震災を過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして捉えていく必要があると感じます。
 我が国の歴史を振り返ると、巨大な自然災害は何度も発生しています。過去の災害に遭遇した人々が、その都度、後世の私たちに残した貴重な記録も各地に残されています。この度の大震災の大きな犠牲の下に学んだ教訓も、今後決して忘れることなく次の世代に語り継いでいくこと、そして災害の経験と教訓を忘れず、常に災害に備えておくことは極めて大切なことだと考えます。そして、その教訓がいかされ、災害に強い国が築かれていくことを心から願っています。
 今なお様々な困難を背負いながらも、その苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、安らかな日々が一日も早く戻ることを皆さんと共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。」
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 3月11日18:27 産経新聞「「決して忘れず、次世代に」 陛下、重ねた交流、被災地への思い込められ
 東日本大震災十周年追悼式に出席し遺族代表らと向きあう天皇、皇后両陛下=11日午後3時38分、東京都千代田区国立劇場(代表撮影)
 「今なお脳裏から離れることはありません」-。天皇陛下は11日、政府主催の東日本大震災十周年追悼式に皇后さまとともに初めて臨席し、お言葉を述べられた。陛下は犠牲者に哀悼の意を表し、この10年の被災者の苦難と努力に思いをはせるとともに、災害の教訓を「次の世代に語り継いでいく」ことを願われた。
 陛下はこれまでに計9回、東北3県の被災地をご訪問。病気療養中の皇后さまも、被災地訪問にはすべて同行されてきた。新型コロナウイルス禍の今年は、オンラインで10年目の被災地視察に臨まれている。
 陛下はお言葉で、訪問を重ねる中で目にした被災地の「復興」と、人々の心の傷など、被災者との交流を通じて感じた「課題」の両面をご指摘。「私たち皆が心を合わせて、被災した地域の人々に末永く寄り添っていくことが大切」と述べ、譲位の前年まで被災地に足を運ばれた上皇さまの思いも引き継がれた。
 お言葉には、先人が残した過去の災害の碑を訪ねるなど、研究を通じても震災に向き合われてきた陛下の防災、減災への強い思いもにじんだ。10年という節目にとらわれず、「大きな犠牲の下に学んだ教訓」を「今後決して忘れることなく」後世に語り継ぐことで、将来にわたって「災害に強い国」が築かれていくことを望まれた。
 宮内庁によると、上皇ご夫妻は11日、お住まいの仙洞(せんとう)仮御所(東京都港区)で、地震発生時刻に合わせて黙祷された。」
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 3月12日11:20 産経新聞尖閣周辺に中国船 28日連続
 尖閣諸島を含む東シナ海上空=沖縄・尖閣諸島鈴木健児撮影)
 尖閣諸島沖縄県石垣市)周辺の領海外側にある接続水域で12日、中国海警局の船4隻が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認した。尖閣周辺で中国当局の船が確認されるのは28日連続。
 第11管区海上保安本部(那覇)によると、1隻は機関砲のようなものを搭載。領海に近づかないよう巡視船が警告した。」
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