🏋03:─9─日本は天皇の憂慮・大御心より国際公約を優先する。~No.32No.33No.34 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本人にとって敗戦後の現代天皇は、明治以降の近代天皇や江戸時代までの神話天皇とでは全然違う。
 それは、天皇・皇室を口にする保守派や右翼・右派・ネットウヨクでも同様である。
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 現代日本では、天皇・皇室の重みは軽い。
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 2021年6月28日12:00 MicrosoftNews AERA dot.「「まさに西村の乱」天皇陛下「拝察」発言が官邸に根回しされず、発表された理由
 © AERA dot. 提供 2020年の一般参賀で人びとにお言葉を述べる天皇陛下
 東京五輪パラリンピック開催による新型コロナウイルス感染拡大を天皇陛下が懸念されていると、宮内庁の西村泰彦長官が「拝察」していると発言したことに対し、菅義偉首相をはじめとする政府首脳は、「長官の見解」と突っぱねた。宮内庁は、内閣府の外局組織。にもかかわらず勃発した攻防戦。背景に何があったのか。
 「官邸への根回しなしにやったという意味では、まさに西村の乱だ」
 首相や官房長官、五輪担当相らが火消しに走った様を、政府関係者はこう形容した。東京五輪開催の是非について、コロナ禍で国論が二分するなかで政府は強引にかじをとってきた。
 そうした最中に宮内庁長官が投げた「拝察」発言は、官邸に激震を走らせた。
 「爆弾」を投げた西村泰彦氏は、2019年末に長官に就任した。もともとは警察庁出身で、第90代警視総監を務めた人物だ。上皇さまが退位の意向をにじませた「お気持ち」を公表した直後の2016年9月に、宮内庁次長に就任した。
 このときの人事では、「お気持ち」の公表をとりしきった風岡典之長官が退任した。これまでの長官は70歳になる年の年度末での退任が恒例であったが、数カ月の前倒し。さらに、天皇の退位をめぐる官邸と宮内庁との攻防では、風岡長官と危機管理全般を担当する杉田和博官房副長官との関係は、良好とはいえなかった。
 上皇さまの「お気持ち」公表は、杉田氏が東京の不在のタイミングだった。東京に戻った杉田副長官が「天皇に会わせてくれ」と宮内庁に出向いたが、風岡長官に「官房副長官では謁見できない」と断られ、遺恨が残ったとされる。
 官邸を怒らせた風岡長官は更迭されたとのうわさが飛び交った。代わって「官邸から送り込まれた」と言われた長官が西村氏だった。
 宮内庁は「オモテ」と呼ばれる事務方と、天皇や皇族方の世話をする「オク」に分かれる。 内閣危機管理監を務めていた西村氏は、宮内庁の「オモテ」と言われる役人のナンバー2である次長として宮内庁に来た。平成の終わりから、宮内庁と官邸の折り合いは良好とはいえない。官邸による「宮内庁改革」の一環で送り込んだなどと言われた。
 その西村氏が、五輪開催に影響を与える発言をしたことへの衝撃は大きかった。
 そうしてなかでも、長官発言の3日前の22日午後に、菅首相が陛下に直接、情勢を説明する内奏をしたばかりだった。そのため、水面下では両者の調整がなされていたのではという見方もあった。
 「官邸とパイプを持つ西村長官のことです。事前に官邸も把握していたのではないか」(宮内庁OB)
 しかし、前出の政府関係者は首をふる。
 「そうしたことは全くありません。官邸の空気としては、むしろ、『西村(長官)は何を勝手に言ってるんだ』と驚き、戸惑っていた」
 官邸が打った手は、「『黙殺』です」(同)だ。
 菅首相をはじめ、加藤勝信官房長官丸川珠代五輪相らは、呪文のように「長官の発言に過ぎない」と唱えた。西村長官の発言であって、それ以上でも以下でもないとして沈静化を図っている。
 だが、すでに政府が五輪特例で入国後の隔離を免除したウガンダの選手らの変異株への感染が判明するなど、状況は悪化の一途をたどっている。
 まさに「陛下が五輪開催で感染拡大を懸念」した通りに事態は進んでいる。
 一方で、球を投げた宮内庁側にも当然、思惑はある。コロナ禍で五輪を開催すれば犠牲者は必ず出る。それに加え、この東京五輪では業界の利権もあぶり出された。皇室を長く見てきた人物は、こう話す。
 「このままでは、1936年にドイツが開催したベルリン五輪に匹敵するほど評判の悪い五輪になりかねない。天皇東京五輪の名誉総裁として開催を宣言する立場であるし、皇族は各種競技場を観戦することになる。皇室としても、メッセージを出すことで五輪に対して一定の距離を引いたとを示す必要があった。つまり、官邸と皇室とどちらに忠誠を示すかという岐路に立った西村長官は、皇室を支える道を選んだということでしょう」
 ある意味、五輪をめぐる宮内庁と官邸の駆け引きという側面もあったのかもしれない。だが、その下でコロナの変異株が蔓延し、犠牲者が出ることは何としても阻止しなければいけない。(AERAdot.編集部 永井貴子) 」
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 2021年6月29日 MicrosoftNews 文春オンライン「《天皇陛下の“御心”を菅政権は無視?》宮内庁長官の異例発言「オリパラご懸念を拝察」の重すぎる意味
 ©️JMPA© 文春オンライン 今上天皇陛下(皇太子時代)
 陛下がご懸念を伝えるために抜かれた「伝家の宝刀」
 「天皇陛下が『伝家の宝刀』を抜かれました。宮内庁の西村泰彦長官が6月24日の定例記者会見で新型コロナウイルスについて、天皇陛下が『五輪・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないか、ご懸念、ご心配であると拝察する』と述べたのは、間違いなく陛下のご懸念を国民に伝えようとしたものです。
 『拝察』という表現により、あくまでも西村長官個人が陛下のお側にお仕えする中で推測したような形式をとっていますが、国民世論の反対の声に一切耳を貸さずに政権維持に利用するため五輪開催に邁進する菅義偉政権に、国民の声に耳を傾けなさいと陛下は諭されているのです。拝察という表現は、憲法第4条で『国政に関する権能を有しない』と定められている天皇が、宮内庁長官に自らの御心(みこころ)を代弁させる際の伝家の宝刀なのです」
 「天皇の政治的発言」?
 ある宮内庁関係者はこう語る。五輪開会式の開会宣言は開催国の国家元首が行うとオリンピック憲章第55条3項で定められており、外交儀礼上は日本の国家元首とみなされる天皇が五輪の名誉総裁を務めるのは慣例となっている。
 前回の1964年東京五輪と72年札幌五輪では昭和天皇が、98年の長野五輪では上皇陛下が名誉総裁を務め、今回は今上天皇が務められる。ご自身が大会の「顔」となる東京五輪で新型コロナの感染爆発が起きることは絶対に避けなければならないとお考えになるのは、至極当然のことだろう。
 「前の安倍晋三政権は東京五輪招致のためIOC国際オリンピック委員会)総会に高円宮妃久子さまを担ぎ出しましたが、当時の風岡典之宮内庁長官は2013年9月2日、久子さまのIOC総会ご出席について『天皇・皇后両陛下もご案じになっているのではないかと拝察している』と述べています。これも上皇上皇后両陛下の御心を代弁されたものです。皇族を政治利用した安倍政権に一言モノ申されたわけです。
 憲法学者からは当時、『天皇の政治的発言だ』といった批判の声も上がりましたが、政治的発言などではなく、国民統合の象徴として国民に発せられたメッセージなのです。今回、菅首相は西村長官の発言について『(長官)本人の見解を述べたと理解している』などと木で鼻をくくったような発言をしていますが、五輪招致時も官房長官として政権の中枢にいただけに、陛下の憤りは十分に伝わっているはずです」(同前)
 西村長官は宮内庁に「送り込まれた」?
 西村氏は警察官僚出身で警視総監まで上り詰めた後、安倍政権下で内閣危機管理監を務めた。安倍政権は上皇陛下の生前退位の意向に翻弄され、悲願の憲法改正に向けた動きを封じられたことから、生前退位への道筋を推し進めた当時の風岡長官を事実上更迭し、西村氏を宮内庁に送り込んだと言われている。
 皇室担当記者が語る。
 「しかしそれは、安倍さんや菅さんの勘違いでした。西村さんは実直な能吏です。危機管理監として安倍内閣の危機管理を担ったからといって、政権の言いなりになるようなタイプではありません。宮内庁長官として西村さんは、国民とともにあろうとされている天皇陛下にお仕えしているという自負があるはずです。
 西村さんの視線は今、官邸に向けられているのではなく、御所に向けられているのです。西村さんには自民党政権によって宮内庁に『送り込まれた』などといった意識は皆無でしょう。政権に忖度などすることなく、天皇陛下のご懸念を明らかにしたのは、それだけ陛下のご懸念が深刻なものだからなのです」
 2日前に「内奏」が行われたにもかかわらず…
 今上天皇は昨年の4月と11月、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長からご進講(説明)を受けられている。その尾身会長が五輪開催や競技場に観客を入れることに再三再四、警鐘を鳴らしてきたことも報道でご存じのはずだ。西村長官の発言がある2日前の6月22日、今上天皇は皇居・宮殿で菅首相から「内奏」と呼ばれる報告を受けられた。
 内奏は首相・閣僚らから国内外の情勢について天皇が内密に報告を受けるもの。侍従らの同席もなく2人だけの空間で語られる天皇の言葉は、政治利用される恐れがあることから口外しないのが原則だが、タイミングから考えても菅首相から五輪開催についての報告があったのは確実だろう。
 前出の宮内庁関係者が語る。
 陛下のご懸念に菅首相は耳を貸さなかった?
 「つまり、内奏の席で菅首相天皇陛下のご懸念を聞かされても耳を貸さなかったということなのではないでしょうか。だからこそ、陛下のご懸念に西村長官はあえて言及したのでしょう。
 1973年5月、増原恵吉防衛庁長官(現在の防衛相)が内奏の際に昭和天皇から『防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことはまねせず、良いところは取り入れてしっかりやってほしい』と言われたと記者会見で公表し、辞任に追い込まれています。このためあくまでも推測の域を出ませんが、菅首相に陛下がご懸念を伝えられたと考えるのが自然な流れと言えるでしょう」
 何かあれば内閣総辞職では済まされない
 1928年12月、当時の田中義一首相は張作霖爆殺事件に日本軍が関わっていた場合、厳重に処分する旨を昭和天皇に内奏したが、その後一転して方針を転換したとして昭和天皇の不信を買い、内閣総辞職に追い込まれたとされる。「統治権を総攬」していた明治憲法下の天皇と国民統合の象徴である平和憲法下の天皇は全く立場が異なるが、内奏で明かされたであろう今上天皇の御心を無視して観客を入れての五輪開催を強行し、万が一にも感染爆発や医療崩壊を引き起こしたとしたならば、菅内閣は総辞職では済まされないのではなかろうか。
 (朝霞 保人/Webオリジナル(特集班))」
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