🎷03:─2─1980年代から続く日本の「負け戦」。政治家と官僚の劣化・無能。~No.18 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年7月9日号 週刊現代「POST BOOK Review
 関川夏央
 『フクシマ戦記 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』(上・下)舟橋洋一著 文藝春秋
 80年代から現代まで続く日本の『負け戦』の本質
 福島第一原発の激甚事故から10年。まがまがしく黒い大津波、帰宅難民の長い列、それから原発水素爆発の映像は記憶から消えない。
 2011年3月11日から16日まで、日本は破滅と紙一重だったのだと改めて確認するのは悪いことではない。というより絶対に必要なことだと思う。
 2012年2月、『民間事故調』の一員として報告書を提出したジャーナリスト舟橋洋一は、さらに当事者インタビューを重ね、2012年12月、個人の著書『カウントダウン・メルトダウン』を上梓した。
 それは『負け戦』の『戦記』であった。凄惨な『勝ち戦』の戦記は役に立たない。しかし負けの理由をさぐり、後退戦を戦った人々の事績を明らかにする『負け戦』の記録は、現在と未来のために欠かせない。
 『想定外』の高さの津波で『全電源喪失』、炉と使用済み核燃料プールを冷やせなくなったうえに、あいつぐ水素爆発。2011年3月14日、東京電力経営陣は、もう手に負えない、『撤退』したい、と管直人首相に泣きついた。だが、この『戦争』には『撤退=降伏』を認めてくれる『敵』がいない。
 『撤退』はチェルノブイリ以上の放射能汚染をもたらし、最悪、東日本と東京は壊滅する。東電本社には疲労とあきらめの色が濃かったが、現場はそうではなかった。
 免震重要棟がたまたま前年に完成していた。使用済み核燃料プールにたまたま水が残っていて空焚きにならなかった。注水に使える長いアームを持った『キリン』のようなコンクリート圧送機がたまたま見つかった。これら『たまたま』の組み合わせと、現場の決死の努力が『背骨を折られかけた』日本を救った。
 前作から10年、著者はさらに取材を重ね、当時の緊迫した状況を再構築した。ぎりぎりのところで『完敗』を防いだ人々の活躍を再現した。のみならず、1980年代後半から現代までつづく、日本そのものの『負け戦』の本質を明らかにした。
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 POST BOOK Review
 山内昌之
 『政治家の責任 政治・官僚・メディアを考える』老川祥一著  藤原書店
 文学で培われた感性が衝く『現代政治の不毛性』
 『歩いた家の数しか、票は出ない。握った手の数しか、票はでない』。選挙の神様、田中角栄の名言である。他方、今の小選挙区制度では、クイズ脳並みの知識や外資系企業の経験があれば、人間の洞察力が鈍い若者でも国会議員になれる。候補者がどぶ板を這いまわる地道な活動は必要ないのである。与野党問わず、若い議員を見ていると、何のために議員になったのか不思議だ。このレベルで議員になれる現状と定員の多さに驚くばかりだ。著者は、有権者一人ひとりと握手をして言葉を交わし、一般社会の生活感を実感する体験を強調する。生活者の苦しみを知らずに何の政治家かと警告を発する。
 老川氏の新著で教えられたのは、政治家の水準低下にもまして、かつては政策力と自尊心を誇った官僚の劣化である。行政文書を政治家のために廃棄し、パソコン記録を抹消するのは驚きだ。地方採用で地道に仕事に励む公務員を自殺に追い込むなど、無責任の体系と定義するだけではすまない。意思決定の責任は政治家にあり、政治の命令を忠実に執行する義務は官僚にあると著者は語る。しかし、それも政治家が正しい命令を行うから成り立つ話である。そこにウソや虚偽のないことが前提なのだ。関係職員の処分に無関心を装い、はては自殺者の捨て身の告発のみ頬かぶりするようでは、日本の民主主義政治の将来も暗い。
 著者が政治部記者を目指した時、文学書を読んでいた著者は入社試験で訝(いぶか)しがられた。著者はこう答えた。政治は人間の行為、情熱や欲望や権謀術数など生々しい人間的要素の凝縮された行為だから、文学書に表現された人間像を学ぶことが大事だというのだ。今時の22歳の学生、30代の議員には真似もできない答えだ。私も政治劣化の原因は、学生が文学を読まないことも大きいと考えてきた。ドストエフスキー魯迅小林多喜二も読まずに、人間と政治との関係を考える若者が育つだろうか。著者の感性は、現代政治の不毛性と議員の魅力枯渇の背景を鋭く衝いている。」
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 2021年7月8日号 週刊文春「新聞不信 立民はニュースにあらず?
 先週の或る日、時事通信のネット配信記事を拾い読みしていて、世論調査の記事に行き合った。6月11~14日に実施され、見出しには『内閣支持横ばい33%、ワクチン「遅い」69%』とある。
 まあ相場だなと驚きもなくぼんやり最後まで読み進めて仰天、目を疑った。
 政党支持率だ。『自民党が22.8%、公明党3.7%、立憲民主党2.9%、共産党17%』と続く。
 菅政権の惨状は明白なのに立憲民主党もだらしないとわかっていたが、自民党との格差は言うに及ばず、まさか公明党にまで抜かれるとは。しかも枝野幸男代表が衆院選の号令を鳴らした直後だ。今後どんな気持ちで彼の政権交代への訴えを伝えるのか、政治記者に同情を禁じ得ない。
 あわてて記事を読み返し再度驚愕した。データ以外は本分にもこの記録的下落を伝える文書とてない。つまり、これがニュースだと思っていないというわけだ。
 そう考えると、いちいち腑に落ちることがある。例えば朝日の6月23日付朝刊にあった『消費減税の公約化 立憲混乱』との記事がそうだ。
 枝野氏が内閣不信任決議案提出の際の演説で『税率5%への時限的な消費税減税をめざす』と述べたが、直後に『選挙公約ではなく、政権として実現する』と説明したため『混乱している』と書く。
 政権交代後の実現目標に掲げた政策をなぜ選挙公約にしてはいけないのか、記事を読む限り全然分からない。『説明した』と書く以上、聞いた記者は理解出来ない。
 何より不思議なのは、この騒動の捉え方だ。『今後の野党共闘にも影響するため、党内外から戸惑いの声が出ている』とある。
 追及すべき『影響』は、政権交代の旗印への国民の信頼度であり、野党共闘といった選挙技術ではあるまい。だいいち、菅政権や自民党で根幹政策を巡り同様の『混乱』が起きたなら『戸惑いの声』程度では済まないに違いない。
 ただ、同じ問題を扱った読売の25日付朝刊を読んで三度驚いた。『混乱』に『説明』そして『困惑』と、捉え方は朝日と瓜二つである。
 記事は現実の忠実な反映であったか。こんな混乱や戸惑い、説明が許されるからこその支持率だったのだ。(葉)」
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カウントダウン・メルトダウン 上下巻セット
政治家の責任 〔政治・官僚・メディアを考える〕
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 現代の日本人に国際社会で活躍できる高度なグローバル知識と語学力であるとしても、昔の日本人に比べて民族的な歴史・文化・伝統・宗教から生まれ出る智慧はない。
 現代の日本人は、昔の武士・サムライや百姓・町人の庶民はいないし、その子孫もなく、当然の事ながら培ってきた文武両道の武士道精神、不撓不屈の百姓根性、探求し極める職人気質もない。
 現代の日本人は、昔の武士・サムライや百姓・町人の庶民から遠い所に存在している。
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 2020年の安倍政権下で発生した武漢肺炎(新型コロナウイルス)蔓延と翌21年の菅政権でのお粗末な対応で、日本は先進国ではなく途上国並み、一流国ではなく三流国並みである事を曝け出した。
 そして、ウイルス・ワクチンを自力で作る事ができず、技術力で中国やロシアにさえ負けた。
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 日本国・日本民族が、石器時代縄文時代から日本列島で生き残ってこられたのは「必然」ではなくたまたまの「偶然」である。
 「偶然」という「幸運」を引き寄せたのは、絶体絶命の中でもほんの僅かな望みを信じて「諦めなかった」事、窮地は必ず脱しきれると信じて「勢いを保ち耐え忍んだ」からである。
 「信じて行動する」という自助努力が、日本民族の底力である。
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 何時の時代でも、日本の組織は「腐っても鯛は鯛」として、中枢の首脳部・上層部が腐って無能になっても、下部組織・現場組織は世界優秀である。
 昔の日本軍が強かったのは、戦場で戦う日本人兵士が全滅・玉砕を覚悟しながらも、最後の勝利、生き残りを信じて死力を尽くしたからである。
 万歳突撃やカミカゼ特攻は、発狂しての自殺ではなく、生きる為の決意であった。
 腐る鯛とは、政治家、官僚、企業家・経営者、学者、メディア関係者、その他の高学歴な知的インテリと進歩的インテリである。
 保守の政権与党もさる事ながら、リベラル・革新の野党は論評に値しない。
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 1980年代後半から日本を動かしているのは、リベラル派戦後民主主義世代とその薫陶を受けた才能豊かにして頭脳優秀な次世代、高学歴な知的インテリと進歩的インテリである。
 日本を支配したのが、科学的根拠のない各種安全神話からくる同調圧力・場の空気・空気であった。
 そして、日本人の心を蝕んだのが空虚で馬鹿らしい精神論としての武士道神話である。
 変化・進歩・進化を嫌う保守的官僚主義による、縦割り、問題先送り、事勿れ、何もしない、前例踏襲、ヒラメ体質、隠蔽・改竄・歪曲、責任転嫁、その他が表れ始めたのが2010年頃からで、コロナ禍の2020年にはその姿がハッキリと見えるようになった。
 その姿とは、途上国・三流国並みという事である。
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 現代日本には高学歴で世界的なハイレベルな資格を持ち語学力に堪能な知的インテリや進歩的インテリなどの上級国民が存在するが同時に、猫に小判、豚に真珠、犬に論語、馬の耳に念仏、牛に経文、兎に祭文と言った類いの現代の日本人も溢れている。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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