🎶04:─2─『コルカタの悲劇』。駒形丸事件はセント・ルイス号事件に似ている。~No.7 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代日本は都合の悪い数多くの歴史的事実を、歴史の闇に葬っている。
 つまり、現代の歴史教育は改竄・捏造・歪曲された嘘の歴史である。
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 2021年8月号 WiLL「森史朗 今月この一冊
 『駒形丸事件』 秋田茂/細川道久 著 ちくま新書
 『駒形丸事件』をご存じだろうか。大正初期、日本が国際紛争の当事者として翻弄(ほんろう)され、歴史の闇に閉ざされてしまった事件──本書は2人の歴史学者によって初めて発掘された労作である。グローバル化をめざす日本人にとって貴重な教訓となるはずだ。
 1914年(大正3年)4月、神栄汽船所属の駒形丸が香港でインド人実業家が募集した移民476名を乗せ、日本経由でカナダのバンクーバーに向かった。5月、目的地にたどりついたが2カ月間、接岸を許されず、水・食糧が乏しいまま、乗客の大半は太平洋を引き返さざるをえなかった。駒形丸は日本、シンガポールを経由し、9月にコルカタ(旧カルカッタ)近くに到着したが、そこで乗客の大半が現地インド政庁の警察と軍によって逮捕され、殺害された。これは『コルカタの悲劇』として語りつがれている
 なぜ、インド移民たちはこのように悲惨な運命に遭わねばならなかったのか。そして日本政府はどう対応したのか。まず、イギリス帝国の自治領であるカナダで、やはり同じ帝国の臣民であるインド人を単純に排斥することはできない。だが南アフリカガンジーが植民地からの脱却を訴えていたように、彼の抵抗運動に共鳴する知識人、パンジャーブ地方インダス川上流域)のシク教徒などが、抵抗を活発化させていた。
 駒形丸のインド移民のうちシク教徒が340人に達していたから、カナダはインド移民の上陸を禁止し、後の裁判でも強硬に彼らを排除した。
 日本政府は、駒形丸の所有が神栄汽船という日本の会社でありながら船籍は日本の租界地であった関東州・大連で登録されているところから、『民事の事項として非干渉』の立場をとっていた。船長山本熊太郎は駒形丸の強制退去を迫るカナダ側に対して抵抗を続けたが、遂に説得に応じた。
 イギリス帝国はすでに締結されていた日英同盟により日本の協力を得ることで、イギリスの安全と維持を狙う企てがあったのだろう。
 日本も日清、日露戦争の勝利によって西欧列強と肩を並べた大国意識があったから、静観の対応をとった。だがアジア系移民を蔑視するカナダ政府も元はイギリス本国からの移民の集団で、約430万人がアメリカへ、240万人がカナダへの白人定住移民であった。彼らは19世紀中葉以降、本国より内政に関する自治権を与えられて、カナダでは自治領として発展。と同時に本国より支援を受けた白人自治領として植民地利権を独占することになり、他のアジア人種たちの移民を排除、上陸禁止を連発するようになった。
 日本人移民も例外ではなく、年間400人に制限。1907年には中華人街と日本人街が白人たちに襲撃される事件が起こった。駒形丸事件はこれらアジア系移民に対する人種差別の一環であり、とすればインド人移民の上陸禁止、日本貨物船の強制退去という屈辱に対して、日本は何らかの戦略的解決を図る手段はなかったものか。
 2016年、カナダのトルドー首相は『駒形丸事件は過ちだった』と公式に謝罪したが、21世紀における『インド太平洋』構想を掲げる日本としては、かつての駒形丸事件の知られざる暗部の歴史に焦点を当て、グローバルな戦略を再検討する必要があるのではないか。」
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 ウィキペディア
 駒形丸事件とは、日本船籍の「こまがた丸」(駒形丸)に当時イギリス帝国統治下のインド臣民360人が乗ってカナダへ移民を企てて、1914年にヴァンクーヴァーに到着したが、24人だけは上陸が許されたが、他は追い返されてインドに戻った事件。北アメリカでのアジア人移民排斥の代表的例として歴史に残った。
 概要
 シーク教徒のビジネスマンであるグルディット・シング (Gurdit Singh)が「英帝国の臣民は帝国内を自由に移動できなければならない。」という原則に反する規則に挑戦するために、私財を投じて日本船籍の汽船「こまがた丸」をチャーターしたもので、1914年4月初旬に165名の乗客で香港を出発して、途中上海、横浜によって乗客を増やして航海し、結局インド人の乗客はシーク教徒が340人、イスラム教徒が24人、ヒンドゥー教徒が12人に上った。こまがた丸は同年5月末にヴァンクーヴァーに到着したが、ごく少数を除いては上陸が認められず、いくつかの悶着の末に、大多数を載せた船は7月末にアジアへ向けて出発して、9月末に西ベンガル州カルカッタへ到着して、バッジ・バッジで投錨している。
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駒形丸事件 ――インド太平洋世界とイギリス帝国 (ちくま新書)
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 大正期の日本は、自主独立国として国際的なキリスト教由来白人至上主義による有色人種排除の人種差別と孤独に闘っていた。
 昭和天皇は、日本人を含む非白人に対する人種差別が太平洋戦争の遠因であったと証言している。
 アメリカは、太平洋戦争を人種間戦争にしない為に中国(ファシスト中国=中国国民党政権、中国共産党政権)を連合国に引き入れた。
 東条英機首相と重光葵外相は、太平洋戦争を白人植民地支配に対するアジア人の独立戦争へと国際的に格上げする為に、親日派諸国を東京に招聘して大東亜会議を開催した。
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 親ユダヤ派の松岡洋右外相は、軍国日本が保護した数万人のポーランドユダヤ人難民を安全なアメリカ国内やイギリス領パレスチナに逃がそうとしたが、両国の非協力的で移送が滞り、その間にもヒトラーの魔の手から逃れたポーランドユダヤ人難民の数が増え続け、次善の策として中南米諸国への移住ルートを模索した。
 中南米諸国は、アメリカの日本人・ユダヤ人差別に忖度してポーランドユダヤ人難民を乗せた日本船舶の入港を拒否して退去を通告し、ポーランドユダヤ人難民の上陸・入国を認めず日本へ送り返していた。
 独ソ戦勃発でシベリア鉄道が閉鎖されて、ポーランドユダヤ人難民の日本流入はなくなった。
 日本からアメリカ国内やイギリス領パレスチナへのポーランドユダヤ人難民逃避は、太平洋戦争勃発で途絶え、日本が敗北して再開された。
 親ポーランド派軍部・東条英機首相は、神戸・満州などに取り残されたポーランドユダヤ人難民を上海の日本租界に移送し、陸軍部隊が管理する上海ゲットーを開設してそこに収容して保護し、公職を離れた松岡洋右と協力してナチス・ドイツホロコーストから一人の犠牲者も出さず守り通した。
 賀屋興宣蔵相(A級戦犯)は、ニューヨーク・ジョイント(アメリカ・ユダヤ人合同配分委員会)から上海ゲットーへの送金を可能にする為に、東条英機首相の許可を得てアメリカ・国務省との間で極秘協約を結んだ。
 ユダヤ人難民保護は、昭和天皇の希望でもあった。
 これが、靖国神社の心・志・精神である。
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