🏋05:─3─天皇の開会宣言 「記念する」への言い換えに込めた気配り。~No.94No.95No.96 

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 2021年7月29日12:30 MicrosoftNews 全国新聞ネット 47NEWS「五輪憲章も前例も踏み越えた開会宣言 「記念する」への言い換えに込めた気配り
 © 全国新聞ネット 「祝い」を「記念する」と言葉を変えて開会を宣言される天皇陛下=7月23日夜、国立競技場
 © 全国新聞ネット 1964年の東京五輪昭和天皇は「祝い」という言葉を使った=1964年10月10日、国立競技場
 © 全国新聞ネット 東京五輪の開会を宣言される天皇陛下=7月23日夜、国立競技場
 © 全国新聞ネット 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(右)から進講を受けられる天皇、皇后両陛下=2020年11月13日、赤坂御所(宮内庁提供)
 天皇陛下は23日、東京五輪開会式で次のような開会宣言をされた。「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」。実はこの短い文言の中に、過去と異なる重大な変更点があった。「記念する」の部分は、前回の東京五輪の例に従えば「祝い」になるはずだったのだ。
 五輪の憲法とも言うべき五輪憲章では、開会宣言の文言は厳密に規定されている。それだけに変更は異例だが、今回の文言は大会組織委員会の原案を宮内庁内でも協議し、陛下の了承も得たものだった。あえて変更したその真意を探っていくと、「オリンピアード」という言葉の意味に行き着く。(共同通信=大木賢一)
 ▽政治利用の歴史
 五輪憲章は開会宣言について「開催地の国の国家元首」が行うとし、ごく短い文言を規定している。理由は、国家元首による自由な発言を許せば、五輪が政治的主張の舞台として利用される危険性が増えるからだ。
 最近では、2002年ソルトレークシティー五輪で、当時のブッシュ米大統領が規定を破った例がある。
 前年にあった米中枢同時テロを受けて「誇り高く、決意に満ちた、偉大な国を代表して」などと自国を称賛する言葉を付け加えた。当然ながらこの行為は当時、「五輪の政治利用だ」と批判を受けた。
 ▽変更の背景
 では、今回の変更も規定を破ったのかというと、そうでもなさそうだ。
 繰り返しになるが、今回の開会宣言は「オリンピアードを祝い」を「オリンピアードを記念する」と変更した。
 「祝い」の部分は、憲章の原文では「celebrating」となっている。この単語であれば「記念し」と日本語訳しても意味は通じる。憲章の勝手な変更とはならない体裁を整えている。
 和訳の文言を少し変えただけとも言える。ただ、それにしても一体なぜこんな「細かい」変更をしたのだろう。
 ここで「オリンピアード」という言葉に注目したい。この言葉は五輪の大会そのものを指しているわけではなく、「大会を含めた4年という期間」を意味している。
 オリンピック研究が専門の舛本直文東京都立大客員教授によると、今回のオリンピアードの始まりは今年ではなく、本来のオリンピックイヤーである昨年2020年の1月1日。開会宣言にある「第32回オリンピアード」とは、20年1月から23年12月31日までの4年間を指し示している。
 20年1月と言えば、中国で未知のウイルス感染が報告され始めた時期の翌月。その後、感染は急速に世界中に広がり、全人類は1年半が経過した今も塗炭の苦しみの中にいる。第32回オリンピアードは、くしくも人類が直面した新型コロナウイルス禍とぴったり重なってしまっている。
 今後の2年半でコロナ禍がどうなるかは分からないが、現状ではとても、直近の1年半を祝う気にはなれない。そう考えれば憲章の規定に抵触しない範囲で「祝い」を「記念し」と変更したことも、ごく自然に思える。
 ▽オリンピアードの起源
 ところで、オリンピアードが「時間の単位」になった起源には、古代ギリシャの暦に基づき、古代オリンピックが4年に1度開かれていたことがあるという。近代になって復活したオリンピックもこれを踏襲し、第1回アテネ大会の1896年が「第1回オリンピアード」の元年となった。
 舛本客員教授によると、夏季オリンピック大会は、オリンピアード期間の最初の年に開催される決まりであり、期間中最大のイベントでもある。このため、その開会式で「新しい4年間の到来を祝福する」のだという。
 オリンピアードの意味について多くの人は知らない。ただ、大会名誉総裁として準備を重ねた天皇陛下は、自分が読み上げる開会宣言中のこの言葉の意味を、正確に把握していただろう。
 コロナとともに幕を開け、今後も苦難が続く可能性が十分に予想されるこの4年間を、無条件に祝福していいのだろうか。陛下自身もそんな気持ちにさいなまれていたのではないか。
 ▽政治的意味合い
 率直に言って、今回の開会宣言の文言変更に陛下自身がどこまで関わったかは分からない。しかし、陛下は日頃からコロナ禍の現状と先行きを強く憂慮しているという。
 6月末には、宮内庁長官が定例記者会見で「オリンピック、パラリンピックの開催が、感染拡大につながらないか、ご心配であると拝察している」と話し、陛下の心中を「代弁した」ことが話題になった。
 拝察発言の際は「天皇の政治干渉ではないか」と疑問視する声が上がり、波紋を広げた。今回は小さな文言の変更に過ぎないが、「祝福しない」こと自体が政治的意味合いを持ってしまう危険性はある。
 それでも、もともとオリンピアードの中心行事が夏季五輪大会であることを考えれば、シンプルに「オリンピアードを記念する大会」と訳した今回の表現変更は、憲章の理念に照らしても妥当なものだろう。開催自体に賛否両論がある中で開幕した東京五輪。読点を含め、わずか約40字の開会宣言は、各方面への気配りを尽くした結果とも言えそうだ。」
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 8月7日 MicrosoftNews AERA dot.「東京五輪天皇陛下JOCの「誤訳」をさり気なく訂正 開会宣言に垣間見えた元首の器
 © AERA dot. 提供 朝日新聞社(c)
 コロナ禍で国民に寄り添い、「祝う」を「記念」に変えたことで注目された天皇陛下東京五輪の開会宣言。実は、気づく人はほとんどいなかったが、陛下はJOCの誤訳を、人目につかぬよう訂正していたのだ。平成の天皇陛下の侍従として、記者会見の英訳を担当していた多賀敏行元チュニジア大使が、令和の天皇が見せた「元首の器」を語る。
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 東京五輪の開会式のあと、天皇陛下の宣言とJOC五輪憲章で公表する和訳を見比べていた元チュニジア大使の多賀敏行・大阪学院大学教授は、あることに気づいた。
 「7月23日に天皇陛下が述べた開会式の宣言は、JOCの誤訳を、さり気なく訂正なさっている」
 そもそも開会宣言は、仏語と英語でかかれた五輪憲章の原文に明記されている。日本オリンピック委員会JOC)によって和訳された宣言文を、開催国の元首が読み上げることになっている。東京五輪の開会式では、次のとおり宣言文を読み上げた。
 「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」
 コロナ禍に配慮した天皇陛下が、規定文の「祝う」を「記念」に変えたことだけが注目された。実は、天皇陛下は、重要な「誤訳」を訂正していたのだ。
 JOCが公表する「五輪憲章2020年版・英和対訳」を見てみよう。
 「わたしは、第(オリンピアードの番号) 回近代オリンピアードを祝い、(開催地名)オリンピック競技大会の開会を宣言します」
 何が違うのか。多賀教授の解説によると、天皇陛下の実際の宣言では、天皇である「私」の行為は、「宣言する」のみだ。一方、JOCの和訳では、「私」は、「祝う」ことと「宣言する」という二つの行為をしていることになる。ちなみに、「オリンピアード」とはオリンピックが始まるべき年から4年間の期間を意味する。宣言に登場する第32回は、2020年から23年までの4年間のことだ。
 「コロナ禍に配慮して、『記念する』という言葉を使われたことに注目が集まりました。しかし、もうひとつ重要なことは、文の構造を取り違えた重大な誤訳について、騒ぎにならないよう、さり気なく訂正されているという点です」
 原文とそれを訳したJOCの日本語版を詳しく比較してみよう。
 「『祝う』という動詞に注目しましょう。ここでは何が何を祝っているのでしょうか。JOCの日本語版では、天皇陛下である『私』が『第32回オリンピアード』を祝っていることになります」(多賀教授)
 多賀教授が注目するのは、英文のこの部分だ。
 <……..the games of Tokyo celebrating the 32nd Olympiad…………>
 つまり、「東京大会」が「第32回オリンピアード」を祝っているのは一目瞭然だ。
 JOCの和訳のように、天皇陛下である「私」が「オリンピアードを祝っている」わけではないのだ。
 多賀教授は、このことは五輪憲章の仏語版を見れば疑問の余地はない、と話す。というのも、五輪憲章の規則22付属細則3は、仏語版が優先される旨を記しているからだ。
 《オリンピック憲章およびその他の IOC 文書で、フランス語版と英語版のテキスト内容に相違がある場合は、フランス語版が優先する。ただし、書面による異なる定めがある場合はその限りではない》
 仏語版の宣言文を見てみよう。
 《Je proclame ouverts les Jeux de… (nom de l’hôte) célébrant la… (numéro del’ Olympiade) Olympiade des temps modernes.》
 多賀教授は、「私」が主語で、「オリンピアードを祝っている」のならば、「gérondif」を使って「en célébrant」としなければならない、と分析する。しかし、上記のように仏語版では前置詞の「en」 が無く、ただの「célébrant」になっている。
 このcelebrant が、直前の東京大会(les Jeux deTokyo)を修飾していることは明らかである、と指摘する。
 わかりやすいように、7月23日の開会式の実際に陛下が口にした宣言をもう一度、確認してみよう。天皇陛下は、「祝う」を「記念する」に変えて、次のように述べた。
 「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します。」
 やはり、「この記念する」、が修飾するのは、「東京大会」だ。
 AERAdot.編集部は、「五輪憲章2020年版・英和対訳」に掲載された宣言文における、誤訳の可能性について、JOCに問い合わせた。すると広報からは、メールでこんな返事が返ってきた。
 <お問合せいただきましたオリンピック憲章の件につきまして下記のとおりご回答いたします。
 第18回オリンピック競技大会(1964/東京)公式報告書によりますと開会宣言として
 「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します。」
 とあります。従って、我々は、オリンピック憲章においてもこの和訳を使用しております。
 以上、何卒宜しくお願い致します。
 日本オリンピック委員会広報部 >
 多賀教授は、英語学習についての著書を何冊も執筆している。そして、日本オリンピック委員会JOC)の回答についてこう話す。
 「JOCのスタッフに、英語に専門的に習熟した人が居ないのでしょう。この和訳は、高校レベルの英文法ですし、英検2級の合格者でも理解できる人はいると思います。何より、ここで問題にしているのは、 celebratingという、現在分詞の主語は何かという点です。昭和天皇が宣言していたから問題ありません――というロジックで切り抜けようという思惑であれば、あまりにお粗末です。こうして丹念に英仏日の宣言文を比較、検証してみると、64年の東京五輪では、昭和天皇に誤った翻訳の宣言文を読み上げさせてしまった、ということになります」
 多賀教授は、平成5年から8年まで当時、天皇だった上皇さまの侍従として仕えていた。当時、天皇であった上皇さまの記者会見を、御用掛を務めていたアイルランド人の学者と一緒に、英語に翻訳するのも仕事だった。
 多賀教授は、上皇ご夫妻はもちろん、いまの天皇陛下も言語に対する感性が鋭敏だと話す。
 「天皇や皇族方は、ご自身の言葉を最適な表現に翻訳して伝えることの重要性を何より、理解なさっている方々でした」
 多賀教授が思い出すのは、言語に対する感覚の鋭敏さを表す次のようなエピソードだ。
 皇太子時代に執筆した『テムズとともにー英国の二年間-』(学習院教養新書)。そのなかで、オックスフォード大学への留学中に、テニスの試合における得点の数えかたについて興味を持ったエピソードが登場する。たとえば、15対0のとき、英語で「fifteen  love」と表現する。0をなぜ「love」と呼ぶのか。好奇心を持った徳仁皇太子が、英国人の指導教官にたずねると、フランス語の「œuf(卵)」から来ていることが分かった。「0(ゼロ)」の形をした卵から、ゼロを表現したことを突き止めたのだ。「œuf(卵)]に定冠詞が付くとl’oeufになり、発音はloveに近づく。
 「その謎解きの過程を語られる筆致がユーモアにあふれ、とても楽しかったのを思い出しました。私がバンクーバー総領事を務めていたころ、徳仁皇太子がお立ち寄りになったことがありました。著書に書かれていた、卵とゼロの話題をしたところ、皇太子殿下も喜んでおられました」
 平成の時代、明仁天皇は、ご自身の記者会見の内容が、迅速に正しい英語に翻訳されて発表されることを願っていた。侍従を務めていた多賀教授らの翻訳作業は、深夜に及ぶことも多かった。
 「翻訳作業は、陛下のご発言の一文一文をきめ細かく分析し、正確な英語表現を複数考えて最適の解を探してゆかねばならないからです」(多賀教授)
 ある晩、人の気配を感じてふと、顔を上げると、すぐ目の前に明仁天皇が、ほほ笑みながら立っていたという。
 「どうですか」
 翻訳と格闘していた御用掛にこうたずねた。 記者会見で発言した日本語が、どのような英文になっていくのか、ご興味があったのだろう。同時に、それにもまして、夜遅く自分のために仕事をしてくれる人たちをねぎらいたい、そんなお気持ちが強かったのだと思う、と多賀教授は振り返る。
 ひるがえって、令和の天皇陛下はコロナ禍で開かれた五輪の開会宣言では、国民の思いに寄り添う形で、「祝う」という言葉をさけた。
 さらに宣言文の「誤訳」について、多賀教授はこう推し量る。
 「五輪憲章の『誤訳』の件で誰かが傷ついたり、責任を問われることのないように、というのが陛下の一番の願いであったと思います。そうしたなかでも正しい日本語として宣言できるよう、人目につかないように、ひっそりと訂正なさったのだと思います」
 (AERAdot.編集部 永井貴子)」
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