🎹36:─1─日本人の中国人や朝鮮人への偏見と差別の原因は恐怖であった。~No.225No.226No.227 ㉝ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年9月号 WiLL「『敵国は古(いにしえ)より極めて残忍の性を有す』
 中国の正しい姿とは一体何なのか──
 高山正之
 〝奇妙な〟憧れ
 中国共産党創設100年。祝賀大会が北京で開催された際、習近平は、次のような演説をぶった。
 『100年前、中華民族が世界の前に示したのは一種の落ちぶれた姿だった。今日、中華民族は世界に向けて活気に満ちた姿を見せ、偉大な復興に向けて阻(はば)むことのできない歩みを進めている』
 実におこがましい。それに日本の政治家が祝電を送ったけど、何を考えているのか。自民党二階俊博公明党山口那津男立憲民主党枝野幸男社民党福島瑞穂。ほかには立民の小沢一郎や、河野洋平も。ウイグルの人権侵害に関する非難決議もまともに採択しないで、一方で祝電を送る。『友達(中国)が嫌がることはしない』と昔、バカな福田康夫が言ったけど、それを念仏のように唱えて、相手からまわず礼を尽くす。彼らを見ていると、どうも日本人は中国を完全に見誤っているように見える。
 歴史を振り返って見ると、日本は中国に対して〝奇妙な〟憧れの目で見ていたことがわかる。江戸時代の儒学者荻生徂徠はその典型だ。大川端から品川に引っ越したとき、『徳の国に近づいた』と喜んだという。
……
 評論家の桑原武夫は、知りもしないのに『北京には蝿一匹いない』と言ったり、作家の大江健三郎にいたっては『中国に住みたい』とまで言っている。知識人、教養ある者はそういう風に中国を見ないといけないみたいな思い込みがあるのだろう。
 そこまで中国に憧れる源泉はどこにるのか。儒学や漢字、書など、文化面から中国はそのまま知性の象徴のように受け止められ、一般にも教養の証にされた。
 ……
 ただ、そういう教養上の『中国』を現実の中国、現実の中国人に重ね合わせるから変わることになる。特に中国通と言われる人たちに話を聞くと、必ず『付き合った中国人の中に、日本人がまったく及ばないほど優れた人物がいる』と言う。みなが別々にそう言うから総数は凄まじい数になるはずだが、では日本より優れた業績や成果を残しているのか。まったくそんなことはない。現実の中国は別物と知らなくてはならない。
 一事が万事
 その一方で、中国の実像を見ている人たちも多い。
 幕末の幕臣、新見豊前守(正興)は1860年(万延元年)、日米修好通商条約の批准書交換のため遣米使節の正使として、福澤諭吉らと一緒に渡米している。
 米国での交渉ごとが終わった後、一向はニューヨークから大西洋をわたり、ポルトガルアンゴラ(現アンゴラ共和国)のルアンダに着いた。そこでは黒人の奴隷がムチ打たれて働かされているのを目撃している。そこからさらに喜望峰を回り、ジャカルタを経て英国領の香港に行った。新見は香港の中国人を見て、衝撃を受けた。『英人は鞭を挙げて支那人を制して従来を開いて我らを通行せしむ』『(英人に対する中国人の様子は)小魚の鰐(わに)に遭いたる如し』と、まさにアフリカの黒人奴隷と同じ姿の中国人がいた。新見は荻生徂徠の言う『徳の国』の民には到底見えなかったと記録している。
 次に多くの日本人が生の中国人を見る機会となったのが、日清戦争(1894~95年)だ。日本軍は開戦一カ月足らずで、朝鮮半島を攻め上がり、京城を落とすが、そこで山縣有朋は有名な訓示を垂れている。
 『敵国は古より極めて残忍の性を有す。もし生擒(いけにえ)に遇(あ)わば酷虐(こくぎゃく)にして死に勝る苦痛を受け、ついにはその身命を戕賊({しょうぞく}切り刻んで殺す)せらるるは必定。寧(むし)ろ潔く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全うせよ』
 中国では捕虜という概念がない。捕まえたら、すべて惨殺する。欧米の戦場記者は、あまりに凄惨な殺し方を見て『日本人はよく怒らないものだ』と逆に感心したほどだ。
 さらに国際ルールを守らない。開戦時、豊島沖で東郷平八郎巡洋艦『浪速』と遭遇した清の巡洋艦『済遠(さいえん)』の艦長、方伯謙(ほうはくけん)は被弾すると艦を停めて国際ルールに従って戦闘旗を降ろして降伏の意を示した。日本艦が近づくや、やにわに魚雷を発射して遁走(とんそう)した。『済遠』は黄海海戦にも出たが、海戦史上初の敵前逃亡も演じている。一事が万事、どんな卑怯なことも平気でやってのける。
 残酷の極み
 次に日本人は済南事件(1928年)に遭う。16人の日本人が蔣介石軍に拷問され、なぶり殺しにされた。一人の女性は強姦され、乳房を切り落とされ、両手を切り落とされ、……惨殺された。日本側の検視写真が残るが、あまりに残酷で公表されなかった。江沢民の時代、その写真をもとにしたイラストが中国の教科書に『日本軍の中国人女性への蛮行』のタイトルで載せられた。あっちの文部省はそんな嘘を平気でやって恥じない。
 そして通州事件(1937年)が起こる。北京の西郊(せいこう)、通州(現:北京市通州区)で日本人を保護するはずの冀東防共(きとうぼうきょう)自治政府保安隊(中国人部隊)が、駐屯していた20人余の日本軍の寝首を掻いたあと、夜明けから日没までかけて日本人家庭を襲い、強姦と拷問を繰り返して240人を殺害した。
 この事件の目撃者に中国人と結婚した佐々木テンがいた。彼女は中国人部隊が一軒一軒、襲っていく様を後に報告している。一家全員を引きずり出して裸にし、女性は強姦した後、局所に剣を刺し、男は腹をさばいて腸を引きずり出して切り刻み、見守る中国人の群れにそれを投げる。中国人たちは嬌声(きょうせい)をあげて、それを愉(たの)しんでいた。
 彼らは一軒の惨殺が終わると、次の日本人の家を襲う。
 ……
 そういう人たちから昔話を随分聞いた。日航の後藤安二機長は1938年の広東攻略戦に参加した。何度目かの出撃のとき帰投中に一機がエンジン不調で水田に不時着した。まもなく間諜({かんちょう}スパイ)から彼が中国人に捕らえられ、木箱詰めにされたと知らされた。中国人は日本人は舌を嚙んで自殺すると聞いていて、だからペンチで舌を抜き、逃亡できないように手足の指を切り落とし、鉄格子のはまった小さな箱に押し込める。それで町々で晒し者にする。最後に耳鼻を削(そ)いで目を抉(えぐ)り、……殺すのが、その形だった。
 『木箱を移送する列車を確認して爆撃した。彼の苦痛を終わらせ、安らかに死なせるためだった』と、後藤は述懐している。
 似たような話を当時の全日空常務、山口登から聞いた。中華航空上海支店で飛んでいた頃、仲間が満州に不時着した。救援部隊が駆けつけたとき『彼は首まで地面に埋められ、耳も鼻も削げ落とされ、両眼に針金が通されていた。救出してもまもなく死んだ』。
 こういう残酷な中国人の特質は、実は今も変わっていない。
 2003年の福岡一家4人殺害事件」だ。中国人留学生3人が金欲しさに、ある一家に侵入し8歳の女の子を含む一家4人を殺した。……彼らの行状は日清戦争で見た中国人そのもので、100年経っても環境が変わってもその性状に何の変化もないことに驚かされた。
 もっとびっくりしたのが、産経の矢板明夫と石平による『私たちは中国が世界で一番幸せな国だと思っていた』(ビジネス社)を読んだときだ。……
 中国人自身も自らの残虐さに気付いていたのか、文学作品にもそういった話が取り上げられている。たとえば、魯迅の『阿Q正伝』は、その一つだ。……
 ほかにもノーベル賞作家の莫言(ばくげん)が『白檀の刑』という小説を書いている。……小説家の空想からこういった話が生まれたのではなく、中国の嗜虐(しぎゃく)趣味が今にも連綿と続いている証左だろう。
 残虐な中国人
 中国の正しい姿とは、一体何なのか。荻生徂徠たちが憧れたような可憐な文化の発祥地で、豊かな国なのか。それとも、残虐な行為を平然と行うことができる粗暴な国なのか。
 日本人はそれを混同し、下手すると善意で『残虐な中国人』を意識から消し去ろうとするが、そうした『乖離(かいり)した中国人』をどう理解するか。最大のヒントになるのは、16世紀、李氏朝鮮時代の儒学者、林白湖(りんはつこ)が悲嘆しながら残した言葉だ。
 『四夷八蛮(しいはちばん)がみな中原(中国)に入ったのに、ただただ朝鮮だけができずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない』
 中国のまわりの夷狄は時を得て万里の長城を侵して中国を征服し、王朝を建ててきた。しかし華夷秩序の一番上にいる我ら朝鮮民族は、それすらもできない。情けない民族だと嘆いている。
 しかし万里の長城の内側にいる漢民族になってみると、漢民族も実は林白湖の言う朝鮮民族とおなじような思いを抱いたはずだ。
 中国の歴史は外来民族の王朝史でもある。まず東夷の殷が中原に入り、優れた青銅器文明を生み、次に西夷の周が興り、鉄器文化をもたらした。その後に西の羌族(きょうぞく)が入って始皇帝が統一王朝秦を建て、度量衡(どりょうこう)や文字を定めた。その後、鮮卑(せんぴ)が隋、唐を建て、モンゴルが世界的な版図を築き、流通革命を起こした元を建て、華麗な文化を生んだ満州族清王朝が続く。 それらの王朝のとき、漢民族は支配される奴隷状態だった。清のときは『家奴(かど)』と呼ばれ、漢民族満州族間の結婚は認められなかった。
 ……
 林白湖は、朝鮮の民は王朝建てられなかったと嘆くが、一応、自分の国は持っていた。それに比べて漢民族は自分の国にいながら国も持てず、奴隷にされ続けた。朝鮮よりも強い屈辱と劣等感にさいなまれてきた。彼らのマナーの悪さ、卑屈さや残忍な性格も長年のそういう生活環境に起因しているのだろう。
 では、漢民族による王朝があったのか、というと実はあつた。漢と宋と明だ。
 でも漢は夷狄の一つの匈奴(きょうど)の脅しを受け、金銀財宝に女まで貢(みつ)がされた。四大美女の一人、王昭君(おうしょうくん)を差し出したのは知られた話だ。宋は北方から女真族の金に攻め込まれ、皇帝が囚われ、皇族の女たちは、妾(めかけ)にされ、幼い皇女らは金の官立の妓楼『洗衣院(せんいいん)』に入れて育てられ、上級娼婦扱いだった。そんあ辱めを受けた上に宋が民にしたことは纏足(てんそく)の風習の押し付けだった。民にすれば痛恨の漢民族王朝だった。
 明もひどい。初代の朱元璋(しゅげんしょう)は乞食坊主からの成り上がりで、その性は残虐で、自分が気にする坊主や禿の文字を書いた者はみな処刑した。できる部下は粛清し、民にはこれ以上ない残酷な刑を科した。
 漢民族が開いた王朝は漢も宋も明も民に嫌われた。民が倒れ、満州族が北京に来た時、民は歓呼して迎えた。奴隷扱いでもいい、あともに生きていける治世が欲しいという思うの表れだろう。
 その忌(い)むべき漢民族が今の中国共産党を建てた。その政権の性格は陰険で残忍で、マナーを知らず、独善で野蛮という漢と明を合わせたような存在なのだ。
 ……習近平は『中華民族の偉大なる復興』というが、要はチベット民族を淘汰し、弾圧してその文化を漢民族が主宰する中華人民共和国という架空国家に吸収しているだけに過ぎない。
 ……
 歴史的に見れば、漢民族朝鮮民族以上に周辺民族に虐(しいた)げられた奴隷にすぎず、己の文化を持っていない。すべての文化は中原に入ってきた異民族王朝がもたらしたものにすぎない。……中国自身、それらの事実を重々把握しているし、習近平の言動にも、誇るべき歴史と文化がないことへのコンプレックスが如実に表れている。
 すべてを呑み込みたい
 20年前、昭和研究所の中村粲氏らと南京を旅したとき、そのつくられた中華意識を垣間見たことがある。我々が仲間内で『支那支那』と言っていたら、それを聞きとがめた中国人ガイド頭が『日本人にだけは支那と言われたくない』と怒り出した。さらに彼は『我々を支配した権力に対しては、すべて溶かして、呑み込む。それが中国の本質だ』と得々と語った。要するに、中原に鹿を逐(お)った者(異民族による中国侵攻)は、どの民族であれ、溶かして吸収、同化するのが中国風の仕返しだという。満州の衣装を強いた清王朝を倒したあと満州の領土を併呑し、彼らの満州服文化も今や堂々とチャイナドレスで通用させている。そうやって異民族文化を盗みこんできた。
 そしてそのガイド頭、趙宇が最後に言ったのは『我々を支配し彼らの文化を強いながら、いまだに溶かし込んでいない国がある。日本だ』と言い放った。中国人の常識では、日本は中国を支配したことになっている。
 それは彼らには深刻な意味がある。南京大教授の王彬彬(おうりんりん)は『我々中国人が現在使っている漢字の70%は日本語で、我々はその日本語を使って思索し、議論し、東西世界を語っている。それを考えたとき思わず鳥肌が立ってくる』と、日本の文化支配を嘆いている。
 最近、習近平はモンゴル人に漢字使用を強制し、それが輝かしい中国文化だと偉そうに宣言した。しかし自慢する中国語の70%が日本語では習近平も『偉大な民族の言葉』と偉そうに言っていられない。
 ……
 日本に出した学者を使って『日本語を大事にしよう』『横文字でなく漢字を使おう』と、ヘンな注文を朝日新聞に載せていた。しかし日本人は漢字離れをしていく。漢字のほうが汚く見え、松下電器も旭光学もみな横文字の社名に変えている。
 ……
 だから早く武力で日本を取ろうという妄想が中国人の間に広がっていることは見逃せない。ウイグルは呑み込んだ。その次は台湾の番だが、その動きの先には日本がある。日本を侵略し、領土を溶かし込み、そして文化を呑み込みたい。……
 習近平の野望
 それをかそくさせたい思いが名誉欲に取り憑かれた習近平の中にある。
 今まで中国やロシアなど大陸国家は何とか太平洋へ出たいと思ってきた。その道を阻んできたのが、実は『日本列島弧』だ。北は千島から、日本列島、トカラ列島、南西諸島へと続いていた。中国とロシアは有史以来ずっと封じ込まれたままで、中国はまず元のフビライが日本を攻めた。世に言う元寇で2度きて2度とも失敗した。
 そして近代に入って清王朝が北洋艦隊を使って3度目を挑んだ。それが日清戦争で、中国艦隊は黄海を出る事もできずに完敗した。おまけに日本弧に台湾まで付け加えられてしまった。
 ロシアはアフガンでの対英グレートゲームに敗れたあと、『hot sea』(暖かい海)を求めて日本に挑戦した。それが日露戦争で、結果はバルチック艦隊以下の3つの艦隊が沈められて完敗。その後、スターリンは日本の敗戦を待って降伏3日後の8月18日、軍を起こし、北海道を占領しようとした。
 しかし、出だしの千島列島最北端の占守島(しゅむしゅとう)で日本軍の抵抗で痛めつけられた。9月2日、ミズーリ号で降伏調印をやっているときには、まだ国後(くなしり)を取っていなかった。結局、日本弧は破れず、日露戦争の仕返しのつもりの北海道占領もかなわず、北方4島のみとなった。
 そして今、フビライスターリンも成し遂げられなかった日本列島弧に挑戦しているのが習近平だ。尖閣諸島にちょっかいを出すため、海警法を改正し、海軍を増強しているのは深い意味がある。
 台湾を取るのは当たり前で、何としても日本弧を破り、日本も占領してフビライスターリンも果たせなかった偉業をオレがやりたい。そういう習近平の野望が一連の強硬策の裏にある。
 すべてがえげつない
 中国がどれほど覇権主義で世界を席巻しようが、奴隷であった卑しさはぬぐえない。『戦狼(せんろう)外交』で周辺国を恫喝・罵詈雑言を投げかけるのは、その例証だろう。一帯一路なんて高利貸しそのもの。相手国に経済援助と称して金を貸し、返せないとなったら、港湾を差し押さえる。スリランカのハンバントタ港はその典型だ。
 ……
 神奈川大学の名誉教授、小林一美山東省や広東省福建省など、中国の全省史を研究したという。中共政府が誕生して30年間、各省で宗教結社などを中心に中央政府に楯突く動きが見られた。ところが、それらの動きを敏感に察知した政府は、数年かけてでもすべて鎮圧してしまった。今までだったら、間違いなくどれかの革命は成功したはずだ。しかし、それがなかった。その理由は過去の王朝と中共政権の唯一の違い、総書記が世襲制を採用していないからとしか思えない。
 ……
 それでも、身勝手に奴隷根性だけは生き続けている。
 ……
 ビルズベリーは自身の予想が外れ、首を傾(かし)げていたけれど、日本や西洋諸国のような段階を中国は踏んでいないことを見抜けなかったからだ。近代国家は経済や教育の枠組みをつくった上で成立しているけれど、中国では、そういう段階を踏まず、大国と化しているわけだ。脳内は古代のままだから、やることすべてがえげつない。
 余計な手助け
 でも、肝心の日本はこういう中国の本性を真正面から見ていない。今の中共政権を握る漢民族の素性を知らず、むしろ彼らに喜んで騙されているように見える。彼らの騙しとも気づかず彼らの手助けをしてきた。それは中共による中華人民共和国が誕生して以降も変わらない。ビルズベリーの轍を踏んでいる。
 1950年代から中ソ対立が表面化、中国は西側にも相手にされず国際社会の中で完全に孤立した。ところが、1972年、田中角栄が訪中、日中共同声明を発表。78年に日中友好平和条約を交わした。同時に日本は中国にODA(政府開発援助)を流し込み始めた。……その額は約3兆7,000億円にのぼる。この膨大な額の資金はみな日本国民の貴重な血税であり、資金だった。
 続いて1989年の天安門事件だ。王朝に逆らう民衆はすべて淘汰するという歴代王朝が続けてきた残虐性を披瀝(ひれき)した事件だった。……
 日本は『中国は明王朝の頃と何ら変わっていない』と気付くべきだった。ところが、西洋諸国が天安門事件に抗議し、制裁を科す中、日本はいち早く中国の謝罪を受け入れ、しかも3年後の1992年、上皇上皇后両陛下の訪中まで実現してしまった。上皇陛下は訪中の数年後、そのときに同行した当時の外務相アジア局長、池田維に『私の中国訪問は良かったのだろうか?』と話されていた。……
 それから30年、中共政権は再び世界から孤立した。二度重ねた過ちを三度犯してはならない。今度こそ、日本は中国に対して正しい姿勢を示さなくてはならない。今やウイグルの人権弾圧で世界中の非難を浴びて孤立している中国に、手を差し伸べるなんて愚劣の極み。祝電を送った議員たちは糾弾されてしかるべきだ。
 ……2007年5月に日本、米国、豪州、インドの4ヵ国による『クアッド(日米豪印戦略対話)』が成立した。その後、日米豪印の4ヵ国にインドネシアなどを加えて、新たな地域秩序として『自由と開かれたインド太平洋』構想が進展していった。
 ほかにも『ファイブ・アイズ(米・英・カナダ・豪・ニュージーランド)』に日本を加えた『シックス・アイズ』構想もある。その究極の目的は日本の援護もあるが、日本弧を大陸国家に侵させないための共同作業と解釈すべきだ。
 これらの一連の動きは安倍の外交能力の高さを証明しているとともに、西洋諸国の間でも中国のような下品な国が太平洋の覇権を握ることに対する危機感が働いた結果だと思う。尖閣諸島沖で自衛隊と米・仏・豪の海軍が共同訓練を実施したのは、中国への牽制にほかならない。台湾への野心も習近平は隠していない。
 日本はフラフラしている時間なんてない。今こそ中国の脅威を認識し、世界と協力して日本弧を守り抜かねばならない。」
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 昔の日本人による中国人や朝鮮人への、「偏見」は日本人より劣っているからではなく法律・ルールや約束・礼儀を守らない非常識ゆえにであり、差別は日本人に理解できない猟奇的残忍、残虐な行為を狂喜して行うからであった。
 つまり、日本人の中国人・朝鮮人への偏見・差別の本質は、中国人・朝鮮人に近寄りたくないという恐怖である。
 気の弱い日本人は、対人恐怖として「相手が怖い」という悪感情ゆえに、恐怖に駆られて遠ざけたい、追い出したい、追い払いたいという、病的拒否反応として中国人・朝鮮人に対し野犬を追い立てるように暴力を振るった。
 他国人に対する偏見と差別による暴力において、日本人、中国人・朝鮮人、欧米の白人では三者三様でその意味が違っていた。
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 日本人の中国人に対する暴走が、報復・復讐そして懲罰の「暴支膺懲」であった。
 認識としては、人を虐殺して生き血を飲む凶暴・凶悪で悪辣な鬼どもを退治する「桃太郎」であった。
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 日本人の民族病とも言える臆病な対人恐怖症・視線恐怖症・評価恐怖症などは、中国大陸や朝鮮半島の熾烈な政争や地獄のような戦争に負けて命からがら日本列島に逃げてきた敗北者・弱者のDNAを受け継いでいるからである。
 日本が外圧に弱いのもこの為である。
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 現代の日本で、平安時代から江戸時代までの国禁・鎖国策を正しく評価できない日本人には、「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓を正しく理解できない。
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 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、世界的地球的な地政学及び地経学、戦争学・戦略学・戦術論を持っていない為に、過去に国内外で起きていた事実が理解できないし、起きた現実の裏事情が見えない。
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 日本民族は、石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた原住民・先住民で、大陸か半島で生まれ、民族大移動で日本列島を侵略し占領した征服民ではなかった。
 日本民族琉球民族アイヌ民族は、同じ祖先から分かれた兄弟民族である。
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 漢民族は、征服者・異民族の奴隷であった。
 朝鮮は、中華帝国の奴隷であった。
 日本は、中華帝国の奴隷を拒絶し、中国と朝鮮を敬して遠ざけ近寄らなかった。
 中国共産党は、異民族であるウイグルチベット内モンゴル少数民族に対して非人道的残虐なジェノサイドを行っている。
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 歴史的事実として、日本は何時の時代でも周辺諸国から一方的の襲われていた被害者であり、日本に対する加害者は、国家としての中国・朝鮮・ロシア、イデオロギーとして神仏否定の儒教原理主義朱子学)と宗教破壊のマルクス主義共産主義、宗教では異教徒根絶やしのキリスト教原理主義などである。
 軍国日本の戦争は、全世界を相手にした一国のみでの孤独な積極的自衛戦争であって、中国・朝鮮・ロシアに対する領土拡大を目的とした帝国主義侵略戦争ではなかった。
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 天皇上皇・皇族が絶対に訪問してはならない国とは、中国共産党政府、韓国、ロシアそして北朝鮮の4ヵ国である。
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 日本を守るのは、自国の個別的自衛権と同盟国・友好国との集団的自衛権である。
 韓国・北朝鮮、ロシアは仮想敵ではないく、中国共産党政府は正真正銘の敵である。
 日本にとって、頼(たの)もしい同盟国はアメリカであり、頼(たよ)れる友好国はイギリス、インド、オーストラリア、その他である。
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 中国共産党政府の積極的勢力拡張政策は、義和団事件で日・米・英・露・独・仏・伊・墺(おう)の8ヵ国が連合軍を組んで出兵した状況を再演しようとしている。
・・・
 日本は古代から孤独であった、援軍を送って助けてくれる信頼できる同盟国はなかったし、日本の立場を支持し弁護・擁護してくれる友好国もなかった。
 日本人にとって、中国人や朝鮮人は友・友人、親友、戦友ではなく、いつ後ろから襲ってくるか、寝首を掻きにくりか分からない、油断も隙もない、信用も信頼もできない、安心できない敵であった。
 それは、現代でも同じである。
 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を日本から強奪し、日本を保護国保護領として吸収し、ウイグルチベット内モンゴル同様に下僕の如く従うように同化するべく陰謀を巡らしてる。
 友好・善隣を口にし、にこやかに握手を求めてくる中国人、特に中国共産党員・中国軍人・秘密結社構成員は、そうだと言える。
 が、日本の中に敵・中国に卑屈な態度で、あたかも僕(しもべ)のように媚び諂う日本人が少なからず存在する。
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 日本が平和な時代とは、鎖国策で中国と朝鮮との国交を断絶し、自由な人の往来を禁止していた、公家の平安時代と武士の徳川時代であった。
 日本が戦争の時代に突入したのは、外圧で開国し、中国や朝鮮と人の自由な往来を認めた庶民の明治時代以降である。
 言い換えれば、公家と武士は賢く、庶民は愚かであった。
 庶民は、思慮分別がない為に、痛い目に合っても反省もしなければ学ぼうともしないので、同じ過ちを性懲りもなく繰り返す。
 それが日本の庶民である。
 庶民の嫌らしさを、昔の日本人は理解していたが、現代の日本人は理解できない。
 そうした愚かな庶民を救うべく生まれたのが、親鸞の「悪人正機説」である。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義テロリストは、神話天皇制度を打倒し民族国家日本を崩壊させる為に昭和天皇・皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として世界中に売り飛ばして大金を稼いでいた。
 ローマ教皇は、日本人キリシタンを奴隷にする事を禁止したが、日本人異教徒を奴隷にする事は承認した。
 徳川幕府は、多数の日本人異教徒を奴隷から救う為に鎖国策と宗教弾圧を断行し、全てのキリスト教会勢力を国外に追放し、国法を犯して潜伏しながら布教活動を続ける宣教師・修道士を捕らえ、棄教を拒否する少数の日本人キリシタンを処刑した。
 現代のローマ・カトリック教会は、全知全能の神の御名によって、宗教弾圧で処刑された日本人キリシタンを殉教者と讃え祝福するが、白人キリスト教商人によって奴隷として売られた非業な死を遂げた日本人異教徒は人間性さえ否定して切り捨てている。
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 世界は、国際法は、国際世論は、天皇制度国家日本の積極的自衛戦争を非人道的戦争犯罪と断罪している。
 世界、国際法、国際世論は、日本を封じ込め無力化する為に、敵対する中国や韓国・北朝鮮そしてロシアに味方する。
 その証拠が、靖国神社問題であり、あいちトリエンナーレ2019表現の自由騒動である。
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 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を日本から強奪し、日本を同化するべく陰謀を巡らしてる。
 日本国内には、中国共産党の陰謀に加担し、日本が中国の一部となって消え去る事を切望する反天皇反民族反日本的日本人が少なからず存在している。
 彼らは、血の神話・民族宗教由来の世襲制正統男系父系天皇から科学・法律由来の非世襲制正当性女系母系天皇への変更を画策している。
 非世襲制正当性女系母系天皇即位の最終目的は、非神話非宗教非民族の渡来系皇室誕生である。
 それは、敗戦国日本を占領支配した連合国(現・国連)、アメリカ、GHQ、キリスト教会が目指した西洋白人キリスト教価値観を共有する理想的キリスト教改宗天皇家でもある。
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 「戦争を知る人がいなくなると戦争の危険が増す」とリベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係、左翼・左派・ネットサハ、護憲派・反自衛隊派、親中国派・媚中派反戦平和活動家、反天皇反民族反日本的日本人らが子供達に教えているが、それは正しい。
 何故なら、日本周囲の敵国・敵国人の本性が隠されて見えなくなるからである。
 現代の日本人を例えるのならば、凶暴な熊に危機感・恐怖心を持たず好奇心と好意から近づいていく「能天気な牛」に似て、その結果、牛は熊に襲われ殺されそして喰われてしまう。
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 何故、日本は、平安時代から貧しくなる事を承知で中国や朝鮮と国交を断絶し、自由な往来を禁止したのか?
 金儲けの商人以外、大半の日本民族は中国や朝鮮などに興味を持たず、行きたいと思わず、中国人や朝鮮人らと付き合って友人になろうとはしなかった。
 日本と中国・朝鮮の間には、古代から友好・善隣など存在していない。
 仏教は、インドが発祥であった。
 生真面目な日本人は人生の苦しみから救われる為に、中国・唐の儒教よりインド・天竺の仏教を受け入れた。
 日本の儒教は、異端な論語儒教であって正統な朱子学儒教ではなかった。
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 日本が真摯に接し幾ら胸襟を開いて丁寧に心から中国や韓国・朝鮮と話し合った処で、分かり合う事、理解し合う事は絶対にあり得ない。
 それは、無理な事である。
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 現代日本人のリベラル歴史認識では、戦陣訓の「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」を正しく理解できない。
 戦陣訓が教えた捕虜になるべきではない敵とは、戦時国際法キリスト教倫理を守る欧米の軍隊ではなく、国際法どころか人権・人命・人道を無視して猟奇的惨殺を好むロシア人兵士=ソ連軍、中国人兵士=中国共産党軍・ファシスト中国軍であった。
 戦場は、地獄のような中国大陸であった。
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 縄文人達は、弱肉強食の地獄のような中国や朝鮮で戦争や政争で負けて逃げてきた敗者や弱者の渡来人達を受け入れ乱婚し混血して弥生人へと変貌した。
 日本列島に逃げてきた敗者や弱者の癒される事がない尽きる事がない醜い怨念が、日本の国土と日本民族の心に浸み込み、弥生人は戦争を始め日本列島は弥生の大乱時代に突入した。
 混血度が、高いのが日本民族で、低いのが琉球民族アイヌ民族である。
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 中国戦線では、日本人将兵には生きるか死ぬかの二者択一しかなく、「戦傷・怪我や病気などで中国軍の捕虜になって生き残る」という選択肢はなかった。
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 日中戦争の原因は、罪もない日本人女性や子供を虐殺した中国に対する懲罰・復讐・報復であった。
 日本軍が戦った敵とは、当時の中国総人口約4億人の内の敵日勢力という少数派であった。
 それ故に、日本軍は敵として戦わなかった不参加の多数派中国人を人道貢献で助け、軍事物資から食糧や医薬品を分け与えた。
 日本軍が戦った相手とは、好戦の中国人民であって、避戦の中国民衆ではなかった。
 中国共産党は、表では中国人民を抗日戦へと煽ったが、裏では日本傀儡政権や日本軍と取引し、停戦の為に努力していた親日派知日派を皆殺しにしていた。
 中国共産党を操っていたのは、日ソ中立条約を結んだソ連スターリンであった。
 国際共産主義勢力の暗躍の結果として、日中戦争は泥沼化し日本有利での停戦が不可能になっていた。
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 中国や韓国・朝鮮には親日はいない。
 中国共産党員・中国軍人・中国政府幹部・秘密結社構成員は反日・敵日であるが、一般中国人には少数ではあるにしても好日・知日が存在する。
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 日本人と中国人・朝鮮人は、アジア人として見た目での姿形は似ているが、人間として性格・感情・思考・行動・好みなど多くの内面では正反対である。
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 中国共産党は、国際社会が激しく批判・非難しようとも、ウイグルチベット内モンゴル・その他でジェノサイドを強行し、民主派への言論・思想弾圧と法輪功キリスト教・仏教・その他への宗教弾圧を行い、夥しい人々、中国人や外国人に関係なく命を無慈悲に奪っていた。
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