🎺19:─2─東条英機首相と嘘の大本営発表。~No.108 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2018年8月15日 読売新聞「大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか
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「撤退」は「転進」…言い換えで責任不問に
 1943年(昭和18年)になると、ごまかしは戦果以外にも及ぶ。ガダルカナル島からの撤退は「転進」に、アッツ島の守備隊全滅は「玉砕」に言い換えられ、大本営の作戦や補給の失敗は不問とされた。
 44年(昭和19年)以降、本土が空襲にさらされ、戦いの前線が迫ってきても、大本営はウソを発表し続けた。
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 辻田さんの集計によると、大本営発表では太平洋戦争中に敵の空母は84隻、戦艦は43隻が撃沈されているが、実際は空母は11隻、戦艦は4隻しか沈んでいなかった。でたらめな戦果は昭和天皇にも奏上され、天皇は戦争末期に「(米空母)サラトガが沈んだのは、今度で確か4回目だったと思うが」と苦言を呈したといわれる。
 太平洋戦争を首相として主導した東条英機(1884~1948)は、大本営発表の内容については電話で数回要望を伝えてきただけで、「敗北を隠せ」といった指示はしていない。
 東条については、日米開戦前日に昭和天皇が開戦を決意したことに安堵し、「すでに勝った」と高揚していた様子を記すメモの存在が明らかになった(詳細は8月14日の読売新聞朝刊に掲載)。」
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 大本営発表 だいほんえいはっぴょう
 大本営発表は、太平洋戦争中に実施された大本営による公式発表。戦況が悪化するにつれ虚飾が著しく多かったことで悪名高く、「嘘だらけの公式発表」の代名詞と化した。
 概要
 太平洋戦争中、日本の大本営による陸軍部及び海軍部が行った公式発表を「大本営発表」という。第1回目の大本営発表真珠湾攻撃を伝えるもので、1941年12月8日6時に行われ、終戦後の1945年8月26日まで計846回行われた。
 ところが、日本側の敗色が濃厚になるにつれて、さも戦況が有利であるかのような虚飾報道が著しくなり、末期になると勝敗が真逆の発表すら日常的に行われていた。
 そのため「ある組織等が実態と幾分あるいは全く異なる情報を公表宣伝する」ことを「大本営発表」と皮肉る表現として用いられることが多い。
 なお、大本営発表による戦果報告は実際と比べ空母撃沈数は約7.6倍、戦艦撃沈数は10.75倍にまで膨れ上がっていたが、末期はそれら報告がすべて真実だとしてもアメリカ軍にはなお十分な戦力が存在していた。
 実際の状況
 日中戦争勃発時、新聞各社は特ダネを狙うべく軍の報道のすっぱ抜きやスクープなど熾烈な報道合戦を始めた。これに手を焼いた軍部は、紙の供給や報道許可の停止をちらつかせたりして報道界を締め上げていき、そもそも紙も取材もない状態では報道ができなくなるマスコミは、太平洋戦争勃発時にはただ単に軍の報道をそのまま流すだけの機関に成り果てていた。
 開戦当初、日本軍優勢で推移していた頃は、大本営発表も概ね事実に即していたが、1942年2月の段階で米の「エンタープライズ級空母」を撃沈した、あるいは「航空母艦1隻大破炎上」、と発表するなどの虚報あるいは戦果の誤認もみられる。また、報道内容に過剰な修飾を行って派手やかに報じるなど、少しずつではあるがのちの虚飾報道につながる種はまかれていた。
 虚飾報道が増えるのは同年6月のミッドウェー海戦での惨敗からで、日本軍の劣勢を隠蔽するため損害を著しく過小に報道するようになった。
 この虚飾報道は特に海軍方面がひどく行われたといわれる。
 また、用語の言い換えが盛んに行われていた。ガダルカナルの戦いの発表で行われた「撤退」→「転進」、アッツ島の戦いの発表の際行われた「全滅」→「玉砕」、敵艦戦の撃沈か撃破かわからなくなったほど報告能力が低下した時期に撃沈破という新語を作り出すといったことがその例とされる。
 こちらは双方の軍が行ったが、陸軍が主(海軍の場合言い換えを行うことができないケースが多い)。中には実態を反映せずに発表した内容が逆に軍事行動に悪影響を及ぼしてしまったケースも多々あるという。
 発生の原因
 大本営が戦況を正確に把握できておらず、現場からの報告に頼らざるを得なかった
 過去の情報や被害状況に見合った戦績を発表する必要があったため
 士気の関係で大きな損害を出すことを報告することをためらった
 作戦部など戦争指導に関わる部署が責任問題になることを嫌った
 などがあげられる。
ただしこれらの発表が実態からの乖離が進むにつれ、特に現場の実態に詳しい者からは内容の虚偽性は認識されてきていた。
 また、国内の報道では大本営発表に頼らず自前の取材にて前線の様子はある程度把握できており、日本軍の劣勢を国民が全く知らなかったわけではない。大本営発表に情報を依存している者の間でも、「言い訳がましいこといってるが、要は敗退だろう」などといった主張が国民の間に広まっていたことが特高の月報にも掲載されていた。
 なお、日本の大本営発表は、アメリカやイギリスにもラジオなどで伝えられたが、日本側の発表を真に受けるアメリカ人やイギリス人が一定数いた。彼らの中には投資家などもおり、そのため株価などが混乱することがあった。日本側は、そういった効果を意図したわけでは無かったが、大本営発表は一種のプロパガンダという形で、アメリカを僅かに害するという成果があった。
 日露戦争時の大本営発表
 このような大本営になったのは、日露戦争時にもあった。
 日露戦争時の日本は連戦連勝ではあったが資源や物資に乏しく、局地的な勝利を重ねていても不安定な戦況ということは変わってなかった。
 だが真実を言えばロシア側の交渉も上手くいかず、日本軍や日本国民の士気が上がらず、頼りであった国債の売り行きも上手くいかないことも考えられた。
 その為、新聞社や諸外国には日本軍は善戦しているニュースしか教えなかった。
 その結果日本軍と日本国民は高い士気を維持したまま講和に望むことができた。一方で苦戦や物資、資金の量を知らない為に国民は賠償金を取れない講和に不満を覚え、日比谷焼打事件を起こすこととなる。
 海外の事例
 このような「不確実な報告」を基にした発表は日本だけのものではなく、特に状況が悪化している国ではこのようなことが発生しやすい。例えばアメリカの事例ではヒラヌマの事例が存在する。
 また、連合国の被害が、枢軸国に知られることを防ぐために、不利な情報について隠蔽が行われることは、連合国でも日常茶飯事であった。例えば、事前に情報がドイツに漏れたために、待ち伏せを受けて完全な失敗に終わったジュビリー作戦は隠蔽された上に、情報を不用意に漏らした将校は、処罰が一切行われなかった。また、対日戦でも、初期は敗北続きだったために被害の隠蔽はよく行われており、実際にアメリカの一般国民が自国の被害状況を正確に知ったのは、戦後のことである。また、こうしたアメリカ軍の隠蔽姿勢は、一般国民に軍への不信感を植え付けており、前述の「日本が発表した大本営発表を、アメリカ人が信じる」という、奇妙な状況にも繋がった。
 転じて
 この状況より、公式、特に政府などの発表する情報のうち、有利となる情報を過剰に扱ったもの、不利な情報を隠蔽したもの、あるいは自らを有利とする目的をもって発表するものを大本営発表と呼ぶことがある。
 pxivだと太平洋戦争を題材とした某作品のネタが多い。
 人は、勝っている時、優位な時、最後には自分が勝つという自信がある時は、負け続きで如何に不利な状況に追い込まれても嘘を付かず本当の事を話した。
 アメリカやイギリスが、戦闘に敗れて被害状況を包み隠さず公表したのは、自由と民主主義による「国民の知る権利」からではなかった。
 事実、アメリカは最後には戦争に勝利するという確固たる自信があった為に、開戦後の早い時期から戦後の日本占領計画案作成を始めていた。
 対して、軍国日本にはどう頑張ってもアメリカに勝てるという自信がなく、よって勝利後のアメリカ占領計画などはなく、そればかりか如何にして戦争を止めるかという方策もなかった。
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大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争 (幻冬舎新書)
大本営発表という虚構 (ちくま文庫)
大本営発表の真相史 - 元報道部員の証言 (中公文庫)
大本営報道部―言論統制と戦意昂揚の実際 (光人社NF文庫)
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 軍国日本は、アメリカ・イギリスがカサブランカ会談で取り決めた「戦争終結は無条件降伏のみを認める」という合意で講和交渉への望みが絶たれた。
 無条件降伏には元首・最高責任者の死が含まれ、ムッソリーニは国民に手でリンチ的逆さ吊りで処刑され、ヒトラーは自殺し、その他の枢軸国の独裁者は戦争犯罪者として処刑された。
 つまり、連合国は昭和天皇の死を降伏条件としたのである。
 フランス革命では、フランス国王・王妃がギロチンで公開処刑された。
 ロシア革命では、ロシア皇帝一家が銃殺された。
 ドイツ革命では、ドイツ皇帝は国外に亡命して。
 アメリ南北戦争では、南部連合大統領は国家反逆罪で有罪とり処刑された。
 それが、世界史の常識で言うところの「無条件降伏」である。
 日本民族には、自分が助かりたい為に昭和天皇を殺してその首を連合国に差し出す事ができず、死体の山を築きながらも絶望的な戦争を続けた。
 こうして、大本営は「知らせない権利」から負け戦を嘘で固めて発表し続けた。
 が、現代日本歴史教育は、国民を救う為に無条件降伏を受け入れて昭和天皇を切り捨てるべきであったと教えている。
 現代の高学歴な知的エリートや進歩的インテリが囁き合っている、「昭和天皇は戦争の責任を取って退位するべきだった」という主張も連合国(現・国連)の「無条件降伏要求」を正当根拠としている。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島内だけに生きてきて、数千年前の弥生時代古墳時代から護ってきた「おら」が天皇様・皇室を「今この時」の国際社会が要求する無条件降伏を受諾して廃止する事をできなかった、その祖先の念い・心・志を愚直なまでの頑固さで守った事が悲惨な戦争被害の元凶であった。
 つまり、日本の戦争は積極的自衛戦争であった。
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