🎺36:─1─アメリカは1948年から日本人戦争犯罪容疑者リストの作成を始めた。~No.171No172No.173 ㉓ 

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 2021年9月26日号 サンデー毎日「『世代』の昭和史 保阪正康
 ローマ字転換、大家周明被告、軍需物資の私物化・・・
 占領期に露わになった『日本の弱点』
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 私はアメリカの国立公文書館へ、昭和史の資料調べに赴いたことがある。その時にアメリカ側は1943年ごころから、日本との戦争に勝った時にどのような人物から話を聞いたり、あるいは戦争責任者として相応の責任をとってもらうかという名簿づくりを行っていることがわかった。そういう名簿は当初は極めて曖昧、不正確であった。
 例えば『Abe G』とか『N.Abe』といった具合で、具体的に誰を指すのか曖昧であった。しかしその種の名簿はしだいに正確になっていき、戦争末期になると名簿の名前は正確になり、誰を指しているのかが明確になっていった。戦犯容疑者の決め方がその種の名簿を見ていると理解できるようになった。これは私の印象だが。その名簿からゲッペルスに匹敵するような文化人を選ぶとすれば、やはり各種の名誉職を兼ねている徳富蘇峰や作家の大御所たちがふさわしく思える。しかしその種の人物はさまざまな縁故やつながりがあって消えていき、それで大川がやむを得ず選ばれたということになるのだろう。
 大川はそのカラクリを知っていたのではないか。
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 東京裁判ポツダム宣言の条文に基づいて開かれたのだが、この裁判の検察側の起訴状をよく読むと、前述の『太平洋戦争史』とほぼ一体化していることがわかる。このことも改めて整理すると戦勝国歴史観はある枠組みの中に収まっていることがわかるのだ。このことは太平洋戦争の本質は、日本という国家の歴史的到達点が戦勝国から見ると驚くほどレベルが低いということになるのだろう。これもいずれ触れることになるのだが、マッカーサーアメリカ議会での証言時に、『日本人は民主主義のレベルはまだ12歳である』といったのは、その歴史的到達点のレベルの低さをさしているのだろう。
 近代史と現代史の入れ替え時期のもう一つの特徴を、指摘しておきたい。それは日本人の道徳的欠如である。これは現代史にそのまま引き継がれたと言ってもいいかもしれない。重要な意味を含んでいる。」
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