🎷63:─4─アフガニスタン事件。日本に大恥かかせた外務省、危機管理能力が決定的欠如。~No.284 

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 日本政府や外務省には、国外の日本人を武力を用いても助けようという意思はなく、戦争を避ける為に見捨てる可能性が大である。
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 2021年9月22日 MicrosoftNews JBpress「日本大使館はだれの役に立っているのか
 © JBpress 提供 タリバンがアフガン政権掌握したのを受け、世界各国は自国民や関係者らを退避させた(2021年8月24日、写真:AP/アフロ)
 © JBpress 提供 アルバニアに到着したアフガニスタン避難民(2021年8月28日、写真:ロイター/アフロ)
 © JBpress 提供 スペインの軍基地に収容されたアフガニスタン避難民(2021年8月31日、写真:AP/アフロ)
(勢古 浩爾:評論家、エッセイスト)
 8月15日、タリバンが予想を裏切るスピードで、アフガニスタンの首都カブールを制圧した。その2日後、日本の大使館員12人がドバイに脱出した、というニュースが報じられた。そのニュースを見て最初に思ったことは、そんなケツに火が付いたように大慌てで逃げ出さんでもいいんじゃないか、というものだった。それとも日本は、タリバンに恨まれるような悪いことでもしたのか。普段からタリバンとどんなに細いものでもいいから(かれらはISとちがい、犯罪集団ではない)、パイプを繋ごうと努力をしてこなかったのか、まあかれらがそんな仕事をするわけがないかと思いなおし、自分で納得したことであった。
 その後日本は、やっと自衛隊機がカブールまで行ったと思ったら、救出したのはわずかに日本人女性1人だったということが報じられ、また日本はなにかへまをやらかしたなと思っていたころに、産経新聞の8月30日付けの「産経抄」を読んだのである。
 「産経抄」は、「杉原千畝」の偉業を引いたあとで、このように書いている。「アフガニスタンの首都が陥落した直後、日本の大使館員は現地職員を置き去りにしてさっさと逃げ出し、救出作戦にも失敗した。韓国紙に『カブールの恥辱』とばかにされても仕方のない大失態だった。英国の大使は、カブールにとどまってアフガニスタン協力者のビザを出し続けていたというのに」。
 過去、我さきに逃げ出した人たち
 追って9月14日、産経新聞論説委員長の乾正人は、12人の日本人外交官は「英国軍機で逃げ出した」のであり、「第一、司令官たる岡田隆大使が、カブールに不在だったのは、更迭に値する」と怒りの記事を書いた。岡田大使はそんな大事な時期にのんびりと日本に帰っていたらしいのだが、急遽アフガニスタンに戻ろうとしてイスタンブールで足止めを食らっている(「風を読む やっぱり奥大使は泣いている」産経新聞、2021.9.14、
 これを読んでわたしも、満州にいた日本人開拓民をほったらかしにして我さきに逃げ出した「精強」関東軍や、おれもあとから行くと特攻隊員を激励し、米軍がくると飛行機で真っ先に台湾まで逃げた在フィリピン第4航空軍司令官を思い出した。その反対に自分の責務を果たしたひとのことも思い出した。当然、杉原千畝を思い出し、またミッドウェー海戦で空母飛龍と共に沈んだ第二航空戦隊司令官山口多聞を思い出したりもした(艦と共に死ななくてもいいと思うが、そこは時代のちがいである)。
 米軍のアフガニスタン撤退の発表から、実際に各国が撤退するまでの経緯を簡単に記しておこう。韓国の用意周到な準備に比べ、日本大使館・外務省・日本政府の思考停止した無能さと、いざとなったときの狼狽ぶりがわかるだろう。
 4月 米軍がアフガニスタンから8月末までに撤退することを表明。
 6月 各国は自国の関係者の脱出準備に入る。韓国は早々に、国民と関係者を出国させはじめたという。
 7月上旬 日本大使館の現地職員が最悪の事態を想定して退避計画を進言。しかし館員は、カブールが陥落することはないとこれを無視。ところが政権崩壊後、大使館の判断の誤りをマスコミに口外しないよう、その職員に命令した。
 8月上旬 各国脱出準備完了。
 8月15日 タリバンがカブールを制圧。
 8月17日 日本人職員12人は英軍機でドバイへ脱出。JICA(国際協力機構)の6人、現地関係者・家族の500人が置き去りになった。他方、英・仏大使はぎりぎりまで残り、現地関係者にビザを発給しつづけた。
 8月22日 自民党外交部会の激しい突き上げもあり、やっと政府・防衛省は救援機派遣を決定。
 8月23日 自衛隊輸送機3機、政府専用機1機、隊員300人出発。
 8月24日 カブール空港到着。しかしタリバンによる空港検問が厳重をきわめたため、500人は空港に入れず(そもそも500人と連絡がついていたのか、500人がまとまっていたのかも不明)。
 8月25日 韓国は輸送機3機、特殊部隊員66人を投入。現地に残った4人の職員が米軍と交渉して米軍が押さえていたバス6台を確保。365人と米軍人を乗せて、空港の検問を通過。そこに自力で空港入りした26人が合流、合計391人全員の脱出に成功(もし日本人職員も何人か残っていたなら、米軍と同様の交渉ができたはず)。
 8月26日 ISの自爆テロ。日本は米軍に依頼された旧アフガン政府関係者14人を輸送機で救出。
 8月27日 日本は、自力で空港まで来た日本人女性1人を救出したのみ。ちなみに28日までに実現した各国の出国状況は、アメリカ11万人、カタール4万人、UAE36500人、イギリス1万500人、ドイツ5000人、イタリア500人、フランス3000人である(「恥!アフガン500人置き去り、早逃げ現地大使館、遅い政府の決心」現代ビジネス、2021.9.8、https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86982などの記事を元に作成)。
 大混乱と緊迫した様子が想像できる気がする(1981年イランで起きたアメリカ大使館職員の脱出事件を描いた映画『アルゴ』を思い出す)。米軍でさえタリバンの首都奪還はまだ先だと思っていたくらいだから、すべての情報をアメリカに頼っていた日本大使館もまだ大丈夫と高をくくっていたのはわからないではない、というかといえば、冗談じゃないのである。そんなことは言い訳にもならない。
 現に韓国は早々と計画を立てて準備し、見事に成功させているのである。先の乾正人も、「米軍撤収の1カ月前には、『ごく近いうちにカブールは陥落する』との情報」が「東京にいる私の耳にも入っていた」といっているくらいである。
 官僚は何をしても正しいのか
 最悪のことを考えて早めに退避準備をしたほうがいいのでは? と進言してくる現地職員は鼻であしらい、いざとなると慌てふためいて、なんとかコネをつけて英軍機に乗せてもらい、一目散にとんずらした大使館職員の無様さは非難されてしかるべきである。ところがそんなばかなことはない、大使館員が邦人を「『置き去りにして逃げる』などあり得ない」と大使館側を擁護したのは外務省出身の外交評論家・宮家邦彦である。
 宮家が直接反論したのは先の「産経抄」に対してだが、かれは、やめればいいのに、このように書いている。擁護にもなっていない。「筆者の体験でも、日本の外務省員で在留邦人や現地職員を『置き去りにして逃げる』輩(やから)がいるとは思えない。現地大使館は8月初旬の段階で邦人・現地職員らの退避につき検討を本格化させ、カブール陥落前には民間チャーター機による邦人・現地職員らの退避と大使館撤収の計画をほぼ整えていた。結果的に計画が実現しなかったことは事実だが、少なくともカブール陥落までに退避を希望した邦人は、大使館員よりも前にすでに退避していたという。『置き去りにして逃げる』などあり得ないことだ」。
 ばかいっちゃいけない。もしそれが事実だったのなら、問題はなぜその「計画が実現しなかった」のかということだ。宮家は「あり得ない」というが、実際に「あり得た」から問題なのである。ここには、官僚はなにをしでかしてもつねに正しいという、官僚無謬説が見られる。また宮家は「杉原千畝を持ち出したこと」が気に食わない。「筆者がユダヤ人であれば、欧州でのホロコーストアフガニスタンでのアフガン人救出を同列に扱うことなど絶対に認めない」とわけのわからんことをいっている。宮家はもちろん「ユダヤ人」ではない。「絶対に認めない」もへちまもないのである(「菅外交の着実な成果」キヤノングローバル戦略研究所、2021.9.14、https://cigs.canon/article/20210914_6196.html
 岡田隆大使の不在(あまりにも好機の不在で、胡乱である)や、館員たちの脱兎のような逃亡の話を聞くと、「杉原千畝」を思い出すのはふつうである。とくに英仏の大使がぎりぎりまで残ってビザを出し続けたという話をきけば、なおさらである。元時事通信外信部長で拓殖大学海外事情研究所教授の名越健郎も、「時代や状況は異なれど、ナチスに迫害されたユダヤ人を救うために『命のビザ』を発給し続けた杉原千畝のような外交官はいなかったのか」と書いている(「週刊新潮」2021年9月9日号)。
 外務省にとって、杉原千畝はいまでも本省の命令に従わなかった裏切り者なのである。杉原は「金のためにビザを書いた」などと誹謗中傷し、依願退職に追い込んだのである。外務省の抵抗を押し切って、杉原千畝が政府によって公式に名誉回復されたのは、なんと戦後55年経った2000年(平成12年)のことである。ついこの間である。
 なおもアフガニスタンにとどまる日本人
 名越健郎はさらにこうも指摘している。「日本政府は過去20年で約7700億円もの援助をアフガンに行い、欧米諸国と違って自衛隊を派遣してタリバンと戦ってはいません。日本人外交官が危害を加えられることは考えられない。現地に踏みとどまる気概はなかったのでしょうか」。わたしもおなじような疑問を持つ。早くも中国はタリバンに食い込んでいる。日本は自ら蚊帳の外に逃げ出してしまったのである。
 大使館員が去ったあと、なおもアフガニスタンにとどまっている日本人はいる。そのひとりは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)カブール事務所の森山毅氏である。かれはカブールに2020年9月から勤務しているが、タリバンと交渉し「人道支援活動は今後も継続してほしい」といわれたという。高慢なだけの大使館員より、よっぽど骨も身もあるのである。
 「UNHCRで20年以上難民や避難民の支援を続けてきた。今回の仕事をやらなけらば、何をやってきたのかということになる。今までは一番重要だ」「アフガンはこれからも人道援助が必要。ステイ・アンド・デリバー(残って支援)が我々の任務だ」(「アフガン支援続ける日本人「タリバン政権でも残る」(2021年9月10日)」YouTube ANNニュースチャンネルhttps://www.youtube.com/watch?v=hCqF772mnXY
 もうひとりいる。ICRC(赤十字国際委員会)に所属し、アフガニスタン南部で人道支援を行っている藪崎拡子さんである。「生きるか死ぬかの状況に数週間、数ヵ月でなってくると思います。今以上の支援が必要になってきます」。またICRCは紛争地での人道支援のために「中立の立場でタリバンとも定期的に対話をしている」という。藪崎さんには「日本政府から退避勧告はありましたが、ICRCが明確に攻撃のターゲットにならない限り現地での活動を続けていく方針です」「ICRCの使命として紛争地で働くのが私の仕事ですので『日本にチャーター機で帰国する必要はありません』と回答しました」(「日本人女性がアフガニスタンに残る本当の理由」、テレ東BIZ、2021.9.13、https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/txn/report/post_236015)。
 日本大使館はどんな仕事をしているのか
 いったい日本大使館とはなにか。どんな仕事をしているのか。だれの役に立っているのか。もともとこれらの問いは、外務省に対するものである。かれらはなんの仕事をしているのか。外務省には本省2550人、在外公館3450人、合計6000人がいる。在外公館数は大使館が153、総領事館は66もある。
 この6000人は料理屋・ホテル・タクシー利用などで「プール金」を貯めこみ、外交機密費から課長レベルで月20万~30万円、局長レベル50万円の枠で散財している。海外勤務の3450人の頂点に立つ「大使は閣下と呼ばれ、館内では王侯貴族のように振舞う」。「大使が交代するたびに、調度品や内装の変更が厳命され」て、「改装には、数千万から億単位のカネがかかる」。下っ端は下っ端でろくな仕事もしないのに、法外な海外勤務手当をもらっている。小林氏は、大使館や総領事館など在外公館は外務省にとって「聖域」、「在外公館の経理は、外務省の恥部」と書いている(小林祐武『私(ノンキャリア)とキャリアが外務省を腐らせました 汚れ仕事ザンゲ録』講談社、2004)。
 かれらが仕事をまともにする気になれないのには、多少同情の余地がある。海外視察の議員(これがまたろくでもない連中)のばかばかしい接待があることである。また3、4年も海外勤務をする民間商社マンにくらべても外交官は無知といわれるのも、「キャリア外交官の海外勤務には1回の在勤が平均して2年間という硬直した慣行が存在する」からだともいわれる。「どうせ2年しかいないのだから、適当にやっておけばよい」という気分になるのも無理はない。
 そのうえ、アメリカ通の財界人がハンガリー大使、中国通がブラジル駐在大使、ドイツ語の専門家がモンゴル大使になるなどの「不適在不適所の人事」がまかりとおっている(古森義久『亡国の日本大使館小学館、2002)。
 他省庁から外務省不要論が出るのも当然である。が、当然のごとくなくならない。それだけでなく、国益も国民も眼中になく、省益だけが行動原理である内向きの「傲慢でモラルの弛緩しきった組織」(小林祐武氏)の体質はこれからも存続しつづける。これがまともな組織に生まれ変わるなど、到底考えられない。
 余談になるが、小林氏の本にこんなことが紹介されている。2000年に行われた九州・沖縄サミットで、歓迎レセプションや晩さん会を仕切ったのは電通。テーマ曲は小室哲哉に依頼し、小室はロイヤルスイートに滞在。「NEVER END」を歌った安室奈美恵のバックダンサーはアメリカから呼んだが、かれらの交通費や滞在費までサミット予算から支払った。サミット終了後、電通からなんと10億円の請求書が届いたという。もう公金に群がるハイエナのような連中は官民を問わず、すべてでたらめである。
 9月、ロシアが北方領土全域で税制優遇措置を導入した。さらなる外国資本の呼び込みや外国企業の誘致を狙ったものだ。加藤勝信官房長官はいつもの口癖のように「遺憾だ」と抗議したとされるが、外務省関係者は「必要以上に反応する必要はない」と語っただけである(「毎日新聞」2021.9.7)。
 ふふ、このざまである。大臣官房に外務報道官という部署がある。なにをやっているのか。もう北方領土4島返還などどうでもいいのだ。なにもしたくないのである。外務省批判とおなじで「必要以上に反応する必要はない」、じっとしていれば、みんな忘れるのである。」
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 9月24日 MicrosoftNews JBpress「日本に大恥かかせた外務省、危機管理能力が決定的欠如
 横山 恭三
  JBpress 提供 アフガニスタンの子供たち
 筆者は、直近の記事(「韓国に『恥辱』と呼ばれたアフガン退避作戦が示す課題」2021.9.15=https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66920)で、アフガン退避作戦の概要と課題について述べた。
 筆者が同記事を作成した時点では、政府の実際の行動・判断のタイムラインは不明であった。
 今回、外務省を中心とした政府の当時のタイムラインを知り、筆者は、2つのことに驚いた。
 1つ目は、外務省は、アフガンからの邦人等を退避・救出するのに際し、初めから他国頼りだった。
 2つ目は、外務省は、日本政府に長年協力してきたアフガン人スタッフ500人の退避・救出を二次的な任務と考えていた。
 まず、当時の外務省を中心にした政府の行動・判断のタイムラインについて述べる(出典:NHK「緊迫のアフガン13日間 退避ドキュメント」)。
①8月14日夜、外務省内で民間機による退避計画がすでに進められていた。
 この退避計画は、8月18日を期限とし、民間のチャーター機で、日本大使館の日本人職員やアフガン人スタッフなど、およそ500人を退避させるというものであった。
②8月15日、民間機による退避計画とは別に、外務省の山田重夫外務審議官防衛省の増田和夫防衛政策局長に、自衛隊機の派遣が可能か、検討を依頼していた。
 ところが、8月15日午後5時すぎ「カブール陥落」の情報が外務省にもたらされたのを受け、外務省は防衛省に対し、検討を保留するよう要請した。
③8月15日午後5時すぎ、米軍から「日本大使館の職員が軍用機に乗りたいなら、日本時間の15日午後10時半(現地時間午後6時半)までに空港に集合するように。それ以降は安全を確保できない」と通告された。
 この時点で、外務省は、大使館職員12人を米軍機で退避させることを判断した。
 外務省は、在アフガンの10人ほどの日本人に連絡を取り、意向を確認した。この時点で退避の希望者は1人で、その1人は民間機で脱出可能と判断した。
 大使館職員12人は9時半頃、6台の車に分乗して警備会社の建物を出発したが、空港までわずか2キロメートルの距離で銃撃戦に遭遇し、引き返した。
 外務省の森健良次官は、米国のウェンディ・シャーマン国務副長官に電話し、米軍のヘリコプターによる移送を要請したが、「無理だ」と断られた。
 しかしヘリで上空から護衛する「エアカバー」は可能だという言質を得て、12人はヘリに付き添われながら、翌16日未明、空港に到着した。
 だが、12人が到着した場所は、米軍の駐機場から遠く離れていたうえに、すでに空港が大混乱に陥っており、翌日まで足止めを余儀なくされた。
④8月17日、12人が到着した場所の近くに英軍の輸送機が駐機していた。
 トルコのイスタンブールにいる岡田隆アフガン大使が英国のローリー・ブリストウ大使に電話し、英軍機での移送の承諾を得て、17日にようやく英軍機でアラブ首長国連邦UAE)のドバイに脱出することができた。
 大使館職員が退避後、残されたアフガン人スタッフ500人の退避が日本政府に緊急課題として重くのしかかった。
⑥8月18~19日、外務省は、カブールに軍を駐留させている国に対し、アフガン人スタッフを輸送機などに乗せてもらえないか要請を続けた。
 しかし各国とも自国民の退避で精一杯で、色よい返事は得られなかった。
 大使館職員の退避後、ただちに自衛隊機派遣の意思決定を行うことはできなかったのだろうか。
 先の外務省関係者は「オペレーションとして、まずは他国に依頼する方が早いと考えた」と説明する
⑧8月18~20日にかけて、自衛隊機派遣を念頭に空港の治安状況を確認するため、米・ワシントンにある日本大使館防衛駐在官自衛隊出身の大使館職員が、米統合参謀本部やアフガンを管轄する米中央軍司令部と連絡を取り合った。
⑨8月20日夕方、外務省内において外務・防衛の課長級会議を開催し、派遣に向けたおおまかな方針を確認した。
⑩8月22日夕方、総理大臣公邸で菅義偉総理大臣のもと、秋葉剛男国家安全保障局長、沖田芳樹危機管理監、森外務次官、島田和久防衛事務次官らが最終協議し、自衛隊機の派遣方針を決めた。
⑪8月23日、国家安全保障会議の4大臣会合を経て、岸信夫防衛大臣自衛隊機による輸送を命令した。カブール陥落から8日経過していた。
 上記タイムラインでは、外務省が自衛隊機の派遣方針を決定したのは22日である。
 筆者は、直近の記事で述べたとおり諸外国の大使館の職員が退避を始めた7月10日には自衛隊機派遣の検討を開始し、遅くても日本大使館の職員が退避した8月17日に自衛隊派遣の決断をしていれば、8月26日の自爆テロの混乱に巻き込まれることなく、無事に大使館職員やアフガン人スタッフおよそ500人を日本に輸送できたと考える。
 すなわち、日本の自衛隊機の派遣は遅かったのである。
 ではなぜ、外務省は日本大使館の職員が退避した8月17日に自衛隊派遣の決断ができなかったのであろうか。
 上記タイムラインでは、外務省関係者は「オペレーションとして、まずは他国に依頼する方が早いと考えた」と説明している。
 外務省は、アフガンからの大使館職員やアフガン人スタッフを退避させるのに際し、初めから他国頼りだったのである。これが日本の輸送機派遣が遅れた原因である。
 では、なぜ500人にのぼるアフガン人スタッフはアフガンに置き去りにされたのか。
 それは、外務省は、大使館職員以外のアフガン人スタッフの退避・救出は、二次的な任務と考えていたからである。
 最初から大使館職員とアフガン人スタッフおよそ500人を同時に退避させようと考えていたならば、搭載能力の大きい自衛隊機の派遣しか移送手段はなかったはずである。
1.初めから外国頼りだった外務省
 既述したが、今回のアフガンへの輸送機の派遣が遅れたのは、外務省は、初めから他国頼りだったからである。
 外務省の責任者に自国民を自分で絶対に退避・救出するという強い意思がなかったからである。
 日本政府は、治安情勢が悪化した場合に備えて、米国の軍用機に余裕がある場合は大使館職員を乗せてもらう「覚書」を交わしていた。
 ただ、対象は日本人職員のみで、アフガン人スタッフは含まれていない。
 全く予想されていない危機的事態が発生した場合は、現地に所在している米軍を頼ることは同盟国としてある意味当然である。
 しかし、今回のように、カブール陥落が近々予想されており、なおかつ自国の輸送機を派遣する時間的余裕があったのにもかかわらず、それをせずに他国頼みというのは世界第3位の経済大国としていかがなものかと考える。
 また、我が国は、外国での災害、騒乱、その他の緊急事態に際し、自衛隊法第84条の3(在外邦人等の保護措置)又は同法第84条の4(在外邦人等の輸送)に基づき、当該在外邦人等の保護措置又は輸送を行うことができる法制度を整備するとともに自衛隊に即応態勢を取らせている。
 なぜ、自衛隊を使おうとしないのか。
 かつて、2003年にイラク特措法に基づき、陸上自衛隊イラクに派遣されサマーワにおいて医療、給水、学校・道路など公共施設の復旧・整備を行った。
 この法律を巡る国会審議では「戦闘地域」とそれ以外とをいかに分けるかが問題となった。
 結局、「非戦闘地域」に派遣された自衛隊であったが、外国の軍隊に守られなければ安全が確保できなかった。
  豪政府は、小泉純一郎首相(当時)の要請を受け、陸上自衛隊が駐留するイラク南部に450人の兵員を増派した。
 当時、筆者は、このようなことは二度とあってはならないと思った。隊員の士気を低下させるばかりか、諸外国から侮られるだけである。
 今回も、日本政府は、自国民を自分で絶対に守るという気概もなく、カブールに軍を駐留させている各国に対して、アフガン人スタッフを輸送してくれとお願いしている。
 これでは、諸外国から侮られるだけでなく、在外に居住する日本人にも、日本政府は危機の際に本当に自分たちを助けに来てくれるのかという不安を覚えさせた。
 ところで、なぜ他国を頼ってはいけないのか。
 それは、自国民を自分で守らない国は国際社会で信用されないからである。
 日本が自分の国を自ら守る気概がなければ、尖閣有事の際に、同盟国といえども米国は日本の防衛のために支援に駆け付けないであろうとよく言われる。
 事実、ホルムズ海峡でタンカー攻撃事件が発生した際、ドナルド・トランプ米大統領(当時)はツイッターへの投稿で次のように語った。
 「なぜ米国が他国のために無報酬で航路を守っているのか。こうした国々がいつも危険な旅をしている自国の船舶を守るべきだ」
 また、つい最近、ジョー・バイデン米大統領ホワイトハウスでの演説で、「アフガン軍自身が戦う意思のない戦争を、米軍が戦うべきではない」と語った。
 万一、今回のアフガン退避作戦において、迅速に自衛隊機を派遣し、自らの手によって大使館職員およびアフガン人スタッフを退避・救出することができたならば、いかなる危機があろうとも自国民を守るという国家・国民の強い意志を世界に示すことができたであろう。
2.アフガン人救出は二次的任務
 カブールが陥落し、民間機のチャーター便の選択肢がなくなった時点で、外務省は、大使館職員12人を米軍機で退避させることを判断した。
 この時点で、自衛隊機を派遣しなければ総勢500人ものアフガン人スタッフを輸送・救出できないことは自明である。
 しかし、外務省は、大使館職員12人が英軍機で退避した後に、カブールに軍を駐留させている国に対し、アフガン人スタッフを輸送機などに乗せてもらえないか要請を続けたが、色よい返事は得られなかった。
 当然である。各国とも自国民の退避で精一杯であることは想像に難くない。
 直近の記事でも書いたが、日本と違い諸外国の退避作戦は非戦闘員退避活動(NEO)と呼ばれる軍事作戦である。
 母国から離れた遠隔地での軍事作戦中に他国の面倒を見るほど余裕があるはずがない。
 その結果、日本は、アフガン人スタッフ500人を置き去りにしてしまった。
 そのことによって残されたアフガン人スタッフの恨みを買い、また国家としての品格が問われ、国際的な信用を失ったことは間違いない。
 ここで、各国の協力者の退避作戦と比較してみたい。
 「各国は、展開していた各国軍隊の通訳など協力者だけでなく、アフガニスタンの国づくりに関わっていた国際機関、NGO(非政府組織)で働いたアフガン人を可能な限り出国させた」
 「おおまかな数字を挙げれば、米国11万人、カタール4万人以上、アラブ首長国連邦UAE)3万6500人、英国1万5000人、ドイツ5000人、イタリア5000人、フランス3000人、韓国391人にのぼった(出典:現代ビジネス2021.9.8)」
 既述したが、カブールが陥落し、民間機のチャーター便の選択肢がなくなった時点で、自衛隊機の派遣を決断していれば、日本も他国同様、アフガン人スタッフ500人を退避・救出することができたであろう。
 ちなみに、オランダでは、アフガンからの退避作戦で、アフガン人通訳ら数多くの人々が現地に取り残された責任を取って、外相および国防相が辞任している(出典:時事ドットコムニュース2021.9.18)。
3.筆者コメント
 外務省が退避作戦を他国に頼ったのは、外務省が今回の退避作戦を外務省のオペレーションだと考えていたからであると筆者は推測する。
 今回の退避作戦は外務省一省のオペレーションでなく、内閣総理大臣が主導すべき国のオペレーションである。
 自衛隊は日本では軍隊でないが、国際社会では軍隊と見なされている。そのような自衛隊が武器を携行して海外に派遣され他国の領土で任務を遂行するのである。
 いつ武力衝突に発展するかも分からない。これは、まさに国のオペレーションである。
 であるから、アフガン退避作戦の必要性が認識された時点で、外務省内だけで検討するのでなく、できるだけ早く、総理大臣公邸で総理大臣のもと、国家安全保障局長、危機管理監、外務次官、防衛事務次官、さらに、今回はアフガン人の入国管理やコロナ対策のため法務省厚労省などの関連する省庁の責任者らが集まり、今後の方針を協議すべきであった。
 そうすれば、防衛省から輸送機を現地に派遣するなら、現地の治安状況が悪化する前に、派遣すべきであるという意見が出たであろう。
 現地、特にカブール空港の安全に最大の関心を持っているのは防衛省である。
 防衛省は、カブール空港の管制・警備・補給・整備状況、特に輸送機の駐機場所の確保など事前に調査し、さらに刻一刻と変化するカブールの治安状況を、CNNなどのニュース専門チャネルを通じて常時モニターしているであろう。
 ここで、自衛隊の準備態勢について簡単に述べる。
 自衛隊は、常時、部隊を速やかに派遣する態勢をとっている。
 具体的には、陸自ではヘリコプター部隊と陸上輸送を担当する部隊の要員を、海自では輸送艦などの艦艇(搭載航空機を含む)を、空自では輸送機部隊と派遣要員をそれぞれ指定するなどの待機態勢を維持している。
 また、これらの行動においては、陸・海・空自の緊密な連携が必要となるため、平素から統合訓練などを行っている(出典:防衛白書)。
 すなわち、自衛隊は命令さえあれば時をおかず出動できるのである。
 また、日本政府に長年協力してきたアフガン人スタッフを確実に退避させなければ国の威信にかかわるという意見が出たかもしれない。
 本来ならば、そのような意見は外務省から出るべきものである。そして、自ずと500人を輸送するには自衛隊機の派遣が必要であるとなり、ならば早期の派遣が必要という意見に集約したかもしれない。
 筆者は、直近の記事で、国家安全保障会議は日本の外交・安全保障政策の司令塔になるべきだという意見を述べた。
 外務省は日頃の職務を通じて各国のカウンターパートとの良好な関係を維持しているので相手に頼めば何とかなると思っていたのかもしれない。
 しかし、急に軍用ヘリコプターを日本の輸送車両の護衛に回せと言われた現場の部隊指揮官は大変迷惑したことであろう。
 各省庁の内輪の理論を排するためにも国家安全保障会議を活用すべきである。
 おわりに
 2013年1月16日に発生したイスラム武装勢力によるアルジェリア人質事件でアルジェリア軍が人質救出活動を敢行した結果、日本人10人を含む38人が犠牲となった。
 この事件を受けて政府は、相次いで対策を講じた。
 国家安全保障会議の創設による情報の一元化や海外で邦人の陸上輸送を可能にする自衛隊法改正などが実現した。
 当時の様子を新聞(日経新聞2014.1.16)は次の様に報じている。
 「事件では多くの課題が浮き彫りになった。現地の状況把握は米英両政府などに頼らざるを得ず、縦割りの省庁から入る断片的な情報は迅速な意思決定を妨げた」
 「新たな仕組みとして期待が集まるのが昨年12月に発足した国家安全保障会議である。設置法は各省庁に情報提供を義務付け、政府の外交・安全保障の司令塔機能を担う」
 「菅官房長官(当時)は事件後に『事件対応のなかで国家安全保障会議設置は極めて大事だと思った』と振り返ったが、首相や官房長官指導力が問われる」
 政府は、今回のアフガン退避作戦の失敗を真摯に反省して、国家安全保障会議の在り方をもう一度見直してほしい。
 そして、海外で生活する邦人および邦人企業が、危機の際は日本が必ず助けに来てくれると信じて、安心して生活し経済活動に専念できるようになることを願っている。」
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