🎶14:─2─福州での猟奇的日本人教師夫妻強姦惨殺事件。〜No.29No.30 ③ 

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 2021年11月号 WiLL「昨今の日本の外交官はすぐ逃げる  高山正之
 憲法自衛隊法が制限された日本は、有事のときにに脆さが露呈する
 軍を後ろ盾に
 アフガンがタリバン勢力によって陥落した。
 邦人帰還のために、航空自衛隊の輸送機3機がカブール空港に飛んだ。ところが、連れ帰ったのはたった1人。日本は憲法自衛隊法で制限されているため、活動に自ずと制限がある。戦時状態になると、その脆さが露呈してしまう。
 ……
 戦前は、骨のある大使・公使が多かった。駐メキシコ公使だった堀口九満一。長岡の出身で、息子が堀口大學は後に詩人として知られる。
 1913年、軍事クーデターに遭遇し、当時の大統領のマデロが殺害された。未亡人と子供に随員ら30人が日本公使館に庇護を求めてきた。やがて追っ手の軍が公使館に到着した。外交官特権がどうとか分かる連中ではなかった。
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 蒋介石張作霖が割拠した1920年代に中国総領事を務めた田村貞次郎も肝が据わっていた。
 蒋介石が北伐を始めたころ、蒋介石ソ連や米国の後押しを得て反日を隠さなかった。
 福建省省都福州では蒋介石派の学生組織が日本人狩りを始め、若い日本人教師夫妻の殺害を予告した。田村はすぐ蒋介石派に掛け合い、『馬鹿馬鹿しくも主権国家に対する礼儀を重んじ、中国側当局に事情を説明して、夫妻の警備を要請した』(ラルフ・タウンゼント『暗黒大陸中国の真実』)のだ。
 中国側は誠実そうに夫妻の家に兵士を配置し警備に当たるが、ある夜、兵士が突然消え、その間に野党は易々と襲撃して夫妻を襲い、犯したうえに残忍に殺してしまう。『当局が野盗と組んで襲撃時に警備を引き揚げさせた。信頼させて寝首を掻くいつものやり口』(同)だった。
 田村総領事は怒り、『中国側に警備の失敗があった。中国当局は5万ドル(今の貨幣価値で1億円)の賠償を支払うよう』要求した。中国側は言い逃れしようとするが、総領事は軍艦数隻の出動を要請。報復に街を焼き払うと暗に仄(ほの)めかせた。実際、福州に向け、日本艦隊は迫っていた。中国側はそれを知り、日本艦隊が福州に通じる閩江(びんこう)を遡行(そこう)する直前に5万ドル、耳を揃えて持ってきた。以後、福州では邦人への危害を加える事件は一切なくなった。
 日本の憲法の限界
 こうした外交ができる背景には、ロシアのウラジオストク艦隊、旅順艦隊、そしてバルチック艦隊を一挙に全滅させた世界最強の海軍と、大帝国清の軍勢もロシアのコサック騎兵も寄せ付けなかった強力陸軍を併せ持つ、大日本帝国が彼ら外交官の後ろ盾になっていたからだ。
 戦後になって、それが変わる。マッカーサー憲法は陸海軍の保持を禁じ、丸腰になることを要求。外交官は後ろ盾になるものをすべて失って外交現場に立たされた。よその国と事を構えて戦争にでもなれば日本はただやられるだけだ。外交官は忍従だけを求められる。
 朝鮮戦争のさなか、交戦国の韓国が戦争を米国に任せ、海軍艦船を使って日本の漁船の拿捕を始めたときもそう。日本は韓国如きにも竹島を取られ、漁船員4,000人を拘束されて何もできない。結果は日韓捕虜交換解放とか言って、不法入国で拘留されている韓国人に永住権を与えて解放するとの交換に漁船員が解放された。軍隊もない外交官ができる精いっぱいの外交交渉だった。
 1974年、日本赤軍と共闘するパレスチナゲリラPFLP(パレスチナ解放人民戦線)がクウェート日本大使館を襲ったときも最初からできることは何もなかった。……
 同年、日本赤軍はハーグの仏大使館を占拠し、仲間の釈放を求めた。何もできない日本の外交官はただ恥を晒していればいいのに、この時、身内の外交官の安否を確認するために現場の外交官が無線交信をした。
 それはとんでもない不始末だった。実は日本では外国公館が無線交信することを禁じてきた。ところが日本人外交官が外国で無線を使ってしまった。
 外交の世界では何事も互恵平等だ。この一事で日本は各国に無線使用を認める羽目になり、狸穴(まみあな)のソ連大使館も葵町のアメリカ大使館も屋上にアンテナが林立させ、短波放送で数字を並べていた北朝鮮も、晴れて無線通信で拉致を指令し始めた。
 日本の外交官に国益意識など、かけらもないことがよく示されている。今の日本の外交官はひたすら御身大切だ。
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 外交官の奧克彦と井ノ上正盛が北部イラク支援会議に出席するため、ティクリートイラク北部)に四輪駆動の軽防弾車で向かう途上を銃撃され、殉職した。奧は早大、井ノ上は熊本大出身で、東大卒の外務官僚本流ではない。汚い仕事は非東大組に任せ、連中はひたすら逃げ回る姿は国際社会ではよく知られている。
 事件は一般にベドウィンあたりの反欧米派の仕業のように言われるが、実際は米国の過剰警備説も出ている。そうしたフレンドリーファイア(味方の誤射)を避けるために各国は海兵隊など護衛部隊も派遣する。奧氏らも戦地を走る場合、そうした護衛を付けるべくだが、日本の憲法はそこまで認めない。憲法改正を拒む野党や公明党に殺されたと見るのが正しい。
 朝日の批判は的外れ
 ……」
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 日本人には中国に対する偏見と差別があり、表に出ない所で中国人に対する意地悪・嫌がらせ・イジメがあったが、殺人事件はもちろん暴行や強姦の事件はなかった。
 何故か、それは日本国内に中国人移住者が少なかったからである。
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 中国人には日本ヘの憎悪が強く、反日感情から国内で日本人に対する暴行・強姦・殺人など凶悪犯罪が頻発していた。
 日本人に対する凶悪犯罪は、反日無罪で問題にされないどころか、憂国・愛国の英雄行為としては賞賛を浴びていた。
 つまり、日本人を見つけたら何をしても許されていた。
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