⛅25:占領される沖縄。小説『南風(まぜ)に乗る』 柳広司。~No.49No.50 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年12月3日号 週刊ポスト「本年『本土復帰50年』
 ベストセラー作家が描く『沖縄が主人公』の物語
 『南風(まぜ)に乗る』 柳広司
 あの乾坤(てんち)そのもののような大国・清と戦争をして、日本が勝った?明治政府の軍隊とは、それほどまでに強いのか。
 沖縄の人たちのあいだに日本軍への絶対的な信頼が生まれたのは、このときからだ。その後、明治、大正、昭和と時が移り、日本が中国・アメリカとの無謀な両面戦争をはじめたあとも、
 ──たとえアメリカが沖縄に攻めてきても、日本の〝皇軍〟が自分たちを守ってくれる。日本軍が負けるはずはない。
 沖縄の人たいの多くが心からそう信じていた。日本軍が打ち出した『軍民一体』『郡民共生共死』の異様な方針(軍人が戦死すれば少なからぬ恩給が出るが、民間人の戦死には国家はびた一文ださない。民間人は文字どうり殺され損)さえ、さほど抵抗なく住民のあいだに受け入れられたことからも信頼ぶりが窺えよう。
 だが、1945年4月1日からはじまった沖縄地上戦において、沖縄の人びとの信頼は手ひどく裏切られる。
 沖縄に上陸した米軍の攻撃に対し、沖縄守備隊第32軍は首里城地下壕の司令部を捨てて南部に撤退を決定する。南部にはすでに大勢の住民たち──ほとんどは女子供と年寄りばかり──が避難していた。日本軍の決定は、避難民の巻き添いを前提にした徹底抗戦の方針だった。
 沖縄には〝ガマ〟と呼ばれる天然の壕(鍾乳洞)が多く存在する。住民が避難していたこのガマに、日本兵が次々になだれこんだ。かれらは住民に対して『ここは日本軍が使用する。お前たちは出ていけ』と命じる。反論する者には『戦争中は軍の命令が絶対だ』と突き放し、さらに『お前たちはここから出て、沖縄を守るために闘え、われわれ日本軍は日本のために闘う』といって住民から食料を奪い、ガマから無理やり追い出した。
 別のガマでは、日本兵は避難民を追い出さなかった。かれらは逆に、銃やナイフを住民に突きつけてガマ内に留まるよう命じ、逃げ出さないように厳重に監視した。『沖縄人は敵のスパイになる』というのがその理由だ。
 いずれの場合も、その後多くの住民が戦闘の巻き添えとなり、あるいは、軍民一体お方針の下、『生きて虜囚の辱を受けず(戦陣訓)』なる国際法無視(無知)の妄言で洗脳された日本兵によって自決を強要された。
 6月23日に沖縄守備隊司令官・牛島満が自決。日本軍の組織的抵抗は終了する。だが、牛島が自決にさいして沖縄全軍に『徹底抗戦』を命じたため、何人(なんびと)といえども戦闘停止の宣言ができなくなり、米軍による掃討作戦はその後もつづけられることになった。
 沖縄での降伏調印は、本土が降伏した半月以上後の9月7日だ。
 その間(かん)も犠牲者は増えつづけ、沖縄戦での死者は県民のじつに4分の1以上にのぼる。4人に1人。親兄弟、親戚から戦争犠牲者を出さなかった沖縄県民は一人もいないということだ。
 沖縄地上戦や、住民を置き去りにして軍が先に逃げた満州でもそうだが、敗戦によって明らかになったのは、
 1、軍は住民を守らない。
 2、軍が守るのは軍(国家は抽象概念に過ぎない。軍が現実に守るのは軍そのもの)
 3、住民は真っ先に切り捨てられる。
 というみもふたもない即物的な現実だった。
 別に不思議なはなしではない。徴兵制を基礎とする近代国家の軍隊は必然的に官僚組織とならざるを得ず、官僚組織において最優先される生理は唱えていた本土決戦が強行されていたとすれば、日本全土でもおなじ地獄が生じたのはほぼ間違いない。
 だが、現実には本土決戦は行わず、沖縄では地上戦が行われた。
 沖縄県民だけが、地上戦の地獄の中で軍隊の本性を目の当たりにすることになった。
 明治以降、『皇軍不敗』『神州不滅』と教えられ、そう信じていた沖縄県民にとって、心から信頼していた分、皇軍の〝裏切り行為〟は決して許せるものではなかった。
 日本軍、憎し。
 解放軍アメリカ、ウェルカム・・・。
 国場がかつて聞いた沖縄の声はそのときのものだ。
 わずか数年で、その声は反転する。
 沖縄の人たちの前に現れたアメリカ軍は、とてもではないが解放軍などと呼べた代物ではなかった。かっらは、自分たちは戦争に勝ったのだから好き勝手ふるまう権利がある、という態度を隠そうともしなかった。〝無気力でお人好しの、哀れむべき未開民族〟。そういって憚(はばか)ることがなかった。もはや劇画としか評しようのない、暴力をかさにきた異民族支配者の姿だ。
 1949年11月に沖縄を訪れた『タイム』誌記者フランク・ギブニィは次のように書いている。
 ──オキナワは、米陸軍の才能のない者や除け者のよいはきだめになっている。その軍規は世界中の他の米駐留軍と比べて最悪であり、最低の者たちを集めた1万5,000の部隊が、絶望的貧困のなかに暮らしている60万人のオキナワ住民を統治している。
 沖縄に駐屯する米軍こそが、教養のない、野蛮な兵隊の集団だった。ギブニィはつづいて、
 ──過去6カ月間に米軍兵士はオキナワで殺人29,強姦18、強盗16,殺傷33という驚くべき数の犯罪を犯した。
 と、自国の軍隊に唾を吐きかけるように書いている。よほど見かねる状況だったのだろう(もっとも、占領軍とは元々そうしたものなのかもしれない。馬に乗り剣で切り合う中世の戦(いくさ)は知らず、近代以降の戦争では敵を同じ人間と見做(みな)したのでは使用できない兵器が多すぎる。同じ人間が隠れているガマに爆弾を投げ込れ、あるいは強力な火炎放射器をガマ内に向けるなど、正気の者には到底不可能だ。近代以降の戦争では兵士、のみならず国民すべてが敵国の人間を同じ人間と思わないよう〝洗脳〟される。相手を同じ人間と思っていない以上、ルールを守る必要はない。沖縄戦では米軍側にも1万2,000名におよぶ戦死者がでている。目の前で戦友が殺された米兵のなかに、個人的な復讐心に燃える者がいなかったとは考えづらい)。
 ギブニィの記事に付け加えるべきはむしろ、沖縄での米兵の重大犯罪の多くが、〝裁かれることさえなかった〟という事実だ。米兵が沖縄で人を殺したり、傷つけたりした事件を扱うのは非公開の軍事法廷で、検事と裁判官は(法律の専門家ですらない)軍人がつとめ、判決結果も公表されなかった。被害者家族には、犯人がその後どうなったのかさえわあらない。殺され損の、泣き寝入りである。
 終戦7年後、サンフランシスコ講和条約で日本が独立したあとも、沖縄の状況は何ひとつ変わらなかった。本土(ヤマト)は沖縄を切り捨てた──売り渡した──といわれるのも当然だ。講和条約が発効した。〝日本の独立記念日〟4月28日は、沖縄では『屈辱の日』として記憶されている。
 講和条約発効後、苛酷な軍政に苦しむ沖縄を絶望の淵に追いやるように、沖縄各地に本格的な軍事基地の建設が次々にはじまる。それらはもはや、たわむれに〝キャンプ〟などと称する一時的施設でなく、恒久的使用を目的とした軍事基地(ベース)であるのは明らかだった。
 冗談じゃない。こいつらは沖縄に居座るつもりだ。
 アメリカの兵隊は沖縄から出て行け!
 ……」
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 日本列島に住む日本民族琉球民族アイヌ民族は、ヤポネシア人(石器人)・日本土人縄文人を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 白人キリスト教徒から見れば、日本人はアフリカ人同様に奴隷であった。
 宗教的西洋白人至上主義のアメリカ社会では、ユダヤ人、アフリカ人、アジア人、南北アメリカ大陸のインディオやインディアンなどの人種・民族に対する偏見や差別が根強く、特に日本人に対する敵意と嫌悪は異常に強かった。
 その証拠が、ヒロシマナガサキに対する原爆の投下実験と人体実験で、日本人は科学の進歩の為の実験体・モルモットに過ぎなかった。
 つまり、それはある意味で人種差別戦争であった。
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 白人から見たら、日本人は人間でなく害虫・毒虫かネズミのような害獣であった。
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 ロシア人共産主義者の日本人観も、偏見と差別であった。
 ソ連正規軍と中国人抗日暴徒は、満州樺太で逃げ回る数十万人の日本人避難民(主に女性や子供)を大虐殺していた。
 ソ連軍は、千島列島の占守島に上陸したが少数の日本軍守備隊による反撃で甚大な被害を出して占領できなかった。
 が、戦勝国が行った人道に反する犯罪行為は当然の権利で、如何なる行為も無罪とされた。
 その証拠が、北方領土4島の犯罪的強奪である。
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 敗戦国日本では外国人による凶悪犯罪が激増していた、沖縄では米兵であり、国内では米兵と朝鮮人であった。
 中でも、日本国内の反日朝鮮人が行っていた日本人に対する兇悪犯罪は酷かった。
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 昭和天皇は、沖縄への行幸を切望しながら果たせなかった。
 昭和時代の皇太子(平成の天皇、令和の上皇)は、昭和天皇も名代として何度も沖縄を訪問した。
 反天皇反民族反日本の過激派(日本人共産主義者テロリスト)は、皇太子を殺そうとしたが失敗した。
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 日本人にはいろんな日本人がいて、賢く優れた善い日本人は少なく、陰険な悪い日本人や無能・低能・下らない・ダメな・バカな・愚かな日本人が数多くいた。
 戦国時代に捕らえた日本人を中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人に奴隷として売って金を稼いだブラック日本人の子孫が、現代日本人である。
 現代の日本人は、架空に近い時代劇や理想とする時代小説は好きだが、現実に起きた事実の歴史は嫌いである。
 日本人は惻隠の情や物の哀れを持っち人助けをよくする心優しい人である、はウソである。
 それが、平安時代山椒大夫羅生門の鬼女・盗賊から変わる事がない日本人の本性であり、それ故に日本人(沖縄とヤマトンチュウ、アイヌと和人)は油断も隙もなく、信用できない、あてにできないのである。
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 命大事として戦う事を嫌って逃げる現代の日本人と、死ぬ事を覚悟して逃げずに戦った昔の日本人とで、姿形が似ていても全く正反対の別人のような日本人である。
 昔の日本人は武士・サムライであり百姓や町人であったが、現代の日本人は何れでもない。
 現代日本には、理(ことわり)としての義も道もなく、ましてや武士道などは跡形も存在しない。
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 近代戦争における総力戦とは、兵士・非戦闘員(一般市民・民間人)や男性・女性に関係なく、子供から老人まで国民とされた全ての人間を巻き込む殺し合いであった。
 つまり、戦闘に参加する敵か味方か、さもなくば戦争に参加しない傍観者・部外者・赤の他人かであった。
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 絶望的な沖縄戦で、昭和天皇、軍国日本、軍部は沖縄を祖国防衛の捨て石としたが見捨てたわけではなかった。
 その象徴的作戦が、戦艦大和の水上特攻と航空機のカミカゼ特攻であった。
 日本民族そして沖縄県民も、最後の勝利を信じ、死を覚悟して戦った。
 その時、日本国籍を持っち日本国民=皇民・臣民とされたアイヌ人、朝鮮人、台湾人は分からない。
 日本国内にいた、200万人以上の朝鮮人、十数万人の台湾人、数万人の中国人、そして数万人の連合国軍兵士捕虜が、敗北しつつある軍国日本を静観していた。
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 昭和天皇や政府・軍部は、戦争を止める為に、極秘でスイスのアメリ諜報機関OSSやソ連と極秘に下工作を進めていた。
 親中国・親共産主義・反天皇反日本のフランクリン・ルーズベルトは、軍国日本、ナチス・ドイツファシスト・イタリアに対して「無条件降伏の原則」を突き付けた。
 無条件降伏とは、戦争指導者の死であり、イタリアはムッソリーニを集団リンチで惨殺して降伏し、ドイツはヒトラーの自殺で降伏した。
 日本に対しては、昭和天皇の命(死)と天皇制度の廃絶であった。
 軍国日本は、「国體護持」を最低条件として戦争を続けた。
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 武士であり百姓であった日本民族は、多勢に無勢で絶対に勝てない必ず負けると分かっている戦いであったとしても、戦う事を決断して行動すれば、弱音を吐かず、死を覚悟し、死中に活を求め、最後には必ず勝との信念で、最後の一人になるまで「死力を尽くして」戦った。
 それは、九死に一生を得えたいという、絶体絶命な状況に追い詰められた「窮鼠猫を噛む」的な悲壮感であった。
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 戦前の日本人は、日本軍=皇軍の不敗神話を信じて戦った。
 歴史的事実として、いつの時代でも日本民族は殺し合いを好んで戦争を仕掛けた事はなく、ギリギリまで戦争を避ける和平の道を探った。
 如何しても避けられないとなった時に、「降りかかった火の粉は払う」として戦争を仕掛けた。
 日本は弱小国であるがゆえに、地球規模の軍事大国に対して先制の奇襲攻撃を行った。
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 古代から昭和前期までの日本の戦争は、全て積極的自衛戦争であった。
 そして、その戦法は「肉を切らせて骨を断つ」という捨て身の戦い方であった。
 それが、本土決戦・一億総玉砕に備えた貴重な兵力である戦艦大和を水上特攻に航空機をカミカゼ特攻にし、数千人の若者を沖縄戦に投じて無駄に戦死させた。
 が、無駄死には犬死にではなかった。
 沖縄の犠牲は結果として、日本の極秘降伏工作を後押し、米ソ冷戦の兆しと相まって、アメリカやイギリスに早期停戦の為に「無条件降伏の原則」を捨てさせる事ができた。
 が、アメリカは2つの原爆投下実験が終了するまでは日本の降伏を認めなかったが。 
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 日本とアメリカの戦争の遠因は、アメリカの軍事侵略である、それは明治31(1898)年のハワイ併合によるハワイ王国滅亡、ハワイ王家消滅、民族宗教・民族言語・民族文化の消滅であった。
 それ故に、軍国日本・天皇主義者、特に東郷平八郎日本海軍の軍縮反対派にとっては天皇・皇室、日本国・日本民族アメリカの侵略から守る日米戦争=太平洋戦争は避けられない運命であると覚悟していた。
 その対米戦争の象徴が、戦艦大和ゼロ戦であった。
 が、誰もアメリカの国力(経済力・軍事力)には勝てないと分かっていたが、武士として日本男子として負け犬のように泣き叫びながら女々しく逃げるわけにはいかなかった。
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 日本民族は、日清戦争日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争、その他、全ての戦争を国家存亡の危機と認識し、男性も女性も、子供から老人まで死を覚悟して一丸となって戦った。
 戦争とは、国家が国民を守る為に戦うのではなく、国民が国家の為に戦うもので、その意識は日本民族には強かった。
 日本国・日本軍・日本民族は、戦場で敵軍と敵兵と殺し合うという戦争犯罪を行ったあが、同時に戦場で敵国人の被災者を数百人から1,000万人以上を助けるという自己犠牲的な人道貢献もおこなっていた。
 太平洋戦争における日本人兵士の戦傷死は、3分の1が戦死であったが、残りの3分の2は悲惨な餓死・病死であった。
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 日本の近代化である軍国主義民族主義、宗教否定啓蒙運動は、ロシアの軍事力による軍事侵略とキリスト教の宗教侵略から天皇国家日本、神国日本を守ろうとする攘夷運動から始まった富国強兵策であった。
 ロシアの侵略とは、江戸時代後期に起きた、1792年の寛政日露交渉と攘夷運動、1807年の文化露寇事件(海賊行為)と蝦夷地・北方領土派兵(約4,000人)、1854年のロシア軍艦による対馬不法占拠事件などである。
 ロシアは、昔も現代も変わらない。
 キリスト教の宗教侵略とは、戦国時代に起きていた中世キリスト教会の日本人奴隷交易である。
 そこに、明治以降にアメリカの軍事侵略とソ連コミンテルン中国共産党・国際的共産主義勢力のイデオロギー侵略が加わった。
 共産主義イデオロギー侵略とは、昭和7(1932)年の日本共産党に対する「天皇制度を打倒して、天皇とその一派を排除せよ」という32年テーゼである。
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