⛅9:─1─沖縄戦。アメリカ軍の基本方針は日本人捕虜を作らない事であった。~No.23No.24No.25 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦闘を止めて投降し降伏するかどうかを、決めるのは敗者・弱者ではなく、勝者・強者である。
 勝者・強者が認めなければ、敗者・弱者の戦闘の停止や投降と降伏はありえない。
 相手の生殺与奪の権は勝者・強者が握っている以上、敗者・弱者を殺すも生かすも勝者・強者の気分次第である。
 アメリカが勝者・強者なら、日本は敗者・弱者である。
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 2022年2月10日号 週刊新潮「変見自在  高山正之
 未だ戦争中
 米軍の沖縄攻略戦は昭和20年4月に始まった。
 本土を爆撃するB29の発進基地としてだけではなく、米国は戦後の極東戦略の拠点としてここを確保する気だった。
 米国領に沖縄インディアンは要らない。制圧は徹底していた。
 米軍は戦艦10隻を含む177隻による艦砲射撃で島の形を変えてから18万殺戮部隊が上陸した。
 敵は日本軍だけではなかった。生き物はすべて殺していった。
 浦添や島尻では女も子供も関係なしに村民の3分の2を殺した。
 国吉では生き残った村民のうち男は並べて片端から銃殺していった。
 激戦地の宜野湾市では国際法で禁じられたイペリットを大量に使用した。
 毒ガスは防空壕にも流れ込んで女子供も死んだ。
 イ・イ戦争の折にこの糜爛(びらん)剤を浴びた将兵野戦病院で見たことがある。
 被爆した部位は大きく水膨れし、はじけると赤く爛れた肉が剥き出しになる。吸い込むと喉も気管支も爛れる。
 苦しんだ末に肺浮腫で死ぬか肝臓の壊死で死ぬか。最も残酷な毒ガスだ。
 49万島民のうち12万人が死んだ。4人に1人が殺された計算だ。
 蛮行は終戦後も続く。彼らは1万人以上の女性を犯した。6歳の永山由美子まで犯され、殺された。
 沖縄県人は身内の誰かを殺され、妻や娘を犯された。
 その慟哭も聞こえないようにトルーマンは『太平洋及び極東戦略を鑑み、沖縄を米国領に編入する』大統領令を出した。
 沖縄県民は鬼畜にも劣る連中を同胞として、ともに『Oh say can you see』と歌えというのか。
 日本は悪い国だから東京で10万を焼き殺し、広島長崎に原爆を落としたのは正しいと思えというのか。
 そんな偽善の国の民になるなんて真っ平御免だ。俺たちは日本人だ。
 米側はそんな思いに頓着なく、まず焼け野原に立派な都市づくりを始めた。
 名古屋に100メートル道路を作った田淵寿郎を呼んだが、島民は『街中に滑走路を作る気か』と拒んだ。
 3代目高等弁務官のポール・キャラウェイは十分な予算を組んで、ハワイやグアムに勝る『豊かで魅力的な米軍基地の島』の建設を企図した。
 沖縄財界はそれも拒んだ。企業助成や新規投資に下し置かれた金はプールして仲間内で処理した。簡単に言えば使い込んだ。
 最新の医療機器やストレプトマイシンなどの高価な医療品は本土に横流しした。
 いつまで待っても成果が出ないのを怪しんだキャラウェイが査察に入り、その不届きを知って激怒した。
 琉球銀行の頭取以下全役員をクビにしたが、それでも腹の虫は治まらなかった。『沖縄の自治など神話』と島民への愛想尽かしを公言した。
 この顚末がニクソンをして沖縄の米国領化を諦めさせた。『戦略拠点は必要だが出来悪の民はいらない』
 かくして民だけを返す施政権返還が実現した。
 島民の思いは半分実現したが、まだ基地は残る。
 で、宜野湾市民が立ち上がった。普天間基地に隣接して小学校を置いた。
 ある市民は滑走路の先に40メートルの鉄塔を建てた。米軍機が引っかかれば大事故になる。小学校は燃え、国際非難が集中する。
 我が子ですら沖縄奪還の殉教者に供する。民は家族ぐるみで米国と戦っている。
 ただ問題はある。本土の連中は未だマッカーサー憲法墨守し、戦力不保持を補う安保に縋(すが)る。沖縄の米軍基地の存在を正当化する根拠にされている。
 押し付け憲法を捨て、戦前の強い日本軍の再興を図れ。そして罪深い米国の基地を追放したときに、沖縄の民の戦いは終わる。
 しかし支那も手先の在日もそれを望まない。彼らは沖縄の味方を装って『米軍基地出ていけ』を叫ぶが、アホな憲法は守れという。それに朝日新聞と立憲共産党も乗っかる。
 両者が乗った『オール沖縄』が惨敗した。民の思いを勝手に歪めたからだ。」
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 小林よしのり「1943年の米軍の調査では米兵の約半数が日本民族を根絶すべきだと考えていた。その狂気はそのまま戦場に持ち込まれた。従軍記者エドガー・L・ジョーンズは次のように書いている。
 『われわれは捕虜を容赦なく撃ち殺し、病院を破壊し、救命ボートを機銃掃射し、傷ついた敵兵を殺し、まだ息のある者は他の死体とともに穴に投げ入れ、死体を煮て頭蓋骨をとりわけそれで置き物を作るとか、または他の骨でペーパーナイフを作るとかしてきた。
 連合国軍の兵士の間では、戦死した日本兵から金歯・・・耳・・・頭皮・・・頭蓋骨などを集めて、戦果の証(あかし)にするという悪習が行われていた。
 骨でペンホルダーなどが作られ、頭皮で車両の飾りが作られた。
 負傷者が倒れるや、ナイフでその頬を切り裂き、金歯をほじくり出す者もいた
 息子が切り落とした日本兵の耳の塩漬けを玄関の扉に釘で止めて、みんなに見てもらいたいと望む母親もいた。』
 そういう話は当時のアメリカで普通に報道された。
 これらのエピソードを著書『人種偏見』で紹介したジョン・W・ダワーは言う。
『もしも歯や耳や頭皮がドイツやイタリアの兵士の死体から収集されそれが英米国内に報道されたならば、騒然たる状況を引き起こしたに違いない』
 著名な飛行家リンドバーグは戦後ナチスの虐殺跡を見て日記に綱書いた。
 『以前にかかる困惑を覚えたのはどこでだったろうか。南太平洋でか。ビアク島の洞窟で日本兵の遺体が腐りかけるのを見かけた時だ。
 爆撃跡の穴に埋まる日本兵の遺体の上から残飯が投げ捨てられ、待合室やテントにまだ生新しい日本兵の頭蓋骨が飾り付けられてあるのを見た時だ。
 ドイツ人はユダヤ人の扱いで、人間性を汚したと主張する、われわれアメリカ人が、日本人の扱いで同じようなことをしでかしたのである。
 「奴らは本当に獣以下だ。どいつもこいつも皆殺しにすべきだ」
 耳に胼胝(たこ)ができるほど南太平洋のアメリカ軍将校から聞かされた台詞(セリフ)だ。』
 第二次大戦中『民族根絶』を考えた国はドイツとアメリカであった!」(『戦争論 3』新ゴーマヌズム宣言)
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 沖縄県民を、日本軍は戦争を優先して戦闘に巻き込んで助けず見殺しにし、アメリカ軍は降伏すれば殺さず助けた、はウソである。
 アメリカ軍は人道の見地から日本人兵士や沖縄県一般市民を捕虜として受け入れ大切に保護した、はウソである。
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 アメリカ人から見れば、日本人如きは自由に幾らでも殺して構わない害虫か獣、悪魔であった。
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 戦国時代、キリスト教による宗教侵略では、日本人は中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人によって奴隷として海外に売られていた。
 世界の常識からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷であり、金で買える命であった。
 日本人には、国際法で守られた人命・人権・人道は認められていなかった。
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 2022年2月5日 MicrosoftNews 読売新聞「米軍施設内は「無法地帯」「対応もない」…日本人従業員へのパワハラや未払い相次ぐ
 抗議集会を行った全駐労の組合員ら(昨年12月22日、座間市で)© 読売新聞 抗議集会を行った全駐労の組合員ら(昨年12月22日、座間市で)
 神奈川県内の在日米軍施設で働く日本人従業員らがパワハラや賃金未払いなど不当な扱いを受けたとして、訴訟や労災申請に相次いで踏み切った。使用主の米軍と、雇用主の防衛省、いずれに被害を訴えても解決に至らないことが背景にある。(小松大樹)
 キャンプ座間(座間市相模原市)の航空大隊に所属していた30歳代と50歳代の日本人女性従業員2人が昨年9月と12月、パワハラ被害の認定などを求め、厚木労働基準監督署にそれぞれ労災申請した。
 2人によると、共に自衛隊との訓練の調整などを担う事務職として約2年前から航空大隊で働き始めた。だが、兵士の訓練に同行し、兵舎で寝食を共にするよう基本労務契約外の業務を命令されたほか、民間定期便しか使えない空港ターミナルの使用許可申請など法律や日米地位協定に反する申請をさせられたと主張している。
 基地内の従業員は日米地位協定によって、日本政府と雇用契約を結び、米軍が使用者となる。2人は同3月の時点で、基地内の人事担当に苦情を申し立て、防衛省座間防衛事務所も配置転換を含めた配慮を求める要望書を米軍側に提出した。
 2人は産業医に急性ストレス障害などと診断され、同4月から3か月の傷病休暇を取得。その後、「配置転換を条件に復帰可能」と診断されたが、米軍側に元の部署に戻るよう指示された。拒むと無断欠勤扱いとなり、1人は同7月から現在まで無給状態。もう1人は同10月から別の部署で復帰した。
 2人は取材に「米軍施設内は地位協定を盾にした無法地帯。被害を訴えても対応がなく、労災認定してもらうしかない」と強調した。
 在日米陸軍司令部は「日本政府の権限のもとにあり、具体的事例についてはコメントできない。雇用関係の苦情が適切に扱われるよう真摯(しんし)に受け止める」とした。
 昨年12月20日には、厚木基地綾瀬市大和市)の警備隊に所属していた20歳代の日本人男性職員が、休職後に復帰できなかったとして、国を相手取り、未払い分の賃金や慰謝料など511万円の損害賠償を求め、横浜地裁に提訴。訴状などによると、男性は人間関係のトラブルで2019年11月から90日間の傷病休暇を所得。休職中に基地側と連絡できなくなり、結局、約1年半にわたり復帰できず、その間は無給状態だった。
 防衛省南関東防衛局は取材に対し「係争中で、裁判に関わる内容のためコメントは差し控える」とした。
 こうした問題を受け、全駐留軍労働組合神奈川地区本部は昨年12月22日、キャンプ座間の正門前で抗議集会を開き、日本人従業員の扱いの改善や、防衛省による適切な労務管理を求めた。同地区本部の飯島智幸執行委員長は「米軍はもちろん、防衛省にも毅然(きぜん)とした対応を求めたい」と話した。」 
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 総務省
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 沖縄県における戦災の状況(沖縄県
 沖縄県における戦災
 沖縄県は、太平洋戦争で国内最大の地上戦が展開、一般県民を巻き込んだ熾烈な戦闘が繰り広げられ、軍民あわせて20万余の尊い生命、財産、文化遺産を失いました。
 地上戦だけではなく、疎開学童が数多く亡くなった対馬丸事件那覇市をはじめ、県内市町村が被害を受けた10・10空襲、多くの若者が戦争にかり出され亡くなった学徒隊、戦争マラリアなど、想像を絶する被害を受けることとなりました。
 また、戦争が終わった後も、戦争で破壊された故郷の復興は容易ではありませんでした。

 7. 収容所での生活
 米軍は日本兵や沖縄の住民を収容するために、有刺鉄線で囲った仮収容所を各地に設置しました。そして、投降した者を尋問によって一般住民と戦闘参加者に分け、一般住民は民間人収容所に、戦闘参加者は捕虜収容所に収容しました。収容所では、住民は割り当てられた区画にテント小屋や掘っ立て小屋を建てて生活しました。米軍から、食糧や衣服、医薬品が支給されましたが、マラリアや栄養失調によって命を落とす者も多くいました。
(出典:「沖縄県平和祈念資料館 総合案内」2001年 沖縄県平和祈念資料館
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容赦なき戦争 (平凡社ライブラリー419)
リンドバーグ第二次大戦日記 (上) (角川ソフィア文庫)
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 日本人にとって、アメリカ人やイギリス人は鬼畜米英であった。
 宗教的人種差別主義のアメリカ人にとって、日本人は人間以下で殺しても構わない獣か害虫であった。
 それ故に、アメリカ人兵士は女性や子供に関係なく日本人を幾人殺しても罪悪感を感じないし、ましてや外傷後ストレス障害(PTSD)に罹る事はなく、むしろ殺した数だけ称賛され英雄として讃えられた。
 その証拠が、東京など都市に対する無差別大量虐殺の絨毯爆撃であり、ヒロシマナガサキにおける原爆投下実験及び人体実験であった。
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 戦陣訓の「生きて虜囚の辱(はずかしめ)を受けず」は正しかった。
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 アメリカ軍は、戦場で負傷し治療すれば助かる日本人兵士を地ならしのついでに穴に埋めて殺していた。
 アメリカ人兵士は、少女から老女まで日本人女性を見つけるや強姦し、その多くを惨殺していた。
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 アメリカ軍は戦争を記録する為に、各戦場に数多くの従軍撮影技師や従軍カメラマンを派遣した。
 アメリカ軍兵士は、撮影機やカメラの前では日本人の兵士や一般人ほ保護する人道行為を行ったが、撮影機やカメラのない所では非人道的行為を行っていた。
 アメリカ軍は日本軍よりも人道的で良心的だった、というのはウソであった。
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 明治時代初期のアメリカは、中国・アジアへの北太平洋航路を完成させる為に、ハワイ・グアム・沖縄の領有を狙っていた。
 明治政府が琉球処分で沖縄の領有を宣言した為に、スペイン領フィリピンを米西戦争で強奪した。
 アメリカは、フィリピン独立派を支援する日本軍を切り離す為に、桂タフト協定を結んで日本の韓国における優越支配権を承認した。
 日本の安全保障の脅威は、東・南のアメリカ、西の清国(中国)、北のロシア・朝鮮であった。
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 徳川幕府は、西洋キリスト教諸国の侵略から国土を武力で守っていた。
 小笠原諸島は、外交交渉でイギリスやアメリカから取り返した。
 蝦夷地(北海道)や北方領土は、軍隊でロシアから守った。
 独立国琉球王国薩摩藩の管轄としていた。
 琉球は、イギリスやアメリカなど独自に条約を結び、西洋の影響下に組み込まれ、白人キリスト教による植民地化が進み始めていた。
 江戸後期・幕末の尊王攘夷と明治の近代的天皇制度軍国主義国家建設は、正しかった。

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