🎺28:─5─ソ連国内に不時着したからドーリットル8番機。スターリンを悩ませた問題。~No.142No.143 ⑱ 

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 太平洋戦争を含む第二次世界大戦における勝敗の帰趨を決め作戦とは、軍国日本の首都東京を初空襲したドーリットル部隊による爆撃であった。
 日本海軍は、ドーリットル爆撃隊の東京初空襲を受けてミッドウェー海戦を行ったが、アメリカ軍が日本海軍の極秘暗号を解読して待ち伏せよる猛攻で唯一の主力機動部隊を失い、以後挽回できず劣勢に立たされ敗北し滅亡した。
 ドイツ軍は、ドーリットル爆撃隊による東京初空襲の為に、北アフリカ戦線ではロンメルのアフリカ軍団は壊滅し、攻勢であったソ連領内の対ソ戦は敗北し大反撃にあってドイツ・ベルリンへと敗走し滅亡した。
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 2022年2月27日 MicrosoftNews 乗りものニュースソ連から逃げろ! スターリンを悩ませたドーリットル8番機問題とその乗員の「脱出劇」
 月刊PANZER編集部
 中国へ飛ぶはずが…着陸したのはソ連でした
 1942(昭和17)年4月18日、アメリカのドーリットル爆撃隊は双発陸上爆撃機B-25で空母を発艦し、掩護する戦闘機なしに日本本土を奇襲、中国大陸に逃げ込むという奇想天外で無茶な任務を実行しました。しかし、それは同爆撃隊8番機の機長エドワード・ヨーク大尉以下5名の乗員たちにとって、さらなる冒険劇の始まりに過ぎませんでした。
 2022年現在のヴォズドヴィデンカ基地
 © 乗りものニュース 提供 ウラジオストック近郊に着陸したドーリットル爆撃隊8番機のB-25。アメリカに返還されることなく1950年代に解体された(画像:アメリカ陸軍)。
 ドーリットル爆撃隊は攻撃後、日本軍の勢力圏から約200kmの距離にある中国浙江省衢州(くしゅう)の飛行場に着陸することになっており、これはB-25の航続限界ギリギリの距離でした。当初はもっと近いソ連ウラジオストックへの着陸が計画されていたのですが、日ソ中立条約がありソ連に拒否されていました。
 そうしたなか、攻撃を実施した8番機は機器不調で燃料消費が早く、ヨーク機長は中国にたどり着けないと判断して廃案に挙がっていたソ連に向かい、ウラジオストックから約86km北のヴォズドヴィデンカ軍用飛行場に着陸します。
 乗員たちはソ連に拘束されましたが脱出に成功し、1943(昭和18)5月29日に祖国へ帰還します。空母から出撃した13か月後のことでした。この脱出行は後年、ソ連の崩壊による機密解除もあり、スパイストーリーのような冒険劇だったことが明らかになります。
 ソ連にとって突如、闖入してきたドーリットル爆撃隊8番機は厄介な客でした。ソ連は当時、アメリカとは対ドイツ戦で同盟関係にあり、レンドリース法で物資の支援を受け始めたばかりのタイミングでした。一方、日本とは日ソ中立条約があり、日本を空襲した爆撃隊を安易に解放すれば日ソ関係が悪化します。外交的に非常に微妙な立場で、拘束するにも解放するにも面倒なことになります。
 日ソ中立に基づき拘束…ならば脱走だ
 結局、ソ連は駐ソ米大使に形式的な抗議を行い、日ソ中立条約に基づきB-25は没収、その乗員を拘束しました。乗員たちの収容場所は、ウラジオストックからボルガ川流域まで点々と移動を繰り返し、東西に広大なソ連の半分を移動したことになります。
 扱いは人道的で、監視警備はゆるくアメリカ大使館員との面会も可能でしたが、準捕虜であることに違いはなく、乗員はいつ帰国できるかわからない不安でストレスが溜まる一方でした。ある時ヨーク機長がアメリカ大使館員と面会した際に脱走したいと漏らしたところ、アメリカ軍のオマール・ブラッドレー少将から大人しくしているよう、直々に指示が出たほどです。それくらい、当時の日米ソの外交関係は微妙でした。
 © 乗りものニュース 提供 ドーリットル隊の飛行経路。燃料が不足した8番機はウラジオストックを目指した(国立アメリカ空軍博物館所蔵画像を月刊PANZER編集部にて加工)。
 そうしたなか、ロシア語を少し話せる様になっていた乗員たちは、トルクメニスタンソ連邦内共和国)首都アシガバードへの移送中の列車内で、アレクサンドル・ヤキメンコという赤軍少佐と親しくなりました。ヤキメンコ少佐は乗員たちに同情し、帰国の手伝いをしようと動いてくれるようになります。
 しかし、いち軍人に過ぎないヤキメンコ少佐がソ連の外交当局を動かすことは非常に困難でした。やがてヨーク機長とヤキメンコ少佐は、ついに秘密の脱走計画を立てるにいたります。イランに出入りする密輸業者を雇い、警備の薄いソ連イラン国境を越え、イギリス領事館に逃げ込むというもので、ヤキメンコ少佐の提案によるものでした。密輸業者に払う必要経費は250ドルということで、乗員たちはなけなしの所持金をかき集めたのでした。
 脱出劇は1943年5月10日夜に実行されます。ヤキメンコ少佐と乗員たちは涙を流して別れを惜しみ、成功を誓い合ったといいます。密輸業者のトラックに乗り込んだ乗員たちは、闇夜に紛れて国境の鉄条網へ。さすがは密輸業者で、警備の薄い場所とタイミングはわかっていました。
 こうして、徒歩で鉄条網をくぐり抜け、イラン側で別の密輸業者のトラックと落ちあった乗員たちは、11日中にはイランのイギリス領事館にたどり着くことができました。
 ドーリットル8番機乗員たちによる脱出劇の「舞台裏」
 乗員たちの執念と知恵と勇気の脱出劇、といいたいところですが、外国人との接触が厳しく制限されていたスターリン時代ソ連の話としてはできすぎであり、違和感がないでしょうか。
 8番機の銃手で、爆撃隊のなかで最年少の20歳だったデビッド・W・ポール軍曹はのちに、脱出はすべてソ連参謀本部とNKVD(エヌカーヴェーデー、内務人民委員部。刑事警察、秘密警察、国境警察、諜報機関を統括していた)によって計画されたものだと疑っている、と明かしました。一方で副操縦士のロバート・G・エマンズ少尉は、脱出は本物だったと反論しています。
 © 乗りものニュース 提供 前列左が8番機機長のエドワード・J・ヨーク大尉、隣が副操縦士ロバート・G・エマンズ少尉、後列最右が銃手デビッド・W・ポール軍曹(画像:アメリカ空軍博物館)。
 真実は、ポール軍曹の疑念のとおりでした。この脱出行は、ソ連共産党指導部とNKVDによって巧妙に仕向けられた茶番劇だったのです。涙を流して乗員たちを送り出した助演男優賞もののヤキメンコ少佐の正体は、ウラジーミル・ボヤルスキーというNKVDの少佐でした。
 当時のソ連最高指導者スターリンは、アメリカから乗員解放の働きかけも強くなり、面倒くさい賓客を早く送り返すため、NKVDにイラン経由で脱出させるよう指示します。しかし日本との関係を考慮して、あくまで乗員たちが自らの主導で計画して脱出したと見せかけるよう念を押します。
 この舞台装置は大がかりでした。脱出を手引きした密輸業者など、かかわった人物がすべてNKVDの要員でした。しかも乗員たちが必死の思いで越えた国境の鉄条網も検問所も、トルクメニスタン内にわざわざ作られた大道具の偽物だったのです。
 当時、枢軸国寄りだったイランには1941(昭和16)年8月にソ連とイギリスが侵攻し、ソ連と国境があるイラン北部はソ連軍が占領駐留していました。そのため、「脱走した捕虜たち」をイランに越境させイギリス領事館に駆け込ませることなど、造作もないことでした。イギリスもひと口、噛んでいた可能性があります。
 まとめると、スターリンの指示でNKVDが用意したシナリオのもと、ソ連軍が占領警備している舞台装置のなかで、アメリカ人乗員たちはそうと知らぬまま迫真の脱出劇を演じていた、というわけです。しかも主演俳優たちは出演料まで支払っています。
 しかし闖入者のせいで日米との微妙な外交舞台を演じなければならなかったスターリンにとって、250ドルは少なすぎる代価だったことでしょう。」
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 第二次世界大戦中、ナチス・ドイツは追い詰めたソ連を敗北させる為に、同盟国日本に対してアメリカの対ソ軍事支援ルートの遮断を求めた。
 アメリカの対ソ連支援ルートとは、北太平洋航路であるウラジオストク・ルート、インド洋航路であるアフリカ東沿岸ルート、南太平洋航路であるオーストラリア・インド・ルートを経たイラン・スターリングラード・ルート、そしてもう一つがスエズ運河・エジプト・ルートであった。
 日本海軍は、インド洋でイギリス東洋艦隊追い詰めていた機動部隊を、ドーリットル爆撃隊による東京初空襲を受けてアメリカ海軍機動部隊を撃滅する為にミッドウェー海戦に振り向けたが敗北した。
 日本軍部は、太平洋戦争での激戦で手一杯でそれどころではなかった。
 日本首脳部内のソ連派・マルクス主義者・隠れ共産主義者達は、ソ連を救う為にナチス・ドイツの要請を拒否した。
 その結果、ドイツ軍は日本軍の間接的支援を受けられず北アフリカ戦線でも独ソ戦でも敗北し、そしてナチス・ドイツは滅亡した。
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 明治から昭和初期までに起こした戦争は、領土拡大の侵略戦争ではなく、現人神天皇、神国日本、神仏の子孫である日本民族を、外敵である夷狄(ロシア・中国・朝鮮)の軍事力と邪教キリスト教)の信仰力から守る為の積極的自衛戦争であった。
 が、現代日本はおろか、中国、韓国・朝鮮、ロシアを含む全ての国々、国際世論は、日本を血に飢えた邪悪・凶悪・残忍な戦争犯罪者と認定・断定している。
 それが、東京裁判史観=自虐史観=日本人凶悪・残虐・極悪・非道の重犯罪人史観である。
 日本民族が最も恐れたのは、石器時代縄文時代から数万年かけて先祖が護ってきた日本らしさ・日本の国柄・日本の有り様を根底から消滅させる意図を見せていた信仰宗教のキリスト教マルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 が、現代日本歴史教育に深刻な影響をもたらしているのが、そのキリスト教マルクス主義共産主義である。
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 現代の日本人は歴史が嫌いで、昔の日本人とは違って民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、現実に起きていた歴史的事実を認めない。
 高学歴のマルクス主義者の中に、残忍な殺人者であるレーニンを信奉する日本人が多数存在する。
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 レーニンは、搾取されている貧しき人民を解放する為には世界の共産主義化しかないとの信念から、日中戦争と日米英蘭戦争(太平洋戦争)をプロデュースし、中国共産党日本共産党ディレクションした。
 スターリンは、屈辱的日露戦争敗北の復讐としてレーニンの対日陰謀を実行し、ピョートル1世(大帝)の日本征服の夢を叶えるべく北海道と北方領土4島を武力で強奪しようとした。
 中国共産党は、レーニンスターリンの指示に従って軍国日本を対米戦争に追い込むべく、中国在住の日本人を虐殺していた。
 当時の日本人は、戦争を嫌い争う事を避ける現代の日本人とは違い、中国人の非人道的残虐行為に激怒し、惨殺された日本人の復讐・報復を政府や軍部に求めた。
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 中国人による日本人虐殺事件は、第1回南京事件満州ピクニック惨殺事件、済南事件、通州事件、その他など中国各地で数多き発生していた。
 日本人は激怒して「暴支膺懲」に暴走した。
 日本国内では、中国人に対する偏見・差別・嫌がらせの事例はあっても、暴行・殺害、強姦、強奪といった刑事事件はなかった。
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 日本人共産主義者テロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に人道貢献と平和貢献をおこなった昭和天皇を惨殺するべく付け狙っていた。
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 軍国日本は、戦場で人を殺す戦争犯罪をおこなったが、同時に、戦場で自己犠牲で人を助けるという人道貢献や平和貢献をおこなっていた。
 東京裁判は、国際法の正義で、戦争犯罪者と同時に人道貢献や平和貢献をおこなったA級戦犯の陸軍軍人・政治家・官僚を見せしめ的縛り首で殺し、遺灰は遺族に引き渡さずゴミのように尊厳を否定して海に捨てた。
 それが、靖国神社問題である。
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 日本共産党の永遠に不変な不磨の党是とは、マルクス・レーニン主義にける人民の権利と共産主義の正義及び大義の実現である。
 反天皇天皇制打倒、反日本民族。反日本文明。反日本文化。
 戦争反対と軍備反対の護憲で、交戦権の放棄、自衛隊解体。
 反米・日米安保破棄・在日米軍追放、集団的自衛権反対と同盟拒否で日米安全保障条約廃棄。
 対外的には、平和的な対話による外交安全保障。
 科学万能による、自然改造による自然破壊と自然宗教否定。
 神話宗教・血統世襲による正統性・男系父系の天皇制否定と皇室廃絶、非宗教非血筋非世襲の正当性女系母系天皇制ヘの変更、その他である。
 マルクス主義共産主義は、反宗教無神論と反天皇反民族反日本で、天皇と神話に関連する民族の歴史・文化・伝統・宗教の全面否定する。
 共産主義者は人民暴力革命を成功させる為に、護憲・反戦平和・無抵抗非暴力を隠れ蓑として使っている。
 事実、日本人共産主義者テロリストはキリスト教朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべく付け狙っていた。
 マルクス主義者は、日本民族神話を消滅させる為に神殺しを行い、死後の世界を否定し消し去る為に仏殺しを行い、今の命が大事というヒューマニズムで死を無価値とし死者への尊厳を踏み躙り霊魂を屑籠に捨てた。
 それは、戦後民主主義教育の勝利である。
 彼らによって、ジャパニーズ・ジャポンである天皇家・皇室は消滅される定めにある。
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